「真夜中の図書室」アクセス25万記念作品

淫獣の城 

沼 隆

第13章

屋根裏の、狭いメイド部屋に戻った美紀は、疲れきっていた。
半日、慣れないメイドの仕事をしたのだから。
ベッドに倒れこむ。
低い天井が、のしかかってくるような気がする。
この屋敷にたどり着いた夜から、幾晩たっただろう。
敦史と秘湯の熱い湯に浸ったのは、もう遥かな遠い昔の出来事のようだ。
会社の人たち、どうしているかなあ…
スタッフの顔が浮かぶ。
渋谷の雑踏。
涙がこぼれる。
体力をつけて…
タイミングを見つけて…
逃げ出そう…
その日まで、我慢しなくちゃ…
起き上がる。
身体に張り付いたブラウスを脱ぐ。
半透明の黒いブラジャーに包まれた乳房が現れる。
両手を背中に回し、ブラのホックを外す。
乳房がこぼれだす。
左の乳首の直ぐそばに、赤いキスマークがついている。
ぞっとする。
アルベリヒが、すなわち左京がつけたキスマーク。
身の毛のよだつアルベリヒの顔。
リョウと、チビの、そう、テツの顔が浮かぶ。
無神経で、厚かましく…
ああ、コンビニで強盗を働いた連中だって、モニクが話してた。
部屋の入り口の扉のロックを確認する。
それから、部屋の隅にあった椅子の背もたれを、ノブにかませる。
何かの映画で見たのを思い出したのだ。
パンティを脱ぐ。
ガーターベルトからストッキングをはずす。
開放感。
くたくただ。
ベッドに横になりたかった。
倒れこんだら、すぐに眠り込んでしまいそう。
シャワーを浴びなくちゃ。
狭いシャワー室で、美紀はからだを洗い、疲れきった足は、ていねいに揉み解した。
ふくらはぎを揉んでやると、疲れが抜けていくように思えた。
髪を洗おうか迷ったが、今夜はやめておくことにした。
髪の手入れに時間を掛けるよりも、ベッドに入りたい。
全身に熱くしたシャワーを浴びる。
シャワー室の扉をあけ、バスタオルに手を伸ばしかけて、部屋の隅に立っている人影に気がついた。
全身が凍りつく。
素っ裸のリョウが、勃起した陰茎をしごきながら、にたにたと薄気味の悪い笑顔を浮かべて、たってい
た。
「へへ、一緒にシャワー、したかったのになあ、へへ」
「出て行って!」
「へへ、へへ、へへ」
リョウには、ドアの鍵を開けることなど、朝飯前だった。
美紀が仕掛けた椅子のつっかえも、利いていなかった。
リョウが部屋に忍び込む音は、シャワーの音でかき消され、
部屋に入り込んだリョウは、誰かが助けに来ると思えなかったが、
椅子の背もたれで、しっかりとドアノブを固定していた。
「へへ」
リョウがじわじわと近づいてくる。
濡れたからだを両手で隠すようにして、美紀は後ずさりをする。
「来ないで!」
「へへ、美紀ちゃん、やらせろよ」
「なに、言ってんの!」
「おめこ、やらせろって」
壁に追い詰められる。
「いいキモチにさせてやるって」
「いやよ!」
「ちんぽ、好きなんだろ!」
「いやっ!」
「いやらしい格好、してたじゃねえか」
メイドの服は、からだの線が露骨に浮かび上がるものだった。
リョウが、すぐ目の前に迫る。
「乳首も、ケツの割れ目も、むき出しにしてよぉ」
にたにた笑いするリョウの目は、冷たかった。
「どすけべ下着、つけてさあ」
