第十一章「賢者」01


「申し訳ありませんが、あたしたちはお手伝いしませんので」
 開口一番、あたしはテーブルの向こう側に座る村長さんにはっきりお断りすることを伝えた。
 街道整備を行う工夫たちの護衛――というかほとんど工事の手伝い――を終えたあたしと綾乃ちゃんは、街道の先にある小さな漁村にやってきていたのだが、到着した早々にもう一組の冒険者たちとともに、村の人間が何人も集まった村長宅に引っ張り込まれてしまった。
 一体何事かと思えば、やっと来てくれた冒険者を歓迎してのことらしい……が、テーブルの前に無理やり座らされ、椅子が足りないからと綾乃ちゃんには立ちっ放しにさせて、延々と一時間も村の惨状に聞かされ続けた。
 なんでも今、この村には海から現れるマーマン(半魚人)にたびたび襲われ、なかなか漁にも出れず漁獲量が激減していると言う。それは可哀想な話だ………話なのだが、村の被害をことさら強調した話を聞かされていると、相手は本当に被害者なのに、まるで被害者面(ひがいしゃづら)をしているように思えてきてしまう。
 他人をそんな風に思うのは気持ちがいいことではないし、村がモンスターによって被害をこうむっているのなら何とかしてあげたいとも思う。けれど、だからと言ってあたしが村長からの頼みを聞いて、冒険者ギルドを通した半魚人退治の依頼を受けるわけにはいかないのだ。
「どうして依頼を受けてくれませんのじゃ!? 先ほども申したとおり、この村はいつ化け物に襲われるかわからん状況なのですぞ!? それなのにあんたは、わしらを見捨てるつもりなのかァ!?」
「ですから、そもそも依頼を請け負ったのはあたしじゃありませんから」
 そう言うと、あたしは隣の席に座る男を指差した。
「依頼を受けたのはそっちの馬鹿二人です。あたしと綾乃ちゃんは無関係ですから」
「うおォい! 俺たちが馬鹿ってどういうことよ!?」
「先輩が馬鹿って言うなら僕は馬鹿です! 馬鹿正直に先輩を愛していますから!」
 ………まあ、大介の反論は普通の反応だからいいんだけど、、弘二のほうは相変わらずと言うか……頭痛い。
 偶然……そう、あたしが顔見知りの弘二たちに出会ったのは、物凄くタイミングの悪い偶然なのだ。
 街道整備を困難にしていた難い岩盤に覆われた箇所を魔力剣の応用、魔力ハンマーで粉砕し終えたところで、あたしの仕事は終了と言う事になった。本来なら工夫の護衛を一週間と言う話だったのだけれど、費用も人員も期日も何もかも足りないと暗い顔をした工事責任者に聞かされて、結局放っておくことが出来ず、あたしはハンマーを借りて壊すこと専門の力仕事を、綾乃ちゃんは工夫たちを元気付けるために食事係をそれぞれ手伝うことにしたのだ。
 大きくて頑丈なハンマーには剣よりも大量に魔力を集めて凝縮させられる。その衝撃波は想像以上の威力があったけれど、その分消耗も激しく、一日に三回も放てばヘトヘトになるほど魔力使い果たすし、ハンマーの先端も柄も粉々になってしまう。それでも、街道を作る最大の障害になっていた硬い岩々を普通に人力で割ろうとするのに比べれば、ほんの一時間ほどで広範囲を一気に平らに均してしまえる魔力ハンマーのほうが比べ物にならないほど効率がいいのだ。
 だが問題は夜のほうにあった。
