第十一章「賢者」23


 ―――ん……ここは……どこ………?
 波間にたゆたう夢……浮遊感に身を包まれる心地よい眠りから目を覚ましたのは、夢と同じ水の中だった。
 ―――あ、まだ夢見てるんだ……
 両腕を垂らし、頭を垂れたなんともだらしない姿勢で水中の波に身体を揺らがせ、あまりに現実味のない世界からあたしはさっさと離脱する。
 ただでさえ最近は疲れることが多かったのだ。夢を見てワーと驚くぐらいなら、何もかも忘れ去るぐらいに熟睡しているほうがいい。例えここが日の光が届かないくらい薄暗い海の底でも、目の前にマーマンがいても、その奥にさらに巨大なマーマンがいたって関係ない。
 何しろこれは、最初から“夢”だと分かっているのだから。
 ―――けど、一目で夢と分かる夢も、なんか味気なくて面白くないな。
 まあいい。そーゆー時は二度寝するに限る。こーゆー時は時間に束縛されない冒険者家業は物凄くありがたいものだ。
 が―――


『貴様らは大馬鹿者どもだギィイイイイイイイイイイイイッ!!!』


 ―――……うるさいな。人の夢の中でギャーギャーわめかないでよ……
 椅子のような形をした岩に腰をかけた巨大マーマンがなんか大声を張り上げている。
 水中では声の伝わり方が違うのか、大音量の怒鳴り声に身体がビリビリと震えてしまう。さすがにこれには安眠を妨害されてしまい、眉をしかめて不機嫌を露わにするけれど、
 ―――夢に安眠妨害されてたまりますかってーの!
 あたしは疲れてるのだ。だから寝るのだ―――まともな人間としてはどうかと思う駄々っ子理論を振りかざすと、あたしは口からコポコポと空気をこぼし、意地でも起きまいと目蓋に力を込める。
『陸の生き物が水中では呼吸できん事も知らんだギか!? 故に水中こそが我らの領域であると言うギに!』
 けれど、マーマンの親玉はその身体の大きさに見合った大声を張り上げる。そこまであたしを起こしたいのかと思うけれど、こちらにも人間様の意地がある。根性がある。全力を持って睡眠妨害に屈しない決意を固め、耳の穴に指を突っ込んだ。
 とは言え、どうやらあの大きなマーマンがボスらしい……夢の中とは言え、ボスが大きいと言うのはあまりにも単純だ。こう言うときは傍に頭の切れる小心者っぽい参謀ぐらいつけておかないと話が面白くない。
 ―――まさか寝るためだけにボスキャラを倒せとか言わないでしょうね、この夢は……
 一眠りするのも楽じゃない。あいもかわらずコポコポと音を立てる口でため息をつく。
『しかもだ、我が授けた作戦を無視し、その上、その上だ! 我好みとか申しておったメスに先に手をつけるとはどういう了見だギ!? もしや貴様らが種付けした後のお下がりを押し付ける魂胆だギか!?』
 眠るのははさておき、状況を詳しく見るまでもなく、三体のマーマンが叱られているらしい。
 大ボスマーマンのマーマンとは思えぬ厳つい顔に睨み付けられ、マーマンたちはすっかり縮み上がって身を寄せ合っている。少し親近感……なんども同じ目に会ったことがある身としては、種族の壁を越えて同情を禁じえない。
 で、そんなマーマンたちの言い訳はというと――
『めめめ滅相もないだキ! あの人間のメスのほうから誘惑してきたんだキ!』
『そそそそうですだキ! あのメスは嫌がる我らの大きな胸でたぶらかし、生殖器を嘗め回し!』
『わわわ我らだって被害者ですキ! 大切なアレをすっぽりを食べられてしまった末に、子種を四回も出させられたですキに!』
『あああアレはとんでもないものだったキ! 卵にぶっ掛けるのが子作りだと思っていたけど、アレの後ではもう!』
『ままままたしたくなってきたキ! 水死体でもいいからもう一回やってみたいだキ!』
『おおおオレが先だキ! お前は最後に股間に突っ込んでたくせに連続なんてズルいキ!』
『だだだだったらオレは尻の穴にもう一回挿れるキ! あの締め付けは最高すぎるキ、病み付きだキ!』
 ………こいつら、ボスを怖がってるのか興奮を隠し切れてないのか、一体どっちなのよ……
 まるであたしがマーマンをあたしが誘惑して、エッチなことをしたかの言われようだ。確かにあたしは何度もモンスターにエッチな目にあわされてきたけど、それでも選り好みぐらいさせて欲しい。マーマンはイヤだよ、魚顔だし。
