26・もうすぐ夏も終わるけど帰省ネタ-1


「あんれまぁ、あの小っさかったたくやちゃんがこんなに大きくなっちまって」
「いやあの…それ以上に変わっちゃった所があると思うんですけど……」
 刺すような鋭い日差しに肌を焼かれる暑い夏。あたしは法事のため、田舎に帰省(かえ)ってきている。今年は義母方の親戚も同様に法事があり、こちらへは父と二人での帰省となったが、特に何かしなくてはいけないと言うわけではない。面倒なのはその田舎が結構遠くて街から離れた山間部にあるためやってくるのが一苦労と言うことと、村中を歩き回って親戚たちに元気な顔を見せて回らなければいけないということだ。
 ところが……である。タイミングの悪いことに夏季休校前に女性化してしまったために、あたしは女の姿で十軒以上の親戚たちを訪問して回らなければならなかった。服装は以前購入した水色のワンピースに帰省前に購入した大きな麦藁帽子。あたしの事を“男の子”として記憶しているはずのおじさんおばさんたちがそんなあたしの姿を見て目を丸くするのは……まあ、仕方がないとこだ。
 そのつもりなら、帰省中は胸にさらしを巻いてでも“男”として通す事も可能だったわけだけど、あえて女になった自分の姿を見せて回ったのには訳がある。
 女のままで夏休みを過ごしていると、色々なトラブルが際限なく寄って来るのだ。プールに行けばエッチされて、街に出ればナンパされて、山へハイキングに出かければ青姦されて、海へ行けば車の中でSEXされながら一泊……外に出かければ毎回のようにエッチな目にあってしまうわけなのだが、家にいればいたで、暑さを凌ぐ薄着に父さんの視線が突き刺さるし、結婚して家を出た夏美までもが帰ってきてあたし“で”遊ぶのだ。
 家の外でも中でもそんな目に会い続け、逃げ出そうと思わないはずがない。かと言って旅行に出かけるお金もなく……結果、もう夏休みが終わるまでは人里離れた山奥で生活して人目を避ける……と言う結論にあたしは達し、法事が終わってもここに長期滞在するつもりでここまでやってきたのだ。そんなわけで後々の面倒ごとを避けるために、最初の内にこうして挨拶も兼ねて親戚やご近所さんに説明して回っているのだ。
 だがしかし、敵もさるもの……
「………ということがあったんですよ。決してモロッコに行ったり、ニューハーフになったわけでもないんです。あくまでこれはちょっとした実験失敗の代償で……」
「あーあー、そげん難しい事言われても、ちーともわかりゃせんがな。ようはあれやろ、たくやちゃんはうちのゲンの嫁さんになってくれるゆーことやろ?」
「ちがーう!」
「なに言っとる。そんだけ大きな胸しとるんだから、はよ結婚して子供をバンバン産まにゃもったいなかろうが。ちょっと待っとれ。ババが爺さんを誘惑したときの服が箪笥にあるけん、今すぐ持ってきちゃるから」
「それ絶対に戦前のでしょうが!……って、いやー、お願いだからあたしの話を聞いて理解して―――ッ!」
「はぁ、なんか言うたか? まあ結婚するゆーたら恐くなるのはしゃーないけどな、たくやちゃんならきっとえー嫁さんになるでな。安心しとり」
 ……と、万事がこの通り。耳も遠くて話を理解させるだけで何十分と軒先で説明しなければならないのに、さらにその上自分の都合のいい様に話を捻じ曲げ、そこから先は人の話にまったく耳を貸してくれずにどこまでも突っ走ってくれるのだ。
 おかげで親戚回りも一日で終わらず、今日は二日目。どこまでも青い空と白い雲、村を取り囲む山々の緑と地面の大半を占める畑とを見回しながら、半ばこれ以上話を理解させる事を諦めたため息を吐き出してしまう。
 ―――ううう……そんなにこの村、お嫁さん不足なの?