 少ない工夫を工期に間に合わせるために馬車馬のように働かせる……そのためには何が必要かというと、馬ならニンジン、男になら女……そう、本来の本当の目的は護衛などではなく、お色気担当として男たちを励ますことにあったのだ。工夫の募集時に最初から「合意の上でなら…」と言う但し書きをつけて、女冒険者とお近づきになれることを謳い文句にしていたらしく、男たちは次から次にあたしや綾乃ちゃんへアプローチを繰り返してきた。もちろん、もともと男であるあたしがそんな誘いに乗るはずもない。―――となると単純に力任せに物事を解決しようとして、あたしと綾乃ちゃんに割り与えられたテントに毎晩十人を超える男たちが集団で夜這いにやってくる。最終日前夜には全員が鍋や釜を防具代わりに一揆さながらの勢いで襲い掛かってきたけれど、ハンマーを放った後にしっかり休んで魔力を回復させておいたあたしは、魔力剣みねうちで問答無用に吹っ飛ばしてやった。
 その甲斐あって工夫たちも夜に使うはずだった無駄な体力を工事に集中させることが出来た。なんとか依頼主の漁村側の要求どおりに、一週間と言う無茶苦茶な短い工期で街道は一通り開通するに至ったのだった。
 ―――で、偶然が悪さをしたのはこのタイミングだ。
 あたしたちを男たちへの餌にした事を謝る工事の責任者と和解の握手をしている時に、突然弘二が現れた。抱きつこうとするから工夫たちとの別れの挨拶もそこそこにあたしは思わず逃げ出し、漁村へ逃げ込んで現在のこの状況……と言うわけだ。
 ―――ううう……弘二がさっきからずっとあたしの腕に自分の腕を絡めてるし。イヤだよォ、イヤだよぉ、誰か席を代わってよぉ……
 ともあれ、弘二は後でぼこぼこに仕返しするからいいとしよう。今だけは夢を見させてあげる。問題は、依頼を断ったあたしを親の敵を見るような目で睨みつけている村長と、その背後に並んだ村の男たちのほうだ。
「え〜とですね……冒険者間で揉め事を起こさないために、ギルドを通した依頼には請け負った冒険者のパーティーが取り組むのが原則です」
 ちなみに、あたしはギルドで男に戻る方法の情報を探している時に突然目の前で土下座され、「お願いですから私たちの願いをお聞き届けください!」と拝み倒されてしまい、周囲から奇異の目で見られる恥ずかしさに耐え切れずについつい工事の護衛を請けてしまった。
 そんなあたしの場合なら、あたしと工事責任者との個人の契約だ。けれど間に冒険者ギルドが入ってくると、事情は少しだけ厄介になる。
「既にこちらには受理した冒険者たちがいます。依頼達成の義務はそちらの二人組みにあり、偶然立ち寄っただけのあたしと綾乃ちゃんには依頼を受ける義務はありません。もし強要されるようでしたらそれは―――」
「話のわからん女じゃのう。ぴーちくぱーちく理屈だけを捏ね回しおってェ!」
 ………なんか、村長さんの態度が怖くなってきてるんですけど。
 あたしは相手を安心させようと控えめに微笑みながら説明したのだけれど、村長は納得してくれなかったようだ。髪の毛が薄くなった頭まで真っ赤にして逆上すると、テーブルに立てかけていた歩行補助の杖を振り上げ、あたしの目の前に振り下ろす。金属板で補強された先端はそのままテーブルに振り下ろされると、あたしの前に出されていたティーカップを弾き飛ばし、こちらを威嚇するように眉間へと突きつけられる。
