stage2「聖天の主」-03


「領主様がお前などに会うものか。胡散臭いやつめ。さっさと帰れ」
 途中で新しい下着を購入して履き代え、改めてタッカー家を訪れたものの、壁を掃除している門番の男性から帰ってきたのはけんもほろろな拒絶の回答だった。
「えっと、あたしは別に怪しいものじゃないですよ。ほら、冒険者登録証。領主様がこの街に伝わってる伝承に詳しいってお聞きして―――」
「冒険者だと? だったら余計に会わせられん。領主様のお気持ちなど何も考えずに、金目当てで集(たか)ってくる最低な連中だからな!」
「そ、そんなんじゃないですよ! あたしはただ、天使の話について―――!」
「何よりも大切な上のお嬢様を拐(かどわ)かされたと言うのに、ギルドへ捜索願を出した途端に意地汚い奴らが何度もやってきてはそのたびに根掘り葉掘り……ワシはもう見ていられんかった。中にはゴシップ目当てで押しかけてきたヤツもいたが、そういうのがどういう目にあったか、お前さんも聞いてみたいか、その身体で……!」
「いえいえいえ! 結構です、遠慮しときます!」
「ふん、解ればいい。そこにおられると掃除の邪魔だ。さっさとどこかへ行ってしまえ!」
 ダメだ、取りつくしまもない。このまま言葉を交わし続けても、門番のおじさんの機嫌を損ねるだけだ。
 ―――とは言え、おっきな家なんだけど……なんでこんなに嫌われてるんだろ?
 カダの街が南部域と中央域とを結ぶ流通経路上の宿場町だっただけあって、屋敷の敷地は一区画丸ごととかなり広い。けれど敷地の中の様子をうかがわせない高くて横にも長い壁一面には、色とりどりのペンキで誹謗中傷がびっしりと書き込まれていた。
「なんか……酷いですよね、これ……」
「ワシに同情したって領主様には会わせんからな」
「そうじゃなくて、これって一人の人が描いたわけじゃないでしょ? なんか……上手く言えないけど、そういうのはヤだなって」
「………ふん」
 フジエーダを出てからここに到るまで、何度もトラブルには巻き込まれてきたし、他人を傷つけて、力ずくで自分の無理を押し通したことだって少なからずある。
 広い壁に描き込まれた文字の数々は、あたししてきたのと同じように、カダの街の領主の心を傷つけている。……でもどの文字一つとっても、そこにはドス黒い感情のようなモノしか感じ取れない。『死ね』とか『出て行け』ならまだマシだけれど、誘拐されたって言う娘さんのことでも『ざまあ見ろ』とか『思い知ったか』だなんて描いてあるのを見ると……不快な気分を通り越して吐き気さえ催してきてしまう。
 ―――実は、本当にカダの領主が悪人だって可能性もあるけど……
 でも、一人では一ヶ月かかったって消しきれないほどの壁の落書きを、ブラシを手にして頑張って消そうとしている門番のおじさんの姿を見ていると、とてもそうとは思えない。娼館で貴族と呼ばれる人たちを“接客”したこともあるけれど、誰も彼もが税金を搾取するだけの悪人と言うわけじゃない。自分の領地の繁栄や住人の安全や平和に関して常に気にかけていた人も多い。
 ―――そういう人には、自分が男だってことも忘れてついついサービスしちゃって……まあそれは置いとくとして、ここの領主も決して悪人って感じはしないのよね。
 街の入り口をくぐる時、酷い所だと賄賂を要求されたり身体にお触りされたりすることもある。けれどここカダではそういうことはなかった。確かに人は少ないけれど治安も行き届いているように思えるし、使用人の門番さんを見ただけでも、その人となりは伝わってくる。
