第1章「±0」
「はぁぁ……」
宮野森学園の名物生徒、男から女になる事数知れず、学園内で一番の個性派生徒の座を不動のものとしてしま
ったあたし、相原たくやは教室について自分の席につくなり、冷たい木の天板の上にだらしなく突っ伏してしま
った。
「たくや、なんて格好してるの。だらしないわよ」
「そんな事言ったってさぁ……はぁぁ……」
と、声を掛けてきてくれたのは、いまさら説明不要なあたしの幼なじみの片桐明日香。朝、あたしを起こしに
来てくれた時にひな子先生からの電話が着たから事情を知っているんだけど――
「いい訳はいいから背筋伸ばしてしゃんとしなさい。そんなんじゃ全然男らしくないわよ」
言葉はキツい……もうちょっと優しくしてくれたって…しくしくしく……
「だってさぁ……職員室で先生たちに取り囲まれたのよ? あれはなんだあれはなんだって延々と質問されて、
それなのにあたしが言い返す暇も余裕も無いし……あたしは何にも悪い事してないのに何でこんな目に会うのよ
ぉ……」
明日香に起きろと言われたって、朝のHRが終わって一時間目が始まると言う事でようやく開放されたあたし
の頭は、長い緊張の時間からようやく開放されて真っ白になっていて、今は体を起こす余力なんかどこにも残っ
ていなかった。している事と言えばだらしなく腕を前に投げ出して、愚痴を愚痴愚痴と……ううう…本当に情け
ない……
「もう…そんな事だから男に戻れないんじゃないの。それよりも、呼び出された理由って、やっぱり……」
「………そうよ、屋上のアレの事よ」
屋上のアレ――それは土曜日の放課後にはなかったのに、暴風大雨警報が出るほど天気が悪かった日曜日を挟
んで忽然と学校の屋上に姿を顕わした謎の物体の事である。おそらく学園にやってきた人は誰もが目にできるほ
ど空に向かってそびえたつ塔の様な巨大物体を先生たちが見に行って調べたところ、いろんな機械を組み合わせ
て作られた装置のようだと言う事が分かったらしい。
最初はUFOとか変形して巨大なロボットになるとか色々な憶測が先生たちの間で飛び交ったらしいけど、そ
の場に居合わせたひな子先生が一枚の張り紙を見つけたことで全ての謎は解けてしまった。
『これは科学部の実験装置です。非常に高価かつ危険ですので誰も触らないように』
そう言うわけで、形式上とは言え、科学部の部長であるあたしが朝早くから職員室に呼び出され、先生たちに
………ううう…思い出しただけで身の毛がよだつぅ……あんなの拷問よぉ…あたしは無実だぁ……
「それでさぁ、結局あれはなんなの? 今朝はそれの話題でどこのクラスも持ちきりよ。相原君だったら知って
るんじゃないの?」
と、いきなりあたしと明日香の会話に割りこんできたのはクラス一の情報通の由美子だった。机の上に垂れて
いたあたしが面倒くさがりながらも顔を上げると、クラスメートは教室のあちこちで顔をつき合わせ、「未確認
飛行物体だ。毎日の祈りが届いたんだ!」「あれはきっと科学部の河原が作った世界征服兵器だ。やっぱりマッド
サイエンティストだったんだな」「いや、異世界から魔王を召還する装置なんだ。そして世界は世紀末!」なんて
言う面白くない冗談がちらほらと聞こえてくる。まぁ…正鵠を得ている物もあるみたいだけど……
そんないろんな情報が入り乱れている時にあたしのところへやってきたと言うのはさすがに情報屋由美子とい
うところか………
「残念だけど……あたしも何も知らないのよ。千里っていつも思いつきで発明してるし、部長って言ってもあた
しの事は実験動物か何かとしか見てないみたいだし……」
「そうなの? じゃあ、あそこでにこやかに手を振ってるのはなんなの?」
クラスの様子にも興味をなくして再び脱力し始めたあたしは、組んだ腕の上に頭を乗せたまま由美子の指差し
た方向に視線を向ける。すると――
「せんぱ〜い、相原せんぱ〜い!」
教室の後ろの扉のところに立っている小さな人影が目に入った。頭の左右で小さなお下げを作り、背の低さと
凹凸の少ない体のせいで似合っていないのに似合っているような愛用の白衣を着た姿は明らかにあたしの名前を
呼び、あたしの方をにこやかな笑顔で見つめながら頭の上で手を大きく振っていた。
いまさら説明するまでもない。あたしが学園一の個性派なら、あっちは学園一の過激派生徒、あたしの後輩の
科学部一年、河原千里だった。
「せんぱ〜い、聞いてください、ものすごい発明が完成したんですよ〜〜♪」