押しのけようとする美紀の手をリョウは力いっぱい握り締める。
「おめこ、丸見えにしてよぉ」
陰茎が、美紀の腹に触れる。
「ハメてえんだろ? えっ!」
「いやよっ!」
「へへ、オレ、ハメてえんだ」
リョウは、美紀をベッドに押し倒す。
必死で逃れようとする美紀を、リョウは殴りつけた。
鼻血が噴出す。
ぬるりとした感触。
「怒らせるんじゃねえよぉ」
狭い部屋に、リョウの怒声が響く。
にたにた笑いが消えて、野獣の怒りを剥きだしにした表情で、美紀を見下ろす。
「何度でも殴ってやるぜ」
美紀は、おびえて、声を失っている。
リョウは、拳を振り上げる。
顔をかばおうとする美紀のわき腹を殴りつけた。
「ぐえっ」
リョウが3度目に拳を振り上げたとき
「お願い…やめて…」
美紀は、やっとの思いで声に出した。
「ひどいこと、しないで」
リョウは、美紀の両膝を掴むと、左右に開いた。
陰裂が目に入ると、リョウはにやりとした。
陰茎の先端を埋め込むように腰を沈めていく。
美紀は、思わずからだを固くする。
迫ってくるリョウの顔から視線を背けようと顔をひねる。
鼻からどろりとしたものが、頬をつたって流れる。
こみ上げる嗚咽を必死でこらえる。
亀頭が、入り口の粘膜を左右に広げようとしたときだった。
ドン、と大きな音がして、ドガが破られ、つっかえにしていた椅子がはじけ飛ぶ。
ぎょっとしてそちらを振り向いたリョウの目に飛び込んできたのは、戸口に立つ大きな人影だった。
「ぐるるぅ」
そいつは、獣のようなうめき声を発しながら、リョウに近づいてくる。
「ば…化け物…」
リョウは立ちあがろうとしたときだった。
ベッドの上、美紀のからだの上で、もたつく隙に、近づいてきた大男は、リョウの尻の影にだらりとぶ
ら下がっている袋をぐいと鷲づかみにして、力任せにひねり上げた。
「ぎええぇぇぇぇぇ」
すさまじい悲鳴が上がる。
睾丸は握りつぶされ、輸精管は引き千切られて
縮み上がった陰茎の先から、鮮血が噴出す。
「ぐわっ」
アルベリヒは、リョウの頭を掴んで、ぐいっと捻じ曲げた。
ごき
部屋は、静まり返る。
アルベリヒは、明り取りの窓を開く。
息絶えたリョウのからだを軽々と持ち上げると、その窓から外に放り出した。
…どす
リョウの屍が、地面に当たる音。
屋敷の裏手の、降り積もった雪の上に埋め込むようにして横たわっているはずだ。
美紀は、ベッドに横たわったままである。
アルベリヒが、窓を閉める様子を見つめている。
振り向いたアルベリヒは、美紀の顔面の出血に気がつく。
「うおぉ」
悲痛なうめき声を上げて、美紀に駆け寄る。
「うおおおぉぉ」
アルベリヒは、両目に涙を浮かべて、不気味な顔で泣きじゃくりながら、美紀の顔を両手で抱え込む。
「うううううううううう」
無表情に見つめる美紀に、アルベリヒの悲しみは増すようであった。
美紀は、眠り込んでいた。
顔面と、わき腹の痛みで目が覚めた。
部屋には、昼の明るさがあった。
「きがついたかい?」
左京が、憔悴しきった顔で、ベッド脇の椅子に腰掛けていた。
「すまない…気がつくのが、遅れて…」
美紀は、左京から視線をそらす。
「地下室で、仕事をしていた…」
表情を変えない美紀に、左京は、
「すまない」
と、もう一度いった。