「………ジェル、このおじさんを手伝ってくれる?」
 そう呼びかけながら手の平の意識を集中させると、以前よりもわずかに大きくなった透明な魔封玉が現れる。それを壁に向かって投げつけると、一瞬の閃光の後にゼリースライムのジェルが壁に張り付き、その身をプルプルと震わせる。
「ぬおォォォ、も、モンスター!? なんだ、もしや貴様、領主様を襲う不届き者か!?」
「違いますって。ただ……なんか放っておけなくて」
『……………♪』
 モップを剣や槍の代わりにして身構える門番さんに少々困った笑みを浮かべると、あたしはジェルをくすぐるように人差し指で下からなぞり上げる。すると嬉しそうに震えてから、手の平サイズにまで凝縮していた透明な身体を一気に膨張させ、壁の上を這い広がっていく。
「壁は食べちゃダメだからね。表面のペンキだけ上手く消してあげて」
『………♪ ………♪』
 ペンキなんか食べさせるのはどうかと思ったけど……どうも本人はスゴく楽しそうだ。
 薄く広がったスライムは、見た目は水の膜が壁に張り付いているようにしか見えない。これなら人に見られてもモンスターだと騒がれはしないだろう。
 そして驚きのペンキ除去効果。壁の上から下までそしてあたしが両手を広げても届かない以上の幅にまで広がったジェルは、見る見るうちにペンキだけを溶かし落としてしまう。そのスピードはブラシで擦るのとは比べモノにならない。あっと言う間に落書きは消され、まるで新築のような綺麗な壁がジェルの下から現れ始めた。
「あんた、余所者だな? 余計なことはするな。さもないとこの街を追い出されることになるぞ」
「別に良いですよ、追い出されるぐらいなら。冒険者なんだし、そしたら別の街に行くだけですもん♪」
「ふん。勝手にやったことだからな。ワシが頼んだことじゃないし、領主様にも会わせんからな」
「ははは……ま、それはしょうがないって諦めました。それより今は、さっさと壁の掃除を終わらせちゃいましょ? あたしも街からいつ追い出されるかわかんないし」
「………まあ、礼ぐらいは言っておいてやるわい。ふーんっ!」
 このおじさん、歳の割に反応が可愛いと言うか……けどま、嫌われたわけじゃなさそうだし、いまは壁の掃除を終わらせるのがまず先決。
「井戸はどこにあるんですか? あたし、水を汲んできます」
「そこの通用口を入ってすぐに……って、こ、こら、勝手に中に入るなと言うとろうが!」
「心配しなくたっていいですよ。領主様に会いに行くなら、ちゃんと門番さんの許可を貰ってからにしますから♪」
 そういって笑顔で返事をすると、初めてあたしの顔をまともに見た言葉を止め、何か言いたそうに口をパクパクさせてからゴホンと一つ咳払いをして、
「ま…まあお前さんなんら大丈夫じゃろう。いいか、水を汲んだらさっさと戻ってくるんじゃぞ?」
「は〜い♪」
 むう……娼館仕込みの接客スマイルって効果抜群よね。けどこれを使いすぎたら男の自覚が薄れていくような気がするのが問題だ。ただでさえ四ヶ月も娼館で働きっぱなしで精神的にも女性化が進んできてるような気しているのに、これ以上男性に媚を売るような行為をしていたら男に戻ったときが大変だ。
 ―――早く男に戻るためにも天使の情報は得ておきたかったんだけど……この街に誰か詳しい人って他にいないものかな?
