第十一章「賢者」15


「あの〜……」
「みなさ〜ん、実はこの人、男の人なんですよ〜〜〜♪」
 あたしが声を掛けようとしていたのは、マーマンが襲ってこないかと見回りをしていた三人組の村の人だ―――が、あたしの声を掻き消すように、背後の弘二が嘘のような本当の話を嬉しそうに叫ぶ。
「マ、マジけ!? どっからどう見たってめんこいオナゴにしか見えねーっちゃヨ!」
「オラぁ知ってるゾ。きっとこいつは「にゅ〜は〜ふ」ッちゅうヤツだ!」
「信じられねェ! なんか悪い夢でも見てるよーダー!」
 留美先生のリクエストに従って、あたしの格好は今だの水着のまま。どう見ても女性にしか見えない――と言うか今現在は完全に女の体になってしまっているので、どれだけ目を皿のようにして観察しても、オッパイが偽物のはずがないし、股間がモッコリしているはずもない。
「あ、あの〜…実はちょっとお話が……」
 娼館で鍛えられた客商売用のスマイルを浮かべて一歩近づくと、三人の男性は顔を引き攣らせ、近づいた分の五倍の距離を砂を巻き上げて後退さった。
「オラたちは、お、男のままでエエだよ! 女になんかなりたーないだヨ!」
「助けてオッカァ! 食われちまうだよ、掘られちまうだよォ!」
「ヒエェッ! このニーチャンはマーマンよりもおっかねえだア!!!」
 ―――なッ!? 何を言ってんのよ、この人たちは!?
『お願いだからキンタマだけはお許しを―――――――――!!!』
「あああああっ!? 待って、お願いだから話を聞かせ……って、もう姿が見えない……」
 一目散に逃げ出した男たちの背中は、あっという間に砂浜の向こうに消えてしまった。
 これで声を掛けたのは19人。逃げられたのも19人。なんか敗北感を感じるほどに、あたしの聞き込みは成果を挙げていなかった。
「ダメですよ、先輩。あんな見かけで人を判断するような連中に近づいちゃ。でも安心してください。この僕がいる限り、悪い男は全部追い払って差し上げますから!」
「あのね……」
 度重なる失敗にうな垂れて肩を落としていたあたしは、そのまま重力に逆らわずにしゃがみこむ。そしてあたしの後ろで胸を叩いている弘二に足払いをかける。
「あんたはさ……あたしの邪魔しか出来ないのか、この、ア―――ンポ―――ンタ―――――――――ン!!!」
「フヌグゥオオオオオオオオオオッ!!!」
 ―――蹴り蹴り踏み踏み蹴り踏み踏み蹴り蹴り蹴り踏み蹴り踏み蹴り踏み踏み蹴り蹴り蹴り蹴りィ!!!
