第2話−2
幅の狭いビーチを明日香達のほうへ向いて歩いていく。
海に面して背は林……と言うか森。いやいやジャングルと言ってもおかしく無い。
鼻の奥へと流れ込む潮の香りに大きく吸い込んで吐き出すと、シャツと下だけビキニと言うアンバランスな格好なのに身が引き締まるような感じがする
「……こういうのってノーブラって言うのかな?」
シャツの襟を引っ張って胸元を覗きこむと、未だに自分のものとは思えないほど魅惑的な胸の谷間が……いや待て、これはビキニ着てても見られるわけだし。
「……と言うことは、問題となるのはやっぱ先っぽ? けど丸みを露出すると、あたしでも恥ずかしいんだし……」
う〜ん…と首をひねりながら、知り合いの中で特にスケベな大介や弘二の顔を思い浮かべてみる。……ビキニ姿で近づいただけで容赦なく妊娠させられそうだ、あたしは男なのに。
まあ、あたしも明日香…………は置いといて、ケイトや美由紀さんのビキニ姿に何も感じないわけでは無い。昨日今日とじっくり見るような時間はなかったけれど、FやGやHやらという世界の存在に魅力を感じてしまうのは悲しすぎるほどの男のサガなのだ。……あたしも片足踏み入れてる世界だけど。
……思考が逸れた。ともあれ、水着の上が無い以上、緊急手段としてはシャツを水着代わりにして過ごすしかない。出来れば新しい水着でも買ってしまいたいけれど、購入しようものなら夏美や親から預かったお土産代に手をつけなければならなくなる。それに買うにしてもホテル以外に何も無いこの小島に水着を売ってるお店などあろうはずもなく、昨日一泊した本島に戻らなければならなくなる。
「う〜ん…どうしたものか……」
「それはこっちの台詞よ。こんなところでなに考え込んでるのよ、あんたは」
すぐ傍で聞こえた声に顔を上げると、濡れた水着姿の明日香がそこに立っていた。
湿った肌の上をいくつもの水滴が流れ落ちる。濡れた水着は均整の取れたラインに空気の入る隙間も無いほど綺麗に張り付いており、あたしの視線は胸から沸き、そして括れたウエストを通り、太股へと繋がる曲線をゆっくりと見下ろしていった。そして今度は逆に、太股を伝う雫とは反対に上へ視線を滑らせ、おもいn尾他食い込んでいる股間をじっくりと見つめてしまう。
こうしてみると、あたしや美由紀さんたちのビキニ比べて危険の無い選択だと思っていたワンピースの水着も、明日香にとってはかなり大胆なものだったんじゃないかと思えてくる。想像してたよりもハイレグだし、ピチッと体に張り付いた水着は明日香の体をより引き締めているようにも見える。その一方で肩紐の無いタイプだから肌の露出もそれなりに多くし……
「な、何をそんなに見てるのよ……」
「いや……良く似合ってるなって思って」
「バッ―――!」
言葉を喉に詰まらせた明日香の顔が見る見る赤くなっていく。……これはちょっと予想外の反応?
