第九章「湯煙」03


 温泉町を出て西へ半日と少し歩いたところに目的の場所、どこかに秘湯が存在するという森がある。
 町からそう遠くは無いけれど、さりとて近いわけでもない。山を一つ越えなければいけないし、なにか目的がなければ猟師や山師でも無い限りこんなところまでわざわざやってこないだろう。―――そう、例えば温泉を捜すと言う目的でもなければ。
「―――それなのにこんなにたくさん人がいるのは何でだろうね〜……」
 森はさして深くなく、日差しの強い昼の時間帯では幾重もの枝葉にさえぎられて光量は減るものの、それなりに明るさもあって、そこらに幽霊がうろうろしていいような状況でも無い。
 綾乃ちゃんと共に秘湯のある森へ着いたあたしの前には、大勢の人間が行き来している。
 その誰の手にもショベルやツルハシ、他にダウジングの道具などが握られている。目的があたしたちと同じく秘湯の探索である事は間違いはなさそうだった。
「まあ、街でこんなものを配ってたらね……」
 弘二の……性格には大介の財布から抜き取った地図に目をやる。
 これは弘二一人に渡されたものじゃないし、宝の地図のような貴重なものでもなんでもない。街を歩けば誰にでも手渡される程度のものでしかない。
 旅立つ前にお世話になった娼館で聞いたところ、温泉が見つかれば発見者だけじゃなく客も増える温泉街そのものの収入も増える。―――つまり、この地図を見た人に温泉を捜させて、もし見つかれば労なく町が潤ってラッキー、と言う事らしい。
 普段は娼館も含めた何件かのお店で配っていたそうだけれど、フジエーダの一件で建築関係の人間が町を通過するこの機会にと、大量の地図がばら撒かれたらしいのだ。
 ちなみに地図の裏は配った店のチラシになっている。……女の姿で娼館の広告持ってるのは知られたくないので、たたむ時は地図の側を外にして折りたたまないといけない。
「ホントにもう……フジエーダには壊れた建物がたくさんあるって言うのに、こんなところで温泉掘りだそうだなんて。何考えてるんだか、まったく」
「先輩……私たちも一応同じ目的でここに来てるんですけど……」
 一方後ろにいる綾乃ちゃんの突っ込みに、あたしのこめかみに汗が流れる。
「あ、あたしは別に一攫千金なんて考えて無いもん。ただ男に戻れて、ついでに温泉にでも入れたらな〜って思ってるだけだし」
 でも温泉を見つけたら、入りに来る人から入浴量料取って悠々自適……………うむ、それもいいかもしれない。温泉宿を経営するのも面白そうだし。
「けどねぇ……これだけ大勢の人が探して見つかってないんじゃ。秘湯の話も眉唾物よね」
 まだ見つけてもいない温泉を前提にした未来予想図は置いといて、それほど深くない森をてくてく歩けば、人の姿は至るところに見受けられる。木々の向こうでは十人以上の人間が大穴を掘っているし、逆に目を向ければテーブルに広げた地図を囲んで話し合うヘルメットの集団もいる。そんな組織だった人たち以外にも個人で来ている人も大勢おり、思い思いの場所で秘湯を捜し歩いていた。
 ―――だからこそ、温泉がここにあるとは思えなかった。
 おそらく、森の中は隅から隅まで先に来た人たちが探しているはずだ。それでもあたしたちが到着するまでに見つかっていないと言う事は、温泉が無いか、あるけれど湧き出ていないかのどちらかだ。