「一体どれだけオカマ疑惑を村中に広めて回れば気が済むのよ!? あたしが男だってのを否定できないからって! あんたも一回女になってみろ、この苦悩が分かるからさァ! 切る? 股間で無駄にぶら下がってるのをちょん切っちゃう!?」
 鎧を着ていない弘二の体へ容赦なくストッピングの嵐を叩き込む。特に股間を重点的に。
「せ、先輩、股間はマズいです、僕らの将来に大きな影響が……あ…でもなにこれ、先輩に踏まれるのがとっても快感……♪」
「喜んでるんじゃないわよ、このド変態がァああああああああッ!!!」
 柔らかい砂地で片足立ちするとバランスが取りにくい……そんなことお構いなしに180度全開で広げて大きく後ろに振り上げると、弘二の体を吹っ飛ばして海の中へと叩き込んだ。
「うわ、ショッパ! ひどいですよ、先輩。いくら感情表現が下手で僕へのテレかくしに暴力を振るっても、海に入る時はやっぱり二人でなきゃ♪ さあ、僕が受け止めて上げますから先輩もダイブ・イン・ザ・オーシャン!」
「復活が早すぎるのよ、あんたは!」
「そ、そうだったんですか!? 僕をわざと溺れさせて人工呼吸……重なり合う唇と唇、冷たくなった僕の体を包み込んで温めてくれる先輩の素肌! つまり僕の意識をなくさせてから大胆な行動を……すみません、気付きませんでした! 早速溺れ直しますので、是非先輩の手で救助してください!」
「するかバカッ! そこで一生水没してなさい!」
「ああぁん、置いていかないでくださいよォ!」
 いくらダメージを与えてもケロッとすぐに復活する弘二にやりきれない思いを抱えながらも、あたしは背中を向けてさっさと歩き出す。………どうせすぐに追いついてくるだろうけど。
「はぁ〜……なんであたしが弘二なんかと組まなくちゃいけないのよォ〜……」
 留美先生は遠泳させられて疲れていたあたしのサポートのために弘二と組ませたのだろうけれど、まるっきり弘二の事が分かっていない。
 あたしが誰かとしゃべるだけで嫉妬する。手が触れただけで嫉妬する。見られただけで嫉妬する。同じ空気を吸っただけで嫉妬する……そしてそのたびに騒ぎを起こし、男の人を追い払ってしまうのだ。
 ―――おかげで頼まれてた情報収集は一つも出来てないし……とほほ、これじゃせっかくの情報ゲットのチャンスが……
 弘二さえいなければ、やりたくないけど自分の魅力を積極的にアピールすれば、男性たちから村の話を聞きだすことも出来るだろう。一応は今は見目麗しい女の子だし、弘二が追い払う前に熱い視線を注いでいた人もいたし、挽回のチャンスはあると思う。
 だけどそれも「弘二がいなければ」の話であり、殴っても蹴っても弘二はすぐに回復して後ろを付いて回るので、正直始末に終えない。
「ねえねえ先輩、岩場の方に行ってみませんか? もしかしたら誰かいるかもしれませんよ?」
「イヤよ。誰が人気の少ないところに下心見え見えのあんたと行くもんですか。それに、もし人がいたら追い払うんでしょ?」
「もちろんです! 僕の先輩に手を出そうとするヤツは生かしておきません!」
「誰があんたの先輩よ!……はぁ〜、大介のヤツ、よくこんなバカと旅できるわね……」
「いやァ、大介さんてば僕のやりたいことに反対ばかりしてくるんですよ。おかげで毎日が息が詰まりそうなんです」
 この手に負えないほどのバカッぷりは、どこぞの領主の息子として好き勝手に暮らしてきたせいだろうか……人の苦労を理解していない言動に、大介がどれだけ頭を痛めて手綱を取っているかは想像に難くない。
「………あたしはあんたとだけは旅したくないわ」
「つれないな……僕はこんなに先輩のことを愛しているのに……」