「な、ななななに言ってんのよ! 私は、別にたくやに見てもらおうと思って水着を選んだわけじゃないんだからね!」
「え?……じゃあ明日香、ナンパされるつもりでその水着を着てたの?」
「そんなわけ無いでしょ! 私は……私…は……たくやに……その……」
――む、これはちょっといじめ過ぎたかな? 赤面する明日香がちょっと初々しくて、ついつい……けど、これ以上いじめたら後が恐そうだ。恥じらいの限界を越えたら、どんな目に合わされるのか想像もつかない。
「随分泳いだみたいだけど、本当に体は大丈夫なの? 船の中じゃスゴく辛そうだったのに」
想像以上の効果を上げた水着の話題から話を逸らし、心配事だった明日香の体調について訊ねてみる。
「そ、それは平気。うん、ちょっとした乗り物酔いみたいなものだったから」
「………?」
答えた明日香はあたしから視線を逸らすと、膝をよじるように太股を擦り合わせる。まるで下半身が疼いているような、ちょっと興奮を掻き立てられる仕草で……そしてその態度が、調子の悪かった明日香が急に海へ飛び込んだ、その理由をあたしに閃かせた。
―――そうか、おしっこか。
あたしがいるから、船の中ではずっとトイレを我慢していたに違いない。それならずっと苦しそうにしていたのも頷ける。
海の中でおしっこするのは○学生みたいであまり褒められたものじゃないけれど、それも乙女のプライドか……ここは黙っててあげよう。明日香のためなんだし。
「……ま、話はここらにしておいて」
青い空からはぎらぎらした太陽の光が容赦なく降り注いでいる。いつの間にか明日香の髪も肌も乾いてしまっているほどで、あたしも首の後ろがチリチリし始めている。
「ほら、一緒に海に入ろ。二人とも待ってるんでしょう?」
そう言い、明日香の手を取るとあたしは海に向かって駆け出した。
「たくや、シャツは脱がなくていいの? そのまま入ったら濡れちゃうわよ?」
「まぁ、これはいいから。それよりケイトや美由紀さんは?」
コテージからこっちへ歩いてくる時には二人の姿も確認していたのに、今は生みも砂浜も、どこを見回しても二人の姿を見つけることが出来ない。どこに行ったのかと海に足を一歩踏み入れた直後、あたしは目の前の水面に小さな筒が二本、突き出していることに気がついた。―――そして、
「たっくや君、遅―――いッ!」
「早くケイトたちと遊びましょうですネ〜〜〜♪」
水飛沫を上げ、水中からシュノーケル装備で飛び出してきた美由紀さんとケイトに体を抱きかかえられ、そのまま海に目掛けて放り投げられてしまった。
「ちょ…ちょっとなんでェ〜〜〜〜〜〜!!!」
文句の一つも言う間もなく、頭から着水。十分深い場所へ放り込んでくれたらしくて水底に体をぶつけると言うこともなかったけれど、水中で体を回して顔を水面から出すと、一呼吸する間に、二人の巨乳美人はあたしのいるところにまで泳いで辿り着いていた。
「二人でず〜っと話しこんでるって何よ! せっかく遊びに来たんだからみんなで遊ぶの!」
美由紀さんはそう言いながらあたしの頭を沈め、
「アハハハハハッ、潜水ゴッコですネ。ケイトもやりますですネ♪」
ケイトは自分から海に潜って、もがくあたしの体をまさぐりまわす。
「グボガボガボオガボォ!!!」
「一人のんびりやってきたのが悪いんだからね。ほらほら、たっぷり南の海を飲んじゃって♪」
―――いや死ぬって。こんなに飲んだら溺死するってェ!