「ワシらには一人でも多くの戦力が必要なんじゃ。相手はマーマンじゃ、化け物じゃ。それなのに、こーんな頼りなさそうな男二人にワシらは全員命を預けんといかんのか!?」
「いや〜、頼りなくてすみません。と言うわけで先輩、僕と一緒にがんばりましょ、ね♪」
 あんたは今、この村長さんに思いっきりコケにされてるんだけど、それもわかんないのか……締め上げられるような頭の痛みにこめかみを指で押さえつつ、どさくさにまぎれてあたしの頬に近づいてきた弘二の顔を鷲掴みにし、グイッと押しのける。
 ―――なんでよりにもよって、こいつがあたしの隣に座ってるのかなァ……そもそも、弘二があたしを追っかけなければ面倒ごとに巻き込まれずにすんだのに……
 ため息は何度吐いても尽きることがない。
 一体何回あたしが男だと弘二に説明しただろうか。それでもあたしへのエロスを生き甲斐にしている弘二に、あたしはいっそ深い森の奥で一思いに……と危険な考えを抱くのも仕方がないことだろう。
「あ〜ん、邪険にしないでくださいよう。せっかく久しぶりに会えたんですから熱い抱擁でお互いの温もりを感じあいましょうよぉ〜!」
「………大介、どーして交渉の席にあんたが座んないのよ。この馬鹿よりもあんたの方が話がわかるでしょ?」
 次第に強くなる弘二の圧力を眉根にシワを寄せ、腕には力を込めて押し返す。それでも以前よりも力をつけた圧力で迫ってくる弘二に堪忍袋が膨らんで行くのを感じながら、壁際で伝っている元・情報屋のシーフを睨みつけた。
「勘弁してくれよ。弘二の代わりにそこへ座ったら、絶対に俺、後ろから刺されるぜ?」
 手をひらひら振って「死ぬのも痛いのもごめんだね」と意思表示する大介。それを見ると、弘二も俄然やる気を出してくる。
「そーです、先輩の隣は僕の指定席です! と言うわけですので、このお仕事を僕と二人でやり遂げて、既成事実をいっぱい作っちゃいましょう!」
「とりあえず……世間の常識と言葉の意味を覚えなおして出直してきなさい、このアン、ポン、タ―――ン!!!」
「グホォ!!!」
 弘二の顔を押さえていた手を引っ込める。すると喜び勇んで弘二が両手を広げて突っ込んでくるので、あたしは椅子から軽く腰を浮かせ、中腰と膝を伸び上がらせる力を利用して拳をアゴへ叩きつける。
「ひ、ひどいですよぉ……どうして僕の求愛を受け入れてくれないんですか? こんなに好きなのに……ゲフッ!」
 椅子の向こう側に転げ落ちても口の減らない弘二の顔の真ん中に、あたしはブーツの底を容赦なく蹴り込み、沈黙させる。
「大介、あんた弘二にどういう教育してるのよ!?」
「あの馬鹿旦那がオレの言うことなんて利くわけないじゃん。今回の依頼だって「人助けです!」って言って相談もせずに決めやがったんだぜ。―――それより、あっちはどうしてくれんだよ?」
 大介がアゴ差したのは、鼻血を吹いて潰れたカエルのようにピクピクと痙攣している弘二を不安そうに見ている村人たちだ。これから弘二たちに村を守ってもらうわけだけれど、それが目の前で女(?)のあたしに簡単に後れを取ってしまったのだから、信頼感が薄れるのも仕方がない。
「………こいつは十分タフです。きっと皆さんを命に代えてお守りしますよ」
『信じられるか―――――――――!』
 ―――う〜ん……弘二、あんたの株は大暴落っぽいよ?
