第十一章「賢者」42


『ブヒヒヒヒィ〜〜〜〜ン!!!』
「な、なに? なんなの一体!?」
 ここに何かが来る……突然、あたしの身体に刃が食い込むイメージが沸き起こり、あたしは反射的にモンスターを呼び出し回避する。
「ポチ、辛いだろうけどお願い!」
『グワォオオオオオオオオン!!!』
 留美先生との戦闘で負傷したポチの怪我は治りきっていない……けれど、あたしを乗せて動くのならバルーンでは初動が遅すぎる。
 足元に呼び出された炎獣のポチは、黒い毛並みに覆われた背中であたしの身体を押し上げると、そのまま跳躍。間一髪のところで頭上からの攻撃を回避するものの、振り向いた先にいたモンスターを見て驚愕させられてしまう。
「う……馬………!?」
 その身の丈はシワンスクナよりも高い半人半馬のモンスター……いや、ケンタウロスではない。ケンタウロスは下半身が馬だけれど、目の前にいるものは首から上が馬。見るからに……まさに馬並みと言ったところか。
 両手に一本ずつ持った三日月刀とも呼ばれる曲刀のシミターが直前まであたしのいた場所に叩きつけているけれど、そのシミターも通常サイズの倍以上もの大きさをしている。もし避けきれていなければ、“斬られる”前に重量で“叩き潰される”のではないかと思える凶悪な代物だ。
 ―――いや、それよりも、あの子、今……!?
 考える時間は無い。地面に食い込んだシミターを引き抜くと、スタリオンと呼ばれた馬顔のモンスターは鼻息荒げながら膝を曲げて身を低くし、
『ブヒヒィ――――――――――――ン!!!』
 馬の脚力そのままに地面を踏み砕きながらあたしの方へ突進してくる。
「しょ、正直、顔が不気味で恐いィ〜〜〜〜〜〜!!!」
 横っ飛びして突進は回避するけれど、すれ違いざまに振り抜かれるシミターがポチの鼻先をかする。そしてそのまま背後へと突き抜けて言ったスタリオンはスピードを緩めることなく回り込むと、鼻を突き出しアゴを上げ、再び全速力で突進してくる。
 けれどあたしもいつまでも逃げているわけにはいかない。ポチの背に跨っているあたしよりも背の高い巨躯のモンスターの突進は迫力があるけれど、動きがあまりに直線的すぎる。
「プラズマタートル!」
 あたしが選択して呼び出したのは甲羅に無数のトゲを持つプラズマタートルだ……が、何も電撃で倒すために召喚したのではない。そんな事をしなくても、相手は二本足なのに馬同様に前に身を乗り出して走ってくれているのだから、
『ブヒッ?』
 勝手に蹴躓いて、
『ブヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒィン!!!』
 勝手に顔から地面に衝突してくれる。
 長い鼻先を突き出しては、例えどんなに速く走れても足元が見えないだろう。確かにスピードもパワーもあるようだけれど、戦い方が単調で、その隙を突いただけで容易く転がすことができる。
 と言うわけで、
「全員で袋叩きィ〜〜〜!!!」
 ゴブリンアーマーにオークにシワンスクナ。どんなに大きなモンスターでも、地面に顔面をめり込ませて倒立している状態でこれだけのモンスターに殴る蹴るされて無事なはずがない。
『オラオラオラ、でかい図体しくさってからに、たくや様に襲い掛かるなんて不貞な輩めが!』
『玉蹴ったれ玉。馬やったらそこが弱点やろ?』
『畜生、馬並みなんて敵や、全人類の敵やでこいつは!』
『ブヒ、ブヒィ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン!!!』
 涙を誘うほどに悲痛な叫び声を上げ始めるスタリオン。さすがにこう言う攻撃は卑怯かとも思うけれど、ゴブリンアーマーたちは妙に乗りのりだ……が、


「―――粉砕しろ、ミノタウロス」


 スタリオンに攻撃を加えるために密集しているあたしのモンスターたちへ、巨大な金棒が振り下ろされる。スタリオンよりもさらに分厚い筋肉を持った半人半牛のモンスターであるミノタウロスによる攻撃だ。
「スクナ、受け止めて!」
 ミノタウロスが突然出現した位置は完全にシワンスクナやオークたちの死角。この機を逃さずスタリオンをしとめようとしていたために避けるタイミングは既に逸している。
 頑丈そうなオークはともかく、小柄なゴブリンアーマーたちは金棒の一撃を食らえば鎧ごと粉砕されてしまう……だからこそ、ミノタウロスにも負けない力を持ったシワンスクナに金棒を受け止めるように命じたのだ。
 ―――って言っても、物凄く心配なんですけど!