 すっかりあたしの性別など忘れ去ってしまっているほどの年齢の方がほとんどの親戚衆。中には中年夫婦もいるし、村の中で走り回る子供たちと擦れ違わないでもないのだが、やはり若い年代が少ないというのはなんとなく感じ取れていた。
 ―――あたしは好きなんだけどな、この村……
 年に一度来る過去ないかの人間と、年中暮らしている人とではやはり受け止め方が違うのだろう。ここには自然が豊富にあると思うあたしがいる一方で、コンビニも何もない近代化の「き」の字もないような村に不便さを感じて出て行く人もいる。その人たちの気持ちが分からないわけではないけれど、自分の「故郷」が現実にそのような状況にあるのかと考えると、街で暮らしている身としては色々と心中は複雑である。
「おー、なんじゃ。えらい別嬪さんがうちに来とるのう。なんじゃ、ゲンの嫁さんか? あいつも隅におけんのう!」
「だ〜か〜ら〜……」
 大きな縁側に腰掛けて家の奥に入っていったおばあさんを待っていると、あたしが来るときに寄り合いがあるとかでちょうど出かけていったおじいさんが帰ってきた。……が、やはりこちらもあたしがたくやだとは覚えていない。
 ―――もしかしてあたし、昨日から物凄く不毛な事をしてないかい?
「爺さん、何ゆーとるがや。ほら、相原さんちのたくやちゃんじゃないさーね。あんた挨拶して出て行ったでしょーが」
「おーおーそうじゃったそうじゃった。昔はこーんなに小さかったのに、なんとまあ、大きくなったもんじゃのう」
 ―――それ、最初にも聞かされましたけど。ああもう本当に……頭痛い。
 タイミングよく出てきたおばあさんとおじいさんとの会話を聞きながら額に手を当てる。……ま、それでも年齢が年齢だからしょうがないかと自分に納得させたその時、ワンピースの上からあたしの乳房がムニュンと揉みしだかれた。
「………へ?」
「いや〜、これはたいした持ち物じゃのう。最近の若いモンは発育ばかりがいいと聞いとるが、けしからん、実にけしからんおっぱいじゃ! それ、ぽよ〜ん、ぽよ〜ん、ぽよよ〜ん♪」
「な、ななな……!」
 まるで吸い寄せられたかのようにあたしの胸に触れたおじいさんの手。手の平に収まりきらない90センチを越える乳房を揉み回すと、乳首を探り当て、今にも谷間に顔をうずめそうなほど胸へ接近しながらグリグリと圧搾する。
「んいッ! ちょ、おじいさん! はッ…んうううッ!」
「ほれほれ、ここがえーのんか? さきっぽがもう硬くなりはじめとるじゃにゃーか。これはもう、ワシの子種で子供を産ます他あるまゲフォ!」
 意外にも巧みな動きをする指先に思わず身をよじった瞬間、黒光りする放棄の柄があたしの顔の横を抜け、涎を今にも垂らしそうなほど顔をゆるませていたおじいさんの眉間を直撃した。
「んのおおおおおおおおおおッ!」
「まったくこのスケベジジィは! 若かったら親戚の娘にまで手を出すのかい!? なんとかお言い!」
「ち、違う、若いだけじゃなくて美人と言うのも一つのポイントんぎゃアアアアアアッ!」
 地面に倒れたおじいさんへおばあさんの追撃。見事な箒さばきで柄を回すと先端でおじいさんのアゴを跳ね上げ、横殴り。身体が流れたところにサンダルキックが腹部へ突き刺さり、後はもう殴る蹴る殴る蹴る殴る蹴る……うわぁ、こんな残虐シーンを見たら恐さですぐにでも村を出て行きたくなるな。
「たくやちゃん、ゴメンねー。イヤな想いさせちゃってもーたわねェ」
「い、いえ……別に……それほどでは……」
「あーそうそう、これ、うちの畑で取れた野菜。お詫びに持って帰って。うちの爺さんにはこれからたっぷりとお灸を据えとくから」
「はぁ……」
「それから、夫婦を長続きさせるコツは女の方が力を持つことだから。こういうときは決して容赦せんと。わかった?」
「き、肝に銘じておきます……」
 あたしの言葉に満足そうに頷いた年は九十を過ぎているはずのおばあさんは、右手に箒、左手におじいさんの襟を首を握って家に中に入っていってしまった。
「ううう…どこの世も女性の方が恐ろしい………あれ?」