第14章

一晩熟睡したテツは、ベッドから起きだした。
廊下に出る。
屋敷内は、静まり返っている。
リョウの寝室のドアを開けると、ベッドは空っぽだった。
朝飯を食いに、先に行ったんだろう。
ドアを閉めるとき、廊下の突き当りの部屋の扉が少し開いているのに気がついた。
好奇心に誘われて、入っていくと、そこは書斎だった。
けっ
クソおもしろくもなさそうな本が並んでやがる。
エラソーにしやがって。
見るからに値段の高そうな本が目に留まる。
この屋敷を出て行くときは、めぼしいものをいただいていくぜ。
それより…
ヒヒヒ…
この屋敷に居ついてやるか。
男ふたりは、おとなしそうだし。
ガイジンのオバハン、リョウにやらせて。
俺は、美紀とやるぜ。
チチも、ケツも、ぷりぷりしてやがる。
ああ、やりてえ。
出口に向かおうとして、壁にかかった肖像画に気がつく。
目に鮮やかな青いドレスを着た女の子の。
げっ!
こ、こいつ、隼人じゃねえか。
女の子は、隼人に瓜二つの表情をしている。
あいつ、女装の趣味があるのか。
いや…もしかして…
隼人のヤツ、ホントは、女なんじゃ…
優しい顔してるからなあ。
女みたいな…
くそっ!
隼人のヤツ、女に違いない。
あのヤロー!
肖像画の女の子も、隼人同様、冷ややかな目をしてこちらを見ている。
その子の胸は、ふっくらと膨らんでいて、ドレスの下に隠された豊かな乳房を容易に想像させる。
馬鹿にしやがって!
そのときだった。
「ああ、ここにいたんですね」
その、隼人が、部屋に入ってきたのだ。
小柄なテツからすれば、頭ひとつ背が高い隼人。
テツは、憤りを全身で発散させながら、隼人を見上げた。
どう見ても、絵の中の女が、男装しているようにしか見えない。
オレを見下すような、目をしやがって!
「昼食の用意が出来ていますよ」
テツの威嚇的なまなざしに、隼人はとまどう。
「おなかが、おすきでしょう」
「ああ、腹ぺこだよ」
「ダイニングへどうぞ」
「なあ、隼人、おまえ、ホントは、女なんだろ、え?」
隼人が、怪訝そうな顔をして見せたことで、テツの怒りが燃え上がる。
「おまえ、女で、ここに、おっぱい、ついてるんだろ!」
テツが、いきなり腕を伸ばし、隼人の胸を掴もうとしたときだった。
隼人は、テツの腕を振り払う。
敏捷さと、腕の強さに、テツは驚く。
「このヤロー!」
「テツさん」
「女のくせに、ナメやがって!」
隼人の腹部を狙って突き出すこぶしを、隼人は片手で受け止めた。
拳をしっかり受け止める隼人の力に、テツはたじろぐ。
隼人の表情に、かすかに怒りが浮かんでいた。
女のくせに…
こいつ…
隼人に掴まれたこぶしを、テツは振りほどく。
「くそっ! おぼえてろ!」
敵意をむき出しに隼人をにらみつけながら出て行くテツを、隼人は先ほど見せたかすかな怒りが消え去
った冷静な表情で見送る。
その落ち着きは、さらに大きな屈辱をテツに与えるのだった。

美紀がモニクの指図に従って昼食の準備をしているところだった。
顔面の大きな青あざが痛々しい。
暴行の痕は、疼いて、美紀をつらくしている。
モニクは、美紀の気持ちにお構いなしに、てきぱきと指図をする。
ダイニングのドアが乱暴に開けられる。
小柄な体を大きく見せようとでもいうのか、肩を怒らせ、ぶざまなガニ股でテツが入ってくる。
キッチンに戻っていく美紀の後姿を、テツはじっと見詰める。
昨日同様、からだの線がむき出しになるメイド服を着ている。
昨日と違って、今日は濃いグリーン。
白いエプロンが、アクセント。
光沢のある、肌触りのよさそうな、薄い生地。
ミニのすそから、シームのはいったストッキングに包まれた脚が伸びている。
太ももから足首に這い下るシームのラインがなまめかしい。
待ってな、美紀、あとで、びりびりに引き裂いて、ばこばこにハメまくってやるからな。

「おかけなさい、テツさん」
声のほうをにらみつける。
左京が、いた。
オレに、指図するんじゃねえよ。
ぶざまことに、腹がぐううううと、大きな音を立てる。
キッチンから、上手そうな匂いが漂ってくるのだった。
いつの間にかテーブルに着いている隼人が、さげすむような笑みを浮かべた気がして、はらわたが煮え
くり返る。
「おかけなさい」
くそっ!
皿に盛られた料理が出てくる。
美紀の顔の青あざに気付く。
リョウのしわざとは、思いもよらない。
「お口にあうか…ビーフストロガノフです」
左京が説明する。
ビーフ…
皿の上を見て、テツの怒りは爆発する。
「てめーら、馬鹿にするんじゃねえっ!」
「どうしました?」
「ちゃんと、米があるじゃねえかっ!」
「は?」
モニクが、野菜サラダを盛りつけた皿を持って入ってくる。
「テツさん、何を怒っていらっしゃるの?」
「ゆうべ、この家には、メシはねえって言ったじゃねえか! なんだ、これはよお!」
「ああ…これ…これは、バターライス…」
「この、くそばばあ! バターライスだとお! メシがあるんじゃねえか!」
左京が、説明する。
「テツさん、この米は、アラビカ米といって、ご飯にはむかないのですよ」
「くっそおおおおお! てめーら、どいつも、こいつも、オレを馬鹿にしやがって!」
テツは、椅子から立ち上がると、目の前にある皿をぶちまけた。
「見てろっ!」
テツは、威嚇するつもりなのか、ドスドスと音を立てて出て行った。
リョウを連れてきて、こいつら、なぶりものにしてやる!

