第十一章「賢者」24


『逃がしはしないだキ!』
『水流に乗れるのはお前だけじゃないキ!』
『むしろ速度が乗ってあっという間に追いつくキ!』
 “マーメイド”の能力が発動している間は、自分の身体に当たる攻撃を事前に察知する能力が使えない。おそらくは魔力属性の変化によるものだろうけれど、その感覚に頼って戦うのが普段のスタイルであるあたしにとって、迫ってくるマーマンに現状は使い慣れない武器を手にして向かい合っているようなものだ。
 ―――だけど、以前に使った事がある能力だったら……!
 水賊とのトラブルの際に水を操り戦った経験が、わずかではあるけれど心の余裕を生んでくれている。
 基本は遠距離による水流攻撃。圧縮した水圧弾の攻撃が通じるのは、それで先ほどダゴンを殴りつけた事で確認済みだ。
 問題は移動手段。手足をばたつかせて泳いでも、マーマンの突進速度に適うはずがない。あたしの魔力が溶け込んだ海水を操って海底から海面へと向かう上昇水流を生み出してみるけれど、身体を押し上げる水の流れはマーマンたちにとってもあたしを追いかける最速最短の道でもある。
 逃げ切れない……水の中でこそ真価を発揮するマーマンから、最初から逃れられるはずがないのだ。
『つっかまえたキー!』
 眼前に迫るマーマンたちが、ここぞとばかりに速度を上げる。さっきまでお笑いをやっていたとは思えないマーマンたちのスピードの前では、いくら水流操作で逃げても時間稼ぎにしかならない……が、
 ―――当然水流に乗って正面から襲ってくるって事も丸分かりなのよ!
 あたしは肌蹴ていたジャケットの中にたわわな膨らみを無理やり押し込む、閉め合わせる。ボタンが今にもはじけそうなほど胸元が窮屈だけれど、時間稼ぎをしてでもこうしていなければ問題があるからだ。
『オッパイ隠すのは反則だキー!』
 自分の身体を隠すことが何ゆえ反則なのか……込み上げる怒りを一時飲み込むと、あたしは魔封玉を手にし、呼び出す魔物の名前を叫ぶ。
『ゴブリンアーマー!』
 突き出した右手に握りこんだ魔封玉はゴブリーダー、ゴブランサー、ゴブガーダーの三体が封じ込まれたものだ。名前を呼ぶと手の中から強烈な光があふれ出し、迸る光の圧力を解き放つようにあたしは指を開く。
 ―――そして、あたしの身体は跳ね飛ばされた。
『ぐうッ……!』
 マーマンの突撃を受け止めた両腕に衝撃が駆け巡る。まるで馬車の突進を正面から喰らったかのように、あたしの身体はさらに上へと突き飛ばされてしまう―――が、
『ホゲェ!?』
『ゲコォ!?』
 あたしに激突したマーマンたちも、それ相応の代償を払っている。突き出していた鼻先は鈍い音を響かせてひしゃげており、跳ね返されたダメージで身体をよじらせた途端、上向きの水流から弾き飛ばされてしまっている。
『見たか、あたしの新必殺技、瞬間装着を!』
『み……見えてたら止まるか避けるかしていたキー……』
 ―――それもそうか。事前に気付かせないためにギリギリまで引き付けていたんだから。
 あたしの身体は今、鉄の鎧、鉄のガントレット、鉄のブーツに鉄の兜に覆われ、さらに両手にはそれぞれ鉄の盾を装備している。二の腕や太股はむき出しのままだけれど、完全防備のこの姿こそがマーマンの突撃を跳ね返したのだ。
 ―――まさか温泉で服を盗まれたのがきっかけで新技を思いつくなんて……
 昨晩、弘二に服を持って行かれたあたしが悩みに悩んだ末に思いついたのが、中身が空っぽのゴブリンアーマーたちから鎧を借りることだった。それで少し思いつき、その場で少し練習したら簡単に出来るてしまったのだ。
