�T．行方

五日目


「あゆみ、真琴さん、そっちはどうだった？」
「ダメ、こっちにもいなかった。たくやくん、一体どうしたんだろ」
「外にもいなかった。くそ、あたしがあの時、すぐに捜しに行ってれば……」
　まだ早朝に起きるのに慣れていないたくやちゃんをあゆみが起こしに行った時、四畳半の部屋にはなぜか砥部
さんたち三人が眠っていたらしい(あゆみが顔を赤らめて、なぜか詳しく話してくれなかった…)。
　それを聞いた俺も寝起きの頭で、｢ああ、たくやちゃんは偉いな。もう起きて仕事に向かったんだ｣と思いきや、
この旅館で一番朝早く起きて朝食の準備をしている真琴さんのいる調理場にもいないし、朝食の時間になっても
やってこなかった。
　そんなわけで二日前の犯人が捕まっていない事もあり、たくやちゃんの身に何か起こったんじゃないかと心配
になった俺たち三人が旅館内をあちこち探し回ってるんだけど……結局時間を消費しただけで、たくやちゃんの
姿はどこにも見つからなかった。
　集まった俺たち三人の表情は暗い……勝手知ったる家同然の旅館内をこれだけ探しても見つからないんだから、
たくやちゃんは…旅館の中ではなく、外に出ていったと自然に考えてしまう。
「隆ちゃん…あの…私、お部屋の方も見てきたんだけど…たくやくんの荷物が全部無くなってるの。洗濯物も無
いし…タンスの中も空っぽで……」
「荷物が！？」
　だとすると……たくやちゃんは自分から出ていったのか？
「それじゃあ、タク坊はあたしらに何も言わずに何処かに行っちまったってのか？　あいつは…そんなヤツじゃ
ないよ…そんなにここの仕事が嫌だったって言うのか……」
｢ううん、そんなことない…だってたくやくん、楽しそうに仕事してたもの。それに、夜中はバスも来ないし…
…｣
　夜逃げしたのではないか、できればそうは思いたくないんだろうけど、それでも苦虫を噛み潰したように真琴
さんが顔をしかめるのを見て、自分だって心配のし過ぎで今にも泣き出してしまいそうなくせにあゆみが励ます
ように言葉を返す。
「でも、町まで歩いて行けば交通手段なんかいくらでもあるし……ひょっとして昨日のあれが……」
「……あっ………」
　たくやちゃんがもし逃げ出したんだとすると何が嫌だったんだろうかと考えているうちに、俺の頭に昨日の従
業員室での痴態が思い出される。
　やっぱり……牝奴隷とか調教とかそんな事考えてヤっちゃったのがいけなかったんだろうか……でも、腰が抜
けるほどヤられたのは俺のような気がするけど……
　その時に一緒だったあゆみにチラッと視線を向けると、俺の言葉でその事を思い出してるみたいで、顔どころ
か耳まで真っ赤にしている。ふっ…本当に分かりやすい奴だな。
「や…やっぱり…隆ちゃんが無理矢理したから……グス…たくやくん…ここが…グス…嫌に…嫌になって…グス
……」
「うん、そうだな…て、違うぞ、あゆみ。あれは一応合意の下というかなんと言うか……だからそれが原因じゃ
ないから泣くなって、な」
「おい、タカ坊…さっきの言葉はなんだ？　無理矢理？　一応合意？…まさか…お前…タク坊に……」
「はっ！？」
　とうとう涙をぽろぽろとこぼし始めたあゆみを何とか泣き止ませようとして、口が滑ってしまった……
　慌てて口を押さえるけどもう遅かった……振り向いた先には指関節をバキボキと物騒に鳴らしている真琴さん
が……せ…せめて半殺しで……
「ち、違うの、真琴さん。隆ちゃんは……変なこと…してない…から……」
　心にやましい事があるだけに真琴さんの必殺阿鼻叫喚修羅道地獄をくらう事を覚悟していた俺を助けるために
あゆみが顔を上げたけど、泣いたばかりだと言うのに顔を再び真っ赤にして、言葉は尻すぼみに小さくなってい
く……
「……おい、ほんっと〜〜〜〜〜〜〜に、何もしてないんだろうな？　タカ坊は女にだけは手が早いからな……」