暖炉が燃え盛る客間に、リョウの姿は無い。
2階に行き、リョウの寝室つまり瀬里奈の寝室だが、そこに入っていき、リョウの衣服、持ち物、何一
つ残っていないことに気がついた。
あのヤロー、なに考えてやがる!
どこへ行きやがった!
オレが、コンビニの店員を刺したとき、あいつ、びびりやがった…
オレを残して、ずらかりやがったか…
バカヤロー
いつ出て行きやがった…
オレが眠っている間か…
この家のやつらが、見ているかも知れねえ。
くそっ!

美紀がデザートをサービスしている。
シュークリームの皮の中に、カスタードクリームのかわりにアイスクリームを詰め込んで、その上から
ホットチョコレートをかける。
冷たいアイスクリームと、暖かいチョコレートが絡まって、とろける美味しさだ。
隼人がおかわりをする。
「美紀、きみは、料理がとてもじょうずだ」
「こんな料理の才能があるなんてねえ」
テツが飛び込んでくる。
「おいっ!」
敵意をむき出しにした声だった。
左京と、隼人と、モニクが、不快な顔をする。
楽しい食事を台無しにするゲス野郎め。
「テツさん、どうしました?」
「リョウが、いねえんだよ」
リョウの名前を耳にして、食器を持った美紀の手が震えだす。
おびえた様子の美紀に、テツはいぶかしげな視線を向ける。
「美紀っ! テメー、何か知ってるんだろ!」
「美紀、リョウさんを見かけたかい?」
「けさ早く、お立ちになりました」
隼人が応える。
「な、なんだって!」
「朝食をご一緒にと、お勧めしたのですが、急ぐから、とおっしゃって」
「そうそう、焼きたてのパンと、熱いコーヒーをポットに入れて差し上げました」
「な、何で、言わねえんだよお」
「ご存知だとばかり、思っておりました」
「美紀、テツさんのおひる、用意して差し上げなさい」
「ははは、申し訳ないですね。私たちだけで、済ませてしまいました」
くそっ! リョウのヤロー…

午後の3時、お茶の時間。
ドライフルーツや、胡桃などを焼きこんだフルーツケーキとコーヒーが用意される。
客間の肘掛け椅子に離れて座っている一家3人に、美紀はサービスしているところである。
玄関のドアが乱暴に開けられ、客間のドアをすさまじい勢いで押し開いて、テツが飛び込んでくる。
「きさまらあああああああああ!」
美紀は、暖炉のそばで足がすくみ、動けなくなった。
「リョウになにをしたあああああああ!」
すさまじい形相で駆け寄るテツを、椅子に腰掛けた3人は、無表情で見上げている。
「てめえらあああああああ! リョウに何をしたああああ!」
「リョウさんが、いたんですか?」
「なんだとおおおおおお! とぼけやがってえええええええええええ!」
美紀と目があった瞬間、テツは美紀に駆け寄り、すばやく取り出したナイフの切っ先を美紀のほほに突
きつけた。
「屋敷のうらで、リョウが殺されてるじゃねえかああああああ」
恐怖で身を硬くした美紀のほほを傷つけ、一筋の血が、つ、と流れる。
左京の表情が一変した。
「やめろ!」
隼人が、強い命令口調で言う。
「やめろ」
隼人が立ち上がり、左京が立ち上がる。
「テメーら、ふたりとも、座ってろ!」
隼人も、左京も、テツの言葉を無視する。
テツは、ようやく気がついた。
隼人も、左京も、激しい怒りを漂わせていることに。
冷ややかだが、おとなしそうな目をしていたふたりが、まるで野獣のように目を光らせているのだ。
「こっちに来るんじゃねえ! 座ってろ! 座ってねえと、この女、ホントに殺すぞ!」
左腕で美紀を抱き、右手に掴んだナイフを美紀の胸に突きつけながら、テツはドアのほうに後ずさりを
はじめる。
じわ、じわ…
隼人と左京が、次第に距離を縮めてくる。
「く、来るな!」
隼人が、暖炉わきに備え付けてある火かき棒を握る。
フォークのように二股に分かれた先端が、鋭くとがっているのが、テツの目に入る。
「てめえっ! この女、殺すぞっ!」
そのときだった。
一瞬だった。
ひととは思えないすばやい動きだった。
隼人は、右手に握りしめた鉄製の火かき棒を、美紀の体側を回り込むようにして、テツの左わき腹に突
き刺し、ぐいぐい押し込んで、テツの右わき腹を突き抜けるまで刺し通す。
「ぐうううううええええええええええっ!」
すさまじい悲鳴だった。
左京は、テツが隼人の動きに気をとられた瞬間、テツの右手首をしっかり握り締め、力いっぱい捻じ曲
げて、へし折っていた。
左京は、美紀をしっかり抱きかかえて、テツのそばを離れる。
ぐえっ、ぐえっ、ぐえっ…
それから、ごぼごぼと、大量の血を吐き出して、テツは、客間の床に敷かれたペルシャ絨毯を血に染め
ながら、その上にどうと倒れこんだ。


