第十章「水賊」07


「魔力剣!」
 顔も見たくないほど嫌いなヤツにあったら、有無を言わさず必殺技だ。
 罠にはめられ逃げ場のない船に乗せられ、いわれのない財宝隠しの嫌疑をかけられ、挙句の果てには人海戦術と攻撃魔法。ただでさえ散々な目にあっているのに、そこへフジエーダで散々な目に合わせてくれた張本人が現われたのだ。脳天から真っ二つにしても神様は許してくださることだろう。
「ぶ、物騒な事を言うねキミは!」
 ――ありゃ、声に出てたか……ま、いいや。
 なにはともあれ、黒いローブを身にまとった佐野へ飛びかかったあたしは、手にした片刃のショートソードに無理やり魔力を流し込む。
 要は細い管に水を流すと勢いよく出てくるアレだ、ジェットだ、水撒きだ。本来なら魔力の流れる経路のない刀身が羽虫の羽ばたきのような音を響かせ震えるのを手の平に感じながら、圧縮した魔力を刀身共々振り抜いた。
「ははは、無駄なこと。ボクの周囲には五重の障壁が張り巡らせて―――」
 ――あたしの魔力剣は魔力の障壁や結界を切り壊すことにこそ威力を発揮する。
 偉そうに笑った佐野が、自慢の障壁をあっさり破られると、さすがに言葉を失った。……いや、言葉を切ったのは障壁破壊の際の能への衝撃のフィードバックのせいだろう。そのおかげで佐野の身体はよろめき、尻餅を突き、おかげであたしの件は鼻先を掠めるだけに終わってしまう。
 今度は確実にしとめる……床に座り込んで動けないのなら好都合だ。魔力放出の余韻が残る剣を右上に引き上げ、片手突きによる二撃目を放つ。
 ―――ギィイイイイィィイイイイイイィ!
 残念な事に、あたしの剣はすぐさま復活した障壁に刀身半ばを絡め取られ、佐野まで届かなかった。―――せめてあと十センチ進んでいたら、先っぽぐらい突き刺さったのに。残念な事この上ない。
「き、君は人の話も聞けないほどの野蛮人なのか!? 僕が喋っているのだから、黙って聞いていればいいんだ!」
「聞くわけないでしょ犯罪人!」
「いいや、キミは聞きたいはずだ。どうしてこんな連中の下にボクがいるのかを。フジエーダから空間転移したボクのその後を! そ、そうとも、僕が落ちぶれたのにはキミが深く関わっているのだから!」
「聞く耳持たないって言ったはずよ! それに、八つ当たりなんてみっともないわよ。さあ、男らしく刺されなさい!」
 とか言いながら、魔力剣一発目の余韻と障壁に挟み込まれている衝撃とでダメージを受けているショートソードに、粉砕させないよう徐々に魔力を込めながら柄に体重を掛けていく。
「だだだだだがキミのせいなんだぞ!? 君が邪魔さえしなければ今ごろボクは魔王として大陸支配に乗り出してギャ―――! 先が、切っ先が額にィィィ!!!」
 より、あと少しだ。頭に剣が刺さったら生きてはいないだろうけど、お尋ね者はデッドオアアライブ、生死関係無しと言うのが大陸中で共通のルール。フジエーダの一件で指名手配されている佐野に手加減も容赦も無用……のはずなのだが、
「せ……先輩!」
 綾乃ちゃんの驚いた……いや、今にも泣き出しそうなのが感じ取れるほど震え、張り詰めた声に、あたしの手は動きを止めた。
 ―――フジエーダでの体験は時折夢に見る。
 凌辱に注ぐ凌辱……いくら体を洗ってもむせ返るほどの精液を浴びせかけられた肌に、まだあの時の感触を思い返すことがある。女の身体に変わってしまった事を悲しんでも、それでもまだ足りずに苦しんでしまう。………そしてそれ以上に、街中の人から向けられた怒りと怨みの眼差しは、未だにあたしの胸を締め付けてやまない。
 それもこれも全て、目の前にいる男の馬鹿げた願望のせいに他ならない。だからあたしには、この剣を突き刺す権利があってもいいはずなのに……引き止める綾乃ちゃんの声が、もう少しで踏み出してしまっていた後戻りの出来ない一歩を引き戻してくれた。
「………綾乃ちゃんに感謝しなさい。あんたは生かしたまま憲兵に突き出してあげるから」
 あたしは違う。こんな事をする人間じゃない。
