第十一章「賢者」28
「んっ……」
窓から差し込む光のまぶしさに、あたしは小さく呻きながら目元を腕で覆い、深い眠りからゆっくりと目覚めていく。
あたしが眠っていたのは海の底でも岩の上でもない、粗末ながらもちゃんとしたベッドの上。まるで長い夢でも見ていたかのような気分でぼんやりしたまま周りを見回すと、そこは見慣れてはいないけれど見知ってはいる宿屋の一室だった。
―――うみゅ〜…どんだけ眠ってたんだろ……でも、そっか……あれは夢か……
全身がだるい。まるで大量出血でもしたかのように体に力が入らない……しかし、いくらなんでもと、あたしは思い当たる原因を小さく笑いながら否定した。
―――そうよね。海の中でマーマンと戦ったり、留美先生と全力でバトったなんて、いくらなんで非現実的すぎるって。
それにだ。最後はあたしの剣で「てやー」と一刀両断なんて、都合がいいにもほどがある。ついでに留美先生の腕がちょん切れて……思い出すと罪悪感で背筋が冷たく震えてしまうけれど、それも夢の中のこと。さっさと忘れてしまうことにしよう。
―――となると、この疲れは大介に温泉で犯されたせいか……あんの野郎、いつかきっちり落とし前をつけてやらなきゃ……
だけど、その記憶もずいぶん前の出来事のように思える。その間に弘二に犯されたり、マーマンに輪姦された気もするけれど、それらもきっと夢の中での出来事だろう。
―――さて。
せっかく朝日が気持ちいいのだから、ベッドの上にずっといるのも勿体無い。……いや、寝転がったままたてで日陰を作って空を見上げると、太陽の位置もずいぶんと高い。どうやら正午前後といったところか。
―――まずい、完全に寝過ごしている。このままだと朝食を食べ損ねる!
目を覚ました途端に空腹を訴えるお腹を気遣いながら身体を起こすと、あたしは妙に痒い頭に手をやって……なぜか頭に包帯が巻かれていることに気付く。
「へ……な、何これ?」
何故か全裸で寝ていたものの、その事を気にするのは後回しにして慌ててベッドから飛び降りる。そして移動するのももどかしいので背負い袋をつま先に引っ掛け、蹴り上げるように引っ張り寄せると、中身を次々に放り出しながら手鏡を取り出した。
「うわ、ホントに怪我してる!?」
鏡に映ったあたしの頭は、確かにグルグルと包帯が巻きつけられた。しかも頭の左側の包帯は、血を吸って赤黒く変色してしまっていた。
痛みはないけれど、包帯を巻いた頭は結構インパクトがある。いつの間にこんな大怪我をしたのだろうかと困惑している記憶をひっくり返すと、
―――そう言えば夢の中で……
確か、瓦礫の一つが頭に当たった。そのまま海に入ったり無茶ばかりしたせいで傷口が開いて、噴水のように血を噴き出した……のだけれど、それはあくまで夢の中での話だ。夢での出来事が現実になるなんて、いくら魔法が使える世の中でも信じられるものではない。
「って言うより、ホントにこれ、怪我?」
出血しているあたりを恐る恐る指で触れてみるけれど、乾いた血がパラパラと落ちるだけで、痛みも何も感じない。
素人考えで勝手に包帯を解くのはマズいかと思いながらも、現状を確かめたいという衝動を抑えきれない。あたしは包帯の止め具を外すと、慎重に包帯を頭から外していく。
「………やっぱり、何もない……よね?」
出血していたと思しき場所を鏡に映すけれど、髪の毛や肌に乾いた血液が付着しているだけで、痕跡はあるのに傷跡はどこにも見当たらない。それでも心配で鏡の角度を変えてあちらこちらと確認していると、ノックもなしにいきなり扉が開けられた。
「目は覚めたようだな。どこか調子の悪いところはあるか?」
初めて顔を合わせたときと同じく丈の長いワンピース風の服に身を包んだ留美先生が部屋に足を踏み入れると、あたしは一瞬思考が飛び、次いで自分の身体を見下ろし、
「ひゃあああああああああああああッ!!!」
自分が全裸であることを思い出し、慌てて頭からシーツを引っかぶった。
「女同士なんだから、裸ぐらい気にしなくてもいいじゃないか」
「き、気にしますって、気にしないほうがおかしいですって!」
