ルート4−2
………可愛い後輩の家にお呼ばれしたと言うのに、まるで針のムシロに坐らされている気分だ。綾乃ちゃんらしいかわいい部屋の床に座り込んだあたしは、出来る事なら卒倒してしまいたい気分になっていた。
「ほら、これ見てよ。お姉ちゃんと相原さん、物凄くお似合いのカップルみたい。どこからどう見ても恋人よね〜」
と、観覧車を背景にあたしと綾乃ちゃんがツーショットで写ってる写真を涼乃ちゃんが見せれば、
「本当ね。たくやってば自分が何度も女の子になってるから、エスコートもばっちりなのよね」
笑みを崩さないまま明日香も切り返す。
「この時着ていた服って相原さんがお姉ちゃんにプレゼントしたんだそうですよ。もうラブラブですよね〜♪」
「それなら私も知ってるわよ。服を選んでくれたお礼にって買ってあげたんだって。そういえばたくやに貰った下着は何組ぐらいあったかしら」
「服と下着じゃ全然意味合いが違うと思いますけど。もしかしてただそう言う関係だけを求めてるのかもしれませんし」
「服だってプレゼントしてもらってるわよ。たくやとは長く付き合ってるんだから当然よね、当然。踏み込めない誰かさんとは大違いよ」
「あはははは、プラトニックな愛情だってあるんですよ。世間一般から見てどっちの方が純愛なんでしょうね」
「どっちも愛情には違いないんじゃない? 片方しか認めないなんておかしいわよ。私ならどちらでも構わないし」
「……………」
「……………」
「あははははははははは♪」
「うふふふふふふふふふ♪」
―――ひえぇぇぇ……この二人、恐すぎる。急に押し黙ったかと思ったら急に笑い出して。顔は笑顔なのに目が全然笑ってないぃぃぃ〜〜〜!!!
片や学園のアイドルとして、あたしの恋人でいるのが勿体無いぐらいの美貌を備えた明日香と、姉の綾乃ちゃんのためならデートにだって首を突っ込んでくるぐらいに思い込んだら一直線で直情派の涼乃ちゃん。
「あはははは、なんかムカつきますねぇ。年上だからって人を馬鹿にするのもいい加減にしてもらえませんか?」
「あらそう? 私はそんなつもりはサラサラ無いわよ。普段から胸が大きいから頭が悪いって言われてるから被害妄想の気があるんじゃないかしら」
二人とも決して笑顔を絶やさない。けれど交わる視線は火花を上げんばかりに強烈で、明日香の隣に座らされたあたしは、言葉を向けられていないのに二人からビシバシとプレッシャーをかけられ、正座したまま半ば金縛りにあったかのように身動きが取れないでいた。
それでも、徐々に過激さを帯びていく会話に耳を傾けていると、二人の話し方の違いにはイヤでも気付く。
あたしと綾乃ちゃんの仲の良さをアピールして、あたしと明日香の関係を貶めようとしている涼乃ちゃんに対し、明日香はあたしとの関係が誰にもゆるがせない確かなものである事を主張。………普段の明日香なら、あたしの浮気が発覚した時点で強烈なビンタにを五・六発食らっていそうなものだけれど、涼乃ちゃんと言う「敵」が目の前にいる為に、その怒りは発散される事なくエスカレートする一方……お願いしてもあたしを帰してくれそうに無い。
「あの〜……あたし、おトイレに……」
何とか声を振り絞った途端、明日香と涼乃ちゃんの視線があたしへと向けられる。……やば、マジで二・三滴チビったかもしれない。
「………勝手に行ってくればいいじゃない」
「………トイレは部屋を出て左の突き当りです」
「わ、わかりました。んじゃ失礼して〜……」
足は爪先まで痺れているけれど、再び笑顔で睨みあった二人の傍にはもう一分一秒だっていられない。床を這い、扉にすがり付いて廊下へと逃げ出すと、あたしの後を追って着物姿の綾乃ちゃんまで部屋から出てきてしまう。
「先輩、申し訳ありません。涼乃ちゃんは普段はあんな風になることは無いんですけど……」
いや……んな事はどうでもいいから、足、緊張から介抱されて足の痺れがいきなりマキシマムに…あ、あぅあぅああぁぁぁ……!!!
