第十一章「賢者」27


「我が掌中に虚空の盾」


 ―――な、なんで!?
 まかり間違っても当たる距離ではない。衝撃波で気絶勝ちを狙っていたあたしは渾身の力を振り絞ってハンマーを振り抜いたはずなのに、先端の鉄塊は留美先生が頭上に掲げた右手の平に受け止められてしまっていた。
 ―――ど、どうなってるの、受け止められるなんて、そんな……ウソでしょ!?
 留美先生が初めて呪文の詠唱らしきしたことは当然驚きではあるけれど、今まで躱されたことはあっても“防がれた”事だけはなかった必殺の一撃を受け止められた事のほうが、あたしにはショックだった。
 まかり間違っても留美先生を死なせたりしないように威力のセーブを行っている。それれど、障壁や結界などを切り裂いてきた効果はそのままのはずだ。手にしているのが剣ではなくハンマーでも、効果は変わらないはずだ。
 それなのに―――
「ずいぶんと……驚かせてくれたな。実力を見誤っていたとは言え、ここまで私が追い詰められるとは思わなかったよ……」
 あたしが振り下ろしたハンマーと留美先生の手は触れていない。明らかにそこには見えない障壁があるはずなのに、あたしの魔力を込めた一撃で打ち破れない。ぶつかり合った二つの力が、まるで無数の羽虫が鳴いているかのように耳障りな異音が響かせながら、互いを飲み込もうとせめぎあっている。
 ―――でも、なんで!? あのタイミングで魔法が使えるはずないのに!
 留美先生は確かに油断していたはずだ。あたしをおびき出すための演技? 考えられるけれど、モンスターに続けざまに襲われ、それらが一斉にいなくなったことで引き出した困惑の中で、そこまで演技できるものなのか?
 ―――わからない……わからない……わからない………!
 いつしか、困惑しているのはあたしの方になっていた。それが集中力を乱し、わずかしか回復していなかった魔力を無駄に霧散させてしまう。
「くッ……このッ………!」
「なるほど……確かに私の用意した“盾”と同種の力だ。まさに驚きだよ、私でも扱いきれない“力”を魔法も使わずに振り回せるとは。これだけ続けざまに驚かされたことは生まれて初めてだ」
「な、なに言ってんですか!? いきなり襲ってきて、訳わかんないことばっか言って!」
「だが、分かる必要はない。それでも知りたければ、これから生き延びることが出来たときにでも教えてやろう……生き延びられればな」
「あ……!?」
 来る……ハンマーと留美先生の“盾”の拮抗は、先端の鉄塊が粉砕したことで崩れ、せめぎあっていた力が一気にあたしへと叩きつけられる。
「ッ――――――――――――――――――――!!!」
 全身に衝撃が走る。
 骨が、肉が、皮が、内臓が、身体を構成する細胞の一個一個が叩き潰されていく様な強烈な振動。無数の竜巻に同時に飲み込まれたかのように身体がひしゃげて砕け、やがて竜巻は石臼に変わって砕けた身体をさらに粉微塵に潰していく。
 ―――自分で喰らうのは初めてだけど……これ……は………
 必殺の一撃。
 他の誰にも真似できない、あたしだけの技。
 今更ながらその威力を自分の身体で、まさに骨の髄まで味わってしまい、あたしは吹き飛ぶこともなく、そのまま真下へと落下して地面へと倒れこんだ。
 ―――や……ば……これ……ホントに死んじゃうかも………
 目は開いているはずなのに、視界が暗い。
 頭からドロリとした血の感触があふれ出しているのだけは、なんとなく分かる。体力も魔力も全て吐き出し、大量に出血もしている。このまま放っておかれれば、間違いなくあたしは死んでしまうだろう。
 ―――あ……それはマズくないですか?
 死ぬのはマズい。うん、これ以上旅を続けられなくなる。トラブルに巻き込まれてばかりで、毎回ひどい目にあっているけれど、それでもあたしは旅をしなければいけない。
 ―――まあ、死んじゃったらこんな事も考えられないんだろうけど……
 どこへ行きたかったのか、何が目的だったのか、それとも……誰かに会いたかったのか。
 ―――そう言えば……綾乃ちゃん、どうしたかな……
 マーマンに村が襲われたと聞いて、助けに行こうとしていたはずだ。
 ―――クラウディアにも……行ってみたかったな……
 静香さんが待っていてくれる……一国の王女様にそんなことを言われたなんて、今でも信じられない。
 ―――そうだよね……信じられないよね……しがない道具屋だったはずのあたしが……冒険者なんて……
 意識が重く沈んでいく。体が石の様に冷たくなっていく。それなのに心だけはしがらみから一つ一つ開放されて軽くなり、どこかへ飛んでいってしまいそうになる。
 ―――夢……か。このまま眠っちゃえば……きっといつもの生活が……



