第十一章「賢者」43


「ちょ、ちょっと待ちなさい。今は危険なんですから!」
「離してください、私は先輩を助けなきゃいけないんです!」
「そんなのぜんぜん合理的な理由じゃありません。あの竪琴の音色が危険であることは説明したはずです。記憶をなくせばどうなるか、あなたはわかっているんですか!?」
「全然かまいません、先輩を助けられるなら!」
「そう思う気持ちまで失われてしまうんですよ!?―――って、人の話は最後まで聞きなさい!」
 ステルスマントで千里と共に身を隠していた綾乃だが、たくやの苦戦を目にしてはいてもたってもいられず、制止を振りほどいて立ち上がってしまう。
 たくやが地面に叩きつけられたのは重力魔法によるものだと千里は説明してくれた。
 それほどの高等魔術では綾乃のような駆け出しの魔法使いにはどれほどの威力があるのかなど想像もつかないけれど、何度も危ないところを救ってくれたたくやが危機に陥っている……それを黙って見ていることなど綾乃にはできなかった。
 薪の追加もなされていない篝火の火はそれほど強くなく、たくやの傍らに立つ小柄な人影の顔は離れた場所にいる綾乃には見て取れない。けれど目標として見据える分には十分すぎる。
「ファイヤーボ―――ル!」
 呪文が完成し、綾乃は両手を前に突き出す。
 魔法を使えるようになった自信もある。それでも力は及ばないだろうけれど、たくやならば少しでも相手の注意をひきつければ何とかしてくれると言う思いもある。
 ―――大丈夫。今度だってきっと……!
 しかし、その考えは綾乃の眼前で無残なまでに打ち砕かれる。
 留美に魔力の操り方を教わってから練習したファイヤーボール。それがあくまで“要練習”の域を超えていなかったことを失念していた。
 手の平から放たれた火球は灯火のように小さく、飛ぶ速度も遅い。それでも一生懸命ひょろひょろと相手に向かうけれど、途中でポトンと地面に落ち、一筋の煙を残して燃え尽きてしまう。
「ファ…ファイヤーボール!」
 もう一度唱えるが結果は変わらず……むしろ焦って呪文詠唱が雑になってしまった分、炎も弱く飛んだ距離も短い。今までと違い、空を掻くような手応えのなさを感じることはないけれど、何度呪文を唱えても放たれるのは威力など皆無の火の玉ばかりだ。
「ふ…ふぇぇ……」
 こんなところで泣いてもたくやは助けられない……けれど、やっと普通に使えるように慣れた魔法が何の役にも立たない事実を突きつけられ、ささやかな自信が木っ端微塵に打ち砕かれると、頭の中がグチャグチャになって何も考えられなくなってしまい、抑えきれない涙が勝手に溢れ出してきてしまう。
「無残だね」
 少年が言う。
「才能も実力もないのに、助けられると思ったの? かわいい考えだね……だけど、それで死ぬんだよ、お姉ちゃん」
 手をかざされただけで、綾乃の身体は後ろへ吹き飛び、大空洞の壁へと叩きつけられた。
「こそこそ逃げ出そうとしてたから、見逃してあげてたのに。逃げ出せたと思ったところで捕まえてさ、捕まえて犯すんだよ。泣きじゃくるお姉ちゃんのお腹の中に何度も精液を注ぎこんでさ、失意でボロボロになったら今度は村の男たちに犯させるんだよ。そのほうが面白いじゃない。ぷちっと虫みたいに殺しちゃうよりはさ」
 最初の一撃で全身に力が入らなくなった綾乃の身体が、少年が無邪気な顔で笑うたびに何度も壁に貼り付けられる。身体をつぶさないように、骨を砕かないように、明らかに手加減をした一撃が弄ぶかのように綾乃の身体を打ち据え、そのたびに胸から空気が押し出され、壁から剥がれ落ちながら糸の切れた操り人形のようにうなだれ、再び見えない重力の塊に全身を打ち据えられる。
 ………痛い。
 今まで殴ったり蹴ったりなどの荒事を経験したことのない綾乃の身体に衝撃が走り、溢れた涙が落ちることなく飛び散った。
「せっかく後から探して、追いかけて、泣いて死を望むまでいたぶって遊ぼうと思ってたのが台無しだよ。だから殺さないよ。そこに貼り付けにしたまま何人もの男たちに辱めてもらおうよ。面白そうだよね、標本みたいでさ♪」
 岩壁に叩きつけられ続ける身体は、地面に足先を触れさせることなく、徐々にずり上がっていく。身体の前面に叩きつけられる重力は固い布団のようで、直接的なダメージこそないのがわずかな救いとなって、歯を噛み、頭の中まで揺さぶるような連続する衝撃をこらえ続ける。
 ………痛いけど、でも、
 暗くて姿がよく見えない少年の意識は、今は綾乃に向いている。それでもたくやが起き上がってこないのは、いまだに重力魔法で押さえつけられているか、もしくは気を失っているかだ。
 だったら今ここで、綾乃が先に倒れるわけにはいかない。泣きじゃくって戦意を喪失するわけにもいかない。相手が手加減をしてくれているのなら、綾乃にとってはむしろ好都合と言えた。
 ………先輩が私の代わりに今まで傷ついてきてくれた痛みに比べたら、こんなの……!