 大穴の空いた壁から流れ込む湿った空気を大きく吸い込み、吐き出す。すると強烈な震えが一気に全身に駆け巡る。……少し、違う。あたしが感じていなかっただけで、佐野と相対してからずっと震えていたのだ。
 そんなことにも気付けないほど精神的に追い詰められていた事には反省も自戒も感じはしない。ただ、極度の緊張から開放されたことで、そして最後の一線を踏み越えなかった事で、以前“あたしのまま”である事を実感しながら、佐野の障壁から剣を引き抜いた。
「お姉様……あの……」
「恐がらせちゃってゴメンね、舞子ちゃん。もう終わったから」
 切っ先についた赤い血を振り払い、ショートソードを鞘に戻すと、ベッドの上で心配しすぎている舞子ちゃんへと振り返って優しく微笑みかける。ただそれだけで可愛らしい顔に鼻が咲いたかのような笑顔が浮かび上がってくる。
 ―――だが、
「お姉様、危ない!」
「先輩、まだ!」
 舞子ちゃんと綾乃ちゃんの二人が、同時に声を上げて危険を知らせる。……けれど、県を治めて気を緩めた直後のあたしは、その声への反応が致命的なまでに遅れてしまう。
「……確信した。君は見違えるほどに強くなった」
 篭手をつけた左腕を掴まれる。それが何を意味するのか理解しないまま再び振り返り―――身を起こした佐野と視線が絡み合う。
「だが、弱い」
 左腕から全身に駆け巡る悪寒。とっさに腕を振り払い、逃げなければ……と、頭が考えたのに、気を緩めた手足が動き出すのはさらに一拍遅れてからだ。
「マズ―――」
「ショックウェイブ!」
 佐野の腕を振り解く前に、佐野の呪文が完成し、握られた左腕から強力な振動波が送り込まれる。筋肉が、骨が、異様な軋みを響かせて痙攣し、電撃を食らったように仰け反ったあたしの口からは音にならない悲鳴が迸る。
「ぁ………」
 振動が走った時間は一秒もない。だけど、左腕の感覚がない。視線を向けても、見ているものがなんなのかを理解できない。
 全身から力が失われ、ガックリと膝を突く。入れ替わるように立ち上がった佐野があたしの左腕を掴んだままであったため、床に突っ伏しはしなかったものの、
「超振動を直接流し込まれては、いかに高い魔法抵抗力を持っていても無意味だ。―――もっとも、常人であれば死んでもおかしくないのだがね」
「―――――――――っ!!!」
 いっそ、手を離されて床に倒れた方がマシだった。二度、三度と断続的に強烈な振動の波があたしの身体を打ちのめす。振動による異常な緊縮の後、ボロボロになった筋肉が弛緩し切った頃合を見計らって佐野が魔法を使うため、回数を重ねるほどにあたしの身体は蓄積するダメージで面白いように“壊れて”いく。
「ぁ………っ…ぁ…………」
「まだ意識が残っているとはね。僕が見込んだ女性だけあって、さすがだよ。でも――」
 あたしの耳に呪文を唱える佐野の声がかすかに届く。
 次の魔法を受けた後でも、こうして何かを考えていられるかは分からない。……だけど、あたしが意識を失いかけて佐野が油断している今しか、この状況から逃げ出すチャンスはない。
「先輩、目をあけてください、返事をして、先輩ィ!」
「いやぁああああああっ! お姉様、お姉様が死んじゃうぅ〜〜〜!」
 ………大丈夫だって。今度だって……あたしは…………
 あたしを心配してくれる二人の女の子の涙声を聞いて、意識と身体に火が灯る。
「これが最後……壊しはしない。けど、二度とボクに逆らおうと思えなくなるように、一番痛い思いをしてもらうよ」
 ―――興奮……佐野は、興奮してる……あたしが、自分の前で力なくうな垂れているのを見て、明らかに…興奮している………なら!
 ここしかないというタイミングであたしは目を見開く。顔が床を向いていては佐野が気付くのは遅れるはずだと高をくくり、垂れ下がっている右手の平に意識を集中させる。
「……シワン、カイナ」
 佐野を倒し、残った水賊たちを相手にできるモンスターは、あたしが頼りにしている四本腕の鬼神しかいない。
 現われた魔封玉は投じなくてもいい。手の上に現われた小さな赤珠は―――
「無駄だよ。キミの事は全て把握し、対策を打っている」
「………!?」
 ――封印が解けない……モンスターが現われない!?