「ほう……目上の人間を変人呼ばわりか。看病してやった恩も忘れて、ずいぶんなものいいようだな」
あたしを責めるような言葉だけど、声は何故か笑っている。
けど、そうか。あたしの治療をしたのは留美先生なのか。だったらお礼を言わなきゃ……と思っていると、体に巻きつけていたシーツが引き剥がされてしまう。
「キャア――――――!!! や、やっぱりおかしいですって、留美先生は変態だァ〜〜〜!!!」
「おかしくはないさ。これは診察だからな。さあ、観念して暴れるのをやめて、おとなしく傷口を見せてみろ」
「なら服を、服を着させてェ〜〜〜〜〜〜!!!」
涙ながらの訴えに対して留美先生は指を鳴らし、呪文詠唱もなしにあたしの体の上へ空気の塊を押し付ける。診察する必要があるため頭の部分は魔法の範囲に含まれなかったものの、仰向けにされて胸も股間も隠せなくさせられるのは、一種の恥辱プレイであるかのようだ。
「ふむ……傷口はなし、か。たいした再生能力だな」
「あの…留美先生……もう暴れませんから、だから体にシーツをォォォ……」
「それは却下だ。怪我が治ったのなら、診察代をきちんと貰わなければいけないからな」
血の跡だけが残るあたしの頭から顔を上げた留美先生は、瞳に怪しい光を輝かせる……なんかマズいと本能が訴えるけれど、骨がきしむほどの高圧空気のせいで指一本動かせない。このままだと口から内臓が〜…とスプラッタな想像が頭をよぎったとき、再びぱちんと指が鳴らされる。
「あ……」
まるで体が浮き上がるような開放感。空気圧から開放され、やっと楽に慣れたと大きく息を吐いて安堵したのもつかの間、あたしの裸をじろじろと視姦していた留美先生はベッドに飛び乗り、その知的な美貌をあたしの胸の谷間へと押し込んできた。
「わひゃああああああああああああああッ!?」
「ふむ……確かに他人の胸は柔らかくて、温かくて、気持ちのいいものだな」
「なに言ってるんですか、この人はァ!……んっ! やだ、頭動かさないで……息がくすぐった…やめて〜!」
「いい匂いがするな……弾力も申し分ないが、暑いこの地域では汗ばんだ肌が密着するのは深いだな」
ひ〜ん……いきなり顔を胸に埋められて泣いてしまいたいぐらい恥ずかしい思いをしているのはこっちの方なのに、文句まで言われるなんてあんまりだ―――と、泣き言を言っていられるうちがマシだと言うことを、この時はまだ分かっていなかった。二つの膨らみの間に顔を挟みこんだ留美先生は、やおらあたしの胸に指を食い込ませると、
「………ひあああああああッ!?」
事もあろうに、オッパイが凍りつきそうなほどの冷気を手の平から放ち始めたのだ。
「ん〜……やはりこのぐらい冷えているほうが気持ちいいな。その上でこの弾力は……………ぐぅ」
「だあああああッ! 冷たい、もげる、なに気持ちよさそうに寝てるんですか、人のオッパイ凍らせる気ですか―――――――――!!!」
そりゃあ、あたしや留美先生のオッパイの弾力に暑い南部域では心地よい冷気が加わりでもしたら、それは人類の宝とでも言うべき最高の枕であることは疑いないと思う……が、それを実際にやるのは大馬鹿者のすることだ。まるで乳房を氷の塊にでもされたような冷たさに全身を打ち震わせると、あたしは悲鳴を上げながら目を瞑って寝息を立て始めた留美先生をベッドの外へと蹴り落とした。
「何をするんだ、痛いじゃないか」
「それはこっちの台詞ですッ!」
床にしたたかぶつけた頭をさすりながら身を起こす留美先生にたっぷり恨みのこもった視線を向けながら、体温が瞬く間に下がってしまった乳房を両手と両腕で包み込んで一秒でも早くと暖める。
「あううう〜……マジで凍ったらどうするんですか……冷たすぎておっぱいが痛いィ……」
「それは大変だ。よし、私も暖めてやろう」
「両手を着火させてる人は寄るな触るな近づくなァ!!!」
「人の好意は素直に受け取るものだぞ?」
「自分の命を懸けてまでおっぱい燃やそうとは思いません〜〜〜!!!」
「それだけあるんだ。少しぐらい減ってもいいだろう?」
「消し炭にされて減らされてたまるかァ!!!
