第十一章「賢者」36


「この洞窟かァ……」
 マーマンと戦闘中の漁村から離れ、裏手の山の中へと足を踏み入れたあたしは、地震か何かの理由でズレて地面が盛り上がり、ミルフィーユのように折り重なった地層をくっきりと見せている壁にぽっかりと開いた洞窟の前にたどり着いた。
 ―――留美先生の指示通りにこの場所まで来てはみたものの、本当に綾乃ちゃんはこの中にいるのかな?
 入り口から中を覗き込んでみるものの、洞窟内部には光もなく、とてもではないけれど奥まで見通せはしない。人が入るには十分すぎる広さはありそうだけれど、出来れば足を踏み入れたくない場所であることは間違いない。そしてあたしがそう思うのであれば、綾乃ちゃんも同様の理由で中に入ろうとはしないと思うのだけれど、
 ―――でも、人が出入りした形跡は残ってるのよね。
 あたしと綾乃ちゃんが留美先生に頼まれてマーマンの情報を集めて回ったのは、海側が中心だ。そのためにこの場所に気付くことはなかったものの、洞窟入り口周辺の地面にはいくつもの足跡が残されているのが見て取れる。足跡の爪先は入っていく向きの物もあれば出て行く向きの物もあり、少なくともこの数日中に一人の人間が何十何百と出入りしたのではない限り、大勢の人間が何らかの理由で見るからに怪しい洞窟に出入りを繰り返しているのが明らかにわかってしまう。
「にしたって、どうも留美先生の様子が変なのよね。この洞窟の前に綾乃ちゃんがいたってだけで妙に表情を強張らせたり、さっきも急にどっかいっちゃうし。あんたはどう思う、下僕一号」
「な、ナチュラルに知り合いを下僕扱いかよ!? たくやちゃんも結構厳しいなァ!」
 あたしの呼びかけにすかさず否定を返す大介に目を向けつつも、こちらが貧血気味で無気力であるために、それ以上の言い合いには発展しなかった。
 ここまで疲れている理由は、言いにくい事ではあるのだけれど、ぶっちゃけてしまうと……頭から大量失血して間もないと言うのに、今度は三人がかりで精液を根こそぎ搾り取られたせいだ。
 三時間後の未来から二人続けて表れ、計三人になった留美先生たち。まだ一人ずつならどうにかなったのだろうけれど、三人同時だとさすがにキツすぎる。回復魔法までかけられて強制的に勃起を持続させられ、出しも出したり18発。未だにひからびず、ここでこうして息をしているのが不思議なぐらいに身体中からは力が吸い取られてしまっている。
 どういう理由かは知らないけれど、魔法で擬似的に作り変えられた身体はきちんと射精できる作りになっていた。それが今の疲労感に繋がっているわけではないけれど、あたしだって黙って圧し掛かられていたわけではない。娼館で身につけざるを得なかったテクニックを総動員し、三人がかりで襲いかかってくる留美先生を反撃してイかせた回数なんて数えようがないほどだ。あたしの身体もベッドのシーツも吹き上げる絶頂汁をタップリと浴びているし、三時間を三回、つまり九時間もやりっぱなしだった三人目の留美先生なんてまさに息も絶え絶えでお尻を震わせ、泣いて「やめて」と懇願してきたほどだ。
 ―――ううゥ……お、思い出しただけで身体が重たくなる……
 そんなあまりにも濃厚な三時間を過ごしたのだ。最後に残った留美先生を意地と根性で絶頂失神にまで追い込んだところで、海底での先頭の疲労も色濃く残っていたあたしも精魂は尽き果てて眠りに落ちていた。
 本来なら、そこで話は終わりだ。次々と降りかかるトラブルの連続がもたらした疲労は十分や二十分の睡眠で取れるはずがない。綾乃ちゃんを助けにいくことも、マーマンと村人との戦いへの助っ人も、どちらも目を覚ました時には間に合わなくなっているはずだったのに、時間は三時間どころか十分ほどしか経過していなかった。
『部屋に三十倍加圧の結界を張っておいた。簡単に言えば一時間を二分に圧縮する技法なのだ。どうだ、驚いたか?』
 ―――ええ、ええ、思いっきり驚きましたよ。そう言う結界張ってるんなら、何で最初にそうだと言ってくれなかったのかなァ、あの美人先生は!
