第十一章「賢者」29
「なっ……時間をさかのぼったァ!?」
「端的に言うとそうなる」
猛烈な空腹に誘われるがままにテーブルを埋め尽くす料理を片っ端から口の中に掻き込んでいたあたしは、その最中に留美先生からどういう事態だったのかの説明を受けていたのだけれど……食事を終えるのとほぼ同時に聞かされた最後の言葉は、爆弾発言と言うか、眉唾と言うか、ともかく信じられない一言だった。
―――留美先生がそんなこと言うって方が信じられないかも……
どうも目を覚ましてからの留美先生との会話のところどころで感じる違和感が気になっていた。それはあたしの記憶があやふやなせいで会話がかみ合っていなかったせいだと思っていたのだけれど、留美先生の方もどうやら他人に合わせるような人ではないらしい。
「やはり信じられないか?」
「そりゃまあ……あたし、気を失っててその時のことを覚えていませんし」
「そう言うとは思っていたよ。念のために説明しておくと、私たちが逆行した時間は約8時間。今は正午を過ぎたあたりだが、私がこの時点を通過するのはこれで“三度目”だ」
―――なるほど。今日“時間移動”したのは二回目と言うことか。
最後のパスタをダブルフォークで絡め取って口の中へと押し込むと、料理の皿は全て空になった。ようやく人心地がつき、留美先生に「少し待ってくださいね」と考える時間を貰うと、よく冷えた果実の絞り汁の入ったカップに口をつける。
―――それにしても“時間移動”か…………………どう考えたって信じられっこないんだけど。
食事中に留美先生には、断片的にしか覚えていないあたしの記憶を整理するように事態を説明を受けていた。
村から離れた岩場でマーマンに襲われたあたしはそのまま海中に連れ去られ、本来ならそこで溺れ死んでいるはずが逆にマーマンたちに勝利し、その直後に深度ウン百メートルあたりの海底で留美先生と真剣勝負をし、ボロボロになりながらも留美先生の右腕を切り飛ばして一応の決着を迎えたらしい。
溺れ死んでなかったのは魔王の力の一旦である“マーメイド”の能力が発動していたからなのだが、その店だけは不思議そうにしている留美先生に説明するのはやめておいた。能力発動には水棲モンスターの体液――血液なり唾液なり精液なり――が必要なはずだけど、以前“マーメイド”が発動したときもその点は曖昧だったし、「よし、ならば実験しよう」と言い出されたら、給仕を終えて食堂の壁際に直立不動で並んでいるマーマンたちと何をさせられるかわかったものじゃない。
―――まあ、今の問題は別のことだし。下手なことを喋って時間を浪費するのもなんだけど……
あたしが目を向けるだけでビクッと身体を奮わせるマーマンたちと“シちゃった”んだろうか……記憶はないけれど、可能性は高い。ひ弱な一美少女になってしまっているあたしと三体のマーマンとでは勝負にならない……はずだ。まあ、海の中では勝っちゃってるけど。
けれど恨み言を言うのは後でも出来ることだし、今にも泣き出しそうなのをアゴを上げてグッと我慢して堪えている魚顔と言うのは不気味であるけれど、シュールすぎて可哀想にも思えてくる。少々手を出しづらいのが本音だ。そんな相手に自分から手を出そうとは思わない。
それに記憶が曖昧なところがもう一箇所残っている。留美先生に魔力ハンマーの衝撃波を跳ね返された後のことだ。
自分で喰らうのは初めての体験とは言え、自分の必殺技を喰らうものではないと思い知らされた。そのときのコンディションが最悪だったこともあり、留美先生との決着が付いたあたりの事はさっぱり覚えていない。
ただ一つだけ、ショッキングな光景だったせいか、魔力剣の斬撃波で留美先生の右腕を切り落としたことだけは記憶にある。………いや、あるにはあるのだが、
「―――ん? どうした、わたしのことをジッと見つめて」