 手元にある手掛かりは領主ならば何か知っていると言う留美先生の言葉だけ。しかも会うことが出来ないのでは、その手がかりも途切れてしまっている。となると、別のルートから天使の情報を追うしか道が無いわけだ。
 しかし、カダは初めて訪れた街。そんな都合よく天使のことを知っている知り合いがいるはずも無く、知ってる人間に出会える可能性は低いと言わざるを得ない。これまであちこちの村や町を回って伝承話に頼ってまで男に戻る術を探してきたけれど、天使の話なんてものは一度も聞いたことが無いのに、そうそう簡単に見つかりっこないに決まっている。
 そんなことを考えながら正門脇の通用口から領主邸の敷地へ足を踏み入れると、門番のおじさんがいつもいるのであろう詰め所の裏に出る。
 ―――いっそこのまま屋敷の中へ忍び込んじゃおっかな……
 正面には、創造していたものよりは小さめではあるものの、それでも一般庶民からすれば大きな屋敷が建っている。周囲に人影はなし。行こうと思えば、こっそり中に入って領主に直接会いにいくことも出来るのではないか……そんな考えが頭をよぎるものの、
 ―――それだと門番のおじさんをだましたことになっちゃうし……ま、今回はやめときますか。
 部外者のあたしを中に入れ、もし問題でも起こされたら、その責任は門番のおじさんにも及ぶ。そう考えると良心が刺激されてしまい、通用口近くにあった井戸から先へと足を踏み出すことは結局出来ないままに水を汲み終えてしまっていた。
「はぁ……しょうがないよね」
 男には一日でも早く戻りたい気持ちは変わっていないものの、男に戻れていない今まででも大勢の人に迷惑をかけてきている。だからというわけではないけれど……むしろあたしの性格的に、人の迷惑をかける行為を避けたがってしまう。
 さらには、今回の天使探しというのも留美先生からの依頼ではあるものの、必ず遂行しなければいけないものではない。1000万ゴールドの報酬というのも現実感が無さ過ぎてピンとこないし、そもそもカダの街へは南部域から中央域へ移動するために立ち寄っただけの場所。留美先生だってあまり期待はしていないようだし、それほど無理をする必要もつもりも感じられないというのが現状だったりする。
「ま、領主様には縁があったら会えるでしょ」
 とりあえず今は、壁の掃除が先決だ。あんな落書きだらけの壁は、生理的にどうにも許せない。ジェルに手伝ってもらって綺麗にしたら、その後のことはその時に考えよう。―――そう結論を得て、よっこらしょっと水が入って重たい木桶を持ち上げた瞬間、
「く、くくくくくせものぉぉぉぉぉ!!!」
「ひあああああッ!?」
 いきなり背後から後頭部めがけて何かが突き出される。それが後ろから前に貫通する一撃である事を、けっこう使い慣れてきた攻撃予知で悟ったあたしは悲鳴を上げながらも、身体を右に振って躱していた。
 ―――ちょっといったい何なのよ。まさか敵!?
 街中で襲われるほど怨まれたりは――某エロ本を除いて――してないと思うけれど、娼館で人様に後ろ指刺されるような爛(ただ)れた生活をしていたので、それも絶対とは言い切れない。
 でも、外に出ようと通用口に身体を向けたその反対側からなので、屋敷側から攻撃を受けたことになる。しかも頭の横を抜けて言ったのは、銀色に鋭く輝く槍の穂先。当たれば確実に頭に突き刺さる凶器の冷たい輝きに背筋をゾクリと震わせながら、慌ててその場から大きく飛び退る。
 ―――いったい誰がいきなり攻撃なんてしたきたのよ!
 不意打ちされて動転しているものの、これでもそれなりの修羅場は潜り抜けてきている。間合いをとり、腰のショートソードの柄に手を伸ばしながら相手を確認すると、
「あわ、はわわわ、は、はずしてしまいました!」
 ―――メイド、さん? なんでメイドさんが槍もって……って、手付きがなんか危なっかしい!
