第１話その４

　んっ……んぐぐググゥぅぅ！！　い、息が…苦し………………あれ？　結構苦しくない……
　落下の瞬間、胸一杯に空気を吸いこんで、目と同時に口をつぐんでいたあたしは、いつもならこれだけ長く息
を止めていれば襲ってくるはずの肺の苦しさが幾分穏やかで、もう十秒以上水の中にいるのに意外と平然として
しまっている。
　唇の端から細かい泡が漏れる。手足を動かすのも重い。苦手なはずの水の中、何が変わったというわけでもな
いのに、何故かあたしは慌てる事もなく、自分の状況を認識する事が出来る。
　水に沈んでいるのは相変わらず。だけど、硬くてまっ平らな水底にちょこんと正座したあたしは、揺らめく光
が差し込む世界の中で、呑気にもこの不思議な現象に首を捻っていた。
　実はあたしは人魚で、突然その能力に目覚めた……なんて事ないし。ちょっと苦しくなってきたけど、まだま
だ平気よね。今までこんな事はなかったんだけど………う〜ん…変な物でも食べたかなぁ……千里に知らない間
に改造されてたって言うのなら…あ、そうか！　変な物！！　千里に何か盛られた！？
　息さえ続けばここまで平然としていられるのか、水の抵抗でゆっくり動く両手を打ち合わせる(音はならなか
ったけど…)。
　思い起こせばここ最近、暑い教室での授業の後に部室へ行けば、何故か千里にアイスコーヒーをよく勧められ
ていた。その本人はあいも変わらずコーヒーメーカーで作った熱いのを飲んでるのに、あたしには冷蔵庫でキン
キンに冷えているペットボトルからコップに注いでくれていた……
　怪しい…怪しすぎる…考えれば考えるほど怪しい……千里がそんなに優しいはずもない……先輩のあたしでさ
え貴重な実験動物かモルモットとしか捉えてないのに……
　いつもならば憤慨もしようというものだけど、今回は千に一つ、万に一つの大成功。千里の仕業と判明したわ
けではないけれど、泳ぐことが苦手だったあたしはこの偉大なる発明に感謝したい気分だった。
　一体どれぐらい水中にいるだろうか…一分や二分は既に経過していると思う。鼻や口の端からコポコポと空気
の泡が漏れているにもかかわらず、それでもまだまだ息は止めていられそうそうな気配だ。
　まぁ……ここで沈んでるのも、なんだか勿体無いし……よし、ここは２５メートル泳ぐのに挑戦してみよう…
っと！？
　当然の事ながら、底で正座していては泳ぐことは出来ない。とりあえず目標を決めたあたしは組んでいた手を
解いて顔を上げる。そして目に飛び込んできたものを見て、口の中に溜まっていた空気を思わず吐き出してしま
う。
　目を凝らせば向こうの端まで見えそうな透明なプールの水。普通なら目を開けようともしない世界一面に女子
生徒の下半身が並んでいるのだ。
　うわぁ…あんなに足を開いて泳いで……なんて無防備な…あんなに股間に食い込んでるのに……
　視界の左側、６コースより向こうの自由に泳いでいいエリアでは、まさに太股の林。水の揺らめきで形は歪ん
でいるけど、すらりと伸びた健康的な足や、ムチムチしていて男好きしそうな色っぽい太股、中にはあたしがじ
っと見ているのに気づかずにお尻に食いこんだ水着に指を差し込み、結構カタチの言いヒップの盛りあがりにあ
わせて位置を正している娘までいるのである。そしてその娘の手はそのまま前のほうへも……
　だ、だめ、これ以上見てたら覗きの変態じゃない！　で…でもこっちも……
　ヤりたい盛りの男子がいるわけでもなく、その上、人の目のない水中だからこそのあまりに警戒心のなさ過ぎ
る楽園…じゃなくて、目のやり場に困る光景にたまらず目を右に向けるけど…そっちはそっちで、物凄い物が見
れてしまう……
　ザブゥン！
　ちょうど、あたしの隣のコースに誰かが飛びこんでくる。白い泡に包まれ、瞬く間にあたしの数メートル先に
まで進んだのは、あたしと同じクラスの結構かわいい娘。いつもは物静かで落ちついた雰囲気なのにスポーツは
明日香並に何でもこなせ、体育祭なんかではかなりの戦力になるスポーツ系美少女。がさつではなく清楚と言う
印象を受ける彼女だけど……あたしの目は泳いでいく彼女が足をばたつかせるたびに見えてしまう股間の部分に
釘漬けになってしまう。
　プールの中に立っているだけではとても見えないアングル。女の子の股間を股の間から、しかもほとんど真後
ろから見る機会なんてほとんどない。しかもそれがクラスの女子……どんな娘か知っているだけに、腕を振るた