あたしよりも身長の高い美由紀さんの力に勝てず、手足をもがかせても頭を水面から上げられない。加えて敏感な場所に手を伸ばすケイトの容赦ないくすぐりであたしの口から空気の泡がとめどなくあふれ出しては上へと登っていってしまう。
「ブグッ………」
「……あれ? 反応なくなっちゃった?」
……しめた。あたしが動きを止めたら美由紀さんの力が緩められた。
あたしは最後の力を振り絞って上体を持ち上げる。頭上の美由紀さんの腕を払い、ケイトの肩に手を置いて一気に頭を水面から飛び出させ、
―――ぷにゅん…と、あたしの顔に柔らかい“モノ”が押し付けられた。
「プハァ! な…なによ、いったい、さっきの……」
肩を慌しく上下させ、潮の香りをたっぷり含んだ暑い空気を体の隅々にまで送り届ける。髪の毛から顔へと滴る水を拭って目蓋を上げると、目の前には水面から頭だけ出したケイトと、何故か恥ずかしそうに胸を抑えた美由紀さんが……
「―――ん? これなに?」
パクパクと口を動かす美由紀さんの態度がどういう意味なのかは酸素の回っていない頭では理解できない。そっちは一旦置いておいて、何故か頭の上から垂れている布に気付いたあたしはそれを引っ張り、目の前にかざしてみる。
「それ、私の水着ィ!」
「………へ?」
美由紀さんが顔を赤らめて叫ぶのと、あたしがその美由紀さんの胸を覆っていたビキニを左右に広げたタイミングはちょうど同じだった。あたしが頭を突っ込ませた時に引っかかって結び目がほどけたのだろう、薄いブルーの布地は想像以上の大きさがあって……と言うところで、あたしの頭にピンッと閃くものが。
「もう……たくや君のエッチ……」
閃きに従って、あたしの視線は美由紀さんの胸元に注がれる。あたしと同様、最近少し大きくなったという膨らみは両腕で包み隠されていて肝心なところは見えないものの……腕に押しつぶされた膨らみのボリュームが、大きくなったと言うのがうそでは無いと証明していたりする。
「ご…ゴメン、悪気はなかった、わざとじゃない、濃いではなくて偶然です、だから―――」
「ふ〜ん……女の子のビキニを奪っておっぱいを剥いたのに、ゴメンだけで済ませるつもりなの?」
――それはその……あたしの財政状態じゃ賠償金なんてとても払えませんし、ここは謝るしかないんですけど……
ハズかしそうにしながらも、どこかあたしをからかうような美由紀さんを前にして、せっかく出てきた水中に口元まで沈み込んでしまう。あたしが女の子に勝てないのは重々承知しているけれど、胸丸出しでいられたらそっちが気になって……しまった。美由紀さんの水着、まだあたしの手の中だ。
「あの……これ……」
水中から水着を摘んだ手だけを出すけれど、そんなにあたしの反応が面白いのか、美由紀さんは少し色っぽい笑みを浮かべながらこちらに近づいてくる。
「……そういえばたくや君、昨日水着が破けちゃったのよね。今日はそのシャツの下、何を着てるのかしら?」
え?…と首を傾げた時には、いつの間にか背後に回りこんでいたケイトがグイッとあたしの胸をシャツ越しに揉み上げていた。
「きゃあっ!!!」
「ん〜…たくやちゃんのおっぱい、またまた大きくなってますネ。それに……声が、スゴくかわいいですネ……」
「ケイト、ダメ、こんなところで…くうゥん……あ…ああぁ………!」
思わずは何か駆るような甘い声を漏らし、海の中で身震いしてしまう。シャツの内側に入り込んだ海水が揺らめくたびにケイトの指先があたしの胸へと押し込まれ、塩水に濡れるうなじを舌先がチロチロと這い回る。
「んんんゥ………」
「ほォら……先っぽがこんなに硬くなっちゃってますネ……」
「ん、くぅ……もう、ダメぇ…ケイト……は…あぁぁぁあああっ………!」
乳房を揉みしだいていた手指が、シャツの下で硬くなった乳首をキュッとつまみ、捻る。
シャツ越しにでも分かるほどくっきりと形の浮かび上がった突起……毛糸の巧みな指使いに晒されて瞬く間に固さを増してツンッと突き上がってしまうと、ケイトとは別の誰かの手がシャツの結び目を解き、直接あたしのウエストからバストへと指を滑らせてくる。
「み、美由紀…さん……」
「もう……今日は遊ぶって決めてたのに、たくや君がそんな顔して喘ぐから……私も我慢できなくなっちゃったじゃない……」
「ん、んゥ……くふゥ………」
シャツを胸の上にまでたくし上げられ、南国の海の中で胸の膨らみが露わにされてしまう。その時の水の揺らぎに溜まらず小さく声を漏らしてしまうと、かすかに開いてしまった唇に美由紀さんの唇が吸い付いてきて、舌を絡めながら口の中身を吸い上げられてしまう。
「ふふふ……私が男なら、絶対にたくや君を放っておかないんだけどな……この場で今すぐおチ○チンを突っ込んで犯してあげるのに……」
「な、なに言ってるの……んゥ!」
「ケイトも同じ気持ちですネ……たくやちゃんばっかり、男の子でも女の子でも気持ちよくなれてズルいですネ……」
――ふ、二人ともおかしくなっちゃった……そんなことイわれたら…あたし、頭の中がおかしくなって……あ…あああぁ………!