 背後から弘二が耳元で囁いてくる。両手があたしの肩に触れ、うなじに鼻先をうずめながら露出している肌を撫で回してくる。
「はぁ〜……やっぱり男運って必要なのかな……」
 来る男全部がエッチな事しか考えられないヤツばっかりでは、ため息だってつきたくなる。とりあえず、いい気になって舌を這わせてきている弘二をどうにかすべく、あたしは魔封玉を空へ放り投げる。
「プラズマタートル、押しつぶして」
「へ……んニュギャア!」
 あたしが弘二の腕をすり抜けて一歩だけ退避すると、その直後に人の何倍も重さのある巨大雷ガメ、プラズマタートルが空から降ってきて弘二を押しつぶした。
「あんたのおかげで周りから人目がなくなったものね……感謝してるわよ♪」
 にっこりと微笑むけれど、あたしの顔は弘二には見えていない。完全に砂浜とプラズマタートルの間で下敷きにされていて、かろうじて両手の先がはみ出して見えているだけだ。
『なんですかこれはぁ〜〜〜! フンヌ、フンヌゥ〜! ええい重たい、ピクリともしない〜〜〜!!!』
「そこでちょっと反省してなさい。まったく……我侭ばっかり言って、ちっとも自分を改めようとしない。今日どれだけあたしに迷惑かけたか分かってるの?」
『えええええ!? まさか僕のボディーガードが不完全だったと!?』
「なに言ってるか分からないので罰ゲーム。プラズマタートル、足踏みして」
『ヌグオオオオオオっ! つ…つ〜ぶ〜れ〜…げほォ!』
 電撃を放つ突起を除いた甲羅の頂点ですら、あたしの身長よりも高いプラズマタートルだ。砂浜を踏み固めるようにズシンズシンと足を下ろすのに合わせて、巨大な体躯の下から弘二のうめき声も聞こえてくる。
 さすがにこれ以上やると死んじゃうか……それでもいいかとも思うけれど慈悲の心って事で、プラズマタートルを小さな魔封玉に封じて消し、砂に埋もれている弘二を助け出す。
「ちょっとは反省した? あんたのあたしへの接し方は非常に不愉快なのよ。今後一切そう言うのは禁じますので、二度としないように。いいわね?」
「ふ……ふぁい………」
「て言うか、あんたそろそろ自分の仕事に戻ったら? 村の警護の仕事、大介にまかせっきりなんじゃないの?」
 ダメージを受けてフラフラしている間に、弘二をさっさと追い返そうと口にした言葉なんだけど……ふと脳裏に昨晩の大介の姿が浮かんでしまうと、“種付け”をされた股間の奥がズクンと疼いてしまう。
 ―――まさか…本気じゃなかったよね………
 お金のためにやむを得ず身を寄せていた娼館でだって、「孕ませてやる!」と叫びながら膣内射精してくる人は何人もいたわけだし。大介だって興奮が昂ぶりすぎてあんなことを言ったんだ、そうに違いない、違わないとあたしが困る。
 ―――ああぁ……なんで男に戻る方法の手がかりは一つも見つからないのに、厄介な男ばっかりあたしのところにやってくるのよォ! 大介とはなんでもない、次に顔を合わせた時には弘二と同じようにプラズマタートルの刑に処すんだからァ!!!
「先輩、もしかして別の男のことを考えていませんか?」
「へ……えええええ!? ちがっ、何であんなヤツのことを!」
 しまった……そ知らぬ顔で「違う」と言えばよかったのに、大介に種付け行為をされていたのを思い出していたところへ、弘二の妙に鋭い一言が放たれたので、つい反射的に余計な言葉を口にしてしまった。
「あんな……“ヤツ”!? 考えてたんですね、僕と二人っきりでいる時に先輩は別の男のことを考えてたんですね!?」
「だから違うって。弘二が急に変なこと言うから間違えただけよ」
「………じゃあ何で顔が赤いんですか?」
「え、ウソ!?」
 思わず顔に手が……と押さえてから気付く。―――うかつな事を。これは弘二の罠だ!
