第十一章「賢者」37


(………なんだか、急に静かになりましたね)
 頭から重たい布を被せられた綾乃が周囲を窺いながら顔を上げる。
 視界に映るのは、やはり薄暗い洞窟の中だ。いくつか篝火(かがりび)が焚かれていて、真っ暗な布の中よりは多少遠くを見通すことは出来るものの、それでも地面の下とは思えない広大な空間の端まで見通すことは出来ない。
 だが声は別だ。先ほどまで十人以上の若い男たちと村長、そして恐そうな男が喋っている声は綾乃のところにまで届いていた。そしてそれらの声に折り重なるように聞こえてきていたのは、幾人もの女性のすすり泣く声と、身体を弄ばれることへの屈辱と快感とが入り混じった悲痛な呻きだった。
 ―――あの人たち、大丈夫かな……
 同じ女性として、乱暴に扱われていた女性たちが心配でならない。だが今は、大勢いたはずの女性たちの声すら聞こえなくなっていて、そのことが悲鳴を聞くことよりも、かえって綾乃の不安を掻き立てていた。
(……………)
(何をしているんですか。さっさと頭を引っ込めてください!)
(きゃっ!)
 布の中、ずっと隣にいた人物が布の中から出ようとしていた綾乃の頭を押さえつける。そして布製にしては異様に重たい黒いマントをかぶりなおすと、その姿は地面とどうかして見分けが付かなくなってしまう。
(あなたは馬鹿ですか。私が助けなかったら、今頃あなたの方が呻き声を上げていたんですよ!?)
(でも千里ちゃん……)
(男たちがどこかに行ったにしても、今はまだ戻ってくる可能性は高いんです。本来一人用にステルスマントで一緒に隠してあげているんですから、ここは私に従ってもらいます!)
(うん……)
 村長が若者と連れ立ってこそこそと洞窟の中に入っていくのを見かけた綾乃は、たくやや留美の手助けになるかと思い、気づいたときには後を追って洞窟に足を踏み入れていた。
 そんな行動を取らせるに至った原因は、魔法を自由に使えるようになった自信や高揚感だ。まだまだ未熟で練習不足でありながら、魔法を覚えたばかりの子供のように、何でも出来る、強くなったと思い込んでしまったのだ。
 そうして辿り着いた洞窟の最奥の大空洞に辿り着いた所で、驚きの声を上げるよりも早く千里に口を塞がれ、侵入者がいないか警戒している男たちの監視から運良く逃れられた……のだが、
 ―――千里ちゃん、どうしてここに……
 考える時間は十分にあった。
 太陽の光を熱に変えて蓄えていたマントの内側はかなり暑く、白い布を水着にして巻きつけている身体にはびっしょりと汗をかいている。けれど姿を隠してくれるマントの下では身動きすることにすら慎重にならねばならない。そして息を潜め、警戒を解ける時を待つ間に出来ることといえば、息をすることと考えることだけだ。
 ―――私と村長さんたちの間に入った人はいないから……それよりも前にここまで辿り着いてたんだよね……
 漁村に来たばかりの綾乃では見つけられないような場所に洞窟はあった。千里がこの村に現れたのは、つい先刻の事だし、偶然で洞窟を見つけ、途中の隠し扉なども見つけてここにいたと言うのは、どう考えても不自然だ。
 ―――でも……村長さんたちとは仲間と言うわけでもなさそうだし……どうしてここに……
 汗の雫がこめかみを伝い落ちる。
 綾乃の心中では、時間がたつほどに千里への猜疑心が高まりつつあった。錬金術師と聞いてはいるけれど、現れたタイミングや行動にも謎が多く、そのような人物と剥き出しの肩が触れ合うほど密着しているのかと思うと、緊張が高ぶって胸が締め付けられ、息が少しずつ乱れ始めてしまう。
 ―――私、やっぱり馬鹿だ。先輩が気をつけろって言ってくれたのに、魔法がちょっと使えるようになったからって浮かれて……
 今は少なくとも危険から免れているものの、こもった熱で思考力が鈍り始めた頭は危なくないかと警鐘を鳴らし始めている。多少涼しい風で冷やされたところで千里の正体を考え始めると頭の中がグルグルし、いくら頑張ってみても答えを出すことなどできず、それでも諦めずにグルグルとグルグルと思考を堂々巡りさせてしまう。
 ―――だ、だって私、千里さんのことそんなに知りませんもん。私よりも背が低くて可愛いな〜と思いますけど、可愛くても美人でも強い人ってすっごく強いですし〜……
「綾乃さん?」
 ―――まさか……錬金術師って言うのは真っ赤なウソで、盗賊さんだったり、山賊さんだったり、あ、わかった、きっと占い師さんで私あれこれ身体をいじられちゃうんだなきっと……
