第十一章「賢者」13


「無念です……まさか日射病に倒れようとは……」
 浜辺で倒れた千里は、留美と綾乃の手で近くの民家まで運ばれて寝かされていた。
 冷房などあるはずもないが、風通りの良い室内に小さな体を横たえられた千里の額には、留美が指を鳴らして作った氷で冷水を作りそれに浸して冷たく湿らせた手拭いが乗せてある。黒のマントを脱がせ、衣服を緩めて脇の下や首の後ろなどにも冷やしたタオルを当て、意識を取り戻してからは水も飲ませている。
「倒れて当然ですよ。マントの下に、こんなに重いものを入れてるんですから」
 家の婦人と世間話をして仲良くなっていた綾乃だからこそ千里が休む場所を借りられたのだけれど、その顔は珍しく少しだけ怒っている。
 手にしている千里の黒マントの内側にはドライバーにペンチにレンチ、ネジにボルトにそのほか使い方も分からない道具などがビッシリと収納されている。外見はなんともないけれど、実際に手にしてみたら、金属製の道具や部品のおかげで両手でなければ持ち上げることも出来ないほどの重量がある。
 その上、腰には長剣まで差していた。これは千里の装備品ではないらしく、黒い布でグルグル巻きにされていたが、それでも重いものは重い。綾乃よりも小柄で、はだけた服の下に見える体も筋骨隆々にはとても見えない千里には、全重量は10キロを軽く超えるマントや剣は軽いものではないはずだ。
「こんなに重いものを着てたら大きくなんてなれませんよ。旅の荷物は軽くしないと」
「せ、背のことは関係ないでしょう!? あなたは何の権限があって私の…は、はうゥ、声を出したら頭が……」
「ほらもう、ダメじゃないですか。ご飯も食べてないんじゃないですか? 育ちざかりなのにちゃんと栄養を取らないから倒れちゃうんです。今はお姉さんの言うことをちゃんと聞いて、ゆっくり休んでください」
「誰がお姉さんですかァ!?………あ、せ、世界が回る〜……」
 身長が低いせいで実年齢よりもかなり幼く見られるのがよほどのコンプレックスなのか、ベッドから跳ね起きて激昂した千里だが、すぐまたフラフラと倒れこんでしまった。
 そんな千里をジッと見つめてほっぺたを膨らませていた綾乃は、不意に笑いをこぼすと、起き上がった拍子に落ちてしまった手ぬぐいを拾い上げ、冷水でよく絞ってから千里の額に丁寧に乗せた。
「う…ググッ……なんか屈辱です。私は今、物凄く精神的被害をこうむっています……!」
「安静にしていないと元気になれませんよ。もっと涼しくて楽な格好をしてないと、外に出たらすぐに倒れちゃいますけどね」
「フンッ………まあ、確かにあなたはずいぶんと涼しそうな格好をしていますね。……誰かに見られても平気なんですか?」
 意味ありげな言葉を千里が口にすると、その意味を三秒かけてじっくり考えてから、綾乃は汗でシャツが張り付いている胸と股間を慌てて押さえつけた。
「み、みみみ見えてましたか!?」
「いいえ」
「ッ………!」
 そもそも、ただの白い布とは言え水着をシャツの下につけているのだから透けて見えるはずがないのだ。
 やっと千里にからかわれたのだと気付いた綾乃が、恥ずかしさで一瞬で紅潮した顔をさらに赤くし、ワナワナと全身を震わせる。
「ひどいですよ、千里ちゃん!」
「ちゃ…!? ちゃん付けはやめてください、子供ではないんですよ、私は!」
「だって、何処からどう見たって子供じゃないですか!」
「失礼な! 私とあなたと何歳違うって言うんですか!? 人のことを子供子供行ってますが、あなただって十分子供じゃないですか!」
「そ、そんな事ないです! 私だって、あの、その……す、少しはありますし、それに…け…経験だって……」
「へ〜、既に処女ではないんですか」
「ひあ!? こ、声が大きいよゥ……」
「私だって言い寄ってくる男は一人や二人じゃありませんよ。ですが幼児趣味見え見えの男にバージンを捧げるなんてプライドが許しません」
「先輩はロリコンじゃないです!」
「ほほう? あなたの初体験のお相手は年上の先輩ですか。いい事を教えてもらいましたね」