 少し離れた位置にいるあたしの目からは、ミノタウロスとスクナの身長差はまるで大人と子供だ。仮にあの金棒を頭部に食らえば、シワンスクナでも打ち倒されてしまいそうなそんな一撃……なのだが、スクナは振り返りざまに、ひるむことなくミノタウロスに突進し、左腕を覆う甲殻で金棒を受け止める。
 ―――そ、それはいくらなんでも無茶なんじゃない!?
 あたしの太股よりも太いミノタウロスの腕二本で振り下ろされた金棒を、いくらシワンスクナでも腕一本で止められるはずがない……のだけれど、スクナは右足を一歩踏み出し、右腕の一本を金棒を握り締めるミノタウロスの腕の間にすばやく差し入れる。
 そして、さらにもう一本の右手をミノタウロスの股の間に、そしてもう一本の左手を金棒に絡みつかせると、『―――投!』
 二本の左腕に絡め取られ、振り下ろされる動きをさらに加速させられる金棒。
 そして腕を極められて動かせないまま、股の間に差し込まれた右腕に持ち上げられてしまう身体。
 一方は下に、一方は上に力を加えられるとどうなるか……それはものの見事に半回転して地面に背中から叩きつけられたミノタウロスが答えだ。
『ブモオオオオオッ!!?』
 ミノタウロス自身には、何が起こったのかは解りはしまい。見ていたあたしですらスクナがどうやってミノタウロスの巨体を投げたのか解ってないのだから。
 ともあれ、投げ飛ばされたミノタウロスの胸をシワンスクナは踏みしめる。その左手にあるのはミノタウロスが手にしていた巨大な金棒だ。それを左の二腕でブンブンと試し振りすると、
『撲殺!』
 殺しちゃ駄目だよ〜……と言うのが遅かったけれど、本気で殺すつもりはなかったのだろう。シワンスクナは巨大な金棒の先端をミノタウロスの腹筋に突き立て、見るからに手ごわそうな怪力のモンスターを一撃で気絶させてしまう。


「―――踏み潰せ、スレイプニール」


 反応したのは、あたしよりもポチのほうが早かった。
 今度呼び出されたのは、黒い毛並みに八本の足を持つ大型馬だ。燃える炎のように鬣をたなびかせ、蹄で踏み潰そうとしたところを、ポチがすばやく飛びのき、
「魔力剣・峰打ちィ!」
 横薙ぎに振り抜いたショートソードから放たれた衝撃波が、スタリオンやミノタウロスにも負けないほどに立派な体躯のスレイプニールを正面から打ち据え、吹っ飛ばす。
「くゥ……!」
 魔力の使いすぎで意識が軋む。それでも機動力のある四足獣――スレイプニールは八本足なんだけど――に戦場をかき回されるよりは、無理をしてでも一気にけりを付けてしまえたほうが遥かにマシだ。
「さあ……出し物はこれでおしまい?」
 スタリオンは真上に足を突っ張らせたまま気絶状態。ミノタウロスもシワンスクナに腹部を強打されて泡を吹き、スレイプニールも一撃即倒。
 続けざまに現れた三体のモンスターもことごとく打ち倒し、あたしはポチの背中の上からショートのソードの切っ先を少年へと向ける。
 油断はない……いや、今度油断をしたら、倒されるのはあたしのほうかもしれない。最初にスタリオンをうまい具合に倒せたことで勢いに乗れた面もあったけれど、相手があたしと同じ“モンスター使い”なのだとしたら、次にどんなモンスターが襲い掛かってきても不思議ではない。
 ―――なんなのよ、この子は……!?
 契約したモンスターたちを魔封玉に封じ、いつでも呼び出せる能力は、運悪く“魔王”にされてしまったあたしだけの能力のはずだ。それを年端もいかない子供が身に着け、その上ミノタウロスをはじめとする凶悪なモンスター三体を従えたなど、とてもではないけれど考えにくい……けど、突きつけられた現実は、そのありえないことを肯定している。
 ただ、モンスターの召喚には違いもあった。魔封玉から開放される時には一瞬とはいえ強烈な閃光を伴うはずなのに、少年の召喚にはそれがない。まるで大空洞の暗闇に溶け込んでいたモンスターを呼び出したかのような召喚は、あたしとよく似てはいるものの異なっているとも言える。
 ―――ああ、もう。考えれば考えるほどに頭痛がひどくなる……何なのよこの子は? どうしてあたしに襲い掛かってきたりしたのよ!?
