X.玄関


「たくやくん、どうしたのその格好?」 髪や服から水を滴らせて、あたしが寒さに震えるからだを抱きながら旅館に戻ると、玄関の前で隆幸さんと あゆみさんが待っていた。 あたしの格好は全身ずぶ濡れ。服がからだに張り付いて、髪の毛の先から水が滴っている。その上、靴は 履いたけど濡れてないストッキングと落ちた髪飾りは指先で摘むように持っているので、濡れている太股は 隠されることなく曝け出されている。 「あ〜…いえその…実は…湖の中で転んじゃって……」 適当な嘘。どうやら真一さんは誰にも見つかってないみたい。 「湖?なんで湖なんかに入ったんだ?」 「気持ちよさそうだな〜と思って……つい……」 身を竦めながら答える。この部分は本当なんだけど…… 「はぁ?それで入ってこけたのか」 ……あぁ…二人の視線が痛い…… 「それよりもたくやくん、早く着替えなきゃ風邪引いちゃうよ」 ……あゆみさんはあたしの体の心配をしてくれている。 あぁ…ありがとうございます。どこかの薄情若旦那とはぜんぜん違うなぁ…… チラッと隆幸さんのほうを見る。どうせ馬鹿にしたような目で……見てない……? どちらかと言うと、なんだか血走った目であたしのほうを食い入るように…… 「あっ!」 その視線の意味に気付いたあたしは、腕ですぐに胸や股間を隠した! 水に濡れたメイド服が体に張り付き、下着が透けて見えるんだ!それにからだのラインも! 「きゃあ!孝之さんのスケベ!なに見てるんですか!」 「た、隆ちゃん見ちゃ駄目!あっち向いて!」 「え、あ、だって、男としてみないわけには……」 「なんだなんだ、いったい何があった!」 あたしとあゆみさんの声と同時に、タイミング良く真琴さんが玄関から飛び出してきた。 「タカ坊!今度は一体なにやりやがった!」 すかさず真琴さんが孝之さんを叱りつける! 「お…俺は何もしてない……」 ギラン! 「本当か?」 いつの間にやら孝之さんの喉元に包丁が突きつけられている。 …ひ…ひぇ〜〜…… いまさらながらに真琴さんの怖さを思い知らされた。ていうか、何で包丁持ち歩いてるんだ、この人? 多分包丁を突きつけられてる孝之さんはもっと怖いんだろうな…… 「真琴さん、隆ちゃ……」 「あ〜……ちょっとだけたくやちゃんの下着を……」 あぁ……なんでこの状況でそーゆー正直なことを言うかな、この人は…… 「!!なにぃ!!!てめぇ従業員に手ぇ出したのか!!!!」 空気を震わせて真琴さんの怒声が響き渡る!!! 「わ〜〜〜!真琴さん刺さってる刺さってる!」 隆幸さんに一歩近づいた真琴さんを、あたしはとっさに後ろから羽交い締めにする。 刃先が少し刺さった孝之さんの喉の中央からは、血がひとしづく流れている。 あ…危なかった……もうちょっと遅かったら…… 「タク坊離しやがれ!一遍こいつは血祭りに上げなきゃわかんねぇんだよ!!」 「だからそうじゃなくて!ほらあゆみさんも真琴さんを止めてくださ……」 見ると、あゆみさんと隆幸さんはその場で固まっていた。 隆幸さんは、死を目前にして…… あゆみさんは、孝之さんの血を見て…… 「ああああ、二人とも目を覚まして〜〜〜」 「!!!何やっとるんじゃぁ!!!」 ビリビリビリ!! 「ひっ!」 「わっ!」 いきなりの大声に、あたしと真琴さんの動きが止まる。 真琴さんはその場に踏みとどまったけど、あたしは声に倒されるように、その場に崩れ落ちる。 「な、何だ、梅さんじゃないか」 「何だじゃないわ!四人とも旅館の玄関先で何をしとるか!」 「あ…いや…」 「えっと…その…」 見ると、隆幸さんとあゆみさんも硬直から復活してる。 「坊ちゃん!ちゃんと説明をなさらんか!あゆみも一体なにがあった!」 うわ〜〜、梅さん昨日の朝より切れてるよ…… 前回より額に青筋を三つばかり追加装備した梅さんが、あたしたち四人を叱りつける。 な…何とか早く切り抜けなきゃ…… 「あ…あのあたしがちょっとずぶ濡れになっちゃって、それでですね……」 「あ、そう言えばタク坊一体どうしたんだ、その格好?」 