第九章「湯煙」15


「ふぁ……ふぁくちゅん!」
 ――自分でも「どうだかな〜」と思うくしゃみ一つで目を覚ましたあたしは、何故か温泉に浸かっていた。
 灯籠には火が灯され、橙色の暖かな灯かりに照らされているのは昨日も入った……確か「癒しの湯」だったか、と見覚えのある今いる場所を記憶から呼び出してみる。
「あれ……?」
 確かあたし、溺れ死んだはずでは……?
 生きているならそれに越した事は無いんだけれど、気を失う直前までの記憶が次第に鮮明になるにつれ、どうにも自分の状況の変わりようを疑問に思ってしまう。
 ――共通してるのは、裸で温泉に入ってるってことだけよね。
 美由紀さんに突き落とされた温泉は、真冬の湖で沐浴するのと大差ない状態だった。それと比べれば、たとえここが天国だとしても温かいだけマシと言うものかもしれない。
 けれど変わったのは入っている温泉がちゃんと暖かいということだけではない。魔力剣の応用で魔力の放出を実践し、その反動で毛細血管が破裂して血まみれになっていた両脚には包帯が巻かれている。その下で感じる疼きには覚えがあり、昨日、侵入者と間違われて大怪我をさせられたあたしの体を癒した療符が張られていることにはすぐに気付いた。
「……美由紀さんが助けてくれたんだ」
 あれだけ凍えていた体も今では芯まで温まっている。療符と温泉の二重の効果でなら、足の怪我もすぐに治るだろう。……と同時に、どうしてあたしを助けてくれたのかも気になるところだけれど……
「押し倒そうとしたのはマズかったよねぇ……」
 ああ……あれじゃ、あたしを襲った連中と同じじゃないかぁ……
 美由紀さんの戦意をそぐためとは言え、娼婦で身につけてしまった“手段”を使ってしまった事を考えると、恥ずかしさやら申し訳なさで、穴があったら入りたい気分になる……そういえば、この温泉の底には落っこちるほど深い穴が開いてたっけ。美由紀さんへの詫びの気持ちも込めて、懺悔代わりに落ちてこよう……
 気を失っている間に、千切れてしまいそうなほどだった足の痛みも随分和らいでいる。
「立ち上がれないほどじゃないか」
 もたれかからされていた温泉の淵に手を突き、まだわずかに痛む足に力をこねて立ち上がろうとする。……が、思わぬ感覚にあたしはその動きを止めざるを得なかった。
 ―――首筋に刃が触れる。
 氷にも似た金属の冷たさが敏感な場所からあたしの神経を震わせ、温泉で火照った体を一瞬で硬直させる。
「動かないで。それ以上動いたら逃走行為と見なすわよ」
 首筋に剣を押し当てられてたら動けませんよぉ〜…と軽口を叩いてみたい気にもなるが、すかさず惨殺されそうなのでやめとこう。
「えと……美由紀さんだよね? できれば話し合いで解決させてくれたら、非常にありがたいな〜と思うのですけれども……」
「そんなこと、言える立場だと思ってるの?」
 美由紀さんの少しだけ怒気を含んだ言葉に、あたしは負い目もあり、ただただ背筋を震わせる。
「すっかりだまされたわ。私を動揺させる為にあんな演技までするなんて。何が私になら殺されてもいいよ、この嘘つき」
「あう………」
 むしろ淡々と責める言葉があたしの心に罪悪感が深く突き立てる。
 ――助かる為に美由紀さんをだまそうとしたのは事実だし、反論できないし……
 美由紀さんがあたしの事を殺すと言っても、胸の内で動揺を押さえ込めていないのはすぐに分かった。
 あたしを確実に切り刻めるはずの初撃を途中でやめてしまったこと。契約モンスターの存在を忘れて放った氷の魔法による無作為の攻撃。そして顔や心臓を狙わずに手足へ攻撃を集中させたなどなど……確かに重傷を負ったかもしれない攻撃もあったけれど、美由紀さんほどの実力を持っているなら、あたし相手にあれだけ時間をかける戦闘そのものがおかしいのだ。
 ――で、それを逆手にとって芝居に打って出て……とほほ、これなら一思いに斬られてた方がマシだったよぉ……
「いい残す言葉があるなら聞いてあげる。十秒の間に言いなさい」
「えと、えと、えと、せめて三十秒にしてくれないかなぁ!?」
「却下。はい、終わり」
「最後のお願いなのに殺生なぁぁぁあああ!!!」
 これで人生の終わりだけど納得いかねぇぇぇ!……と恨み言を叫びながら斬り殺されようかと決意を固めたその時、背後から、
「……ぷっ」
 と、美由紀さんが小さく噴き出した。
「………美由紀…さん?」
「ウッ…ご、ごめ……ちょっ…待っ……ぷぷっ……あ〜、もうダメ、あは、あははははは♪」
 何が一体どうなっているのでしょう……もしかして美由紀さんてば、笑いながら人を斬り殺す物凄く恐くて嫌な性癖の持ち主とか……?