 とりあえず弘二の代わりに大介を視線で呼び寄せて隣に座らせると、全員お怒りの村の皆様に向かい直る。
「フンッ、これで解ったじゃろう! とりあえずもっと人数を増やせ、さもなきゃ不安でワシの心臓はポックリ止まりそうじゃわい!」
 いの一番に偉そうに喋りだしたのは、時間をおいて多少落ち着きを取り戻した村長だった。
「その男に任せるのは心配じゃからお前も手伝うんじゃ。そっちの小娘も入れれば四人になる。人数が倍になればちょっとは役に立つじゃろうからな。よいな!」
 弘二が情けないのはしょうがないとしても……男に戻る方法の欠片も見つかっていないのに、一週間もこんな場所で足止めを食うなんて冗談じゃない。それに争いごとも揉め事も好きじゃないけれど、こうも頭ごなしに言いつけられては、この村が大変なことは理解しているけれど依頼を引き受ける気にはならない。
 そのことをもう一度しっかりはっきり言ってやろう……そう思って椅子から腰を浮かしかけるが、その前にに大介の方が立ち上がり、口を開いて喋りだしていた。
「いや! いやいやいや、勝手に話を決められると困るんですけどねェ、村長さん」
「決めるも何も、金を払うのはワシらじゃぞ! 依頼料が欲しければ黙ってワシらの為に命懸けで働けばいいんじゃ!」
「だったら俺ら、引き上げさせてもらいますわ。申し訳ないんですけどね〜」
「んなっ!?」
 大介のこの一言には、血管が切れそうになっていた村長も驚いた。まさか依頼を受けてやって来たと思っていた冒険者が、何もせずに帰ると言い出すとは思ってもいなかったのだろう。
 もっとも引き上げることはあたしも考えていたので、さして驚きはしない。お金を払うと言っても、そのお金をいらないと言えば、どうするかは冒険者の自由だ。もっとも依頼を引き受けたからと言って、使用人や奴隷のように扱われても、ギルドは依頼を断る正式な理由として認めてくれる。
 もしお金で言うことを聞かせたいのであれば、冒険者ギルドではなく傭兵ギルドに依頼するべきだったのだ。この村長さんは、その事を誤解している。
「ここには詳しい話を聞いて依頼を受けるかどうか決めに来ただけなんで。いちおー依頼主の証言の真偽ぐらいは確かめてから依頼を受けないと、どんな悪事に巻き込まれるかわかりませんから」
「き、貴様、この若造ぉぉぉ! ワシらがウソを言っておるというのか!?」
「いえいえ、滅相もありません。これもギルドの決まりでして。でもまあ、まだ契約を正式に交わしたわけでもないし、俺たちの信用もとっくにガタ落ちみたいですし、手付金も貰ってませんしね〜。いや〜、これはむしろ良かったんじゃありませんか? 俺たちみたいなチンピラ雇うよりも、もっと立派な人格者が依頼を引き受けてくれますって―――ま、あの依頼料で引き受けてくれるやつが他にいればですけどね」
 ……なるほど、そこが大介の目的だったわけか。
 妙に村長さんの怒りを煽るしゃべり方をすると思ってたけれど、狙いは至極単純なもの。いきなり帰ると言い出したのも相手の不安を煽って有利な条件を引き出す交渉の基本と言うことか……などと考えていると、ずっと後ろで黙って立っていた綾乃ちゃんがあたしの服をクイクイと引っ張ってきた。
(先輩、何か気付かれたんですか? このままだとこの村の人たちを見捨てちゃうことに……)
(心配しなくてもいいわよ。大介はただ、依頼料を吊り上げたいだけらしいから)
(お金……ですか? そ、そんな、酷いじゃないんですか!? 困っている人たちからお金をさらに取ろうだなんて! あの人のこと、見損ないました!)
(………案外そーでもないかもよ?)
 あたしよりも人の良い綾乃ちゃんには見抜けないだろうけれど……あたしは村人も含めて二十人近く入っている室内を見渡し、自分の予想を裏付ける。
「警備の人数を増やしたいって言う村長さんのお気持ちも理解は出来ますよ。けどねェ、そしたら今度は分け前の問題が出てきちゃうんですよ。期限なしでマーマンたちを全滅させた場合のみ、成功報酬で500ゴールド(=約5万円)。頭数が倍になると、半分になっちゃうでしょ〜?」
「ご、ごひゃくぅ〜!? しかもマーマンの全滅ってなによ!? 海棲モンスターを一種族皆殺しにしろっての!?」
「そ♪ しかも一人頭じゃなくて、全員で500。俺らは二人組みだから一人当たり250、たくやちゃんらが手伝ったらさらに半分の125ゴールドになっちまうってわけだ。しかも宿代食事代は自腹だぜ?」
 ―――冗談じゃない。いくらなんでもケチにもほどがあるわよ!