第15章

あまりにも恐ろしい光景だった。
床に転がったテツの両脇腹から、血がどくどくと流れ出す。
紺碧の空の色をしたペルシャ絨毯が、たっぷりと血を吸って、どす黒く染まっていく。
美紀は、悲鳴を上げていた。
その悲鳴で、目が覚めた。
ベッドに横たわっていた。
狭苦しいメイド部屋ではなくて、2階の来客用寝室であった。
この屋敷にたどり着いた夜、敦史と泊まった寝室。
バイオレットを基調にした、美しい寝室。
部屋の隅のランプの明かりだけが、室内を照らしている。
夜が訪れたのだ。
何時ごろだろう。
時計は、無い。
ずいぶん時間が経ったはずなのに、空腹感も無い。
左京と隼人の手で、むごたらしい殺され方をしたテツの、怯えきった表情と、断末魔の叫び声。
左京と隼人によって、けだもの同然のテツから救い出されたのだが…
ベッドの上に起き上がる。
相変わらず、濃いグリーンのメイド服を着ている。
まるで皮膚のように、からだに張り付く服。
メイドの服を着せたままなら、屋根裏部屋に寝かせているだろうけど…
どうして、この部屋に?
かすかな疑問。
クロゼットを開ける。
空っぽだった。
ゆうべ、この部屋に泊まったはずの…
そのリョウは、あたしを…
リョウの持ち物は、跡形も無い。
どうやら、リョウの死体は、屋敷の裏庭にあるらしい。
それをテツが見つけて、客間に飛び込んできて…
自分も殺されてしまったのだ。
廊下に出る。
書斎のほうで、物音がしている。
そちらのほうには、行きたくない。
今、屋敷の人たちと顔を合わせたくなかった。
左京はもちろん、隼人にも、モニクにも、会いたくなかった。
寝室に戻る。
ドアをロックする。
ベッドに腰を下ろす。

落ち着き払って、冷たくさえ見えるこの屋敷のふたりの男は、一見華奢に見える体の中に、すさまじい
暴力を秘めている。
美紀自身、醜い大男、アルベリヒに姿を変えた左京に、一度犯されたのだ。
だが、その左京は、リョウの暴力から美紀を守ってやれなかったことを、心から詫びているようにも見
えた。
「左京のやつ、美紀のことが好きなんだよ」
たしか、書斎で隼人にそう聞かされた。

シャワーを浴びたい。
ゆうべ、寝る前に、シャワーを浴びて…
リョウに襲われた。
でも、この一日で、ぐったり疲れてしまった。
熱い湯を浴びて、元気を取り戻す。
下着だけつけて、ベッドにもぐりこむ。
一日着ていただけに、取り替えたかったけれど、替えは無いのだ。