 一度でも多く攻撃を受ければ、それだけ長くたくやの復活までの時間を稼げる。
 たくやがそもそもここにいるのは、軽率に村長たちの後を追って洞窟に入ってしまった綾乃を追いかけてのことだ。そして大空洞にたくやが姿を見せた時に、どこかに隠れて綾乃たちを見つめていたあの少年の視線におびえずに姿を見せていれば、たくやに余計な心配をさせずに済んだはずだ。
 ―――そこまで迷惑かけたのに、これ以上先輩にひどいことをさせたくなんて……!
 奥歯をさらに強く噛み、キツくまぶたを閉じてうめき声を上げる。
 ずっと旅を続けてきた。その辛さに比べれば、こんな痛みはなんでもない。ここで根を上げれば、フジエーダを後にした時から何も変わっていないことになる。
 綾乃には、この事態を打開する力はなかった。だからその点はたくやに依存する。けれど、それ以外の点では、自分のできる事をして少しでもたくやの役に立つ。それがどんなにみっともない事であっても、最後まであきらめないと言う姿勢を、綾乃はずっと傍らで見てきたのだから。
「………なんか面白くないよね」
 綾乃が身体を張って時間稼ぎしていたが、むしろその行為は少年の不信感を買う。左腕で抱えた四角い物体を強く抱きしめ、綾乃に向けて放っていた重力魔法の術式を解除すると、
「やっぱり潰すんならこっちのほうが面白いよね、思いっきりできるから」
 岩壁をずり落ちていく綾乃の見ている目の前で、大空洞内の空気がすべて振動するほどの重力をたくやの上へ叩き付けた。
「ぁ…あぁ………!」
「ははは、いいね、その表情。そういう顔をしてくれなくちゃ、僕も楽しくないよ。ねえ、楽しいでしょ? 好きな人が目の前でつぶれるのって楽しいよね♪」
「せ……んぱ…イっ………!」
 たくやを助けようと耐えてきたダメージは、たくやに何度も重力を叩き込まれている今、綾乃の身体の自由を束縛してしまっている。立ち上がることさえままならず、どんなに力を振り絞っても轟音が響いてくるたくやのいる方へ向けて手を伸ばすことしかできない。
 ―――やめて……痛い思いなら私がするから……先輩に…ひどいことしないで……!
