第十章「水賊」02


 宿泊しているこの宿屋の一階は食堂も兼ねている。河を使った物資の運搬が盛んなこの街では、昼時ともなればお客もかなり集まるだろう。けど今は夜も大分まわっただけあって、賑わいは食堂から酒場へと移っている。
 太陽に光が差し込む昼間と違い、ランプの明かりしか灯されていない食堂は淡い光と濃くなった影のせいで、昼間には感じなかった不気味ささえ感じさせる。―――そんな中、あたしが降りてくる階段がよく見えるテーブルの席に、頭が禿げかかった太目の男性が座っていた。
 見た感じ、着ているものにはかなりお金が掛かっている。これ見よがしに金糸銀糸で刺繍がされていて、装飾品も貴金属に宝石と、その衣装だけで普通の人の何か月分の収入になるだろうか……と初見の人間に不躾な感想を抱いてしまう。
 だが、着ている物が高価だからと言って、着ている人まで価値があるとは限らない。全体の調和が取れていないきらびやかな服装は、あまりに夜の食堂に似つかわしくなく、いっそ悪趣味と言っていい。毎日いい物を食べているのだろう、ふくよかな顔には柔和な笑みが浮かんでいるが、あたしの頭の中では成金の商人か教養が低い貴族様と言う印象が組み上げられてしまう。
 ついでに言うならば、ランプの明かりが届くか届かないかと言う位置に、屈強そうな男が三人座っている。身体を守る使い込んだレザーアーマーと腰に吊るした剣……貴族の護衛と言うより、山賊といった方がイメージ的にぴったり来る。
 ―――やな感じだな……
 盗賊たちにいい様に弄ばれたのは、つい先日の事だ。似たような外見だからと言うだけで疑うのはよくないのが分かっていながら、この夜分の来客たちに対して警戒心が先に立ってしまう
「先輩、お待たせしまし――」
 あたしが階段を降りきる事無く足を止め、見た目から相手の素性を探っている間に、綾乃ちゃんが身だしなみを整えて追いかけてきた。そんな綾乃ちゃんを無言のまま手で押しとどめ、奥の三人の威圧的な雰囲気に飲まれた宿屋の女将さんにも上で待っているように告げると、あたしは一人で階段を下りて中央に座る男の傍へと歩み寄った。
「あの〜、あたしに用があるとうかがったんですけど、どういったご用件ですか?」
 うわ、喋っただけなのに奥の三人がこっちを睨んでる……ううう、呼ばれたから来たのに……
 今にも剣を抜いて襲い掛かられそうな雰囲気に、酔いも一気に吹っ飛んだ。さっきさえ感じてしまいそうな強面の眼圧に逃げ出したくなってくるけれど、それはそれで追いかけられそうだ。
 ――ともあれ、まずは話を聞こう。
 あたしは内心の恐怖心を見せないよう愛想笑いを浮かべると、同じようににこやかに笑みを浮かべて指を組んでいる男の正面の椅子に腰を下ろした。
「……これは驚きました。あなたが盗賊団を一人で退治したというたくやさんで間違いないのですよね? 女性だとは聞いていましたが、イヤイヤ、この様な美しいお嬢さんが出てくるとは思いもよりませんでしたよ」
「美しいだなんてそんな……ははは……」
 その手の言葉は娼館で聞き飽きているけれど、何度言われても背筋に芋虫が這い回るような怖気が……だけどそれを顔には出せない。スマイルスマイル……
 もっとも、あたしが盗賊団を退治したなんて話、酒場で宴会している間に何度も「信じられない」と言われ続けているし、当のあたし自身もその事を全然覚えてないのだ。まあ、気を失う前にモンスターを全部呼び出してたし、アジトを取り囲んでいた森に炎や電撃の跡があったのだから、何があったのかは想像に難くない。
「紹介が遅れました。私、このアマノの街で水上運搬業を行っているものでして。簡単に言えば船でもって山の南北にある街を行き来し、人や物資を運ぶ仕事をしているのですが」
「へぇ……それはスゴいお仕事をなさってますね」
 感心した声を上げると、相手の警戒心も少し緩む。……この辺りでは美人と言うのは得だな。
 けれどこの街で運搬業をしていて、これだけ身なりにお金をかけられるということは、かなり儲けているに違いない。
