第十章「水賊」14
人生は過ちの繰り返しである。
過ちを犯して恐れず、過ちを正して進み、過ちに堕落しない……その繰り返しが人としての成長であり、人生である。―――そう、あたしは思う。
ただ、世の中には取り返しの付かない過ちが、しかも一発でそれまでの人生が全部パーになってしまうような過ちがあることも覚えておかなければいけないと……天井が低く圧迫感のある通路を歩きながら、ため息混じりに思うのであった。
「足……最高……」
「俺、もう、足しか愛せない……」
―――そんなしまりのない顔を誰かに見られたら、どうすんのよ一体……
足コキ三回ずつ、計六回で完全に服従させた水賊の男二人ではあるが、完全に人生観が変わってしまっていた。
一応そうしてしまったあたしも責任を感じてはいるのだけれど、まあ、この際それは置いておくとしよう。大切なのはこれから……そう、佐野の手から舞子ちゃんを助けださなければいけないのだから。
頭を振り、まだ足の裏や爪先に生々しく残っているペ○スの感触を片隅に追いやって気合を入れる。手には二人が取り戻してきてくれたあたしの木棍と荷物袋があり、ジャケットの上からマントを羽織り、何処かからか調達してきてくれた古びた帽子とで顔を隠し、誰にも気付かれないように舞子ちゃんが捕まっている場所にまで辿り着かないといけない。
(……方向はこっちであってるのよね、ゴブハンマー?)
あたしを捜している水賊たちと幾度目かのすれ違いの後、ほっと一息つきながら隣にいる――と言うか、姿は誰にも見えず、ただあたしにだけ存在が感じ取れる――ゴブハンマーに心の中で呼びかけると、鎧無しのゴースト状態で喋れはしないものの、確かに頷き、先導するように前へ進むのが感じ取れた。
―――普段は「ハンマー」としか喋らなくても、話せなかったら一緒ね。
それでも一番スケベなゴブリーダーよりも真面目だし言うこと聞くし、それに比べたら最初に舞子ちゃんの居場所を突き止めて戻ってきたのがゴブハンマーなのはよかった方だろう。後は“ご褒美”だけど、それも今後の正しい主従関係のためを思えば……
「なぁ足兄弟。妙に寒気を感じないか?」
「俺は肩が重くなった気がするな。また溺死した幽霊でも迷い込んできたかな?」
―――おいおい、幽霊来るのが「また」なのですか? てか、「足兄弟」って何!?
突っ込みたいところではあるけれど、男だらけの水賊のアジトの中で女の声は目立ってしまう。後で一発二発引っ叩いて問いただそうと決意すると、不意に前を歩く二人が足を止めた。
「姐さん、この先は広間ですから気をつけてください」
「顔を隠してるから気付かれないとは思いますが、用心には用心を」
声に出さずに頷きだけを返すと、二人の男はあたしの背中に隠して歩き始める。それに遅れまいとマントを引き上げ口元を隠しながら付いていき、広間に足を踏み入れ―――
「……うわぁ」
“用心”と言う言葉を一瞬忘れ、周囲を見回して感嘆の声を漏らしてしまう。
ドーム状の広間はと呼ばれる場所は、フジエーダにある水の神殿の大聖堂よりはさすがに少し狭いけれど、地下アジトである事を考えれば不必要に思えるほどに広い。そして円形の室内のいたるところに地下通路へ繋がる入り口がいくつもあり、換気口も天井の最も高いところに大きめのものが一つ、その他の天井や壁にも拳大の穴が無数に設けられている。
もしこの空間を魔法で作るとしたら、かなり大規模であり、同時にかなり緻密な作業も行わなければならない。仮に天然の洞窟に手を加えただけだとしても、百人近い水賊たちが十分に呼吸できるだけの換気口や崩れ落ちないよう補強の加工をするだけでも、頭が痛くなるほどの大工事だ。
「姐さん、顔、顔」
それまで狭い通路を歩くうちに蓄積していた閉塞感が一気に開放されたせいか、あたしは口元が出ているのにも気付かずにボケッと広間を見つめてしまっていた。肘で突付かれ慌てて顔を隠すと、周囲を走り回っている水賊たちの顔をドキドキしながら見回した。
―――……気付かれてはないみたいね。た…助かった……
「お願いしますから……ほんと〜に気をつけてくださいよ。俺らも危ない橋を渡ってるんですから」
「ここには仲間のほとんどが集まってるんですから。ばれたら逃げる間もなくヤられちまいますよ?」
