第十一章「賢者」25


『ッ――――――!!!』
 背中から爆風を受け、吹き飛ばされたからだが垂直にそそり立つ海面へと叩きつけられる。
 けれどそれは最悪の痛みだ……熱風に焼かれた肌は軽い火傷を負い、轟音と共に飛来した瓦礫を肩と脚、そして側頭部にくらった上で、海水の中へと飛び込んだのだ。その激痛たるや、ショック死してもおかしくないほどであり、視界を染める色が、白、赤、黒と次々に危険を示すものへと変わっていく。
 一瞬で気絶し、一瞬で叩き起こされ、黒と白の明滅が休む間もなく繰り返される。全身に電撃に撃たれる以上の痛みが一秒と途切れることなく駆け巡り、悲鳴を上げることすら間々ならない―――それでも悪寒を覚えるのと同時に、硬直している筋肉は反射的に動き出していた。
 ―――この状態でまだ攻撃してくるの!?
 光熱波で致命傷こそ負わなかったものの、ダメージは十分すぎるほど大きい。それなのに感じるのは、留美先生が魔法を使おうとしている時の全身が粟立つような感覚だ。
 ―――こっちは目を開けてすらいられないってのに!
 いつもの攻撃を察知する感覚と異なり、どんな攻撃を受けるのかは曖昧だ……と言っても、先ほど体感したとおり、留美先生の攻撃魔法の威力は凶悪だ。剣で斬られたり突かれたりするのと違い、どうせ全身黒こげになるような事しか分かりはしないだろう。
 ―――それよりも今は回避を……!
 今は水中でも呼吸は出来るけど、断末魔のようにビクッビクッと痙攣している体に手足では泳ぐこともままならない。それどころか、上を向いているのか下を向いているのかすら分からない。痛みに悶えるたびに身体は水の中で暴れるので、頭から飛び込んだ時からどのように動いているのかは目が見えない……見えていても理解できない今の状態では、自分の態勢すら把握することが出来ない。
 ―――ま、マズいって、早くしないと、今度こそ……!
 可能性として、留美先生が使おうとしてるのが攻撃魔法じゃないということもありえる……が、そんな希望的観測は即時に却下。激痛が暴れ狂う頭では考えることもままならず、それでも残った意識を集中して魔封玉を呼び出すと、
『――――――――――――――――――――――!!!』
 背中に圧し掛かる海水、それに伴う火傷の痛みの増大、全身の骨が軋みを上げ、肺から押し出された空気が口から一気に溢れ出る。
 何が起こったのか……と、死ぬのを覚悟しながら考え出すと、
 ―――熱風が、
 きた。先の魔法攻撃にも勝るとも劣らない熱量が、今度は大量の水蒸気を孕んであたしの身体へと叩きつけられる。
 けれど同時にわかることもある。熱風という空気の流れを感じるのは、あたしの体が海中から飛び出したからだ。そしてそれをやってのけたのは、
 ―――ポチ、だったんだ……
 体の前面に感じる黒毛の硬い感触。そして繋がっている心の中に呼びかけてくる獰猛で、けれど子犬のようにあたしを心配そうにしている意思が、熊よりも大きい四足獣の名前を思い出させる。
 ―――何も考えずに呼び出した割には……いい選択だったよね……
 あたしに呼び出されたのは沈んでいく身体とすぐそこに迫っていた海底との間。そしてすぐさま四本の足で海底を蹴ると、水中を飛び出し、留美先生の放った光熱波を回避してくれたらしい。
 凄まじい圧力がかかったものの海水の中から脱せたので、全身の痛みがこれ以上ひどくなることもないけれど、ダメージは深刻だ。火傷は皮膚一枚を軽く焼いただけでも塩水に晒した激痛は、今なお身体に深く食い込んでいる。それに瓦礫がぶつかった頭からは、水の外に出た途端に血があふれ出し、あたしに顔の左側がドロリとした感触で覆われていく。
 でも目を開けられなくても、ポチの視界が捕らえているものをあたしも感じ取ることが出来る―――まぶたを閉じているのに見えていると言うのはなんとも不思議な感覚だ。眼下、海底に降り立った留美先生が驚きの顔でこちらを見上げているのも、ポチの目から魔力のつながりを通して捉えている。
 ―――って、ポチ、待て、攻撃しちゃダメだって、待て〜〜〜!!!