 こんな山奥の田舎でも変わらない自然の摂理に冷や汗を流していると、ふと胸元の違和感に気付く。
 もしや……嫌な予感を覚えつつもワンピースの胸元を引っ張って中を覗いてみると、90センチオーバーの胸が揺れ動かないように押さえているはずの乳バンド――もとい、ブラジャーがものの見事に抜き取られてしまっていた。
「―――やられた」
 抜き取ったと思われるの人物はただ一人しかいない。先ほど胸を揉んだ時にお爺さんがあたしに気付かれないようにブラだけ取ってしまったのだ。
「………う〜む、恐るべし」
 肩紐が出るかもと思いストラップレスをつけていたのが失敗だった。
 結局、あたしが一時的に女になっているのだと理解してもらえず、高かったブラを持っていかれてしまったあたしは、手渡された籠いっぱいのナスとキュウリを呆然として抱えたまま、ぽつんと取り残された夏の日差しの下で家の裏から聞こえてくる断末魔の叫びに耳を傾けていた―――



「ふ〜ん……この辺は変わってないんだ………」
 数年ぶりに訪れる父の田舎。
 子供の頃に見上げた大木は、今でもまだ首を反らさなければならないほどに大きく、街中ではコンクリに固められている小川も自然そのままの昔と変わらぬ姿で木漏れ日の下を流れている。
 過去の記憶と今の光景とを重ね合わせながら、まるで木々のトンネルのようにせり出している枝葉に頭上を覆われた川原を歩く。
 父の待つ家に帰るには少々遠回りではあるけれど、何年かぶりに目にする光景は見るもの全てが懐かしく、感慨深い。
「………な〜んか嫌な記憶しか思い出せだいんだけどね、アッハッハッ」
 例えばすぐ横を流れている小川のせせらぎ。街からきたと言う理由だけで村の子供たちにパンツまで脱がされて放り込まれ、さらに深みにはまって溺れて死に掛けたし。
 鬼ごっこで走り回った道を見ても、鬼にされたら地の利を生かして逃げ回るほかの子供たちに一度も追いつけなかった記憶しか蘇らないし。あの時もし明日香がいなかったら、朝から晩まで鬼にされて村中を泣きながらさまよってただろう。
「あ〜…ま〜…子供って無邪気に残酷だからねェ……」
 とりあえず子供の頃の記憶は心の奥にでも仕舞って美化しておこう。今は久しぶりに誰の視線を気にするでもなく羽を伸ばせる場所にいるのだ。なにも暗い過去を思い出してわざわざ気を重くすることもない。
「そういえばこの川原で花火が爆発して火傷した事もあったっけ〜……なんであたし、ここに来ようって思ったんだろ?」
 どうにも思い出だらけなせいで記憶は完全には仕舞いきれず、ポリポリと頬を掻く。
 もっとも幸いな事に、村で育った若い人のほとんどは街に働きに出ているという。狭い村では働き口も少なくて大変なのだろうけれど、あたしにとっては昔いじめられた相手と顔をあわせなくても済むので多少気分も軽い。
 ―――はずだったのだが、
「おい、お前。なにもんだ!」
「へ? あ、あたしのこと?」
 突然怒鳴りつけられ、あたしは気を動転させながら辺りをキョロキョロと見回すと………いた。川原の向こう側。ぼんやり歩いていて見落としていた釣り人が、あたしを見咎めると手に竿を持ったまま浅い小川をザブザブと渡ってこちらへと近づいてきた。
 ………うわぁ、なんか恐そう……
 Tシャツに短パンと言うラフな格好だけれど、おかげで逞しい腕や脚がよく目立つ。農作業で鍛えたらしい体つきは、例えあたしが男の姿のままでも喧嘩しても話にならないことは容易く察してしまえるほどだ。
「見慣れない顔だな。どこから来た。野菜泥棒か!?」
「ち、ちちち違うって! これは貰ってきたの!」
 慌てて手を振って男の言葉を否定する。手にしている山盛りの野菜を見て疑いを持ったのだろうけれど………キュウリとナスばかりを女性が山のように持っているというのは、ちょっと卑猥かもしれない。
「おめェ、ヨソ者だな? だれがヨソ者にんなに野菜をやるんだよ。いいかげんなこと言うな!」
「ウソじゃないってばァ! あっちの家のおばあさんから貰ったの!」
「ウソつけェ!」
 ―――え〜ん、ウソじゃないのに話も聞いてくれないし〜〜〜!!!