「し、してないしてないしてない！　天地神明にかけて何もしてないって。い、いくら俺でも従業員には手を出
さないって」
「ほぉ…あゆみには手を出したくせに……」
「グス………でも…ほんとに……たくやくん何処に行ったんだろ？」
「………そうだな……」
　ここでこうしていたってたくやちゃんが見つかるわけでもない。たった四日とはいえ、いっしょに働いた(エ
ッチな事もした)仲間なんだから……
「夜中に出ていったんなら、町の方の旅館で一泊してるかもしれないな。あゆみ、旅館組合に電話して夜中に泊
まりにきた客がいなかったかどうか探してもらってくれ。それと実家の方にも……」
「あたしはもう一回旅館の中を捜してみる。もし誰かに連れ去られたりしたんならどこかに痕跡ぐらい残ってる
だろうからな」
「頼むよ、真琴さん。じゃあ俺は――」
「あの……」
　廊下のど真ん中であれこれとたくやちゃん捜索について話し合う俺達に、不意に誰かが声を掛けてきた。
　おおっ、駿河さん♪　いや〜、朝から奇遇ですね。これからお出かけですか？　よろしければ俺が車で送りま
すよ。そしてそのまま――などと、あゆみと真琴さんが背後にいるので、口が裂けても言える訳が無い。
　あの陰険そうで問題ばかり起こす男たちと一緒に泊まっているとは思えないほど清楚＆知的な印象を受けるこ
の女性に俺が好印象を抱かないわけが無い。できれば……
「……あっ、すみません、通れませんでしたか？」
　ミルからに困っていますと言う顔でもじもじしているのに気付いた俺は、慌てて廊下の端っこに身を寄せる。
「い…いえ、違うんです。あの……彼女は……」
「あ…すみません、話聞こえちゃいましたか。あ〜〜…まぁ、ごまかし様が無いんですけど、うちの従業員が何
処かに夜遊びに行って帰ってこないようで。それでみんなで心配しているところだったんですよ」
「その……」
「別に何かあったというわけじゃないんで心配しないで下さい。そうだ、駿河さん、昨日の夜にうちの従業員の
相原を見かけませんでしたか？　ショートカットの娘。多分十時ごろにはまだ旅館にいたと思うんですけど……」
「……いえ……見て…ま…せん……私…気分が優れないので失礼します」
　それだけ言うと駿河さんは最初に来た方向に俯いたまま行ってしまった。
　しまった。お近づきになろうとして話し過ぎたか……遼子さんとはいつもこんな感じで逃げられてばかりだな
ぁ……
「――っと、それよりも今はたくやちゃんだ。二人はさっき言ったように行動してくれ。俺は――」
「何をやっておるんですかな？」
「だから今から言うんだって……っと、梅さんか」
　俺が自分のことを話そうとするのに何か問題があるのか……今度は遼子さんのやって来た方とは反対の方向か
ら梅さんが腰に手をやって不機嫌そうに歩いてきた。眉がピクピクと痙攣を繰り返し、口はへの字に引き結ばれ
ている。
「三人とも、この忙しい時間に何をこんな所で話し込んでおるんじゃ！　まったく掃除をしておらんではないか
！！」
　………やっぱり怒ってた。朝から何をそんなに怒ってるんだ？
「あ…ごめんなさい……」
　あゆみが梅さんの怒声に肩を竦ませる。普段仕事を一番真面目にこなしていて、実質的に一番の権力者である
梅さんからあんまり怒られた事がないから、おもいっきり怯えて俺の後ろに隠れてしまった。
「ちょっと待ってくれ。たくやちゃんがいないのは知ってるだろ？　俺達、彼女を探してるんだ」
「その事ですか。大方、仕事がキツイのが嫌になって逃げ出したんでしょう。さっき部屋を見てきたら荷物が無
かったですしの。昔からこんな事は何度もありました。全く、最近の若いもんはキツい仕事だと知るとすぐに逃
げ出す」
「そ、そんな言い方って無いじゃないか。何か…その…事件に巻き込まれたのかもしれないし」