―――う……それはやだな……
二人の言う「ヤる」が「殺す」と言う意味なのは分かっているけれど、あたしの頭の中では「犯る」に変換される……まあ、これは人生経験なので仕方ないけれど、百人に輪姦されるのは殺されるよりも辛いものがある。
幸いなのは、変装の効果もあってか、水賊たちの注意があたしへ全然向けられていない事だ。大人数が広い空間を走り回ってはいても、とても組織立って動いているとは思えない。個人個人が自分の恩賞だけを考えて動き、仲間のはずの人間ともまるで口を聞こうともせず、中には少人数の集団同士で言い争いをしているところまである。松明が何本も灯されているとは言え、薄暗さを払い切れない空間の至る場所から怒声や罵声があがり、悪党とは言え一つにまとまった集団にはとても思えない有様だった。
「ねえ、あれ……」
「言いたい事はわかります。ですが仕方ねぇんですよ」
「いきなりボスが代わっちまったもんだから混乱も収まりきってないんです。前のボスならこんなに混乱なんてしなかったんですが……」
「前のボスは嫌な所はあったけど、俺たちをキッチリ纏め上げてましたからね。計算高くて失敗もしなかったし、ついていって間違いは無いって」
「先を見てるって言うんですか? いきなり街を出て別の場所へ行くって聞いた時はどうなるんだろうって思いましたけど、山賊チームが捕まっちまったら俺たちだって時間の問題ですからね。その前に手を打ったんですよ」
「けど弟のほうはなぁ……“仕事”はしないくせに金遣いだけは荒いし、山賊チームを率いて裏切るって話もあったぐらいで」
「アイツなら俺たちを裏切ってお宝全部独り占めにしてもおかしくないよな。ハァ……水賊やめようかな……」
なるほど……確かによく見てみれば、欲に目がくらんで走り回っている水賊たちの中に混じって、動きの悪い人間もいる。急な代替わりに納得がいっていないのは、なにもこの二人だけではないらしい。
下っ端って言うのは、どんなところでも辛いんだな……と子供時代に姐や幼馴染に受けた仕打ちを思い出していると、不意に後ろから声を掛けられた。
「おう、お前等。俺がどうしたって?」
突然の声に首をすくめ、振り返る二人の水賊の横へ回るようにして、あたしもまた後ろを向く。するとそこには贅肉で頬の肉がたるんだ男が立っていた。―――見間違うはずもない。冒険者ギルドであたしに偽の依頼を引き受けさせて山賊の元に赴かせた受付の男だ。そして水賊の前のボスの弟でもあり、今では組織を乗っ取って新しいボスに納まった……とはとても思えない、どちらかと言えばただの中年親父にしか見えない男でもある。
けれど今ではいっぱしのボスのように振舞っている。その自信となるのは後ろに引き連れた五・六人の屈強な護衛だろう。―――で、そっちにも見覚えのある顔がいた。船着場であたしなんかに軽くあしらわれた筋肉ダルマだ。その時の頭の怪我の上からは痛々しく包帯が巻かれており、もしかしたら打ち所が悪かったのかもしれない……妙に自信ありげな不気味な笑みで、こちらを凝視していた。
―――気付かれては…いない…よね?
どうやら見ているのはあたしではなく、あたしをさりげなくかばっている足兄弟の二人の方だ。そもそも、三人で船に乗り込む人間を監視していたんだから顔見知りなのだろうけれど……それにしても嫌な緊張感が広がっている。
広間を走り回っていた水賊たちも、新しいボスが現われ、忌々しそうにあたし達三人を前にしているのを見て事情を察し始めたようだ。あれだけ騒がしかった空間が次第に静かになり、今この時になっても変装したあたしに気付く事無く、これから始まる事態を静観しようと身構えていた。
「ケッ。侵入者の女一匹捕まえられずにこんなところで俺様を批判してるのか。無能な部下を持って俺は幸せだぜ」
口火を切ったのは新ボスさんの嫌味の言葉だった。
「こんなデカい図体してあんな女を俺の前に引きずり出す事もできないってか? そのくせよく回る口だよな、お前等の口はよ……いらねェだろ。そんなモン」
と、言うなり、後ろに控えていたあの筋肉だるまが一歩前に踏み出し、太い腕を振りかぶってあたしをかばう水賊の顔を殴りつけた。
―――ッ!?
