第十一章「賢者」07
見つめる先には闇しかなく、小さな光は遠く離れた場所にのみある。
小さな光の一つ一つは村の入り口からこの宿にたどり着くまでの間に通り過ぎた建物からこぼれる明かりだ。けれど視線をわずかにずらせば、そこには光を生むものが何もない夜の海が広がるだけ。
昼間見た時には美しかった海も、夜が深ければ表情が一変する。途切れることなく押し寄せる細波の音は、宿屋の二階の一室でたくやの帰りを待つ綾野の心に、不安と言う気持ちを湧き上がらせる。
―――先輩、帰ってくるの遅いな……もうこんなに暗くなってるのに……
日が暮れ、たくやが楽しみにしていた夕食の時間も過ぎ、もう眠る時間に差し掛かる頃だと言うのに、それでも温泉から帰ってこない。「海に沈む夕日が見たいから」とたくやは言っていたけれど、いくらなんでもこんなに遅い時間まで温泉に入り続けているとは思えない。
―――何かあったんだ……でも、私がひとりで出歩いたりしたら、余計に迷惑をかけちゃうかもしれないし……
二人が滞在することになった漁村は今、マーマンの襲撃がたびたび来たと言うことで緊張感が高まっている。顔見知りの弘二と大介と言う二人組みの冒険者も村の警護に当たってはいるけれど、女性一人が真っ暗な夜闇の中を歩いていればどんな危険が襲ってくるかもわからない。
それに綾乃には以前、とある船の中でたくやの傍を離れて一人で用を足しに向かった際に悪人たちに捕まって人質にされた経験もある。
―――先輩はこの村自体が怪しいって言ってたし……
もしかしたらまた……と言う思いが、たくやを探しに行こうとする綾乃の足を室内に押しとどめていた。
―――人を疑うのはあまり好きじゃないんだけど……
それでも、村長宅での話し合いの場で感じた違和感は拭えない。男湯と女湯に分かれて温泉に入りながらたくやと会話した事で、疑念は確信には至らぬもののますます強まっている。
たくや一人であれば、たいていのトラブルも切り抜けられるはずだ。モンスターを召喚しさえすれば、戦士としての訓練を受けていないこの村の自警団程度では足止めすることも出来ないだろう。そんなたくやを怯ませ、危険に晒してしまうかもしれない存在が自分なのだと、綾乃は強く自覚していた。
―――はぁ……こういう大変な時って役立たずだな、私……先輩のお荷物になってばっかりで。
実際にはたくやの心の支えになり、高威力の魔法で危ない場面を救ったりと、本人が思うほどたくやに迷惑をかけているわけではない。それに普段であれば、綾乃もたくやの言葉を信じてこれほど深く悩む事はないのだけれど、
………カダの街、ずいぶん近くになっちゃったから……
このまま海に向けて船にでも乗らない限り、次にたどり着くであろう大きな街に思いを馳せ、綾乃は胸を締め付ける気持ちを吐き出すように大きくため息をついた。
「大丈夫……きっと星を見ながらお風呂に入ってるんだよね……」
言っても、たくやよりもずっと小さな胸にわだかまる不安は少しも払拭されない。
それでも、もしたくやに何かあれば蜜蜘蛛を通して危機を察知……できれば、不安も幾分和らいでいたかもしれない。
たくやとその契約モンスターたちは、言葉を交えなくても意思疎通することが出来る。その精度は距離が遠くなるほどに弱くなるけれど、同じ村の中であれば何かあったと言うこと位は十分に伝えられる。
だが、ボディーガードにとたくやが綾乃煮付けてくれた蜜蜘蛛は今、八本の足を丸めてテーブルの上で眠っていた。温泉から宿へ戻った際、宿屋の女将が汗を掻いた分の水分補給にと出してくれた良く冷えた砂糖水。それを嬉々としていっぱい飲んだ蜜蜘蛛は、そのまま満足そうに眠りに落ちてしまったのだ。
―――普段は魔封玉の中に入ってて、お食事はあんまり一緒してないからかな。モンスターのみんなはお食事する時は楽しそう……♪
特に蜜蜘蛛は自分でも金色の蜜を出せるのに、果物の果汁や花の蜜などを好む。小さな身体の何処に入るのか不思議なぐらいに甘い砂糖水を飲めたのだから、今頃は幸せな夢を見ている頃だろう……が、起きていてくれないと、たくやの身に危険が起きても何もわからない。シワンスクナとプラズマタートルの封じられた魔封玉もあるけれど、封印を解けるのはたくやだけなので、綾乃にはどうすることも出来ない。