 ゴブリーダーの鎧はあたしの体には少々大きすぎたので、ゴブランサーかゴブガーダーに鎧を貸してもらうことになる。魔封玉の中から開放される瞬間、あたしの身体に重なるように出現してもらえれば、後は難しく考えなくても勝手に鎧があたしの身体へと装着される。ただ鉄の鎧は筋肉ムキムキの戦士系の男性が装着するものなので、非力なあたしには重すぎると言った欠点もあるけれど、とっさに身を守るときには便利な技だった。
『あ…ああァ……たくや様のお身体が、わ、ワイの鎧の内側に擦れて……はァ、アっ、アウウぅぅぅ……!』
『ええなァ……なあ、次はワイ、ワイのほうを装着してや。さっきだってカウンターで槍を突き刺し取ったらタマァ取れとったんやで?』
『チクショー! お前らばっかり良い目を見やがって! ワイなんてなァ、ワイなんてなァ、リーダーなのにたくや様のオッパイもおマ○コも触れさせてもらえへんねんど―――!!!』
 ―――耳元でゴブリンゴーストの興奮した声を囁かれるってのも、欠点と言えば欠点なのかな……まあ、“体”を借りてるわけだしね……てか、残り二体だけでも十分すぎるほどうるさいんだけど……
 だからこの技をやる前にはきっちり胸とか隠しておかなければならなかったわけだ。乳房丸出しのまま装着したりしたら、刺激が強すぎてゴブリンの魂がそのまま昇天しかねない。
 ―――だけど、水流で動きをコントロールできる今の状態なら!
 自分で動くのではなく水に動かしてもらえるので、鎧の重さもそれほどハンデにはならない。おまけでゴブリンアーマーが二体つくけれど、同じ理由で特には邪魔にならない。
 ―――いざとなれば敵に投げつけてやればいいし。
『……あの、たくや様? なんか今、物凄く危険なこと考えてまへんでしたか?』
『ううん、なんにも考えてないよ♪ さあ、これで三対三。一気に盛り返すわよ!』
 兜の中から聞こえてくるゴブガーダーの一言を無視し、あたしは盾に振り回されるように体を回転させ、跳ね飛ばされたマーマンたちに視線を向ける。
 ―――あれ? 二体しかいないけど……まさか!?
 兜で視界が狭まり、前へ両腕に装備した盾二枚を突き出していたため何も見えていなかったと言っていい激突時、聞こえた声は確かに二体分だった。
 じゃあもう一体は何処へ……慌ててゴブリンアーマーたちと周囲をきょろきょろ見回していると、突然高らかな笑い声が海底に響き渡った。
『フハハハハハだキッ! よくぞ我が仲間を倒したものだキ。しかし、こやつらはまだまだ下っ端だキ!』
『いよ、待ってましたキ!』
『アニキ、かっこいいだキ!』
 見ると、あたしの背後にノーダメージのマーマンがいた。………まあ、いたのは別にいいんだけど、
『あのさぁ、あたしが気付かないうちに不意打ちしようとか考えなかったわけ?』
『………はっ!? しまった、その手があっただキ!!!』
 弘二には不意打ちして鉄砲水を叩き込んだくせに、どうしてマーマンってこうも抜けてるんだろ……と考えるけれど、弘二がいつマーマンにそう言う目に合わされたのかを思い出せない。
『まあいいわ。正々堂々あたしと戦おうって言う、その心意気は買ってあげる。でもね、これであんたたちは唯一の正気を逃したのよ。土下座するなら、あたしの足元が空いている今のうちだからね!』
『甘い甘い大甘だキ! そんな戯言、これを見てもほざけるキか!?』
 マーマンがあたしに向かって突き出した手には、一本の剣が握られていた。あれは――
『これぞ、人間の勇者を倒したついでに戴いてきた戦利品だキ! お前と一緒にいた男、なかなかの強者ではあったが、我らマーマンの敵ではなかったキ!』
『一緒にいた……って、弘二のこと?』
 ―――確かに行動は一緒だったけれど、いつの間に負けたんだろうか?
