第十一章「賢者」30


「食堂に……」
 戻ってきた―――認識すると同時に、あたしは立ち上がる。短い時間で転移させられ落下して再び転移させられ、頭痛がかなり頭の深いところにまで食い込んでいるけれど、
「こんなところで寝てる場合じゃ……!」
 漁村がマーマンに襲われているなら、護衛の依頼を受けていなくても助けに行くべきだ。あたしは自分の剣や鎧を置いてあるテーブルに目を留めると、すぐさまそちらに手を伸ばす。――が、
「“我が掌中に虚空の盾”」
 どこかで聞き覚えのある言葉が食堂の中に響くと、その声の余韻をかき消すかのような更なる異音が鳴り響く。
「ふむ……海中よりも音が鋭いな。湿度の違いによるものかな?」
 先ほどの声はもちろん留美先生にしては珍しい呪文詠唱だ。で、何をしたかと思えば、あたしが手を伸ばしていたテーブルの上を半球状の小さな魔力障壁で覆い、剣や鎧を取れないようにしてくれていた。
「留美先生、何するんですか!?」
「お前こそ剣をとって何をするつもりだ?」
「助けに行くんですよ。決まってるじゃないですか!」
「助けには行かなくていい。こちらの方が決まっていることだ」
 焦るあたしに対し、留美先生は顔に微笑を貼り付けたまま。村人がどうなってもいいの!?……と叫びたいところだけれど、過去の留美先生が既にマーマンたちと戦っている以上、言っていいのかどうか悩んでしまうところだ。
「さて……過去と未来、定まっているのはどちらだと思う?」
 いきなり問答ですか……と思いつつも、
「そりゃ過去でしょ。昔の記憶に何種類ものパターンがあったら混乱しますよ」
 と、深志の障壁をパシパシと叩きながら答える。
 ちなみに、留美先生が呪文を紡いでまで作り出した魔法障壁が魔力ハンマーですらはじき返すのは身をもって実証済み。中の物を取ろうとして無理をすればするほどに跳ね返ってくるダメージが増すので、今は否応なしに留美先生につき合わされなければならない事になる。
「私が最初に通過したこの時間では、たくや、お前は浜辺での戦闘に参加はしなかった。参加したのは岩場で目を覚ました弘二だけだ。“一度目のお前”は今頃、マーマンに襲われて海中へと連れ去られていた頃だろう……だったよな?」
『そ、そそそそう言う話になっているキ!』
『お、おおおオレたちはそれ以上は何もしてないキ!』
『え、えええエッチなことなんてこれっぽっちもしてないキ!』
 ―――なんで留美先生に見られただけで、マーマンたちは過剰に怯えているんだろ?
 一応、あたしが岩場でマーマンに襲われたらしいと言う話も聞いているけれど、そのあたりの記憶はいまいちハッキリとしない。言われてみればそんなこともあったかなと思いはするけれど、そのときにあたしは何かしたのだろうか? マーマンたちの目があたしを見て怯えているような気がする。
「“過去”というものは、ある意味絶対だ。どのような努力を積み重ねたとしても、未来からでは変革することは許されない。それは時間を遡る能力を持つ私にも言えることだ」
「そんな事ないんじゃないですか? だって、過去に行けたら昔に自分に情報を伝えたり、悪い人をやっつけたり出来るじゃないですか」
 あたしだって、過去に戻れるものなら子供の頃の自分を慰めたり、苛めてくれていた当時のいじめっ子にお説教でもしたいところだ。
 まだあまり信じ切れていないけれど、留美先生の“時間移動”を使えば、いくらでもやり直しが出来るはず……だと思うんだけど、どうも留美先生の様子からすると、その考え方は間違っているっぽい。
「簡単な話だ。たくや、お前は過去に“私”に会ったことがあるか?」
「………ない…と思います」
 断言は出来ないけれど、留美先生のような一目見たら忘れられないぐらいの美人であれば、子供の頃に出会っていても忘れてはいないはずだ。
「では答えが出たな。私はお前の過去に干渉することはない。仮に干渉しようとしたとしても、何らかの理由で邪魔が入ることだろう」
「そう……なんですか?」
「過去が既に確定してしまっていると答えたのは、他ならぬ自分だろう? もし時間を遡って接触したとすれば、その時の記憶を有していなければ辻褄が合わないんだよ」
 ―――え〜……なんか、だんだんとあたしの理解が追いついてこなくなってきてるな……
「深く考える必要はない。たくや、なぜ私がお前に遠慮なしに攻撃を仕掛けたか分かるか?」
「あうう……もう降参です。これ以上はどうかご勘弁を……」
「シンプルに考えろといったはずだぞ? 過去は変えられない。それは未来からきた私の過去も同様だ」
 つまり?