 目の前にいたのは、最近あちこちの酒場や娼館で流行っている丈の短いスカートではなく、紺色の古式ゆかしい正統派メイド服に目を包んだ、グルグルめがねが印象的なメイドさんだった。
 背はあたしよりも高い。長い髪を二本の三つ編みにして背中にたらしていて、目元を覆い隠す丸いレンズのメガネとあいまって、野暮ったさを強調しているような印象を受けるような感じだ。
 けれどまあ……寂れているとは言え、ひとつの街を治める領主様の屋敷なのだからメイドの一人や二人いたところでおかしくは無い。でも、
「おおお、お、おのれ、ナニヤツでででですか!? また、りょ、領主様のお命を狙いにきたですかァ!?」
「てか、そういう確認をするのは槍で突く前にしろぉぉぉ!!!」
 精一杯の威嚇なのだろう。メイド服には似つかわしくないショートスピアをこちらに向けてきてはいるものの、腰は引けているし、身体がガタガタ震えていて切っ先も安定していない。なんだか本当にこちらのほうが悪いことをしているような気になってくる震えっぷりに、さてどうしたものか頭を抱えたくなってしまう。
 ―――ここは冷静になって、相手の誤解を解いたほうがいいかな。ここで揉め事起こしたら、それこそ領主様に会うことなんて出来なくなるだろうし……
「え〜と……あたしは別に怪しいものじゃありません。ただ、外の壁の落書きを消すのを手伝ってて、それで水汲みにちょっとお邪魔しただけです。だから落ち着いて。冷静になってその槍、引っ込めてくれませんか?」
「わ、わる、悪者は、み〜んなそういうことゆ〜んですってお婆様のお婆様のお婆様が言ってました! それに、けけけ、剣、持ってます! 凶器です! それで、それで、領主様を……ひひひ人殺しィ!!!」
「人聞きの悪いこと言わないで! まだ何にもしてないのに、どうして人殺し呼ばわりされなきゃいけないのよ!?」
「まだって事は、これ、から、何かするんですね!? ダメです、そんな、不法侵入したくせに―――!!!」
「のわあああああっ! だ、だから槍で突くな―――――――――!!!」
 説得失敗。口で「えーい!」と叫びながら、でも目は瞑って身体ごと危なっかしく突っ込んでくる槍持ちメイドさんを、あたしは横へ跳んで大きく避ける。そして立ち位置を入れ替えて改めて対峙しするものの、
「まず落ち着きましょう。こういうときは深呼吸して素数を数えるのがいいって聞いたことあるから。ほら、一緒に数えましょ。いーち、にーい、さーん」
「あああ悪党の言葉に耳なんて貸しませぇぇぇん!」
 ―――あー言えばこー言うし……こりゃ話しかければかけるだけ、関係悪化しそうね……
 このメイドさん、完全にあたしを悪人と決めてかかっていて、こちらの言葉を素直に受け入れてくれない。このままこの場にとどまっていれば、いつまた槍で刺されそうになるかわからない……となれば、
「しかたないわね……こうなったら、あたしのとっておきの技を見せるしかないわね」
「ええええええっ!? なんですか? も、ももももしかしてぇ!?」
「覚悟することね。あたしにこの技を使わせるんだから―――」
 あたしは腰の後ろに差しているショートソードの柄を逆手に握ると、腰を落とし、息を吸い、そして、
「三十六家、逃げるが勝ちぃぃぃ!!!」
「え? え?……えええええええええええええええええええ!?」
 厄介な人とはかかわらない。どういうわけかトラブルに巻き込まれてばかりのあたしがたどり着いた結論だ。
 だからこの場は逃げるに限る。こちらが攻撃を仕掛けてくると警戒して身を強張らせていたメイドさんは反応が遅れた。その隙に落としていた腰を上げることで初速を得て、あたしは一目散に通用口へと駆け出して―――
「―――!?」
 視線を槍持ちメイドさんへ向けつつ一歩進んだところで、胸の辺りにダメージの予測を得る。―――けど、走り出した足は止まらない。二歩、三歩、そして四歩目を踏んで顔を通用口に向けるまで、そこに
「バケツぅ!?」
 逆さになったバケツが浮いているとは思いもよらなかった。その驚きが、とっさにかけようとしていた動きの制動を妨げ、あたしは胸の高さに浮いたバケツに正面から衝突してしまう。
「ッ――――――!!!」
 浮いている割に、まるで地面に深く打ち込んだ杭にぶつかって跳ね返されたような硬くて重い衝撃……硬い木桶に跳ね返されて地面に仰向けになったあたしは、肺を突き抜けた衝撃に息がつまり、カハッと口を開いて地面の上をのた打ち回ってしまっていた。
「な…なにが……?」
 どうして木のバケツが宙に浮いているのか。その疑問を確かめるべく、涙の浮いた目を向けると、
 ………バケツ人間?