「んなわけないでしょうがァァァ!!!」



 身体が男に戻っていないのに、いつもの生活なんてありえない。
 何度も夢だと思い込もうとして、そのたびに現実なんだと思い知らされてきた。
 いまさら何もかも放り出してしまうぐらいなら、あたしは最初から旅になんて出ていない。
 男に戻ることを諦めきれないから、何もかもを放り出せないから、あたしは旅を続けていたんじゃなかったのか? 綾乃ちゃんや大勢の人に迷惑をかけてまで、一歩でも前に進むと決めて旅を始めたんじゃなかったのか? それなのに目の前で困っている人を放り出せなくて、進んだ先が泥沼で、そのたびに泣いて喚いてこんがらがって、それでも旅をやめなかったんじゃなかったのか?
 ―――そうよね。これが夢だとしたら、覚めるにはきっと……
 美人なのに性格がキツい幼馴染のキツい一発を貰ったときだろう……そんなことを考えると、ふと口元がほころんでしまう。殴られるところを想像して笑うなんてマゾなのかと、自分で自分に突っ込みたいところだ。
「意外と早く復活したな。相殺されてダメージはそれほどでもなかったのか?」
 目の前に留美先生がいる。足元には衝撃波に巻き込まれる前に逃げてくれていた蜜蜘蛛がいる。
 そしてここには、女になってるあたしがいる。
「言っておきますけど……マジで死ぬかと思いました。もう少し手加減してくれるとありがたかったです」
 ああ、錯乱しているな〜……と自分の状態を客観的に確認しながら、あたしは足を踏み出そうとしてバランスを崩し、地面に尻餅をついてしまう。
「あたたたた……これ以上お尻が大きくなったら、元に戻ったときに大変になっちゃうわ……」
『キー、キィ―――!』
「ん……ありがたく飲ませてもらうね」
 しきりに心配してくれる蜜蜘蛛を手の甲に乗せると、中身がほとんど残っている腹部の先端に口をつけ、体力と魔力の回復を促す黄金色の蜜を味わいながら吸い上げていく。
「ふぅ……」
 蜜を一滴残らず飲み干すと、甘酸っぱい蜜が活力と共に全身の隅々にまで染み渡っていく。時間を置き、「んっ」と気合を入れて立ち上がると、蜜を使い果たした蜜蜘蛛を魔封玉に封印する。
「ゴブアサシン、そこらに剣が転がってるから拾ってきて」
 体力と魔力を回復できても、血液の方はそうもいかない。ぼんやりとした視界をハッキリさせようと目を瞬(しばたた)かせながら呼びかけると、すぐさま黒装束のリビングメイルが弘二のロングソードと再封印して姿を消したように思わせていたモンスターたちの魔封玉とを手渡してくれる。
「さて……それじゃ第二ラウンド、始めましょうか」
 長剣はあまり扱ったことがない。柄を何度も握り締めて感触を確かめると、あたしが回復するまでずっと待っていてくれた留美先生へと切っ先を向ける。
「その必要はないだろう。私は当初の目的を果たしたし、生き長らえた命と稀有な才能を無駄に散らすのは惜しい。傷を見せてみろ。治癒魔法も使えるから治療してやろう」
「あっはっは、結構です。さあ、尋常に勝負!」
「………まだ錯乱したままなのか?」
「そうかもしれませんね。けど……まだ振り絞れる力があるうちは、負けっぱなしじゃいられないんですよ。あたしがあたしに戻るためにも、この先もずっと真っ直ぐ歩き続けるためにもね」
 自分でも何を言っているのかさっぱり分からない。でも、留美先生は「ふむ」と少し考え込み、おもむろに転移してあたしとの距離を開く。
「いいだろう。個人の意思は尊重しよう。だが良いのか? ハンマーの方が勝算があるのではないか?」
「どっちかって言うと、剣の方が使いやすいかな。ハンマー重いし」
「そうだったのか? ではわざわざ取りにいくことはなかったな」
「もしかして、あのハンマーって工事現場から持ってきたの?」
「言っておくが代金は置いてきたぞ。無断拝借などしていないからな」
「そんな事は聞いてないんだけど……」
 ゆっくり息を吸い、ゆっくりと吐く。そしてもう一度ゆっくりと吸い込むと、ロングソードの柄を両手で握り締め、脇を絞って右肩の上へと振り上げる。
「ではお望みの第二ラウンドを始めよう……どうせ身体もまともに動くまい。そのような状態でも挑んでくる勇気に敬意を表し、私も全力で迎え撃たせてもらおう」
「お好きにどうぞ……どうせ一回しか触れないんだし。出来ればさっきの“盾”、あれを出して欲しいな」
「ならば出させてみるのだな。自分の“力”にも気付いていない未熟者よ!」
 正面、光熱波が来る。今まで見た中で一番の極太だ。あれならあたしの身体なんて一飲みにされてしまうだろう。
 息を吸い、光熱波を真っ直ぐ睨みつける……普段のあたしならとっとと逃げるか躱すかしているけれど、どうも怖いと思う感情が壊れたらしい。
「大丈夫……今度は手加減しないから……」
 握り締めた剣の柄から、最新の注意を払いながら、最速の勢いで刀身に魔力を注ぎ込む。
 魔力剣で手加減をして10の威力にするには、100の状態からさらに魔力を加え、マイナス90しなければならない。10の威力で使う魔力は190。手加減するほど非効率的になる。
