第一話


 シルヴィア王国とバルド王国との間に戦争が始まって既に七年。長引く戦いにシルヴィア王国の戦力も疲弊を隠しきれず、国は一つの決断を下しました。
 本来ならまだ修練の途中である王立魔道学院の生徒も軍に取り入れ始めたのです。
 もちろん、全員を登用する訳ではありません。熟練の軍部の方が戦力として通用する、そして自分の身を護れるだけの実力を持っていると判断した生徒だけが前線へと立つのです。
 そうして戦場へと旅立った生徒は選ばれただけあって、街に留まっている私の耳にも活躍の声が聞こえてくるほどです。

 私は専攻が戦闘用の魔法ではなかったために戦場に立つことはありませんでしたが、遠見や結界の構成といった補助魔法を学び、そして嬉しい事にその力を評価して貰えたために街の保護のお手伝いをさせてもらっています。
 最近は結界を突破した侵入者がいるとの報告を受け、メンバーたちの間にも緊張感が増しています。そんな中、もちろん私は今日も仕事のお手伝いをしている……訳ではありません。
 今日は久々の休日。普段から激務、と言うほどではないかもしれませんが慣れない仕事に追われているため、身体的にも精神的にやはり疲れは溜まっています。ですからこういう日にはしっかりと休息を取らなければならないのですが、少しでも国のため、そして厳しい戦線に立っている皆のためにもより実力を磨きたい私が足を運んだのは王立図書館です。
 他国にも誇れる数の蔵書を有しているこの図書館には、多くの魔道書も収められています。より皆さんの役に立てるよう、並び立つ本棚に囲まれながら目当ての本を探します。

「ん〜、あっ。見つかった」

 探していた結界の構成法に関する専門書を見つけましたが、その本はかなり高い位置に収容されており、私の身長では背伸びして手を伸ばしても到底届きそうにありません。踏み台が近くにないかと辺りを見渡しますが、残念ながら目に見える範囲には見つかりません。そうして私が一度この場を離れようと足を動かそうとした瞬間、声がかけられました。

「どの本が読みたいんだい?」
「え?」

 いきなり声をかけられ驚いた私が振り向くと、そこには一人の男性が立っていました。
 色の薄い金髪を女の人のように長く伸ばし、小さめのサングラスをかけています。身長は大人の男性という事を差し置いてもかなり高く、顔を見るためにはかなり見上げなければなりません。ですが決して大柄ではなく、どちらかというと少し痩せ気味の体系です。着ている服も魔法使いがよく愛用するローブ系の物で、図書館の魔道書コーナーにいる事を考えても恐らくは彼も魔法使いなのでしょう。
 表情は柔らかな笑みを浮かべており、戸惑っている私の緊張が少しずつですが解きほぐされていきます。

「おっと、いきなりで失礼だったね。私はエスヘイム。困っている女の子がいるみたいだから声をかけてみたんだが……迷惑だったかな?」
「い、いえ。そんな……ありがとうございます」

 ピョコンと頭を下げてお礼をする私にエスヘイムさんは笑みを深め、そして伝えたお目当ての本を苦もなく手にし私に差し出してくれました。

「ふぅん、君みたいな娘がこのレベルの魔道書を読むのか……。やっぱり王立魔道学院の生徒はすごいね」
「あ、ありがとうございます……」

 軍に協力している生徒は、基本的に学園の制服がそのまま軍でも使われます。今日は休日ですが、私は気を引き締めるためにもこの服を着て図書館に訪れていました。
 褒められた事に少し顔を赤らめながらはにかみ、そして今になってエスヘイムさんは名乗ったのに私は名前を告げていない事に気付きました。

「あ、申し送れました。私は――」
「知っているよ、アニス・クレインさん」
「――え?」

 初見である事は間違いないエスヘイムさんがいきなり私の名前を口にした事に驚き、思わず彼の顔を見上げてしまいました。

「名前だけじゃあないさ。王立魔道学院で補助魔法を学び、今ではその実力を認められ軍で働く十五歳。熱心な意欲を持って仕事に当たっているが、その影には今は前線で活躍している学院の教師、パイク・ティーガーへの憧れにも似た恋心が隠されている。うぅん、いいねぇ。私もそんな青春がしたかったかなぁ」