 そんな留美先生を。ポチは完全に攻撃対象として捕らえていた。そりゃまあ、最初に攻撃してきたのはあちらなのだけれど……主人であるあたしをやられた怒りと共に牙をむき、大きく顎を開くと、制止も聞かずにノドの奥から灼熱の塊を真下にいる留美先生へと叩きつけていた。
「面白い、地獄の番犬の類まで連れているのか!」
 「攻撃されてて何を面白がっているんですか!」と突っ込みを入れたいけれど、目も開けられないんだから当然声など出せる余裕などあるはずもない。ポチの背中から離れてずり落ちないようにしがみついているのがやっとだ。
 だが、そもそもあたしの心配など必要なかった。
 海中の狭い縦穴を塞ぎきるような炎の固まりは、留美先生の頭上で見えない壁に阻まれるかのように進路を変えて海面へと飛び込んでいく。「燃やしたいものを燃やす」炎でも、炎である以上は水とは相性が悪い。
 縦に伸びる海面と触れ合い、白い蒸気を撒き散らしながら消されていくポチの炎……けれど攻撃はそれで終わったわけではない。下から上へと立ち上る熱を孕んだ空気の流れに乗って身を捻ったポチは、空気と海水との境に四本の足を触れさせる。
『グァアアアァァァ――――――!!!』
 頭を下にした巨獣が吼える。そもそも踏ん張りの利くはずがない水面がポチの足元で四箇所同時に爆散すると、黒い体躯は一直線に留美先生へと突っ込んでいく。
 ―――ひゃああああああっ!?
 正面から叩きつけられる空気の壁に目を回しながらも、ポチの体毛を握って離さなかったのは奇跡に近い。そもそも皮膚を撫でる空気が火傷に痛くて筋肉が硬直し、指を開けなかったせいなのだけれど、それほどにポチの全力ダイブは速度と、見合うだけの破壊力を秘めていた……のだけれど、
『グアウッ!?』
 質量、速度とも申し分ないポチの攻撃は、留美先生の頭上に生まれた“光の壁”に容易くはじき返される。それでも獣の本能か、ポチは巨体をよじって今度は爪で持って留美先生を引き裂こうと攻撃を仕掛ける……が、それも“光の壁”に阻まれ、あろう事か、その障壁の上に着地してしまう。
『ガウッ! ガルゥウウウウウッ!!!』
 ポチが前足を勢いよく叩きつけても、魔法で生み出された障壁はびくともしない。体の大きさで言えばポチの十分の一ほどしかない留美先生は、自分の頭の上で巨獣が暴れているにもかかわらず、余裕の態度を一切崩していない。それほどに障壁の強度に自信があるのだろう。
 ―――てか、この頑丈さは何なのよ!?
 どんだけ人の魔法の常識をひっくり返してくれるんだか……魔力の追加や呪文詠唱による魔導式の補強を行わなければ、障壁の魔法は強度と持続時間が反比例するのが普通だ。詠唱呪文で発動させる一般的な物理障壁では、剣や槍の攻撃を十回程度受け止められる強度を持つけれど、持続時間を短縮すれば逆に相手を弾き飛ばすほど強固な壁を生むことも出来る。これは魔法を使用する人の魔力や精神力の能力的絶対値があるためだけれど、留美先生の光の障壁は強度に持続時間を掛け合わせてだいたい求められるその絶対値が、冗談かと思うほどに高すぎるのだ。
 真上に立つと言うことは圧力を加え続けていることでもあり、障壁にとっては攻撃され続けているに等しい。ポチの重量を支えるだけでも舌を巻く強度なのに、踏み抜かせずに支え続けている持続力にも背筋に冷たい汗が流れるほどに感嘆を禁じえない。しかもだ、最初にポチのダイブ攻撃を受け止めたその障壁は、今なお揺らぎ一つ見せていない。とてもではないけれど、呪文詠唱なしに編み上げた魔法とはとても信じられない。
 留美先生は海岸で別れたときと同じく、魔法で身体に纏わせた水着姿。肩からパーカーを羽織り、髪も首の後ろでまとめただけの、普通の出で立ちにしか思えない……一度全裸を拝ませてもらったけれど、魔法を発動させるマジックアイテムとおぼしき装飾品は身につけていなかったし、当然の事ながら詠唱をほとんど必要としない紋章魔術の刺青など白い肌には一切なかった。
 ―――それなのに、これだけの魔法をどうやって……!?