廊下を行きかうばたばたというあわただしい音で、目が覚めた。
重いものを引きずる音がして、書斎のドアが、大きな音を立てて閉められた。
美紀は、起き上がり、メイド服を着る。
「ぎゃああっ!」
悲鳴が聞こえる。
「ぎゃああああああっ!」
空耳ではない。
女の悲鳴が、確かに聞こえる。
なんなの?
誰の悲鳴?
靴を履く。
音を立てないように立ち上がる。
ドアを開け、廊下に出る。
悲鳴は、書斎からだ。
書斎のドアの下からだけ、明かりが漏れている。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああっ!」
モニク…
モニクの声だ。
何が…何が、起こっているの?
書斎からもれてくるのは、モニクの悲鳴だけ。
ドアの前にたたずむ。
部屋に入るしかない、と思った。
何が起こっているのか、自分で確かめるしかない。
この屋敷から出て行くには、自分で道を切り開くしかない。
ノブを握る。
手が、震える。
一瞬ためらった後、ドアを開ける。
部屋の中央にすえられた左京のデスクを挟んで、ふたりの人物が立っていた。
そのふたりが、こちらを振り向く。
左京と、隼人。
デスクの上には、白い裸体。
モニクが…。
全裸のモニクが、デスクに仰向けに横たえられている。
両手首、両足首を、デスクの脚に縛り付けられて。
左京は、右手に、暖炉の火掻き棒を握っていた。
ああ…今度は、モニクを殺すの?
左京は、火掻き棒を、モニクの腹、ちょうど乳房の下の辺りに押し当てる。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
ぶすぶす、といやな音がして、焦げ臭いにおいが広がる。
「あなたたち、やめなさいよ!」
隼人が、じっと美紀を見詰める。
「美紀、こいつら、こいつら、やめさせて!」
モニクが、苦痛に耐えながら、やっとの思いで叫ぶ。
「美紀、助けて!」
「あんたたち、ひどいことばかり…」
「このふたりは…けだもの…けだものなんだよ」
そう、モニクの言うとおりよ。
でなきゃ、あんなひどい人殺し、できるはず、ない!
「けだもの、か…」
左京がつぶやいた。
「そうだね、モニク。私は、けだものだ」
「そうさ,左京、お前は、人でなしの、けだものだよ」
「やめろ、モニク」
「そうさ、黙れ、モニク! けだものにしたのは、モニク、お前じゃないか!」
「けだもの親子!」
美紀は、何がなんだかわからなくなった。
「お前たちが、人でなしでなかったら、こんなことにならなかったよ」
美紀は、デスクに近づく。
左京は、美紀に道をあける。
美紀に、モニクを見せようというのか。
モニク…
白い肌、柔らかい胸と腹に、痛々しい火掻き棒の痕がついている。
乳房の下を左右に。
乳房の谷間から、へそにかけて、たて一文字に。
ちょうど、十字を描くように。
傷は深く、大きく、ひどく焼け爛れていた。
「美紀、痛いよぉ…助けておくれ!」
「縄を解いてあげて!」
美紀は、自分の口から出た言葉に驚いた。
野獣のような左京からモニクを救って上げられるなら…
「美紀、違うんだよ」
「違う?」
「ああ…私は、確かに野獣のようなことをしている。でも、私を野獣に変えたのは…」
左京に気を取られている間に、いつの間にか背後に回っていた隼人に羽交い絞めにされる。
「やめてっ!」
今度は、あたしの番?
美紀は、恐怖に鳥肌が立つ。
必死に振りほどこうとする美紀を、隼人はがっしりと締め上げている。
ばたつかせて抵抗する美紀の両足を、左京は皮ひもで縛り上げる。
「美紀、邪魔をしないでくれ」
左京が言う。
その声には、悲痛なものがあった。
隼人の手で、床にねじ伏せられ、手首も皮ひもで、きつく縛り上げられる。
「美紀、邪魔をしないでくれ…今夜を逃すと…」
左京は、美紀を抱きかかえると、ソファに横たえた。
それから、隼人に言った。
「隼人、私を縛ってくれ」
隼人は、左京の指示に従って、部屋の隅からもってきた鎖で、左京の腕、足、手首、足首を縛り上げる。
身動きできないように、がんじがらめに。
何をしようというの?
「痛いよぉ…痛いよぉ…」
隼人は、暖炉の火で熱くした火掻き棒を握ると、それを、左京がつけた痕に重ねるように、モニクの腹
に押し付けた。
凄まじい悲鳴が上がり、ぶすぶすという音が聞こえ、モニクの肉の焼ける臭いが立ち込める。
美紀は、吐き気に襲われる。
隼人は、残忍な行為を黙々と続ける。
あと3度ほど、モニクの凄まじい悲鳴が上がり、それからモニクは気を失った。
死んだわけではなさそうだ。
胸と腹が、上下している。
静寂が訪れる。
誰も、一言も発しない。
鎖でぐるぐる巻きに縛られた左京が床に転がり、隼人は部屋の隅の暗がりに影を潜め、美紀はソファに
横たわっている。