 魔封玉が弾けようとするその瞬間、あたしの手の上に細長いものが飛んでいく。それが蜜蜘蛛の魔封玉に巻きつき、出現を押さえ込んだ白い布だと数秒遅れて気付いた時には、シワンカイナの魔封玉も同様に幾重にも巻き疲れ、あたしの横に転がってしまっていた。
「そん……くぁあああぁぁああぁあああああああああああああっ!!!」
 また、あたしの身体へ振動が流し込まれてしまう。
「うあっ、やめ、んぁああああああああ―――――――――――――――――――!!!」
「ふふふ……その声だよ。傷ついたボクの心を癒してくれるのは、やはりキミのその叫び声に他ならない!」
 長く続く振動に瞳からは涙が溢れ、力が入らないはずの身体が勝手にガタガタ踊り出す。緊縮した筋肉に締め上げられて全身の骨からひび割れの音が鳴り、頭の中はオルガズムにも似た白い火花に焼き尽くされる。
「もしキミが戦士か魔法使いだったなら、おそらく立場は逆だっただろう。いくら比類なき力を振るおうとも、中途半端なままでは天才のボクには敵わないという事さ!」
「イヤァァァァアアアアアアアアッ! アアアッ、アッ、イッ、イァアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
「ほうら、もっと鳴け。その甘美な悲鳴をもっと僕に聞かせるんだ! 逆らおうとしたその罪を、骨の髄まで味わうといい!」
 体は痙攣が小刻みになりすぎて完全に硬直してしまっていた。天井を向くほど背中は反り返り、開きっぱなしの唇からは悲痛な叫びが迸り続ける。
 意識は飛んでいる……いや、何度と鳴く吹き飛んでしまっているはずなのに、狂気に満ちた佐野の振動責めによって一瞬として気を失うという安寧は与えてもらえない。終わる事無く続く揺れ動く世界での苦痛は振動の牙となって、あたしの身体を内側から食い破ろうと暴れ狂っていた。
 どうにかして逃げ出す方法を考えようとするけれど、全身の神経を犯す振動に処理するだけで脳は焼き切れてしまっている。開いた口では舌を噛む事も出来ない。指一本動かせずに震え悶える事しか許されない状況は、まさに死よりも苦しい責め苦だ。
 縦横無尽に揺らされたあたしと言う“存在”は、輪郭から徐々に崩れてゆき、もう欠片しか残っていない。このまま消え行くのかと――いや、それすら考えられなくなってしまったあたしの耳に、何故か、その声だけははっきりと聞こえてきた。
「お姉様をいじめないでぇぇぇ!!!」
 ―――振動が止まる。それと同時にあたしの左腕は佐野の手から離れ、そのままゆっくりと――そしてようやく、固い床へと倒れこめた。
「死んじゃヤダ、お姉様、目をあけて、舞子を見てください、お姉様ぁ〜〜〜〜〜〜!」
「………ま………ぃ……こ……………ぁ………」
「お姉様ぁあああああぁ♪」
 揺さぶられていると分かったのに、何秒かかったのかは分からない。それでも必死の呼びかけに答えて重たい目蓋を開けると、そこには涙でグシャグシャになった顔であたしの顔を覗きこんでいる舞子ちゃんが、いた。
「………――! に……にげ…………あたし……いぃから…………はや、くゥ……!」
「舞子なら大丈夫ぅ〜。お姉さまをひどい目にあわせた人なんてぇ、舞子、絶対に許せません〜!」
「………ぇ?」
 体の内側に振動の余韻が残っていて体はいまだ動かせない。舌先まで痺れていて喋るのにさえ一苦労ではあるものの、意識だけは一足先に周囲を認識できる程度に回復する。―――そんなあたしが見たものは、床にひざまずく黒衣の佐野の姿と、あたしと舞子ちゃんを取り囲むように宙に浮いている無数の玉と金属片だった。
 水晶のように透き通る玉は握りこぶし、金属片は薄いものの玉の方と同じぐらいの大きさだ。無数といっても浮遊している玉の数は十個もなく、その代わりに隙間を金属片が埋めていると言う感じだった。
 これは何?―――さすがにマジックアイテムの類である事は予測がつく。故郷のアイハラン村で宙に浮くアイテムぐらいは目にした事もあるけれど、これだけの数が同時に宙に浮いていると、どうやって佐野を押しているのか検討もつかなかった。
「ウェイブブリット!」
 フジエーダでの騒乱で杖を失った佐野は、以前のように呪文無しで魔法を発動させる事は出来ない。けれど発動した不可視の魔法の威力は十分な威力を秘めている。
「し…シールドぉ!」