 まるでフルヘルムよろしく、バケツを逆さまにして頭からかぶっている子供がいた。おそらくは女の子。胸の起伏が乏しくてはっきりとは断定できないものの、スカートを履いているのだから間違いは無いだろう。
 しかし不思議なのは、このバケツ少女の全身からは水が滴り、まるでバケツをひっくり返したかのように彼女のいる地面にも水の湿り気が広がっている事だ。
 ―――水属性の妖精か妖魔なの……?
 ともあれ、今はこのバケツヘルムの正体よりも逃走する事の方が先だ。
「えと? えとえとえとえとえと?」
 幸いにも、メイドさんの方は更なる侵入者に困惑してオロオロしている。それなら、もう一人の方を建物の方へ行かせないためにあたしが闘争したとしても、しつこく追いかけてきたりはしないはず……なのだけれど、
『………殺す』
 不幸にも、謎のバケツは全身から炎の揺らめきにも似た殺意と魔力を噴出している。そしてバケツの中でくぐもる声と見えない視線が向く先は、間違いなくあたしだ。
『………死になさい!』
「ちょっ!?」
 バケツ少女が振り上げた右手には、あたしが左手につけている篭手と同様の装備がついている。違いは、あたしのが腕まで覆う防御用の作りなのに対して、彼女のものは手の甲に金属の板を取り付けた打撃重視のもの。しかも指にはどこから取り出したのか、大きなメリケンサックまで取り付けられていて、
 ―――ちょっと待ったァ〜〜〜〜〜〜!!!
 たとえ相手が子供でも、そんな物騒なもので殴られたらとても痛い。しかも狙いはあたしの顔のど真ん中ときたもんだ。―――だから身を捻り、相手の攻撃を躱しつつ足を地面につけると、
「よっと!」
 躱したはずの攻撃はあたしを追う。
 剣や槍よりも軽量な拳による打撃は、狙いの修正を行いやすい。しかも、あたしが動き出したのはバケツさんが拳を振り下ろす前。早く動き出したがゆえに変化する相手の攻撃に、あたしは肺の中に残った空気を全部使い、地面を蹴って身を前に回す。
『この……ちょこまかと!』
 武器を持たない拳による攻撃は、早くてもリーチは短い。しかも真上から真下に振り下ろされる拳での攻撃では、前転までしたあたしの身体を攻撃範囲に留めておけはしない。バケツをかぶった風変わりな女の子の拳は空を切り、そして、
「てや―――――――――ッ!」
 立ち上がったところへ掛け声とともに突き出されてくるメイドさんの槍を、あたしは身を回して回避。しかも運のいいことに、追撃してこようとしたバケツ少女との間へとメイドさんの身体が流れて割り込む。
 ―――逃亡チャンス到来!
 子供の頃から、いじめっ子や幼馴染や姉の攻撃から逃げ回ってきたあたしの勘がそう告げる。あたしはメイドさんを目隠しにするように彼女の背後へ回ると、そのままバケツを脱ごうとしている少女の横を走り抜けて通用口を目指す。
『人にバケツで水ぶっ掛けといて、逃げられると思わないでよね!』
 ―――あれ? もしかしてあの子のかぶってるバケツ、あたしが持ってたヤツ?