「もしもし? 人の話を聞いていないんですか? いつまでそうやって地面に向けてぶつぶつと呟いているんですか?」
「へ………はれ?」
 綾乃が顔を上げると、火照った頬をひんやり冷たい空気が撫でる。いつの間にか千里はステルスマントを解除し、立ち上がって大空洞の中をあちこち見回していた。
「あの、あの、だ…誰かに見つかっちゃいますよ!?」
「それは私が先ほど言ったことです。もっとも、誰かさんが熱にうなされてブツブツとすぐ横で呟いたりしなければ、もう少し我慢したんです」
 要は綾乃を気遣ってのことなのだが、まだ熱ボケしている綾乃はそれに気付かないし、千里もどちらかというと迷惑だからしぶしぶとしたことなので、二人の意思疎通はそこであっさりと終わった。
 ―――そう言えば、女の人たちはどこに行ったんだろう……
 緊張と暑さから開放されたばかりの身体は思いのほか体力を消耗している。綾乃は無理に立とうとせず、湿り気を帯びた冷気を深呼吸で胸へと取り入れながら、ゆっくりと辺りを見回した。
 ―――小さな泉があるけど……潮の香りがする。もしかして海に繋がってるのかな?
 女性たちの声が聞こえてきていたのも確かその泉の方からだったはずだが、空洞内には男たちの姿さえない。
 ―――どこに行ったんだろ……?
 出口は……と首をめぐらせれば、綾乃や村長たちがここに入ってきた洞窟と、別の方向の壁にもう一つ通路への入り口がぽっかりと口を開けている。おそらくはそっちを通ったのだろう……と綾乃が思索をめぐらせていると、
「見つけましたよ……」
 感情のこもった千里の呟きに綾乃もそちらへ目を向ける。
 千里の視線は地面ではなく、上に向いていた。それを追うと、十人が肩車をしても届きそうに無いほど高い位置の壁に出っ張りがあり、その上に人の上半身をかたどった人形が置いてあるのが見えた。
 ―――竪琴を持ってますね。
 人形は腕に立派な竪琴を抱きかかえていた。火が消されていない篝火の光に照らされ、人形は青銅の、竪琴は銀色の輝きを跳ね返している。
「早速回収させてもらいます」
 マントの内側から、千里は伸縮自在のマジックアームを取り出す。ステルスマントで隠れながら綾乃を引き寄せたアイテムの登場に、綾乃にも千里が何をしようとしているのかは予測できた。
「あの……」
「なんです。少し集中するので静かにしてもらえませんか?」
「はうっ……ご、ごめんなさい……でも、泥棒はいけないと思うんですけど……」
「はァ? 何故この私が私が泥棒などと言う浅ましい行為をするのです?」
「だって……」
 綾乃も立ち上がって壁の上部に置かれた人形に近づいてみる。明かりも足りず、下から見上げるだけでは細工など細かい部分までは解らないけれど、竪琴が銀製品だとしたら盗むに価する価値はあるだろう。
 つまり、
「真っ黒い格好してるから、てっきりあの竪琴を盗みに来た泥棒さんかなって」
「そんなわけあるはず無いでしょう。あなたの頭の中はどういう構造をしているんですか、一体」
「あうッ……な、なんかひどいこと言われた気がする……」
「ええ、言ってますとも。それを気がする程度の理解しか出来ないんでしたら、やはり頭はそれほど良くなさそうですね」
「はうゥ……」
 千里の辛辣(しんらつ)な言葉に綾乃がしょんぼりと肩を落とす。その様子をチラリと横目で見ると、どうにも調子を狂わされていることに溜め息をつき、自分の手の延長となるマジックハンドの調子を確かめながら口を開く。
「私の目的は竪琴ではありません。あの竪琴を抱えている人形のほう……得にその動力部が目的です」
「動力…部……?」
「あの竪琴はちょっとした曰くのある品でしてね。人間が奏でると不都合が生じるんですよ。そこで私が竪琴演奏用のオートマトン(自動人形)の製作を依頼されたのですが……」
 音が鳴るほど強く奥歯を噛み締める。
「その依頼者、私になんの断りも得ずにその人形を持ち出してしまったんです。竪琴の効果もありますが、私が新たに開発した動力期間を盗み出されて放っておけるわけが無いでしょう!? 私が一ヶ月も寝ずに研究開発したと言うのに、ねえ、そう思いませんか!?」
「声、声が大きいよぉ……」
 指摘され、慌てて出来払いを一つすると、千里は声のトーンを落とす。
「あの竪琴の能力を悪用されるのは、私にとっては別に係わり合いの無いことです……が、人形は別です。下手に使われて私が開発したものと知れれば、大錬金術師の名に傷が付きますからね」
「ふぅん……でもあの竪琴、そんなに危険なものなんですか?」