 しかもさっきは魔力が少なすぎたのに無理して手加減したので、発動自体成功だったのかどうかも怪しいところだ。
 だからさっき負けたのはノーカウント。これがホントにホントの勝負と自分に言い聞かせると、100の魔力を流し込んだロングソードに刀身が悲鳴を上げるほどの追加魔力を注ぎ込む。
「たああああああああああああああああああっ!!!」
 声が突き抜ける。光熱波の向こう側にいる留美先生へと。
 そして剣を振るう。一直線に地面へと。眼前に迫る光熱波を真っ向から切り伏せるように。
 ―――光が、熱が、左右に分かたれる。
「なっ!?」
 剣の軌道に沿って、光熱波は真っ二つに断ち割られていた。
 地面に切っ先が食い込んでいるのに、手応えも何も残さない一振りは、音さえ残さずに刀身を砂鉄に変える。もはや柄しか残らなくなったロングソードを、それでもなお握り締めるあたしの左右を光熱波が通り抜け、光熱波の先にいる留美先生に向かって、斬撃が飛ぶ。
「我が掌中に虚空の盾!」
 先ほどの短くも確かに留美先生が口にした呪文詠唱。それは魔力ハンマーを跳ね返したあの“盾”を産む言葉だ。
 ―――けど、
 あたしの“剣”と留美先生の“盾”が衝突する……が、手加減した一撃と拮抗した“盾”が、あたしの本気の一撃を防げるはずがない。
「まさか……空間振動ではない!?」
 “盾”は断ち割られた。あまりにもあっけなく、通常の障壁などよりは若干の手応えを残して霧散する。そして真っ直ぐ飛んだ斬撃は留美先生の右腕を付け根から斬り飛ばし……
「―――って、やっちまいましたあああああああああああああああ!?」
  “盾”で防げると思ったのだろう、回避のタイミングが明らかに遅く、一瞬で障壁を貫けた斬撃が、止める間もなく留美先生の肌に食い込んでしまっていた。
 留美先生の右腕が宙に舞う。クルクルと回転し、ドサッと“それ”が地面に落ちると、後ろで束ねていた留美先生の髪がほどけ、同時にあたしの理性もプッツンしてしまっていた。
「ど、どーしよ、ど―――しよ――――――!? お医者さん、誰かお医者さんいませんか――――――!?」
「落ち着け。腕の一本ぐらい、どうということはない。すぐにくっつく」
「んなわけないでしょうが〜〜〜! あああああ、あのるみ先生がそんなことも分からないぐらい錯乱しちゃってるゥ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、腕ちょん切っちゃってごめんなさい〜〜〜!!!」
「私は錯乱などしていない。それよりも先ほどの攻撃は何だ!? どうしてあのようなことが行える!? いや、説明しろといっても無駄か。ならばもう一度だ、第三ラウンドだ、私にもう一度見せてみろ!」
「え〜ん、悪気はなかったんです〜! 今まで人殺しもしたことありません〜! だから、だから衛兵に突き出すのだけはご勘弁を〜! 一生かけて償いますからぁ〜!」
「まずは人の話を聞けッ!!!」
 留美先生の残された左手があたしの肩を掴む。―――そして見てしまう。
「………………あ」
 そもそも、留美先生の身体を覆っている水着……に見せかけた海水は、魔法で身体の表面に固定して反射を調整して肌を隠していたものだ。
 髪を束ねていたのも、同じく魔法で―――なので、腕を切り落とされたダメージからか、魔法の制御が出来なくなった今の留美先生は、髪だけでなく水着まで弾け飛んで飛沫に変わっていた。しかもどういう訳か、羽織っていたパーカーまでもが無数の布切れと化してしまい、どーんと前方に張り出した胸とかなにやら大人の魅力全開な裸体があたしの目の前にさらけ出されてしまった。
「―――はうっ」
「おお、頭から噴水のように血を噴き出すとは。それがあの技の秘訣なのか? どうなんだ!?」
「そ、そういうんじゃなくて……ですね……」
 留美先生の裸に思わず興奮したものの、上昇した血圧分だけ頭から出血したらしい。
 なんかもう、眩暈はするし、視界は回るし、留美先生が五人にも十人にも見えてきた。―――うわ、なんかパラダイス!?
 視界に裸体が増えたことで興奮も増したのか、頭の出血はさらにまずい事になっている。何とかして止めようとようやく思い立ったのはいいけれど、その時には何故か、留美先生はあたしの頭を乳房の谷間に抱え込んでいた。
「出血はひどいが、そう深い傷ではないな。大丈夫、この程度ならすぐ塞いでやる……おい、なぜ死んだ振りをしている。もたれかかられると重いぞ?
 ―――いえ、無理です。既に出血過多で死にそうなので。
 とりあえず最後まで頑張りきったのだから、この柔らかい膨らみにはさまれる死に方はスゴくいいと思う。……そう思った瞬間、頭の中で幼馴染にタコ殴りにされた。
 どうやら男にとっては夢のようなこの死に方はお気に召さないらしい。それならまだ死ねないなと思いつつも、あたしはニヤけた表情のまま目を回し、昇天するように気を失ってしまっていた―――


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