 そう言えばメイドさんに刺されそうになったとき、どうしたっけ……なんか、思わず放り投げた気もする。となると、ものすごく悪い事をしてしまった気もするけれど、ここで振り向いたらメリケンサックで殴られるのは確定だ。
「ご、ごめんなさ〜〜〜い!!!」
『謝って済む問題じゃないわよ! 土下座しなさいよね、土下座! あと慰謝料!』
 お金で済むならそれでいい気もするけれど、その前に確実に攻撃は来る―――謝罪の言葉を口にしつつも振り返らずに通用口へと駆け寄ると、
「のわあァ!!!」
 後頭部への攻撃予測を感じ取り、一秒遅れでスライディングするようにしゃがみこむ。そんなあたしの頭上を飛び越えるように、バケツを脱いで可愛らしい顔立ちを露わにした少女が飛び越えていき、
「ッ!!!」
 轟音―――まるで魔法が炸裂したようなすさまじい破壊音を響かせ、通用口と、その周囲の壁が、あたしよりもずっと小柄な女の子の蹴りで吹き飛んだ。
「な…なんつー馬鹿力……」
 冗談じゃない。あんな一撃を受けたら、あたしの身体だって木っ端微塵だ。
 壁の崩壊に巻き込まれて、正門の鉄製の門扉がゆっくりと倒れ込みつつある。―――が、誇りの舞う中で滑り込んでいた足先が壁のあった場所の淵に達すると、やってしまったと言う顔で呆然としている女の子の横で身を起こし、そのまま扉の無くなった通用口から外へと飛び出した。
「ま、待ちなさいよ! せめて一発ぐらい蹴らせなさい!」
「そそそそそそれよりこれ、どうしたらいいんですかぁぁぁぁ!!?」
 元はといえば、問答無用であたしに攻撃を仕掛けてきたメイドさんが悪いのだ。これはまあ……後できちんと誤りに来るとしても、とりあえずこの場は逃げさせてもらおう。
「お、おい、これは何じゃ。なんで壁がいきなり爆発するんじゃ!?」
「おじさん、ごめん。また後で事情説明しに来るから! ジェル、木棍持って付いてきて!」
 外で掃除をしていた門番のおじさんにだけは片手を挙げて謝意を見せるものの、足は止められない。すたこらさっさとここまで来た道を走り出したあたしが最後に耳にしたのは、
「貴様か! 貴様だな!? お嬢様をお助けするなどと大口を叩いておったくせに、なんで壁を破壊するんじゃ!?」
「私じゃないわよ! 悪いのはあいつ、逃げてってるあっちの方よ! あいつが全部悪いんだから!」
「ええい、ともかく話は全部聞く! おいそこの新人メイド、取り押さえるから貴様も手伝えい!」
「はわわわ、わ、わかりましたぁ!」
「それと誰か手の空いてるものに自警団へ知らせるよう手筈を整えろ。逃げたあやつも必ず捕まえるからな!!!」

−*−

「おい、どうだ。そっちの方にはいたか?」
「ダメだ。どこにもみつからねえ。余所者の女なんて最近じゃめったにこないから、見れば絶対わかるはずなのに」
「街中であんなに派手な破壊活動したヤツだからな。女だからって油断してると返り討ちに会うぞ」
「わかってますって。変な気は起こさずに、暴力の方で鬱憤晴らさせてもらいますよ」
「俺、そういう趣味ないから……」
「く…くそ、俺だって女をいたぶる趣味なんてないって! 単なる言葉のあや、てか犯人に下手に怪我負わせると隊長がうるさいし……」
「わかってりゃいいよ。俺だって人に言えない趣味の一つや二つは持ってるんだから、自分の趣味であんまり思い悩むなよ。でも、何事もほどほどにな?」
「ちくしょう! こうなりゃ手柄だけでもゲットしてやる!」
「その意気その意気。じゃ、俺は今度あっち探すから。やられて死ぬなよ?」
「隊長がキレる前にとっとと見つけようぜ」
 そう言って会話を終えた二人の自警団員は、手にした槍を携えなおし、また別々の方向へ移動していった。
 ―――なんで逃走10分でここまで人が出てくるのよ……
 路地裏に身を潜め、自警団員たちの会話を盗み聞きしていたあたしは、建物の影からこっそり首を出す。そしてとおりの様子を確認するものの、右に一人、左に二人、あたしを探している人影を目にすることが出来る。
 ―――魔法か何かで連絡取られたのかな……まさか正面から槍を持って駆け寄ってくるんだもんね……