 手にとれるわけではないので詳しくは解らないが、綾乃の目には竪琴がそれほど危険なものには見えない。
「やれやれ、危険だからこそ演奏用の人形がいると何故気付かないのですか?」
「ううう……だって……」
「この世の中に、危険なマジックアイテムがどれだけ人知れず隠匿されていると思っているんです? かけて見つめるだけで呪いをかけるメガネ。一吹きするだけで周囲の生命力を瘴気に変える笛。魔法ギルドが厳重に封印している物もあれば、個人所有の物も、そこいらのガラクタに紛れて放置されている物だってあるんです。古代魔法文明の遺産と言えば聞こえはいいですが、現代の人間は、その使い方さえ満足に解っていない。なのに下手に扱えば大惨事になりますよ」
「でも……」
「あの“魔琴”もその類です。演奏者が前触れも無く次々と呪いに掛かり、巡り巡って私の元へ持ち込まれた。放っておくことも出来ましたが、依頼は依頼ですからね。……まったく、完璧すぎる自分がイヤになります。おかげで余計な面倒を……」
「千里ちゃん千里ちゃん」
「だから……ちゃん付けはやめて欲しいと何度言えば解るんですか。せめて千里様と尊敬と畏怖の念を込めて――」
 と言葉を紡いでいる最中に、それは来た。
「え……じ、地震ですか!?」
「ううん、ちょっと違うと思う。でも……」
 洞窟全体がうなるように低い音を響かせ、わずかに揺れる。
 立っていられなくなるほどの揺れではないが、篝火の光さえ届かない大空洞の天井からぱらぱらと砂や小石が降ってくれば、いやでも崩落する危険性を感じてしまう。
 しかも振動は一度では収まらなかった。この地域特有の頑丈な岩盤が二度、三度と縦続きに悲鳴を上げる。この程度の揺れならば、さすがに今すぐ崩れたりはしないだろうが、のんびり事を構えている余裕がないのも事実だ。
「ちっ。厄介な場所の“聖地”を選んで……回収にきた私の身にもなって欲しいですよ」
 千里が急いで伸ばしたマジックハンドは人形のところにまで届くものの、時間がない事を意識しているのか、先端が小刻みに震えていた。グリップを操作する手元の揺れは先端に行くにしたがって大きくなっていて、綾乃の口を塞いで押さえつけた時ほどの精密さは発揮できていない。何度か人形の確保を試みるものの、むなしく空を切るばかりだ。
 それに、
 ―――人の声が近づいてきてる……
 綾乃たちがやってきた側の通路から、何人もの男たちの声が聞こえてきていた。まだ距離はありそうだが、悲鳴とも怒声とも聞こえる声は確実に大空洞の方へと向かってきている。
「ちッ……今は諦めるしかありませんか」
 両手に装着していた二本のマジックハンドを引き戻しながら、千里が舌打ちする。振動、それに男たちが戻ってくる危険性を勘案して人形の確保を諦めた千里は、肌を覆う汗が冷たいものに変わっていたのを感じて身震いしていた綾乃の手を引き、急いでその場から移動する。
「なにか起こったようです。また隠れて様子を見ますよ」
「うん……でもきっと大丈夫だよ?」
 見つかったらひどい目に遭うかもしれないけれど、綾乃はもう、そんな心配はしていなかった。
 先ほどの振動。一度だけなら地震だと思い込んでいただろうけれど、複数回重なり、加えて男たちの声の様子から何かが怒っているのだと判れば、綾乃の中で導き出される答えは一つしかない。
 何しろこれだけの振動を起こせる人物と、いつも一緒に旅してきたのだから。
「きっと、先輩が来てくれたんだと思う」
「あなたのラブラブ戯言はどうだっていいんです」
「い、いきなりその切り替えしは、あの、ええっと……どう答えればいいんですかァ!」
「はいはい。初体験の人が助けに来てくれるなんて、それは素晴らしい妄想ですよ」
「妄想なんかじゃないです! 絶対に、絶対に先輩が来てくれたんです!」
「ですが」
「え〜ん、無視しないでくださいよ〜!」
「そんな偶然や妄想や思い込みや可能性の低い話に自分の命をかけるほど私は楽天家ではないんです。誰かに頼る前に、まず自分で危機を免れる方法を考えてください」
 確かに、近づいてくる声の中にたくやがいるという確証は無い。ただ、綾乃がピンチの時にタイミングよく助けに来てくれるのは、いつもたくやだ。だからきっと今度も……と言う思いがあるのだけれど、
「えっ……?」
 背筋に雷に打たれたような悪寒が走り抜ける。
 まるで全身の汗が氷にでも変わった様に寒気が込み上げ、千里に手を引かれていなければその場にしゃがみこんで失神してしまいそうなほどに意識が圧迫される。
 ―――誰かに……見られている……?