 もっとも、似たような経験がないわけではない。フジエーダの娼館に存在していた秘密の部屋では、もっと長い時間を短い時間に圧縮させていた。時間の圧縮……話を聞かされた時には「なんてご都合主義的な!」と思いはしたものの、理解にそう苦しむことはなかったのが救いだった。
 で、その直後にもう一つの驚きがあった。留美先生が綾乃ちゃん創作の助けにと、宿屋で休んでいた大介を連れてきたのだ。
『いいか、こいつの事は犬か何かだと思えばいい。いや、それでは犬の方が可哀想か。では家畜以下……いや、人間の生活の一助となっている家畜と同列に扱うなど言語道断。猫以下……あの愛らしい猫とこんなムサくてスケベで馬鹿で何の取り得もない男を一緒になど出来るものか! ならば―――』
 そんな風に大介の存在は徐々に人間以下に貶められていく。留美先生の口から機関銃のように次々と悪し様に罵る言葉を浴びせかけられながらも、大介は弱みでも握られているのか、唇をグッと噛み締めて反論することなく我慢し続けていた。……で、結局、
「あんた、いったい留美先生に何やったのよ。単細胞生物と同列にまで貶められちゃってさ、ゾウリムシ大介」
「言うな……男には口に出して言えない事がいくつもあるんだよ、いくつも……」
 ―――だからって泣いて拳を震わせる事はないんじゃないかと思うんだけど。どうせ留美先生にいやらしいことしようとでもしたんだろうし。
 昨晩、温泉であたしに襲い掛かってきた事を思えば、これぐらい痛い目に遭うのもいい薬だ。そう思うと足元がおぼつかないあたしの口元にも自然と笑みが浮かんでしまう。
「んな事よりも、そっちこそ大丈夫かよ」
「何が?」
「何がじゃねえって。この洞窟の中がどういう状態か分からないけど、あの女、知ってる事を何か隠してやがったぞ。下手に足を踏み入れたらどんな悲惨な目に遭うか」
「だから留美先生は、あたしにあんたを付けてくれたんでしょ?」
 信頼している……いや、満足に動けない今のあたしでは、何かがあれば大介に頼るしかない。大介はスケベだけれど決して悪い人間でない事を知るあたしは、一時だけの相棒の肩に手を置いて片目を閉じて見せる。
「お…おう、この俺に任せとけ!」
「泥舟じゃない事を期待してるからね♪」
 胸を叩く大介も、あたしの一言に苦い表情を浮かべる。けれど不快に感じるどころかむしろやる気を漲らせると、松明片手に先頭きって洞窟の中へと足を踏み入れていった。
 ―――男って単純よね〜……
 今だけは自分が美人になってしまったことにちょっぴり感謝すると、あたしは大介の背中を見失わないようにと慌てて後を追いかける。
 ―――でも……留美先生、何で付いて来てくれなかったんだろ?
 聞いた限りでは、先生は綾乃ちゃんがこの洞窟の中にいる事を確信しているようでもある。けれど一方で、綾乃ちゃんが中にいると確信した直後から、あたしを男にしてまで身体を重ね、そして今また、転移でいずこかへと姿を消してしまっている。
 留美先生は当初、あたしにこの村からすぐに逃げ出し、綾乃ちゃんは自分が助けるつもりでいた。それなのにあたしに救出を任せて自分は姿を消した……それは何故か。
「イヤな……予感がするな」
 十度の貧血で頭痛のする頭では、何を考えてもまともな答えなど出せるはずがない。今は考える時間ではなく、綾乃ちゃんを探し出すことに全力を傾けるべきなのだと意識を切り替えると、先を進む松明の明かりを頼りに暗い洞窟の中を奥へと進んでいった―――



「……ねえ、まだなの?」
「さっきからそれ、何度目だよ」
「何度だって言いたくなるわよ。かれこれ三十分ぐらいここで足止めされてない?」
「失敬な。まだ二十三分ぐらいだぜ。それに慌てるとトラップの解除だってうまく行かないんだから……よっと。これで……って、後一体何個あるんだよォ……」
 一つ解除しても、その先に二つ三つと数を増やして設置されている罠の数々。狭い洞窟の中に所狭しと並べられたそれらを大介は慎重に一つ一つ解除しているけれど、最初の意気込みはどこへやら、呼び出したバルーンをソファー代わりにして腰を掛け、あたしはすっかりまったりモードに突入したまま待ちくたびれてしまっていた。
「要は触らなきゃいいんでしょ? バルーン浮いてるから、腰掛けたまま移動したら大丈夫じゃなくない?」
