序章


「ついに……ついに完成しました……」  少女の声が響く。  そこは暗闇だった。  時間は既に日付の変わる境を越えている。空は夕刻から流れてきた雲に覆われて、星の輝きが地面に降り注ぐ 事はなく、街中であるはずのその場所には街灯や夜更かしをしている家々の光さえ届いていなかった。  少女の声が彼方へと消えた後の黒い世界には上空に渦巻く風の音だけが鳴り響く。体にまとわりつくと思える ほどに黒一色に染め上げられた深夜の暗闇に響く風鳴りが少女の回りのおどろおどろしく、不気味な雰囲気の世 界をより強調していた。 「長かった………」  再び少女の声が聞こえてくる。  誰が聞いているわけでもない。  誰かに聞かせているわけでもない。 「長かった………」  自分が成し遂げた偉業をかみ締めるために、過去の苦労を一つ一つ噛み締めながら、小さな口から言葉をゆっ くりと口にする。  胸から溢れる記憶は全てを言葉にする事はできず、その一言に多くの想いを圧縮して虚空の先へと吐き出して いく。  カッ!  遠くに雷が落ちる。  一瞬だけ青白い電光に横から照らし出された世界には確かに少女が立っていた。背は低く、頭の左右で髪を縛 り、ツインテールにした髪形が印象的だ。  その体つきから小学生かと思いきや、女の子には不似合いな丈の長い白衣の下には赤い色を基調としたブレザ ーが覗き見えている。少なくても中学生、ひょっとするともう少し年上で高校生なのかもしれない。イメクラの お姉さんにはとてもじゃないけど見えないが……  場所は何処かの建物の屋上のようだ。少女――いや、彼女の履いている小さな靴は長い時間を経過して風格で はなく小汚さだけを身につけたコンクリートの地面を踏みしめ、斜め上を見つめる自分の主人を必死に支えてい る。  ……………ゴロゴロゴロ…………  先ほどの雷の音が優に二十秒近く経過してから聞こえてくる。  雨は今にも降り出しそうだったが、いま少しの時間は持つだろう。しかし、それは少女が建物の中へと入るの に十分な時間。けれど彼女は闇の向こうを見つめたまま、その場を動こうとはしなかった。  カッ!  雷の光は灰色の地面に長い影を作り出す。  まっ平らな屋上に突き出した建物の中へ入る階段のある部分の影。  それよりもずっと小さな少女の影。  そして、最初の影に寄り添うように、もう一つ大きな物体の影。  ………ポツッ………ポツッ…ポツッポツッ……ポツッ………  コンクリートに落ちた水滴の跡は暗闇の中で視る事はできない。しかし雨珠の奏でる音は静かな空間によく響 き、リズムのない自然の曲を歌い始める。  ピカッ!!…………ゴロゴロゴロゴロゴロ………  今度の雷は近かった。一瞬の稲光に咄嗟に目を閉じてから十秒と経っていない。鳴り響く音もさっきまでより も大きくなっている。  後は天気任せ。大丈夫。今夜から明日の日曜にかけて天気は大荒れになる。それで全ての準備が整う。  卵のような肌の頬に水滴が二度、三度と打ちつけられる。風も出てきて、短めの二つの尻尾が大きく揺れる。  後は待つだけ。待てばいいだけ。待つだけで……  少女は今一度だけ、そこにそびえ立つ物体を見上げると、完成の瞬間をこの目で見れないという心残りを抱き ながら、建物の中へと入っていった。


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