 身体に突き刺さる視線を感じた。けれど今は、この場所にいるのは綾乃と千里だけのはず。なのに振り替えることにすら危険を感じるほど鋭利過ぎる視線は、間違いなく綾乃に突き立てられていた。
 ―――先輩……
 寒気は不安を呼ぶ。そしてその不安は黒い靄(もや)になって、綾乃の心から身体に侵蝕しようとしていた。
 ―――なんだか…スゴく恐いです……
 声が、少しずつ近づいてくる。
 その中には綾乃の言うようにたくやの声も混じっていたのだが、身を竦めた綾乃の耳にその声は届いてはいなかった―――





「大介ェ! あんたあいつら何とかしなさいよォ!!!」
「無茶苦茶言うな、オレはシーフだから戦闘得意じゃねーんだよ! それよりたくやちゃんこそモンスター呼べるんだろ? けちけちせずに呼び出してふっ飛ばせばいいじゃねーか。ほら、あの四本腕とか!」
「馬鹿言わないでよ! あの人たち全員死んじゃうわよ!?」
「だったらオレたち死んでもいいのかよ!?」
「侵入者はこっちなんだから、下手に暴れたら前科が付いちゃうじゃない! だからさっさと綾乃ちゃん見つけて脱出すんの!」
「こんな一本道のどこにいるってんだよ!?」
「隅っこでシクシク泣いてるかもしれないじゃない! ああ、かわいそうな綾乃ちゃんを捜索せずに人をぶっ殺せだなんて言う罪深い盗賊に天罰をォ!」
「モンスターに乗っかってるヤツが神様に祈るなァ!!!」
 なんて感じにお互い怒鳴りあいながら、あたしと大介は一本道の洞窟をひたすら奥に向けて突っ走っていた。
 最初のトラップソーンは破壊したけれど、ご丁寧に罠が仕掛けられているのは一箇所や二箇所ではない。しかも洞窟は曲がりくねっており、真っ直ぐ飛ぶ魔力剣では一気に破壊できるのも極めて短距離の一地帯のみ。さらに洞窟が崩落しないように威力も最低限に留めなければいけないし、円を描くように剣を振るって魔力を放出すると切れが悪くなって魔力の無駄も多くなる。
 ―――でも、なんか知んないけど魔力のほうは有り余ってる感じが……
 留美先生に血が滲みそうなほど体液を搾り取られ、貧血で頭はフラフラしているけれど、体力不足を補うかのように魔力は十分体中を駆け巡っている。おかげで魔力剣の連発は意識が飛びそうになること以外は問題ない……が、
 ―――トラップを吹っ飛ばすたびに、わらわら追っ手が増えてきてるのは何でなんだろ……
 どうも隠し通路がそこかしこにあったらしく、魔力剣の余波で本筋と隠し通路を隔てる壁が壊れると、そこから新たに漁村の若い男性たちが殺気を漲らせて姿を現す。もし今、少しでも足を止めれば、刺されて死ぬか、挿されて犯されるかの二つに一つ。どちらにしても悲惨な結末しか待っていなさそうだ。
「バルーン、スピードアップ!」
『バルバルバルゥ〜〜〜ン!!!』
 尻尾を握って魔力を注ぎ込むと、バルーンは後ろに向けた口から圧縮された空気を噴き出す。前を向いていないと壁にぶつかるかと心配しそうなところだけれど、あたしと契約モンスターとは距離が近いほど意識が密接にリンクする。バルーン一体しか呼び出していない今なら、右だ左だと指示を出さなくても、あたしが自分で道を曲がる感覚にあわせて空気の噴出の角度を変わり、壁と衝突することなく突き進むことが出来る。
 それに、バルーンが後ろに空気を噴けば噴くほど、それは後ろから追いすがろうとする男衆を押し返す力になる。あたしの体重を乗せたまま走る速度を上回るスピードで飛んでいるのだ。後方に放たれる風はちょっとした烈風で、下手に近づいてこようものなら跳ね返してしまうぐらいの威力がある。
 ―――さらにおまけで、
「てい、煙玉!」
 腰のポーチから取り出した煙玉を地面に投げつけ、その上を通り過ぎると、湧き出した大量の白煙はバルーンの吐き出す空気に乗って後方へ送られ、洞窟内を白く染め上げる。
「ぐえェ! な、何だこれ!? 前が見えねェ!」
「ゲホッ、ゲホッ、ちくしょう、あの女ァ!」
「下手に動くなァ! し、尻に銛がァアアアアアッ!!!」
 ―――よっし。作戦大成功!