 それに対する舞子ちゃんは、いまいち頼りなげではあるが……呪文もなく、ただ一言叫んだだけで、宙に浮く金属片たちが寄り集まり、空中で巨大な盾を形作る。
「なっ!?」
「攻撃ですぅ〜!」
 驚きの声を上げるあたしの目の前で振動弾が弾き飛ばされる。そして以前と異なり連射できなくなった魔法の間隙を縫い、盾の横から数えて八個の宝玉が佐野へ向かって突っ込んでいった。
「ぐはっ!」
 盾がほどけてバラバラになるのと同時に、開けた視界の向こうで八個の宝玉のいくつかに障壁を突き破られて悶絶している佐野の姿があった。いくら障壁が堅固でも、全方位から攻撃されては意識の向いていない方が弱くなる。そこを攻められているのだ。
 だけど、一撃の威力が弱い。障壁を突き破るだけで精一杯なのか、何度か佐野の身体に命中しているのに昏倒させられない。そのため、全力の障壁にはじき返された宝玉が舞子ちゃんの元へ戻ってきたところで、佐野に奥の手を使わせてしまうことになる。
「い…いい加減にしたまえ! ボクを、誰だと心得るぅ!」
 叫び、佐野は黒衣の袖を振る。
 そこからフジエーダでも苦しめられた無数の魔蟲(バグ)が現われるのかと思ったけれど、予想に反し、出てきたのはあたしの魔封玉を封じ込んだあの白い布の束だった。
「なかなかに面白いマジックアイテムだったよ。よほど希少なアイテムには違いないのだろうが……残念な事に、このボクには通用しない!」
 舞子ちゃんの宝玉や金属片と同じように宙に浮いた白い布は、白い蛇の如く、一斉に空中を泳いで襲い掛かってくる。そして、攻撃してくるのはあたしや舞子ちゃんではなく、佐野にとって邪魔な宝玉や金属片を対象としていた。
「や、やめてくださいぃ〜!」
 あたふたしながら舞子ちゃんが金属片と宝玉を操ろうとするけれど、既に遅かった。白い布に絡めとられた金属片は力を失って床に次々に落ちていく。大きめの宝玉は抵抗しようとしたけれど、幾重にも覆われてしまうと金属片と同様の運命をたどり、ゴトンと音を立てて床に転がる事となった。
「そ、そんなぁ……」
「……封印魔術。そんなのまで使えるなんてね」
 多少回復し、まともにしゃべれるようになったあたしの口からこぼれた言葉に、優位を取り戻した佐野が興味を引かれたようだ。
「強い魔力に反応して自動で襲い掛かってくる封印帯……厄介なもの持ってんのね。それがあたしの魔封玉対策って訳ね」
「その通り」
 誤魔化す事もせず、水賊たちを後ろにしたままひざまずいた佐野は、小さな封印帯びに押さえ込まれた蜜蜘蛛とシワンカイナの魔封玉を拾い上げた。
「どのような理屈でモンスターをここまで小さくして封じ込めているのかは分かっていないが、開放の瞬間に強い魔力を放つことはフジエーダで確認させてもらっている。対策を練るのは比較的簡単だったよ」
 指先大の魔封玉は、今はクルミ大の大きさの布の玉だ。それを手の平で転がしながら余裕の表情を浮かべる佐野を見て、あたしは言葉を一度頭の中で転がして吟味してから、声に出した。
「そうよね……弱くなっちゃったから姑息な手段に出るしかないもんね」
 ―――ピキッ
 「弱くなった」「姑息」と言う言葉は、自信過剰の佐野のプライドを刺激するのに十分だ。しかもあたしに一度、舞子ちゃんにもう一度、床に膝を突かされたのはまだ忘却してはいないだろう。
「魔法の杖はどうしたの? てっきり魔蟲を出してくるかと思ったけど? 不意打ちやだまし討ちばっかりだもん。全然男らしくないじゃない」
「う、ぬ、ぐッ……!」
 平静を装っているようでも、メガネの位置を直す手が既に震えている。
「フジエーダでもそうだったよね。最初は王様気取りでやってきたのに、あたしの前から逃げ出したの、何回あったっけ?」
「に…逃げたのではない……あれは戦略的撤退だ。それに、逃げた回数が多いのは、キミの方、だろうが…!」
 ―――おっし、いい感じに声が震えてきた。もう一押しかな?
「ふ〜ん……ま、そう言う事にしといてあげる。一千もの軍勢連れてた人と身体一つで戦ったあたしを、周囲がどういう風にとらえるか、だけどね」
 意味ありげに視線を逸らして、佐野の背後に控える水賊たちを見る。
 前から佐野の評判は悪かったのだろう。あたしが倒されても歓声一つ上げなかったし、不意打ちの巨大振動弾で数人の仲間が巻き添えになっている。心に抱いた不信感は佐野が勝利を目前にしているのに、
 ―――あの女には負けてないって言ってなかったっけ?
