第十一章「賢者」裏1


 マーメイドたちが無事な姿と言えないまでも保護されたことで、騒動は一応の決着を見た。
 村側は村長を含め、マーメイドの誘拐、および彼女たちの売買計画に加担していたものはその日の内に全て捕らえられた。後日、この地を納める王国の騎士団に引き渡されて厳しい取調べを受けた後に、大陸法に違反した重罪人として投獄されることになる。
 一方でマーマン側も、人間と話し合って事態を解決する道を選ばず、自分の野望・欲望のままに村の襲撃を扇動したダゴンが裁かれていた。百余年の月日を経て南の海の支配者である海龍王が封印から解き放たれたことで力による求心力を失い、また、海の治安を守れなかった事を咎められた末に一人で海龍王に挑み玉砕。過剰なまでの制裁を受けてから、浜辺に打ち上げられた。
 人間とマーマン、小規模ではあるものの二つの種族の争いは、双方の首謀者が裁かれたことで納めることとなり、人間側は魔法ギルドの長である留美=五条が、マーマン側は海龍王ノーストが立会う中、和解が結ばれた。
 村の人間でも海龍王を目にした事があるのは百歳を超えて生きる最長老ただ一人。話でしか聞いたことのない海の王の巨躯を目の当たりにすると、誰もが恐れおののき、言葉を失ってしまう。マーマンたちもまた、その海龍王を海の底に長年封じ、村の人間にもマーマンにも一人の死者も出さずに戦いを終わらせて実力を見せ付けた留美の存在を前にしては、漁村を再び襲おうと言う考えなど微塵も持てはしなかった。
 全ての問題が解決したわけではない。マーメイドたちは下半身が人間同様に二本の足を持つ姿へと変化してしまっており、言葉も失って人間ともマーマンとも意思疎通が取れなくなっている。あるマーメイドが不慣れな足で歩いて海へと向かったものの、当然出来ていたはずの水中での呼吸すらままならずに溺れてしまい、慌てて人間とマーマンが協力して救出すると言う騒動も起きたりもしていた。
 だが、太陽が沈めば誰も彼もが深い眠りに落ちていた。戦いの緊張と疲労で精根尽き果てた男たちには、とても勝利を祝う余力などない。女たちもまた、明かりを消すと男たちに寄り添うように眠りにつき、小さな漁村は暗く静かな、けれどもう何も恐れる必要のない安らぎの夜の中に沈みこんでいく。
 けれど―――


 −*−


「探し物は見つかったかな?」
 大空洞跡地。村の眠りを妨げることを控えているかのように月も出ていない夜の闇の中を見通すように、空中に転移して出現した留美は地面に穴を掘っている少女へと言葉を投げかけた。
 地面は岩がむき出しで、普通は手持ちの小さなショベルで穴など掘れるはずがない。けれど黒いマントに身を包んだ少女は無視の羽音のような音を響かせて小刻みに震えているショベルを易々と岩の地面に突き立て、顔を上げる。
「こんな暗闇では探し物も大変だろう。よければ明かりを貸そうか?」
「いいえ、そんな必要はありませんよ」
「まあそう言わずに」
 ゆっくりと地面に向けて下降した留美が指を打ち鳴らすと、二人の間に一瞬だけ強烈な光が迸る。不意打ちの目くらませ……だが、光の先にいた小柄な少女は怯む様子も見せずにまっすぐ留美を見つめ続けていた。
「私が作った暗視ゴーグルです。光量調整機能が搭載してありますので、そのような小技は無駄ですよ。……その気になれば、私など一瞬で蒸発させられるでしょうに」
「それは失礼。出来れば手荒な真似はせずに捕らえたかったのでね」
 光が収まると、頭の左右で髪の毛を縛った少女は、顔の半分を覆っていた奇怪な形をしたゴーグルをハズし、今度は適度に周囲を照らす明るさに抑えられた魔法の光の下に顔をさらけ出す。
「確か錬金術師と言っていたな。それほどの技術……私もいまだかつて目にしたことがない」
「“技術”では……ですよね。暗視の魔法はある事をあなたが知らないとは思えませんよ、ギルドマスター留美」
「その呼び名はあまり好きではないのだがな……では、キミの事はなんと呼べばいい? “魔王の申し子”千里とでも?」
 自分の名前の前に正体を暗示する言葉を付けられた少女――千里は幼さの残る顔を一瞬だけ憎々しげに歪め、二本に束ねられた髪の先端を弾ませる。
 その直後、留美の頭上から戦斧の刃が唸りをあげて襲い掛かる。
「お前が寺田か? たくやから話は聞いているよ」
 暗闇の中から突如姿を現し、完全に不意をついたはずの寺田の一撃だったが、プレスアックスが地面を割り砕くのと同時に聞こえてきた留美の声は背後からだった。
「ちょこまかとォ!!!」
 地面を砕き、振動に打ち震えている斧を腕力で無理やりねじ伏せ、すかさず後ろの空間を薙ぎ払うものの、そこにも留美の姿はない。