「そんなわけ無いでしょ。ったく……人をだますわ、勝手に変な想像するわ、本当に最低ね、たくや君は」
「あ……声出てた?」
「そりゃもうばっちり」
 そう言い、美由紀さんはあたしの首筋から刀を引いてすぐ、剣を鞘に収める音が背後から聞こえてきた。
「あ…あたしをだましたなぁぁぁあああ!?」
「自業自得よ。先にだましたのはそっちなんだから」
「だからって、うわ、人に剣まで突きつけて……立派な脅迫で犯罪だぁぁぁ!!!」
「それもそっちが先よ。この性犯罪者」
「あぐぅ!」
 そうでした、美由紀さんを篭絡しようとしたのはあたしの方でした……
 つまりあたしがした事をそのままやり返されたわけだ……そしてすっかりだまされたショックに温泉に浸かったままうな垂れていると、チャポンと、あたしのすぐ横で水の響く音がした。
「隣り、ゴメンね」
「へ……………ええええぇぇええぇえええええええええっ!!?」
 美由紀さんが温泉に入ってきた。……まあ、それはいい。
 が、全裸にバスタオル一枚となれば話は別だ。例え左手に鞘に納まった剣を下げてはいても、そのしっとりと濡れた肌と鎧の上からでは想像も出来なかったメリハリのある抜群のプロポーションにあたしの目は釘付けになり………「女の子と並んで入浴♪」と言うあまりにショッキングすぎるシチュエーションの突然に到来に耐えらなくて、奇声を上げながら飛びのいてしまい、
「っ―――!」
 一瞬遅れてやってきた足の痛みに、立ち上がってすぐにお湯を跳ね上げて尻餅をついてしまう。
「無茶しちゃダメよ。怪我は治りかけが一番危ないんだから」
「え、な、で、でも、美由紀さ……ん?」
 恥ずかしくないの!?――と問いかけようとして、あたしはさらにショッキングな……それを見ただけで心臓を鷲掴みにされたようなショックに言葉を失ってしまう。
 顔を火照らせているあたしと同じように、美由紀さんも顔をほんのり赤く染めていた。……そしてその事実は、美由紀さんが仮面で顔を隠していないと言う事でもある。
「あ、あんまり見ないでよ。そんなにジロジロ見られたら……その……素顔を見せるのは慣れて無いから……」
「そんなこと言われたって……やっぱり見ちゃうでしょう、普通」
「……やっぱり変かな、私の顔って……」
 そう言われるとぶしつけな視線で見ていた自分に非が思いっきりある事を自覚させられるけど、
「ははは……また冗談ばっかり。美由紀さんの顔が変だって言うなら、あたしを含めて世界中の女性の顔が潰れ肉饅になっちゃうよ」
「分かりにくい例えね……それ、褒めてる?」
「自分で言っててよくわかんないけど……ま、それだけ美由紀さんが美人ってこと。思わず見惚れちゃうほどのね♪」
「見惚れるって……そんな……」
 むむっ、もしや褒められ慣れてないの? 確かに、年がら年中あんな仮面着けて顔を隠してるわけだし、もしかして物凄く恥ずかしがり屋さんだったりするのかな?
「たくや君…そう言うことは心の中で考えるだけにしてくれないかな……」
 ありゃ? 声が出てました?