 あたしは温泉に入れさえすればそれでいい。他の人よりも出遅れたわけだけど、もし解呪できる温泉なら見つけた人に頼み込んで入らせてもらうだけでも十分目的を果たせるから、それほど焦るわけでもない。―――が、地面に大穴を空けてまで温泉探しをすることもできない以上、温泉探しを始める前から軽い諦めを感じてしまう。
「はぁ……無駄足かなぁ……
「先輩、温泉探しは一休みしてからにしませんか? 野宿する場所とかも決めなくちゃいけませんし、疲れたままだと気分も沈んでしまいますし」
「そうだねぇ……ま、これだけ人がいるんだからモンスターも襲ってこないでしょ。それより男の人が襲い掛かってくる方が恐いかな」
「で…でも、森の中ですよ? お外ですよ?」
「森の中だから恐いのよ。夜になったら暗いし人気も無いし。……大丈夫、どこか大きなパーティーの野営地の傍にキャンプ張ればいいんだし」
 あまり悲観的なことばかりいうものじゃない。あたしよりも旅慣れしていない綾乃ちゃんにしてみれば、暗い森で襲われるかもしれない可能性を考えるだけで、色々と怖くなる事もあるだろう。振り返れば顔は俯いていて、困ったような表情を浮かべていた。
 う〜む、恐がらせすぎたか……そう思って安心させられそうな言葉を付け加えてみたものの、赤くなった綾乃ちゃんの顔は地面を見たままあたしの方へ向こうとはしなかった。
「………もしかして、どこか体調が悪いの?」
 顔が赤いのと俯いてるのには何の関係も無い。それに気づくと、あたしは慌てて綾乃ちゃんの額に手を当てた。
「あっ……」
「ん〜…熱がちょっと高い。もしかして町からずっと調子が悪かったの? ダメじゃない、ちゃんと言ってくれなくちゃ。こんなところで倒れたら―――って、この場合があたしが悪いのか。綾乃ちゃんを無理やり引っ張ってきたんだし、ああもう、ごめん! とりあえず今すぐ町に戻るわよ!」
「ち、違うんです。熱があるのは分かってましたけど、げ…原因は……ええと、その、あの……はっきり分かってますから……」
 む………体調が悪くて原因が分かってて……
「―――もしかして、あの日?」
 綾乃ちゃんの顔が跳ね上がる。―――ものの見事に真っ赤になった顔だ。いや、ちょっと察しが良すぎてデリカシーがなかったかな…?
「き…気付いてらっしゃったんですか?」
「あたしの実家って道具屋だし、日用品とか薬も扱ってたし、女の人が体調悪いというと時々あの日だったりするからして……」
「じゃ、じゃあ、私が考えてた事も……あ、いえ、違うんです、ただ先輩が襲うって言うから私……!」
 おや? と綾乃ちゃんの言葉に奇妙な違和感を覚え、首をひねる。
「私…いつもそんな事を考えてるんじゃなくて……た、ただ…あの……今日はずっと先輩の後姿ばかり見てたから、だから勝手に……」
「ちょっと待った。……なんだか話が飲み込めないんだけど」
「だからその……私…“あの日”だから……先輩に……」
 言葉を途中で止めた綾乃ちゃんは、今にも泣き出しそうなほどに涙を溜め込んだ目を下へ向ける。釣られてあたしも視線を下げ、―――綾乃ちゃんの体に何が起こっているのかを理解した。
「……“あの日”なのね」
「うっ………」
 言葉に詰まる綾乃ちゃんだが、俯いた頭をさらに下げて頷いた。
「……それで勃っちゃったと」
 再び首肯。
 周りにいる人の何人かは、女の子二人で向かい合っているあたしたちの方へ視線を向けているけれど、さすがに会話の内容までは聞こえないだろう。
 ―――う〜む、弱った。