 ずっと吹き飛ばされ続けてきた涙が頬を下に向けて伝い落ちていく。やめて……そう何度も願いながら、届かない手を必死に伸ばして、声になっていない叫びをノドの奥から搾り出す。
 ―――私がいけなかったんだから……私が先輩や留美先生の言うことを聞いておとなしくしてなかったから……だから悪いのは私なの。先輩は何も悪いことはしてないの。だから、だから――――――
 もう少年の声も綾乃の耳には届いていない。体中がこんなに痛いのも生まれて初めての経験だ。視線が定まらないことにも、全身が熱を帯びていくことにも何一つ抗うことができず、魔法もダメで、時間を稼ぐことも満足にできなかった自信の無力さに小さく肩を震わせる。
『魔法使いは常に冷静沈着であれ……そう教えたな』
「………え?」
 もしや死に瀕した際に聞こえる幻聴だろうか……ここにいない人間の声が耳元で囁かれたような気がして、暗い感情に溺れかかっていた綾乃の意識が現実へと引き寄せられる。
『だがさらに上を目指すなら、他の感情をすべて捨て去ることで冷静になるのではなく、すべての感情を制御することで冷静になれ。怒りで我を忘れるな。焦らず急げ。ミスを恐れて歩みを止めることは愚の骨頂と知れ』
「るみ……せん…せ……?」
『さあ、前に手を伸ばせ。案ずることはない。魔法使いはそれだけできればいい。後は考え、イメージして、それを現実にすることだけだ』
「………は…はい」
 全身を包み込む柔らかい温もりが、一度は折れて萎えようとしていた心に流れ込んでいく。瞳には力が戻り、楽しそうに笑いながらたくやを痛めつけている少年を見据え、唇を小さく動かして呪文を紡ぐ。
『二つの魔力の切り離しができたのなら、それを最適な割合で再び混ぜ合わせろ。火が強すぎてもダメ。触媒となる闇が強すぎても魔法は発動しなくなる。互いの性質を残し、最大限に引き立てる―――料理は得意だろう? 二つのソースを混ぜ合わせてより美味いソースを作る要領だと言えば解りやすいか?』
 こんな時に料理の話……それが少しだけおかしくて口元をほころばせると、痛みで強張っていた身体から余計な力みが抜け、突き出した腕の内側を火と闇、陽と陰の魔力が螺旋を描くように流れていく感触だけが鮮明に残される。
 ―――二種類の…魔力……二種類の…ソース……
 細く、長く、大空洞に漂う冷たい空気を吸い込んで胸の中を満たす。
 突き出した腕は震えてはいない。視線も、そして意識もだ。
『助けてみせろ……それでこそ魔法使いだろう』
「ファイヤー……」
 これを失敗すれば、もう綾乃には何もできない。けれど、
 ―――これをやらなかったら、最後までやり尽くした事にはなりません……!
 だから叫ぶ。これが本当に最後ならば、力を残しておく必要などない。たくやを助けたいと言う想いを込めて、胸の中で熱くなった空気を一気に唇から吐き出した。
「ボ―――――――――ル!!!」
 火球が飛ぶ。
 それは最初にはなった力ないファイヤーボールとは比べ物にならないほど巨大な火球だ。人はおろか、ミノタウロスでもスレイプニールでも一飲みにする強力にして凶悪な一撃が、綾乃を痛めつけ、たくやを苦しめている少年に向かって、周囲の空気を取り込みながら一直線に加速する。
「最後の悪あがき? だけど無駄だよ、そんな攻撃!」
 少年がすばやく呪文を唱え、右腕を伸ばして重力波を巨大ファイヤーボールへと叩きつける……が、炎などたやすく蹴散らすはずの重力攻撃は逆に飲み込まれる。
「嘘でしょ!?」
 自分の魔法が逆に破られたことに驚きながらも、少年は飛び退りながら次の呪文を唱え、まるで地面の滑るように火球を大きく回避する。どれだけ強力であっても、元は基本的なファイヤーボールの術式だ。追尾の術式も曲がる術式も組み込んでおらず、ただまっすぐに飛ぶだけの火球は向かいの壁にまで飛び、洞窟全体を振るわせるほどの轟音を鳴り響かせながら炸裂する。
「あっ………!」
 最高に上手くいったファイヤーボールだったけれど、重力を用いた移動術式のスピードの前に容易く回避され、再び綾乃は攻撃魔法の脅威に晒される。
「驚かせてくれたね。これはお返しだよ、お姉ちゃん!」
「ッ―――――――――!!!」
 反射的に首をすくめ、腕を交差させて身を守る……が、攻撃魔法綾乃を打ち据えるよりも先に、その声が綾乃の下にたどり着いていた。


「全・召・喚………!!!」


「せ、先輩……!」
 地面がくぼむほどにたくやが重力魔法で打ち付けられた場所から強烈な光が次々に迸る。
 ―――そうか。重力魔法を飲み込んだ火の玉があの上を通過したから……!
