リレー小説01


「宮村先生、もう三日も休んでるの?」  放課後、なにが出来ると言うわけでもないんだけれど千里の研究に付き合って化学室に残っていたあたしは会 話の中に何気なく去年の担任の名前が出てきたので、特に気になると言うわけでもないんだけど自然と聞き返し てしまう。 「はい。何でも夏風邪をこじらせたそうで、布団から起き上がる事も出来ないらしいですよ。おかげで現国の授 業は自習。私の研究もはかどると言うものです」 「千里は国語苦手だったもんね」 「数式は万国共通なのです。将来MITに留学するかNASAにスカウトされる私にしてみれば、わざわざ日本 語を学ぶよりも英語の方が幾分か重要ですね」 「そこまで言う? でも…あの先生には色々とお世話になったし……ちょっと心配だな。そういえば先生って独 身だったよね?」 「そうだったと記憶しています」 「ふ〜ん…宮村先生ぐらいの歳だったら結婚しててもおかしくないのにね……」  あたしの中では宮村先生はこの学園の教師としてはまともな方だと言う認識がある。なにしろ可愛い女の子と 見ればすぐに手を出す体育教師や、気配を消して背後に回る担任、そして保健室で堂々と乱交を楽しんでいる保 健教師ばかりがあたしの周りにいるから……それと比べれば誰だってまともなような気がする…… 「独身男が一人寂しく寝てるのか…そんなんじゃ病気だって治らないよね。そうだ、ねぇ千里、今から二人で先 生のお見舞いにいかない?」 「お見舞いですか? 私は遠慮しておきます。人類の至宝というべき頭脳を持つ私が風邪でも引いたらどうする んですか。それに今研究しているのは先輩が男に戻るための薬なんですよ。もしそれがダメになっても…本当に いいんですね?」 「……………分かった。あたし一人で行ってくる…じゃあ先に帰るけど戸締りだけはちゃんとしておいてね」 「おまかせください。そうだ、少し待ってもらえますか?」  カバンを持って化学室から出ようとしたあたしを引きとめると、千里は薬棚の引出しから小さな包み紙を取り 出した。 「なにそれ?」 「私が調合した風邪薬です。効き目は保証しますから持っていってあげてください」 「もう、素直じゃないんだから。なんだかんだ言っても千里だって先生の事が心配だったのね」 「なにを勘違いしているんですか。風邪というのは未だに治療方法が見つかっていない病気の一つなんです。こ れはどのような風邪に対しても効き目のある、正真正銘、本物の風邪薬なのです」 「そ…そうなんだ……」 「ふっふっふ……ちょうどいい実験が出来ます……この薬が完成すればノーベル賞だって夢ではありません!  そう言うわけですので、これを先生に飲ませて反応を詳細に記録してきてください」 「ち、千里…あんたは仮にも自分の担任に……」 「最初は相原先輩か工藤先輩に飲ませる予定だったんですけどね」 「…………まぁ…預かっとくね……」  宮村先生すみません……実験動物にされるのはもうこりごりなんです……  今まで一応死人は出していないからその辺は大丈夫だろうと思いながら薬を受け取ったあたしは、良心の呵責 に耐えながら先生の家に向かう事にした…… 「………あれ?・・これはさっき先輩に渡したはずの風邪薬では……あ、上の段のやつと取り違えたんですね…( 汗)まあ、元気になることには変わりありませんから良しとしましょう。さて、研究の続きに取り掛からないと…」 「まったくもう…人が心配してきてみれば、まさかこんなところで寝てるなんて……」 「相原…すまないなぁ……」 「そう思うぐらいだったらきちんと掃除してください! 何なんですかこの部屋は。足の踏み場も無いじゃない ですか!!」  学園前からバスに乗り、あたしの家の近くのバス停を通りすぎて三十分、そこからお粥の材料が入ったスーパ ーの袋を片手に住所を見ながら宮村先生の家にたどり着けたまではよかったんだけど……  あたしの目の前には布団をかぶって寝こんでいる宮村先生がいる。この家の住人を前にして言っちゃなんだけ ど、はっきり言って汚い、とてつもなく汚い! チャイムを押しても出てこないから勝手に上がろうとしたあた しの前に折り重なるゴミ、ゴミ、ゴミ! コンビニ弁当の残骸や脱ぎ散らかした衣服から放たれた異臭が締めき られてじめじめ暑い部屋の中に充満していて、その空気を一息吸うだけでも端が捻じ曲がり、喉の奥から酸っぱ い物が込み上げてくる。もはやここは人に住めるような環境じゃない。先生が元気だったら一刻も早く逃げ出し たいぐらいのものすごい惨状だった……  とはいえ、見舞いに来たと言う名目上、元々細身だった宮村先生がさらに痩せ細っているのを見て速攻で脱出 するわけにもいかず、あたしは渋々ながらつま先立ちで部屋の中を移動し、窓を開けて空気を少しでも入れ替え る事で踏みとどまる事が出来ていた。 「こんなゴミだらけの所で寝てたら誰だって体だって壊しますよ。はぁ…うちの学園で先生だけはまともだと思 ってたのに……」 「い、いや…どうしても仕事で遅く帰って来たりする事が多くて…それにこれはこれで落ちつくから……はうっ ……」  何とか体を起こそうとするけれど、30度に達する前に力尽きて崩れ落ちる。  はぁ…やっぱり来るんじゃなかったかな……  そんなへろへろの先生の様子を見て自然としかめてしまう顔に片手を当てて隠しながら、あたしは立ちあがっ て玄関へと向かい始めた。 「なんだ…相原、もう帰るのか?」 「違います。今から掃除するんです。お粥も作ってあげますから先生はそこで寝ててください」  もう…なんであたしはこんなお人よしなんだろうなぁ……はぁぁ……  これも性分と諦めるしかないのか……まだ夕食に時間もある。まずは居間を掃除してご飯を食べられる場所を 確保しよう。もはやそうする事に諦めを抱きながら体は動き出す。けれどその前に先生の弱りきった声が背中に 触れてきた。 「あ〜…そういえば米を切らしてたなぁ……悪いが買ってきてくれないか? それと風邪薬も」  ………その言葉にあたしの動きが止まる。  そしてポケットからそっと財布を取り出すと中身を見る…卵やニラを買った時にも見たけれど、一ヶ月すごす にはかなり心許ない金額しか入っていない。これで…さらに買い物を……ううう…泣きそう…… 「ここに来たのが運の尽きだったのかなぁ……」  あたしは小さく肩を落とすと、バス停前にあったスーパーに向かうべく、玄関へと続くゴミの道を爪先立ちで 歩き始めた。


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