「危ないって。見ろよ、これ、最新型の光学感知型トラップだぜ?」
「つまり?」
「これの前を横切っただけでトラップ発動。槍が出るのか落とし穴が開くのかはまでは分からないけど、きっといい目は見れないと思うぜ?」
 罠に関しては素人のあたしが見ても、松明の光が届く範囲に竹槍や丸太、わずかに光を反射させている極細のワイヤーや引き絞られた弓矢など、物騒なものの数々が覗き見える。実際はその何倍もの危険物が設置されていることだろう。確かに、受かりトラップに一つでも引っかかろうものなら、洞窟内のトラップが次々と起動して悲惨な目に遭うのはまず間違いない。
「え〜と、屈折プリズムの数足りるかな……こっちはワイヤー式かよ。でもってこっちは体重感知……あ―――ちくしょう! 何なんだよこのトラップの山は!? 仕掛けたヤツは絶対異常者だぞ、人が出入りするたびにこんだけの数を設置しなおしてるのかよ!?」
 ―――やれやれ、この分じゃ先に進めるようになるのはまだ先の話ね。
 その前に大介の忍耐が限界に来るか、ポシェット内のトラップ解除に使用しているアイテムのストックがなくなるか、そのどちらかが先に来る様な気がしてならない。
 ―――だけど綾乃ちゃんもこの先にいるはずだし……どうやって奥に行けばいいんだろう……
 これ以上声を掛ければ、それだけ大介の邪魔になる。本当なら雇われた冒険者としてマーマンの対処の方を優先しなければならない大介がここまであたしに協力してくれているのだからと数歩分下がると、病的なまでに設置されたトラップが解除された洞窟内部をぐるりと見渡した。
「……そんなはずないのよね、やっぱり」
 やっぱりこのトラップの数、そして設置の仕方はおかしい。一部とは言えトラップが姿を覗かせている……その時点で違和感を感じずにはいられない。
 そもそも罠とは、存在を気付かれた時点で何の獲物もかからなくなってしまう。森の中に仕掛ける狩猟用の罠も、獣たちに見つからないようにカモフラージュするのが常識だ。でも見えてしまっている罠には誰もが警戒し、うかつには近寄らず、あわよくば解除しようとさえするだろう。
 ―――何十という数のトラップは、設置するのにも解除するのにも時間がかかりすぎる……頻繁に人が出入りしている場所に、それだけの罠を普通仕掛ける?
 むしろ知らない人間だけがかかるように巧妙に隠した罠のほうが効果的のはず。だけど立ちはだかる無数のトラップにはシーフの大介にすら安全なルートは見つけられていない。これではまるで、
 ―――追い返そうとしているのか、時間稼ぎ……?
 普通の人なら先に進むのを躊躇って引き返す。そして罠解除の玄人なら時間をかけてでも前に進もうとするだろうけれど、トラップゾーンを抜けるまでにどれぐらいの時間がかかるか分かったものではない。そして、
 ―――ここじゃなく、別の場所に先に進む道がある……?
 綾乃ちゃんがこの洞窟の中へ足を踏み入れたのなら、この罠の前で立ち往生していなければおかしい。トラップを解除するスキルを持ち合わせていないのだから。
 ならば綾乃ちゃんでも先に進めるような安全なルートが別にあるはず。そしてそのルートは、綾乃ちゃんが洞窟に入った時間を考えたら洞窟の外ではなく中。つまり、
 ―――この壁のどこかに隠し扉か何かがある……と思うんだけどな……
 下手な冒険譚の読みすぎだろうか。それでも大介に罠の解除を任せて何もしていないよりはましかと、頭の上に座らせてもらっているバルーンにトラップが出始めた場所まで戻るように指示を出す。
『バルゥ〜ン』
「このあたり……か」
 抜け道を探すとき、空気の流れを頼りにすると聞いた事があるけれど、風は奥から洞窟の入り口へと流れている。これでは微妙な空気の変化を読み取ることは出来はしない。
「じゃあ面倒だけど手当たり次第に探すしかないわけか……」
 壁に寄ってもらい、岩肌に手を滑らせる。入り口からたいした距離を進んでいないと言っても、一人で全部調べるのは骨を折りそうだなと考えていると、手を置いた場所がいきなり「ガコン」と音を立ててくぼみ、続いて金属同士の擦過音が岩壁の向こう側から響いてきた。
 ―――も、もしかしてトラップ? それともいきなり当てちゃった!?