 あと、どうやらこれは頭痛を引き起こすほどタチの悪い夢らしい。さっさと目を覚ましたいところだけど、一度寝ると決めた以上、ここで起きたら負けのような気もする。
『ったくもう……人が寝てんだから、あんまりギャーギャーわめかないでよ。近所迷惑ってもんを知らないの、あんたたちは!?』
『むむ、これはすまなかったギ。寝てらっしゃるとは露知らず。許していただきたいギ』
 やけに平身低頭だね……ま、分かってくれたんならそれでいい。気分を荒げたらせっかくの眠りが台無しだ。
『やーいやーい、ダゴン様、怒られてるキ』
『身体と声だけじゃなく顔もデカいからだキ』
『さすが子供相手に泣かれた数がダントツトップなだけはあるキ』
 ―――こらこら、そんなにやじったらお父さんの血管がぶち切れちゃうよ〜。
 けど、ダゴンと呼ばれた巨大マーマンは肩を震わせるだけで声を上げようとしない。しかし、今朝食べたタコと名前が似てるけど、八本足じゃないんだな〜…とか考えていると、何故かいきなり指差された。
『何でお前は水中なのに生きてるギ!?』
『……ほえ?』
 口から空気の泡が溢れる。
『何で生きているのかって……ずいぶんとまた哲学的な質問をぶつけてくる夢ね』
『そうじゃないだギ! 人間は水中では息が出来なくて溺れ死ぬはずだギ! それなのにお前は何で生きているんだギ、人間のメス!』
『決まってるじゃない、そんなこと……』
 ふあぁ〜…と――実際にはボコボコ泡を唇から立ち上らせながら――あくびをすると、まだ眠たい目をクシクシと手の甲で擦り、何にも分かっていないダゴンにただ一言、
『夢なのに溺れ死ぬはずないって―――んじゃそう言うことだから、おやすみなさい』
『寝るんじゃないギ――――――――――――――――――――――――――――――!!!』
 ―――ああもう、夢の住人の癖に本当にしつこい。あたしの夢なんだから、ちょっとは思う通りになってくれてもいいじゃない。だったらもういい。こんな夢、さっさと目覚めてやるんだから!
 もう少し眠って痛かったけれど、これ以上不快な思いをするのなら一度起きるのもやむをえない。両手を上げて硬直していた背中の筋肉を伸ばすと、あたしは足をプラプラさせながら息を吐く―――けど、何故か目の前からマーマンたちは消えないし、今いる場所もベッドじゃなくて水中のままだ。
『―――あれ?』
 目を擦りなおしてみるけれど、ダゴンとマーマン三体は視界から消えない。
 おかしいなと思いつつ、ほっぺたをつねる。痛い。
 ―――と言うことは、
『えええええっ!? もしかしてこれって夢じゃないの!?』
『『『今更気付いたキか!?』』』
 頭を抱えて現実の状況に驚くと、マーマン三体に同時に突っ込まれてしまう。
 ―――これは一体どういうことだろ……以前にも失神から目を覚ましたら水の中って事はあったけど……
 これも“魔王の力”が発動したと言うことなのだろうか? けれど“ワーウルフ”にしろ“サキュバス”にしろ、発動するにはモンスターの体液が必要なはずだ。水中で溺れ死んでいないのも魔王の書の精神世界で手に入れた“マーメイド”の能力のおかげだとしても、発動条件が他の二つと異なる点も気になってしまう。
 ―――てか、どうせ発動するなら留美先生に沖へ吹っ飛ばされたときだったらよかったのに……
 まあ死んでないだけ儲けものだと考え――たいのだけれど、水中でマーマン三体巨大マーマン一体と向き合っちゃってるこの状況は、はてさてどうしたものだろうか。はっきり言って、あたしの命は大ピンチだ。
 生き延びるためには逃げなくちゃいけないわけだけど、敵さんもそうそう思い通りに逃がしてはくれないだろう。さてどうしたものか……百回ぐらい首を傾げたら一発逆転のいいアイデアが降りてきてくれないかと他力本願に考えていると、ダゴンが唇を吊り上げて凶悪な顔に不気味さを加味した笑みを浮かべ、あたしを指差した。
『よし、では貴様には我の子種を授けてやるギ。これは大変な名誉ゆえ、光栄に思うがいいギ』
 ………おい待て。あなたは何をおっしゃってますか?