「え…? あ、いえ…それは…あの……は、はうゥ〜……」
 最初は自分が年上だと思っていたこともあって強気で言い合っていた綾乃だが、口の上手さでは完全に千里の方が上だった。意地になって張り合ってボロを出したところで主導権を握られてしまうと、あとは為す術もなく言い負かされてしまう。
「綾乃、もうそこまででいい。言い争いをするために助けたわけではないだろう?」
 このまま千里の傍にいさせると、個人的な情報を根掘り葉掘り聞き出された挙句に再起不能になる……留美が「あう…あう…」としか言えなくなった綾乃を下がらせると、代わりに自分が千里の傍に腰を下ろした。
「すまなかったね、錬金術師殿。あの子も決して悪い子ではないんだよ。ただ倒れてしまったあなたを心配しての言葉だ。気を悪くしないで欲しい」
「別にそれほど気にはしていません。むしろ人を外見的要因で判断すると痛い目を見ると判っていい経験になったでしょう」
「それで立ち直れなくされても困るのだが……まあ、見た目で人を判断しないと言うのは同感だな」
「ふん……あなたなんかに分かるものですか」
 そう言う千里の目は、床の高さから留美の胸や太股に視線を注ぎ、
「負けてなんか……い、いませんからね……! 私には将来性があるのですから!」
「何の話だ?」
「くッ……富める者の余裕ですか!?」
「何を言っているのか分からないが、ともかく安静にしていたほうがいいぞ。倒れたのは暑さだけではなく睡眠不足による疲労もあるのだろう?」
「………この一月ほど、ろくに眠っていませんでしたからね」
「どうせ寝食を忘れて研究にのめりこんでいるのだろう? 錬金術師と言うのは誰も彼もが研究の虫だからな。そんなことでは大きくなれないぞ?」
「ほ、放っておいてください!」
 錬金術とは、魔法のように使用者が制限される奇跡の技ではなく、誰もが扱える形にした“技術”を研究して生み出す学問を言う。その名の通り元々は卑金属を貴金属に変えようとする研究だったが、蓄積された化学技術を元にさらに多岐にわたる研究や発明が行われ、それに携わるものの事を錬金術師と呼ぶ。
 もっとも、魔法学に比べて錬金術は未成熟な分野と言っていい。研究には莫大な資金が必要になるのも要因の一つだが、万能なる力である魔法が世間に広く普及しているために錬金術をそれほど必要としていないためでもある。
 だから錬金術師の多くは自らの食費も削り、睡眠時間も削り、爪に火をともすような思いで研究を行わなければならない。最近では魔法学においても「魔導錬金術」として魔法と錬金術の双方の技術を融和を目指す分野も開拓されているが、それに携われるのは一部の有能な魔道師・錬金術師だけである。
「綾乃とそう年齢は離れていないのだろう? 可能性か。うんうん、成長期があとどれだけ残っているかは知らないが、夢のある言葉だな」
「あなたは一体何が言いたいんですか!?」
「夢は大事だぞ、夢は大きく持たなければ。夢がなければ人間は生きていけないのだからな」
「夢夢夢と、そ、そんなに私が、私が…うあああああああああっ!」
 暗に背が低いことや胸が薄いことや成長の見込みがないことを指摘され、またもや怒りが頂点に達して体を起こそうとする千里だが、まるで床に縫い付けられているかのように起き上がれなかった。
「バインド(束縛)の魔法ですか……ただの露出好きかと思っていて油断しました!」
「水着を着ているだけでずいぶんな言われようだが……まあいい。こちらの質問に答えてくれれば開放してやろう。たった一つでいい」
「盗人猛々しいとはあなたにぴったりの言葉ですよ」
「ふふっ、図太くなければ旅などやってはいられんさ」
「いけしゃあしゃあと……仕方がありませんね。私に何が聞きたいんですか?」
 留美にこれ以上抵抗しても無駄だと悟り、千里が仰向けになっている全身から力を抜く。それを見て留美も小さく頷くと、
「なんでこの村に来た?」
「別にどうと言う理由はありません。このあたりで珍しい鉱石が取れると噂に聞きまして―――」
