第1話
その日、目覚めはなぜか早かった。
何気なくベッドから体を起こして、早起き競争に久しぶりに負けてしまった目覚ましを手にとって寝ぼけた目
で時間を確認すると7時を少し過ぎたぐらいだった。
時計を元の場所に戻し、何をするでもなくボ〜っとしている内に頭も少しずつ冷めてきたので、お尻を軸にし
て横を向き、ベッドの下に足をつける。フローリングの少しひんやりした感触が足の裏に伝わるのとほぼ同時に、
自分の股間に違和感を感じてそちらに視線を向ける。
朝から元気なアレに毛布が引っかかっている。
男の生理現象――いわゆる朝立ちだ。エッチな夢でも見たのかと思うほどカチンコチンになったペ○ス…まる
で体中の血がそこへ集まっていくような感触に、思わず身震いしてしまう。
この感触も久しぶりだな。とは言っても、女になってたのは一週間もたってないんだけど……
でも、一度失ってしまったものがこうして復活してくれたのは、なんとも言えない感動がある。女だったとき
の体中に広がるような快感も捨てがたいけど、やっぱりこれはこれで……
そう言うわけで、俺、相原拓也は男に戻りました!!
その日、私はかなり困っていた。
二日前に拓也が男に戻り、そのまま一晩中……えっと、それは置いておくとして。とにかく私たちが愛し合っ
ているって言う事は良く理解し合えたんだけど、そのことはお母さんから拓也の両親にも伝わって……一番最初
の時もそうだったから、いまさらどうだって言う事はないんだけど、なぜか今日に限っては拓也の家に入ること
を躊躇してしまっていた。
「どうしちゃったんだろう……私……」
扉の前までは来たんだけど、ドアノブに手を伸ばそうとすると、途端に胸の鼓動が大きくなって、顔が熱くな
ってしまう。ほとんど毎日、拓也を起こしに来ているから私が入っても別におじさんやおばさんがイヤな顔をす
るわけでもないし、私だって早く入って拓也の顔を見たい――
ドクン
な、なに!? 今、ものすごく胸が……やだ、顔も……た、拓也に会うって考えただけで、何でこんなに恥ず
かしがってるのよ!
もうここまで来ては誤魔化し様がなかった。私は拓也に会うのが恥ずかしいんだ。
拓也とれっきとした恋人どうしになってからも二人でエッチをした事は何度もあったけど、こんな風に気恥ず
かしくなった事なんて一度もなかった。だけど一昨日、拓也が男に戻ってすぐに私の家に来てくれて、そして…
…
「………私ったら、なに考えてるんだろう……」
確かにエッチはしたし、それまでずっと心配していた反動もあって、一日中しちゃって後で反省したりもした
けれど、もし拓也の顔を見たら、私はどんな顔をすればいいのか分からない……いつ戻りにすればいいと思うん
だけど、抱きついちゃったり、泣き出しちゃうかもしれないし、一番困るのは、そのままなし崩し的に朝から…
………やだ、私ったら。まるで、そうなる事を期待してるみたい……
ガチャ
「あら? やっぱり明日香ちゃんじゃない。おはよう」
いつまでたっても頭の中で想像が渦巻き、その場から動けずにいた私を迎え入れるかのように扉が開くと、向
こう側から拓也のお母さんが顔を覗かせた。
「あ、お、おばさん、お…おはようございます」
慌てて長い髪の毛を跳ね上げながら頭を下げる私を見つめながら、二児の母とか思えない(拓也はちょっと違
うんだけど…)ほど若く見えるおばさんはニコニコと笑みを浮かべていた。
「玄関の方から女の子の声が聞こえるからそうじゃないかとは思ったんだけどね。さ、拓也はまだ寝てると思う
から早く叩き起こしてちょうだい」
「お…おばさん…あの……」
「いいのよ、気にしなくても。明日香ちゃんが娘になるんだったら、いつでも大歓迎だから♪」
そう言う意味じゃないんですけど……困ったなぁ……
誤解じゃないんだけど、どこか誤解しているような、そんなイジワルっぽい微笑みを顔に浮かべたおばさんに