  ―――本当は弱いんじゃないか? タイマンじゃ勝てなかったんだろ?
   ―――口だけなんだよ、あの野郎。中身は街一つ落とせなかったチキン野郎さ。
 と、その実力を疑問視して囁き、ざわめき始める。
「かわいそ〜……誰にも信頼されてないんだね」
「だ………ッ!!!」
 本人も仲間がいない事を気にしていたのだろう。へたり込んでるけど余裕を持って……ついでに「ハッ!」と小バカにするように鼻を鳴らすと、なぜか佐野のかけてるメガネのレンズにピシッとヒビが入り、血圧が急上昇して顔どころか耳や首まで真っ赤になる。
「舞子ちゃん、いい? あ〜いう人に近づいちゃダメよ。あ〜言うタイプって女のこの事なんてち〜っともわかってないのにわかってるつもりになってるだけの人だから。わかった?」
 駄目押しに、わざと佐野にも聞こえるように舞子ちゃんにささやく。別に隠すつもりもない、本当のことだから。
「え………」
 しかも舞子ちゃんの反応は予想通り。ワナワナ震えて立ち尽くしている佐野におびえた視線を向けると、床に座り込んでるあたしの背中に隠れてしまう。
「お姉様ぁ……あ、あの変態さん、舞子のこと睨んでて恐いですぅ〜……」
「ヘンタ―――ッ!?」
 ―――うわ〜…舞子ちゃん、何気に自分でトドメさしちゃったよ。
「き……キ……キサ……貴様等ぁッ!!! 言うに事欠いてこのボクが、へ、変態で、仲間がいなくて、変態で、が…ぎ…がッ…ガァアアアアアアアアアア!!!」
「んじゃメガネ君」
「誰がメガネだぁあああああああああああ!!!」
 ―――今なら何言っても悪口になるなぁ。なんか楽しいぞ。
 このまま放っておけば勝手に頭の血管が切れて自滅しそうだけど、その前に攻撃されたら終わりだ。
 舞子ちゃんの手を借り、今にも爆発しそうな佐野と対峙する。一歩か二歩だけでも前に進めれば切りつけられるけれど、まだ振動魔法の余韻が全身に色濃く残っている。膝は震えていてまっすぐ立てないし、左腕はくっ付いてはいるものの直接振動を流し込まれた場所だけあって、まだ指先も動かせないほど感覚が戻っていない。
「それじゃあ勝たせてもらおうかな、メ・ガ・ネ・く・ん♪」
 ―――けど、不思議と負ける気だけはしないのよね。
 佐野が怒り狂っている分、こっちは随分と冷静で余裕を持っていられる。
 右手の中に魔封玉を二個出す。……ここで攻撃魔法を出されたら終わりだ。けれど佐野は袖から白い封印帯を空中へ巻き、あたしの攻撃手段を封じる策に出てくれる。
 ―――第一段階は、よし。
「あたしを倒したかったら全力できなさいよね。せっかくダメージのハンデを上げたんだから……これで負けたら外を歩けなくなっちゃうわよ」
「い、言わせて…おけばぁ……! 言われるまでもなく、自分の無力さを嘆かせてくれるわぁ!」
 佐野がいい感じに頭来てる……それを確かめたあたしは顔をしかめながら身体ごと右腕を振って、二個の魔封玉を左右に分けて投じる。
「オーク! ポチ!」
 右は半豚半人のオーク、左は大型の黒炎獣のポチの魔封玉……だが、佐野の周囲を取り巻いていた封印帯びは一斉に左右に分かれ、二個の魔封玉へと殺到する。
 ―――予想どおりね。じゃあ、第二段階!
