第5話その2


 ガチャ……キョロキョロキョロ 「………どうやら片桐先輩は帰ったみたいですね」 「誰が帰ったって?」 「わひゃあああっ!? な、なんだ、扉の影にいたんですか…驚かさないで下さい」  驚いたのはそっちの勝手のような気もするんだけど……まぁいいわ。今はそれよりも千里に話さなきゃいけな い事があるんだから。 「………早く入って」 「な、なにするんですか? 私はさっきの事をまだ怒って――」  パタン……  千里の手を引いて部室の中に引っ張り入れると、私は扉を閉めてその前に立ちふさがる。  これで…もう千里は逃げることができない。  フフフ……  何故か口元に笑みが浮かんでしまう。自分でも分からない………ただ、今までたくやにだって感じた事がない ぐらいにどうしようもない怒りが込み上げている事以外には…… 「か…片桐先輩……まさかさっきの事で……」  私の顔を見て、さすがに自分の研究の事しか考えていない傲岸不遜を地でいく千里も顔色を変えた。左右に視 線を走らせ逃げ道がないかを探しながらおずおずと話し掛けてきた声の色には明らかな動揺が見え隠れしている。 「………そりゃ誰だって怒りたくもなるわよ。いきなり逆切れされて、妙な薬品を頭から浴びせ掛けられたらね。 しかもそれが失敗作だってわかってるならなおさらよ」  今すぐ怒鳴りつけたい衝動を必死に押さえつけるけれど、言葉の端々に怒気が現れてしまう。  だが大声でわめきたてるよりもこちらの方が千里には効果的だった様だ。いつもの怒りなど遥かに突き抜けて いることを察すると、私の怒りを静めようと言うのか、それとも油でも注ごうと言うのか、両手を胸の前で組み、 初めて見る人なら思わず同情してしまいそうなほど瞳を潤ませながら私を見上げてきた。 「片桐先輩…あれは不幸な事故だったんです。私たちは二人とも相原先輩のことを思うあまり感情的になりすぎ て気持ちがすれ違ってしまったんです。これからは先輩を慕う良き後輩になりますから、今回は許してもらえま せんか?」 「ゆ…許せ………ですっ…てぇぇぇぇぇぇ……………!!!」  ああ、だめだ。その一言で今まで抑えてたものが噴き出してきた。この…人の心を逆なでする後輩の無神経な 一言で…… 「ひっ!? あ…あの、私は、なにも故意にやったわけじゃなくて、あくまでも突発的にですね――」 「突発的? 故意じゃなかった? そんな言葉で"こんなの"が許されると思ってるの!?」 「わあああぁぁぁ〜〜〜〜〜!! 申し訳ありませんでしたぁぁ〜〜〜〜!!………………おやっ? 片桐先輩 …もしかしてそれは……」  私の怒鳴り声を聞くや否や頭をかばった千里だが、拳骨を飛ばすのではなく、スカートをめくり上げて股間を さらけ出した私を見ると、その顔には脅えではなく好奇心と言う厄介なヤツが現れ始めていた。 「………見れば分かるでしょ。おチ○チンよ……」  勢いに任せてスカートを引っ張り上げたものの………少し冷静になると、自分のした行動の恥ずかしさが急激 に込み上げ来る。  同性とはいえ他人の目の前に股間を晒した上に、そこにそそり立っている物の名前まで口に……たくやにしか 言った事ないのに…… 「……………」 「あ、隠さないで…ひいっ!?」  無言のままスカートを下ろすと、火が出そうなほどに火照った顔で千里をにらみつける。 「………できるわよね?」 「なにが…でしょうか?」 「元に戻る薬に決まってるじゃない!! 今日中にもとに戻して!!」 「そ、そんなの無理に決まってます! 相原先輩への薬の研究もあるし、他のものだってあるんですから!」 「ちゃんと知ってるんだから。たくやをこんな状態にした時はすぐに戻したじゃない。だからできるはずよ!!」 「あ、あれは相原先輩のデータがちゃんと揃っていたからです。それに片桐先輩にかけてしまった薬品のサンプ ルもないと言うのに、どうやって――」                     「とにかくやりなさい!!!」  感情にまかせて扉脇の壁を後ろ手で叩く。すると重たく音を響かせながら化学室全体が揺れ、天井からパラパ ラと埃が舞い落ちてきた。 「………わかりました。一応やってみます……」  千里もさすがに肝を冷やしたようで、こめかみに汗をつつ〜と垂らしながら引き攣った笑みを浮かべる。 「それで研究費の方は……」  ギンッ! 「………は…あはは…冗談です。私が悪いんですから全部無料で、ええ、構いませんとも、ははは……」  私がひと睨みすると、千里はあわただしく薬品棚に駆け寄って様々な薬品を物色し、机に戻るとこちらに背を 向けて研究を開始した。  ふぅ…とりあえずこれでいいか。今日中にもとに戻してもらわないと、おチ○チンが恥ずかしくて家に帰るこ ともできないし、たくやのお見舞いにだって行けやしない。それに明日は体育……股間にこんなのがついてたら 着替えだって……ああぁ…こんなのを誰かに見られたら恥ずかしすぎて首つっちゃいそう…… 「はぁぁ……」  怒るだけ怒った反動だろうか、すっかり気が抜けてしまった私は長い溜息をつきながら手近にあった椅子へ崩 れる様に座りこんだ。  頭が痛い……この先自分がどうなるのかを考えると頭の芯からズキズキと痛み出してくる。たくやみたいに完 全に性別が入れ代わったと言うんならまだ我慢できるけど、よりによってアソコだけだなんて…… 「ええぇっと…さっきはこれがああなって、これとそれを混ぜて爆発が起きたんだから…だから……うっ…やっ ぱりしかたないか。