「し、信じられない」
 そう言って弘二がふらりと後ろへよろける。それでも何とか倒れずに踏みとどまり、両耳を塞いで頭を振る。
「僕と二人っきりで浜辺を散策しているこのシチュエーションで他の男のことを! そんなのってあんまりだァ!」
「お〜い……違うって言ってるあたしの声はガン無視かい?」
「普通ならここで僕を見て頬を染めるんでしょう! 水着姿を恥らうんでしょう! お互い言葉がなくなって指と指をモジモジ絡め合わせるのが最高のシチュエーションじゃないですか! ああ、僕の夢が今終わったアアア!!!」
「そんな大げさな……」
 惚れた相手に別の異性の影が見える……恋愛経験皆無なのでそう言う相手とか経験とかはないのであまり分からないけど、浮気しかり、不倫しかり、自分の好きな人が自分以外の相手と結ばれるのは、よほど精神的なダメージが大きいようだ。
 ―――ん〜、あたしも想像してみるか………って、何人の女の子を頭に思い浮かべてるんだろう。うわ、なんてダメ人間。
 とりあえず今はイメージだけ。心の中で何度も謝りながら、旅先で出会った女の子やお姫様の顔を思い浮かべ、次に彼女たちが男の毒牙に掛かるところを想像する。少なくともあたしに好意を寄せてくれた彼女たちが乱暴に床やベッドの上に組み伏せられ、泣き叫びながら犯し嬲られる姿を。
 ………ううう、もしこれが現実だったら剣を振り回して特攻してしまいそう……こ、これ以上はダメ。勝手な想像なだけなのに頭が爆発しちゃいそう。……それでも濡らしちゃったって、あたしも徐々に変態街道を歩んじゃってるのかも。
 なにせ、頭の中の友達が犯されている姿は、そのままあたしの姿でもある。
 しかもご丁寧に、相手の顔は大介の顔をしていた。
 意識しまいとしているのに無意識に妄想に描き込んでしまっているのか、何人に何回も犯されているのに、それらが全て大介なんて悪い夢もいいところ。想像上の大介が腰を振ると、昨日の温泉で大介と繋がりあってしまったヴァギナがお湯と共に念入りに膣壁へ擦り込まれた摩擦の快感を抽送のリズムに合わせて思い出してしまう。
 ―――は…孕まされちゃうのかな……あたし…もう大介の顔、まともに見れないかも……
 男に愛の告白されたって嬉しくともなんともない……はずなのに、肉体を使った実力行使で愛を告白されると、思いっきり感じやすいのが災いしてしまって、快感と共に相手の気持ちが体の奥深くに刻み込まれてしまう。
 水着の下で今にも突き出してしまいそうなほど乳首がムズムズと疼き、内股に力を入れて股間を締めていなければ洩らしてしまいそうなほどに愛液が膣道を伝い落ちてくる。弘二がいなかったら……そんなことを考えてしまう自分に胸が震え、大介の姿を脳裏から消し去ろうと熱く火照った顔を左右に振った。
「ば、馬鹿なこと言ってないで、さっさと聞き込みに回るわよ。付いてきてもいいけど、あたしの邪魔は金輪際しないでよね」
「しくしくしく……僕の先輩が……僕の先輩が……」
 そう言えば弘二には何度か無理やりされたのにドキドキしないな……と比較しながら歩き始めるけれど、散々言いふらされたオカマ疑惑のせいで、あたしが近づくだけで村人は逃げ出してしまう。そもそも、村のはずれにある宿屋を中心に行動をしていても、誰かと遭遇する機会がそれほどあるはずもない。
 そろそろ切り上げ時かもしれない。これ以上無駄に歩き回るよりも綾乃ちゃんや留美先生に合流しようかと考えるけれど、
 ………あたしの顔、まだちょっぴり赤いかな。
 泣きながら後ろを付いてくる弘二には気付かれてないと思うけれど、まだ顔の熱は抜け切っていない。日差しが暑いせいだと言い張れないこともないけれど、大介を変に意識したせいで高鳴ってしまったあたしの胸も落ち着ききっていなかった。こんな状態で二人にところに戻ると下手に勘ぐられる気がして、つい浜辺の岩場に近い場所をウロウロと歩き回ってしまう。
「………あ、そう言えば弘二、あんたの相棒の大介はどうしたの? 全然姿が見えないけど」
 大介のことは一刻も早く忘れ去って落ち着かなければいけないのに、沈黙に耐えかねて思わず弘二に訊いてしまう。