 答えはおそらく後者。押し込んだ岩のすぐ隣の壁がガリゴリ擦れながら横へスライドしていく。
「大介、ちょっとこっち、こっちに―――」
 このような偶然があるのかと、自分の幸運に喜びながらバルーンに乗ったまま隠されていた通路へと頭を突き出して中を覗き込む。
 当然、隠し通路の中は暗い。外に明かりが漏れ出たりしたらその存在がばれてしまうのだから仕方ないのだろうけれど、まだ松明の明かりのある薄暗い洞窟側から入り込むと、その暗さはひとしおだ。
 ―――こりゃ大介が松明持ってきてくれるまで中に入れないか……
 けれどそれもすぐのことだ。トラップの解除に夢中になっていてもあたしの声ぐらいは聞こえたはず。後は到着を待って二人して進めば安全……だと思っていたのだけれど、引っ込めたあたしの顔の鼻先に銛(もり)の切っ先を突きつけられては安全だなんて口が裂けても言えはしない。
「てめェ……どうやってこの場所を……」
 反射的に「逃げよう」と思ったあたしの意志を反映して、バルーンは小さな口から息を吐いて急速に後退さる。そのおかげで安全圏にまで移動したあたしは、隠し通路から姿を見せた漁師姿の男たちと改めて顔を合わせることになった。
「……あんたたち、確か村長の家にいた……」
 この村に着てすぐ、長い話を聞かされ、協力を強要された村長宅。そこで村長の後ろであたしや綾乃ちゃんを威圧していた男たちの顔に、あたしは「どうして?」と疑問に思いながらも「やっぱり…」となぜか納得を得てしまっていた。
「この村でなんか悪巧みしてるみたいだけど……やっぱり村長やあんたたちが関わってたって事ね」
「そっちこそ。興味がない振りしてこの場所まで嗅ぎつけやがって……金に薄汚い冒険者が! 生きて帰れると思うなよ!?」
「金に意地汚いのはそっちでしょうが。格安の依頼料をさらに値切ったりして。あたしなんてね、工事の人に土下座されて超薄給で工事現場の依頼を引き受けさせられた挙句に、その工事を手伝わされるし毎晩夜這いにおびえて満足に眠ることも出来なかったし散々目に合わされて………あー! 思い出したら頭にきた! だいたいね、あんたたちがお金をケチるから怪しいって思われたのに気付かないわけ? このドケチども!!!」
「うるせェ! 貧乏な俺たちの村からさらに金をふんだくろうとしてる悪人どもが! 金に汚いハイエナめ!」
「だったらあんたたちは何の罪もないあたしを殺そうとしてる殺人未遂犯でしょうが! それより綾乃ちゃんはどうしたのよ、まさか……!」
「そんなもん知るか。死ねェ〜〜〜!」
 男たちは漁に使う道具でもある銛を、槍のように構えてあたしの身体へと突き込んでくる……が、ここを通るしかなかった綾乃ちゃんの事を知らないと言い切った男たちの言葉に、あたしの頭の奥で何かが、プツン、と弾けた。
「あんたたち、綾乃ちゃんに何したのよ!!?」
 ショートソードを抜き放ち、バルーンに腰掛けたまま最初の銛を上へと弾く。そして続けざまに左右から襲い掛かってくる男たちに対して、
「邪魔するなァ―――――――――!!!」
 刃を返したショートソードで魔力剣・峰打ち(弱)を放ち、五・六人いた屈強な漁師たちをまとめて吹っ飛ばして洞窟の壁に叩きつける。
 そして、
「どわあァ!? たくやちゃん、一体何やってんだよ!?」
「大介、そこどいて!!!」
 バルーンの上から飛び降りながら再び剣の刃を返し、洞窟の奥からやってきた大介に向けてあたしは駆け出していく。
 ―――魔力の流れが、やけにスムーズな気が……
 留美先生と戦った時に何か掴んだのか、さっきの峰打ちもそうだけど、剣へ流し込む魔力の流れがあまりにも滑らかだ。チャージの時間は短いのに、既に刀身には溢れ出さんばかりに魔力が蓄積され、放電するかのように青い火花を飛び散らせている。
「へ? へ? へ!? ちょっと待てェ〜〜〜〜〜〜!!!」
「その場で飛び跳ねろォ!!!」
 もう停まらない。もう待てない。―――綾乃ちゃんの身の危険に制御できなくなった魔力を解き放つように、あたしは魔力剣を大介目掛けて解き放った。
「新必殺、魔力剣・螺旋切りィ!!!」
「な、仲間に向けて“必ず殺す”ってどういうことだァ―――――――――!!?」
 反論はさらりと流すけれど、それでもあたしの言葉どおりに飛び跳ねた大介に対し、刀身で円を描くようにショートソードを振り抜いた。
 直線ではなく曲線。斬撃の鋭さにはやや欠けるものの、放たれた圧縮魔力の刃は大介を包み込み、敷き詰められたトラップをまとめて粉砕しながら洞窟をくりぬき、吹き飛ばす。
「む…無茶苦茶するなよ、おいィィィ! 崩落したらどうするんだよ!?」
「腰抜かしてる暇なんか無いわよ! さっさと立ちなさい!!!」
 威力は控えめにしたけれど、想像以上に魔力の通りが良すぎて、洞窟は一回り広くなってしまっていた。トラップは瓦礫もろとも文字通り“粉砕”されて跡形も残っておらず、凹凸がなくなって走りやすくなった地面を、あたしは大介の襟首を掴まえて駆け出していく。
 ―――もしかしてこれ、工事現場でパワーアップしたせい?
 ものの見事に平らにならされた洞窟に自分でも少々驚いているけれど、今は綾乃ちゃんの身の安全のほうが最優先だ。
 ―――待っててね、綾乃ちゃん……今すぐ助けに行くからね!


第十一章「賢者」37へ