V.客人


「えっと、まずはこの部屋ね。(コンコン)失礼します」 まずは一階の部屋から回ることにした。 ノックをしてから入り口を開け、中に入る。 「!誰だ!」 きゃ!びっくりしたぁ…… いきなりの詰問に、あたしは一歩目を止め、その場に立ち尽くしてしまう。 「何だ、メイドか…」 大声をあげた浴衣姿の大柄な男が安堵の息をつく。 「いきなり入ってくるな。びっくりするだろうが」 「え、あ、す、すみません」 素直に頭を下げる。でも、びっくりしたのはこっちのほうだ!なんて、声に出してはいけない。あちらはお客様、 こちらは従業員。我慢我慢… 「ん?おまえ見ない顔だな?」 二間続きの奥のほうの和室から顔だけ覗かせた男が、あたしを見るなり疑問の声を上げた。 と同時に、あたしのからだを頭の天辺からつま先まで、二対の視線が無遠慮に這い回る。特に胸と太股に視線が 集中する。 え〜ん、やっぱり恥ずかしいよう。 そりゃ、その辺の人より少しは体に自信があるけど、こうもあからさまに見られると…… 「えっと、あたし、今日からこの旅館で働かせていただくことになりました、相原たくやといいます。よろしく お願いします」 「へ〜、たくやちゃんって言うのか。こちらのほうこそよろしくしてほしいねぇ」 ははは、と笑いが起きる。 なんだ?今のどこが面白いの? 「で、何のようだい」 最初の大柄な男があたしに尋ねる。 「あ、夕食の準備ができましたので広間のほうまで御越し願えますか」 合ってるかどうかわからない敬語だか丁寧語で、あたしは夕食を告げる。 「ああ、わかったもう少ししたら行くよ」 「そうですか、それでは失礼します」 と振り返って、 「…ん…むぐ…んん…」 部屋を出て行こうとするあたしの耳に、何か苦しそうな声が聞こえてきた…ような気がした。 「?…今、何か聞こえませんでしたか」 「いや、何も。空耳じゃないのか」 どうやらあたしにだけ聞こえたらしい。ならやっぱり空耳かな。 「すいませんでした。それでは失礼します」 「別にいいよ。ああそれから、隣の部屋のやつは出かけてるから、部屋に行ってもいないぜ。戻ってきたら、 食事のこと伝えといてやるよ」 「ありがとうございます、では」 もう一度頭を下げて、入り口を閉めようとするあたしの耳に、 「…んん…」 もう一度空耳が聞こえたような気がした…… 一階はさっきの人達と隣の部屋だけだったので、あたしは二階へと上がってきた。 「えっと、次はここね。今度は失敗しないように…」 コンコン 「は〜い」 ノックに反応して室内から男の声が返る。 「失礼します」 と言って、入り口を開け中に入る。部屋の中には浴衣姿のおじさんが三人、テーブルを囲んで座っていた。 「おや、今朝まで見なかった顔だな?」 少し細身で神経質そうな男が、あたしに声をかけてくる。でもさっきこの質問はされてるから、答えは準備済み。 「はい、あたし、今日からこの旅館で働かせていただくことになりました、相原たくやといいます。 よろしくお願いします」 笑顔とともに明るい声で自己紹介をする。愛想良く愛想良く… 「ほ〜、こりゃめんこいメイドさんじゃな、ひっひっひっ」 「うう…」 笑顔が崩れる。そりゃ、私は糖尿病です、と顔に書いたような脂ぎったおじさんが、変な笑い声を上げながら、 自分のからだを舐めまわすように見たら、多少はひるむわよ。 「相原たくや?」 あたし、と言うか入り口に背を向けて座っていたおじさんがこちらを振り返った。 あ、このおじさんはかっこいいかな。 三人目の叔父さんは、最初の二人と違い、細すぎず太すぎず、鼻の下に髭を蓄え、知的な顔をしている。 ナイスミドルと言う感じだ。 「はい、そうですけど……やっぱり変ですか?」 