 温泉ではあたしに気絶させされ、弘二にトドメを刺されて、それからあたしがゴブリンアーマーの鎧を借りて宿に帰るまで、一度も目を覚まさなかった。そのまま一晩放置された……とかなら噂話をどこかで耳にしそうなものだけど、聞いてないからきっと大丈夫なのだとは思う。
 だけど昨日の今日だ。弘二とは縁を切ってあたしとパーティーを組むと昨日言っていたのが本当なら、既に何かを弘二に喋ってしまっているかもしれない。
 ところが、
「大介さんですか? あの人、昨日の夜遅くに帰ってきましたよ。なんでも温泉が気持ちよくって寝ちゃってたそうです。頭が痛いって言うから昼まで村の警備には僕一人で出てます」
「そ、そうなんだ……って、その村の警備はいつまでサボってるのよ!? 依頼受けたのあんたたちだけなんだから、大介が寝てたらあんただけなんでしょ!?」
「あはははは、別にいいじゃないですか。村より先輩のほうが大切です!」
 こう言うヤツだった……いくら薄給で依頼されたとは言え、これでは村人が少しかわいそうな気がする。
 それでも大介は弘二に何も言ってなかったことに、背中を向けたままほっと胸を撫で下ろす。村を出立する前に大介の口を脅迫でも何でもして封じておけば、昨日の出来事はなんでもなくなるはずだ……と、なんとも物騒なことを考えていると、
「昨日と言えば、僕も変だったんですよね。気がついたら、何故か先輩の服を握り締めて岩場にぽつんと立ってたんですよ」
「え………?」
「でも良かったなぁ……下着に残ってた先輩の残り香に顔をうずめグハァ!」
 振り返りながら、あたしは足の裏を弘二のに叩き込んでいた。
「人の服を盗んであんたは一体何をした!?……いや、言わなくていい。なにやってたかは簡単に想像できる。だからまず死になさい、それから謝れ服泥棒!」
「し…死んでから謝るなんて無理ですよォ! それに、僕だって知らないうちに先輩の服を握り締めてたんですよ!? これは罠です、陰謀です、僕に下着泥棒の汚名を着せるための策略なんです!」
「それを返しに来ない時点で、既にあんたは犯罪者! 盗人猛々しいとはこのことよ! それに覚えてないなんて下手な嘘ついて。脱衣所からあんたが持っていたって事はネタが上がってるんだから!」
 ネタが云々よりも、弘二と顔を合わせないように男湯と女湯を必死に行き来していたのだから、知らないはずがない。
 ………とは言え、またうかつなことを口走って変な勘ぐりだけはされないようにしておかないと。
 大介から話を聞かされていないのなら誤魔化しようはある。え〜……「温泉につかり過ぎて体が火照ったので、バスタオルを体に巻いて少し外を散歩していた」と言う事にしておこう。普通はそんな格好で外を歩いていれば露出狂扱いではあるけれど、押し通す言い訳としては、人にあまり知られたくないのと弘二の興味を引ける二つの効果が狙えるので悪くはないと思う。
「本当なんです、信じてください! 天地神明に誓って、僕は先輩の服だと知っていて握り締めていたわけじゃないんです!」
 言い訳なんて見苦しい……あたしも自分用の言い訳を用意しておいたけれど、温泉で火照った素肌に金属製の冷たい鎧を着て帰らなければならなかった恨みは忘れられない。それに―――
「大介さんだって昨日の記憶はなくしてるんです。気がついたら温泉にいたって言ってて、だから僕ら二人、何かに襲われて記憶を消去されたんじゃないかって話してたんですよ!」
「大介……も?」
「そうなんですよ。僕は岩場に我に帰ったんですけど、大介さんは温泉で誰かにボコボコにされてて。だからきっとマーマンが―――」
 弘二の必死の言い訳は続いているけれど、どうせ同じ事を言葉だけ替えて言いまわしているだけだ。聞く必要は特にない。
 ―――だけど嘘をついているようにも思えない……か。いつもの弘二なら「うわぁ、バレましたか!?」とか言いそうなもんだけど……
 基本的に弘二はあたしに惚れているわけで、妙な誘惑や強引なお誘いで困らされる事はあっても、嘘をつくとは思っていない。そのあたりの人間性ぐらいは一応信じてあげている。
 それで今はどうなのかと考えると、あたしの服を手にしていた事は白状しているのだから、脱衣所から盗んだことを隠す必要もないはずだ。
 ―――と言う事は、弘二は今、嘘をついてないって事?