 よどみなく私の詳細を口にするエスヘイムさん。しかもそれは単に私のプロフィールだけではなく、一部の親友にしか打ち明けていない秘密すら含まれていました。
 あまりにも異様な展開に愕然となり、私は軽い恐怖を抱きながらも身体は固まった様に動きません。魅入られた様にサングラス奥で微笑み続ける彼と視線を合わせ続けるしか許されませんでした。
 そんな私の態度の変化に当然ながら彼も気付いたのでしょう。笑みは更に優しさを増しますが、私の緊張もまた同様に増していきます。

「あぁ、そんなに怯えなくてもいいよ。実は私はパイクと知り合いでね」
「……先生と?」
「あぁ、彼は君の事を気にしていたからね。軍の仕事を始めた君を心配して、私に様子を見てきてくれと頼まれたんでね。で、そのために少しばかり君の事を調べさせてもらったのさ」
「そう……ですか……」

(……違う)

 確かに私は先生に憧れていましたが、先生と私は教師と教え子の関係ではなく、私が一方的に遠くから見つめていただけです。確かに軍の手伝いはしているものの、一生徒でしかない私に先生がそんなに気をかけるとは思えません。

 ……ですが、もしエスヘイムさんの言っている事が本当なら……コレほど嬉しい事はありません……。

「うんうん、納得してくれたみたいだね。さて、それじゃあ少し話がしたいんだけど、時間いいかな」
「はい……」
「ありがとう。それじゃあ行こうか」

 心の底で確かな違和感を抱きながらも私はエスヘイムさんの言葉に頷き、まるで子犬の様に彼の後をついていきました。



                      ※



 マインド・ブレイカー。それが私のバルド王国内での異称だ。
 精神干渉に感覚操作、読心、さらには幻覚等の魔法を使い、他者の人格すら破壊し別人の様に造りかえられるためにそう呼ばれている。
 使用方法は攻撃魔法の様なスペルの詠唱ではなく、視線を介したり何気ない言葉に意味を持たせたり人間にはほとんど感知できない程に薄い魔香水の使用など、地味だが相手に気づかれにくいものが多い。多人数を相手にする事は難しいため戦地では全くの役立たずといってもいいが、諜報活動や尋問にはこれ以上ないほど向いている能力だと自負している。
 そして今、私は新たな任務に就いている。
 私の後ろを少し人見知り気味な表情をしながらも素直に付いてくる少女、アニス・クレイン。彼女を私の側につかせる、つまりシルヴィア王国を裏切らせる事だ。
 まだ幼いと言っていい年齢であり、少し自信無さ気で大人しそうな容貌をしているがかなり有能らしく、この王都の守備のソコソコ深いところにも関わっているらしい。もしも彼女が私に協力してくれるならば、この戦争においてバルド王国が一気に有利となり得る可能性もある。
 かなり重要な任務ではあるが、今の私は大きな期待感も抱いている。理由は簡単、この娘がかなりかわいいからだ。少し瞳を隠す様に整えられた黒のボブカット、儚げな雰囲気を漂わせる大人しそうな顔つき。誰もが振り向く美少女という程でもないが、だからこその可愛らしさというものもある。
 情報を聞き出すだけなら強引に、それこそ人格を徹底的に叩き壊した後に新たな人格を植え込んでもいいが、そういうスマートじゃない方法は好みじゃない。それに何より、かわいい女の子の精神を弄くれるというのにそんなマネをする者を私は男とは認めない。

 まだ心身ともに未成熟で成長段階の少女に女の悦びを、しかも屈折した快楽を刻み込む。
 我ながら悪趣味で下劣である事は十二分に理解しているが、自分の性癖をごまかす様な人生は送りたくない。それに仕事をするに当たって自身の欲求を満たそうとするのは労働意欲を掻き立てる糧になるし、私にこの任を命じた上官もその事は理解している。
 そんな理論武装でこれからの行為を正当化しようとする自分を微笑ましく思いながら、目的の場所に向かい足を進めていく。

