プロローグ


「ふぅん……ここね」  まだ日も高い夏の夕方。一人の少女が一軒のビルを見上げていた。  ビルといっても高さはそれほどなく、三階建てといったところか。しかし周囲に高い建 造物が少ないこの通りでは、充分に大きく見える。外観は普通のビルであるが、入り口に はそのビルの名称が看板として掲げられている。  『ホラーハウス ウィード』  『オカルト・ストリート』の終わり近くにあるこのビルは、名前が示すようにホラーハ ウス――分かりやすく言えばお化け屋敷である。  オカルト関連の店が軒を連ねるこの通りだが、お化け屋敷の数は多くない。  まぁそれも当然であろう。大掛かりな仕掛けが必要であり、かつ繰り返し行くような場 所ではないお化け屋敷で、このように個人経営をする事は難しい。現にいくつかのお化け 屋敷がこの通りにあるが、ほとんどは一年もしないうちに潰れてしまう。 (はぁ……本当に面白いんでしょうね、小枝子)  ビルの前で軽いため息を吐く少女、彼女の名は葉月 真由という。ここからそう遠くない 高校の制服を着ており、黒く長めの髪はさらさらとしている。少し吊り上った目が強気な 印象を与えが、身長はかなり低く、一見すると中学生にも見える。  彼女は元々ここに来る気は無かったのだが、友人の強い勧めにより、一度来てみる事に したのだ。  しかし、ぱっと見た感じではそれほどたいした所には見えない。彼女は今までにもその 友人に連れられ、この通りのお化け屋敷には何度か来たことがあるのだが、その全てが外 れだった。  どうせ今回もそうだろうと思い、来る事を拒んでいたのだが、「ここは完全予約制で絶 対に面白い、私もすごいドキドキした」と、必死になって訴えかけるので、結局折れる事 となったのだ。その予約は友人がしてくれたらしいが、彼女自身は用事があって今日は来 られないとの事だ。 「『ホラーハウス ウィード』……ね。名前からして安っぽいわね」  時計を見ると、予約の時間まで10分ほどになっていた。彼女はつまらなそうに呟くと、 早く終わらせようといった雰囲気でビル内へと入っていった。 「いらっしゃいませ」  真由が入ったビル内は、一見普通の店とそう変わらなかった。カウンターがあり、中 には受付らしい男が立っている。真由はにこやかに挨拶する男とは反対に、面白くなさ そうな表情で彼の方へ進む。 「予約していた葉月 真由ですが」 「はい、葉月様ですね。申し訳ございませんが、まだ先に入られたお客様が出てこられま せんので、そちらでお待ちいただけますか」  営業スマイルを浮かべた男は部屋の脇にある椅子を指し示す。真由は、仕方ないわねぇ、 といった感じで息を吐き、その椅子へと向かい腰掛けた。  そして横の棚に置いてある安っぽい心霊雑誌を読みながら時間を潰していると、受付の 男がお盆を持って現れた。 「こちらはサービスとなっております」  彼の持っているお盆には一杯のジュースが置かれていた。夏場に歩いたという事もあっ て少しのどの渇きを感じていた真由は、そのジュースを一息で飲み干した。 「んくんく、ふぅ。ありがとうございます。あの、これなんのジュースなんですか。今ま でに飲んだ事が無い味なんですが」 「これはオーナーが作られたジュースでして、レシピは秘密との事です。お口に合いませ んでしたか?」 「いえ、そんな事は無いんですけど、変わった味だったんで」 「そうですか。おかわりは自由ですので、その際はお申し付けください」  そういうと男はカウンターへと戻っていき、真由も2杯目を頼みたいとは思わなかった ので、再び心霊雑誌へと目を落とした。 「葉月様」  ジュースを飲んでから、5分ほど経っただろうか。受付の男に呼ばれ、真由は読んでい た雑誌を棚に戻し、カウンターへと向かっていった。 「大変お待たせ致しました」 「いえ、まだ予約時間からそう経っていませんから」  カウンターの壁に掛けられている時計は、予約時間を少し過ぎた時刻を指している。少 しきつめの性格をしている真由だが、この程度で怒るほど人間ができていないわけではな い。もっとも、少し不機嫌そうな声ではあるが。  そんな雰囲気を感じ取ったのだろう。店員は苦笑を浮かべながら頭を下げた。 「申し訳ありません。では、当店を楽しんでいただく前に、少し説明をしたいと思います」  その言葉は、真由にとってもありがたかった。この店に来たらしい友人は、すごい面白 かったとしか言わず、その内容については全く教えてくれなかったからだ。 「当店は階層型のホラーハウスでして、一階と二階では全く趣が異なります。一階では主 にギミックで、二階では暗闇の中で恐怖が体験できます。また、当店ではサービスと致し まして、お客様の驚かれた顔を写真に撮らせていただきます。もしその中で気に入った物 がございましたら、帰りにご購入していただく事も可能です」  取り立てて目新しく感じるところは無い。やっぱり無駄だったかな、と少し思いつつ、 真由は黙って説明を聞いていた。 「大まかな説明は以上です。後はどうぞご自分で体験されてください」 「はい、分かりました」 「では、どうぞこちらへ」  店員が説明を終えると、カウンターの隣の扉が開く。  ギギィーっという、わざとらしいほどの音を立てて開く扉の向こうには、なぜか日本風 の墓地が見える。 「それでは、どうぞごゆっくり……」  男の声も、若干低くなったように感じる。  真由はそんな雰囲気に心の中でため息を吐き、扉の奥へと足を進ませた。


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