 こっちと違って、あっちは七〜八人が我先にと競い合うように洞窟の中を走っていた。統率の取れていない動きの男たちは頭に血が上っていたことも手伝って、ちょっと視界をつぶしただけで混乱に陥ってくれる。モンスター相手でも、こうは簡単に行かないだろう。
「これで時間は稼げた、あとは綾乃ちゃんを―――」
「たくやちゃん、前、躱せェ!!!」
 シーフだけあって、大介の足はバルーンの飛ぶ速度よりも速い。少しだけ先を行きトラップの存在を知らせてくれていた大介のとっさの警戒は……
 ―――罠じゃなくて、斬撃!?
 留美先生との戦闘では不調だった攻撃予知も、今度は鮮明に身体に感じ取れている。
 正面、左肩から右腰へと抜けて行く威力ある斬撃。もしそれを食らえば、肉だけではなく骨も内臓もまとめて粉砕される強撃の未来に、
「バルーン!」
『バ、バル〜ンッ!!!』
 大介は滑り込むように地に伏せていた。それに対してあたしはバルーンの頭頂を手の平で強く押さえつけ、速度はそのままで地面に向けて急下降させる。
「跳べェ!!!」
 球状の淫蟲は、あたしが送り込んだ魔力で体内に高圧の空気を溜め込んでいた。その身体が平らにつぶされると、元に戻ろうとする反動も強い。それに乗ってあたしとバルーンの身体は斬撃を飛び越えるように天井近くにまで上昇し、攻撃を回避する。
 けれど、回避した場所には誰の姿もない。避けたあたしだけではなく攻撃者の姿もなく、ただ攻撃の威力だけが何もない空間を薙ぎ払っていた。
 ―――魔法使い! こんな狭い場所で!?
 回避する空間が少ない洞窟などでは、攻撃魔法はその威力を数倍に跳ね上げる。火炎魔法など使われようものなら、どこにも逃げられずにあっという間に丸焼きだ。
 先ほどの攻撃は風系統のようだったけれど、飛べるメリットがなければ大介のように地面に伏せるしか回避手段はなかっただろう。……つまり、それは相手にも読めることで、
「グはァ!!!」
 追撃の二発目が大介に襲い掛かる。かろうじて直撃は避けたけれど、吹き飛ばされた岩がアゴを直撃し、そのまま目を回してばったり倒れこんでしまう。
 ―――見殺しにするわけじゃないけど、攻撃するなら今しかない!
 倒れる寸前、大介は手にしていた松明を前方に投げていた。そして光の届く範囲の中に姿を見せた攻撃者に対し、あたしは三発目の魔法を撃たせる余裕を与えぬスピードでバルーンを突進させる。
 相手が魔法使いなら、このバルーンの突進で沈黙させられる。……でも、途中でバルーンから降り、着地したあたしの胸中には嫌な予感が膨れ上がっていた。
 そしてそれは、光の中で正面の人影が長柄の武器を振りかぶったことで確信に変わる。
「バルーン、戻って!!!」
 間一髪……長柄の武器が振り下ろされる直前に、バルーンの身体は光に包まれ、魔封玉に戻ってあたしの手の中に帰ってくる。
 同時に、あたしが魔力剣で罠を吹き飛ばした際の音にも負けないほどの轟音が、振り下ろされた長柄の武器の先端から炸裂していた。
 ―――あれは……は、ハルバードォ!? 洞窟の中で、なんて武器を振り回してるのよ!?