あたしの早口の説明に、そばにいた真琴さんが同じく早口で合いの手を入れてくれる。 早く梅さんのお怒りを鎮めたいのは同じらしい…… 「えっと…ちょっと湖で転んじゃって……」 「何をやっておるか!」 「ひぇ〜〜、すいませ〜ん」 あたしに向けられた怒声に身を竦める。でも、最初よりは大分増しになったかな。 「まったく…たくやには用事を頼もうと思っとったんじゃが…仕方ない。早く着替えこんか」 「いえ、それが……」 「そう言えばタク坊の制服ってもうなかったんだよな?あゆみ、今日洗濯した分乾いたか」 真琴さんがあゆみさんに尋ねる。 「ううん、まだ乾いてないと思う。今日は少し干すのが遅れたし……」 「そ、それじゃあたしはこの格好のままですか?」 これじゃ風邪引いちゃうよ〜〜 あたしがどうしようかと思っていたときに、梅さんがナイスな考えを提示してくれた。 「確か昨日制服を注文しておったじゃろ。仕入の時に取りに行けばええ」 「うん、そう思ってたくやくんを待ってたの。ちょうど今から隆ちゃんと仕入れに行くところだから、たくやくんも 一緒に行きましょ」 「お、おう。たくやちゃんも一緒に行こう」 何とか会話に加われた隆幸さんが、あゆみさんと一緒に誘ってくれる。 「そうですね、それなら…」 「それはいかん」 「え…」 何で止めるか梅さん! 「別にいいじゃねえか。こんな格好じゃどうせ仕事なんかできねぇだろ」 「う…む、そうじゃが旅館に仲居が一人もおらんというのは……」 「なに言ってんだ梅さん。今までも何度かそんなことあったじゃないか」 「いや…わしはたくやに仕事をしてもらおうと……」 「だったら私が残ります。たくやくんはこんな格好だから仕事できないし、私も午前中あまり仕事してないから、 その仕事も私がします」 「む……」 真琴さん、隆幸さん、あゆみさんの順に諭され、梅さんが詰まってしまった。 「梅さんらしくないぜ。なんか意固地になってないか?」 「…分かったわい。好きにするとええ。ただし、早く帰ってくるんじゃぞ」 真琴さんの言葉にカチンときたのか、梅さんは少し怒りながらそう言うと、こちらに背を向けて旅館の中に 戻っていった。 「はい、分かりましたぁ」 ふ〜、ようやく梅さんの許可が下りたか。結構頑固なんだな、梅さん。 「それじゃあたくやくん、これ引換証とお財布。よろしくお願いね」 「あれ?あゆみさんは行かないんですか?隆幸さんはあれですし……」 あゆみさんの後ろを指差す。 今日は隆幸さんを見たのは初めてだけど、昨日の疲れはそれほど癒えてなさそう…… フラフラしてるし、頬はこけてるし、白髪は増えたし……多分車で行くんだろうけど、今の隆幸さんの運転は 危険だろうなぁ…… 「うん…やっぱり心配だけど、やっぱり私たち二人とも行っちゃうと梅さんも大変だろうから」 「だったらあゆみさんが行けば……」 多分、二人で行くって言うのはちょっとしたデートみたいなものだろうし…… 「気にしないで。それにその格好じゃお仕事できないでしょ」 うぅ〜、それを言われると…… 「二人とも行きゃいいじゃねぇか」 そのとき、真琴さんが話しに割り込んできた。 「でも……」 「多少の雑用ならあたしがやってやるって。運転手があれなんだから気を付けるんだよ。ほら、タカ坊が車取りに 行ってんだから、戻ってくるまでに早く着替えてきな」 あ、ほんとだ。いつの間にか隆幸さんがいない。 まあ、真琴さんがそう言うなら…… 「それじゃあ着替えてきます。ちょっと待っててくださいね」 さて、急いで着替えてこなきゃ…… あたしは玄関に入ると、唯一濡れてないストッキングで足を拭いて、自分の部屋へと急いで行った。 「は…はくちゅん!」 ……やっぱり急いで着替えよう。このままじゃ風邪引いちゃうよ。 「なぁ、あゆみ」 「なぁに、真琴さん」 「……いや、何でも無い、忘れてくれ。さて、夕食の仕込みでもするかぁ。その前にあたしも着替えだな。 タク坊に抱き付かれて服が濡れちまったし……さぁ!気合入れていってみよ〜〜!」 「?……どうしたの真琴さん、何だか変だよ」


Y.仕立へ