 小さいとは言え村一つを守るのだ。日当を別にして、成功報酬も最低でも1000ゴールドは欲しいところだ。継続的に警戒し続けなければならないし、戦闘だって一度や二度ではすまないだろう。しかも全滅させよと思えば、マーマン百体は覚悟しないと……それほど大変な仕事をやらせようとしといて、依頼料はたったの500! それでよく依頼者だからと言いたい放題言えるものだ。
 なお、あたしと綾乃ちゃんが街道整備の護衛と手伝いをして貰える依頼料は一週間で300ゴールド。これもとてつもなく安いと言わざるを得ないけれど、食事つきだった分まだマシだ。そしてその街道工事を建設ギルドに要請したのもこの漁村……どれだけ余所者に払うお金をケチれば気が済むんだろう?
 ………やっぱり胡散臭いのよね、どう考えても。
 払うお金を少なくしたいと言うのは、当然の感情だ。けれど、大金をもらえる仕事に危険な臭いを感じるのと同様に、自分の命がかかっているのに払いを渋る……目の前にいる村長や、その言動をとめようともしない村人たちの態度にも、なにか嫌なものを感じてしまう。
 ………マーマンに村が襲われたのがウソでないのなら……どういうこと? この人たち、村が大事じゃないの? 自分の住んでる場所を守ろうともしないなんて……
 何がおかしいのかは正確には解らない。けれどもしこれがあたしが引き受けた依頼だったら、すぐにでも断って村から逃げ出しているだろう。
「―――いいや、ダメじゃ。成功報酬で500。日当なんてもってのほかじゃ。もしモンスターが襲ってこなんだらどうする? ワシらが一方的に損をするだけではないか!」
「だからッスね? 先頭が生じた場合のみ臨時報酬という形で支払い、何もなければ宿代程度をそちらで持ってもらって―――」
「なんでワシらが余所者の食い扶持まで出してやらねばならんのじゃ! そもそもこの村には―――」
「何度も説明してるじゃないですか。それはですね―――」
 大介と村長の舌戦は未だ展開中だ。この分ではまだ当分ギャーギャーと言い合いは続きそうだ。
「………綾乃ちゃん、外に出てよっか。あたしらはここにいる意味ないし」
「いいんですか? 私たちにも何かお手伝いできることがあるかもしれませんし」
「大介なら心配なんかしなくても大丈夫。それよりも今日の宿を決めなきゃいけないんだし、ここでボーっとしてるよりは村の中を散策している方が有意義な時間の使い方ってものよ。それに今日はこの村で一泊するんだし、何かあれば誰か教えに来てくれるって」
「はぁ……先輩がそうおっしゃるなら私はいいんですけど……」
 よし、決まり―――あたしが椅子から立ち上がると、村長の後ろにいた村人たちが何故かギョッとした顔をする。逃げるとでも思ったのだろうか、未だ依頼料の交渉で白熱しているテーブルの横を回ってこちらに寄ってこようとするけれど、あたしは背中を向けて、
「――――――!?」
 外に出ようとした瞬間、背中に粟立つのを覚える。同時に、反射的に壁際へと飛び退りながら剣に手をかけ、自分が今いた場所へと振り向いていた。
「だ、だれ!?」
「………ふむ、あまりいい茶葉とは言えないな。冷めているのも残念だ。塩味を感じるのも以前来た時となんら変わっていない。井戸水に海水が混ざっているのはそのままか」
 あたしが叫んだことで綾乃ちゃんが、大介が、村長が、そのほかの村人たちまでもが、明らかにあたしより一泊遅れてその女性へと視線を向けた。
 そこ……つい先ほどまであたしが座っていた場所に、髪の長い女性が腰をかけていた。あたしには背中しか見えないけれど、ほっそりとした体つきには年上の女性特有の艶かましさが感じられる。
「………しかし、なかなか面白いものが見れた。それだけでも僥倖かな。ふふッ……やはりどこにでも自分で足を運んでみるものだ」
「だから、あの……どちらさまですか?」
 本当に何者? 突然目の前に現れてあたしの前に置いてあったお茶を飲んでいるけれど……あれは頭に血が上った村長の振り回した杖に叩かれ、中身がこぼれてしまったはずだ。なぜそれが普通にテーブルに置かれている? 誰か入れ直した!? そもそもどこから現れたのよ、この人は!?