床の左京のからだが、もぞもぞと蠢き始める。
ぐぐぐううう…
ぐぐぐぐぐるるるるる…
左京ののどから、獣のうなり声が漏れる。
左京のからだが、ぐっ、ぐぐっ、ぐぐぐっ、と力を増していく。
やがて、鎖を引きちぎりそうにまで、からだが肥大する。
膨らむのではない。
全身の筋肉という筋肉が、鍛え抜かれたアスリートのそれのように盛り上がっていくのだ。
「ははは…お目覚めだね、アルベリヒ…」
デスクに縛り付けられたモニクが、意識を取り戻していた。
弱弱しい、しかし秘肉たっぷりのあざける調子で、言った。
それから、首をひねって、床に転がるアルベリヒの姿を見る。
「あっ…アルプ、おまえ…」
美紀は、驚きの表情を浮かべるモニクの顔が、それから乳房から下腹部にかけてつけられたむごたらし
い十字の亀裂が、目に入る。
モニクの目は、鎖に縛られて蠢いているアルベリヒの姿に釘付けになっていた。
「左京! そんなことをしても、あたしの呪いから、逃れられないよっ!」
呪い?
これって、モニクの呪いなの?

「あはは、美紀、おまえも縛られているのだね。それじゃあ、助けてもらえそうに無いねえ」
「呪いって、何なの?」
「ばかな親子だ…あたしの言うとおりにしていれば、いい思いが出来たのに…」
モニクの腹の裂け目は深いようで、血が流れ出している。
「ばかな、左京…。美紀、左京ったら、おまえを愛してしまったようだ…」
激しい痛みに、モニクのからだが震える。
「この浮気男が…」
床に、肉の塊となって転がっているアルベリヒ、いや左京が、呻いた。
「あたしが、どうしてこの家族を呪うことになったか、聞きたいかい?」
「ええ…聞かせて」

話は、6年前にさかのぼる。
鹿島左京は、フランス、ロワール地方の中心都市、アンジェの大学に単身留学していた。
慶鳳大学から留学費用を支給されて、一年間、中世の教会美術の研究に来たのだ。
妻の妙子と、ふたりの子供、隼人と瀬里奈を東京に残して。
子供たちが、慶鳳大学付属高校に入学したばかりの
5月はじめのある日、妙子に航空便が届く。
差出人の名前は、なかった。

《あなたのご主人、鹿島左京氏は、とんでもないやつです。
 慶鳳大学から奨学金をもらいながら
 研究はそっちのけにして
 フランス女性と、親密な交際を続けています。
 モニク・ロカンタンは、大学近くの薬局で働く薬剤師です。
 午後1時を過ぎて、モニクは、昼食の時間になると、鹿島氏の研究室にやってきます。
 教官棟は、午後の授業が始まって、静まり返っていますが
 鹿島氏の部屋からは、淫らなあえぎ声が漏れてきます。
 たまたま通りかかった私は、そのあまりのいやらしさに顔を赤らめてしまいました。
 大学の、しかも、神聖な研究室で、性行為にふける鹿島氏の
 恥知らずな行為に、私は同じ日本人として、耐えられません。
 何度目かの時に、鹿島氏に注意しなければ、と思いました。
 モニク・ロカンタンが帰っていく後姿を確認して
 思い切って、鹿島氏の研究室に入りました。
 肘掛け椅子にもたれかかるようにして座っている鹿島氏の体から
 女性の香水のにおいがプンプンします。
 私が忠告すると
 「余計なお世話だ、君は、人のプライバシーに口出しをするのか!」
 と非難される始末です。
 鹿島氏の足元の屑カゴから、精液の臭いが立ち上ります。
 「君は、俺がフランス女と寝ることに妬いているんじゃないか?」
 私は、彼の研究生活が台無しになってはいけないという気持ちから出たことですが、
 こう言われたら、引き下がるしかありません。
 鹿島氏のような優れた方が、研究者としての生活をあんな女のために棒に振ることなど
 見過ごしにできません。
 余計なおせっかいだ、と思われるかもしれませんが…》

ご丁寧にも、左京とモニクが濃密なキスをしている写真が同封してある。
手紙の主は、左京の日常をよく知っていた。
妙子は不安になった。
ふたりの子供を白金のマンションに残して、フランスに発つ。