 まあ、綾乃ちゃんが女の声ある事は重々承知しているけれど、「あっち」の方の初体験から大体一ヶ月……言い換えれば、一ヶ月禁欲状態にあった男の子の「アレ」が綾乃ちゃんについているということだ。
 その理屈が正しいかどうかはさておき、現に綾乃ちゃんは抑えの効かないアレが大きくなって異様な興奮状態にあるのは事実。あたしのお尻を後ろから見つめてるだけで大きくなるなんて……
 ―――あたしも昔はそうだったんだよね……
「つかぬ事を聞いちゃうけど……擦れてた?」
「ッ〜〜〜……!」
 綾乃ちゃんがギュッと唇を引き結び、服を強く握り締める。―――ここに到着するまでの間、ズボンの中がどうなっていたかは想像に難くない。さぞや苦しかったことだろう……
 多分そろそろだと言ってくれていれば町で様子を見ておくこともできたけれど、町から離れた森に到着した今、すぐに戻ることもできない。
 となれば、まだ日は高いけれどひとまずどこかにキャンプを張り、綾乃ちゃんだけでも休ませておく方がいいだろう。原因が原因だけど、体調を崩している事に変わりは無いのだから。
 ―――あっちの処理は夜にでも……
 気分は少し複雑だ。綾乃ちゃんとエッチな事をするのは内心嬉しくもあるけれど、おチ○チン付きと言う点に抵抗を覚えてしまう。しかし、考えようによっては綾乃ちゃんが泣いてねだり始めるぐらいに弄んで……と、そこまで考えてから、頭を振って淫らな想像を振り払った。
「じゃあ野営できる場所を探そうか。夜の事を考えたら、他の人のところからそう離れてなくて、けど人目に付きにくい場所を見つけなくちゃ」
「すみません……」
「こんな事でいちいち気にしないの。持ちつ持たれつが仲間っていうものでしょ♪」
 温泉探しを最初から足を引っ張る形になってしまって落ち込む綾乃ちゃんに、実際たいして気にしていないあたしは笑顔で片目を瞑ってみせる。
「その代わり、明日からは頑張ってもらうんだから。今日は体力回復に費やすと言う事で―――」
 温泉が見つかる気配も無いし、そう急ぐ事も無い。……だからこそ心に余裕もあり、困っている綾乃ちゃんの事を気に掛けてもあげられた。
 けど―――森の中を歩く一人の女性を視界に捕らえた途端、その余裕は千々に千切れて掻き消えて、大きく鼓動した心臓が締め付けられるような苦しさに襲われる。
「………先輩? どうなさったんですか、先輩?」
 綾乃ちゃんの呼びかけて来る声は聞こえている。―――けれど、目にした女性の事で困惑していたあたしは、何も答えられなかった。
「綾乃ちゃん……ごめん、ちょっとだけここで待ってて」
「え、でも、野宿する場所を決めないと……」
「すぐに戻る。あたしが戻るまで無理しなくていいから、だからお願い!」
「あ、先輩!」
 呼び止める声を強引に意識の外へと追い出すと、荷物の詰まった背負い袋を下ろすのも忘れてあの女性の向かっていった方へと駆け出していた。
 ―――あの人は………誰だ?
 見たことはある。―――あるはずだった。そうでなければならないはずだ。そうでなければ、これほどまでに焦ってしまう理由が思い当たらない。
 木々の間を駆け抜け、地面を掘り返す人たちの横を通り過ぎる。
 はやる心のままに足を動かしながら思いだすのは、彼女の顔……けれど、どんなに考えても、彼女の顔を思い出すことができない。
 ―――忘れるはずが無い。忘れられるはずが無い。遠かったけど、あの人は間違いなく……!