 佐野の封印帯は、確かに魔封玉にとって天敵かもしれない。その特性は、二度の魔封玉の封印と舞子ちゃんのマジックアイテムの封印とで計三回、目の前で確かめている。
 特性の一つ目は、呪文を唱えずにオートで封印にかかっていることだ。その動きは素早く、数え切れない数の金属片を全て使用不能にしたことででも、その能力を見て取れる。おそらく、この船室の中ではどこで魔封玉を出しても封印の射程圏内から逃げられないと思う。―――これは自分の呪文詠唱を阻害されたくないからだろう。
 二つ目の特性は、封印対象の魔力量によって封印帯の巻きつく量が変わること。舞子ちゃんが使った宝玉と金属片、数が多くて小さな金属片の方が一つ一つに込められた魔力が少ないのだろう、封印帯はほとんど一重二重だったけれど、数が八個しかない宝玉やあたしの魔封玉には何重にも巻きついている。どれだけ魔力を込めても封印帯に余裕がある限り、破る事は難しいと言わざるを得ない。
 三つ目の特性……それは、あたしの魔力剣や佐野の魔法使用に反応しなかったから、人に対しては無効だと言う事だ。けれど今のあたしには魔力剣をもう一度使う力は残っていないので、今はあまり関係ないだろう。
 最大の特徴はオートでこちらのマジックアイテムを封印できる点だ。呪文の詠唱に集中しなければいけない魔法使いにとっては相手の攻撃手段を封じてしまえるこの封印帯は便利な事この上ないだろう。現に……あたしの投じた二つの魔封玉は既に白い布の玉と化し、今にも床に落ちようとしていた。
「ジェル!」
 そして三投目……と言っても、投げたのは天井付近。あたしと佐野の中間に位置する距離へ放物線を描くように投げ上げる。
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ぁぁぁ!!!」
 佐野が連呼するように、二つに分かれて渦巻いた封印帯から余剰分が天井へと向かい、ジェルの魔封玉を絡め取る―――が、それも作戦の内だ。
 ジェルはあたしと契約したモンスターの中では一番魔力量が多い。そのため左右の渦から天井へと上がって行く封印帯の数もかなり多く、あたしと佐野の間は白い封印帯の壁で見通しが悪くなる。
 ―――第二段階、オッケー。それじゃあ……!
「この様な目くらまし、ボクには何の意味もなしはしないぃぃぃ!!!」
 封印帯の目くらましの向こうで、佐野が魔法を放とうと両手を構える。それと同時に、あたしは残った力を振り絞って右手を顔の横に構え―――叫ぶ。
「ゴブアサシン!」
「何度無駄だと言ったら―――なっ!?」
 佐野の口から驚きの言葉が漏れ、それと時を同じくして船の通路に集まっていた水賊たちの口からも驚愕の声が上がる。
「え? え? な、なんでですか〜〜〜!?」
 モンスターの封印がとかれたのは、船室の中ではなく通路……綾乃ちゃんの服の襟に隠しておいた一玉だ。
 青白い一瞬の閃光に船室を飛び交っていた封印帯たちが一斉に反応して扉のあった場所へと殺到する。………だけど遅い。左右に投じたオークとポチの魔封玉は上から封印されて床に転がったけれど、必死に抵抗しているジェルの魔封玉はまだ封印され終わってはいない。
 封印帯の大部分が船室の天井近くにあっては、佐野を通り過ぎて通路に出るまでには若干のタイムラグがある。―――その一瞬の差で、黒装束に幽体を包んだゴブリンのリビングメイル、ゴブアサシンが綾乃ちゃんの頭上に姿を現した。
「………!」
「こ、このチビ、うわぁあぁァぁ〜〜〜!!!」
 小柄なゴブアサシンは腰の短剣二本を抜くと、迫り来る封印帯を切り払う。そして返す刀で水賊のボスに切りつけ、綾乃ちゃんを戒める紐を切り落とすしてしまう。
「アニキ、なんだこれ、どうしろって、ええい、人質を逃がすなぁ!」
「そんな子と言われたって何にも見えなンブッ!」
「クソ魔道師、さっさと何とかしろぉ! テメェ、この役立たずがぁ!!!」
 それと同時に、視界を多いつくすほどの大量の封印帯が船室から通路へとあふれ出し、水賊たちはパニックに陥った。
「しまったぁ!」
 いまさら後悔してももう遅い。自動で動くアイテムほど、ある条件下では制御しづらいものはないのだから。
 あの封印帯は自動的に封印対象に絡みつく。ゴブアサシンが開放されて“対象が途中で消えてなくなった”高度な判断を必要とする場合を想定されてはいないだろう。