「今朝、私の前に未来から来た“私”が現れた。瀕死の重傷を負って気を失ったお前を伴ってな」
「―――それって、海岸で聞き込みに回る前の話ですか?」
「そうだ。私が遅刻したのは、お前の怪我を治療していたからに他ならない………つまり、おまえが私と戦って生き残る事を知っていたというわけだ」
「それって……」
「未来予知……と取れなくもない。なにしろ、“未来”に置いても“過去”は絶対不変。その一部始終を知る場合と知れない場合とがあるが、私には“たくやが死なない”と言う情報と“私たちが戦い合う”と言う情報だけで十分だった。なにしろ、この村を訪れたのはお前の能力に興味を覚えてだからな。だから私はマーマンから村を防衛した後に過去へと遡り、お前の後を追ってマーマンの住処に姿を現したというわけだ」
「…………………」
 マズい。分かるようで、微妙に分からない。つまり……え〜と……
「ま、この話は余談だ。別に理解できなくてもいいが……物分りが悪い生徒とは、本当に手のかかるものだな」
「ううう……すみません……まだ頭がフラフラしてますから……」
「要するに、マーマンたちとの戦いにお前は姿を現さなかった。それならば無理に過去を変えようとはせずに、別の行動を取るほうが有意義ではないのかと言っているのだ」
「あ、なるほど。過去を変える干渉は出来ないけれど、それを踏まえた上で未来への行動は変えられる……そう言うことですか?」
 つまり、あたしが今するべきことは、
「マーメイドたちの捜索ですね!?」
「綾乃を探してこの村を出ることだ、馬鹿者め」
「えええええっ!? なんでなんですか!?」
「誰がマーメイドを大量に捕縛したのかは知らないが、別にお前とは何の関係もないだろう? 体調不良なのに自分からトラブルに首を突っ込むな」
「それは……そうですけど……」
「考えるべきは自分と仲間の身の安全だ。そうだな……街に戻って宿を取っていろ。後から合流して、訊きたがっていたことは、私が知る限りの情報で答えてやる」
「うっ……」
 ―――確かに留美先生が言うとおり、いっつも危険な目に巻き込まれてるんだから、自分から関わりなんて持ちたくないとは思っている。危険な村から脱出するのなら、このタイミングは混乱にも紛れられるし、絶好のタイミングだとは思うんだけど……
「マーメイドのことは私が何とかしよう。監禁場所にも心当たりがある。だから心配せずに、お前は自分のパートナーを救出することだけを考えろ」
「はい………って、救出? 綾乃ちゃん、誰かに捕まってるんですか!?」
 そんな話、食事中の説明でも一言も聞かされていない。留美先生もわざと黙っていたのだろう……その証拠に、「しまった」と言う顔をして口を手の平で隠している。
「ちょっと留美先生!?」
「いや……戦闘の直前までは私といたんだがな。だが戦闘を終えて戻ってみると、非難した人たちの中にも、元いた場所にも姿がない。一通り村の中は探してみたんだが見つからないので、過去に戻るついで少し前の時間から探しなおそうと思っていたんだが……」
「んじゃさっさと探しに行かなきゃダメじゃないですか!」
 あたしはテーブルを覆う障壁をゴツンと殴りつけると、食事の後の片づけがされていないテーブルからナイフを取り上げる。
「んっ………!」
 小さなナイフに魔力を注ぎ込む……まだ回復しきっていないせいか、それだけで全身に思い疲労感が沸き起こってくるけれど、それに構っている暇はない。
 ―――細く、薄く、鋭く!