「いえ……右腕、ちゃんとくっついてるんですよね?」
あたしが食事するのを見つめながらティーカップを唇に運んでいたのは、その右腕だ。説明によると、戦闘終了後すぐにマーマンたちごと今朝に戻ったのだから、経過した時間は二時間か三時間と言うところだろう。
世の中には再生魔法とかもあるので腕一本ぐらいならくっ付けたり生やしたりできるけれど、いくらなんでもそんな短時間ではくっついたりはしないはずだ。
「そんなに気になるのなら、見せてやろうか?」
まだ“時間移動”にも懐疑的だったあたしの顔には、もしかしたら催眠術か何かで嘘の記憶を刷り込まれているんじゃなかろうかと言う考えが顔に出ていたのかもしれない。せっかく説明したのに信じてくれない……と、留美先生は文句を言うような人ではないけれど、あたしの予想外の行動をとる人でもある。
「へ……わ、わあああああああっ!? な、何いきなり脱いでるんですか!?」
「脱がなければ見えないだろう?」
留美先生は事もあろうに、あたしの目の前でいきなりワンピースを肌蹴て、肩から豊かな胸元の膨らみにかけての肌をいきなり露わにする。
眼福眼福……と喜んで拝んだら、とうぜん助平扱いだ。慌てて両手で顔を覆うけれど、指の隙間から覗き見てしまうのは、悲しい男の性(さが)としか言いようがない。
「目隠ししては傷跡を確認できまい? 女同士なのだから恥ずかしがるな。さあ」
「さ、さあなんて言われたって、見れないのには色々事情がありまして! いいから、とにかく服を着てください!」
「………つまり、私の裸など見るに値しないと? 喧嘩を売っているのだな、貴様は」
「ちっがぁ〜〜〜〜〜〜〜〜う!!!」
―――あああああっ! こんな事ならあたしが男だって前もって相談して置けばよかったとも思うけど、そしたら眼福にありつけないわけで……み、見てもいい? やっぱりダメ? あああ、どうしよう、どーしよ〜〜〜!!!
見てもいいなら見てしまいたいけれど、後であたしが男だとばれた時にどんな目に遭わされるかわかったものじゃない。オッパイよりも死亡フラグ回避を優先したあたしは理性をフル動員して赤く火照った顔を背けるけれど、それでもちょっとぐらいチラ見してしまうのが、やっぱり男の性(さが)なのだ。
「盗み見などせずとも堂々と見ていいんだぞ? ほら、ほら」
「ふぇ〜〜〜ん! これって立派なセクハラのような気が〜〜〜!」
まあ……決して留美先生の胸が、見るに値しないようなものではないことだけは断言しておく。一度浜辺でオールヌードを晒したときにも目にしたけれど、さすがに先端だけは隠す腕に圧し掛からんばかりに肉感的な乳房だ。ワンピースを肩から肌蹴て膨らみの上半分を晒しながらも、「ここから先は見せてあげない」と両手で覆い隠している姿は絶妙なまでに扇情的でだ。まるで視線を絡め取るようなしっとりとした質感がまた艶かましく、娼館で大勢の男性に人気を得てしまっているあたしでも小娘扱いされても文句を言えないほどの色気をかもし出している。
ただ、触れれば手の平に吸い付きそうな白い肌の上に、右肩から脇にかけてうっすらと赤い線が引かれていた。それがあたしに斬られた跡なのだろうか……傷痕とも呼べないような斬撃の名残を見つめていると、そうしなければあたしが骨も残さず焼き殺されていたとは言え、留美先生を傷つけてしまったことに心が押しつぶされるような罪悪感を覚えてしまう。
「気にすることはない。あと三十分もすれば消える。もっとも本来なら、このような跡すら残るはずはないのだがな……私とお前の魔力はどうも相互干渉するらしい」
「よくわかんないけど……それってやっぱりあたしのせいって事ですよね……」