 ポチの攻撃を完璧に受け止める光の物理障壁、そしてその前に炎を防いで見せたのは気流の障壁だろうか。続けざまに二度、異なる障壁を無詠唱で展開し、そのどちらもポチの攻撃を完全に無力化している。呪文詠唱か魔方陣と言う魔導式を必要とする魔法理論では説明のつけられない留美先生の技能と、高威力魔法の連続使用をも可能とする魔力量、その二つを前にして、
 ―――あ、そう言えばもう一つあったっけ。
 それは超が付くほどマイナーな魔法の使い方だ。世界中から魔道師や賢者の集まるアイハラン村でも行使できる人はいなかったし、あたしもそれを研究している人から簡単に聞かされただけだ―――が、
 ―――考えてる暇はなさそうね……!
 再びあたしの肌がざわめきだす。留美先生が魔法を使いだす前触れを感じるのと同時、声を出すまでもなく意思が伝わっているポチが四肢を踏ん張り、跳躍しようと身を沈める。
「“まだ”心配しなくてもいい。少々狭いのでな、広げるだけだ」
 魔獣の脚力を持っても、飛び上がることすら出来ない……跳躍の瞬間、足元を支えていた障壁が下へと沈み、あたしはポチの背中にかぶさったまま、周囲の変化を目の当たりにすることになる。
 ―――……やられた……
 海上と海底とを繋ぐ縦穴を形作っていた渦潮は、火傷に海水が触れた痛みで意識が飛んだ際にあたしの制御から離れていた。また、海水を操るほどに溶け込んでいた魔力は消費される。いつまでも縦穴を維持するために周囲を回転させ続けていれば、どれほどの魔力を注ぎ込んでも、あっという間に使い果たしてしまっていたはずだ。
 それなのに渦潮は依然として回り続け、縦穴が維持されたままである事をおかしいと思うべきだったのだ。
 渦潮が歪み、たわみ、周囲を旋回し続ける海流の速度を上げながら旋回半径を広げていく。それはあたしの意志ではなく、声を洩らすことなく魔法が使える留美先生の技であることは言うまでもない。
 縦穴はいつしか半球状の巨大なドームへと形を変え、家一軒どころか何十軒と収まりそうな空間を海底に作り出す。あたしとポチとを頭上で支えたまま、これだけの魔法を行使できる……今更ではあるけれど、あたしとのあまりにも大きすぎる実力の差を思い知らされた気分だ。それなのに、
 ―――なんであたしを突然襲ったりするんだろう……
 今度はポチが跳躍するのを無理に止められはしなかった。今なお空間が広がりつつある海底で留美先生と距離をとって相対すると、実力の底も思惑すらもさっぱり分からない魔道師の美女へ、声を出せない口に変わって訴えるような視線を投げかけた。
「何か言いたげな目をしているな」
 ―――分かってるなら教えて欲しいんですけどね。何であたしなんかをわざわざ襲ってきたのか。
 しかもハンマーと言う扱いにくい武器のプレゼントまで持参して。剣とかではなく、道路工事に使うハンマーを選ぶ辺りが、さらに頭をこんがらがらせるポイントだ。
 もしあたしを殺ろうと思っているのなら、どんな武器でも与えるような真似はしないだろう。障壁でこちらを支えている間に攻撃魔法を撃ち込んでくれば終わっていたはずだ。
 問えば答えてくれるだろうか……襲う理由だけでなく、村のこと、綾乃ちゃんのこと。けれどそのどれもがはぐらかされて、何一つまともに答えてくれない気がしないでもない。表情からは殺意も悲壮も感じられず、ただ、
 ―――あたしは殺されそうになってるのに、どう見たって楽しそうなんですけど……?
 そう、あれは玩具やご馳走を前にして目をきらめかせている子供と同じ顔だ。そうなると、間違いなくあたしは留美先生に死ぬまで弄ばれる玩具ということになる。
 ―――冗談じゃ……なっての………!