びにこちらに向くおっぱいの膨らみや太股の付け根まで紺色の水着が食い込んでいるアソコを見ていると……少
し変な気分になってしまう……
　ちょっと見方を変えれば、まるであたしを誘っているかのように足が開かれる……太陽の下にさらけ出してい
るのに、真っ白い太股が交互に組みかえられ、見てくださいと言わんばかりに左右に開いて水着の食いこんだ股
間やお尻を見せつける…割れ目や尻肉の谷間がくっきりと浮かび上がり、次から次に飛びこんでくる彼女たちの
全てを見てしまっているような気分に……
　もし…あたしがアソコに顔をうずめたら………
　次々と彼女立ちの健全な肉体の、最も大事な部分をまざまざと見せつけられているうちに、あたしの頭に少し
ずつ淫らな妄想が生まれ始める……ベッドに寝そべって足を開いた彼女たちに、誘われるままに覆い被さって舐
めまわして……その布地の奥に……
　ううぅ…ものすっごくイヤらしい想像しちゃった……クラスのみんな、ごめんよぉ〜〜！！　でも…このまま
ここにいたんじゃ、全然想像が止まらないし……本当なら、男のあたしが女子の水泳なんかに参加させられるの
がいけないような気がする……もういい、十分体だって冷えたし、上がっちゃおう。
　と、腰を浮かし掛ける(水中でなんと不可思議な…)けど、ここまで素晴らしい光景を堪能してしまった報いだ
ろうか、頭が水面から上がる直前に後頭部に突然強烈な刺激を食らって、あたしは再び水没する羽目になってし
まった。
　ぐうううぅぅぅ！！　あ…頭があぁぁぁ………！！
　水の中なのに、目の前には真っ赤に火花が飛び散った。まるで全体重を乗せた飛び蹴りを食らったようなダメ
ージと、そのショックで肺の中の空気を一気に吐き出してしまったことで、あたしに意識は急速に遠のいていき
そうになる……
　けれど、完全に気絶する事は出来なかった。頭の激痛にいっそ失神でもしたほうがマシだったんじゃないかと
思うけど、水が口に入って喉を通ろうとするよりも早く、あたしの体はプールから引き上げられて熱くて固いコ
ンクリートの上へと横たわらされてしまった。
「ほ…ほえほえほえほえほえ〜〜〜〜……」
「たくや、しっかりして、たくやぁ！！」
「片桐さん、落ちついて。たぶん気を失っているだけだろうから。今、保健委員の娘に救急車も呼んでもらって
いるし」
「でも…でも…全然水面から浮かんでこないし…呼んでも返事ないし…だから…だから私……」
「ここは松永先生に任せましょ？　相原君って運が強いから、きっと大丈夫よ、ね？」
　この声は…明日香？　そういえば、さっきの衝撃って子供の頃に食らった明日香の蹴りに似てるような……
　まだ意識がはっきりとはせず、横たわったまま動けないあたしの耳にはすぐ近くで泣き出しそうな明日香の声
や、口々にあたしの様子を心配する女の子の声の数々……
　もしかして…溺れてると勘違いされたのかな？　そりゃ結構沈んだままだったけど……
「う〜ん……」
「あの…どうですか？　たくやは大丈夫なんですか？」
「ちょっと水を飲んでるみたいね……人工呼吸をしましょう」
　人口…呼吸？　それっていわゆるマウストゥーマウス……ええええっ！？
　顎をクッと持ち上げられ、口を開いて気道確保、相手の胸が上下しているかどうか確認しながら――
「ちょ…ちょ――！」
　着れそうになる意識を総動員しながら、あたしはほんのわずかな、小さい声を上げる……
　しかし、時、既に遅く、あたしの目の前には妖しく微笑む松永先生の唇が――


「んんっ！　んんんんんんんんんんんんんんっっっ！！」




　ミ〜〜〜〜〜〜ンミンミンミンミンミンミンミンミンミン、ジジジジジジジジジジジ………
　あ…暑い……汗が止まらない……照り返しで目も開けられない……
「なぁなぁ、何で女子の授業からこっちに戻ってきたんだ？　あっちはさぞかし天国だったろうによ」
　額の上から滝のように流れる汗を拭いもせず、サッカーの試合中にグラウンドで立ち尽くしていたあたしに、
ぴったり体に貼りついた体操服を舐めるように見つめている男子たちの一人が声をかけてきた。
「天国……あんな天国…もうこりごり……」
　結局あたしには、明日香や美由紀さん、その他の女子が見守る中で松永先生に舌まで入れられた恥ずかしすぎ
る記憶と、一度も袖を通す事のなかった水着だけが残ったのであった……