「でも信じてください。私の知ってる涼乃ちゃんはあんなんじゃないんです。私の事になるとちょっと暴走して周りが見えなくなることはあるだけで、決して片桐先輩に罵詈雑言を並べ立てるような子じゃないんです!」
う〜む…普段の綾乃ちゃんからは聞かれない言葉も混じってる。少し混乱気味か。
足の痺れは着物の裾に手を差し入れてふくらはぎを直に揉み解して解決。とてもお見せできない表情になっちゃうぐらい強烈な痛みでトイレがますます近くなるものの、廊下に這いつくばったままじゃ全然格好が付かないし。
「………と、とりあえず…このままじゃ血を見ることになるかもね……何とかしてあの二人を引き離さないと」
「血……そんなまさか……」
「明日香はねぇ、普段は誰からも慕われてるアイドル気質ではあるんだけど、前のガッコじゃ裏で色々とあったのよ。空手部の主将に実力で肉体関係迫られたり、人気をねたんだ女子たちに嫌がらせされたり……そんな連中をどうしたと思う?」
「どうって……せ、先輩、あまり脅かさないでください。あの片桐先輩がそんな事をするはずが……」
「そうしないって……言い切れる?」
そういえば綾乃ちゃんは女子校の出身だったっけ。なら女のアレが以下に恐いか知っているはずだ。
その証拠に綾乃ちゃんは固まった笑みのままで無言。あたしに怒鳴っている明日香の姿を想像すれば、どんな暴力的な想像でさえ否定しきれないのが明日香の恐いところだ。
「マズい事になる前にあの二人を引き離さないと。あたしが引っ張った程度じゃ明日香は動かないだろうし……涼乃ちゃんのほうは?」
あたしの問い掛けの綾乃ちゃんは首を横に振る。うわこりゃダメかもしんない……諦めかけたその時、ふとある事を思いついた。
「そういえばさぁ……綾乃ちゃんって羽子板持ってる?」
部屋にこもって遊園地の写真なんか見てるから雰囲気が悪くなるんだ。ここは一つ、お正月らしい遊びでストレスを発散して互いの友情を深め合い、今度の件はうやむやにしてしまうのが一番だ。………例えうやむやに出来なくても、体を動かせば明日香だって嫌な事を忘れるかもしれないし。
それに話のネタにはちょうど良いように、あたしは羽根突きをやった事が無い。―――凶悪な子供だった義姉と幼馴染に手招きされてるのに、やるはずがない。正月から地獄を見るのは真っ平御免だ。
そんなわけで口実は簡単に作れた。後は偶然を装って綾乃ちゃんの部屋に置いてあった羽子板をわざとらしく発見し、四人でやってみようと綾乃ちゃんと口裏を合わせておき、門の外にまで引っ張り出すのには成功したのであった。
「ごめんね。急に羽子板やってみたいなんて言い出しちゃって」
綾乃ちゃんと急いで立てた作戦通り、あたしは明日香とペアになった。涼乃ちゃんは綾乃ちゃんと組んで一番無難なペアを二つ作ると、黒塗りのちょっと高級そうな羽子板を手に明日香へ笑ってみせる。
「たまには童心に帰るのもいいんじゃない? たくやはこういうのやった事無いし」
「そうだね。ま、せっかく女の子になってるんだし、女の子の遊びを経験するのも乙なものよね」
「それはいいとして……たくやにできるの?」
「この玉を打ち合うだけでしょ? 簡単簡単♪」
根拠は無いけど自信はある。あたしは羽根の付いた玉――無患子(むくろじ)と言うそうな――を羽子板に乗せてこつこつと下から叩いてみせて、四回目で明後日の方向へと吹っ飛ばしてしまった。
「………い、意外に難しいんだね、これ」
「たくやが下手くそなだけよ。ほら、貸してみて」
あ、それはマズい。向こうが綾乃ちゃんと涼乃ちゃんのどっちが出てくるか分からないんだから、あたしが羽子板を持ってる方が安全……って、もう取られたぁ!
「こんなのはバトミントンと要領は同じなんだから難しく無いでしょ?」
「あたしはどっちも苦手なんだけど……そ、それより羽子板を……」
「少しお手本を見せてあげるから。いきなりたくやにやらせたら、せっかくの振袖が転んでどれだけ汚れるか分からないもの」
もし今こけたら、あとで義母さんや夏美にどれだけ小言を言われるか……そんな事を考えて動きを止めた好きに、明日香が羽子板片手に前へ進み出て………マズい、向こうは涼乃ちゃんだ!