とりあえず、宿の人に頼んで自警団にたくやの事を知らせてもらおう……弘二か大介かに連絡がつけられれば話は早い。たくやの安否を確認するだけなのだから、すぐにでも向かってくれるだろう。
―――蜜蜘蛛ちゃんが起きてくれればもっと話は早いんだけどね。
でも寝ているモンスターを起こすのは忍びない。普段は魔封玉の中にいて食事を必要としないのだから、外に出ている時の食事や安眠を妨げるのは、どうにも気が引けるのだ。
と―――
「綾乃、思い悩むのはそろそろ終わりにしてもらえないか? 私も話をしたいんだが」
部屋の中には自分と蜜蜘蛛しかいないはずなのに、いきなり背後から声を掛けられて、綾乃は驚きながらも身を回した。
「留美先生!? なんで……」
目の前にいきなり美女が立っていて、思考が停まり、言葉が詰まった。
―――……ええっと……
動き出した頭がまず思い浮かべたのは、悲鳴を上げるか否かと言う選択だった。女の子の部屋への不法侵入。それは十分すぎるほど犯罪である。
―――でも、留美先生は女性ですし……
けれど女性が女性を襲う話なんて、娼館で寝泊りさせてもらっていた時に何度も聞かされたことがある。むしろ性欲をみなぎらせて襲い掛かってくる男に夜這いを掛けられるよりもより甘美で官能的な体験をさせられてしまう事もあるとも。だから同性だから貞操が安全だと言う保証は何もない。
―――そう言えば、温泉の帰り道で唇を……!
忘れていたわけではない。時間が経つほどに、戻ってこないたくやへの心配が唇を奪われたショックを上回ってしまっていたのだ。
思い返してみれば、村長宅での話し合いに留美が突然現れた後、姿が消えた一瞬の後に留美が現れたのは綾乃のすぐ傍ではなかったか? その時から目をつけられていた? そして既に唾をつけられていた?
―――で、でも、そんなのおかしいです。留美先生と会うのは初めてだったのに……
もし一目惚れ(?)だと言うのなら、あの場に一緒にいた自分よりも胸の大きいたくやの方に目を留めると思う。
留美が同性愛者かはともかく、たくやよりも自分を選んだ基準は何なのだろうか……胸も小さくて、性格も引き気味で、童顔のたくやよりももっと押さなくて子供と間違われてもおかしくない。たくやと比べれば次から次へと劣っているところが思い出されるのだが、その比較検討の末に行き着いた結論は、
「わ、私が幼女だなんてあんんまりですしリアルロリータ趣味はこの世界でも犯罪なんですけど〜〜〜!!!」
「………もう少し、自分が何を口走っているか良く考え直せ。それと私に幼女趣味などない」
錯乱してしまって誰かに聞かれれば留美の人間性が疑われるような発言をした綾乃のおでこに「ズビシッ!」と効果音が聞こえてきそうなデコピンが叩きこまれる。
「はうっ!……い…痛いですぅ……」
「呪文を紡いで奇跡を起こし、真理を探究すべき魔法使いが容易く混乱して浅薄な言葉を吐いた罰だ。誰かを支えたいと願うのなら、いかなる時も落ち着いた思考を心がけておきなさい」
「あううぅ……すみません、至らぬばかりに……」
乙女にデコピンとはあるまじき行為だが、ジンジンと痺れるように痛むおでこを押さえて涙目の綾乃は頭を下げて謝罪する。
「でも……扉に鍵がかかっていませんでしたか? 戻ってきた時にきちんと確認したんですけど……」
「ああ、しっかりと施錠されていたな。ノックして開けてもらうのも待つのが面倒だったんで転移させてもらった」
………それはもしや、不法侵入?
「なに、どうせ入れてもらうのだから途中を省略しただけで結果は同じだ」
「ぜ…全然違うと思いますけど……」
転移魔法と言う高等魔術をノックよりも楽だと言う人間が、留美以外に世の中にいるとは思えない。そんな一人にしか通用しない常識を押し付けられても困ってしまう。
「例え抵抗しても蹴破るだけだし。無駄な破壊を未然に含む意味でも途中省略したわけだ。どうだ、私は偉いだろう」
「え〜と……どうして胸を張っていられるかがどんなに考えても解らないんですけど……その時のドアの修繕費は留美先生が出してくださいね?」
「どうして私がそんな金を払わなければならんのだ?」
………いえ、あの、本気で分からなさそうな顔で私を見なくても……
本気の発言とも思えないが、少し常人離れした思考を持つ(らしい)留美が言うと、綾乃もどう答えてよいかわからなくなってくる。
―――今まで出会ってきた先生方のどなたとも全然違ってます……!