「ははっ、だったらもっと悪いのは問答無用で襲い掛かった私のほうだ。“死ぬことはない”と分かっていても、苦痛を与え、死の瀬戸際まで追い詰めたのだし。むしろ、斬撃波を放つ瞬間にわずかに狙いを逸らしてもらえたからこそ腕一本ですんだのだから、礼を述べるべきなのかな」
「そ、そんな……」
人を傷つけて、その人からお礼を言われると、どうも調子が狂ってしまう。
「だが見事だったぞ、この一撃は。私の攻撃魔法と防護障壁を両方切り裂いて付けた傷だ。そのような芸当が出来る人間など、大陸中を捜してもたくや、お前しかおるまい。武勲として誇りにするといい」
「あの……も、もしかして、責任取れとか言われます?」
恐る恐る訊ねる。
女性をキズモノにした……と言うのと語弊があるけれど、治療費、慰謝料、その他もろもろを、もしかしたら一生払わなければならないかもしれないのだ。このようなことを考えてしまうのも、あたしが苛まれている罪悪感のためではあるのだけれど、留美先生には冗談にしか聞こえなかったらしい。
「なんだ? 気にしていたのはそんなことか? ははは、女同士なのに面白いことを考えるヤツだ。もし私が「一生かかって責任を取ってもらおう」と言えば娶ってくれるのか?」
「めと……ってェ!?」
そ、それはちょっと困る。いや、留美先生のような美人に娶ってなんて言われて、胸がバクバクするほど驚いていますけど、もし結婚なんて事になったら……うわ、何であたしは女のままなんだ!? お嫁さんなんか一生もらえないと思ってたのに、こんな人生最大のチャンスを棒に振らなければならないなんて、そんなのあんまりだァァァ!!!
「まあ、女同士でも“責任”の取らせ方ならいくつか知っているけど……」
頭を抱えて苦悩するあたしを置いて、ワンピースの乱れを直した留美先生は、これ見よがしにワンピースの胸元からふくよかな乳房の谷間に手を差し入れる。おいおいあなた、健全な男の子――とは言えないけれど――の目の前で、なんて事いたしますか!?……なんて事を考えつつ視線を釘付けにされていると、引き抜かれた留美先生の指先には細い金色の鎖が絡みついていて、それをさらに引くと胸の間から懐中時計がスポンと飛び出してきた。
―――う〜む、もしかしたらあたしにも出来るかな……て言うか、やんないけども。
「すまないな、そろそろ時間だ。早速行こうか」
「行くって……?」
「私のことを知ってもらえる場所さ」
そう言って、留美先生はテーブルの上であたしの手の上に自分の手を重ね合わせる。
「る、るるる留美先生!?」
「緊張することはないさ。すぐに済むんだから……けど、慣れていないのなら目を瞑っておいたほうがいいぞ」
―――目を瞑れってことは……まさかキス!? ちょ、マーマンたちも見てる場所で、な、なんでこんな展開に!?
あたしの目が留美先生の唇に視線を注いでしまう。形のよい唇に思わずごくりと唾を飲むと、あたしは―――
「んにょわぁあああああっ!?」
食堂に移動するときの転移でも感じた独特の強烈な眩暈に、あたしは奇声を上げて頭を跳ね上げていた。
―――ううう……転移するならするって言ってくれれば……
一瞬の出来事でも、見てはいけないものを見た眼球の奥がズキズキと痛い。留美先生に手を握られたまま頭を振り、痛みの元を強引に振り払うと、あたしの体が強烈な潮風に吹き上げられていることに気がついた。
「ここは……」
首をめぐらせても、周囲には何もなかった。
家も、壁も、山も、潮の香りを風に含ませる海すら見当たらない。あるのは、手を伸ばせば雲ですら掴めそうなほどに近づいた大空と、どれだけ手を伸ばしても届きそうにないほど遠ざかった地面だけだった。
「………って、ここどこォォォ!?」
「空の上だが?」
「うああああっ! 何でそんなに冷静なんですかァァァ!!!」
風が下から吹き上げているのではなく、あたしの体が上から下に落ちている……そんな事態に気付いて落ち着いてなどいられない。