 それはそれで信じがたいけど……もし“記憶がない”と言うのが本当なら、かなりの大問題だ。
 記憶の欠如が見られるのは弘二と大介の二人。しかもどちらも、あたしが温泉に入っていたあの時間帯の記憶がすっぽり抜けているようだ。それなら同じ場所にいたあたしにも何か記憶障害が出ていてもおかしくないけれど……昨日のことは問題なく思い出せる。弘二のように「気がついたら」と言うようなことはない。
 ―――記憶の操作となると魔法よりも催眠術の方が可能性としては高いか……だけどあの場所で催眠にかけられるようなことって何かあったっけ?
 精神操作の魔法もないではないけれど、あたしも知識として知っているだけで実際に目にした事はない。
それよりも魔法を併用した催眠術の方がポピュラーと言えるけれど、そっちの方もあまり詳しくはない。
 ―――え〜と……確か物の動きや光、音なんかで催眠状態にするんだっけ?
 興味もなかったのでうろ覚えだけれど、確かそんな感じだったはずだ。分かりやすいところで、紐につるしたコインを目の前で左右に揺らしたり。確か以前、“催眠楽団”と言う一味がコンサートを開いて観客の多くに催眠をかけて国家転覆を図ろうとした事件もあったはずだ。
 ―――もしかして、あの竪琴の音色かな?
 それぐらいしか記憶欠如の原因として思い当たる事がない。もし本当に温泉に聞こえてきた竪琴の音色が原因だとしたら………と、そこまで考えが至ったものの、なぜそのような事をする必要があるのかがさっぱり分からなかった。
「まずは調べてみるか……ねえ弘二、服も事はもういいから、ひとっ走りして留美先生にこれから岩場に行って来るって伝えてきてくれない?」
「だから僕も悪いとは思いつつも先輩の素肌に触れていた衣服を離すに離せず……って、先輩、僕の事を許してくれるんですか?」
「ん〜……ま、一時保留ね」
 弘二の記憶欠如が嘘か真かは判断つかないけれど、岩場にある温泉で聞いた竪琴の音色が本当に催眠術をかけていたのかが気になってしまっている。出立する時間を考えると、聞き込みにかけられる時間もそれほど残されていない。行動するのなら早い方がいいだろう。
「では僕もお供します。先輩が何かされるのなら、是非お傍にこの弘二を! 岩場で誰かに襲われるかもしれません。でも大丈夫、僕が一人いれば他に護衛なんて必要ありません!」
「……あんた、あたしの話を聞いてなかったでしょ? 留美先生のところに言ってってお願いしたんだけど……」
「そ、そんなことありません! ただ、先輩への言い訳を考えるのに必死で覚えてないだけです!」
「だからそう言うのを聞いてないって言うのよ!……ま、いっか。そんなに深入りしなければ」
 村全体への不信感は、ここに来て増す一方だ。なんで温泉に入るだけで記憶を失わされるのか……催眠術とも決まってないし、個人犯の可能性も否定できないけど、村を訪れたばかりのあたしたちを狙い打つかのような不可思議な現象に、どうして平穏でいられようか。
 ―――こう言う頭脳労働はあたし向きじゃないんだけどな……
 それでも文句を言っても始まらない。頭を掻き、大きく息を吐き出して気分を切り替えると、名誉挽回のチャンスを与えられて急に張り切りだした弘二の胸を軽く叩く。
「それじゃ行きましょうか……頼りにしてるわよ、セクハラしない限りは」


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