 こんなところでなぶり殺し? 本当に本気で冗談ではない。あたしはそんな運命を迎えるために、こんな所まで旅してきたわけではない。
「あた……しは………」
 ポチの視界を借りるのではなく、あたしは自分の目を見開き、左半分が朱に染まった視界に眼前に立つ留美先生の姿を捉える。
 ジャケットに水着の下だけという出で立ちでは、頭の傷口を縛る布にも事欠く有様だ。それでも震える胸に喘ぐように空気を吸い込み、血液に乗せて魔力と共に全身を巡回させると、身体の奥深くにまで達している痛みを意思の力で強引にねじ伏せ、ゆっくりと、ポチの黒い体毛についたてに力を込めただけでバラバラになりそうな上半身をゆっくりと起こしていく。
「―――まずは見事だったと褒めておこうか」
 あたしが身体を起こすのを待ち、留美先生が両手を合わせ、打ち鳴らす。
「完全に不意を突いた初撃から逃れただけではなく、二撃目も回避して反撃に転じたのは素晴らしい。たいていのものは、二回とも死んでいるな、うん」
「こりゃ……どうも……」
「それにしても見事な魔獣だ。黒曜石のような美しい毛並みに、なにやら変わった炎を吐いていたな? どのようにしてそれだけの魔獣を使役しているのか、そしてどのように呼び出したのか、実に興味が絶えない」
 あたしごときの視線で誰かを怯ませられるはずもないのは分かっているけれど、興味を持ってくれていると言うならありがたい話だ。留美先生が一秒でも長く話してくれるなら、その分だけ体力回復に努められる。
 ―――やるしか……ないの……?
 今、こうして対峙していても、留美先生からは依然として殺意どころか戦おうとする意欲自体が感じられない。それでも、少しでも多く酸素を取り込もうと呼吸を繰り返しているあたしから視線を逸らしはしない。こちらが動けばすかさず攻撃魔法を打ち込んでくる体勢を崩していないことだけは伝わってくる。
「………なんであたしなんかを襲うのかは知りませんけどね」
 まだ自分お足では立てない。だから代わりに、ポチの背中を太股でしっかりとはさむ。
「はいそうですかってやられるほど、あたしは諦めよくはありませんからね!」
 その言葉が戦闘再開の合図だ。
 留美先生が右手を突き出して指先をパチンと打ち鳴らし、光熱波を放つ。凶悪な熱量を孕んだ光の槍は地面に突き刺さるけれど、その前にポチは地面を蹴り、水のドームの中を駆け出していた。
「なるほど、スピードを最大限に利用してこちらをかく乱するつもりか」
 ―――まったくもってその通り。説明ありがとうございます。
 留美先生の最大の利点は、高威力の魔法を呪文の詠唱をせずに放てることだ。それは岩をも貫く強弓を引き絞った状態を保っているようなものだけれど、弱点……と言うほどではないけれど、普通の魔法と変わらない部分もある。
 ―――要は、徹底的に動きまくって狙いをつけさせなければ!
 右に左に、左に右に、規則性を持たずランダムに跳び回り、時に背後に回りこんで背中を脅かせば、そう簡単に狙いをつけられはしない。十メートル以上の距離も一瞬で移動できるポチの動きを目で捉えても、そこから何かしらの方法で魔導式を編み、狙いをつけた時には、こちらは既に別の場所に移動しているという寸法だ。
「いい答えだ。私と対峙している短い時間でその答えを見つけたことと、それを実践に移せる能力を持っていたことは評価しよう……だがそれだけでは落第だな」
 ポチの高速移動から振り落とされないようにしがみつきながらも、留美先生から目は離さない。初撃の回避に成功したものの、留美先生はこちらの思惑とは裏腹に落ち着き払っている。次の魔法を放ちもせず、あたしたちの動きを追いかけもせず、ただ静かに右手を挙げ、指を鳴らす。
「―――!? ポチ、大回避!!!」
 間に合うか!?―――光熱波の時よりも強い肌のざわめきに悪い予感を覚えたあたしは叫び、声よりも先に通じた意思に従い、刹那の時間で瞬間移動したかのような速度で水のドームの壁際にまで跳んでいた。
「―――――――――――――――!!!」
 轟音が鳴り響く。
 直線的に放たれる光熱波であたしを捉えられないと判断した留美先生は、ドーム内の地面を無作為に爆発させ始めた。あたしを海岸から海の中へと叩き込んだものよりも威力の高い爆発が広範囲に渡って海底を破壊する……が、
 ―――それってつまり、見えてないって事ですよね!?