導かれ、私はようやく中へと足を踏み入れる事ができた。
「明日香が来る前に服を着替えておくか」
股間のモッコリを感慨深く見つめているのにもいいかげん飽きた俺はベッドから立ちあがって、壁にかけられ
た制服に手を伸ばした。
「………って、これは女子の制服じゃないか」
そこにあったのは白いブラウスに赤いボレロと結構短いスカート、つい先日まで着ていた宮野森学園の女子生
徒用の制服だった。着ていたと言っても、その時は女の体だったので、女装とかそう言う意味じゃないけど……
うう…不気味な物を想像してしまった……股間が萎える……
男でも女でも同じ顔なんだから、首から下を女子の制服に置き換えてみれば…と思っても、そこには微妙だけ
ど、どうしても乗り越えがたい壁のような物が存在していた。想像する時は、自分の女だったときの顔を思いだ
そう……
などと考えながらも、手はちゃんと動いている。パンツを履いてシャツを着て、カッターシャツを羽織ってズ
ボンを履いてっと……女子よりはかなり地味で何のデザイン性も面白みも感じられないな宮野森学園の男子用の
制服姿に身を包んだ俺。これだけ早く着替えられるのも、毎朝毎朝、遅刻ギリギリに起きることでの修練の賜物
だね。
「まだ時間は余裕があるな」
着替えが1分で済んだので、今からならちゃんと顔も洗えるし(いつもは洗ってないのか…)、朝ご飯も食べれ
る。そのうちに明日香も来るだろう。
俺は机の上においてあったカバンを掴むと、自分が来るよりも早くに食事をしている俺を見て、明日香がどん
な顔をするだろうかと考えながら部屋の扉のノブに手をかけた。
「う〜ん…どうしよう……」
拓也の部屋の前にまできたけど、扉を開ける踏ん切りがつかない。私が部屋に入ったからって、拓也が全裸で
私を待っているって言う事もないだろうし、再び女の体になっているなんて言う事も……あ…ありそう……前も
それでものすごくビックリさせられたもんね……
想像は悪い方へとどんどん転がっていく。それまで意味不明な動機に悩んでいた私も、拓也が女になってしま
っていたらと思うと、居ても立ってもいられなくなってしまう。
もしかすると、私と抱き合ったのは夢だったんじゃないか、拓也はまだ女のまま!?
あの突然の驚きを三度、体験する事になるのか……それとも、あれは一時的に戻っただけで、ひょっとしたら
時間がたてば女に戻る事も……そんな事ない。拓也は男に戻ったんだから……だけど……
拓也が隣にいない事がもどかしい。まるで男の拓也の存在が霞みの様に消えてしまいそうな予感めいた想像に、
私は急いで拓也が男に戻っている事を確かめるべく、部屋の扉のノブに手をかけた。
ゴチン
はぁ…まったく退屈な授業ですね。こんな物を学習したからと言って、一体私の研究にどんな役に立つのか、
まったく分かりませんね。
「であるからして、この代名詞は直前の文章を意味し、主人公の現地における生活を指し示す。ようは――」
こんな授業を受けている暇でもあれば、早くクイックレヴォリューションを完成させ、あんな佐藤麻美の作っ
た薬ではなく、私の作り上げた装置で相原先輩を女にし、世界中に河原千里の名前を知らしめるのです! 世紀
の大発明です! 私の名は科学の歴史に輝かしい栄光と共に刻み付けられるのです、ははははははは〜〜〜〜〜
〜!!
「ねぇねぇ、千里ちゃん、千里ちゃんってばぁ〜〜」
ああ……人々が私を褒め称える……天才科学者・河原千里と……全ての称賛、全ての名誉、全ての栄光が私の
手のうちに……
「千里ちゃ〜ん、いいかげんにしないと先生に怒られるよぉ〜〜」
む、何ですか永田さん。勝手に人の未来予想図に割りこまないで下さい。
「さっきから全部声に出ちゃってるよぉ〜〜。ほら、先生もみんなもこっち見てるしぃ〜〜」
………おや?