一緒にするのは失礼だろう……“どちらに”失礼かは考えないでおくことにする。問題は別のところにあるのだから。
「それで……どうして急に私の部屋へ?」
温泉からの帰り道で偶然出会い、唇を奪われたとは言え、綾乃は留美とそこまで親しくなったわけではないし、心も開いていない。そもそも初対面の相手には人見知りしてしまう綾乃はかなり警戒しながら、いつの間にか室内のテーブルの上にワインの瓶やおつまみのチーズが盛られた皿を広げ、果てはワインがあるのに大きな酒樽なぜか何処からともなくデデンと床に置かれ、完璧に一人酒宴を今にも始めるつもりの留美に恐る恐る問いかけてみる。
そしてその答えはと言うと、
「昼間に約束していなかったか? 魔法が使えるように私が特別に“授業”をしてやろうと」
「そのお話ですか? えっと…まずは先輩と相談してからお返事しようと思っていたんですけど……」
「喜ぶがいい。例え王侯貴族が土下座で私の足元に額を擦り付けても、金をむしるだけむしって教えることなどないのだからな。何たる幸運。何たる僥倖。このような奇跡は二度とはないぞ? さあ、その喜びを三遍回ってから思う存分全身を使って感情のままに表現するがいい!」
「え?…ええっと……」
確か断ろうとして口を開いたはずなのに、グラスにワインを注ぐなりビンに口をつけて一気飲みしだした留美の言葉に気圧され、
「あの……」
意味もなく右を見て、
「えと……」
困ったように左を見て、
「あうぅ……」
その場でちょこちょこと三回まわり、両手を丸め、
「………ワゥン?」
「なぜそこで疑問形だ!? 違うだろう、犬の真似をするなら愛くるしく、可愛らしく、それでいてご主人様に捨てられぬように精一杯舌先を伸ばして餌を恵んでもらうようにだなァ!」
………もしかして、ここに来る前から既に酔ってらっしゃいましたか?
見た目は完全に素面(しらふ)そのものだが、グラスに一杯だけ深い色合いの赤ワインを注いだ後は何故かそちらには口をつけずにラッパ飲み……極めて一般的な感覚を持つ綾野の目には意味不明に映る行動は、どう見ても思いっきり酔っ払っていた。
―――先輩はお酒をあまり飲まないし、娼館で勧められてた時も深酒はされなかったけど……
誰もが目を見張るような大人の美女の留美が酒瓶片手にワインを煽っている姿は、さすがに品も何もない。すっかり出来上がっている酔っ払いに対し、何とか被害をこうむらずに穏便に対処する方法はと綾乃は考え、
「そ、そうだ、わたし、食堂に行って何かおつまみを作って持ってきますね♪」
精一杯の愛想笑いを浮かべ、先ほど勢いでやってしまった犬っぽい仕草にあれこれと批評を繰り返している留美の横を抜け、鍵がかかったままの扉へと向かう。だが、左手を掴まれてしまい、そのまま引き寄せられてバランスを崩し、ポスンと留美の膝の上へ横向きに座らされてしまう。
「ふふっ…なんとも愛(う)いやつめ。自分から可愛がられに来るなんて……」
「ち、違います! そもそも当初の趣旨から話が逸れ過ぎてると思うんですけど!?」
「忘れてはいないとも、もちろんだとも、うむ。………この部屋から逃がしはしないよ、綾乃。今夜は私の傍にずっといるんだ……」
「ふぇ〜〜〜ん! ダメですゥ〜〜〜! 助けて〜〜〜! 先輩〜〜〜!!!」
「泣こうが叫ぼうが、鍵のかかったこの部屋に誰が助けにこれると言うんだ? だが安心するといい……仮にも「先生」と呼ばれている私は、そっちの方でも「先生」足りうる技術を持っている。今夜は骨の髄までタップリと教授してやるから………もしや処女か?」
「違いますぅ〜〜〜〜〜〜! そう言う話じゃなくて〜〜〜〜〜〜!!!」
「なるほど……すこ〜し残念だが、初めての相手を忘れさせることで膜をプチッと破れなかった悔しさを晴らすとしよう」
「ま、膜ってなんか生々しいです!」
「はっはっはっ、気にすることはない。初めての時は緊張して無我夢中になりやすいものだ。ところが私はなにを隠そう、エッチの達人なのだ。満足すること請負だぞ? そんな私に抱かれることを幸せだと思わないか、ん?」
「え〜んえ〜んえ〜〜〜ん! 誰か、た〜す〜け〜て〜〜〜!!!」
「もう……私がこんなに想っていると言うのに、つれないな……けれどそこが………」
留美の指先がうなじを滑ると、怯える綾乃の背筋にゾクッと冷たい震えが走る。その震えで助けを呼ぼうとしていた声を逆に呑み込んでしまうと、罪は怪しげな笑みを浮かべる唇を綾乃の耳元へ近づけ、
(―――私の言葉には反応しないように聞け)
「え………んんッ!?」
耳たぶを甘噛みされ、くすぐったさにたまらず留美の膝の上で身をよじってしまう。
(私が反応するなと言ったのが聞こえなかったのか? それとも解らなかったのか? それからしゃべる時は声を出来る限り小さくしろ。………何しろ今、この部屋は監視されているのだからな)
(か…監視ですか……?)