 頭に血が上っているのだろう、完全にあたしを野菜泥棒と決めてかかっているようだ。今にも噛みかんばかりに歯を向いて肩を怒らせ、
「ヨソ者は嘘吐きばっかりだァ!」
「あッ―――!」
 と、いかにも私怨交じりっぽい言葉を吐いて腕を振り上げ……その手に握られていた釣竿の先端があたしの麦藁帽子を弾き飛ばしてしまった。
「あああああああッ! あたしの帽子がァ!」
 宙に舞った帽子はそのままヒラヒラと空中を滑るように飛んでいくと、ポシャンと川に―――
「ん? なんかお前、前にどっかで会った―――」
「なんてことしてくれんのよォ!」
 振り向きざま、手にした籠を男の頭に叩きつけていた。振り回した際にキュウリとなすとは川原に撒き散らされたけど、ともあれ怒りをぶつけ……なぜか横っ面を殴られるタイミングで怒りを解いていた男は不意をうたれてスッ転び、運悪く地面から飛び出していた川原の岩にゴチンと頭を打ち付けてしまう。
「………おや?」
 中身のなくなった籠で叩いたって手ごたえなんて軽いものだ。………が、さすがに“石”ではなく“岩”では、頭をぶつけた男のダメージも大きく、すぐに立ち上がってこなかった。
 そうこうしている間に流れていく、ちょっぴりお気に入りの麦藁帽子。
 そして目の前には、死んだように倒れて動かない見知らぬ男。
「………え〜ん、あたしが悪いわけじゃないのに〜〜〜!!!」
 さすがに倒れた人間を放って帽子を追いかけるわけにもいかない。どうも目を回しているだけらしい男を介抱しながら、納得いかない不条理さに恨み言を吐く。
 だが―――
「………あれ?」
 白目向いてる顔がちょっぴり間抜けではあるけれど、男の顔にはどこか見覚えがある。あたしが殴り倒す直前にも男が言いかけていたのも、もしかしたら同じような事に思い至ったからかもしれない。
 ―――でも待てよ。あたしがこの村で知ってる顔っていっても、そんなにいないよね。ご近所さんに、親戚一同に、それに………
 まあ、それ以外にはいないのだ。
 外見から見て取れる男の歳は若く、あたしとそれほど離れていない。たぶん同年代だ。そして、この数年この村にこなかったあたしの同年代の顔見知りと言うと、さらに範囲が狭まるわけで………そうして首をひねった頭の中で過去の記憶と目の前で気を失っている男の顔が合致し、名前が思い出せた瞬間、あたしは指を突きつけて思わず叫んでしまっていた。
「思い出した。いじめっ子のゲン太!?」
 気を失ってる相手に名前を聞いても、今は何の返事も返ってきはしなかった。



「―――お前があのタクヤ!? 女の尻に隠れてばっかだったあの!?」
 麦藁帽子は途中で引っかかって下流には流されていなかった。それでもグッショリ濡れてしまった帽子を日向で乾かしている間、あたしは日陰にある手ごろな岩に腰をかけ、川原に座り込んだ相手―――子供の頃にこのあたりで一緒に遊びまわっていた(?)ゲン太に、あたしの事を話していた。
「まぁ……一言では説明できないような事が色々あってね。けどゲンちゃん、女の尻に隠れてたってのはなに?」
「だってお前、いっつも女に助けてもらってたでねェか。ほら、いたろ? 髪の長い憎ったらしい顔したブスが」
「………今のを聞かれたら、殺されるわよ。間違いなく」
 よほど子供の頃に明日香に散々な目に合わされたのだろう。そのイメージが昔の時点で止まったままの記憶と重なり合い、ゲンちゃんの頭の中では明日香は悪鬼羅刹のような顔の女にでもされているだろう。なにしろ子供の頃の女の子への悪口の代表格が「ブス」だ。この一言に子供時代の恨みが込められているのを想像するのは難くない。
 ここで誤解を解かずに放って置いてもいい……のだけれど、もし明日香の耳に今のこの話が入れば、今度はあたしの身が危うい。真夏だというのに背筋に流れる冷たい汗にブルリと身体を震わせると、ワンピースのポケットから携帯電話を取り出し、ピコピコ操作してからゲンちゃんに手渡した。
「はい、これがその子」
「見せんなって、あんな女の写真なんて。どうせ男も寄り付かないような……んなッ!?」
 携帯のカメラで撮っていた明日香の画像データにゲンちゃんが食い入るように顔を近づける。
「こ………これ、本当に…あの?」
「そーよ。あたしと同じ大学に通ってるの。その写真もこの夏のものよ」
「信じられねぇ……あの不細工がこんなんなっちまうなんて……芸能人より美人じゃねぇか。な、な、こいつもこっちきてんだろ? しょ、紹介してくれないかな?」
「来てるわけないでしょ。あたしの親戚の法事なんだから」
「だったらさ、住所と電話番号を……わ、待てよ、まだ見てんだからよォ!」
 ―――ええい、人の彼女の写真を見て、欲情するんじゃない!
