その1


 「む・・・無念じゃぁ…」  それが祖父のあまりにもお約束な最後の言葉だった。  別に敵にやられたわけでも、長い闘病生活に終止符を打ったわけでもない。趣味の覗きをしようと塔の上の  メイド部屋に忍び寄っていて足を踏み外したのである。  ちなみに死んではいない。全治三年のスーパーぎっくり腰になっただけである。が、どうやらそこ以外の  ダメージも大きかったらしく、「起たなく」なっちゃったらしい。  足腰以上にそこが「起たなく」なったショックが大きくて、オープニングのセリフと相成った次第である。 「何が無念なんですかぁ! これをいい機会としてそろそろエロジジイを引退してボケジジイになりなさいっ!」  アタシはベッドでウルウル泣いている祖父にビシッと指を突きつけて言ってやる。  あ、ちなみにアタシは女の子である。辺境警備に出たっきりなかなか帰って来ない騎士の父親に代って領主代理  をやっている。で、ベッドで無念の涙を流しているジジイが、かつては伝説の騎士だったらしい祖父である。  何でも王国の十騎士に選ばれた猛者だったらしいが、今では覗きが趣味のエロジジイにまで落ちぶれてしまっていた。 「うう……ボケジジイなんていやじゃぁ! わしは百歳まで現役でいたいんじゃぁ!」 「はぁ!?」  思わず声が裏返ってしまう。これで若い情婦でもいれば、まあ、それなりにお達者パワー全開って事で、手が  かからなくていいのだが、そういう特定の相手もおらず、ひたすら覗きに老いの情念を燃やす毎日だからトラブル  が絶えないのである。  今回のスーパーぎっくり腰も、高さ百三十メートルの塔から落ちて、造りかけの石橋をぶち割り、その十数メートル  下の空掘りに落ちた上に崩れた橋の破片がなだれ落ちてきたのが原因なのだ。まあそれだけの事をやってぎっくり腰  で済んでしまうのがわが一族のタフな所なのだが……。 「そうじゃ! わが孫娘よ、お主にやって欲しい事がある。はるか西の……」 「嫌だ!」 「山脈地帯にある洞窟に……」 「だから嫌だって!!」 「いかなる病も傷も直すという幻のキノコが……って、おい! どこにいくんじゃぁ!!」 ジジイの怒鳴り声を背中に  受け流し、アタシはさっさと病室を後にしていた。ジジイのたわごとには付き合っていられない。なんといっても  アタシは領主代理なのだ。そんな遠い所にまでのこのこ出ていけるわけがない。 「姫様……」   部屋を出たところで従者のリアンが話し掛けてきた。艶やかな漆黒の髪をポニーテールにしており、細く引き締  まった身体と、アイスブルーの切れ長の目が印象的な美女である。女だてらに剣の流派を興した天才剣士で、  アタシの剣の師匠でもあり、良き友でもあった。「何? あのジジイのたわごとになら付き合う気は無いわよ」 「いえ、お父上の事です。先ほど早馬が参りまして、異民族との戦いで毒矢を受け、命は取り留めたものの昏睡状態  であると…」 「なにぃっ!! で、今、どこに?」 「はっ。馬車にて当領へと向かっております」 「くうぅ…リアン! すぐに旅の支度を、アタシはジジイを締め上げて洞窟の詳しい場所を吐かせるっ!」  こうしてアタシは西の山脈へと旅立つ事になった。   「でやああああああっ!」  アタシは剣の一閃で行く手を遮るツタ状モンスターの触手をまとめて切り払った。その脇ではリアンも華麗な剣  さばきで奮戦中である。 「シェリナ! 魔法はまだなのっ!」  わらわらと襲いかかってくる触手をなおも切り散らしながらアタシは背後で魔力を収束中の女魔道士、シェリナに叫ぶ。 「もうちょっとですぅ! あと…十秒…」 「姫様…こんな時にいう言葉ではありませんが、三人だけというのはかなり無理があったのでは?」  息も乱さずに触手を切り払いながらリアンが言う。 「仕方ないでしょっ! 神官たちは父様の治療で大忙しだし、名のある騎士はみんな異民族との戦闘に志願していっちゃ  ったし。ジジイの言うことは信用されてないし…あー、全くあとからあとからうっとうしい触手どもめっ!!」 「姫様、準備できましたぁ」 「よっしゃぁ! 焼き払えっ!!」  叫ぶと同時にアタシとリアンは左右に分かれて跳んでいた。 「いきますぅ! ブラストストリーム!!」  シェリナの魔法が発動し、超高温の爆風が触手生物の群れを焼き払った。 「ふう。ようやく片付いたか。しかし何で触手のある植物モンスターばかりなんだろう」「このあたりの環境の  せいかもしれませんね。特殊な植物の生育に適しているのでしょう。だからこそ魔法のキノコも生育している  のでは?」  警戒を緩めずにリアンが言う。アタシが切り倒した数の倍近い触手を相手にしていたのに息も乱していない。  さすがである。 「ジジイの言葉に嘘がなければね。