麻耶の黒い下着(修正版) 第1回
沼 隆 おことわり: 登場する人物名、地名、団体名などは、 実在するものと一切関係がありません。 登場人物 坂下大樹 アマチュア写真家 浩平の父親 坂下麻耶 大樹の妻 坂下浩平 大樹の先妻の子 香椎裕美 浩平の母、大樹の前妻 峰 冴子 麻耶のいとこ プロローグ 福岡市の中心、天神の南、渡辺通4丁目交差点から東西に延びるのが、 通称、国体道路。 警固交差点から赤坂3丁目交差点までの区間は、けやき通りと呼ばれる。 混雑が激しく、いつも渋滞しているが、けやきの並木が、美しい。 道の両側には、しゃれた店が、並んでいる。 その一角に、〈メルモ・スポーツクラブ〉がある。 坂下麻耶(さかした・まや)は、週3回、通っている。 美しい姿態を保つために。 いつもの通り、エアロビクスで汗を流したあと、 クロールで千メートル泳いで、 それからサウナに入った。 すぐに、汗が噴き出してくる。 いとこの峰冴子(みね・さえこ)が、入ってくる。 水曜日、冴子の店〈ラオラ〉は、定休日だ。 「お昼、一緒にどう?」 「そうしようか」 「渡辺通に、イタリアンの店が出来たって」 フィレンツェで修業してきたシェフのおすすめは、 肉料理なのだけれど、麻耶は、軽いものにした。 といっても、チーズがたっぷり使ってあるのだが。 〈リゾット〉は、とっても美味しかった。 エスプレッソも。 冴子が、 「浩平くんと、仲良くしてる?」 と聞いてきた。 〈浩平くん〉というのは、麻耶の義理の息子である。 麻耶の夫、大樹と、前妻、裕美の間に出来た子だ。 2月の終わりに、裕美が39歳という若さで、突然亡くなった。 浩平は、母親、裕美と暮らしたマンションから、 大樹と麻耶の家に引っ越してきたばかりである。 麻耶は、浩平が一緒に暮らすことは、いやだった。 麻耶が大樹と結婚して、半年しかたっていない。 つまり、新婚生活が始まったばかりなのだ。 そこに、年頃の男の子が入り込んでくるのは、 気が重いことだった。 浩平が、嫌いなのではない。 浩平とどう接したらいいか、麻耶は、とまどった。 田舎の祖父母のところに行って欲しい、と思った。 けれど、大樹が、「受験までの1年間だけだから。進学したら、 ひとり暮らしをはじめるさ」と言った。 麻耶は、大樹と結婚する前に、一度、浩平に会っている。 キャナルサイドホテルの、テラスで、 大樹がふたりを会わせたのだ。 浩平を見て、麻耶は、驚いた。 大樹とよく似ているのだ。 浩平は、大樹が30歳のときの子で、 年の差分だけ、違いはあるにしても。 母親から受け継いだものも、あるのだろうけれど、 本当によく似ている。 そして、声がそっくりだ。 声質、抑揚、言葉遣い・・・ よく、ここまで似るものだ。 離れて暮らしてきたというのに。 麻耶は、親子のつながりを、思い知らされた。 浩平が、優しそうで、賢そうなのに、好感を持った。 冴子に、 「浩平くんと、うまくいってる?」 と聞かれて、 「素直で、優しい子よ」 と答えた。 「引っ越しの時に、カノジョが手伝いに来たんだよ」 「へえ、そうなんだ」 「うん」 「浩平くん、お父さんにそっくりで、イケメンだから、 きっと、もてるんだろうなあ」 「そうかもしれない」 「麻耶に、かわいい息子が出来た、ってわけね」 「やだ、そんな言い方・・・・・・あたし、お母さんじゃない」 「義理のお母さん、でしょ?」 「やだよ、お母さんだなんて・・・・・・10歳しか違わないんだよ」 「そうか、そうだよね」 (1) 浩平が引っ越しをした、日曜日のことから、書くことにしよう。 「浩平、荷物、全部積み終わったよ」 引っ越し業者が、全部運び出して、 がらんどうになった部屋を、ぼんやり眺めているところに、 九鬼杏奈(くき・あんな)が戻ってきて、言った。 「行こう」 「うん」 「麻耶さん、下で待ってるよ」 なごりおしそうな浩平を、杏奈は急かせた。 3月はじめの、寒い日。 若桑のマンションから、桜木に引っ越す。 車で、15分ほどの距離だ。 九鬼杏奈と、麻耶が手伝いに来てくれた。 両親が離婚して、浩平は母親と暮らしてきた。 父と息子は、毎月一度、会っていた。 