「声が出てなくても表情に全部分かるから。……で、今は何か変な事考えて無い? 視線が下の方に向いてるんだけど……」
 全裸のあたしと違って美由紀さんはタオルで体を隠しているけれど……むむ…これはまた……
「たくや君……その、たくや君が男の子だって言うのは分かってるし、それをわかって私もこんな格好してるんだけど……もうちょっと、その、遠慮してくれると嬉しいんだけど……」
 そう言うと、美由紀さんはお湯の中へ体を沈め、あたしの視線から隠すように右腕で胸の膨らみを隠してしまう。……が、あたしの負けず劣らず、いや、あたしよりも一回り大きな膨らみの大質量はその程度で隠しきれはしない。むしろ形が歪んでしまった水面上の上乳はやわらかさとボリュームを誇示するようでもある。
「………負けた……女になってから、これだけが他の人に威張れる事だったのに……」
「だから何を見てそう言う事を言ってるのよ……」
「それは……言わぬが花?」
「ああそう。その言葉と表情でよ〜く理解できました。………たくや君のスケベ」
「それは心外だァ!」
 美由紀さんが顔を赤らめているのは、決して温泉で体が火照ったからだけでは無いだろう。あたしへ向けていた視線を逸らし、ついには左手でまで胸を覆って肩まで湯船へと沈んでいく。
「そりゃまあジロジロ見るのはいけない事かもしれないけど、分かってるけど、やっぱり見ちゃうじゃないかぁ! それが男心じゃないかぁ!」
「……男の人って、そう言うものなの?」
「当たり前じゃない! 目の前に綺麗な女の人がタオル一枚で裸体を隠して温泉に入ってきたんだよ? 見なかったら興味が無いってことで逆に失礼じゃない!」
「……それも褒め言葉なの?」
 ん〜…どうだろう? 美由紀さんを凝視してた自分を正当化するのに必死で、なに言ったのかもあまり覚えてなかったり。
 しかし実際に、美由紀さんのタオル一枚と言う姿はそれほどに破壊力があるのも、また事実だ。今にもタオルから零れ落ちそうなほどの巨乳はタオルで先端を隠しているだけであまりにも扇情的であり、濡れたタオルはヘソの窪みの位置が分かるほど肌に吸い付いてしまっている。まぶたのうらに焼きついたタオル越しのボディーラインはそれ既に全裸も同然で、とても剣を振るう騎士とは思えない美しさをかもし出している。また、意識の無いあたしを温泉に入れる為に自ら何度もお湯に入ったのだろう、湿り気を帯びた髪は風に舞うようになびいていた戦闘の時とは違い、うなじや背中に張り付いてなんとも悩ましく、けれど普段は隠した顔を見つめられる視線に対する初々しい反応が、思わず心の中でグッと拳を握ってしまうほどに可愛らしく見えて仕方が無い。
 ――こんなに綺麗なのに、何で護衛なんかやってるんだろう? 腕が立つのは実体験済みだけど、だからってあの人につき従って西部のアイハランから南部にまで来る様な仕事をしなくても……
 綺麗な女性の仕事、と言うのですぐに連想するのは、これまたあたしも何度も経験した娼館でのお仕事だ。……が、美由紀さんにそれはあまりに似合わない。艶、と言うには輝きが強すぎる美貌は舞台女優と言う方がぴったりくる。
 とは言え、これ以上美由紀さんを恥ずかしがらせるのも申し訳ない。咳払いを一つして目線を星空へ向けたあたしは、自分が素っ裸で膝を開いて尻餅をついたままだったことにいまさらながら恥らいつつ、美由紀さんの隣りへ腰を下ろした。
 ………気まずい。
 一度会話が途切れてしまうと、次の話し出すきっかけがなかなか掴めない。あたしが美由紀さんを恥ずかしがらせたのも理由の一つではあるけれど、美由紀さんがあたしを殺そうとしたのは紛れも無い事実であり、自覚があろうがなかろうが、あたしが魔王と言うのもまた事実なのだ。
 ――美由紀さんは剣を持ってきてるけど、あたしを斬ろうと思えばいつでも斬れたわけだし……
「「……あの」」
 何とか話そうと口を開くと、それに美由紀さんの声が重なった。
 お互いに「え?」と顔を向け合う。そして、すぐに二人して言葉を失い、どちらからともなく顔を背けてしまう。
