第5話その1
ガチャ――
今年に入ってから数え切れないほど起こった爆発によって何度も吹っ飛ばされた扉が、油をちゃんと刺してあ
るのか大した歪みも感じさせずに開く。
扉の向こう側は通常の教室よりも倍は広いはずなのに、これまた今年に入ってから増え始めた機械群によって
そのほとんどのスペースを奪われている――今や宮野森学園の名物教室となった科学部の部室だ。
「あ、やっと来ましたね。ちょっと待ってください。今重要なところで……………うわっ!?」
教室内に足を踏み入れ、後ろ手に扉を閉めたその時、千里はこちらに顔を向ける事無く、机に上に並べ立てた
試験管の一つに薬品を少しずつ慎重に流しこんでいた。
もっとも、小さな破裂音と共に緑色の煙が噴き出したのを見ると……何かの実験は今回も失敗した様だけど…
…
「むぅ……おかしいですね。この調合方法で間違いはないはずなんですが、どうしていつも失敗してしまうんで
しょう……まぁ、簡単に完成してもらってはやりがいがないと言うもの。相原先輩もそうは思いませんか?」
顔の前にまとわりつく煙を手扇で払いながらようやく振り向いた千里の表情が私の顔を見た途端に、驚き、そ
して目尻を上げて敵意を込めた視線を投げ掛けてくる。
「たくやなら今日は風邪で休みよ。舞子ちゃんに呼びに来させるほどの重大な用件…私がちゃんと聞いてあげる
わ」
「片桐先輩……どうしてここにいらっしゃるんでしょうか?」
「あら? 私がここに来ちゃいけないのかしら?」
「い…いけないと言う事はありませんが……」
私の答えを聞いて、戸惑った表情を浮かべる千里。それも当然だろう、なにしろつい最近この部室で派手に言
い合いをしたし、なかなかたくやを男に戻さないもんだからそれからもなにかと私とは仲が悪い事この上ない。
向こうはいきなりの私の登場に驚いているけれど、こっちは最初っから覚悟は出来ている。たくやが寝こんだ
事が好都合だとは言わないけれど、今回はちょうどいい機会だ。しっかりと確認させてもらいましょうか――
「で、当然完成したんでしょ? たくやが男に戻るための薬。今日はたくやが学園を休んでるから残念だわ。本
当なら今すぐにでも元に戻してあげたいのに」
「あ……いえ、それはあの……」
あたしに問い詰められ、しどろもどろになった千里は背にした机に視線を向ける。そこにはまだうっすらと煙
を立ち上らせる試験管がある。
「………完成してないの? じゃあどうしてたくやを呼びつけたりしたのかしら? もしかして、また変な薬の
実験に突き合わせるつもりだったんじゃ……」
「へ、変な実験とはなんですか!? 今回の薬はちゃんと先輩が男に戻るためのデータを取る物で――」
「データは毎週取ってるでしょ。その度にたくやは寝言でうなされてるんだから。一体どんなデータを取ってる
んだか」
「ぐっ……そ、それはですね……」
「それは?」
「………部内秘なのでお教えする事はできません!」
あ、開き直ったわね。
少々イジワルに問い詰めていた私を強い抵抗の火の灯った瞳で睨みつけると、それまで押され気味だった自分
を払拭するかのように声を荒げて言い返してきた。
「大体あなたはなんなんですか! 先輩の幼なじみだかなんだか知りませんが、部の活動に口を挟むわ、私の実
験の邪魔をするわ! そもそも部員でもない人がこの神聖な部室に足を踏み入れないで下さい。早々に出ていき
なさい!!」
「そうはいかないわよ!!」
バンッ!!