「……………」
何か叫んでいるけど、そんな物は知った事じゃない。その姿を確認したあたしはさっきまでの垂れ様はどこへ
やら、無言のまま席を立つとツカツカツカと千里に近づいていった。
「もう、何ですぐに気付いてくれないんですか。一昨日からずっと誰かに自慢したくてうずうずしていたんです
よ。驚かないで聞いてください。いえ、やっぱり驚いてもらった方がいいですね、そのほうが私も満足できます
し。実はですね、世紀の、歴史に残る大発明が――」
「千里、こっちにきなさい」
あたしが目前に来てすぐに一気に喋り始めた千里の腕を取ると、あたしは教室を後にしてズンズンと歩き出す。
「ど、どうしたんですか? 私の説明はまだ終わっていませんが…」
「……その発明ってどこにあるの?」
「あ、そう言う事ですか。今すぐ私の大発明を見たいわけですね。さすがに今回は化学室には入りきらなかった
ので校舎の屋上に設置しました。その方がエネルギーの充填にも効率的でしたし」
屋上。
その一言で今まで漠然としていた事が頭の中でパズルの最後のワンピースがきっちりはまったかのように確信
へと変わっていく。それと同時に、朝一番に担任から電話を貰って明日香に心配されて両親にはとうとう退学か
…とか冗談交じりに脅かされて、職員室の椅子に一人座らされて先生に囲まれて詰問されて溜まりに溜まったス
トレスが一気に怒りとなって胸の奥から噴き出してくる。
「そう…屋上ね………今すぐ壊すわよ」
「ええ、当然です。今すぐ実験を行って………え、な、何で壊すんですか!?」
「うるさい! あたしは今本気で怒ってるんだからね! あたしを男に戻す薬も作らずに何をしているかと思え
ばあんな物勝手に作って! アレのせいであたしがどれだけひどい目にあったと思ってるのよ! 今日と言う今
日は本気で許さない。今すぐ壊すからね!」
「待ってください、世紀の大発明ですよ? 歴史に名前が残るんですよ? 私の長年にわたる研究の末に生み出
した大傑作をどうして壊すって言うんですか!?」
「そんな事どうでもいいの!! 壊すって言ったら壊す、今回だけは絶対に許さないからね!」
「ダメですダメですダメです!! 許さないのは私の方です。先輩のくせに私の崇高なる発明を破壊しようなん
て許される事ではありません!」
「だったら千里はここにいて。あたし一人ででもあんなの壊しちゃうんだからね!」
「やめてください! お願いだからやめて〜〜!!」
キ〜ンコ〜ンカ〜ンコ〜ン♪
「はぁ……はぁ……はぁ……」
キ〜ンコ〜ンカ〜ンコ〜ン♪
「ふぅ……ふぅ……ふぅ……」
「もう……二人がこんなところでにらみ合ってる内に授業始まったじゃないの」
体力・腕力は人様に自慢できるほどある訳じゃないあたしと千里はもみ合いながらやってきた結果、屋上まで
たどり着いたのはいいけどそこで二人とも力尽きてしまった。そんなあたしたちに心配してついてきてくれた明
日香の冷たい視線が降り注ぐ。
「だ…だって……せんぱいが……ふぅ…私の…発明を……」
「はぁ…はぁ…なによ…千里が…邪魔するから……はぁ……」
「まったく……二人して妙なところで頑固なんだから。それよりも、結局これってなんなの?」
そうよね……そういえばあたしも何の装置かも聞いてなかった気がする……
昨日までの嵐が嘘のように晴れ渡った空の下で、屋上のコンクリートでできた地面の上に座ったあたしは突か
れ切ったおかげもあってか怒りの幾分和らいで、明日香と同じように目の前の大きな機械がなんなのかと言う事
に興味が向き始めた。
見た目は大きな塔と言う印象を受ける。いびつな錐型をした天辺は階段のある建物よりもさらに高く空に向か
って突き出しており、その先端からはさらに高いところまで針のように細い棒が延びている。根元の方には昨日
の雨を避けるためのシートをぐるぐると巻きつけたものがいくつかあり、おそらくは操作盤か何かなんだろう。
でも、ここまで大きなモノなのにどこか安っぽく見えるのは何故だろう………
「よくぞ聞いてくれました!」
あ、千里が先に復活した。
明日香がポロっと口にした疑問に答えるために、あたしと並んでへたり込んでいた千里が勢いよく立ちあがっ
た。そこにはあたしと争った疲れは微塵も見えず、説明できる事の喜びに満ち溢れた笑顔がしっかり浮かび上が
っている。
「さぁ、耳をかっぽじってよく聞いてください」
かっぽじってって…どこの言葉?