栄光の未来を思い描いてヒートアップしてしまった私は、いつの間に椅子の上に立ちあがって、考えていた事
を全て声に出してしまっていたらしく、クラス中の視線は教室の真ん中の席にいる私一点に集中してしまってい
た。
「………おお、注目されている!!」
「あ〜〜、注目はどうでもいいし、朝も早いから居眠りするのも構わないが、授業の進行を妨げるのは勘弁して
くれないか?」
「宮村先生、別に構わないではありませんか。国語なぞ漢字以外に社会に出て何の役に立つと言うのですか。そ
の漢字とて現代ではパソコンの普及によって無意味と化しつつあるのをご存知ないのですか?」
「それは十分知っているが、それが生徒一人一人の学力低下の原因になっている事も知っているぞ。あまり文明
の利器に頼りすぎるのもどうかと思がな。それよりも、早く座らないとスカートの中が見えているぞ」
「それがどうしたというのです。別にスカート…………あわわわわっ!」
エキサイトしていた私は、机に片足を上げて力説していたらしい。下を向くと、短いスカートは斜め上をむい
た太股を伝って付け根までめくれあがってしまっていて、白い輝きが日光の元にさらけ出されてしまっていた。
さすがに天才科学者と言えども、やはり女。クラスの半数を占める男子の視線がそこに集中している事に気づ
くと、急いで足を下ろして、お尻を落とすように椅子に着席する。
「さて、河原も静かになった事だし、授業を進めるぞ。え〜〜、であるからして――」
「千里ちゃん、災難だったね」
私が顔を赤らめて座ったのをニコニコと見つめていた宮村先生が黒板に向き直ると、なぜかどう言うわけか運
命の悪戯なのか、入学以来ずっと私の横の席に座っている永田舞子が話し掛けてくる。
「くっ…私とした事が、このような恥辱を……これは現在研究中の記憶消去装置の完成を優先させた方がいいよ
うですね……」
「千里ちゃん、こわ〜〜い。結構本気で言ってるぅ〜〜」
まったく…相変わらずうるさいですね、永田さんは。こんな人が一年で五本の指に入る美少女と言われている
なんて、なかなか理解しがたい物がありますね。男性嫌いと言う話ですが、そこが可愛いとか言う意見もあるら
しいですし……私にしてみれば、まとわり付いてうるさいだけの人にしか思えませんが……
「ぷ〜〜、舞子、かわいいもん」
「だからなんだと言うのですか。人間の価値は上辺の美しさではなく、明晰な頭脳で決まるのです。所詮、歳と
共に衰えていく儚い物にすがりつくしかないなど、聡明な人間のする事ではありません」
「あ〜〜、だったら舞子は大丈夫ぅ♪ 中間テストは学年で18番だったもん♪ 千里ちゃんは63番でしょ?