 マーマンの子種……世間一般的に分かりやすい言葉で言うと、精液、精子、白濁液、ザーメン、スペルマ、おチ○チンミルクとか、そういうことだ。“子種”と言う言葉が通じないとは思わないけれど、とりあえずダゴンの言葉を頭の中でグルグルと回転させ、間違いのないように意味を理解していく。
『フッフッフ、我の子種はそこにいる者どものより、とびっきり濃厚だギ。そこの下賎なものどもの卵を産ませるよりもマーマンの王たる我の卵を産ませるほうが、貴様の乳にとっても幸いだギ』
『………ちち?』
 言われて、顔を下に向け―――身につけていたはずの水着がなくなり、ジャケットから豊満な挿入が飛び出ているのを見た瞬間、あたしは怒りに任せてダゴンの横っ面を水圧打撃でぶん殴っていた。
『あ、あっ、あッ、あんたらァ! 寝てるあたしに何したの!? こ…この性犯罪者どもめェ!!!』
 “マーメイド”の力の一つである水を操る能力。離れた位置にいるダゴンの顔を、自分の拳の代わりに圧縮した水の塊で殴りつけると、マーマンたちの親玉は鎖を巻きつけた右腕を前に突き出して左右に振った。
『待て、誤解だギ、我はまだ指一本触れていないだギ!』
『ウソつきなさい! あんたたちって最低よ。あたしを拐(かどわか)しておいて子種をやるなんて、どれだけヘタレの根性なしよ!』
『ヘタレ!? 根性なし!? そ、それはこの我に向かって言っているギか!?』
『へ〜、ふ〜ん、ほ〜、マーマンの王様って、この期に及んで言い訳なんかしちゃうんだ? 男らしくないわね〜……あ、そっか。つまり自分がもてないから無理やり誘拐しようってわけか。なるほどなるほど、アッハッハ♪』
『ムギィ〜〜〜! 笑うんじゃないギ〜〜〜! 我は強いんだギ、強いんだギ、格好いいんだギィ!!!』
『そうね〜。確かに力任せって感じよね。もしかしてもてないのもそれが原因じゃないんですか、お・う・さ・ま?』
『フンギィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!!!』
 これは結構楽しいかもしれない……あたしの言葉に想像以上に反応を返すダゴンは、すっかり頭の天辺から噴火しそうなほどの怒り様だ。椅子の形をした岩から立ち上がり、海底を揺らすほどの地団太を踏むと、今にも泣き出すんじゃないだろうかと思ってしまうほどの形相であたしを睨みつける。
『……いいだギ。そこまで言うなら、二度と減らず口を叩けないほど子種をかけて、かけて、ぶっ掛けまくってやるんだギ!!!』
 ダゴンが叫び、腰に手を当てて股間を突き出す。
 ―――なんだろ、どっかで見た覚えがあるような気がするんだけど……う〜……
 そう言えば確か、あたしは弘二が記憶をなくした事を調べていたはずだ。それで岩場を探索してて……そのあたりで記憶が真っ白になっている。気を失ったわけではない。“何かがあった”と覚えてはいるのに、“何があった”のかが、どれだけ記憶を掘り返しても一つも思い出せないでいる。
 ―――あたしも弘二みたいに記憶を消されちゃったのかな……思い出せそうで思い出せないこの感覚が、ものスゴく頭に来る!
 眉間に人差し指を押し当ててみても、記憶はなかなか思い出せない。その程度で思い出せれば楽なんだけど……そんなあたしを呼び戻したのは、またしてもダゴンの叫び声だ。
『フハハハハッ! 今から貴様の卵に精子をぶっ掛ける我の股間を見るがいいギ! なにやら人間は腹の奥に卵を持っているらしいから、人間の作法に乗っ取って子作りしてやるからありがたく思うギ!』
 身体を大きく反り返らせ、大声で自信たっぷりに笑うダゴン……なのだけれど、からかい過ぎた事を少し後悔していたあたしは驚きに口元へ手を寄せると、
『………ぷっ』
 笑っちゃいけない……元々男であるあたしがダゴンを笑うのは仁義にもとるかも知れない。だが、ダゴンが巨体を反らせ、威厳と迫力を出そうとポーズを取れば取るほどに、股間とのギャップに笑いが込み上げてきてしまう。
 ハッキリ言おう。小さい。股間の鱗の下から現れたのは勃起や性器と言うよりも“チョッ器”と言いたくなりそうな、わずか数センチの白くて小さなおチ○チンだった。
 傍らにいるマーマンと比べると、ダゴンの身体の大きさは三倍か四倍はある。けれど自信満々に突き出した股間には、赤ん坊のおチ○チンと変わらないサイズのものがくっついているだけだ。っ子で三十センチか四十センチの悪魔もビックリサイズの超巨根が出てきてくれば笑ってしまうこともなく、恐れおののいたのだろうけれど……ゴメン。無理です。お腹がねじ切れてしまいそうです……!