 領主宅の活用口およびその周囲の壁を蹴り壊したのはバケツをかぶった女の子であって、あたしではない……のだけれど、一度逃げてしまった負い目もあって、堂々と表に出て行けない。もし捕まったりしたら牢屋行き……その程度で済むならまだマシだ。場合によっては牢番の人の奴隷同然にされて、逃げることも許されずに延々身体をなぶられ続けるハメになる可能性もある。まあこんなことは実際起こらないのはわかっているものの、あちこちの娼館で聞いたその手の話はバリエーションが多い上にどれも真実味があり、それゆえに誤解を解くために出頭したり領主宅に戻るのに二の足を踏んでしまっていた。
 さらに言うと、現在絶賛迷子中。このカダの街は人が多い頃に次々と建物が増築されたらしく、裏路地はかなり複雑で迷路のようになっている。そうとは知らず、街中の至る所にいる自警団の目から逃れようと踏み込んだのが運の尽き。あっという間に元きた道すらもわからなくなり、散々さまよった挙句に表通りに出られるたと思えば周囲は追っ手だらけで、このまま迷子状態を継続しなければならないわけで……
 ―――せめて留美先生や綾乃ちゃんに連絡が取れたらいいんだけど……
 だけど今は、二人のいる宿までの道さえ判らない。表通りを使えるならまだしも、土地勘の無いあたしが裏通りを通って宿まで辿り着くのは、かなり難しい。それこそ、天使のように空でも飛ばない限りは。
 ―――どうしているかどうかもわかんない天使を探そうとしただけで、こんな目にあわなきゃいけないのやら……とほほ……
 口からため息がこぼれる。……けどこんなところでへこたれている訳にもいかない。
 ついつい逃げ回ってしまってるけれど、これからも旅を続けていく以上、指名手配されるような事態は避ける必要がある。そのためにも潔く自首して誤解を解きたいので、綾乃ちゃんたちに事情の説明と迷惑をかけることだけは伝えておきたい……のは山々でも、そのためには自警団が警戒している街中を抜けて宿屋に辿り着かなければいけないわけで。
 ―――どーしたものかな。いっそ、屋根の上にでも上がってみるかな?
 相手はカダの街を知り尽くしているのだ。裏路地にも時々入り込んできているので、この場でジッととどまっていると見つかる危険性がそれだけ高くなってしまう。上にあがるにしろ、夜までどこかに身を潜めるにしろ、行動を決めて迅速に動かなければならない。
 ―――そう言えば、街に入ったところに見張り台があったっけ。高さも結構あったから、屋根に上っても見つかるか……こうなると、隠れて様子を伺うしかないんだけど……
「街が寂れてるのは幸運と言うかなんと言うか……」
 表に出ている人の少なさや、これだけ自警団が出張る騒ぎが起こっているのに野次馬の姿もほとんど皆無である街の現状を考えれば、人の住んでいない空き家は探せばどこかに見つかるだろう。そこで身を潜めて、人目が少なくなる夜に移動すれば、日の高いうちに動くよりも比較的安全に宿屋まで辿り着けるはずだ。それに、あたしの帰りが遅くなれば心配した留美先生も何らかの行動を起こして―――
 ………どちらかと言うと、放ったらかしにされる確率が高い気がするな。アーマキヤで散々ひどい目に合わされたしね……
 この三〜四ヶ月の間に一気にリゾート地として名を馳せたアーマキヤには、絶世の美女揃いのマーメイドたちを一目見ようと集まる観光客や、さらには娼館近くに別邸まで構えだした貴族や資産家たちからの依頼を引き受けるために臨時冒険者ギルドが設立された……のはいいんだけど、近くに常在している冒険者はあたしだけ。依頼を受ける受けないはあたしの自由意志のはずなのに、厄介な依頼に限って留美先生が勝手に引き受けてくるので、おかげで何度も死にそうな目にあったりエッチな目にあったりしたのだ。
 そしてそんな留美先生のあたしへの教育方針は、基本的に放任&実践&実戦主義。綾乃ちゃんやマーメイドたちには結構世話を焼いていたのに、「一人前の男に戻りたいなら強くならなくてはな」と言うお決まりの言葉一つで何回悲惨な目に合わされてきたことか……それを潜り抜けたからこそ、冒険者としての経験を積むことは出来たけれど、
 ―――あんな悲惨な修行だって知ってれば、誰が弟子入りなんか……!