「さっきの見たでしょ。玉がどこ飛んでいくかわかんないんだから私の方が―――」
……最悪だ。こうなる事だけは避けたかった。
最初にするのが敵と認めた相手だと知った瞬間、明日香と涼乃ちゃんはいきなり無言。写真を見ていたときよりも鋭さを増した暗い笑みを浮かべ、あたしの声も届かないほど集中して羽子板を握り締める。
「―――そうだ。羽根突きって相手を倒すんじゃなくて続けるのが目的なんだから」
突然明日香があたしへ向けて解説をし始めたかと思うと、ビシッと硬い音が涼乃ちゃんの足元から響く。
「こんな風に相手の足元を狙っちゃダメよ。“素人”だとなかなかうまく取れないから」
………いや、今、思いっきり狙って打ったでしょ。てか、いつ打った!? 羽子板振るのが全然見えなかったんだけど!?
わざわざ“素人”と言う言葉を強調したのは涼乃ちゃんを小馬鹿にするためだろう。実力行使で相手をねじ伏せてもいい勝負だけに、明日香もかなり本気―――
「んキャア!」
不意に明日香が首をひねったかと思うと、あたしの眉間に猛スピードで飛んできた硬いものが直撃する。軽かったから大怪我はしなかったものの、涙が出るぐらいジンジンし始めた眉の間を押さえながら地面へ目をやると……羽根突きの無患子が落っこちていた。
「相原さ〜ん、ごめんね〜。まさかそっちの人が避けちゃうとは思わなかったから〜」
打ったのは涼乃ちゃんで、狙われたのは明日香だったということか。………うわ、マズい。明日香も完全に戦闘モードに入ってきた!
「………たくやはあまり人の顔は狙わない方がいいわよ。怪我、しやすいから」
「明日香、落ち着いて。年下の女の子相手に本気を出すのは……」
「本気? 冗談でしょ。あんなの、私が本気を出すまでも無いわよ」
無患子を拾い上げた明日香は、まるでテニスプレイヤーさながらのフォームで羽子板を構える。そして、頭上高く無患子を放り投げると、
―――ギィン!
全力で羽子板で打ち放った。
狙ったのは涼乃ちゃんの顔のど真ん中。手加減無しの一撃で目で追いかけるのも難しい速度ではあったけれど、
「はンッ! 私の実力を甘く見ないことね!」
―――ガギン!
涼乃ちゃんも上半身を左前へ傾けながら両手でグリップした羽子板を振り抜き、明日香の強烈な一撃を見事に打ち返していた。
「ごめんなさいね。半分の実力で相手してあげようかと思ったんだけど!」
―――バコン!
「い〜え結構よ。負けた時のいい訳にされるから!」
―――ズガッ!
「年下いじめて泣かしちゃったらかわいそうだもの。このお姉ちゃん子!」
―――バキャ!
「だったらあんたは恋人束縛してるサディズムじゃない!」
―――ベキャ!
「愛と束縛一緒にするなんてお子ちゃまね!」
―――グワシャ!
「そーやってなんでも自分の思うとおりにしたがるのが気に食わないのよ!」
―――ドガン!
ただのお正月の遊戯のはずなのに、真っ向からの真剣勝負で玉を打ち合う明日香と涼乃ちゃん。傍にいるといつまた無患子を打ち込まれるか分かったものじゃないので、至近距離で対峙して羽根突きラリーを傍観する事に……
「………綾乃ちゃん、墨はどっかに隠してよっか」
「そ…そうですね……片桐先輩が勝っても、涼乃ちゃんが勝っても、墨だけはよした方がよさそうですね……」
もうあたしと綾乃ちゃんの姿は二人の眼中に入っていない。もしあたしが視界に入ってしまえば、時速二百キロ越えてそうな無患子をどこにぶつけられるか分かったものじゃない。
―――子供の頃、明日香と羽根突きしてなくて正解だった……
もしこんなのやらされてたら、正月早々大怪我させられていたところだ。でもまあ……
「この二人……結構似たもの同志なのかもね」
とりあえずあれだ。この勝負はかなり長引きそうだし、外にいると体も冷えてくるので中に入ろう。んでもってお茶の一杯でもいただいてれば、適当に勝負が付いて明日香も涼乃ちゃんも中に入ってくるだろう。
「寒いから家の中に入ってるよ〜」
「「分かったから黙っててッ!」」
………これ以上二人のバトルを邪魔しちゃ悪い。
少し呆れながらも着物の袖に手首を引っ込めて肩をすくめたあたしは、綾乃ちゃんの「お雑煮でも用意しましょうか?」の言葉に嬉しい不意打ちをくらいながら、とても羽根突きとは思えない硬い打撃音が打ち鳴らされる門前の二人へ背を向けることにした。
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