首が横へはじけ、切れた唇から血が飛び散る。……それでも男は足を踏ん張って倒れる事はせず、さりげなく立ち位置をずらして、あたしをボスの視界からさえぎるように身体を起こす。
「い〜い仕事だ。よくやった。俺には向かうヤツはいくらでも殴っていいからな」
「へい、ボス」
―――うわ、最低だな、こいつ等。まさか恐怖政治でもやろうっていうの!?
ボスが入れ替わって時間もそれほど経っていない。自分たちの新しいボスがどう言うやり方で組織をまとめるのかを見るのは初めてなのだろう、一部始終を見ていた周囲の水賊たちからざわめきが沸き起こる。
「いくらなんでもあれは……」
「自分だって一度捕まったのによ……」
「大丈夫なのかよ、あれで……」
小声で囁かれる意見の多くは、金でくらんでいた目が覚めていく言葉がほとんどだ。―――が、そんな意見に耳を傾けずに、ボスはアゴをしゃくりあげる。
「やれ」
言葉が言い終わるのと同時、背後に控えていた男たちが腕を伸ばし、手近にいた水賊たちへ殴りかかり、抱え上げてざわめいていた人垣へと投げつける。それをとっさに受け止めた水賊は次の標的にされ、一撃で殴り倒されると踏みつけられ、爪先で脇腹を蹴り上げられる。その光景を見て動きを止めた人間が次の標的……そうやって、護衛の男たちはまるで奇襲をかけるように次々と仲間を攻撃し、一分と経たないうちに十人以上が地面に倒され、苦悶の声を上げてのた打ち回っていた。
「いいか、よく聞け。俺に必要なのは俺に従うヤツだけなんだよ。文句の一つも言ってみろ。その舌を引っこ抜いて魚の餌にしちまうぞ! おら、俺が本気だって見せてやれ!」
まるで台風の目のように、騒動の中心にいてもボスの目の前にいるから被害を受けていなかったあたしは、その馬鹿げた命令を耳にしてしまう。そして……その命令に唇を吊り上げ、嬉々として気を失った男の一人の口の中へ指を突き入れた筋肉ダルマの姿を視界に捉えてしまう。
「―――――――――ッ!!!」
仲間になってくれた二人の男が止めようと手を伸ばす……けれど、小柄なあたしの動きはそれよりも速い。マントを跳ね上げて手にした棍を水平に構えると、筋肉ダルマの側頭部へ先端を槍のように突きこんでいた。
「ぐおっ!?」
体重差が倍以上といっても、屈みこんでいた所へあたしの体重を乗せた一撃を頭に食らったのだ。ガコンといい音を響かせて頭は横へはじけ、殴り倒した人たちの間に今度は巨体が倒れこんだ。
―――……やっちゃった。
これであたしの正体はばれただろう……となれば全力でここを逃げ出すしかない。今更ながら跳ね上げたマントを抱きかかえ、逃げ道を捜して視線を走らせれば……なぜか、周囲にいる人間は誰一人としてあたしの方を見てはいなかった。
何かあったのかと、逃げなければいけない状況をひとまず保留し、あたしも他の人の視線を追う。すると、あたしをここまで連れてきてくれた二人が、ボスを思いっきり殴り倒しているところだった。
「ふざけんな! 俺たちはお前の奴隷じゃないんだぞう!」
―――と言いながら、あたしのほうへ後ろ手を向けてヒラヒラと振る。
「そうだ! ここにいる連中はお前をボスなんかと認めないんだぞう!」
―――と、もう一人も手をヒラヒラ。
もしかして、あたしをかばうために?……そう思い至ったとき、広間にいる水賊たちから一斉に歓声が沸き起こった。
「いいこと言った。そのとおりだ!」
「ケッ、こっちもお前なんか願い下げなんだよ!」
「てめェらこそ魚の餌にしてやんぜ!」
その他にも聞くに堪えない野次や罵声も飛び交い、興奮状態に突入した広間にいる人間全員が、あたしの事を気にもとめていない。状況が状況とは言え、騒動がいい具合にあたしへ味方してくれた……いや、そう言う状況を起こしてくれた二人に感謝しながら、ヒートアップして今にも乱闘が始まりそうな雰囲気の人の輪から抜け出し、他の通路からも集まり出てくる人の流れに逆らって駆け出していく。
(ゴブハンマー、舞子ちゃんがいるのはどっち!?)