 顔を思い出せない理由は理解している。―――彼女の顔を見ていないのだ。
 何度も思い出した。
 何度も夢に見た。
 女になり、大陸の南部にまで飛ばされてから、数え切れないほど思い返したのはアイハラン村での平和な暮らしと、そしてあの日、村祭の一日に起こった出来事だった。
 その記憶の中に彼女はいた。
 森の中の空き地、転送の魔方陣の上で出会った仮面の女騎士。
 ―――そんなはずが無いと理性が告げる。
 ―――こんな場所にいるはずが無いと、自分で自分の思いを否定する。
 それでもあたしの足は止まる事無く、彼女を捜し、追い求めていた。………彼女こそが、まるであたしの捜し求めていたものであるかのように。
「―――――――――あれ?」
 不意に、止めようと思っても止まらなかった足が止まった。
 乱れた息を整えるよりも先に首をめぐらせると、あたしの周囲から人の気配は消えうせていることに気付く。
 人の声だけは遠くから聞こえてくる。―――前からも。後ろからも。右からも。左からも。
 まるでここだけが大きな穴の底であるかのような静けさを湛えていた。それは信じられないぐらいに不気味な静寂であり、踏み入れた途端に足を止めてしまうほどに本能が警告を告げていた。
 ―――この場所は何かがおかしい。
「……んぱ〜い、どこですか、せんぱ〜〜い!」
 木々の枝葉が擦れる音さえしない場所にたたずんでいると、あたしが来た方向から綾乃ちゃんの声が聞こえてくる。追いかけてきたのかと、綾乃ちゃんに無理をさせたことに半生の年を抱きながら背後を振り返って大きく腕を振った。
「綾乃ちゃ〜ん、こっちこっち! こっちの人のいない方〜〜〜!!!」
 声を張り上げながら少し戻れば、こちら側へ近づいてこない人たちの中に涼乃ちゃんの姿を見つける。
 あたしの声にすぐに気付いてくれる………声が届かない距離ではないし、頭の上で手を振っているんだから、、綾乃ちゃんはおろか、あの辺りにいる人ならほとんどがあたしの存在に気付くはずだった。
 けれど綾乃ちゃんはあたしに気づいた様子を見せない。
 何度声を出しても結果は同じだった。だいぶ近づいたのに誰一人あたしの方へ顔を向けず、綾乃ちゃんですらオロオロと左右を見回しているだけだった。
「どうなってんの? 何でこの場所だけ人が入ってこないのよ……」
 ふと脳裏に、森の中で死んだ人たちの幽霊の話が思い出されてしまう。
「まさか、ねぇ……」
 森の中はたいして暗くないはずなのに、振り返り直したあたしの背筋に冷たいものが伝い落ちる。
 ―――けどこの先に行ったはず、あの人が……
 一度戻るかと考えた心を押さえつけ、息を整えたあたしはもう一度駆け出した。
 今いる誰にも気づかれない場所は、端から端までそう距離は無い。荷物を背負ってはいるものの、一気に走り抜けようと思えば走り抜けられる距離だ。
 けれどその中心、ほんの少しだけ木々がなく開けた場所になっているところへ足を踏み入れたあたしは、漂う濃厚な硫黄の香りに立ち止まってしまう。
 ここだ………温泉のある場所がここだと直感的にそう思う。のだが、どこをどう見てもお湯どころか水に一滴ですら染み出していない。硫黄臭も、ただ強く感じるというだけで、どこから吹き出しているのかは見当も付かなかった。
 ―――何処かから風に流れてきているだけなのだろうか?
 顔も名前も分からない女性を追うのをやめていた。この場所にいると、追いかけたい衝動が臭いの元をたどりたいと言う衝動に不思議と置き換わってしまう。
 ―――もしかしたら……
 あたしは一体何を考えているのやら。あの人が温泉の守護者だったり、あの人に勝てば男に戻れたりなんて、変な想像もいいところだ。温泉を守る騎士なんて一度も耳にした事が無い。
 ―――ただ、なにかが「ここ」だと告げている。
「ここって言っても……別におかしな場所は無いし……」
 人二人が両腕を伸ばせば端から端へと手が届きそうな小さな空間。何と話のその中央に立ってぐるりと回りを見回すけれど、地面にも樹にもおかしなところは見受けられない。―――おかしなところがあるのは、あたしが背負う荷物袋の中だった。
 小刻みに震える音。羽虫が飛ぶ音に似た振動を感じたあたしは、背負い袋を地面へ置いて音を発しているモノを取り出してみる。