もうこのまま波と快感に流される……ジュワッと体の奥から感じている証があふれ出そうになり、小さくヴァギナを震わせていると、
「―――あんたたち、いい加減にしなさいよね」
明日香の拳骨が頭の上に降ってきた。
「あいたァ!」
「エ〜ン、明日香ちゃん、ひどいですネ〜!」
「どっちかって言うとあたしは被害者なのにぃ〜〜!」
「ええい、うるさい! 分かって無いようだから言ってあげるけど、他に人がいないって言ってもホテルには大勢従業員とかがいるんだから、あんまり恥ずかしい真似しないでよ。それにたくや!」
―――え、矛先はあたしですか?
「あんたも自分は男だって思ってるなら、もっとしっかりしてよね。そんなのだから私は……ぶつぶつ……」
「言葉の最後の方が聞こえにくかったんですけど……」
「うるさい。――それより、四人集まったんだから早速始めるわよ」
集まったら何かするって約束してたっけ?……明日香の発言になんに心当たりもなかったので、同じように肩まで海に使っているケイトや美由紀さんを順に見回すけれど、どちらも思い当たるところは無いらしく、顔の前で左右に手を振った。
「昨日は何にも出来なかったもんね……今日はあんたたち全員の煩悩全部を搾り出すぐらいに体を動かしてもらうからね!」
そう言って明日香は、右手と共に白く輝くビーチボールを突き出したのであった。
「ふ〜……今日はもう動けないィ〜……」
水着姿のまま――あたしだけは濡れた上に砂まみれになったシャツを着替えて――ホテル本館で豪勢な夕食をとった後、適度な満腹感とビーチバレーでの疲労感とが眠気になって押し寄せてきていた。
美由紀さんとケイトは一足先に水上コテージの方へ戻っている。食事中にあたしがコテージの中の様子を語ったものだから、まだ一度も自分が泊まる部屋を見ていない二人は期待感に胸を膨らませて夕焼けの砂浜を歩いて行ってしまったのだ。
残されたあたしはと言うと、せっかくリゾートに来たのに今日はもう泳ぐ気にはなれず、海の見えるテラスに出て、デッキチェアーに疲れ果てた体を横たえていた。
――そういえば、あれから松永先生を見て無いな……どうしてるんだろう?