舞子の勝ちぃ〜〜♪ だから舞子は可愛いのぉ♪」
「くっ……ですが、私は理数科目全て満点です。突出した才能こそが本来評価されるべきで――」
「思い出したぁ〜〜♪ そう言えば千里ちゃん、前に「永遠の美は人類の宝」とか言って、歳を取らないお薬を作
ろうとしてなかったっけ?」
「うごぅ……そ…そう言えばそんな事を言いましたか? 私は覚えていませんが……散りゆくものをとどめてい
く努力をするのも、科学の為すべき事であると……」
「ダメだよぉ、千里ちゃんはまだ若いのに、そんなに物忘ればっかりしちゃ♪」
「誰が早年性健忘症ですか! 私は生まれた時の記憶もしっかり残っています!」
「すっごぉ〜い。舞子は昨日のことも忘れちゃうんだよ、てへ♪」
くっ…いけない。このままでは彼女のペースに引き込まれてしまう。何とかして私のフィールドに持ちこまな
くては……
「お〜い、授業中に大声で話をするのはやめてくれ。他の人に迷惑だぞ〜〜」
外野はうるさいですね。しかし、ここは外部で生じるトラブルをきっかけにして、不利な状況を一発逆転させ
たいところですね……どうしたものか……
私たちの論争(?)に苦笑いを浮かべる宮村先生の事は放っておき、いっその事この場で薬品を混ぜ合わせて爆
薬を作り上げたい衝動を必死で押さえつける。こう言う時に何かしらのきっかけを作るのは――
ガラッ
激しい言葉のやり取り(??)を続けながらも、IQ200を超える素晴らしい頭脳でどうやって永田さんを言
いくるめようかと考えていると、授業中だと言うのに教室後ろの引き戸が勢いよく開けられる。だが誰かが立ち
あがって出ていったという様子もない。気になって視線を向けると、そこには私の見知った顔の人間がたってい
た。
「相原先輩じゃないですか? どうかしましたか? 先輩の体は100%男性の物になっている筈ですが」
「ああぁん♪ おねーさまぁぁん♪…じゃなくってぇ、おにーさまぁぁん♪…ん〜〜〜、やっぱり相原先輩って
呼ばせてもらいますぅ♪ 先ぱ〜〜い♪」
「おお、相原じゃないか。女になったとは聞いていたんだけど、もう男に戻ったのか? また美術部のモデルを
頼みたかったんだけどな、はっはっは」
扉を開けた人物を見て、クラスの中で三人が三様の声を上げる。宮村先生は先輩の昨年の担任だと言う事は聞
いていましたが、どうして永田さんまでなれなれしい声を出すんでしょうか……
「……………いた」
ほんの数日とはいえ、久しぶりに見る男姿の相原先輩(男に戻った時に見てはいるのですが…)は教室中を見ま
わし、声を上げた人物、私と永田さんに目を向けると、少し慌てた様子を見せながらこちらに向かってきた。
「おいおい、相原まで俺の授業を妨害するのか? このクラスはそれでなくても他より遅れているんだがな」
「宮村先生、すみません。すぐに出ていきますから。河原さん、ちょっと来てくれる?」
「なっ…!」
先輩は私の横まで来ると、授業を妨げた事に対して宮村先生に一礼して謝罪すると、今は白衣を来ていないた
めに肌の露出している私の腕を掴んで、いつになく強引に私を教室から連れ出そうとする。
「えええぇ〜〜!? 先輩、舞子の事はさらってくれないんですかぁ〜〜? 待ってくださ〜〜い」
「あなたは来なくてもいいです! それよりも先輩、ちゃんと理由を説明してください。私は最近薬の研究で出
席日数が危ないんですよ!」
「理由は後で説明するから。とりあえずついてきて!」
いくら小柄で非力とはいえ、先輩もれっきとした男の端くれの先端ぐらいには属している。それに今日は先輩
には珍しくずいぶん強引で、私の体をぐいぐい引っ張っていく。
「それでは河原さんを少しお借りしていきます。失礼しました」
出入り口に到達し、振りかえって再び宮村先生に向かって頭を下げた先輩は、そのまま手を離さずに廊下を歩
き始める。
「ああ、構わないぞ。どうやら急な用事みたいだから河原は出席扱いにしておく。さて古賀、教科書の81ペー
ジの三行目から――」
マイペースな宮村先生、私が連れ去られようとしているのに、あいも変わらずのんびりと授業進行するとは何
事ですか!?
――と思わなくもないけれど、今は別の事に思考が向いている。
どうして先輩は私の事を苗字で呼んでいるのでしょうか?
私が科学部に入った時から名前で呼ばれ続けていただけに、こんな緊急の事態においても私の頭の隅に違和感
として引っかかってしまう。
付いていきながら目を先輩に向けると、後ろ姿だけどそれは相原先輩に違いはない。けれど私には、そこにい
るのが相原先輩の姿をした別人にしか思えなかった―――
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