 ただの火球ではなく、闇属性の魔力まで取り込んだ二重属性のファイヤーボール。重力波を打ち消すようなような効力が発動したのは偶然なのだけれど、最後まで諦めずにあがき抜いた末に起こった偶然が、たくやに再び立ち上がらせる機会を与えたのだ。
 ―――途中で痛いからって諦めてたら、ここまでだって辿り着けませんでした……!
 けれど、ここまで来たからと言って満足してはいけない。まだ倒すべき少年は目の前におり、すべての契約モンスターを召喚しながら立ち上がったたくやも右手にショートソードを握り、遠間にいる少年に向けて大きく振り上げている。―――魔力剣を放つつもりなのだ。
 ―――違う。
 ここで魔力剣を放つのは一発逆転を賭けた大博打のようなものだ。先ほど綾乃のファイヤーボールを躱したように魔力剣も躱されれば、一敗地にまみれる可能性が非常に高まってしまう。
『頭に血が上って何も考えられないんだろう。ほら、言うべきときは今だ』
 背中を押され、綾乃の決意は固まった。
 今すぐにどうにかすべきは少年じゃない……その答えを、ファイヤーボールの残り火に照らされ、炸裂地点のほぼ真上に姿を見せた竪琴を奏でる自動人形をまっすぐ指差して叫んだ。
「先輩、あっちを破壊してください!!!」
 竪琴にどれだけ記憶を吸い取られたかは判らないけれど、たくやの目は綾乃の方を確かに向き、すぐさま逆の、自動演奏人形のある方に向く。
「や…やめろォ!!!」
 初めて少年が狼狽した声を上げるが……もう遅い。
「うァあああぁぁぁァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
 叫び声をあげたたくやは、身体を回転に合わせ、右腕だけでショートソードをすくい上げるように振り抜く。
 その剣から放たれた圧縮魔力の刃は、その間にあるもの全てを切り裂いて飛ぶ。大空洞内の空気も、篝火の光も、天井から降り注ぐ闇も、何もかもが不可視の斬撃の前に問答無用で音も立てずに切り裂かれてゆく。
「させるもんかァ!!!」
 その刃と忘奪の竪琴の間に、重力に身を引かせて宙を飛んだ少年が立ち塞がる。
「この技は知ってるんだよ。防げないことなんて―――――――――」
 少年は両手を突き出して前面に重力で障壁を形成し、斬撃の軌道を変えて人形から逸らせようとする……が、たくやの刃はその全てを断ち切った。
 重力障壁も、人形も、竪琴も……立ち塞がった少年の身体さえも。
「あたしの記憶……確かに返してもらったからね」
 綾乃が固唾を飲んで見つめる先、斬撃の軌道にそって斜めに斬り分かたれた少年の身体が落下し、たくやもまた膝をつき、その場に崩れ落ちる。
 とっさに駆け寄ろうとして、けれど足には立ち上がるだけの力が戻っておらず、前のめりに綾乃がこけると、最初は小さく、徐々に大きく何かの崩れ落ちる音が大空洞内に響き渡る。
「洞窟の……壁が………」
「この場所は元から海とそう離れてはいない。海水が湧き出ているのを見なかったのか?」
 すぐそばから声をかけられ、あわてて飛び上がってその場に正座をする。そんな綾乃を見て、いつからそこにいたのか、留美が口元に手を当ててくすくすと微笑をもらした。
「留美先生……ひ、人が悪いですぅ……」
「ははは、悪い悪い。しかし急いで駆けつけてはみたものの、その必要もなかったか。ほとんどたくや一人で倒してしまったようなものだったしな」
「そう……ですね」
 結局自分の力は役に立たなかったのか……壁が崩れ、そこから塩の香りをはらんだ空気が風になって吹き込んでくるのを肌で感じていると、綾乃の頭の上にポンと留美の手の平が置かれる。
「“ほとんど”と言うのは“全部”ではないんだぞ?」
 そう言って片目をつむってウインクすると、綾乃はきちんと自分の力も役立てたことを感じ取り、大きくうなずいた。
「はいッ! 私、次も先輩のお役に立てるようにがんばります!」