 今にも明日香が映っている画面を嘗め回しそうなゲンちゃんの態度に苛立ち、その手から携帯を奪い取る。けれど相手の方があたしよりも体格がよくて腕も長い。取り上げた携帯を頭上に掲げるものの、まるでサルかゴリラかのような俊敏さで体を伸ばすと、さっと携帯を奪い返されてしまう。
「こら、それ以上見るな! あたしの携帯だぞ、それ!」
「いいじゃねェかよ、減るもんじゃなし」
「あんたが見たら色々減るわよ。そんだけ汚らしい目で見といて!」
「なんだとォ!?―――で、こっちの美人は誰なんだ? 教えろよ、なぁ」
 ―――こ、こいつは……人の携帯を勝手にいじりやがって………!
 まさにジャ○アンのような身勝手さに拳を震わせながらも、ゲンちゃんの見せた画面を一目見て……
「あんた……本当に忘れたの?」
 と、少し哀れみを帯びた声で返事してしまう。
「え、オレ、会ったことあったっけ?」
「あったもなにも……夏美義姉さんよ、それ」
「……んなァアアアアアッ!?」
 “夏美”の名前は、今になっても深いトラウマとして心に刻み込まれているのだろう。あたしの義理の姉の名前を聞くと、さっきまでご執心だった携帯を放り出してその場から飛びのいてしまう。
「あ〜! 人の携帯を放り投げないでよ。水の中に入ったらどうしてくれんのよ!」
「うるせーな! あんなヤツの写真を見せる方が悪いんじゃねーか! 俺は忘れてねーぞ、あの女がやらかした事を……一生恨んでも恨み足りねーんだよ!」
 ………お〜い夏美義姉さん、あんた、遠いこの地でかなりの恨みを買ってるよ〜……心当たりがないわけではないけれど。
 今でもあたしをいじめるほどの悪女・夏美である。子供時代がどうだったかなど、あえて説明するまでもなく想像できるだろう。恐らくあのときにいた村中の子供全員が何がしかの謂れなき“攻撃”を受けているはずだ。
「そんなこと言っても……一応あれでも義姉だしね。ちょっと前に結婚もしたし、こっちに来る前に顔を見せに来たから親戚のおじいちゃんやおばあちゃんに見せようと写真撮ってきたの」
「見せんな! あ、あんなやつの顔を見たらジジババの心臓が止まる!」
 ―――だったら昨日から今日で何人か死んでるって。てか、夏美の写真は呪いのお札か何かですか?
 ともあれ、携帯も取り返したことだし、これ以上責めるのも悪いだろう。「子供の頃の恨み〜!」とかやってもいいんだけど、逆襲されでもしたら敵うはずもない。
 それに―――
「なんかもう、ガキ大将の威厳なんてどこにもないわよね。女の写真一つで欲情したり怯えたり」
「お、お前は夏美になんもされてねーからんな事が言えんだッ!」
「そうねぇ……帰省中だけは平穏だったよね。帰省中“だけ”は。それ以外の時、あの女が誰をいじめてたと思う? 考えたことある? ないわよね? あんたがトラウマに怯えて泣いてる頃にあたしはそのトラウマ以上の仕打ちを受け続けてきたんだって知ってる? ねぇ、知ってる?」
「う……お、お前、女になっただけじゃなくて、性格も随分変わったな……」
「あったりまえでしょうが。女になったらねぇ、色々と今までどおりじゃいられないことが山ほど押し寄せてくるんだから……」
 それこそ涙なしでは語れないことだらけだ。おかげで山奥の田舎に逃げるように帰省してきたのだから。
「ふうん、タクヤも苦労してるんだな」
「? なに、あんたもなんか苦労してるような言い方ね」
「当たり前だ。若い衆のほとんどが街に出ちまった。あの頃の仲間なんて、村にはもう一人か二人しかいねーんだから」
「そんなに?」
 確かに……昨日から村の中を歩き回っているけれど、同年代の人間とはほとんど顔をあわせていない。ほとんどがあたしよりも上の老人かほとんどで、若くて中年、そこから飛んで小さな子供が数人……と言うぐらいだ。
「こんな山奥に嫁いできてくれる女なんてまずおらんし、合コン行ってもオレの喋り方は田舎くさいって笑われる。おかげでオレはいつまで経っても一人モンだ。このままじゃ一生結婚できんまま死んじまわーな」
 ………おい、あんたの心配事はそっちかい。てっきり村の過疎化のほうを心配してるものだとばかり……
「そこでだ、タクヤ、おまえ何人も女の知り合いがいるんだろ? だったら一人ぐらい―――」
「大却下だァ!!!」