女の子に男の名前では、気にもなるんだろう。あたしも少し気にしてる。 「あ、いや失礼、少し気になったもので」 「それで何のご用かな、お嬢さん」 太ったおじさんが胡座をかいたまま、こちらを向く…って 「なっ…!」 おじさんに目を向けた瞬間、あたしの顔が真っ赤になる。 このおじさんパンツを履いてない! この太ったおじさんは、浴衣の裾から肉棒を丸見えにして、て言うか、あたしに見せ付けている! そしてあたしの目の前で、少しずつ勃起し始め、亀頭が持ち上がってきている。 「ん?どうしたんだ、顔をそんなに真っ赤にして」 と言って、細身のおじさんが片膝を立てる。そして、やっぱり浴衣の裾からは肉棒が丸見えになってる。 何なのよ、この旅館には、まともな客はいないの! 「ゆ、夕食の準備ができましたので、広間に来てください!」 あたしは、もうその場にいられず、言うべきことだけ言って、その場を逃げ出してしまった… 「はぁはぁはぁ、いったいなんだったのよ、もう」 次の部屋の前まで来て、あたしは大きく息継ぎをしていた。 いくらちょっと前まで、自分にも生えてたからって、あんなに見せ付けられたら恥ずかしいじゃない。 さすがにまともに見れなかったし…… 「ふぅ、さて」 ここが最後の一部屋、ここさえ乗り切れば… 息を落ち着け、いざノックしようとすると、 「誰かいるの?」 と言う声が聞こえるのと同時に、入り口が開き、そこには、小さな女の子が立っていた。 「?お姉ちゃん誰?」 つぶらな瞳があたしに向けられる。細い眉に、長いまつげ、潤いのある瞳、小さな鼻と口、肩まで伸びた柔らか そうな髪。あたしの胸までしかない、小柄な体…… かわいい…… と思って、頭を振った。あたしにはロリコンの気は無いんだから。 「?お姉ちゃん」 再度の呼びかけで、あたしの意識は現実に引っ張り戻された。 「あ、ごめんごめん。えっと、お嬢ちゃん一人なのかな?」 あれ、なんかムッとしちゃった。どうしたのかな? 「僕、女の子じゃないもん」 ほっぺたを膨らませて目の前の女の子がそう言った。 なーんだ、そんなことで怒ってたのか、そんなことで………へ? 「君、男の子なの?」 改めて目の前の女の子…じゃなくて男の子を見る。確かにそう言われれば男の子に見える。着ている服もスカート じゃなくズボンだし…… 「あ、ごめんなさい、えっと、あんまり可愛かったから、つい…本当にごめんなさい」 目の前の小さな子の頭より低く頭を下げる。自分で地面に着くかと思ったぐらい。でも悪いのはあたしのほう だもんね、ちゃんと謝らなきゃ…… 「え、あの、その…」 男の子がしどろもどろになってる。 「…もういいよ、頭上げて」 困ったような声で男の子が言う。その声を聞いて、あたしはようやく頭を上げた。 「ありがと、許してくれて」 あたしは精一杯の笑顔を向ける。 あ、照れてる照れてる。 男の子はさっきのあたしみたいに、顔を真っ赤にしてうつむいている。そして何かに気がついたように顔を上げると、 「それでお姉ちゃん誰なの?」 あ、そっか。自己紹介まだだっけ。 「あたしは相原たくや。今日からこの旅館で働くことになったの、よろしくね」 「うん、僕、砥部遙って言うんだ。たくや…たくやお姉ちゃんか!」 互いの自己紹介が終わると、遙君はあたしの名前に「お姉ちゃん」を付けて、うれしそうに何度も繰り返す。 その、にぱー、と言う効果音が聞こえそうな明るい笑顔がなんとも ……かわいい…… そして、ふと思う。ロリコンじゃないけど、今はあたしは女だから、ショタコンなら問題無いのかな、と。 ……何か間違ってる気がする。 「遙、誰かそこにいるのか?」 その声で、もう少しで具体的なことまで考えそうだった想像が中断された。 