「こんな騒動に次があって欲しくはないけどな……それよりも、主役は満身創痍で死にかけだ。そろそろ助けに行かないか?」
「そ、そうでした! どうしよう、あの、お医者さん、お薬〜〜〜!」
「だから魔法使いは慌てるなと教えただろう? 治療は私が魔法でしてやるから、綾乃は―――」
 言葉が不意に、そこで終わる。頭の上の手のぬくもりも同時に消え、何かあったのかと綾乃が顔を上げるのと同時に、空気の爆発とも呼べる強風が壁に大穴を明けた大空洞内に吹き荒れた。
「残念。せめてここで殺しておこうと思ったのに、防がれちゃった」
「え………?」
 綾乃の視線の先には、たくややモンスターたちを背中にかばう位置に留美の背中があり、その先、魔力剣で断ち割られた壁から差し込む光を背に、身体を両断されて死んだはずの少年が何事もなかったように笑顔で立っていた。
「い、生きてる? そんな、どうして……!?」
 唯一、着ていたシャツは斜めに斬られて腹部が見えてしまっているものの、それが確かに魔力剣で斬られた証でもある。しかしそれ以外は、血の跡もなければ切り傷もない。綾乃も炎の光に照り返しの中で少年が両断される光景は眼にしたはずなのだけれど、死んだはずなのに死んでいない。
 ………先輩が人を殺してなくて、少しホッとしていますけど……
 その一点でだけは胸を撫で下ろしていると、少年はニコニコと笑みを絶やすことのないまま、地面から四角い物体を拾い上げる。
 ―――本……ですか?
 薄暗かった空洞の中では判りづらかったけれど、それは黒い表層の分厚い本だった。
 魔道書だろうか……少年が操っていた重力魔法の凄まじさを考えれば、それも有り得る。けれど綾乃は、本についた砂埃を払って胸に抱きかかえた少年の顔を見て、思わず息を呑んで言葉を失ってしまっていた。
 ―――見たことが…ある!?
 いや、その顔を綾乃は見たことがない“はず”だった。ただ旅の途中で時折、その顔を想像しては思い浮かべていただけなのだが、その“想像上の顔”と留美と対峙している少年の顔が瓜二つなのだ。
「ありえません、そんなの!」
 叫ぶ……叫ばなければ気がおかしくなりそうだ。
 立ち上がった綾乃は駆け出しながらたくやへと視線を向ける。―――確かにいる。では、あの少年の“顔”は何なのだろうか?
 近づいてみれば払拭される疑いのはずが、一歩距離を詰めるほどに確信へと変わっていく。綾乃が何度も思い描いてきた“絶対に存在しない”顔がなぜそこにあるのだろうか?
「留美先生!!!」
 自分の頭では答えが出せず、助けを求めるように綾乃が叫ぶ。そうしてもつれる足で走り、再び倒れそうになったところをシワンスクナが受け止める。
「スクナ…さん……」
 困惑しているのは綾乃だけでない。モンスターたちも少年の顔を目にして緊張しており、綾乃を抱きしめたシワンスクナの腕にも無意識に力がこもっているのが伝わってきた。
「落ち着け、綾乃。どうと言うことはない。目の前にあるものは、ただの“事実”だ。今のところ“真実”はどうだかしらんがな」
「ふ〜ん……上手いことを言うね。けど、内心は驚きなんじゃないんですか、留・美・先・生? あははははははははッ!」
 少年は笑う……それは年相応の無邪気な笑いではなく、慌てふためく綾乃たちの様子が心底おかしくて仕方がないと言う笑いだ。
「その顔でそんな笑い方はやめてください!」
「綾乃、落ち着けと言ったはずだ」
「でも……でも………!」
「事実は事実として受け止めろ。こいつの顔が―――」
 留美の顔は綾乃には見えない……けれど、目の前にある“事実”を認めようとする言葉からは、深い苦悩にも似た感情が感じられた気がした。


「こいつの顔がたくやにそっくりだから、何だと言うのだ」


 綾乃のそばに、たくやが倒れている。
 そしてもう一人、少年の……いや、男の“たくや”がこの場にはいた。


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