一緒にドライブして、食事して、 大樹は、仕事の話、趣味の話、浩平は学校の話。 父と息子の関係は、よかった。 去年、大樹は再婚した。 それが、麻耶である。 年若い妻をもらうので、大樹はずいぶん周りから冷やかされた。 麻耶は、大樹よりも、20歳若いのである。 大樹は、去年、麻耶と再婚するときに、桜木に家を買った。 今は、ふたりの新婚生活を〈楽しむ〉ために避妊を続けている。 けれど、いずれ、子供を作ることになる。 それに備えて、子ども部屋を作った。 夫婦の寝室の向かい側に。 そこを、浩平が使うことになった。 若桑の、母と暮らしたマンションは、 両親が離婚したときに、母の名義になった。 近いうちに、相続手続きをして、浩平の名義になる。 けれど、ここで一人暮らしをすることは、大樹が許さなかった。 来年は、受験なのだから。 「それまで、お前の面倒は、オレと麻耶で見るから」 さすがに、麻耶を母と呼べ、などと、言わなかった。 「お前が、進学したら、ここをどう使うか、決めよう」 大樹から、そう言われていた。 (2) 引っ越しの日は、日曜日だったが、 大樹は、仕事があった。 アマチュア写真サークルの主宰者として、 抜けられない撮影会があった。 大樹は、深夜に帰宅した。 撮影会のあと、食事会をして、そのあと数人で飲んだ。 酒臭かった。 ベッドにはいると、麻耶を抱き寄せた。 「浩平くん、カノジョが手伝いに来てた」 「そうか」 「きれいな子よ」 「ほう」 「大樹も、気に入る」 「ほほう」 「とっても、感じのいい子だった」 「そうか・・・・・・で、浩平とは、うまくいきそうか?」 「ああん・・・」 「仲良くしてやってくれ」 「ん、ん、ん」 「すなおに育ってるから」 「ああっ、いいっ、いいっ」 「おまえも、気に入る」 「もっと、もっと、もっと」 「こうか」 「うん」 「ここか」 「うん、うん」 「こうだな」 「ああっ、ああっ、ああっ」 (3) 「浩平、新しいお母さん、どんな?」 「おふくろじゃ、ねぇよ」 「はは、そりゃあ、そうだけどさ・・・気にしてるんだ」 「気になんか、してねぇよ」 「ふふ」 「なにが、ふふ、だよ」 「きれいなひと、じゃん」 「そんなこと、ねぇよ」 「きれいだって」 杏奈が、浩平のキモチを見透かすように、見つめる。 そうだな、杏奈の言うとおりだな、と浩平は思っている。 「麻耶さん、いくつって、言ってたっけ?」 「28」 「へえぇ・・・色気、あるよね」 「そんなこと、ねぇよ」 「心配だな」 「なにが」 「浩平、あのひと、好きになっちゃうかも」 「ばかいうなよ」 「そうかな」 「オヤジのヨメサンだぞ」 「ねえ」 「なんだよ」 「あのひとのこと、好きになっちゃ、ヤダよ」 「マジかよ」 杏奈は、浩平の目を真顔で見つめている。 たしかに、麻耶は、いい女だ。 浩平は、〈麻耶さん〉と呼ぶことにした。 麻耶は、〈浩平くん〉と呼んでいる。 (4) 「浩平くん、お風呂、用意できたよ」 「先に、入って」 「私は、大樹さんが帰ってくるのを待つから、浩平くん、先に入って」 「いま、手が離せなくて」 手が、はなせないことを、していた。 パソコンから、パソコンへ、ファイルを転送中だった。 あと1時間以内に、やってしまわなくてはならない。 やり終えて、転送元のパソコンを、元の場所に返しておかなくてはならない。 それは画像ファイルで、膨大な枚数だった。 数カ所のフォルダに、きちんと整理されているにしても。 サイズが、大きい、大きすぎる。 「じゃあ、あたし、先にはいるわよ」 転送元のノートパソコンを、慎重に、元の場所に返した。 リビングに下りていく。 バスローブ姿の麻耶が、湯上がりのビールを飲んでいる。 ピンク色に火照った麻耶の顔が、なまめかしい。 目が潤んでいて、引き寄せられそうになる。 麻耶は、浴室わきの脱衣場に戻る。 浩平が、シャワーを使っている影が、ガラス戸に映っている。 麻耶は、汚れた下着を、脱衣カゴに残しておいた。 ちょっぴり、いたずらをしたくなったのだ。 もとに戻したつもりなのだろうけれど、 浩平が、いじったあとが、残っている。 