 連続した空間転移を目で追うことなど不可能だ、けれど寺田には長年戦場で磨き抜いた直感がある。口元を引き結び、左右に視線を走らせると、身を捻るように斜め後方へと跳び、長柄のプレスアックスがしなるほどに渾身の力を込めて留美が現れると予測した場所に攻撃を叩きつける。
「“我が掌中に虚空の盾”」
 寺田の予見したとおりの場所に現れた留美ではあったが、砕けたのは斧の方だ。重量のある斬撃と共に衝撃波を放った魔法の斧は、留美が突き出した左手に触れることすらできず、跳ね返された自身の衝撃波によって粉々に砕け散る。
「ちッ、ポンコツの試作品じゃこの程度か!」
 とっさに跳び退ってダメージを回避した寺田は、腰に差しておいた剣と斧とを引き抜き、両手に構える。
「その人に勝つには頭数も装備も準備も作戦も、何もかもが足りません。このまま戦い続けても無駄に命を散らすだけですよ」
「オレはギルドマスターとか王様とか偉そうな肩書き持ってるヤツが大嫌いなんだよ。それがお高く留まったら美人ならなおさらだ。マ○コから尻の穴まで徹底的に犯し抜いてチ○ポ汁呑んだだけでイくようになるまで犯しつくさねェと気がすまねェ!」
「あなたが死んでも別に私は痛くも痒くもありませんし。ではどうぞ玉砕してください。骨は拾ってあげませんよ」
「………ちッ、今日のところは見逃してやらァ」
 寺田は留美から視線を斬ることなく後退さると、剣の先端を地面に落ちていた布に引っ掛ける。綾乃が言っていた“姿の消せるマント”で身を隠し、穴を掘る千里の周辺を警戒していたのだろう。
「しましまあ、変わった組み合わせだな。父と娘と言うにはあまりに顔の作りが違いすぎる」
「私だったら自殺しますね、こんなゴリラの娘だったら」
「てめェら、ほんと言いたい放題だなァ!?」
「黙りなさい、ゴリラ。犬でも餌を与えられたら恩義を感じるんです。命の恩人には猿踊りでもして人の話の邪魔をしないぐらいの知性でも身に付けておきなさい」
「お…犯す、何時か貴様も犯してやるからな……!」
 隣で牙を剥く寺田に、千里はいちいち反応することさえ面倒くさいとでも言いたげに溜息をつく。
「二人が最初からグル……だったとは思えないな。そこの寺田は、村長にマーメイドの誘拐および売買を唆(そそのか)した容疑がかけられている。忘奪の竪琴を提供し、海と地下水路でつながっていた大空洞にマーメイドたちをおびき寄せるようにとな。
 さらには、竪琴を演奏していたと言う自動人形、キミが作ったそうだな。持ち逃げされて追いかけてきたと綾乃に話していたが、こんな夜更けに二人揃ってこの場にいる以上、協力関係にあることは疑いようがない」
「協力? 主人とゴリラの間違いです。こんな腕力しか取り柄のない類猿人とは、本来なら付き合いたくもありません。人の言葉すら解さないんですよ、これ」
 ゴリラとか猿とか筋肉ダルマとか連続してひどい扱いを受け、寺田は顔を紅潮させながら歯軋りをする。その様子を観察しながら留美はアゴに指をかける。
「なるほど……今回は独断専行か?」
「当然です。私が計画を練っていれば、こんなに派手な騒動は引き起こさせませんでしたよ」
「ははっ、ずいぶんと自身ありげだな。だが嫌いじゃないよ、そういう性格」
「自身ありげなのは、この場でも余裕の笑みを崩さない貴女のほうではないんですか? それに……もう気付いているんでしょう?」
 千里は先ほどまで掘っていた穴の傍らに跪き、中へ手を入れて四角い何かを引っ張り出す。
 黒い表層の分厚い本……まぎれもなく、留美の魔法で跡形もなく消し去られたはずの魔王の書だった。
「あの魔王の書をそう簡単に消しされると思うほど、私はお気楽ではないよ。もっとも、それなりに自信はあったんだが」
「聞きたいことは別ではないんですか? 例えば……なぜ魔王の書を持っていたのが、“あの顔”だったのか……とかどうですか?」
 千里は大空洞に隠れて一部始終を見ていた。ならば留美や綾乃がたくやと同じ……いや、性別が男に変わったたくやを見て驚いたことも知っている。ならばこそ、この情報をちらつかせて精神的優位に立とうとしたのだけれど、
「そのことか? それこそ“べつに”だな。あの“たくや”が本人にそっくりな少年だったとしても、ホムンクルスであったとしても、それとも違う何かだったとしても、私の前に立てば消し去るだけだ」
「……随分と情に薄いんですね」
「命を弄んだ本人には言われたくないな。身体を分割されても死なない人間など、私ぐらいのものだぞ? それにマーメイドたちからは命同然の“因子”まで奪ったのはどこの誰だ?」
「実行犯は私ではないんですがね……せっかくだからお見せしましょうか」
 千里はマントの内側に魔王の書をしまうと、代わりに赤く輝く結晶体を取り出す。