 けど、確かに武器を持たれたら厄介ではある。水中で生息しているマーマンには日を扱う術はないので危険なのは鉤爪くらいだけど、弘二の剣――ロングソードはそれ以上の殺傷力がある。
『負け魚(まけうお)の名前なんぞは知らないキ。だ〜が、これで我らの強さが分かった今なら、二人っきりで子作り一週間で手を打ってもいいキ!』
『ふ……ふざけるなァ!!!』
 好色な視線を向けられ、反射的に叫びながら水圧打撃を放つけれど、水流を読めるマーマンにあっさりと交わされてしまう。そして剣を手にしたマーマンは脳震盪から回復した二体と合流し、あたしの周囲を高速で旋回し始める。
『これぞマーマン忍法帖―――』
『必殺必滅・渦潮竜巻陣―――』
『泣いて謝っても遅いだキ―――!』
 “忍法帖”と言うのが何か分からないけれど、マーマンたちは姿を目で捉えるのが困難なスピードで回り続けていた。そして次第に回転を半径を狭め、ジリジリとあたしとの距離を詰めてくる。―――いずれは鉤爪と剣とであたしの体を引き裂くつもりなのだろう。
『ウオオオオォ〜〜〜イ! 殺してはいかんだギ、生かしてつれてこないと許さないギ〜〜!!!』
 足元の方でダゴンが叫んでるけど、気にしている余裕はない。鎧を着込んでいるとは言え、三匹のマーマンに四方八方から攻撃されたら、ただで済むはずがない……のだが、ダゴンを気にしていられない理由は、
 ―――ひ、人を何だと思ってんのよ……卵産めとか、子作り専用肉穴だとか、足元に跪いて這いつくばれとかァァァ!!!
 脳内脚色は入っているけど、基本的に間違ってない。と言うわけで、正当な怒りにあたしは肩を撃ち震わせると、兜を脱ぎ、必死にマーマンを追いかけようとしているゴブリーダーたちに右手を突き出した。
『もういいわよ、あんたたち。あとはあたし一人でボコボコにするから』
『あの……た、たくや様、なんか怖いんですけど……』
『いやさぁ……考えれば考えるほど、なんか頭きちゃってさ……あんたたちもマーマンと一緒にとばっちり食う?』
 そう……最近、どうもいやな目にばかり遭っている。安い依頼量で工事の警備をさせられ、毎晩夜這いを警戒して寝不足になり、ようやく休めると村に入れば村長宅で長話を聞かされ、温泉で服を盗まれ、夕食を食べれず、そして今また、海の底まで連れてこられてマーマンたちからセクハラ三昧。
 唇を吊り上げて笑いながら視線をゴブリーダーたちに向けると、二体のリビングメイルだけでなく、腕の中の兜まで頭を左右に振った。……どうやら怒りが顔にも出ているらしい。けどそれも無理というものなのだ。
『うん、いい子いい子♪』
 声はやさしく、顔も優しく、けれど反論を許さないオーラを立ち上らせながらゴブリンアーマーたちを魔封玉に戻してジャケットと水着の下だけの姿になると、あたしは口から大きく空気の泡を吐きながら精神を集中させていく。
 ―――あたしの魔力が溶けた水は、あたしの体の一部……
 どれだけの水中にいたかは覚えていない。けれど、今いる場所を中心の広範囲にあたしの“意志”が広がっていることだけは感じられる。
 あたしの中をマーマンたちが泳ぎまわっている……どれだけ速くても、目で姿を捉えることが出来なくても、あたしの周囲は全てあたしの手の平の上と同じなのだ。
 だから―――
『あんたたちを捕まえるのは簡単なのよ……!』
 マーマンたちが旋回している円周に、上と下から水圧を掛ける。指一本動かす必要はない。今、この海はマーマンたちの住処ではなく、あたしの支配下だ。あたしが思えばそのままに形を変え、流れを変え、
 ―――あたしの敵を締め付け、捕らえる!