 あたしが出て行こうとしていた扉から入ってきた形跡があるがなく、。別の部屋に通じる扉から入ってきていたのなら、十人以上いる村人たちがもっと早く彼女に気がついていたはずだ。
 それなのに“彼女”を最初に発見したのは、背中を向けていたあたしだ。あの背中が粟立った瞬間に現れたのだとすれば、それは―――
「ワープ……転送の魔法を使ってこの部屋に入ってきたの?」
「50点。半分は不正解だな―――と、なぜ逃げる?」
 いやもう、反射的に動いてるから………再び背筋がゾクリと震えた瞬間、あたしは前に飛んでいた。距離を詰めたテーブルからは女性の姿は消え、振り返れば、あたしのいた場所のすぐそばに、一瞬前まで椅子に座っていた長い髪の女性が立っていた。
 ―――ま、魔方陣もアイテムもなしの転送魔法!? し、信じられない……この人、一体何者よ!?
 突然現れ、そして消え、背後からまた現れる。その不可思議さに、まるで幽霊を相手にしているかのような恐怖が沸き起こる―――けれど、間違いなく人間だ。その目には、彼女の出現に唯一反応できたあたしへの興味の感情がありありと見て取れる。
 まるで娼婦が身にまとうようなドレス風のワンピースに肌を露わにした肩をふわりと覆うカーディガン。すらりと伸びた体の完璧とも言えるプロポーションを惜しげもなく見せつけるその姿は刺激的ではあるものの、どこかこの世のものとも思えないオーラを漂わせているように感じられる。
 整った顔立ちにあたしを観察するかのように見つめる瞳。豊満な乳房からくびれたウエストへと続くラインに目を奪われそうになるけれど、絶世の美女を前にしてもなお、あたしの頭の中は先ほど投げかけられた言葉でいっぱいになっている。
 ―――美しさがこの人の本質じゃない。なに? 転送魔法で50点? 半分正解……と言うのは転送・転移の部分だろうから、残り半分は……なにが間違ってるの!?
 普段なら「半分は不正解」と言われても気にも留めないだろう。せいぜい「う〜ん…」と頭をひねる程度で考えることを放棄する。それなのに、長くしなやかな指にキセルを挟んでいるその女性に見つめられていると、まるで先生に質問をされて立たされているような気分になってしまう。
 ―――あ、あんまりいい気分じゃないなァ! でも、考えなきゃ……通常の転送魔法とは違う転送……それは、
「時間の概念も含めた……空間跳躍……」
 違う答えは意外なほどにあっさりとあたしの唇からこぼれた。
 アイハラン村の鎮魂祭のあの日……森の中の空き地に描かれた魔法陣から湖の中心に立つ神殿の前へと転送された。その直後に、あのクソ忌々しい魔王の書が復活して、あたしの体が女に変わってしまったのだ。何度も記憶が擦り切れるほど思い返したあの運命の日の出来事を、何か一つでも忘れられるはずがない。
 そして魔王の書とともに大陸西部域のアイハランから大陸南部域のフジエーダ近郊にまで、あたしは三ヶ月という時間と共に“跳”んだのだ。―――それが「時間の概念も含めた空間跳躍」。クラウド王国の王女・静香さんの付き人で、魔法の造詣にも詳しいジャスミンさんに教えてもらった言葉だ。もっとも自分じゃ意味もよくわかっていないし、ジャスミンさんも「可能性がある」と言っていたので、魔王になり、女になるのと同時に南部域にまで空間跳躍した理屈や原因は未だにわかっていない。
 ただ―――あたしの漏らした言葉は女性が満足するものではあったらしい。