 対象を求めて周囲を渦巻く封印帯に訳もわからず剣を抜いて仲間を傷つけ、それが呼び水となって混乱は加速度的に激しさを増す。……その中から、ゴブアサシンに手を引かれた綾乃ちゃんが船室の中へと飛び出してきた。
「行かせるものか。せめてお前だけでも――」
「ファイヤーボール!」
 襲いかかろうとする佐野の前で、手の平を突き出して呪文を唱える綾乃ちゃん……だが、面識はあっても佐野は知らないだろう。綾乃ちゃんの魔法の発動率がものすごく低い事を。なにしろ、初対面では佐野の馬車を綾乃ちゃんは障壁の魔法で壊してしまっているんだから。
「ヒッ!?」
 佐野が張り巡らせている障壁には耐火障壁も含まれているだろう……が、反射的に顔を両腕でかばってしまう。
「綾乃ちゃん、ナイス! 出番よ、ゴブリンアーマーズ!」
 背中を向けた佐野の頭上に残った魔封玉を投げる。通路に全て移動した封印帯は、今度は水賊たちのパニックもあって移動にさらに時間をかけてしまい、四体の小柄なリビングメイルが姿を現すのには到底間に合わない。落下の勢いに任せて上方から佐野の結界へ剣を、槍を、盾を、トゲ突き鉄球を叩きつけるその隙に、あたしは駆け寄ってきた綾乃ちゃんに手を伸ばし、何か言う前にその背中に回りこむ。
「先輩、あの、すみませんでいた。私いきなり捕まって―――」
「謝るのはこっち。綾乃ちゃん、今からゴメン!」
 封印帯が少しずつでも船室に戻ってきている以上、時間の余裕はない。綾乃ちゃんの手に最後の一個の魔封玉を握らせると、ゴブアサシンに目配せし、足を持たせ――
「てな訳で……飛び降りて!」
 ……心の中で何度も謝りながら、嵐吹き荒れる夜闇の広がる壁の大穴へと綾乃ちゃんを押し出した。
「え…え――――――!? な、なんでですか!? どうして私は突き落とされちゃうんですかぁ!?」
「落っこちても大丈夫。プラズマタートルを呼び出すからそれに捕まってれば」
「でも、お外、真っ暗なんですよ!? 高いんですよ!? 死んじゃいます〜〜〜!!!」
「だけど三人で逃げるには、これしか手段はないの。舞子ちゃんも、綾乃ちゃんに続いて飛び込んで!」
 いくらなんでも、この状況で佐野と大勢の水賊を相手にするのは分が悪すぎる。舞子ちゃんのマジックアイテムは封じられて、あたしは振動魔法の影響から脱し切れずに立っているのがやっとだ。魔封玉が封印されてしまう今、逃げて生き延びる事だけを考えるべきだ。
 あとは時間との勝負。せめて佐野をゴブリンアーマーズが足止めしている間に逃げ切らないと……と、あたしが焦りながら振り向いた先でそれは起こった。
 ―――ドゴン! ドゴゴンゴン!
「……んな………」
 ゴブリンアーマーズの四体が、ものの見事に床へめり込んでいる……佐野も、パニックから脱しつつあった水賊たちもあっけに取られ、胸まで埋まった金属鎧に無言で注目してしまっている。
「あ…あんたら全員ダイエットしろぉ!」
『そんなこと言ったって、体が重いんやからしょうがないやんか〜!』
「だったらレザーアーマーにしてあげるわよ、あんたたち全員!」
『殺生な〜! てか、その前に引き上げて……て』
 ―――ドガドゴバキャベキャズゴゴンドッスンドボン!!!
『あらァアアアァァァ〜〜〜〜〜〜………!』
 ……なんか……助ける云々の前に下に落っこちていっちゃった……
 佐野の巨大振動弾で床が痛んでいたせいもあって、ゴブリンアーマーズは鎧の自重で床を突き抜け、盛大な音を響かせて落っこちていってしまう。声がだんだんと小さくなり、最後には聞こえなくなったから……もしかすると船底まで突き抜けてしまったのかもしれない。
 ―――どうする…か……
 やっぱり女の子に、高い場所から嵐の中で飛び降りてと言うのが無理があった……まあ、あたしでも足がすくんで飛び降りられないだろうけど。
 けれど足止めのゴブリンアーマーズがいなくなり、これであたしたちが逃げを打つしかない事を知った佐野と水賊たちを相手にしなければならなくなってしまったわけで……
「―――綾乃ちゃん、もう一回ゴメン。……プラズマタートル!」
 最後にもう一度謝って、あたしは壁の穴を前にして飛び込めないでいる綾乃ちゃんの背中を肩で突き飛ばした。
「え?―――き、きゃああああああぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜………………!!!」
 叫び声がどんどん小さくなっていくけれど、ゴブアサシンが一緒に跳んでくれたから大丈夫だろう。