『グキョ!?』
『ピキェ!?』
『ポニャ!?』
 自分たちの味方だと思っていた海がマーマンに牙を剥き、一気に圧力を増して押しつぶす。泳ぐことは既にままならず、手の一本、ヒレの一枚ですら動かすことを許さない。
『やっと静かになったわね、あんたたち』
 人差し指をクイッと曲げると、海底に向けて沈もうとしていたロングソードがあたしの元へと運ばれてくる。それを手にし、切っ先を水中で固まっているマーマンに向け、
『お返事は?』
『……ギョッ?』
 とりあえずこれは蹴り飛ばしてもいいだろう。そう思って脚を振り上げた瞬間、あたしの向けて巨大な物体が接近してくるのを感知する。
『そう言えば忘れてた!』
 慌てて水流に乗って回避。そして目にしたものは、今までいた場所を通過していく―――なんだろう、これ? 太い鎖の先端についていた見慣れない物体に首を捻っていると、
『フハハハハハハハハだギッ! よくぞ我が配下を倒しただギ。そ、それに免じて、我のことを忘れていたことは多めに見てやるギ!』
『うるさい! 考え事してるんだから邪魔しないで!』
『そんなことを言っていられるのも今のうちだギ。このマーマン族に伝わる神器、ノーストの大錨(おおいかり)の力をその身で思い知るがいいギ!』
 オオイカリ……それがあの、目の前を通過した矢印のような形をしたものの名前なのだろう。そうかそうか、つまり―――
『あんたは……あたしに大いに怒れと言いたいわけね!?』
『ギッ!? いや、誰もそんなこと言ってないギ……?』
『いいや言った! 言ったも同然! すなわちそれ、間違いなく言ったことになるのよ!』
『言ってる意味が分からんギ―――!』
『安心しなさい、あたしもわかんないから!』
 狙いは、海底からこちらを見上げている大型マーマンのダゴン。そのいる場所に向けて、あたしは操れる全ての海水を集約させていく。
 水が移動すれば、そこに水流が生まれる。水流は周りの水を取り込みながら大きなうねりとなり、螺旋を描いて渦を形作る―――
『な、なんだギ? この異様な水の流れは一体なんだギ!?』
 先ほどの三体のマーマンは面白いことを教えてくれた。渦巻き……捻り上げる力の流れは、結構凶悪な力だということを。
『とりあえず……これって問答無用で八つ当たりだから!!!』
 ―――そして開放。ダゴンの周囲で圧縮された海水が一気に膨張し、渦巻きながら真上へと、海の底から見上げれば天にも等しい海面へと一気に立ち上っていく。
『ギ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッッッ!!?』
 抗うこともままならず、ダゴンは拘束で旋回する水流に飲み込まれる。そしてダゴンごと渦巻く水流は海面を突き抜け、日の当たらぬ海の底で王様を気取っていた愚か者を青空に向けて吹っ飛ばした。
『ダ……ゴォ―――――――――――――――――――――――――――――――――――ンンン!!?』
 ―――あ〜、なんか面白い悲鳴上げながら空を飛んだね、半魚人が。でもま、聞いた話じゃ “トビウオ”とか言う空飛ぶ魚がいるらしいから、半魚人が空を飛んでもおかしくないかな?
 巨大な渦潮は、その中心に海面から海底にまで届く巨大な縦穴を作り上げる。さながら空と海底とを繋ぐ柱のような渦潮の中心に立ち、真上から風となって吹き込んでくる新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込むと、さっきまで頭の中でグチャグチャとしていたものが妙にすっきりし、晴れやかな気分になってくる。
 ―――ま、八つ当たりに付き合ってくれたわけだし、このまま真っ逆様ってのも可哀想かな?