サーモンピンク色のパンティとブラジャーの位置が、微妙にちがっていた。 浩平の汚れた下着が、すぐわきに置いてあった。 浴室の扉を振り返る。 模様ガラスに、浩平の影が、ぼんやりと映っている。 麻耶が、ここに居ることに気がついているのか、いないのか。 シャワーヘッドから降り注ぐお湯を浴びながら、浩平は髪を洗っている。 モザイク模様の浩平の姿。 麻耶は、見たいと思い、見たいと思った自分が、おかしかった。 麻耶は、脱いだバスローブを脱衣カゴに入れると、 素っ裸の姿で、寝室に上がっていった。 寝間着を着るために。 浩平が、浴室から出た。 パジャマ姿でダイニングに戻ると、麻耶が受話器を置くところだった。 「お父さん、遅くなるって」 そう言いながら、こちらを向いた。 麻耶は、薄紫色の寝間着を着ていた。 光沢のある、柔らかなシルクサテンの寝間着は、 麻耶の身体の線をくっきりと浮き上がらせている。 乳房のふくらみの先端には、乳首がつきだしている。 乳首が、影のように透けている。 「私、先に休みます。お休みなさい、浩平くん」 そう言って、浩平のわきをすり抜けて、寝室に上がっていく。 浩平は、麻耶の後ろ姿を見る。 肩の柔らかい線、ウエストのくびれ、尻の張り出し、 そして、尻の割れ目が、はっきりと見えた。 浩平は、勃起していた。 冷たいミネラルウォーターを飲むと、自分の部屋に戻った。 明かりを消して、ベッドに横になる。 パジャマのズボンを引き下ろす。 それから、怒張したペニスを、ゆっくりとしごき始める。 麻耶の姿が、すぐ目の前の、薄明かりの中に、ちらちらする。 妄想の中で、浩平は寝室に向かう麻耶を背後から羽交い締めにし、 押し倒し、裸にし、犯すのだった。 (5) 土曜日の午前中、麻耶は〈メルモ・スポーツクラブ〉に行く。 エアロビクスのあと、プールで泳いで、昼過ぎに帰ってくる。 父親の大樹も、趣味の写真愛好会で、朝早く出かけた。 浩平は、ふたりが出かけたあと、ひとり残った。 昨夜、真夜中に、夫婦の寝室から聞こえてきた、麻耶のいやらしい声、 セックスの快楽に酔った、メスのヨガリ声が、耳の奥にはりついたままで、 今朝、麻耶と朝食を食べながら、勃起していた。 浩平は、夫婦の寝室にはいる。 薄暗い。 カーテンが閉めてある。 浩平は、明かりをつけた。 アイボリーの壁紙が、部屋を落ち着いた感じに見せる。 大きな、ダブルベッド。 麻耶の匂いがする。 オヤジの匂いも。 ベッドサイドテーブルの引き出しには、コンドームが入っている。 子ども、作らないのだろうか。 オヤジ、もうすぐ50だからなあ。 引き出しを、そっと戻す。 クロゼットは、オヤジ用と、麻耶用に別れていた。 麻耶の下着は、チェストの引き出しに、綺麗に並んでいた。 その下の引き出しには、寝間着が。 浩平が見たことのないものが、数点。 寝間着と呼べないようなものが、あった。 これを着た姿を、浩平に見せるわけには、いかないだろう。 セミの羽のように、薄い生地でできている。 母も、綺麗な下着を着けていたが、これほどいやらしいものはなかったはず。 オヤジの趣味というより、麻耶の趣味かも知れない。 (6) オヤジと麻耶が暮らす家に入り込んで2週間経った。 入り込む、というのが、ピッタリだ。 麻耶に対する気兼ねがあるし、 オヤジに対しても、気兼ねがあった。 邪魔者扱いされているわけではない。 それどころか、麻耶は大きな刺激だった。 学校帰り、気晴らしに、母と暮らしたマンションに行った。 九鬼杏奈が、ついてきた。 玄関の扉を開けて、一歩足を踏み入れる。 かびくさい感じがした。 窓を開け放ち、空気を入れ換える。 浩平の部屋にあったものは、ほとんど父の家に持って行ったから、 そこはがらんとしている。 けれど、ダイニング、リビングは、ほとんどそのままにしてある。 母の部屋にはいる。 ベッドが、きれいにしてあった。 クロゼットには、母の服がそのまま掛かっている。 和箪笥には、着物が。 引き出しには、ブラウスや、セーターや、下着がきれいに並んでいた。 いつか、処分することになる。 「とっても広い感じがするよ」 杏奈が、家の隅々まで眺め回して戻ってきて、言った。 