まあ、嘘だったら今より酷い目に遭わせられることは知ってるだろうから  出まかせは言わないだろうけど」 「姫様、ご隠居様には本当に容赦しないですからね…」  リアンは秀麗な眉をひそめながら言った。アタシは領民には優しいが、ジジイにだけはかなり厳しい。覗きが  ばれたジジイをす巻きにして川に放り込むぐらいはいつもの事である。その程度の事では絶対に死なないから  安心していたのだが、さすがに今回のダメージは効いたらしい。父にしても、恐らく普通の人間なら数秒で命  を落とすような猛毒なのだろう。異常にタフなうちの家系だからこそ意識不明で済んでいるのだ。 「さて、日が暮れるまでに洞窟とやらにたどり着かなきゃね。夜になったらもっとヤバイ奴が出てくるかもしれないし……」 「姫様ぁ! 怖い事言わないで下さいよぉ」  魔道士のシェリナが泣きそうな声を出す。こいつは魔法の腕は確かなのだが、気が優し過ぎて戦闘向きではないのだ。  だからこそアタシの父のあだ討ち(別に死んではいないが…)にも引っ張り出されなかったのである。 「だからそうならないうちに急ぐのよっ! 父様を助けるためにいいいっ!」 「あの〜姫様、一応ご隠居も助けなければ…」  シェリナが恐る恐るという感じで横から声をかけてきた。 「ああ、ジジイはあくまでもついでに、ね。・・…あ、まずは毒見役としてジジイに先に飲ませてやるか、うん。  そうしよう!」  我ながら名案である。万が一、失敗してもジジイなら良心が痛まない。  さらに進むこと数時間。あたりが暗くなってきた所でようやく洞窟が見えてきた。 「入り口は人の手が加えられてますね。特に危険な気配はしません」  リアンがそう言うのだから間違いないだろう。 「では…」  洞窟に足を踏み入れようとしたアタシとリアンは、奥の方から近付いてくる気配を感じて立ち止まっていた。  どちらともなく目配せし合い、入り口脇の岩陰に身を潜める。何がなにやらわからずにおろおろしていた  シェリナはアタシが岩陰に引っ張り込んだ。  間もなく、ひたひたという足音が聞こえてくる。足音からして二足歩行、体重もそれほど重くない。 「……」  アタシはリアンに目配せした。小さく頷いた彼女は、音もなく岩陰から出て足音の主と向かい合う。 「…おや、お客様かね? 珍しいな」  かすかにかすれた老人の声がした。殺気は全く感じられない。  アタシとシェリナも岩陰から出て、彼の前に身をさらす。背の低い、ボロボロの法衣を身に纏った老人だった。  伸び放題のヒゲと髪がちょっと不潔な感じである。 「ご老人、卒時ながらお尋ねする。この洞窟の奥に、いかなる病や傷も直す魔法のキノコがあるという噂を聞いた  のですが…」  リアンの問いに、老人の表情が緩んだ。 「ほほほっ。いかにも、わしは魔法のキノコを守り続けてきた人呼んでキノコ仙人じゃ。・…・・って、何じゃ、  そのげんなりした表情は?」 「いや、あまりにもありきたりなお名前なので…」  アタシはなるべく無礼に聞こえないように答える。 「ほほほほっ。まあ良い。おぬし達、魔法のキノコを取りにきたのであろう?」 「ええ。そのとおりです。毒矢に倒れ、昏睡状態にあるわが父を救うため、どうか魔法のキノコをお分けいただきたい!」  アタシは思い切り芝居がかった仕草で土下座していた。美少女騎士の必死の頼みを断れる生物はこの宇宙には  存在しない筈だ。 「ほお、お嬢さん、お主の父親か…孝行娘じゃのう」 「…姫様、ご隠居様の分も…」  隣にひれ伏しているリアンがボソッと言う。 「わかってる…ジジイの分もついでにもらうから…」  そう、あくまでもついでである。不死身の覗き大王を復活させるのはできれば避けたい所なのだが、この情報を  くれたのはジジイなんだし…。 「では、覚悟はよろしいな、お嬢さん」  キノコ仙人(あ〜やっぱりありきたりな名前だ…)は、妙に真面目な顔で問うてくる。「へ? 覚悟…やはり凶暴  なモンスターとかを倒さねばキノコが手に入らないとか? 妙なパズルは勘弁してくださいね、アタシそういうの  苦手だから…あ、それからキノコの代金代わりにあんたに身を任せるのもNG! どうしてもやるならやるなら  この二人のどちらかを…」 「姫様ぁ!!」  リアンとシェリナが同時にハモる。 「いやいや、そういうのではなくってだなぁ、魔法のキノコはこの洞窟から持ち出すとすぐに枯れてしまうのじゃよ。  それを防ぐには、清らかなる乙女の覚悟が必要なのじゃ!」「なのじゃ! って言われても…で、どんな覚悟?」 「うむ…魔法のキノコを枯れさせない方法…それはズバリ、乙女の体内に移植することなのじゃぁ!」  キノコ仙人は少し嬉しそうに宣言していた。  続く


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