「魔王のメダル……なんで急に動き出したんだろ?」
 あたしが手にしたのは、魔道師・佐野と共に何処かへ転移してしまった魔王の所、その表紙にはめられていた金色のメダルだった。首から掛けられるように紐を取り付けてあるものの、なんか呪われそうだったので荷物の中に押し込んでそのまま忘れていたものが………どういう理由かわからないけれど急に振動し始め、溜め込んだ魔力を淡い輝きの波動に変えて表面から放っていた。
「この場所とメダルに何か関係あるのかも………きゃあッ!」
 突然、メダルを持つ手に電撃に似た衝撃が走り抜ける。それほど強烈な痛みではなかったけれどいきなりだったので驚いてしまい、思わずメダルを地面に落としてしまう。
 そしてその瞬間―――メダルから放たれた輝きが一瞬にして足元に魔方陣を描き出したかと思うと、あたしの体は虚空へと投げ出されていた。
「―――んなっ!?」
 足元から地面の感覚が消えていた。
 まるで長い穴を落ちていくかのように、闇に包まれたあたしの体はどこかに向けて「引っ張られて」いく。
「何でこんなところにトラップが仕掛けられてるのォ!?」
 罠付き温泉だなんて一つも聞いていない。町に帰ったら訴えてやるゥ!―――と、状況にそぐわない決意でこぶしを固め、あたしの体は闇を落ちていく。
 ―――マズい。綾乃ちゃんを置いてきちゃった。
 その事を思い出して後悔しても、手にも足にも何も触れないこの場所ではどうしようもない。慌てて手足をばたつかせるが、体の向き一つ変えることもままにならないまま、あたしの体は草の生えた地面の上に投げ出されていた。
「いたたたた………で、ここ、どこ?」
 穴を落ちていた時間はどれくらいだったのか。一時間かもしれないし一秒かもしれない。―――まるで夢でも見ていたかのように、その間の感覚は非常に曖昧になっていた。
 けれど、今は完全に目が覚めている。その上で―――今、あたしがどこにいるのか分からなくなっていた。
「………なんで穴に落っこちたのに、地面の上で寝てるんだろ?」
 体を起こして首をめぐらせれば、地面には背負い袋も木棍も魔王の書のメダルも置いてある。けれど周囲の光景は一変しており、地面へ座り込んだあたしのすぐ横には、森の中に溶け込むような古い木造の建物が建っていた。
 そして、そんなあたしの周囲には白い湯気が充満していた。
「も…もしかして温泉に着いちゃったの!?」
 そうかそうか、穴を潜り抜ければ温泉に辿り着くのか、それは気付かなかったな〜……と、ひとしきり自分を納得させてから、あたしはメダルを拾い、木棍を握り締め、首に刃を押し付けられる。
「な………!?」
 あたしの背後に誰かがいた。………いや、いるはずだ。
 何か嫌な気配は感じていたものの、こんな真後ろに立たれるまで相手の存在に気付けないでいた。それどころか今、こうして首筋に冷たい刃を押し付けられているのに、後ろに誰かがいることが信じられないぐらいに相手の存在は希薄に感じられた。
「えっと……もしかして、温泉を先に見つけた人?」
「――――――」
 相手の姿は見えない。そして無言。後ろから伸ばされた手に握られた短剣だけが視界にわずかに映るだけ。
 ―――だからこそ状況を把握できない。
 相手が何を考えているのか。
 相手がどんな人物なのか。
 相手がどんな武器を持っているのか。
 短剣一つで人の形まで想像できるほど洞察力はスゴくない。ましてや声も聞かせてもらえないのでは、性別すら分からないのだ。
「あい、わかってます。温泉の所有権とかそんなのはどうでもいいです。手は出しません」
 左手にメダルの紐を握ったまま、右手の木棍は地面へ置き、あたしは体を起こして両手を挙げる。
「いきなりこんな脅迫めいた事はしないで、平和的に話し合いで解決する事を切望してますよ、あたしは。だってほら、人を殺しちゃったら殺人罪で捕まっちゃいますし」
 ここは時間を稼ぐしかない……なんでもいい、とりあえず喋るだけ喋りまくって誤解を解くきっかけを掴みたい。
 ―――けれど、相手からやっと返ってきた返事はつかみ所も無いほどに簡潔な、ただ一言の言葉だけだった。

「死ね」


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