 羽もない者が下から上に打ち上げられたら、今度は上から下へ落ちてくるのが道理だ。縦と横が組み合わさった複雑な回転で完全に目を回したダゴンが縦穴を落ちてくるのに気付くと、あたしは渦潮から触手のように何本も水を飛ばし、その巨体を完全に絡めとる。
『ぐ……グヌ〜………』
 回転を止め、空気で満たされた海底へと水流で運ばれてきたダゴンは、右腕から伸びる鎖を幾重にも身体に巻きつけて完全に目を回していた。そんなダゴンに渦潮を抜けた三体のマーマンたちが駆け寄っていくけれど、勝負がついた以上、あたしも咎(とが)める事は―――
『ダゴン様、負けないで欲しいキ! 負けたらあの人間のメスとエッチできなくなっちゃうキ!』
 ―――こいつら、やっぱり今ここで息の根止めてやろうかしら……
 こめかみの辺りがヒクヒクと震えるけれど、感情に任せて大暴れしたんだから、ここから先は大人の対応だ。あたしは手にしたロングソードを海底の岩をカツンと突き立てると、身をすくませた三体のマーマンに言葉を向けた。
「さて、これ以上の争いは無駄だと思うけど……どうする? まだやる?」
『こ、降参だキ〜! 長いものには巻かれるキ〜!』
『マーマンは自分より強いものには逆らわないキ〜!』
『勝てるとわかってる相手としか戦わないのが負けない秘訣だキ〜!』
 色々と釈然としないものはあるけれど、今は抑えなければならない。
 マーマンたちには村を襲った動機や事情を今のうちに色々と訊いておきたい。逆らわないと言っているけれど、さっきあれほどの大技を考えなしに繰り出したから、魔力の残りがかなり少なくなってしまった。今すぐどうこうと言う話じゃないけれど、能力が切れた途端に逃げられたら、もう二度と捕まえることが出来なくなってしまう。
 ―――村に雇われてるわけじゃないけど、事情が事情だしね。
 金にケチくさい村長の顔を思い出して嫌な気分になるけれど、その感情はマーマンたちに見せないように押し殺して口を開く
「じゃあ訊かせてもらうわね。どうして人間の村を襲ったりしたの? 今までそんな事はしなかったんでしょ?」
『仕方なかったんだキ〜……だって子作りしないと、マーマン族はいずれ滅んでしまうキ〜……』
『だけどもう遅いキ〜……今頃我らの仲間が、とっくに人間の村を占領してるキ〜……』
『男は殺して女は犯すキ〜……でも、悪いのは人間の方だキ〜……』
「ちょ……ちょっと待ちなさいよ!? も、もう村を襲っちゃってるの!?」
 質問しているのがあたし一人なのに対し、マーマンは三体だ。順番に喋ってくれるから聞き取りにくいということはないけれど、頭の中の生理が情報量に追いつけていない。……が、
 ―――綾乃ちゃん……!
 マーマンが村を襲っていると聞いて、頭に浮かんだのは旅のパートナーの綾乃ちゃんのことだ。おそらく留美先生と一緒に行動しているのだろうけど、それも絶対安全だという保障にはならない。
「え〜っと……あ〜もう、どうすればいいのよ、わけわかんない! とにかく、村を襲うのは今すぐやめさせなさい! 襲ってんのはあんたらの仲間なんでしょ? だったら―――!」
『い、今すぐは無理だキ。人間の村まで結構遠いから、急いだって二十分はかかるキ!』
『そんな必要ないキ。そもそも悪いのは人間だキ! 海の秩序を荒らした責任とって貰わないと困るキ!』
『マーメイドたちを捕まえておいて、自分たちは助けてもらおうなんて虫が良すぎるキ!!!』
 心配のあまり、マーマンに掴みかかろうとしていた手が、また新たな事実を聞かされて動きを止める。
 ―――マーメイドを……捕まえた!? どういうことなのよ、それ!?