それほど数の多く無い従業員の男性に聞いてもよく分からないと誤魔化され、食事の誘惑に屈して失念していたけれど、松永先生とは桟橋で別れてから一度も顔を見ていなかった。
宮野森学園での三年間、落ちに触れて接してきた保健医の先生ではあるけれど、その正体はいまいち掴みかねている。このホテルのオーナーだと言う話が本当だとしたら、驚きはするものの、「ああそうなんだ」といとも容易く信じてしまうのも確かだろう。
とは言え、松永先生は引率みたいなものなんだし、あたしたちだけで勝手に盛り上がってるのも悪い気がしてならない。ちゃんとお礼を言っておくのが筋と言うものだろうけれど、どこにいるのか分からなければ言葉を届ける事もままならない。
この島に入る宿泊客はあたしたちだけのようだし、ホテルの中を勝手に歩いて回っても怒られたりはしないだろうけれど、……それも明日になってから考えよう。今はもう、お腹いっぱいで何もしたくない……
「はぁ……あのロブスターは美味しかったなぁ……」
空腹と言う名のスパイスが効いていたとしても、今日出された料理はどれも絶品だった。
エビにカニに貝に魚。普段、高級なレストランなど縁遠いだけに、あたしなんて感涙を流しそうになりながら片っ端から平らげていたし。……まあ、男に戻れば体重も気にしなくなるだろう。
「ふあぁ………」
あれこれと悪態も無い事を考えている内に眠気が押し寄せてくる。誰の目を気にするでもなく、大きく口を開いて欠伸をすると、全身から力を抜いてまぶたを閉じる。……けれど、そんなあたしの前に立ち、夕焼けの赤い日差しをさえぎる影があった。
「こんなところで寝てたらいくら南国でも風邪引くわよ。ほら、起きなさいって」
「んぅ……」
体を揺すられて目を開けると、水着姿の明日香があたしの顔を覗き込んでいた。
夕焼けの赤が明日香の長い髪を輝かせて見せている。その幻想的にすら思える輝きに一瞬目を奪われたあたしだが……今は眠気に全然勝てず、寝返りを打って顔を背けてしまう。
「……あと五分……いま寝たとこだから……」
「こらこら。疲れてるのは私も一緒なんだし、寝るって言うんなら別に止めないけど、だったら自分の部屋に戻って寝た方がいいわよ」
「んみゅ……めんどくさいから…もうここでいい……」
「そんなこと言って本当に体壊したらどうするつもりよ。あたしも今から自分の部屋に行ってみるから、たくやも…一緒…に……あ…え……?」
「………明日香?」
声が途切れ、デッキチェアーが軋む。あたしのふくらはぎに明日香の肌が触れ、眠気を一瞬で振り払ったあたしは体を起こした。
「明日香っ!?」
あたしの目の前で、苦しそうな顔をした明日香が体を折り曲げて床に膝を突いている。さっきまでの会話には苦しそうな気配を全然感じさせなかったのに、昼間はあたしと一緒の楽しくはしゃいでいたのに……それがまるで夢だったとでも言うかのように、ひざまずき、ワンピースの水着に覆われたお腹を押さえて苦悶の表情を浮かべていた。
「んっ……大丈…夫……なんでもないから心配、しないで……本当に…なんでも………ッ…ゥ…!」
「そんなに顔歪めてなんでもないはず無いじゃない! いつから辛かったの? こんなところで寝ちゃダメだって自分で言っといて、ほら起きて、目を開けてってば!」
肩を掴んで少し乱暴に揺さぶっても、明日香は目蓋を開かない……いや、開けない。
それほどの重症なのか? 少し苦しそうな呼吸の音を耳にするだけであたしの胸を締め付ける焦燥がますます煽り立てられてしまい、頭では誰か人を呼びに行くべきだと分かっているのに、足がすくんでしまい、動き出すまでに十秒近くの時間を要してしまう。
「え〜っと、え〜っと……い、今すぐ誰か呼んでくるから、ちょっと待ってて!」
「いい……少し苦しいだけ…すぐに収まるから……だから……」
ふだんの明日香をよく見知っているあたしの目には、今の状態がちょっとどころでは無いのを見て取れている。―――だと言うのに、明日香は人を呼びに行こうとしたあたしの手を握り締めて引き止めてしまう。
「お願い……一人に…しないで……ずっと一緒にいて……」