 ナイフを障壁に向けて横薙ぎに振るうと、返ってくるはずの手応えがなく、そのまま振り抜けてしまう。その直後に手の中のナイフは小さな澄んだ音を響かせて粉々に砕けてしまうけれど、一部を切り裂かれた障壁は耳障りな音を鳴らしながら霧散してしまう。
「おいおい、“空間の断裂”を容易く破ってくれるではないか。しかも力技で」
「だって留美先生が早く解除してくれないから……!」
「焦るな。綾乃の捜索には私も協力する。たくや、お前はまず装備を整えろ。ここから先、マーマンだけでなく怪しい動きを見せる村長たちにも注意を払わねばならん。何が起こるかわからんぞ」
 そんなに危険な連中のいる村の中に綾乃ちゃんを残しておきながら、自分の事でいっぱいいっぱいになっていた自分を呪いながら、あたしは肩鎧をジャケットに取り付け、ニーソックスの上からニーガードを巻きつける。
 がだ、そんな風に急いでいるときに限って予期せぬ客人は現れるものだ。不意に食堂の扉が開いたかと思うと、そこにはフルプレートに身を包んだ見るからに怪しい人物が立っていた。
「い、いきなり敵ィ!?」
 慌ててあたしは剣を抜く……が、留美先生はというと、
「デュラハン、待っていたぞ。頼んでいたものは持ってきてくれたか?」
 どうやら……物凄く怪しいけれど知り合いらしい。両手を広げて迎え入れるけれど、鎧騎士は無言のまま立ち尽くし、食堂の中に足を踏み入れようとはしなかった。
「―――なに? 綾乃の姿を見かけた? どこでだ、詳しく話せ」
 いや、その人は一言も喋ってませんけど、なんで情報が伝わってるんでしょう?――と考えるのは、きっと無駄なのだ。留美先生の説明をまた聞く羽目になるのはゴメンなので質問は胸の奥にしまいこむことにする。
「………マズいな」
「え……な、何がマズいんですか? もしかして綾乃ちゃんの身に何か!?」
「起こるかもしれんし、起こらないかもしれん……よし、デュラハンは今すぐ岩場に向かえ。そこにも“私”がいるはずだから、そのハンマーを届けてやってくれ。ただし、綾乃のことは何一つ知らせるなよ」
 そっか、あのハンマーはこの人が持ってきて留美先生に届けたのか……留美先生と戦うことになった時、あたし用の武器として持ってきてくれたハンマーがどうやって留美先生の手元に届いたのかを知ると、つい「なる」ほどと頷いてしまう。もっとも、一番最初に頭上からアレを投げつけられた上に、ハンマー系の衝撃波が跳ね返されたせいで窮地に陥った。むしろ持ってきてもらわなかったほうが良かったのかもしれない。
 そんなことをあたしが考えている一方で、鎧騎士を見送った留美先生は真剣な顔で何事かを考え込んでいた。「どうかしたんですか?」と訪ねてもいいんだけど、あたしとは頭の構造が根本的に違う人なので、下手な口出しは命取りになりかねない。
 ―――とりあえず今のあたしに出来ることは準備をすることだけか……綾乃ちゃん、すぐ行くから無事でいてよね。
 左腕に籠手を装備し、包帯や煙玉の入ったポーチをベルトに取り付ける。そして剣の鞘を腰の後ろに取り付け、木棍を持てば準備完了だ。
 契約モンスターの内、ポチはダメージが大きく、蜜蜘蛛も蜜をあたしが飲み干しているので、この二体に関しては呼び出すときに注意が必要だけど、他は万全。ちょっとやそっとの相手なら、渡り合うのに十分すぎるほどの戦力が整っている。
 あとは留美先生次第でいつでも出発できるのだけれど、先ほどの“デュラハン”と言う首なし騎士の名前で呼ばれた鎧の人が去ってから、どうも様子がおかしい。アゴに指をかけて考え込む表情も美人だとは思うけれど、これから出陣という時に黙られると嫌な予感が沸いてきてしまう。
 どうしたものか。いっそ死刑宣告でも待つように壁際で直立不動のマーマンでもからかって不安と緊張を紛らわせておくべきかと、少し可哀想な事を考える焦りまくりの頭を深呼吸して落ち着かせる。すると、
「たくや……少し話がある」
 やっと出番かと思いきや、やはり様子がおかしくなってきている。神妙な顔のまま一直線にこちらへとやってきた留美先生は、少し困った表情に無理に微笑を浮かべ、あたしの肩に両手を置いた。
「準備を終えただろうが……すまない。今すぐ脱いで、男になれ」
「………は?」


 こうして、夢にまで見た男に戻る瞬間が、予想だにしなかったタイミングでいきなりあたしの元へとやってきた……のだけれど、そう簡単な話ではなさそうなことだけは確かなようだ。
 喜ぶべきか、悲しむべきか。それを考える前に、あたしはまず自分の正体を言わなければならないと思うんだけど………さて、どうするべきなんだろうか?


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