あたしはすぐに空を飛べるバルーンを呼び出そうとする……けれど魔封玉は呼び出した時点ではスピードゼロ。考えなしに呼び出してしまったせいで、あたしが唯一助かる方法は一瞬にして手の中から頭上の大空へと消え去ってしまった。
「うわぁあぁぁぁん! どうしよ、このままじゃ地面に叩きつけられてぺちゃんこにィ〜〜〜!」
「あ、こら、そんなに暴れると―――」
何かないか何かないか何かないか……と他に助かる方法を考えるけれど、混乱状態では冴えた方法をパッと思いつけるわけがない。手足をジタバタさせて刻一刻と近づいてくる地面に怯えていると、あたしの手を掴んでいた留美先生の手が振り切られる。
「ひ…ひァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」
スピードアップ。今度は留美先生まで頭上に置き去りにされた。
―――留美先生が落ち着いてたのは、最初から魔法で速度制限してたからで―――
そもそも、こんな高い場所へ転移したのは留美先生の仕業だ。当然落下速度を軽減させるなりの対応策を事前に準備していただろうけれど、何の説明もなしに大空のど真ん中に放り出されたあたしには準備も気構えも対策も決意も最初からありはしない。どれだけ空中でもがいても、翼を持たない人は魔法なしでは空を飛ぶことは出来ない……のだが、
「ッ――――――!!!」
まるでクッションのように濃厚な“空気”に、あたしの体は突っ込んでいた。……いや、確かに空気であるはずなのだけれど、今まで落下速度で突き抜けていた空気とはあまりに異質な質感に驚いていると、空気抵抗が増したおかげで落下速度が幾分和らぐ。
『だから言っただろう。暴れると落ちるぞと』
頭に響く留美先生の声。それで我に帰ると、視線を落下方向である真下に向けると……いた!
『手を伸ばして私に掴まれ!』
留美先生の左目が何故か赤くなっているけれど、そんなことを気にしていられる余裕はない。今度は手の平から逃がさないよう、握り締めた拳の中に魔封玉を呼び出し、留美先生とすれ違おうとしている方向に向ける。
『呼ばれて飛び出てジャジャジヘブゥ!!!』
ごめん、ゴブリーダー……足元に呼び出したゴブリンアーマーの背中を蹴って速度を緩め、すかさず再封印しながら留美先生に向けて両手を広げる。
―――方向はばっちり、勢いも十分! こ、これで助かったァ!
空中で停止している留美先生も、あたしの受け入れ態勢は万全だ。抱きつけさえすれば後は何とかしてくれるだろうと信頼を寄せながら、先ほど食堂で目にしてしまった豊満な胸に向けて飛びつこうとして、
―――スコーン
「にょわァ!?」
上から降ってきた小石サイズの何かが頭を直撃する。
その正体が先ほど上空に置き去りにすることになったバルーンの魔封玉であることには、一応持ち主なのですぐに気付く……が、魔封玉は結構硬く、しかも重力加速でスピードも十分乗っていた。それはまるで頭の天辺に槍の先端を突き立てられたかのような衝撃であり、突き抜けたダメージは一瞬意識を飛ばすのに十分すぎるものだった。
「こ、こら、お前はどこにしがみついているんだ!?」
狙いは……一応ずれなかったらしい。あたしの両腕はしっかりと留美先生の身体を抱きしめている。
けれど脳天に魔封玉が直撃したダメージが抜けてくると、狙いがやや下方にずれていたことに気付く。なにしろ……あたしは顔を、留美先生の股間に押し付けていたのだから。
「ッ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!!」
「んんッ! く、くすぐったいから、喋るな、息を止めろ、は…鼻先をうずめるな!」
そんなことを言われても、こっちだって必死でしがみついてるんだし、さらには息が出来ないし、その上……おや、この手の中にある弾力のあるものは?