(そうだ。だから反応すればするほど覗き見しているやつらを誤魔化すために否応なく反応してしまうようなことをするつもりでいるから楽しみにしておくといい)
耳をはむはむされて目じりに涙を浮かべた綾乃には、突然の話をすぐに呑み込めるだけの余裕がない。それでも、お酒の酔いを――言葉の内容は別にして――感じさせない留美の声に従い、跳ね上がった動悸をなだめつつも身をすくめて小さく頷いた。
………み、見られてるのにはしたない声を上げられませんし……
一体誰が何の目的で綾乃を覗き……ではなく監視しているのかはわからない。そもそも本当に誰かが綾乃の事を見ているのかも判然としない。だが漁村のどこかに怪しさを感じていただけに、留美の言葉を信じてしまうのだが、
「いっ……ん………ッ!」
うなじに顔を寄せられ、体臭を嗅がれる恥ずかしさを感じた瞬間に合わせるように背中から回された留美の右手が綾乃の淡い膨らみを優しくこねる。
(この村ではマーマンの問題以外にも何かが起こっていると思うのだが……ブルーカードを見せたのが仇になった。村長宅で食事に招かれたのだが、どの料理にも睡眠薬を入れられていてね。その薬が効果を現さないと知ると、今度は露骨に尾行と監視だ。夜襲をかけてきたところを返り討ちにするのが手っ取り早いのだが……)
「ひン……やめ……ダメ…ですゥ………」
(まさか私だけではなく綾乃たちにも監視の目が光っているとは)
「ふアァん!」
乳房への愛撫に感じるものがくすぐったさから甘い感触へと代わっていくと、留美は下着の内側でジンジンと痺れ始めていた乳首をやさしく摘み、湿り気を帯びだしていたスカートの中へも左手を差し入れる。
「や…あぁぁぁ……ゆ、許して……そんな…き、聴かれ……んはァ!」
乳首を強くひね荒れた綾乃はアゴを突き出しながらノドを仰け反らせ、震えた声を迸らせる。脳裏に真っ白い火花が飛び、そこへショーツ越しに秘所を愛撫される刺激も加わり、幼さの残る小さな顔が見る見るうちに真っ赤に火照っていく。
(だから今夜は私といるといい。感づいていると知られたくないので夜這いと言う形で可愛がらせてもらうが……心配しなくていい。他人に見られて減るものではないし)
「ダメ……そんな、ダメ、あッ…だ…め…ぇぇ…ェ………!」
得体の知れない誰かに覗き見られながら弄ばれる恥ずかしさに、留美に抱きしめられた先ほどまでとは異なる恐怖が込み上げてくる。けれど感じ方を熟知した同性の指先でスイッチが入れられ始めていた身体は、上下の肉豆を擦りたてられる快感に既に屈していて、子宮の奥から溢れ出る熱いものを押しとどめられないでいた。
―――どうすれば……私はどうすればいいんですか……助けて、先輩……!
心の中でたくやに呼びかけても、その思いは届かない。身体中に流れ込んでくる快感の本流に溺れるのを必死にこらえながらも、綾乃にはどうしていいのかわからず、今日であったばかりの美女の手に身を委ね、身体の芯にまで響く鋭い喜悦にただただ幼い体を震わせて涙を流すことしか出来ずにいた……
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