『な、何がおかしいだギか!? まさか今からおかされる運命を嘆いて錯乱してしまっただギか!?』
『ダゴン様〜……あれはダゴン様のチ○チンが小さいから笑ってるだけだと思うキ』
『ギ――――――――――――――――――――ッッッ!!?』
 見ていられなくなったマーマンが忠告すると、歯をむき出しにして驚くのだけれど……そ、その顔も面白い。もしかしてあたしを笑い死にさせようとしてないか、このマーマンたちは!?
『ち…小さいなんてことがあるはずないギ! 我はマーマンと海棲モンスターを統べる王になるダゴン様だギ、こここ股間の大きさが小さいなんて、誰と比較して言っているだギか!?』
 まあ、例え1センチでも2センチでも、マーマンのアレの平均的な大きさがそのぐらいだと言うなら、笑うのは失礼だ。そもそも人間と巣族的にも違うのだし、あたしの常識で判断することが既に間違いなのかもしれない。
 ところが―――
『フンッ!』と掛け声をかけて両手を上げ、ダブルバイセップスで腰を突き出し、
『ホッ!』と両手を胸の下で組み、腰をよじってサイドチェスト胸の厚みを強調し、
『フンハッ!』と頭の後ろで手を組んでアドミナブル・アンド・サイで腹筋と脚の筋肉を盛り上げるマーマンたち。
 けれど最も強調しているのは、筋肉ではなく股間のモノ……人間のモノと比べると形は若干違うし、色も白いけれど、大きさだけで言うならダゴンの十倍は大きい。
 マーマン三体の股間の方がポージングの効果もあって、あたしも思わず言葉を失うほど衝撃的を受けた……が、あたし以上に精神的ダメージを被ったのは、彼らより偉いはずのダゴン自身だった。
『………………………………………………………………………………お、大きさがすべてじゃないギ!』
 ―――悔しいのは分かるけど、そこまで分かり易く逃げちゃったら威厳も何もあったもんじゃないよ?
 あたしもそれほど大きくなかったし……いちいち暑苦しいポーズを決めながら股間の大きさを主張するマーマンたちを前に、失意のどん底に叩き込まれてしまったダゴンには少し同情してしまう。
 でも、
『………くっ』
『なんで顔を背けて口元を押さえるだギか!?』
『いや……笑っちゃいけないとは思うんだけどさ……お…思うんだけど……ヒ、ヒィ、もうダメ、自慢げに腰突き出してアレって……アハッ、アハハハハハハハハッ!!!』
『だ、だが、我に子作りできないわけではないもんねだギ! ええい、ものども、であえ、であえだギィ〜! 我を笑った失敬な人間のメスを捕まえて、我の前に連れてきて卵をひりださせるんだギィ〜〜〜!!!』
『うわ、なんてこと言うのよ。同情して損したァ!』
『ど……同情なんかいらないだギィィィ〜〜〜! 同情するなら卵産めだギィィィ!!!』
 まだお腹は痛いけど、そうも言ってはいられない。ムキムキポーズを取っていたマーマンたちはダゴンの号令とともに動き出す。
 顔を前に、手足は後ろに、身体を一直線に伸ばしてあたしへと突き進んでくる姿は魚そのもの。そして水の抵抗を受ける水中でありながら、その速度は人間の突進とは比べ物にならないほど速い。
 ―――あちゃ〜……逃げるの忘れてつい売り言葉に買い言葉……
 目を覚ました際に寝ぼけていなければ、死んだふりをしながら隙を見て逃げればよかったのだけれど、あたし自身が引っ掻き回して事態はすっかり最悪だ。
 戦闘は始まった―――だからあたしも覚悟を決めた。
 右手の中に魔封玉を呼び、左手を突き出して水の盾を作る。そしてその盾が三体のマーマンの突進を受け止めきれずに霧散するのと同時に、あたしは水流を操って身体を海面に受けて上昇させ始めた―――


第十一章「賢者」24へ