私の右手が手近な机を叩く音に、それまで大声で自分にしか通用しないような理屈を並べ立てていた千里が白
衣を着た小さな体をさらに小さくするように身をすくませた。
「こっちだってできれば怒りたくもないし、穏便に済ませたいわよ! でも、いつになったらたくやを男に戻せ
るの!? 佐藤先輩だったらもうとっくに男に戻せてるはずなのに、たくやが甘い顔をするからっていつまでも
のんびりして!! それにたくやのアルバイト代……なにに使ってるのかちゃんと教えてくれないかしら?」
「そ…そんな事をあなたに教える義務は……」
「あるわ。だから教えなさい」
千里のいいわけを一刀のもとに切り伏せる様に根拠のない理由で言い返し、威圧するような鋭い視線を投げ掛
けながら足を進めてお互いの距離を詰めていく。
「ぐっ…うぅ……」
今日は完全にこっちのペースね。理詰めで来られると手ごわいけど、困惑している今なら……
場の空気を完全に支配した事に満足。あと一歩追い詰めれば、このかわいくない後輩に謝らせる事ができるだ
ろう。
背筋に歓喜の震えが走る。別に誰かをいじめて喜ぶような性格はしていないつもりなんだけど、いつも強気で
たくやを困らせてばかりいる千里が眉根を詰めて言い返す言葉を必死になって考えているところを見ていると、
なんとも言えない優越感に浸れてしまうから不思議だ。
――っと、いけない。思わず緩みそうな唇をキュッと引き結ぶと、手を前に出せば触れる事もできそうな距離
にまで詰めより、机に後ろ手をついて身を低くしている千里を見下ろす。
「うっ……」
「さぁ、お金をなにに使ったか、きっちり教えてもらいましょうか? 言っとくけど私はたくやのように誤魔化
されたりしないからね」
「あ、あの…私は……」
「さぁ……さぁ、さぁ、さぁ!!」
「そ………そんなものは知りません!!」
パシャ……
「きゃあっ!」
油断はしていないつもりだった。相手が男子とか奈良は為しは別だけど、自分よりも背も低くて腕力のない千
里が襲いかかってきてもいなす自信はあった。
けど飛んできたのは手の平や謎の秘密兵器でもなく、少し甘味のあるシロップのような液体だった。
眼前に飛んできた液体に反応して咄嗟に腕で顔をかばったけれど、それでも半分ほどが私の顔を濡らしてしま
う。
「いいですか!」
すこし粘つくその液体がなにか危険な薬品かもしれない。慌てて顔や目蓋を拭う私の背後から千里の、鋭いけ
れどわずかに泣きそうになっている声が飛んでくる。
「これは逃亡じゃありません。敗北でもありません。戦略的撤退です! いいですか、私は…私は負けたわけじ
ゃありませんからねぇぇぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜……………」
声が段々小さくなっていく……教室から出ていったのね。それにしても、なんて事をしてくれたのよ、ぺっ、
ぺっ……ちょっと…飲んじゃった。大丈夫かな?
味はまるで砂糖水のように甘く、舌が痺れるとかお腹が痛いと言う感じはない。けれど私一人が取り残された
化学室に備えつけられた水場に薄目を開けて歩み寄ると、ハンカチを水で濡らして顔や頭にまとわりつく液体を
拭き取っていく。
「ん〜…臭いはない、か……とりあえずこのまま着て帰るしかなさそうね」
ネクタイを緩めてブラウスの下の肌も拭うと、とんだ災難に見まわれた事に一つ溜息をついた。
ちょっと追い詰めすぎちゃったか……まぁ、あの子はあの子で一生懸命なんだろうけど、それでもやるべき事
はちゃんとやってもらわないと。まったく…たくやが先輩としての威厳をちゃんと持って接してればこんな事に
はならなかったのに……
最も今回の事をたくやが知っていれば無理矢理にでも止めたかもしれない。千里の機嫌を損ねれば、薬の作成
にも影響するだろうし……
「いざとなったら佐藤先輩にお願いしに行くしかなさそうね。もうあの子だけには任せて置けないんだから……
………?」
液体は揮発性だったのだろうか、ハンカチで拭った事もあり顔には何の感触も残っていない。流れるような長
い髪も同じ。
だけどなんだろう……この違和感。
まだ季節は夏。寒いわけでもないのに細腕を組んで体を抱き締めると近くにあった椅子へ腰を下ろす。
「ハァ……ハァ……ハァ……ハァ………」
何故、そんなに苦しいのか?
体は徐々に寒さに耐える様に震え出しているのに、吐き出す息は荒く、熱い。肺の奥から搾り出される呼気は
一息ごとにその熱さを増し、まるで体の芯が燃えあがっているような感じだった。
「くっ……んっ…!」
喉から迸りそうになる悲鳴を必死に噛み殺すと、体の熱が集まる場所をスカートの上から抑えつける――そう、
股間はまるで媚薬でも盛られたかのように火照り、ビクンと脈打つたびに下着の中で陰唇がヒクヒクと震え、涎
を垂らすみたいに愛液を滲み出していた。
でも、感じるものはそれだけじゃなかった。
股間をピッチリと覆うビキニタイプのショーツを押し上げるその感触は……
「な…なによこれ……どうして…私にこんなものが…いったい…いったいなんなのよぉぉぉ!?」
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