心の中で呼びかけると、姿の見えないゴブハンマーの霊体が人が全然出てこない真っ暗な通路の入り口から返事をする。途中の壁から松明を一本拝借して暗い通路の中へと飛び込むと、奥へ走りながらゴブハンマーのゴーストに続けざまに呼びかける。
「出口の場所はわかってる!?」
肯定の反応が返ってくる。
「だったら舞子ちゃんのところに辿り着いたら自分の鎧に戻って、四人で広間まで来て。そこで捕まってたら戻ると気に魔封玉にして助けてあげるから。いい!?」
最後に念を押すと、首肯した感覚が伝わってくる。次第に狭く、床がゴツゴツし始めた通路につまずかないよう、それでも可能な限り急いで先に進む。
「……それから、戻ったら捕まえて木箱に押し込んであった水賊のボスのおじさんも出してあげて」
これはさすがに疑問を感じたのだろう、ゴブハンマーも首を傾げる。
「なにも水賊やってるのを許してあげるって訳じゃないわよ。ただ、今の広間にあの人が出ていたらさらに混乱しそうじゃない。だから……お、恩を感じたとかそんなんじゃないから。―――って、ツ、ツンデレじゃない!」
―――こ、こいつ……普段はハンマーとしか喋らないのに、ゴーストになったら余計なことまで……!
もし今のあたしを誰かに見られたら、絶対に独り言をぶつぶつ言ってる変な女だと思われるだろう……そうこうしている内に、あたしの足は止まってしまう。
「行き止まり……?」
いや、違う。ゴブハンマーは左手側の壁の一点で浮いている。
佐野ならやりそうだな……とか考えながら壁に手を触れ、出っ張りにいくつか触れていくと……ビンゴ。動く手ごたえのあった出っ張りをはずすと、その下には宝石が。それに指先を当てて魔力を流し込むと、行き止まりだったはずの壁が消えて、奥へ続くレンガ敷きの通路が姿を現した。
―――うわ、隠し部屋だけ豪華って……
今更佐野の性格を云々言っても仕方がない。この隠し通路の奥にいる舞子ちゃんを助ける事を優先に考えないといけない。―――と、その時、
「へ…へへへ……見つけたぜ、このアマァ……お、犯してやるァ……!」
「………ゲッ、筋肉ダルマ」
後ろからの声に振り返ると、頭から血を流した筋肉ダルマがあたしを追いかけてきていた。
「そんなわかりにくい格好しやがって……すぐにひん剥いて、死ぬまでヒィヒィ言わせてやるろ……」
「舌が回ってないじゃない。頭がふらつくんなら帰って休んでた方がいいと思いますよ……?」
「うるせェ! てめェだけは俺が犯すんだァアアアアアッ!!!」
この急いでる時にィ!―――なんかもう、執念なのか執着なのかどスケベなのかわからない感情で突っ込んでくる男に文句の一つも叫びたいけれど、そんな時間も余裕もない。
幸いにして、あたしをここまで追いかけてきているのは一人だけ……男の後ろに目をやってそれを確認し、あたしは縦に構えた木棍を横へと回しながら後ろへ飛び退った。
「逃がすゲフォオゥ!!!」
………バカである。隠し通路の手前、岩のゴツゴツした左右の壁に突っ返させた木棍に、男は自ら突っ込んできた。その結果、通路を真横にふさいだ木棍は男の腹部にめり込んで“く”の字に折り曲げ、しなる事で溜め込んだ巨体の突進力をそのまま返し、筋肉ダルマを逆方向へと弾き飛ばしてしまう。
「グ……ォエ………」
「―――えい、トドメ」
まだ意識を残している男の顔の上へ、地面に落ちていた手ごろな石を放り投げる。
―――ゴキッ!
小さな放物線を描いた石は狙いはずさず、男の鼻の上に落下。それがトドメとなって、もがいていた男の手がパタンと落ちた。
「それじゃゴブハンマーは戻って。あたしを助けてくれた二人以外と戦うんなら、派手に暴れても構わないからね」
言うと、ゴブハンマーはあたしの傍を離れ、気絶した男の顔の上に一度降下してから今来た道を戻っていく。……もしかすると、踏みつけたのかもしれない。
ともあれ、こうして考えている時間も惜しい。舞子ちゃんを助けて戻ってくるまでに、こいつに目を覚まされたら厄介な事になる。いっそもう一発トドメを刺そうかと、こっちに向けて開いている股間を見つめてそう思うけど……さすがにこれから先の人生を考えてあげると、ないよりはあった方がいいかと……
「はぁ……あたしにはいつ戻るんだろ?」
これから一生“ない”かもしれないと鬱になる事を考えながら、あたしはレンガの通路の奥へと走り出した―――
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