 一度、魔王の書の精神世界であたし自信もマーメイドになったことがある。上半身は人間で下半身は魚と分かれている美しいモンスターだ。同じ半人半魚でも、全体的に人間と魚の中間のようなマーマンとはずいぶんとイメージが異なっている。
「……そういえば、マーマンってメスはいないのよね?」
 あたしが見たマーマンはダゴンも含めて目の前にいる四匹だけ。その全部がオスなので、ゴブリンのようにオスのみの種族なのかと訊ねてみる。
『いないキ。マーマンはオスばっかりのオス所帯だキ』
『子供はマーメイドと作ってたキ。けどマーメイドがいなくなって子作りできなくなったキ』
『マーメイド、竪琴の音色に引き寄せられて、みんな捕まえられたキ。悪いのは全部人間だキ!』
「そんなはずないでしょ!? だって、あんたたちマーマンって最近ずっと村を襲ってたんでしょ? もしかしたらそのことで怒った村の人がマーメイドを捕まえて……」
 悪いのはマーマンのはず……あたし自身が先ほどまでマーマンを“敵”として戦闘していたため、考えることを放棄して人間を善、マーマンが悪と言う図式に物事を当てはめていた。けれどあたしの言葉に顔を見合わせたマーマンたちは、三体とも首を捻り、それから示し合わせたかのように顔を横に振った。
『知らないキ。人間の村を襲ったのは今日が初めてだキ』
「そんなことないでしょ!? ほら、あんたたち以外のマーマンが勝手に襲ってたって可能性だってあるじゃない!」
『マーマンは理由も無しに危険な人間に近づこうとは思わないキ。人間はマーマン見たら悲鳴を上げて逃げるか、武器持って襲ってくるキ』
『そもそも人間よりもマーメイドのほうが大切だキ。最近は捕まえられてる場所を探すので忙しくて、他に何も出来なかったキ』
『竪琴の音が聞こえた場所でお前たちに会ったキ。そのお前たちが何も知らないキか?』
 ―――う……あ、あたしは何も悪くないのに、悪事の片棒を担がされてるような罪悪感が……
 温泉でも耳にした竪琴の音色がマーメイドを引き寄せていた……今の今までそんな事はまったく知らなかったのに、マーマンたちの非難の眼差しに晒され、気分はすっかり悪人扱いだ。
 頭の中は次々に聞かされる事実に整理が追いつかず、すっかり混乱していた。村の救援に向かいたい気持ちが逸るけれど、どちらが正しいのかハッキリしなければ動くこともままならない。
 考えなければいけない……海底の、潮の香りを多分に含んだ冷たい空気を胸いっぱいに吸い込むと、戦闘の余韻で過熱気味だった頭を強制的に冷却する。そして細く長く、胸の奥でモヤモヤとしているものを吐き出しながら、タップリと海水を吸った髪に右手の指を差し入れて掻き揚げ、マーマンからの話も踏まえて今回の事態を頭の中で順番に並べ替えていく。
 ―――最初に行われたのは、マーメイドたちが捕まえられたこと……
 村長に聞かされた話は最初からかなり胡散臭かったけれど、まさかマーメイドを捕獲していたとは思いもしなかった。話を聞く限り、マーメイドの数は一匹や二匹ではない。マーマンたちが子作りが出来ないからと種族存亡の危機を覚えるほど値こそ犠打から、最低でも何十匹のはずだ。
 いくらモンスターだからと言って、そのようなことが許されるはずがない。独自の生活圏を持ち、こうしてあたしと――人間と意思疎通できているマーマンは、“亜人”として認められてもおかしくない種族だ。そしてそれはマーメイドも同様のはず。仮に大量捕縛が事実だとすれば、それは生態系を大きく乱したとして大陸中に指名手配されるほど大犯罪になるだろう。
 ―――そして、冒険者ギルドに村の警備の依頼を出した……
 そんな悪事を行ってから、マーマンが村を襲うから警護して欲しいとギルドに依頼を出した。
 胡散臭かった「マーマンが出た」と言う話も、確定したわけではないが全部デタラメだろう。その点だけは村長ではなくマーマンの方が信じられるように感じる。