「惜しいな。それは他人の言葉でおまえ自身の言葉ではない。だがその助言を与えてくれる人間がいることは評価しよう………75点だ」
「ほ……ほえ〜………」
 そう言って女性が笑みを濃くすると、あたしは気が抜けてしまい、ヘナヘナと床に座り込んでしまう。
「突然入室して皆様を驚かせ、申し訳ないと思っている。私は留美=五条というものだ」
 苗字があるなんて珍しい……普通、名前の後に苗字が付くことはない。たとえが静香=オードリー=クラウディアのように王族や貴族には姓が一つ、ないし二つ付くことはある。苗字は権威の象徴であり、その人物の血脈の正当性の証明でもある。
 一般人でも姓名で名乗る場合がある。自分が怪しい者でないことを証明するときなど、名前の前か後ろに出身地や所属国を付けて、それを身分証明とするのだ。あたしなら「アイハラン村のたくや」もしくは「たくや=アイハラン」となる。
 けれど留美と名乗った女性の苗字は、発音が少々独特だ。地名を示す発音ではない。ならばそれなりに高い地位の生まれの人なのだろう。
「さて……身分証明はこれで良いかな?」
 まだ辞退を飲み込めていないあたしを含めた室内の人間の前で、留美さんは服の胸元に手を差し入れ、大胆に露出した深い谷間からカードを一枚引き抜いた……てか、なんてところに入れてるんだ!?
「………げッ、ブルーカード!?」
 胸の谷間から…と言うことに驚くあたしの横で、大介も声を上げる。けれどそれはあたしと違い、留美さんが取り出したカードを見たことで漏れた声だ。
「確かに青いカードだけど……あれがどうかしたの?」
「ば、馬鹿、たくやちゃん、ブルーカードを知らねーのかよ!? あれは冒険者ギルド直属の嘱託冒険者の証明書なんだよ!」
「嘱託……それってつまり、仕事を任せるって意味でしょ? あたしたちとなにが違うのよ?」
「全然違う! あれ、サファイアで出来た冒険者カードだけど、あれ持ってるやつはギルドで公開されてる仕事じゃなくて、AランクやSランク、それ以上の誰の手にも負えないような超難度の依頼を冒険者ギルドに頼まれるんだよ、「お願いだから是非解決してください」ってな!」
「なっ……ギルドが頭下げるの!?」
「そうだよ。つまりあれは超がつくほど一流の実力を持つ冒険者の証明書ってわけだ。大陸中にいるブルーカード保持者は十人といないらしいけど、場合によちゃ一国の王様よりも強大な権限を振るうことも出来る、まさに最強の冒険者だ」
「ひ、ひえぇぇぇ……そんな人が何でここに!?」
「オレだって聞きたいよ!………ま、敵ではなさそうだけどな」
 見れば、あたしが飛びのいたり飛び出したりしたせいで置いてけぼりを食らい、こちらの会話ですぐ隣にいる留美さんがどれだけスゴい人なのかと知ってしまった綾乃ちゃんが、緊張で硬直してガクガクブルブルと震えている。留美さんはそんな綾乃ちゃんの肩に手を回し、強張った肩を揉み解しながら、室内にいる人間一人一人へ順番に目を向けていく。
 そして最後にあたしと視線を合わせると、緊張がほぐれて目を回しだした綾乃ちゃんを倒さないように抱きかかえて支えながら、気を失っている弘二以外の全員にはっきりとこう告げた。
「この村で何かトラブルが起きているようだけれど、私はある調査にきただけだから一切関知しない。もし私に依頼をしたいのなら100万ゴールド(=1億円)用意してもらおうか?」


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