「お前は……もしかしてわざとやっていないか? 緊急事態だから大目に見ているが、ひ、人の尻を揉みしだくなんて……」
―――え……わ、わわわわわ!? もしかしてこれ、留美先生のお尻!? さっき思いっきり揉みしだいちゃいましたけど!?
「とにかく落ち着け……もう手を離してもいいぞ。と言うより、離さなければ私が墜とす……!」
胸を堂々と見せたかと思えば、服越しに股間へ鼻先を押し込んだりお尻をこね回しただけで、留美先生の言葉には背筋に冷たい汗が流れ落ちて行くほどの殺気が込められていく。それを聞いて反射的に両手を離すけれど、体は下には落ちていかず、まるで風船にでもなったかのようにふわふわとその場に漂っていた。
「常時展開型の結界はお前の周囲ではすぐにほつれていくから、私が補修し続けている。今度下手に暴れたりしたら……」
「わ、わかりました。落ち着いて行動いたしますです」
「そうか……では当初の目的を果たすとしよう。下を見てもらおうか。結界のせいで声は届きにくいとは思うが」
今度逆らったら、本気で命はないだろう……自由落下中とは異なる命の危険を感じながらも言われたように視線を下に向けると、
―――ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォ!!!
「なっ……村人とマーマンが戦ってる!?」
見えないガラス球に入れられたような状態のあたしは、結界の壁に額を擦り付けるようにして眼下の光景を俯瞰する。
そこで繰り広げられていたのは、海から次々に姿を現すマーマンたちと、銛を手に押し返そうとする漁村の村人たちとの波打ち際での攻防戦だった。
砂浜のあちらこちらには巨大な砂の壁がそそり立ち、防衛線を気付いてはいるけれど、倒れされる姿はどちらかと言うと村人たちのほうが多い。頭上に浮かぶあたしや留美先生の姿に気付く余裕もないほどに必死に戦っているのが伝わってくるけれど、いずれはマーマンたちに押し込まれてしまう……そう言う風にあたしには思えた。
けれど―――
「あ、雷が……!」
砂浜のある一箇所から、マーマンを打ち倒すように、電撃の槍や冷気の刃が次々と打ち出されている。混戦状態の中でも狙いを外すことなく、マーマンだけを次々に打ち据えるその魔法支援のおかげで、まだ女性や子供が残っている村の中にマーマンを踏み込ませずに済んでいるといっていいだろう。
一体誰が……綾乃ちゃんや留美先生以外に、村に魔法使いがいたという話は聞いていない。仮に、砂を押し固めて防壁を作り、炎も冷気も電撃もお構いなしに複数箇所へピンポイント攻撃を行っているとしたら、攻守にわたって相当の手練だとは思うけど、髪の長い後姿にはどこか見覚えがあって―――
「あれ……もしかして留美先生!?」
一際高くもうけられた砂の楼閣の上で、魔法を飛ばし、指示を飛ばしているのは、あたしの横に並んで浮かんでいる留美先生その人だった。
―――なんで同じ人が二人……もしかして双子? クローン? まさか本当にあたし、過去の時間にやってきちゃってますか!?
「どうだ、これで少しは信じる気になれたか?」
理解が付いていかない……いや、理解はしているけれど、頭がそれを認めることを拒否してしまっている。
留美先生は“二回”時間を遡ったと言っている。つまり、あたしの隣の留美先生は、今の時間を経験するのは三度目だと、食堂で説明を受けている。
あそこにいるのは“一度目”の留美先生、そして隣にいるのは“三度目”の留美先生、この場にいない“二度目”は今頃、あたしと勝負しようと海の方を探し回っているのかもしれない。
つまり―――
「無理やりにでも信じさせるために、あたしをここに連れてきたというわけですか?」
「どうせ“時間移動”の話をしても信じてもらえないことが分かっているからな。論より証拠ということだ」
そう言って笑って、留美先生はあたしを包み込んでいる結界に手を振れ……とっさに目を閉じると、一瞬の浮遊感の後に、あたし歯も解いた食堂の床の上に倒れこんでしまっていた―――
第十一章「賢者」30へ