「あ、お父さん」 遙君が開けっ放しにした入り口の戸から部屋の中を見てみると、メガネをかけた、いかにもエリート商社マンです、 と言うような人が立っていた。結構若く、三十代後半から、四十歳と言うところかな。 「?あなたは…」 最初あった警戒の色が、あたしを見たとたん消えた感じがした。 まあ、このメイド服を見れば旅館の仲居だって誰でも気付くよね………無理か。 「はい、あたし、今日からこの旅館で働かせていただくことになりました、相原たくやといいます。よろしくお願い します。もうすぐ夕食の準備が整いますので、それをお知らせに参りました」 言うべきことを一気に言う。言ったけど、どうもあまり聞いてくれていない気がする…… 遙君のお父さんは、あたしの言葉に反応も無く、じっとあたしを見つめていた。 「あいはら…たくやさんか…いいお名前だ」 ……はい?今何を言った、この人。 はっきり言って、女の名前で「たくや」はあたし自身おかしいと思うんだけど…… 「あの〜」 「あ、すいません。私の自己紹介がまだでしたね。砥部真一と言います。真剣の真に漢数字の一で真一です。 どうぞよろしく」 「は、はぁ。どうも」 いきなり丁寧に自己紹介されて、少し困ってしまった。 物腰は最初よりずいぶん優しくなったけど、なんか最初の二組と違い、いやそれ以上に熱心にあたしの体を見て いるような気がするんだけど…… 真一さんの視線に負けて、少し後ろに下がったあたしに気がついたようだ。真一さんは、少し顔を赤らめている。 「あ、いや、すみません。夕食でしたね、すぐに行きますから」 「でも、お母さん帰って来てないよ」 遙君の無邪気な言葉に、真一さんの表情に苦虫を噛み潰したような、困惑の色が広がる。 何かあるんだろうか、と思ったそのとき、 「あなた、こんなところで何してるの」 いつのまにか、あたしの近くに女の人が立っていた。どうやら、お風呂の帰りらしく、髪が湿気ている。 ぱっと見、結構美人だが、どこかきつそうな感じがする。年は三十前後。髪は肩甲骨ぐらいまで、少し茶髪。 浴衣越しのボディラインは結構グラマーだけど、あたしやあゆみさんほどではない。恐らくCかD… っと、相手を観察している場合じゃない。自己紹介自己紹介。 「はい、私は今日から…」 「そんなことを聞いてるんじゃないの。ここで何をしているのか聞いているの」 お決まりになったセリフを言おうとして、中断させられた。 今までこんな女の人と付き合ったこと(恋愛じゃないよ)が無いあたしには、苦手なタイプである。 「…夕食の準備が整ったので、そのお知らせに」 「そう、ならもういいわよ。とっとと行きなさい」 …取り付く島も無い、とはまさにこのこと。理性を総動員して作った笑顔のまま、あたしはその場に固まってしまった…… どうしろってのよ、一体…… 「おい、栄子。何だ、その口の聞き方は」 真一さんが見かねて助け舟を出してくれるが… 「何で客が従業員に卑屈にならなきゃいけないのよ。それより邪魔よ、髪を乾かすんだから」 …敢え無く沈没。奥さん――栄子さんは真一さんを押しのけ部屋の中に入ってしまった。 「すみません、たくやさん。不快な思いをさせてしまって」 「いえ、いいんですよ。それに、そろそろ戻らないと、まだ仕事がありますし…」 「そうですか。それでは、また後ほど…」 と言って、真一さんも部屋の中に入っていった。 「それじゃお姉ちゃん、また後で遊ぼうね!」 「え…それは」 「約束だよ、じゃあね」 遙君も言いたいことだけ言って部屋に入っていってしまった。そして廊下に一人残されたあたしは…… 「…なんとなく寂しい」 あたしの話を誰もろくに聞いてくれなかったことに寂しさを感じつつ、広間へと戻っていった……


W.湯浴へ