まったく……なんで起きた早々におっぱい喪失の危機に直面しなければいけないのやら。凍る寸前にまで冷やされた膨らみにはまだ違和感はあるけれど、あたしはシーツを引き寄せて体に巻きつける。
「どうしてそう警戒心を露わにするんだ。これでも私は命の恩人だぞ? 血まみれのお前をここまで連れてきてやったんだから、私専用の安眠枕になるぐらいの恩返しはしてくれてもいいと思わないか?」
「……血まみれ?」
「ああ、そう言えば久しぶりにネクロマンサーの秘術を試したいと思っていたんだ。死んでから連れ帰ってきていれば……蘇生してすぐで悪いが」
「死にませんから! 死ぬのイヤですから!」
いくら生き返るとしてもゾンビになっちゃうのは死んでもイヤだ……て言うか、死ななきゃなれないわけだけど。
それよりもだ。あたしが血まみれになっていたと言う話のほうが気になる。頭には包帯が巻いてあったし、傷はなくても出血していたらしい跡もあった。思い当たる事といえば……
「う〜ん……何があったんだっけ……」
米神を人差し指で揉みながら眉をしかめてみても、大出血したような記憶を思い出せない。
昨日の晩は温泉で大介に犯されて……服もなくなっていてゴブリンアーマーから鎧を借りて帰ってきたところまで覚えているけれど、その辺りからどうも記憶が曖昧だ。なんか浜辺で聞き込みして回った夢とか、海の中でマーマンと戦ってたところに水着姿の留美先生まで登場という有り得ない夢とかなら多少おぼろげに覚えているけど、
「まさか夢の中で怪我したからってねェ……」
「夢? まさか覚えていないのか?……頭を強く打った上にあの出血だったし、記憶の混乱が生じていても……実際、致死量一歩手前だったわけだが、いやしかし、無差別に他者の記憶を侵害する魔曲の効果範囲内に長時間いたのも確かだし、記憶野が切断されていてその影響が残っていても……」
―――え〜、最後の方は何を言っているのかだんだんとわからなくなっております。あたしに一体何かありましたか?
「まあいい。今日の記憶だからきっかけがあればすぐに思い出すだろう」
―――その台詞は「どうでもいい」って事ですよね?
「それに致命傷を負わせたのが私だと知れると面倒だしな。いっそ忘れたままの方がこちらもありがたいくらいだ」
「………いや、それは聞き捨てなりませんけど!? つまり、あたしは留美先生にボコボコにされて大出血して命が危なかったって事!? どういうことですか、それ!?」
「ちッ……余計なことを教えてしまったか……」
この人は一体何なんだ……舌打ちして顔をあさっての方向に向ける留美先生と会話していると、眩暈がして頭が痛くなる。もっともこれは、血液を失ったせいなのだろうけれど。
それに全身から力が抜けている分、おなかは食事を欲していた。留美先生とあれだけ滅茶苦茶な戦いをさせられたのだから、栄養補給をしてぐっすりと二度寝したいところだ。
―――あれ? なんか今、思い出せそうな気がしたけど……てか、どう考えたってあたしじゃ留美先生に勝てるはずもないか。
結果は敗北と分かっているけれど、内容には少し興味もある。死掛けたとは言え、こうして生きていて留美先生にも口を聞いてもらえているのだから、決して悪い結果ではなかったのだろう。悲惨な目に遭うのには慣れているのだし、結局は命までとらずに治療してくれたようだし、貸しひとつぐらいで手を打っとくことにしようと心に決め、ベッドから床に足を下ろす。
「にしても、さすが留美先生ですよね。頭を怪我してたッぽいですけど、傷口がどこか、触っても分かりませんもん」
高位の魔法使いになれば、神様との契約なしでも法術でも神術でも何でもありとは知っているけれど、包帯に染み込んだ血液の量から想像できのは、短時間で完治するのは難しかろうという大怪我だ。さすがは嘱託冒険者のブルーカード。あたしやそこいらの冒険者とは格も魔法の腕も段違いということなのだろう。
ところが、
「私はほとんど何もしていないぞ」