……あの、片桐…先輩?」 「……………え? あ、なにか用?」  膝に肘をつき、組んだ両手に頭を乗せ、突如降って湧いた――というよりも生えてきたと言う方が正しいのか も…――災難にズキズキとする頭痛を我慢していると、その原因となった張本人がいつもよりは控えめに声をか けてきた。 「実はですね、薬を作る上でどうしても協力して欲しい事があるのですが……」 「強力って……もしかして私まで変な実験に……」 「違います。薬のサンプルを全て喪失してしまった以上、早急に元に戻る薬を作るには片桐先輩の身体データが 必要なんです」 「私の…データ?」 「はい。あ、なんですか、そのみるからに胡散臭い詐欺師を見つめるような視線は」 「いや……だって……ねぇ?」  千里の言葉を聞き、イヤな予感が頭の隅から少しずつ湧きあがってくる。  たくやに聞いた事がある……初めて女になった時に、佐藤先輩に全裸にされて、胸やアソコを隅々まで調べら れたって……もしかして千里も!?  当然の事ながら、千里にいきなり「脱げ!」なんて言われて脱ぐ気なんかさらさらない。でも、それが元に体に 戻るためというんなら………う〜ん…どうしよう…… 「……………変な事、しない?」 「はい、私は何もしません。ただ先輩の体液データが欲しいだけなので採取は全て先輩にお願いします」 「体液? と言う事は涎とか涙とか……ほっ、よかった。千里の事だからてっきり生えちゃったアレをじっくり 観察されたり、電気を流されたり、メスを両手に「ふっふっふ…さっそく解剖しましょう!」って言うんじゃない かと思ってた」 「……………片桐先輩が私にどのような偏見を持っているか、よ〜っくわかりました。まぁ、私としても今回の 事は興味深い実験を兼ねているわけですし――」  カチャ  幼なじみが一年前にこの部屋でされたような事をされるんじゃないとわかって胸を撫で下ろした私の耳に、何 か固く、さりとて重くはない物がぶつかる音が届いた。  それは小さめのビーカーだった。縁いっぱいまで中身を満たしたら200ccのガラスの器を机に置いた千里 は、正面から私を見つめてこう言った。 「それではこのビーカーに先輩の精液を集めてください。できれば大量に欲しいのですが、まぁ最低ラインはこ の半分ほどで」 「―――――――――――――――――――今、なんて言ったの? ちょっと油断してて聞き取れなかったんだ けど?」 「だから精液です。片桐先輩は相原先輩とSEXしているんですから見た事はありますね。男性の性器から体外 に輩出されて女性の卵子に遺伝子を―――」 「そう言う事じゃない!!」  それまで座っていた椅子が立ちあがる勢いに押されて床へと倒れ落ちる。  あわれアルミパイプの椅子がどんな行く末を辿ったかを見もせずに、一気に血が上った頭の痛みに我を忘れ、 肩を怒らせて千里に口撃をまくし立てた。 「せ、精液って、私にそんなものを出せって言うの!? なによ、そう言う辱めで言い負かされた恨みを晴らそ うってんでしょ!! それで私がいやがったら薬を作らないって脅迫して学園中に笑い者にする、そうなんでし ょう!!」 「え…いえ、そう言うつもりではないんですけど。ただ端に突然生えた先輩の男性器がちゃんと生殖器としての 機能を果たしているのかを調べてるだけです。その如何によって薬の配合も調整する必要もあるでしょうし、精 液には男性の遺伝情報が含まれていますので。その有無も重要な点ですね」 「だ、だからって………私だって急にこんな事になっちゃって頭が混乱してるのに、そんな、精液って……」 「もしかすると出し方が分からないんですか? そうですね……病院などではエロ本を渡してトイレに行っても らうのでしょうが、先輩は女性ですし……これは困りましたね。唾液などでも何とかなるかもしれませんが、今 日中となると……」  こちらが怒り、慌て、狼狽するのに対して千里は先ほどまでの確執など忘れたかのように科学者然とし、「む む…困りましたね。このままだと研究が進みません…」という感じの表情を浮かべている。  くっ………仕方がないか。私が元の身体に戻るためなんだし……たくやはいつもこんな苦労をしてるのね…… 「はぁ…わかったわ。とにかくその…精液……なんとかしてみる」  ここで拒んでもこの股間の忌まわしいモノが消えるのが遅くなるだけだ、そう自分を説得するとビーカーを手 に取り、こちらもあんまりいい思い出のない化学室の隣の部屋、科学準備室へと肩を落として足を向ける。 「隣…ちょっと借りるわね。さすがにここではできないから……」 「そうですか。では私は相原先輩のケースで得たデータを元に試薬を作りますから、片桐先輩はなるべく早く精 液の採取をお願いします」  採取………採取ね…ははは………そういう言い方もあるよね……  これは自分のためだと言い聞かせても頭と両肩にかかる重みは増す一方でちっとも軽くならない。  神様、もし本当にいらっしゃるんでしたら…………………絶対にぶん殴ってやる!!  これから自分がしなければならないことを想像するたびに心が汚れていく……ふとそんな幻想に取り憑かれな がら準備室の扉のノブを回し、とにかく一人になりたくて昼間でも薄暗い室内に足を踏み入れた。


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