 あたしの警戒はモンスターたちにも伝わり、シワンスクナがミノタウロスから強奪した金棒を手に少年の横手に回り、ゴブリンアーマーたちとオークもそれぞれの武器を手に慎重に包囲を敷く。もしまだモンスターを呼び出せるのなら、どこから襲い掛かってくるかわからないので緊張もひとしおだ。
「キミは……誰?」
 問いに少年は答えを返さない。その代わりに、パンパンパンと手の平を打ち鳴らす。
「スゴいね。あの三匹をこんなに簡単に倒しちゃうなんて。たいしたものだよ」
 ふざけるな……一方的に襲い掛かってきて、賛辞を述べるその態度に怒りが沸くものの、ポチの足は前へ踏み出せていない。スクナたちもそれは同じだ。外見はただの子供にしか見えず、六体ものモンスターがいれば取り押さえることも容易いはずなのに、頭の奥では警鐘が鳴り響いている……近づいたら危険だと。
 そんなあたしたちの様子を知ってか知らずか、少年はゴブリンアーマーを見て、オークを見て、シワンスクナを見てから、あたしへと目を向ける。
「ん〜……あの四本腕のオーガと、その炎獣が欲しいな。転がってるその三匹と交換しない?」
「な、何言ってんのよ。そんな話、誰が……!」
「あっそう。そいつらも結構レアなんだけど……じゃあ力ずくで貰っていくよ?」
 マズい……少年の顔は暗闇でかすれてよく判らないけれど、攻撃のイメージが来る。真上から、あたしを叩き潰す範囲攻撃だ。
「ポチ、跳んで!」
 とっさに叫ぶ……けれど、ポチは動かない。首を伸ばして左右に振り、懸命に跳ぼうとしているのだけれど、四本の足が地面から離れようとしなかった。
 ―――まさか!?
 あたしは自分の目を閉じると、スクナやポチの視覚に意識をつなぐ。そして目にしたものは、地面から突き出された無数の白骨の腕に足を絡めとられたモンスターたちの姿だった。
「スケルトントラップ……“敵”の拠点に乗り込んできたのに、罠の存在を考えていなかったの?」
 “敵”―――そう明言した少年がくすくすと笑う。何か一言でも言い返してやりたいけれど、頭上からの攻撃が来るまでに一秒もない。その間にすることは、少年に言葉を向けることではなく、
「つぶれなよ。グラビティ・ストライク!」
「みんな、戻ってきてェ!!!」
 少年の魔法が発動と同時に、ポチもシワンスクナも、オークもゴブリンアーマーたちも姿を消し、魔封玉となってあたしの元へと戻ってくる。それを奪われないように胸に抱きしめると、あたしの身体にはとてつもない重量がかけられ、硬い地面に“落下”と言う言葉を超える勢いで叩きつけられてしまう。
 ―――グッ……左腕が……イった………!
 あたしが落着した地点が、クレーターを思わせる擂り鉢状に陥没する。硬い地面が砕けるほどの衝撃が加えられたためだが、それは同時にあたしの身体に加えられた衝撃でもある。
 身体をかばおうと反射的に下にした左腕からは骨の砕ける音が鳴り響く。けれど衝撃は血まみれの左腕だけでは飽き足らず、あたしの肩を鎧ごと粉砕し、肋骨を数本まとめて持っていってしまう。
「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!!」
 ―――これは……重力魔法!?
 大空洞の天井から降ってきた振動と加重は、扱いが難しいことで知られる重力操作系の術式だ。左上半身の骨を砕かれて倒れ付したあたしの全身には、洒落や冗談ではなく山がひとつ丸ごと乗っているのではないかと思えるぐらいの重さが圧し掛かっている。
 無事だった部位も地面に張り付いて動けず、それどころか、
「んィ――――――――――――――――――!!!」
 身体の至る箇所から軋みの音が鳴り響き、何十倍にも増加した侍従に耐え切れなくなった骨が次々とひび割れていく。髪の毛も丸ごと地面に向けて引っ張られているようで頭皮の痛みも洒落にならない。しかも人一倍胸が豊満なせいで、うつ伏せになっている身体の下でFカップがAAカップにまで圧縮される息苦しさと、その反発で胸骨が丸ごと砕けようとする痛みは想像を絶するものがある。
「あ〜あ、せっかく死なない程度に加減してたのに、モンスターを消したから一人で全加重を受け止めることになっちゃったんだよ?」
 ―――でも、モンスターたちを呼び戻してなかったら、あんたに奪い取られてたかもしれないでしょうが……!