 だけど、マーメイドたちを捕まえた人間は、マーマンが助けるために襲ってくると考えたのだろう。だから事前の対抗策として、腕の立つ冒険者を雇い入れようとしたに違いない。
 ―――だけど、依頼料は物凄く安かったのよね……
 村長が提示した依頼量は、全員で500ゴールドと言う相場からあまりにかけ離れた安さだった。冒険者を雇うどころか、まるで来るなと言わんばかりの金額だ。それに村長宅では善意の協力を無理強いし、それがダメなら強攻策に打って出ようとする豹変ぶり。あんなので冒険者が助けに来てくれるわけがない。
 ―――まあ、やってきたのは“普通じゃない”冒険者だったわけだけど……
 マーマンに負けた弘二のことも心配ではあるけれど、今考えるべきはそれじゃない。
 結局、事情をよく知らないまま漁村とマーマンの争いに巻き込まれてしまったけれど、事態はまだ終わったわけじゃない。あたしが気になることは、
 ―――竪琴の音色と、なぜマーメイドが捕まえられたのか……その理由。
 マーマンたちは「竪琴の音色が聞こえる場所であたしに出会った」と言ったけれど、あたしにはさっぱり記憶がない。
 これは……そうだ。今のあたしと同じように弘二も昨晩の記憶を失っていて、その原因を探すために岩場の先の方に向かっていたはずだ。だとすると、岩場の先にある何処かであたしはマーマンたちと出会い、弘二のように記憶を失わされたと言う事になる。弘二に持ち去られたはずのジャケットを今は身につけているのも、失っている記憶の間に見つけたからに違いない。
 ―――う〜ん……耳栓でも用意しておいたほうがいいのかも……
 マーメイドを引き寄せ、人の記憶を奪う竪琴の音色。おそらくは呪文詠唱の代わりに旋律で魔法を発動させる“魔曲”の類だろう。人間の記憶に干渉する複雑な魔法効果を生む曲だ。耳栓程度で防げる可能性はきわめて低いと考えたほうが妥当だろう。
 ―――魔曲への対策は後で考えるとしても、マーメイドを全員捕らえた理由……これはもうさっぱりね。
 世の中から男性か女性が片方が全部いなくなれば、残された側もゆっくりと滅びに向かうだろう……が、マーマン憎しと言ってマーメイドを皆殺しにすると言うのも、あまりに極端だし労力も大きすぎる。
 海で漁をしていれば、漁師と海のモンスターが出会うことはないとは言えない。そこで不幸な出来事が起こったとしてもおかしくはないけど、今回の一件は村ぐるみで行われたものとも思えない。もしそうなら、冒険者への依頼漁をケチり、村人をマーマンからの危険を晒すようなことはしないはずだ。
 ―――何か理由がある。誰かがそれをやった。……だとしたら一番怪しい人物は……?
 それはもちろん村長だろう。
 ウソの情報で冒険者ギルドへの依頼も村長が行ったはずだし、本当に村でマーメイドの捕獲という大掛かりなことをして隠し通すのに必要な労力を集められそうな権力者は、漁村には村長しかいない。最悪の第一印象といい、どう考えても限りなく真っ黒第一容疑者だ。
 ―――だとすれば、こんなところでのんびりしている時間はない。
 村長の身柄を押さえ、話を聞きだすことが事態解決の糸口になる。そこまで分かればとりあえずは十分だ。
 今は村の人とマーマンの戦いを終わらせられることが重要だ。留美先生が戦ってくれてればどうなるかは分からないけれど、何も知らないかもしれない村人たちと、話を信じるならば被害者かもしれないマーマンたち、その両方の被害を少しでも抑えるには、両方の事情を知るあたしが行かなければならないだろう。
 ―――綾乃ちゃん、無事だと良いけど……
 あたしと同じで、自分から危険な場所に踏み込むとは思えない……けど、村の人を助けたいと考えたりしたら、綾乃ちゃんは進み出てしまうだろう。