 座っているゲンちゃんの顔にサンダルの裏をめり込ませる。何が悲しくて、こんな自分本位のヤツに友達を紹介してやらなくちゃいけないのか。そもそも、人の携帯をいじって女探ししてるようなヤツ、ちょっとは天誅食らわせてやらなきゃ気も収まらない。
「ひ…ヒデェ事するな……」
「酷いのはあんたのほうでしょうが! さっきから聞いてればオンナオンナって。そんなに結婚したけりゃ山奥でメス猿と交尾してきなさい!」
「無茶言うな!」
「だったらもっと男を磨きなさい!」
 立ち上がると、あたしはゲンちゃんの鼻先にビシッと指先を突きつける。……よし、今度は決まった。
「あんたがいけないのは自分のことか考えてないとこ! 女性を惚れさせたいなら惚れられるような男になればいいのよ。それなのに積極的なアプローチもしないで田舎者だってバカにされていじけてて、そんなんじゃいつまで経っても結婚できないに決まってるじゃない!」
「そ、そうなのか?」
「そうなの! それがなに? 子供の頃はあんなに威張り散らしてたくせに、今じゃ単なるスケベ男じゃない。人の話も聞かないで腕振り回して威嚇するし、写真一つでハァハァするし。そんなあんたの姿を見て、誰が格好いいって思うのよ!」
「じゃあ……オレは……積極的にお前が好きゲフゥ!」
 相手がとち狂う前に事前策。ゲンちゃんが腕を広げて抱きついてこようとするところに、カウンター気味にサンダルの裏を叩き込んだ。
「人の話、聞いてなかったでしょ。あたしは男だってーの……!」
「だ、だけどよォ……」
「考えも節操も無しに相手を押し倒したらどうなると思う? レイプや強姦はれっきとした犯罪なのよ、この性犯罪者、レイパー、変態、甲斐性なし!」
「げほォ!!!」
 あたしの言葉でトドメをさされたゲンちゃんは、苦しそうに胸を押さえて川原に倒れこんだ。それを見てため息を一つ突くと、あたしは岩に座り直し、まだ顔を上げないゲンちゃんに言葉を向けた。
「この辺は全然変わんないよね……景色がいつまで経っても思い出のまま。だけど人だけは変わっちゃうんだね……」
「そーだな。タクヤは女になって性格がキツくなって……美人になった」
「性格だけは余計。あんたみたいな男がわんさか押し寄せてくるから、こういう風になっちゃっただけよ」
「だけど、本当に綺麗になった。タクヤだって聞いてからもずっとドキドキしっぱなしで、ずっと頭の中が混乱してる」
 立ち上がるゲンちゃんに視線を向ける。―――こうしてみると、決して悪いようには見えない。余分な贅肉の付いていない体に太く逞しい手足。顔だってそれなりに整っているし……過去と現在、二つの時間の姿がゆっくりとあたしの胸の中で一つに繋がっていくと、親近感に似た感情が間の時間を勢いよく埋めていってしまう。
 ―――悪い気は……しないよね、なんだか。
 明らかにあたしを女性として見ている目。性欲の対象としている目。何度あたしの体の事を説明しても聞き入れず、まっすぐに今のあたしを見つめる……どこかの誰かと同じ眼差し。
「タクヤ……」
 ―――逃げなきゃいけないと……思うんだけど……
 ほんの二・三歩の距離が詰められるだけの時間が、やけに長く感じられる。
 木漏れ日が暑い……いや、勝手に熱くなっているのはあたしの身体だ。小川の水面を奔って来た風に肌を撫で上げられながらゲンちゃんに見下ろされて、伸ばされた手が肩に置かれるまでに何度も身体が震えてしまう。
 ―――唾が……飲み込めない。
「オレ……タクヤ………」
「―――こういう時こそ積極的にいかなくちゃ」
 数年ぶりに出会った幼い頃の友達の唇が、震えながら押し付けられる。鼻息が荒く、とても上手な口付けだとは思えないけれど……あたしはそっと目を閉じると相手の背中に腕を回し、数年分の存在を確かめようと柔らかい感触の身体を密着させる。
 ―――また……流されちゃったなぁ………
 だけど今は愛おしい気持ちがあふれ出して止まらない。こうして男と身体を重ねても不快に感じるところがないのなら、傍を流れる小川のように身を任せるのもいいか……そう自分を納得させると、子供の頃の友達を抱きしめる腕にキュッと力を込める。
「言っとくけど……痛いのはイヤだからね………」


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