留美先生から帰ってきたのは、あたしの感謝や感心をあっさり否定する言葉だった。
「私が行ったのは止血までだ。噴水のように頭から血を噴き出してたからな。しかも……ふふっ、あのときの顔はなかなか良かった。私の胸に顔を埋めてハァハァと熱い荒い呼吸を繰り返しながら、ビュクビュクと体液(血液)を浴びせかけ、小刻みに身体を(断末魔の痙攣で)震わせて……思わずゾクリと来てしまったよ」
「し…死に掛けの人間に欲情されても困るんですけど……」
頬に手を当ててウットリと表情をとろかせる留美先生に薄ら寒いものを感じながら服を着込んでいく。とりあえずブラにショーツにシャツにズボン。ジャケットはどこにも見当たらないけれど、いつもの格好に着替え終わってフゥ…と息を吐くと、
「あ………」
マズい、と思った時には、既に視界は横を向いていた。
服を着ている最中にも頭がガンガンとしていたけれど、一息ついたことで身体をかろうじて支えていた緊張が解ける。すると押しとどめていた眩暈や頭痛が一気に押し寄せてきて、足の裏から踏みしめているはずの地面の感覚さえなくなり、あたしは起き上がったばかりのベッドへと倒れこんでしまう。
クッションの効いたベッドならともかく、この部屋の硬いベッドだと痛いかも……とマズい状態とは裏腹に余裕のある事を考えていると、伸ばされた留美先生の腕が傾いたあたしの身体を抱きかかえてくれた。
「無理はするな。魔法で傷は塞げても、失った血液までは元に戻せないのだからな」
「す、すみません……」
留美先生にすがり付いて、頭を振る。それで幾分意識をしっかりさせると、大きく深呼吸をして脚に力を入れるけれど、その最中に、あたしの目は留美先生の右腕の付け根へと向いてしまう。
「腕………」
「ん? どうかしたか?」
留美先生の声に返事も返さず……あたしは夢だと思い込んでいる出来事を記憶の中から掘り返す。
夢……だと思っている不確かな記憶は、あたしの放った斬撃で留美先生の右腕切り落とすというショッキングな光景で終わりを迎えていた。もしそれが現実だとしたら、
―――あたしを抱え込めるわけないよね。何しろ腕が根元から飛んじゃったんだし……
男性の腕ほど力強くなくても、留美先生脳では左右にふらついているあたしの身体をしっかり支えてくれている。仮に留美先生の治癒の魔法が最上位の大神官クラスだとしても、皮膚や肉だけじゃなく骨や筋肉、血管や神経などなど多くのものを繋ぎ合わせなければいけないほどの治癒を短時間で簡単に行えるだろうか? あたしだったら、痛みと大量の血を見たショックで気を失ってしまい、とても魔法を使える状態にはなれないと思う。接合できたとしても、その腕で他人の身体を支えて微笑をたたえているなんて事、よほど完璧にくっついていないと出来るはずがない。
―――どうなってるの?
やはりあたしの記憶は夢なのか? 現実と勘違いが混合しているのだろうか? 頭の上に「?」が浮かびそうなほど悩んでいると、留美先生の手が肩の上に置かれ、思考を一時中断することになる。
「服は全部着たな?」
「え……はあ。跡はニーソックスぐらいですけど」
「武器は木棍か。変わったものを持ち歩いているな。それに剣と防具はテーブルの上か」
旅の途中ではジャケットに取り憑ける肩鎧、盾代わりに左腕につけている篭手、それにニーソックスの上から膝に巻きつけるニーガード、あたしの防具といえば大体それぐらいだ。
「よし。それでは食堂に行こうか。既に昼食の時間も過ぎているからな」
その前に聞いてきたのは一体何なんだどうかと疑問に思いつつも、ブーツを履いて部屋を出る準備を整える。
おなかが空いているのは確かだし、長話をするなら昼食を食べながらと言うのは賛成―――なのに、扉へと足を向けたあたしの襟首を、背後から留美先生が引っ張った。
「安心していい。忘れ物はしないさ」
何のこと……と問う前に留美先生がパチンと指を鳴らす。
それは留美先生が魔法を使う前の仕草……だと気付くよりも早く、突然あたしのの体が無重力に投げ出された。
―――うわァ!?