 ――と、とりあえず誤解をとかなくちゃいけないよね。あたしは魔王と言っても人畜無害なわけなんだし。どちらかって言うと、魔王になって女になってからは、数え切れないぐらいひどい目に……くう! 何であたしばっかりこんな目に……
 深い森でエロ本魔王と共に目を覚ましてからこれまでの事を思い返すと、泣けてくる。何はともあれ泣けてくる。
「ううう……なんかもう人生のお先すら真っ黒だよぉ……」
「………たくや君?」
 せっかくすぐ隣りに仮面とった美由紀さんと言う美人がいるのに何も出来ないなんて……
「ああ……(男として)終わった……なにもかも……」
「終わりって……わ、私はもう、たくや君をどうこうしようなんて思っては……」
 女になったのは、それすなわち、男として去勢されたのと同じ事。いくらあたしが村では評判の情け無い男ナンバーワンだからって、女性への興味だって人並みにあるのに……しかも、スタイル抜群の美女がここには二人もいるというのに、一人には殺されかかって、もう一人は自分自身……
「何でこんな事になったのよ……」
「いまさら謝っても遅いかもしれないけど……私、耐えられなかったの。たくや君が…これから魔王だからって迫害を受けるのが……」
 何十人もの男の人に体を弄ばれて、こんな体だから女の子の恋人なんか一生出来ない……きっとそうだ。静香さんだって顔が同じだからあたしに興味を持ってるだけなんだ。ジャスミンさんだってあたしを弄んだだけなんだ。
「信じられない……もうこの世の全てが信じられない……」
「そんなこと言わないで……フジエーダでたくや君が街の人にされたことも知ってる。だけど、私は…たくや君には変わって欲しくないの! そんなたくや君、見たくなかったの!」
「誰も彼もがあたしにひどい事をして……ううう……もう…もうあたし…このままなのかなぁ……」
「ダメ! お願いだから諦めないで、たくや君!」
 ――そしてそれは唐突に……あたしの背中へ「むにゅ♪」と押し付けられた。
「え? ほえ? み、美由紀さん!? なに、なにぃ〜〜〜!?」
 暗い事ばかり考えてしまっていたあたしは、背中を向けていた美由紀さんに抱きつかれて我に帰ると、押し付けられている柔らかい感触に息を飲む。
「………私じゃ……ダメかな?」
「な、何をおっしゃられているのか……あたしにはよく分かりませんが……」
「私は……」
 そういえば後ろで美由紀さんが何か喋っていたような……それを思い出そうとしても内容までは蘇らず、何か重大な事を言われたんじゃないかと、美由紀さんが言葉を詰まらせている間にあたふたと考えて、考えて、そして、
「私は……たくや君が好き。忘れ…られないの……ずっと……」
 そして……あたしの頭の中は真っ白になった。
「一目惚れなの……あの時…アイハラン村で言葉を交わしてからずっと……ずっと…あなたのことばかり……その……」
「……………」
 驚きのあまり、開いた口が塞がらない……後ろにいる美由紀さんに顔を見られないのが、何よりの救いだった。
「だから会えた時は……私を追ってここまで来てくれたって知った時は……あ、あの……私……」
 あたしの腰へ回された腕に力が篭り、そして……何故かあたしの胸と股間へ、右手と左手が肌の上を滑るように移動する。
「っ……み、美由紀…さん? この手…………んぁ…!」
 湯船の中で、あたしの体は震えてしまう。美由紀さんの左手がするりと太股の付け根に滑り込むのと同時に、腰を浮かせて水面から浮上させていたたわわな膨らみを右手の指がクッと握りこんできた。
「知識では知ってたんだけど…ああいう事をしたのは初めてだった………たくや君が女の子になってても、それでも生きていてくれたって知って……それだけで、あの時は我慢が出来なくて……こんなにはしたない事を……」
「あ…やン……ダメだって……んゥ……」
 言葉で言うとおり、美由紀さんの手は同性の体に触れているのに慣れているところをまったく感じさせない。けれど、足に巻かれた療符から流れ込む心地よい魔力が隅々にまで行き渡っている身体は、そんな拙い愛撫にさえ喜悦の波を沸き立たせ、温泉に浸かるのとは違う心地の良さに背筋を幾度となく震わせてしまう。