「ああっ」 杏奈は、ベッドわきのテーブルにのった写真立てを手にした。 「浩平と、お母さんだね」 「ああ」 去年の夏休みに、ふたりでカナダを旅行したときのものだ。 (今年の夏休み、オレは、どうやって過ごすんだろう) 杏奈が、ベッドに横になる。 (なんで、死んじゃったんだよっ) 哀しみと言うより、やり場のない怒りが、湧いてくる。 起きあがった杏奈が、浩平にからだをすり寄せる。 浩平の二の腕に、杏奈の乳房が触れる。 でも、浩平は、何もしない。 じっとしたままだ。 杏奈は、浩平が大好きで、 ちょっとクールな浩平が、大好きで、 キスくらいして欲しいのだけれど、 ホントは、エッチしてもいいと思っているのだけれど、 握った手を、握り返しもしないのだ。 杏奈を嫌っているのではなさそうだ。 《セカチュウ》は、一緒に見たし、 浩平くん、すごく退屈してたけど、 思い切って、キスしちゃおうかな・・・ 「帰るよ」 浩平が立ち上がる。 杏奈は、後を追った。 (7) 麻耶は、甘い香りがする。 化粧品の香りなのかも知れないけれど。 浩平は、麻耶のからだの匂いだと思っている。 ちょっと、鼻にかかった声も、 甘えるような、喋り方も、 話すときの、ちょっとしたしぐさも、 浩平には、たまらなかった。 じっと浩平を見つめながら喋っている麻耶の視線は、浩平を惑わす。 潤んだ大きな目、ぽっちゃりした唇、 ちょっと、唇を突きだすクセがあって、 キスを求められている気がしてしまう。 麻耶が愛用するシルクサテンの寝間着は、 麻耶の肉体を柔らかく包み込み、 下着を着けない麻耶のからだの凹凸を、 くっきりと浮き上がらせて、 浩平を刺激する。 浩平の父親、大樹は、アマチュア写真家として、知られている。 カメラ雑誌にも、しばしば掲載されているし、 コンテストで、何度も入賞している。 愛好家のサークルをつくって、会員たちを指導したりもしているのだ。 それで、週末は、留守にすることが多い。 大樹が撮った風景写真や、静物写真は、家の中に数枚架けてある。 人物写真がないことに、浩平は気がついたが、 父親が、その分野に興味がないわけではないことを、すでに知っている。 浩平は、コンパクトのデジカメを持っている。 修学旅行の時に買ったものだ。 父親譲りの写真趣味というより、 ただ、デジカメが欲しかっただけだ。 けれど、麻耶を目の前にして、このひとを撮りたいという欲望が わき上がった。 麻耶の裸を、撮りたい。 麻耶の、裸。 麻耶の、いやらしい、裸。 引っ越してきた日の真夜中、 あえぎ声が聞こえてきた。 廊下を隔てた夫婦の寝室から漏れてきた、麻耶のせつない、あえぎ声。 それは、なまめかしく、いやらしく、 本能そのままに、からだの芯から吹き出しているようで、 浩平の想像を掻きたて、勃起させ、精液をほとばしらせたのだ。 それから、時々、真夜中に聞こえてくる、麻耶の、メスの泣き声。 麻耶の、いやらしい写真を撮りたい、 それは、以前見たある写真集と重なっていった。 浩平は、数年前、田舎町に住む祖父の家で、 蔵の中にしまってある祖父の蔵書の中に、 1冊の写真集を見つけたのだった。 古い民家で撮影されていた。 民家というより、旧家、というのだろうか。 古びた田舎家などではない。 床も、柱も、梁も、天井も、 手入れが行き届いて黒光りしている。 渋くて、立派な造りの家。 全裸の女たちが、縛られ、吊され、鞭打たれている写真が 並んでいるのだった。 ライト、色彩、構図、浩平にも、すばらしいことがすぐにわかった。 どの女も、浩平好みの美女ばかり、 乳房を、性器を、肛門をさらけ出して、 苦痛にゆがむ顔が、浩平を興奮させ、感動させた。 吊した女の両足を抱え上げながら、 男根を突き刺している男は筋肉質で、 ギリシャ彫刻に負けていない。 もう、美術品と呼んでもいいような写真集なのだった。 そして、同時に、写真から漂ってくる妖気に、浩平は酔ってしまったのである。 浩平は、それが頭にある。 けれど、舞台も、装置もない。 そして、写真の技量も、ないのである。 浩平は、それを思い知らされて、いらだっている。進む