　たくやちゃんが酷い目にあった事件のことをストレートに言う事が出来ず、それでも梅さんの物言いにむっと
した俺は言葉を濁しながらも言い返した。
「事件？　こんなところで何の事件があるというのですかな？　とにかく！　坊ちゃんたちは仕事に戻って下さ
れ。良いですな！
「うっ……」
　言い返したところまではよかったんだけど、さすがにそこは人を叱る事の年季の差、反論を許さないって感じ
で一括されて、俺の言葉はそこで途切れてしまった。
「人数が一人減ったんじゃ。やる事は山ほどあるんですぞ！　ほれ、逃げた人間なんぞ放って仕事しなされ！」
「そんな言い方って……」
　あゆみが俺の背中に母乳がたっぷり詰まった(昨日確認済み)胸の膨らみを押しつけながら、ギュッと法被を握
り締める。密着した身体からは震えが伝わり、あゆみが梅さんを怯えている事がよく分かる。
　俺もあまりにたくやちゃんのことを心配しない梅さんの態度に内心怒りは湧く……湧きはするけど、言い返す
ともっと怒りそうなので……
「黙らっしゃい！」
　予想通りと言うか、あゆみの小さな呟きすら聞き逃さない地獄耳の梅さんはさらに眉を逆立てる。
「この旅館にはほんの三日で音を上げるような人間はいらんのです！　坊ちゃんも旅館の主としてもっとその辺
りの事をお考え下され！　それとお遊びはここまでにして全員仕事に戻る、いいですな！　まったく、口答えば
かりしてからに、ぶつぶつ――」
　俺たちの言葉にはまったく耳を貸さず、自分の言いたい事だけ言うと、梅さんは廊下を通りすぎて遼子さんの
歩いていった方へと姿を消してしまった。
「隆ちゃん……」
　梅さんが向こう側にいってしまうと、あゆみが涙を拭いながら話し掛けてきた。
　あそこまで言われたけど、やっぱりたくやちゃんを心配する気持ちは消えていない。それにあゆみにこんな悲
しそうな目で見られたら……
「分かってる…ええい、畜生。分かってるんだけど……」
　俺にはたくやちゃんが逃げ出すなんて思えない。エッチの時に何度も中に出しちゃった事は……まぁ、置いて
おくとして、なにしろこの旅館は怠け者の俺でも主人が勤まるぐらいなんだ、たくやちゃんみたいな真面目な娘
がすぐに逃げ出すなんて、どう考えてもおかしいじゃないか。
「とにかくもう一回探してみよう。あゆみは旅館の中を探してくれ。くれぐれも梅さんに見つからないようにな。
俺は外を……」
「タカ坊、ちょっと待ってくれ」
　あ…あぁぁ！！　なんで俺が自分の事を言おうとしたらぁぁぁ！！
「……なんだい、真琴さん？」
　頭にはきても、従業員に対してキツく言い返せない……俺って本当に主人なんだろうか……
　俺が顔を向けると、梅さんがいる間、一言も喋らなかった真琴さんが腕組みをして壁にもたれていた。
　表情は硬い……たくやちゃんのことを心配していた時よりもさらに深刻そうな顔をしている。
「………タカ坊、あゆみ、悪いけどタク坊探しよりも先にあたしの手伝いをしてくれないか」
「なっ……真琴さん、何言ってるんだ！？　まさか梅さんに言われたからって――」

　ゴゥンッ！！

「きゃあっ！！」
「誰が……仕事をするって言った？」
　苛立ちを紛らわすかのように真琴さんが壁を殴りつけた音に、まるでその一撃で旅館全体が揺れたんじゃない
かと俺とあゆみは身体を固くして息を飲んだ。
「大丈夫……三人でやればすぐに済む事さ………」
　……おかしい。真琴さんのこんな表情、今まで見たこと無いぞ。いつもは傍若無人、唯我独尊と言う感じなの
に、顔も伏せがちで俺からは前髪に隠れた瞳を見ることができない。
「大丈夫さ……きっと…あたしの考え違いなんだから……きっと……きっと大丈夫……」
　怒っているわけじゃなさそうだけど、まるで何かに耐えるように一言一言搾り出すように話している。
　そんな真琴さんの姿に……俺もあゆみも、頼み事を断ることができなかった。