なんて言うあたしの些細な疑問は気にせず、千里は機械の塔の前に移動して薄い胸板を大きく反りかえらせる
と、さぁ見てくださいと言わんばかりに斜め上へ右腕を振って、突拍子もない事を口にした。
「これが河原千里最大にして最強の大発明、タイムマシンです!」
「………………」
「………………」
「どうです、驚いたでしょう。今まで猫型ロボットの専売特許だった空想の道具に、今、現実が追いついたので
す! これが化学です、化学の力なのです! さぁ二人とも、これでノーベル賞もとって歴史に偉大なる発明家
として名を残す私に私に惜しみない称賛を!! さぁ、さぁ!」
「………………」
「………………」
「……あの…相原先輩、どうしたんですか? 片桐先輩も黙ったままで……」
「いや…だって……ねぇ、明日香……」
「う、うん……タイムマシンって言われても……ピンってこないって言うか……」
千里が言う様に驚いた事は驚いた。だっていきなりタイムマシンだもんね。まさか超リアリスト、幽霊やSF
をまったく信じない千里の口からその言葉が出た事だけでも驚きなのに、それを作っただなんて……どうやって
信じろって言うのよ。今まで実験をまともに成功した事ないくせに。
これが佐藤先輩の言葉ならまた別の驚き様があっただろうけど、はなっから信じていないあたしと明日香の態
度にそれまで自身満万だった千里の顔が見る見る雷雲へと変わっていく。
「なんなんですか、その反応は!? タイムマシンですよ、時間移動ができるんですよ!? これがどれだけ素
晴らしい事か分からないんですか!?」
「まぁまぁ、詳しい話は聞いてあげるから。とにかく授業が始まっちゃったから早く戻りましょうね」
「な、なんですか、その態度は!? 私はいたって大真面目なんですよ。それを、それをぉぉ!!」
「はいはい、いいから教室に戻ろうね。たくやもそんなところに座ってないで。今だったら欠席扱いにならない
わよ」
「は〜い…よいしょっと」
以前の噛みつきそうな怒り様など微塵も見せず、仲の悪いはずの明日香は子供をあやすように千里の背中に手
を回して屋上の扉へと向かい始めた。
さて、あたしも戻るか。なんだか走ったり騒いだりで怒りもどこかに飛んでいっちゃったし…壊すのは放課後
でもできるしね。
膝に手をつき立ちあがって、お尻のほこりを払ったあたしだけど、ふと目の端に映った物が気になってそちら
に意識を向けた。
それは本体とも言える巨大なタイムマシン(千里談)の影に隠れるように地面に置かれていた。太陽の光を僅か
に反射して鈍く輝くそれに近づいてみると、地面の上に置かれた縦横1mちょっとの大きさの正方形のアクリル
板で、シートは最初の先生たちの検分で取り外されたみたいで、板に上に設置された装置が剥き出しになってい
た。装置の大きさは座って向き合えばちょうどいいくらい。これだけを見れば、まさに机の中にしまってあるあ
のタイムマシンそっくりだった。
これ……太陽の光じゃないんだ。これ自体が光ってるのね……一体なんなんだろう?
別にそれをどうこうしようと言うつもりはなかった。ほんの気まぐれで、あたしはその板の上に足を乗せてし
まった。
ヴゥン……
「………え?」
あたしの体構えに踏み出した足に体重を乗せ、後ろに残った足を引き寄せた直後、真下からお腹に響くような
振動が伝わってきた。下を向くと、さっきよりも板の輝きが強まり、あたしの体は足元からの白い光に包み込ま
れていた。
な…何これ? 眩しい……早く戻ろう。
光は目蓋を閉じていても目に付き刺さるほど強くなっていた。その光を腕で遮りながら足を後ろに引く――し
かし上履きの踵には何か固い壁に当たったような感触が返ってきて、そこから後ろに移動する事は出来なかった。
どうなってるのよ!? もしかして……また千里の実験恒例の爆発とか!?
間近で見た機械の大きさと、それに比例する爆発力を想像してあたしの背中に冷たい汗が流れ落ちる。
「あ、明日香! 千里! そこにいないの!?」
振りかえり、目の前に突然できた見えない壁を叩きながら必死に二人の名前を呼ぶけど、返事はなく、足元の
板の振動はさらに強くなり、真っ直ぐ真上に伸びる光の柱は腕でも防げないほどその輝きを増していた。
そして浮遊感。
えっ!?
今まであったはずの白光が消え、それと同時にあたしの周囲から色が消える。
今まで踏んでいたはずの地面が消え、それと同時にあたしの体は闇の中へとゆっくり落ち始める。
それが本当に落ちているかは定かじゃない。今自分が立っているのか、頭がちゃんと上を向いているのか、そ
んな単純な事さえも分からないほど、あたしの回りには何もなく、体にまといつくほどの濃密な闇だけが広がっ
ていた。
何もかもが消えてしまった世界に放り出されたあたしは、最初に感じた驚きを胸に抱いたまま動きを、そして
思考さえも止めてしまう。
腕を伸ばしたり、足を振ったり、そんな体の動作を何もせず、ただ黒い世界に身を委ねている。
目の前に闇は流れていく。あたしの回りで時間は流れているはずなのに………
その時間が何分だったかも時間という感覚のなくなったあたしにはわからない。ひょっとしたら一瞬だったか
もしれない。ひょっとしたら数時間かもしれない。
永遠と言うにふさわしいような闇。
そのちょっとした気まぐれで、よどみなく流れていた暗闇は小さく揺らぎ、そこに豆粒のような光が生まれた。
それまで一瞬の驚きを延々と感じ続けていたあたしの意識は、まるでそこへ導かれるように流れていった………
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