 本当にたいした理由ではないと言わんばかりに、千里の口から用意していたかのような言葉が紡がれる。けれど留美はそれを手でさえぎり、
「悪かった。私の言い方がマズかったな」
 と訂正した上で、
「どうやって……どういう手段でこの村にまで来たかを教えていただきたい、うら若き錬金術師殿?」
 何を言っているんだろう……留美の言葉を聞いていて自分の今後の“可能性”まで打ち砕かれてしょげていた綾乃は、千里に投げかけられた質問の意図が理解できずに首を捻る。だが一方で千里はと言うと、先ほどは躊躇うことなく答えを返したのとは打って変わって、黙秘するように口をつぐんでしまう。
「何も難しいことは訊いてはいないつもりだがな。マントの内側のポケットには工具類が詰め込まれているだけで、携帯食は一欠けらも入っていなかった。―――質問を追加しようか。いつからこの村にいる? 何処に宿泊している? 私たちが泊まっているのはこの村で唯一の宿だったけれど、夕食時の食堂でも君の姿を見かけた覚えはないぞ?」
「なにを……どうでもいいことでしょう、そんな事」
「いいや、違うな。重要なことだとも、今は特に」
 移動手段など徒歩か馬車か、ここが漁村であることを考えても舟かしかないのだが、千里はこのなんともないような質問の答えに窮し、留美もそんな千里を微笑を浮かべたまま見つめている。
「この一月ほど、ろくに眠っていないと言っていたな。では、食事も休憩もせずにどこかからやってきたのかな? だが人の足では近くの街まで何日も掛かる。馬車にでも乗ってきたか? 旅装も荷物もそこに置いているのか? それとも別の手段でこの村にやってきたのかな?」
「………ご想像にお任せします」
「そうか。では私が勝手に想像しよう。君がここに来るのに用いた移動手段は―――」
 語る事はない。語る必要もない。―――自由に動く首を留美から背ける千里だが、その直後に聞かされた言葉に驚きの声をこぼしてしまう。
「飛翔機……空を飛んでやってきたと言うのは面白いと思わないか?」
「なっ………!?」
「いい反応だ。実にいい反応だ。まさか本当にあれの製造に成功していた人間がいるとは思わなかったよ。まさに天才だね」
「あなた、何処まで知っているのですか!? 知っていてわざわざ私をこのような目に!」
「さてな。何処までかとは言えないが……ただ、本当に空を飛んで来たとなると、更なる疑問が浮上するな」
 目には見えない腐りで身動きが封じられているのに、千里はジタバタともがきだす。その鼻先に留美は指先を突きつけ、微笑みを絶やさずに目をスッ…と細め、何もかも見透かしてしまいそうな眼差しで千里を真っ直ぐ見下ろした。
「教えてもらおうか、錬金術師。飛翔機なんて代物まで使ってこの村に急いでやってきたわけを。返答次第では―――」
 後ろで見ている綾乃には、留美の表情をうかがい知ることは出来ない。けれど氷付けにされたように身動きを止めた千里の表情と、室内に冷たく木霊する留美の声に、何故か足が震え、体が震え、呼吸をすることすら忘れてしまいそうなほどに威圧されてしまう。
 一秒過ぎるだけでも体中から体力と精神がそぎ落とされるような空気。綾乃も、それを真正面から浴びせかけられている千里も指一本まともに動かせなくなってしまうけれど、
 ―――ドンドンドン
『たくやって人の連れはここか!?』
「なんだ、うるさいねェ。今あけるから乱暴に叩くんじゃないよ、扉が壊れちまうだろう」
 荒々しくノックされた扉の向こうから、焦りの色を帯びた男の声が聞こえてくる。留美の放つ異様な気配を感じていなかったのだろうか、この家の女性がやれやれと言いながら扉の鍵を開けるが、その途端に外から倒れこんできた男性が女性にもたれかかってきてしまう。
「なにすんだい、これでも私は人妻だよ!」
「ちがッ……出た……出たんだよ、アイツらが!」
 綾乃と留美を探して村中を走り回ったのだろう、全身汗と砂にまみれた男が息を切らしながら叫ぶように声を放つ。
「出たんだよマーマンが! あんたらの……あんたらの相棒の女……襲われてるんだよォ!」


第十一章「賢者」14へ