 しかもだ、もし村人たちが負けていようものなら、いの一番に捕まってしまうのが綾乃ちゃんだ。とんでもない状況で勇気を振り絞り、時としてあたしも助けられたこともあるけれど、今はそれが心配を際限なく膨らませる悩みの種にしかならなかった。
「お願い、あたしを大急ぎで村まで連れてって!」
『キ、キキー!?』
 あたしが考え込んでいる間、ボーっとしていたマーマンたちは、いきなり迫られて驚きを隠せないでいる。
「あんたたちならあたしより速く泳げるでしょ? 今ならまだ誤解だったって事で話が収まるかもしれないのよ。この先、ずっと人間と仲違いしてくつもりなの!? 今ならまだ水中で呼吸も出来るし、水圧だって何とかなるの。だからお願い!」
『は、話はよく分からんけど、マーマンは負けた相手の言うことには従うキ。でも、もう遅いかもしれないキ?』
「いいからお願い! マーメイドたちを見つけることにも繋がるの。だから!」
 あたしの真剣な表情に、明らかにマーマンたちは気圧されている。それでも、気を失ったままのダゴンと、お互いの顔を交互に見やると、間近で見れば愛嬌を感じないでもない魚顔を縦に頷かせ―――
『あ、危ないだキ―――!!!』
 マーマンの一体がそう叫ぶと、あたしと、あたしが迫っていたマーマンの体が突き飛ばされる。岩がゴロゴロしている海底に体を打ちつけ、一瞬息が止まるけれど―――直後、あたしのいた場所に真上から降ってきたものが撒き散らした轟音に、すぐまた息を止め、あっけに取られてしまう。
「………この辺って、空からハンマーが降ってくるの?」
 立ち上がりながら、岩を砕き、突き刺さった物体に目を向けるけれど……どう見ても、それはハンマーにしか見えなかった。つい先日まで、街道工事の手伝いで振り回し、何本も粉砕してきたものと同じ物だ。
 何でハンマーが空から……その理由が知りたくてマーマンに視線で訊ねてみても、答えは返ってこない。
 ただ―――


「今から村に行ってももう遅い。戦いは痛み分けと言うところだ」


 頭上から聞こえてきた女性の声に、あたしは顔を上へ向ける。
「何処にいるのかと思ったら、まさかマーマンと海底にいるとは。渦潮が天の伸びたのを見た時は何が起こったのかと思ったが、存外に早く発見できたな」
「その声は……!?」
 渦潮の中心に出来た縦穴をゆっくりと降りてくる人影を目に捉えるものの、垂直の海面に反射した光に姿が包み込まれ、それが誰かまでは確認することが出来ない。だけど先ほど聞いた声は確かに、
「留美先生!?」
「よく無事だったな。驚いたよ、本当に……まさか、こんなことも出来るなんて」
 ゆっくりと縦穴を降下してくる影は、間違いなく留美先生だ。―――と確信を得ると、
「――――――――――――――――――ッ!!?」
 背中を駆け上ぼるあわ立つような感覚……マズいと思った次の瞬間には、あたしは裸足の足でマーマンたちとは逆の方向へと走り出していた。
 ―――この感覚……違う、浮いてるだけの魔法でここまで怖い感じはしない。留美先生は――――――!!!
 あたしの全てが警鐘を鳴らしていた。
 攻撃を察知するのとは違う感覚に、留美先生が転移してみせた時に感じたものよりも強い感覚に、全身の皮膚が粟立ち、骨の心から泣き叫びたいぐらいに震えが込み上げてくる。
「気付いたか……では細かい説明は不要だな。早速始めるとしよう」
 留美先生の声に変化はない。宿や海岸で話した時と、何も変わらない留美先生の声だ……だけど「始める」と言った直後、あたしの後に真上から光熱波が叩き込まれた。
「―――――――――――――――――!!?」
 岩と爆散し、地面を抉った威力の余剰が轟音を伴う衝撃波を生む。濡れた服が一瞬で乾くような熱波を背後から受け、逃げようとしていたあたしの体はその進行方向へと吹っ飛ばされていた―――


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