 これまでともに旅をし、愛着もわいたモンスターたちを、得体も知れない子供に渡すつもりはさらさらない。けれど、少年が頭のすぐそばにまで近づいてきてもどうする事もできない。
「知ってる? そう言うのを無駄な努力って言うんだよ?」
 少年の足があたしの頭を踏みつける。重力魔法の範囲内でありながら、小柄な少年にはなんら重量の増加は見受けられないものの、乗せられた足の裏の重みはあたしにだけ何十倍にも増加する。それは巨大な鉄球で頭を殴られたに等しい衝撃となって頭蓋骨へと叩きつけられた。
「ん? 死んじゃった? まだだよね? まだ死んでもらっちゃ困るんだよ。まだだ。まだ何も奪っちゃいないんだからさァ」
 確かにまだ死んではいない……けど虫の息ではある。後頭部を踏まれた頭は地面にめり込み、衝撃で目の前が真っ赤になっていて、もう手足どころか指の一本を地面から引き剥がすだけの気力も残っていない。モンスターを呼ぼうにも、もともとの貧血に脳震盪まで重なり、魔封玉を呼び出すだけの集中力を紡ぐ事すらできなくなっていた。
 ―――マズい。このままだと、本当に死んじゃうかも……!
 本当も何も、まだ内蔵が破裂していないだけでも奇跡だ。残りわずかな魔力が体内を駆け巡り、身体の内部を重力魔法の影響から守ってくれていればこそ、こうしてまだ考えていられるだけの余力が残っている。
 でも、このままでは力尽きるのも時間の問題だ。何でもいい。この重力魔法から逃れるきっかけが欲しい……そう切に願っていると、どこからともなく竪琴の音色が聞こえてくる。
 ―――この……音色は………!?
 聞き覚えがある。露天風呂で耳にした……いや、もっと後、あたしは弘二と一緒の時にも、この竪琴の音色を聞いた覚えがある、いや、あるはずだ。
 だけど、それがどの場所で、どの時間に耳にしたのかは一切思い出せない。きっと思い出せなかった空白の時間帯に…いや、それはどうだろうか、違う時間に、もしかしたら村の外で、いや、違う、思い出せない、この村に来る前じゃない、この村に来てからのはずなのに……あたしは、村にたどり着いてすらいない!?
 ―――記憶が……消えていってる!?
「強制的に記憶を吸い取られていく気分はどう? なかなか面白いでしょ?」
 あたしの傍らでしゃべっているのは誰だろう……思い出せない。思い出したいのに、思い出さなければいけないのに、どんなに思い返しても何一つ思い出せない。
「忘奪の竪琴って言うんだ。記憶と共に特異能力まで奪い取る。……って説明したところで、どうせすぐに忘れちゃうよね。でも、僕は忘れたことなんてないよ。奪われたものを取り返す……受けた屈辱をはらす……そのために着々と準備していたら、獲物の方から勝手にやってきたんだ。そのときの僕の嬉しさがわかる?」
 わかる……わけがない。あたしは……自分の目的さえ思い出せなくなってきているのに……
 でも、考える。
 あたしは、この少年から何を奪ったのかと。
 あたしは、この少年にどのような辱めを与えたのかと。
 もしかするとその記憶も失われてしまったのかもしれないけれど、会った記憶のない少年とどのような関係だったのかと考えながら、あたしの意識はゆっくりと闇に飲み込まれていく。
 どうすればいい?―――自問自答の答えは至極簡単。もう、どうしようもない……と、
「諦める事だけはしてこなかったんだぁあああああああああッ!!!」
 ここで死ぬなら、それもしょうがない。ただ、このまま寝ているうちに死んでしまうなんてのだけは絶対に御免だ。
 あたしは男に戻るまで、とことん足掻くとそう決めた。だったら今も足掻くだけだ。ありったけのモンスターを呼び出して、あたしが死に絶えるその直前まで暴れるだけ暴れてやる……そう心に誓った瞬間、
「ファイヤーボ―――ル!!!」
 こんなところまで探しにこなければならなかったパートナーがようやく姿を現し、広い大空洞に響き渡るほど大きな声を迸らせた―――


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