「へぇ、パイクがそんな事をねぇ」
「はい……先生って意外と子供みたいな所があって……」

 先程、名前を言い当てられた動揺の際に彼女の心から読ませて貰ったパイクに関する会話を続けながら、私たちは巨大な館内を進んでいく。結構な距離を歩いたというのにまだ誰にも会わないのは今が平日の昼間だから、ではない。アニスを物陰から見つめている時に試用した認識不可の魔法が私たちにかかっているからだ。
 この魔法に掛かっている者は同じ状態の生物しか認識できなくなる代わりに、他の生物に一切気付かれない状態になる。つまり今の私とアニスは私たち以外の人間が見えなくなり、逆に他の人間は私たちがどんな行為をしようと気付かないという事だ。
 露出調教というのは私好みのシチュエーションだが、実際に他者に見つかるとかなりまずい。しかもここは敵国内で、私は侵入者なのだから絶対に見つかる訳にはいかない。元々こういった事態に備えて開発した魔法なのだから、使いがいもあるというものだ。

「それじゃあ――と」
「? あの、どうかしましたか……?」

 突然足を止めた私に倣い、アニスも図書館の一角で立ち止まる。ここは私が前もってちょっとした仕掛けを施しておいた場所だ。そこにいかにも偶然といった雰囲気で歩みを止めた私はアニスの瞳を優しく覗き込む。

「アニスさん。君はパイクの事が好きなんだよねぇ」
「え? そ、それはその……はい……」

 私の質問に顔を赤らめ俯きながらも俯く少女。そんな初々しい反応に満足気に頷きながら、私は本棚から一冊の本を取り出す。

「そうかい。それじゃあ、やっぱりこういうのにも興味があったりするのかな?」
「こういうの……っ!?」

 私が手にした本に目をやり、一瞬で柔らかそうな頬が真っ赤に染まる。
 この本は王立図書館にはあるまじき本、いわゆる官能小説だ。一目でソレ系の本と分かる表紙とタイトルからどの様な本か気付いたアニスは混乱を隠そうともせず、私の顔と本の間で何度も視線を往復させる。

「え、あ、え……な、何を言ってるんですかエスヘイムさんっ!?」
「何って、そのままの意味さ。君はパイクに恋焦がれている。そしてパイクは君を気にして私を送った。だったら……お互いが気持ちを伝え合った後は、この小説みたいな行為を望むのかな、って思っただけだよ」
「ぁ……」

 憧れの男性が自分の心配をしているという言葉を再び投げかけられ、アニスは一瞬固まった様に動きを止めた後、おずおずと私の持つ本へとゆっくりと視線を移していく。
 奇しくもタイトルから察せられる本の内容は、男性教師と女生徒との絡みモノだ。ただし内容は純愛系ではなく鬼畜モノだ。もっとも官能小説など読んだ事はおろか目にした事すらないであろうアニスがそこまで理解しているかは分からないが。

「どうだい、アニスさん。君はパイクに告白し、受け入れられたなら、やはりこの本に出てくる女の子みたいなエッチな事をしたいと思っているのかい?」
「ぁ、ぅ……」

 初対面の男から言われれば憤怒してもおかしくない質問をされても、アニスは真っ赤な顔を俯かせながらモジモジと指を絡み合わせるだけだ。 悪くない。私の精神干渉に順調に取り込まれている証拠だ。

 本来ならこの年頃の女の子にとって、恋愛とは肉体的な欲求を満たすものではなく精神的な充足を求めるモノだ。
 しかし身体の方は子供を産む事すら可能であり、精神的にも性に対する興味を抱き始めてもおかしくはない。それでもその想いを他者に語るなどありえない話だが、私とて伊達にマインド・ブレイカーなどという大それた異名を持っている訳ではない。
 このいたいけな少女の恋心の最奥に隠されている、思春期の少女としては死にたくなるほどにはしたなく惨めな性への欲求。それをくみ上げかわいらしく戸惑うアニスに突きつけてみせる。

「さぁ、どうだいアニスさん。君はパイクに受け入れられた後、その可憐な唇に優しいキスをされ、熱い舌で口内をネットリと嘗め回され、更にはその華奢な身体にパイクの手や舌が這いずり回る事を望むかい?」


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