「マスターが何度もしてるのを目にしてるから……こう…でいいんでしょう?」
「美由紀さ、ちょ、何でいきなり…あ、あたしはレズっ気は無いんだってばぁ!!」
「でも……女同士で愛し合うんだったら……」
 柔らかい乳肉をゆっくりと大きく揉みしだきながら、もう片方の手があたしの股間の花弁を撫でる。あたしのうなじへ唇を押し付けると、指をそのまま押し進めて温泉の中で、恥丘の膨らみを五本の指で包み込んで前後へ擦り上げてくる。
「んっ………!」
 軽くアゴを突き出し、甘ったるく鼻を鳴らす。細いけれど剣を振るう力を持つ美由紀さんの指は思いのほか力強く、あたしの反応に次第にリズミカルな動きを加えて乳房をこね回されてしまう。
「あ……やァ…ん………」
「私がずっとたくや君を満たす。だから……変わって欲しくないの。もう…これ以上……」
 意味もよく理解できないうちに、美由紀さんはさらに指を胸の膨らみへ食い込ませてくる。……が、その刺激は心地よい感覚からは一気に掛け離れ、指が食い込んだ柔肌には、そりゃもう思わず叫んでしまうほどの痛みが勢いよく付き抜け、まるで電撃にでも撃たれたかのようにあたしの身体は萎縮してしまう。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ! た、タンマ、美由紀さんタンマ、ストップ、イタッ、イタタタタァ!!!」
「ご、ごめん、力加減間違えた!?」
 あたしの声を聞いて美由紀さんは慌てて手を離してくれるけれど、時、既に遅し。
「あうぅぅぅ……おっぱいがもげるかと思いました……シクシクシク……」
 美由紀さんの腕の中から逃れて自分の胸を見下ろすと、美由紀さんの指先の後は赤くくっきりと残っている。あまりに強く揉まれ過ぎたので、その赤い部分だけへこんでしまっているような違和感が強く残っていた。
「美由紀さん、いくらあたしが憎いからって…これはひどいよォ〜……」
「ち、違うの! 私、こういうのは本当に初めてだから力加減がよく分からなくて!……ただ、マスターが以前に「強く揉んだ方が気持ちいい」って言ってるのを聞いてたから……」
 それは時と場合による!
「本当にごめんなさい。……痛かった…よね?」
 当然…と頷こうかと思ったけれど、振り向いた先で今にも湯船に沈み込んでしまいそうなほど落ち込んでいる美由紀さんに辛辣な言葉を投げかけるのは、少し躊躇われた。――その代わり、
「当たり前じゃない。もう美由紀さんには触らせてあげないんだから!」
「うっ……」
「だから……次は優しく舐めてくれたら嬉しいかも……」
 水面の高さとさほど変わらない位置にある美由紀さんの顔の前へ、あたしは赤く指の跡が残る右胸を突き出した。
「な…舐めるって、え…は、恥ずかしいよ、そんなの!」
「やっぱり……ダメ?」
「ダメって言うか……そ、そ、そう言う本格的なことは自分ひとりじゃ出来なかったし……」
「美由紀さんてばあのギルドマスターの護衛なのになんにも出来ないのね。……じゃあ」
 と、あたしは自分の人差し指と中指を軽く口にほおばり、唾液を絡みつかせる。そして不思議そうに見上げる美由紀さんの唇へ二本の指の先端をそっと滑らせる。
 美由紀さんは、ただ触れただけで身を強張らせるほどに緊張している。その固さを指先に感じながら唾液を擦り付けていると、唇が軽く開き、その隙間から覗く美由紀さんの舌の上へ指を滑り込ませてしまう。
「んむっ…んうゥ……!」
「あたしが教えてあげるね。色々と……」
 見上げてくる視線に少しだけ非難めいた色が混じるけれど、あたしは一切気にしない。答える代わりに、指を追いかけてわずかに上向いたアゴの下を通り、無防備な胸元へ辿り着いたあたしの左手が、無粋にも美由紀さんの乳房を覆い隠しているバスタオルの結び目をスッと解いてしまっていた―――


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