「なに言ってんの! 急にそんなに具合が悪くなるなんて、変な病気だったりしたらどうするのよ!? とりあえず誰か呼んでくるから、ここでおとなしく待ってて」
「いや……傍にいて…たくやぁ………」
「明日香…どうしたのよ。あたしだったらいつも一緒にいるじゃない。何をそんなに――」
怯えているのか?……そう言おうとした時、俯いていた明日香が顔を上げ、涙をためた瞳であたしをジッと見つめてきた。何か言いたそうだけれど言えずにいる苦しそうな表情に思わず口をつぐんでしまうけれど、唐突に、ホテルのほうから女性の声が聞こえてきた。
「相原くん、片桐さんがどうかしたの?」
「あ……松永先生!」
地獄で保健医とはこの事だ。……いやまあ、そのまんまの意味なんだけれど。
あたしの慌てる声が聞こえたのだろうか、松永先生がテラスに姿を見せると、海で泳いでいたわけでも無いのに身にまとっていたきわどい水着をじっくり観賞するのも忘れ、今にも泣きそうな声でその名を呼んでしまう。
「あの、明日香が、明日香が!」
「落ち着いて。片桐さんの様子を見たいから場所を空けてくれる?」
そう言われ、あたしはデッキチェアーから降りる。けれど明日香はずっとあたしの手を強く握り締めたままで、なかなか離そうとしてくれなかった。
「チェアーに横たえてくれる?」
「あ…は、はい」
ほとんど意識を失いかけている明日香の荒い呼吸を聞きながら、なんとかよろめく体を支えてデッキチェアーに横たえさせる。するとあたしのいる位置と入れ替わるように松永先生が明日香の横へ陣取り、手際よく脈や動悸を確認し始める。
―――そういえば、手……
松永先生が割って入った時に、明日香が握っていた手が離れていた。
―――握ってて、あげたかったな……
明日香に掴まれていた感触は、まだくっきりと残っている。それが消えないように自分の手で同じ場所を握り締めていると、診察を終えた松永先生が顔を上げた。
「ふぅ……」
「先生、明日香は……」
「安心していいわ。調子が悪いのは本当にたいした事なかったんでしょうけど、疲れが出たのね。小さい子供が遊びつかれて急に眠っちゃうのと一緒よ」
「そう…なんですか……」
ただの疲れならどうと言う事もあるまい。あたしはシャツの下で締め付けられる思いだった胸を撫で下ろす。
「――けど、今日はこっちのホテルで安静にしておいた方がいいわね」
「え……?」
「コテージのほうは一人一部屋だから、夜に症状が急変したら気付けない事は無いけど、対処は遅れるでしょうね。ちゃんとした薬を処方してあげるし………眠ってる片桐さんをコテージまで運んで上げられる?」
それは……女になってさらに弱っちくなったあたしの細腕じゃ、軽いとは言え明日香の体を持ち上げるのはかなりしんどい。途中で砂浜に落っことしてしまうのが席に山だろう。……そっちの方があたし的にははるかに恐い。
―――ここは松永先生の言うとおりにしておいた方がいいよね。けど……
「じゃあせめて、あたしも明日香と一緒にいさせてもらえませんか? 明日香が目を冷ましたときにあたしが傍にいた方が、きっと安心すると思うし……」
「それは構わないけど……渡辺さんやケイトに気付かれちゃうわよ? せっかくの卒業旅行なんだから、あまり心配させない方がいいわよ。片桐さんならそう言うと思わない?」
………確かに明日香なら、自分の事はいいから…って言いそうだし……疲れだって言うんなら、一晩で復帰するだろうから、このまま松永先生に預けても……
「わかりました、あたしはコテージに戻ってます。……先生、明日香をよろしくお願いします」
「安心して。私は病気の子にまでは手を出さないから♪」
いや、ウインクしながらそう言う事を言われても、どう答えていいのやら……
けれど本来は生徒に親身になって接してくれる松永先生だ。明日香の事もきっとよく診てくれるだろう。
このままここにいても、明日香を抱きかかえる力も無く診察も出来ないあたしは邪魔なだけだろう。去り際に一度だけ、いつしか額に汗を浮かべて眠りに落ちた明日香の表情を見下ろすと、あたしは松永先生に頭を下げてからコテージに向かって駆け出して行った。
ストーリー分岐
D)たくやルート
E)明日香ルート
つづく