大学近くのビストロで夕食を済ませて、左京は、モニクと宿舎に向かう。
腕を組み、立ち止まっては唇を重ねる。
抱き寄せた左京の指が、モニクの尻を這う。
「早く、帰って、しましょう」
「ああ」
「待ちきれない?」
「ああ、待ちきれない。ここでしたいよ」
左京は、日に何度でもモニクを抱けた。
左京の情熱に、モニクは応えた。
モンフェラン公園の木立の影で、モニクはパンティを脱いで左京を受け入れる。
立ったままの姿勢で、片足を左京に抱え上げられて。
「バックが、いい」
立ち木に押し付けた両手で体を支えながら、モニクは背後から挿入される。
ふたりの淫らな行為に、通りかかった人は、足を速める。
木立の影の暗がりで、モニクは恥知らずなよがり声を上げ、吹き上げる左京の精液を受け止める。

明かりが消えた暗い部屋で、妙子が待ち受けていた。
動じないモニクの表情に、妙子は怒りをあらわにする。
諍いがあった。
「その手紙は、いたずらだ」
左京は、妙子が突きつけた手紙を手に取る。
「鴛野のやつ…」
手紙の主は、アンジェの大学で日本文化を教えている鴛野宗男という男に違いない。
ワープロで打ってあっても、左京の日常生活を記す内容からして、確信できた。
妙子は、モニクに詰め寄った。
モニクは、気性の激しい女だった。
真っ赤な髪が与える印象どおりの。
緑色の、射すくめるような強い視線で妙子を見つめる。
「妻子がいるなんて、左京は一言も言わなかった」
妙子は、左京と別れることを迫る。
「別れるつもりはない。左京を愛している」
きっぱりと言い放つ。
「あなたこそ、別れなさい!」
「なんですって!」
「私、妊娠しています。左京の子です」
「何を言うの! うそよ、そんなこと!」
「うそを言って、何になるの!」
「堕ろして」
「いやよ」
「ホントに妊娠しているの?」
モニクは、怪訝な顔をした。
「妙子、私が、嘘をついていると思っているの?」
翌日、病院に行くことになった。
モニクは、ひとまず、左京が呼んだタクシーでアパルトマンに帰っていった。
夜遅くまで諍いを続ける左京と妙子に、近所の人が怒鳴り込んできて、
妙子は、ベッドに入り、左京はソファで寝た。
妙子は、眠れない夜をすごした。

左京は、朝食もとらずに、大学に出かけていった。
まるで、君たちふたりで、解決してくれといわんばかりに。
迎えに来たモニクの車で、ふたりは、市民病院へ向かう。
車の中で、ふたりの女のいい争いが始まる。
妙子は、激しく非難した。
モニクは、負けてはいない。
非難されるいわれは、ない。
あたしは、左京を愛している。
左京も、あたしを愛してる。
激しい視線を妙子に向けながら、早口でしゃべり続ける。
わき道から飛び出してきた自転車を避けようと、ハンドルを切るモニク。
反対方向から来た車と衝突。
妙子は即死。
モニクは、流産。
身勝手な左京が招いた悲惨な結末。
左京は、妙子の遺骨を抱いて帰国した。

「左京を愛していた。心から…そう、心から」
デスクの上に、全裸で仰向けに寝かされ、身動きできないモニクが、話を続ける。
……からだが回復したら、左京と暮らしたくて、東京に来た。
白金のマンションの入り口で、左京が帰ってくるのを待った。
エントランスの柱に寄りかかるようにして半日待った。
出入りする人、変な目で見たけれど…
左京が、待ち遠しくて、半日なんて、あっという間だった。
左京、あたしを見て、呆然とした。
でも、あたし、左京に飛びついて、みっともないくらい大きな声で、泣いたわ。
左京は、あたしを車に乗せて、赤坂のホテルに連れて行った。
妻をなくしたばかり、いまあたしと一緒に、と言う気持ちになれない、と言う。
子供たちも、あたしを今受け入れることはないだろう、と言う。
しばらく、待って欲しい。
ボクも君を愛している。
将来、必ず一緒になる。
そう言うから、あたしは、アンジェに帰った。
でも、やっぱり、左京のそばにいたい、そう思って、日本で出来る仕事、探した。
日本語も勉強した。
一年後に、日本に来た。
フランスの食材コンサルタントとして。
左京と、デートするようになり、白金のマンションに行くようになり
一年後に結婚した。
隼人と瀬里奈は、高校3年生。
私たちの結婚、喜んでくれたと思った。
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