 綾乃ちゃんの落水の音は嵐にかき消されて聞こえないけれど、大丈夫だろうと思う……いや、大丈夫だ。そう信じて、あたしは辛うじて動く程度の右腕でショートソードを引き抜いた。そして不気味な笑みを浮かべ、冷たい視線を向ける佐野へとまっすぐに向ける。
「く……く……くくっ………さすがだよ。あの状況からボクをあそこまでコケにするなんてね……」
「我々もですよ……普段ならば見事と褒めたいところですが、水賊はプライドを大事にしておりますからなぁ……」
 一人、また一人と、武器を構えた水賊たちが船室に足を踏み入れてくる。パニックが収まり、怒りをあたし一人に向けているせいか、異様な雰囲気は別として時間はゆっくりと流れていく。
「さて……どうするんです? フジエーダを救ったキミが、まさか仲間の女性を一人残して飛び降りる事はないですよね……ほら、逃げたければどうぞ」
 呪文を唱え終わり、既に魔法を放つ準備を整えっている……あたしが穴へ身を躍らせれば、すぐさま攻撃しようと言う魂胆だろう。
「………………」
 だったら……あたしのすることは一つだ。舞子ちゃんを後ろにかばうと、唇を噛み締めながら壁の大穴へと後退さっていく。
「舞子ちゃん……悪いんだけど、一人で飛び込んでくれる?」
「お…お姉様……」
「あたしはここで盾になるから。……大丈夫。下にいる綾乃ちゃんがちゃんと受け止めてくれる。それに聞きたいことがあるんなら、あたしを殺しはしないでしょう?」
 視線を向けた先の水賊のボスは、こちらの言葉に柔和な商人の顔を崩し、確かに水賊たちをまとめるボスであると見てわかるような迫力のある笑みを見せる。
「ええ、殺しません。あなたが財宝の隠し場所を吐いた後も、絶対に死なさずに徹底的に嬲りつくして差し上げますよ。優秀な治療術師も知っていますしね」
「………そりゃどうも」
 想像しただけでチビりそう……だけど、ここで舞子ちゃんを放って背を向ける事は出来ない。
 剣を握る。
 体はボロボロでも、立ってさえいられれば舞子ちゃんをかばうことが出来る。
 覚悟は決まった……意を決し、舞子ちゃんを背中で穴へと押し出そうとしたその瞬間―――あたしの体は嵐の夜へと飛び出していた。
「舞子……お姉さまにあえて、本当に嬉しかったですぅ♪」
 あたしの体をさけて、逆に突き飛ばした舞子ちゃんが笑顔を浮かべている。
 そこに一人残る意味を聞かされて、それなのにどうして笑っていられるのか……なんで、あたしを助けようとするのか?
「ダ――――――!」
 剣を捨て、右手を離れていく舞子ちゃんへと伸ばす。
 舞子ちゃんも思わずあたしの手を取ろうとして―――
「ウェイブランス!」
 ………腹部に、衝撃が突き刺さる。
 佐野が唱えていたのは人ひとりの体では止められない貫通系の衝撃魔法。それがあたしと、その前にいた舞子ちゃんの体を撃ち貫いた。
「お…ね………」
 崩れ落ち、船の外へと倒れようとする舞子ちゃんの体を水賊たちが取り押さえる。その向こうで、あたしが再び自分たちのところにくる事を確信した佐野と水賊のボスの顔が目に焼きつき―――あたしの体は暗い大河の水面へと落下していった。
 ―――綾乃…ちゃんは………
 水面まで数秒とかからない。その間に下へ向けた視界には……ただ闇が広がるだけで、先に落ちたはずの綾乃ちゃんも、プラズマタートルの姿も見つけられなかった。
「っ………!」
 ―――風が………!
 突然の突風にあおられ、あたしの体は船体に叩きつけられてから水面へ激突する。
 頭と、体と、手と、足と……気力で動かしていた体は、泡をまとって水へ飛び込んだ途端に重い鉛へと変化する。
 水面に浮かび上がる力もなく、舞子ちゃんを残してきてしまった想いが体ごと心を河の底へ沈めてしまおうとする。
 ―――……いや……まだ…あたしは………
 舞子ちゃんを助けていない。
 綾乃ちゃんが助かったか確かめていない。
 ―――……それに……あたしは……あたし…は………
 叫ぼうとして、胸に残っていた空気が泡となってこぼれ出る。
 もう苦しいと思う事も無く、唐突に意識が切れる。痛みも、辛さも、何もかもを忘れ去ったあたしの体は、ゆっくりと冷たい水底へ落ちていった―――













―――体内にM因子の存在を確認
 ―――「フィールド:水中」への移動を確認
  ―――スキル「変身」・モード「海霊」限定発動


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