 ポチの巨体が爆発に煽られる。けれどその威力は、光熱波よりも格段に弱い。直撃さえ食らわなければ、硬い黒毛を貫いてダメージを与えられないと知ると、あたしは身をかがめ、両手両足に力を込める。
 ―――ダメージの一発二発は覚悟の上で、
 圧倒的に書くの違う留美先生に、無傷で勝とうなどとは最初から思っていない。そして思いがけず早く訪れた好機は、こちらの気配をかき消してくれる爆音と爆光だ。
 ―――行けェ!!!
 躊躇うことなく、突破を決意。その決意に疑うことなく、ポチも身を低くし、留美先生のいる位置へと向けて荒れ狂う爆風の中へ飛び込んでいく。
 どうせ避けても突っ込んでも、攻撃の範囲内にいることには違いない。それを理解するからこそ、迷うことなく地面を蹴る。………これも姉や幼馴染に魔法で吹っ飛ばされ続けてきた幼少時代の経験があるからこその行動だ。
 音が皮膚を震わせ、熱が産毛を焦がし、光がまぶたを焼く。
 留美先生にまでたどり着けるかは運次第―――そしてそれを成し遂げるだけの悪運があたしにはあった。真横で爆発が起きても、炎の獣であるポチには耐性がある。後はただあたしが歯を食いしばって痛みを堪えれば、留美先生まで三秒とかからなかった。
 ―――突き抜ける。
 爆発の壁を抜けて高々と跳躍すると、留美先生の背中がすぐそこにあった。今度は障壁魔法を発動させる暇など与えずに攻撃を―――そう判断したポチではあったけれど、真下から来た攻撃が黒い巨体を吹っ飛ばした。
「思い切りの良いなかなかの攻撃だ。30点をやろう。――だが、相手の戦力を確認せずに突っ込むのは、少々いただけないな」
「いただけないって……その武器は!?」
 こちらの攻撃を遮ったのは、ダゴンがあたしへと投げつけた武器……ノーストの大錨だ。骨の軋む嫌な音を響かせ、さらに宙に浮いたポチを、まるで蛇のように空中で軌道を変えた巨大な錨が追撃してくる。
「ゴブハンマー!!!」
 上からフック気味に迫り来る錨の前に、あたしはゴブハンマーを呼び出す。身体は小さくても中身に樹木がしっかり詰まったゴブハンマーは、鎖つきの鉄球になっている右手を上に振り上げて錨を迎撃。さらに、
「プラズマタートル!!!」
 続けざまに空中で呼び出したプラズマタートルが、巨大な甲羅に生えた無数の突起で錨をさらに上へと跳ね上げる。
「よしよし、よく躱しきった。あれで終わられては面白くないからな」
 こちらの頭上を錨が突き抜けていく間にプラズマタートルを再び魔封玉に封印し、ゴブハンマーとあたしの二人を乗せたままポチが地面に着地。そして攻撃を受けた腹部を押さえて苦しむことも出来ないまま、再び爆発の中へと飛び込んでいく。
「知っているか? この地方のマーマンたちは水神に連なる一族らしい。その証がこの神器、ノーストの大錨だ。所有者の意のままに動き、いかなる嵐からも神が乗る船を守るこの錨には―――」
 悪いけど聞いてる暇はありません……あたしの勘とポチの俊敏さで爆発の直撃を逃れている今、留美先生の言葉に耳を傾けている余裕はない。
「減点対象だぞ、人の話を聞かないのは。これが罰則代わりだ!」
 左右に跳んで爆発を回避しているので、留美先生とはそう距離も開いていない。目の前を飛び交う瓦礫を汚している頭にくらわないように気をつけていると、鎖を引いて錨を呼び戻した留美先生が、その人の身の丈ほどもある大錨を、
 ―――ちょ、冗談でしょ!?