 分厚い片刃の斧に、先端には切っ先鋭い槍、斧の反対側には服や鎧に引っ掛ける鉤の付いた複合武器、ハルバード。当然の事ながら、長柄の先端にゴチャゴチャした物騒極まりないものがくっついているのだから、かなり重量があり、取り扱いはかなり難しい。あたしなら振りかぶることさえ困難なポールウェポンだ。
 ―――こんなものを洞窟の中で振り回すなんて、正気なの!?
 どう見ても、ハルバードの長さは3〜4メートルはある。そんな武器を洞窟の中で振り回せば、先端や石突が天井や壁に当たり、まともに動かせるはずがない。あたしも洞窟に入ると聞いて、愛用している木棍を宿に置いてきたぐらいなのに、それでも松明の光に照らされた相手はハルバードを頭上に振り上げ、
 ―――あそこだけ、洞窟が広い!?
 よく見れば、骨太そうな男の周囲には大きな石がゴロゴロしている。それはハルバードを強引に振り回して洞窟を削り取った残骸なのだと気付いた時、まだ距離のあるはずの相手の攻撃があたしの身体を上から下へ両断する予感が駆け巡る。
「ちょ―――」
 どう見たって相手は戦士だ。ハルバードを振り回して岩盤削れるような怪力の魔法使いがいてたまるものか。
 しかも呪文の詠唱もしていない。それなのに、いくら長柄の武器でも届くはずのない距離で武器を振りかぶったそのわけは、
 ―――あの斧が原因かァ!!!
 身を捻り、壁に背中を張り付けた直後には、空気を切り裂く勢いで振り下ろされた斧が、再び地面を打ち砕きながら斬撃のみを撃ち放つ。あたしの魔力剣と同様のものかと推測しながら、続く連撃を躱すために身をかがめながら前に飛び出し、ショートソードを抜き放つ。
 ―――体調さえ万全だったら……!
 息を止め、全力で足を踏み出しただけで視界がグニャリと歪む。頭痛と吐き気があたしに動く事を止めろと命じ、それにしたがって止まりそうになる筋肉と関節を強引に動かしながら、右から左に剣を振り抜こうとする。
 ―――この一撃で……!
 そう……狭い空間で魔法の威力が上がり、回避しにくくなるのなら、あたしの魔力剣も同様だ。刃を返し、峰打ちに込めた魔力は衝撃波になって相手を吹き飛ばす……ひどい貧血を起こしているあたしが動けるのはそこが限界だけれど、目の前の強敵を打ち倒せば、またバルーンに乗せてもらって先に進める……はずだったのに、
「おっと、その物騒な必殺剣はやめてもらおうか」
 あたしの踏み込みにあわせ、相手もまた踏み込んでいた。身体が衝突しそうなほどの近距離にまで間合いがつまり、あたしの剣は衝撃波を放つ前に手首を押さえられてしまう。
 ―――じょ…冗談キツいわよ……
 たった一度だけの勝機は、いとも容易く奪われていた。
 しかも、あたしの目の前にはさらに最悪な現実が突きつけられていた。
 岩のようにゴツゴツとした筋肉。ゴリラのようでありながら愛嬌ではなく女への性欲ばかりがにじみ出ているような厳(いか)つい顔。肩当てにはとても思えない巨大な鎧が以前とは違うものの、間近で顔を合わせたと単に、あたしの意識の奥底に封印していた人生最大最悪の記憶が次々と蘇ってきてしまう。
「どうして…あんたがここにいるのよ……!」
「クックック……つれないじゃないか、初めての男がそんなに憎いのか?」
「―――――――――――――ッ!!!」
 反射的に頭に血が上り……またも視界が大きく歪んで力が抜け落ちる。その期を逃さず、男は剣を握ったあたしの手首を離さぬまま地面へと押さえつけ、息を突く間もなく、あたしのシャツを胸元から一気に引き裂く。
「いやァアアアアアアアアアッ!!!」
「ハハッ! ずいぶん見ない間に、一層いい女になったじゃないか。オレも最近舐めさせてばっかりで溜まり気味でな。久しぶりに犯してやる、離して欲しければ楽しませてみろ!!!」
 そう叫び、あたしの初めての―――女になった現実を受け入れられずに困惑していたあたしを暗い森の中でレイプした男である寺田は、あたしのアゴを掴むと、あの夜の出来事を全て思い出させるように強引に唇を重ね合わせてきた―――


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