「モンスターを封じ込める魔封玉に倣い、“魔封晶”と名づけました。忘奪の竪琴で記憶と共に奪い取ったモンスター因子は全てこの中に入っています。……あと少し斬撃がずれていれば、本当に今回は何も得られないところでしたけれどね。ずさんな計画でしたが、マーメイド四十七匹分の因子はなかなかいい成果と言えるでしょう。戦闘中に無事に回収できたのも、魔封晶が破損していないのも僥倖ですよ」
「そんなものを何に……いや、決まっているか。魔王の書を持ち、魔王ギルドに属するものが考えることは一つしかない」
 それは、
「魔王の復活……いや、僭称(せんしょう)か?」
「ええ。現在、“世界”に魔王として認められているのはあの人……でもそれは完全にではありません。この世界で魔王となる権利の半分は、私の手の中にあります。……今は魔力を使い果たして意識を失っていますがね」
 そう言って、千里はマントの上から魔王の書を納めた胸元を叩く。
「因子の数が多ければ多いほど、それは“魔王”と言う存在にとって強さになります。いずれ強力かつ必要な因子を集め終えた暁には、この書は再び魔王となることでしょう。……私の手の中で」
「させると思っているのか!?」
 留美が指を打ち鳴らす。すかさず虚空からあらわれた十五本の炎の槍が千里と寺田に目掛けて殺到するが、それよりも速く海より飛来した“何か”に千里たちは掴まり、そのまま周囲を取り囲む崖を飛び越える。
「飛翔機!? そんなものまで完成させていたのか!?」
 空を飛んでいるが、それは鳥というよりも黒いエイといったほうが的確な姿形をしていた。留美の叫んだ言葉どおり、魔法を使わずに空を飛び翔ける機械である飛翔機が疾駆した後には風が渦巻き、一人だけ地面の上に残された留美の長い髪の毛が渦巻く空気の中で踊り乱れる。
「最後に一つだけ教えてあげます。私たちが最も求めるもの、それは勇者の因子です!」
「!?」
 下部に設けられた取っ手に千里と寺田をぶら下げたまま、胴体も含めて全てが翼といっても良い飛翔機は鈍角な嘴で夜闇を切り裂き、見る見る遠ざかっていく。だがそれに対し、予想もしていなかった千里の最後の一言に留美はわずかに気が動転し、明らかに初動が遅れてしまう。
「勇者……か」
 千里や飛翔機の黒色は深い闇に溶け、もう目視することは出来ない。追跡も撃墜も不可能だと判断して諦めた留美は、乱れた髪を手で撫で付けると、魔王の書が掘り出された穴へと歩み寄る。
「高重力で自身を地中に埋め込んだか」
 留美の時空間崩壊の範囲指定結界は、地中にまでは及んでいなかった。それを察知し、たくやと共に魔力の共鳴を起こして魂が抜けかけていた留美の目を盗んだ魔王の書の見事な機転と言えた。
 脇につきたてられた手持ちショベルの振動はすでに収まっていた。この場に残した以上、追跡の手がかりになるまいと無視し、留美は魔王の書を掘り残した穴の中に手を入れる。
「ご親切に、欲しい情報はあらかた教えてもらえたわけだが―――」
 穴の中から引き抜いた指先には、小さな水晶が挟まれていた。魔封晶とは異なり透明なそれは、情報伝達に使われるメモリークリスタルだ。
「さて……敵は思いのほか巧緻にして強力ようだな」
 手に入れたクリスタルを唇に寄せると、留美は静かに目を伏せ、入り江と化した大空洞跡地に打ち寄せる波の音に耳を傾けながら、戦闘の緊張を解いて高速の思考へと頭を切り替える。
「最悪、魔王戦争の再来か……」
 それとも違う戦いになるのか、それはさすがの留美でも計りかねる。
 ―――だが、仮に魔王が復活したとしても……
 相対するのはおそらく留美ではない……その予感はおそらく正しく、相対するにふさわしいと思う者もまた正しいだろう。
「こんな運命、“あいつ”でも読み解けはしまい」
 緊張を解いて長く息を吐き出すと、留美は胸元から白紙のカードを取り出し覗き込む。
「関わる以上は、例え私でも運命は定まらないか……けれど」
 留美の手が、おもむろにカードを二つに引き裂く。さらに四つ、八つと手を動かすたびにカードは細切れになり、放り投げた紙片は海からの風に乗って散じ、夜空へと舞い上がっていく。
「解らないからこそ人生は面白い……千年も経ってから、今またこんなことに気付かされるとはな」
 退屈と苦悩だけが積み重なり続けた長い旅が、海の見えるこの地で終わる。けれど次の旅へと、留美を新たな運命へと導く“風”は、もうすぐそこまで迫ってきていた。
「さて……知らぬは当人ばかりなり、か」
 これから荒れ狂うであろう運命の歯車が回転する一方で、その中心にいることに気づいているのかいないのか。力尽きて今も眠りこけているであろう誰かさんのことを考えながら、留美は肩をすくめてからお腹に手の平を這わせる。
「いきなり未亡人などにならないようにしないとな」


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