 どう考えても、遅くなったぐらいで心配するような人じゃない。もしかしたら、あたしが自警団に自首したり捕まったりした時点で、中央域への旅に放っていかれてしまいそうな気もする。
 ―――こんな状況だからかな。どうも考えが悲惨な方にしか向いてないような……
 ともあれ、今は夜まで身を隠せる場所を探そう。人のいない場所、特にスケベな男の人のいない場所がいいんだけど……と考えながら裏路地の奥へコソコソ戻ろうと振り向いた瞬間、あたしの胸は正面からいきなり鷲掴みにされた。
「ひあっ……!?」
「この騒ぎ、やっぱりお姉さんだったんですね。よそから来た人を探してるみたいだったから、そうじゃないかと思ったんですよ♪―――あ、声を出すとここにいるって気づかれちゃいますよ?」
「んんゥ、んふゥ……!」
 キミは道具屋の前にいた子―――と叫ぼうとしていたあたしは、慌てて口を押さえ、そしてそのタイミングを見計らうようにタップリと中身の詰まっている乳房を揉みあげられ、声の出せないままに股間の奥をジュン…と甘酸っぱく疼き震わせてしまう。
「約束しましたよね、後でお店によってくれたときに……って。でも、自警団に捕まえられちゃったりしたら、来てくれなくなっちゃうでしょ? だからこうやって探しにきてあげたんですよ。でも……クスクス。追われてるのに、なにこの感じようは」
「あっ……あうぅん、ふッ……んうっ、あ、んッ、もう……やめなさいってば!」
 さすがに今ここでさっきの続きを――それはそれで魅力的かもしれないけれど――しているわけにはいかない。多少の未練を感じながらも男の子の身体を強引に引き剥がすと、乱れかけた呼気をグッと飲み込み、彼の手を引いて路地裏を駆け出していた。
「うわ、お姉さんてば積極的♪ ボク、人気の無いところで食べられちゃうんですね……♪」
「違うわよ!……それより、どうしてここにいるの? もしかしてキミのとこのお店って、この近くなの?」
「ここからなら裏道を通るほうが早いです。それに、せっかくの美人のお客様を他の男に持っていかれるわけにもいきませんからね♪」
 小さな身体であたしと壁の間をすり抜けて前に出た男の子は、今度は逆にあたしの手を引いて歩いていく。
「安心してください。うちの店はアフターフォローも万全ですから、きっとお力になれると思いますよ?」
「んっ………」
 どうせこのままなら、裏路地か空き家に身を潜めるぐらいしかできなんだし、力を貸してくれるというのなら、それに乗るのもひとつの手だろう。
 この意外な協力者の出現に少しだけ緊張が緩み、肩の力が抜けていくのを感じるものの……ただ、どう考えてもエッチな目にあうのは避けられないのかと、あたしは毎度毎度の自分の運命ただただ重たい溜め息をこぼすしかなかった―――


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