 振り回した。とても怪力とは思えない細腕が、片手で軽々と錨を振り回すと
「んな――――――ッ!?」
『ハ、ハンマ―――!?』
 水の刃が眼前に迫る。
 真下からの攻撃にばかり意識が向いていたところに、これは完全に予想外の攻撃だ。あたしの首を遠慮なく刈り取る硬さで跳んできた一閃は、気付くのが早かったゴブハンマーに押し倒されてかろうじて回避できたものの、ポチの巨体すら一刀両断にしてしまいそうな水の巨刃が縦横斜めに次々と放たれてくる。
「はっはっは、水を自在に操る能力が自分のものだけだと思っていたのか?」
 おそらく付加魔法で腕力を強化しているのだろうけれど、それでも留美先生が自分の身体より大きな錨を振るう姿は目を疑いたくなるものがある。けれど、錨が振るわれるたびに高速で水の刃が打ち出されるとあっては、幻だと言ってもいられない。
 対抗するには、避けるか打ち落とすしかない。けれど爆発の合間を駆け抜けているポチには、横からの攻撃にまで対処する余裕もなく、炎を吐いて迎撃することもできない。それにあたしも身体を満足に動かせず、手元に武器がないのではどうしようもない。
『ハ――――――ンマ――――――――――――――――――!!!』
 ノーストの大錨から放たれる水の刃をはじく役目はゴブハンマーに任せるしかない。トゲつき鉄球の鎖を目一杯伸ばして振り回して懸命に迎撃するものの、走り回っていて不安定なポチの背中の上ではミスすることなくいつまで水の刃を叩き落していられるか分かりはしない。
 ―――あうう……このままじゃ、本気でマズい……!
 今の状況では、手持ちのどのモンスターを呼び出しても爆発に吹っ飛ばされ、水の刃に切り刻まれるのが落ちだ。
 せめて一手……わずかな時間でいい、留美先生をひるませられなければ、いずれはポチもゴブハンマーも消耗して直撃を食らうのは目に見えていた。
「―――って、留美先生容赦なし!?」
 ここに来て高速高熱、必殺の光熱波が爆煙の向こうから放たれる。完全に直撃コース……身をかがめ、火傷どころか骨も残さず吹っ飛ばしてくれる必殺の一撃を、身をかがめ、さらにポチを地面に伏せさせることでかろうじて回避する―――が、直後に真下で地面が爆発した。
『グォオオオオォォォ――――――!!!』
 ノーストの大錨の重い一撃をくらっていた場所に炸裂する地面をまともに喰らう。とっさに魔封玉に戻していなければ、ポチの命が危なかったところだ。
 ―――だけどこれで……
 ゴブハンマーに盾になってもらって、あたしへのダメージは最小で済んだ……けれどこのまま地面へ落ちれば、ポチという機動力を失ったあたしには、水のドーム内を埋め尽くす爆発を回避する術がない。
 しかもだ、空中で身動きの取れないあたしを取り囲むように、地面から岩の柱が六本飛び出してくる。その上、大量の水を纏ったノーストの大錨が錐揉みしながら突っ込んできているし、またもざわめく肌の感覚からも、留美先生が光熱波かそれ以上の魔法を放とうとしているのが伝わってくる。
 逃げ道を塞がれた上に、下は爆発、上は大錨、何とかして倒さなければいけない留美先生はさらにトドメを差すべく攻撃魔法を放とうとしている。
 ―――ってか、なんでこんな理不尽な死に方しなきゃいけないのよ!?
 殺される理由も分からぬまま、圧倒的過ぎる力の前に命を散らす……なんて運命を、受け入れられるわけがない。こうなればもうヤケッパチでもいいから、契約してるモンスター総動員で留美先生に悲鳴の一つでも上げさせなければ気がすまない。
 腹が決まればあとは実行するだけだ。あたしはポチの代わりに最後の魔封玉を手の平に握り締めると、全身の火傷の苦痛に顔をしかめながら、それでも大きく息を吸い込んだ。
 そして―――


『これぞマーマン忍法帖、必殺・落水降龍陣だキ――――!!!』


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