先ほどよろめいた時は九十度を超えて傾いた視界だったけれど、今度はそれの比ではない。視界に移るもの全てがグニャリと歪んで形を失い、上下の感覚が消えうせ、水に浮かんで波に揺られる木の葉のように意識がグルグルと回転する。これなら舗装されていない山道を特急馬車で駆け抜けるほうがよっぽど快適だ。
頭が痛い。目で見ている光景を受け入れられず、体が感じる感覚を受け入れられず、意識も肉体も捻じ曲げられるような錯覚の中であたしが膝から崩れ落ちると……そこには確かに床があった。
「―――すまない。病み上がりでは、私の転移はキツかったようだな」
留美先生の声が聞こえ、自分が両手まで床について肩で息をしていることに気付く。恥も臆面もなく傍らにあったテーブルの足にしがみつくと、かなり青い顔をしているだろう事を自覚しながらよろよろと立ち上がる。………すると、いたのは何故か食堂だった。
「わ…ワープするなら一言ぐらい言っといてくださいよ……」
気付いてみれば、確かに先ほどの気持ちの悪さは転移魔法のそれのようでもある。血液を大量に失って貧血状態のあたしには、瞬間移動の一瞬ですら悶絶フルコースの拷問同然だったようだ。
体調不良のところに不意を突かれ、なけなしの体力も空っぽになったあたしは、勧められるまでもなく椅子の一つに腰掛けてテーブルに突っ伏す。そして顔の側面を頑丈さだけが売りっぽい木製のテーブルに押し付けて視線を隣のテーブルに向けると、肩鎧以下あたしの防具類に傷薬などを納めたポーチ、ショートソード、木棍にいたる全装備品が乗っかっていた。
―――だから“忘れ物”がないか確認したわけか……てか、そっちを訊くなら転移するって一言ぐらい……!
優しくない留美先生にやるせない気持ちが沸き起こるものの、気持ちを荒げると頭が痛くなって気分も悪くなる。込み上げる吐き気にゼーゼー言いながら、正面の席に座った留美先生に恨みを込めた視線を向けていると、
『お待たせしましたキ〜♪』
あたしの目の前に、水の入ったカップが置かれる。それを目にした途端に忘れていた飢えと渇きを思い出すと、ひったくる様にカップを手にとって一気に煽り、よく冷えた水を唇に流し込む。
「くは〜! 生き返る、もう一杯ください!」
『はいはい、すぐにお持ちするので少々お待ちいただけますキ?』
あたしが突き出したカップを受け取り、厨房へと戻っていく後姿と入れ替わりに、今度は料理を山盛りにしたお皿を手にマーマンがテーブルにやってくる。
「………あれ?」
『有り合わせで申し訳ないけど、タップリ食べて欲しいキ。新鮮採れたて海の幸のフルコースだキ♪』
「………いや、ちょっと待って。てか待て、待て待て待てェ〜〜〜!!!」
『どうかしたキ?』
『なんだなんだキ?』
『御代は取らないから安心して食べて欲しいキ♪』
「そーじゃなくて、なんであんたらがここにいるのよ!?」
あたしが叫ぶと、厨房からカップを手にしたマーマンと、白いコック帽をかぶったマーマンまで現れる。
『『『ま、細かいことは気にしないキ♪』』』
「気にするわ―――――――――!!!」
と、立ち上がりながら叫んだりするから、あたしはすぐさまめまいを覚えて椅子に座りなおす羽目になる。
―――本当に、一体何がどうなってんのよ!?
人間の村の宿屋の食堂を我が物顔で歩き回るマーマンたちが、どうしてどういう理由でどういう経緯でここにいるのかさっぱり分からない。なんらリアクションをせずに笑い出すのを堪えている留美先生は事情を知っているらしいけど、こちらも話してくれるかどうか怪しいところだ。
―――あ〜もう! どうせあたしは置いてけぼりですよ!
記憶が曖昧なせいで、ただ一人事情を飲み込めていないあたしは、マーマンたち以上に疎外感を感じ、それがいらだちに変わっていく。
だから食べる。こうなったらとことんまで食べてやる。
不平不満をとりあえず目の前に置かれた料理の山にぶつけることに決めたあたしの次の動きは速い。あたしの手は握り締めたフォークを焼き魚に突き立てると、尻尾を素手で掴んでかぶりつき、二杯目の水を一気飲みして程よい焼き加減と塩加減の魚の身をおなかに流し込む。そしてすぐさまアサリのパスタを巻き上げ啜り上げ、ウサギの形に切られた果実を口の中に放り込み―――
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