 山越えで荷物を運ぶルートもあるが、そちらは盗賊団監視の際に確認したけれど大きな荷馬車が通れるような道じゃない。あとは回り道ルートだけれど、時間と労力を考えれば船の方を選んでもおかしくない。―――けど、なんでそんな大金持ちの承認が、夜中にわざわざあたしなんかを訪ねてきたのだろうか……
「実はですね、明日の船便で少々高額なものを北側へ運ばなくなりまして。ですが河で山越えをするのはいいのですが、その途中にいくつも支流がありまして……出るのですよ」
「何がですか?」
「……見たところこの街の方ではないようですし、知らぬのも無理ありませんな。出るといえば商人の敵である賊です、水賊です」
「水賊……?」
「水上に出る盗賊ですよ。山に出るなら山賊、海に出れば海賊、河の上なら水賊です。河を行き来する船に小船でもって近づいてきて、荷を奪い、乗っている人間は皆殺しにしていく悪逆非道な連中です」
「なるほど……」
 確かにそれは賊だ……けれど、そんな承認にとっては最も憎い敵であるはずの水賊を語る言葉が少し……ただしっている事を喋っているだけのようで、それほど憎んでいるように感じられずに不思議に思ってしまう。
「私の船は安全を謳い文句に商売をしておりまして。専属の護衛を乗せておりますから今まで水賊に荷を奪われた事はありません」
 ――ああ、なるほど。それならあまりにくいわけではない…と言う事か。
 護衛……と聞かされて、チラッと奥の恐そうな三人を見てしまう。さしずめ、あの三人が船の護衛なんだろうけれど、どう見ても水賊とか言われたほうがぴったり来る。
「これまでがそうだったように、これからも水賊なぞに大切ナニは渡さない自身がありますし、それを裏付けるだけの実績があります。―――ですが、明日の荷物は特別なのです。“アレ”を奪われては私は商売どころか何もかも失い、破滅してしまうのです。船の護衛が役に立たないといっているわけではないのですが、明日が近づくに連れて不安は増すばかりで……そこにあなたの噂が飛び込んできたのです!」
「お断りします」
「へ……?」
 話をし終わる前に断られるとは思ってもいなかったのだろう……が、ここまで話を聞いたら、あたしに何させようかなんて誰だって分かる。
「どうせあたしにも護衛について欲しいって言うんでしょ? だったら別の人に頼んだ方がいいですって。今日だって、あたしより強そうな人が何人もいましたから」
「い、いえ、私はですね、是非たくや様に依頼したくて……」
「あたしなんかのような駆け出しの冒険者のところへ仕事を頼もうとご足労下さったのはありがたいと思ってます。でも……あたし、本当に弱いんです。あの噂だって半分デマですよ、デマ。あはははは〜〜♪」
「そんな、話も聞かずに断るなんて!」
 そもそも、特別な荷物を運ぶから襲われる可能性が高い……と言われた時点で、あたしが応じるわけがない。ただでさえ実力に見合わない大活躍やら大ピンチが多くて、心身ともに疲れてるのだ。そもそも元々道具屋やってたあたしに戦士や冒険者の仕事をさせようと言うのが間違っている。
 先だって依頼料がもらえない不運に見舞われたところだけれど、危なそうなお仕事を引き受けなければならないほど切羽詰ってもいない。―――てなわけで、危ない仕事はお断り。この依頼、あたしは受けません。
 けれど運が悪いことに、この街では既に噂が一人歩きしてしまっている。どこをどう見たらあたしが強そうに見えるのか……「美人が盗賊たちをやっつけた」なんて酒の肴にはもってこいの話は一日と経たずにいろんな人の耳に入ったらしい。―――どこからどう見たって、あたしが強いはずないのになぁ……
「お願いします、あなたでなければいけないんです、引き受けてくだされば1500、いえ、成功報酬でさらに同額、合わせて3000ゴールドお支払いします! ですから、ですから私を助けると思って! このままでは今夜一晩で不安で死んでしまいますよ、私はぁ!」
「うっ……」
 3000ゴールド……それは確かに美味しい話。それだけあったらしばらく娼館で働かなくても……いやいや、考えろ。それだけ払うということは危険度も高いと言う事だ。そんな依頼を引き受けたら、また命がいくつあっても足らないような目に会いそうだ。
「う〜ん……お話はありがたいんですけど、やっぱり……」
「あ、あなたは私に死ねといいますか!? ええい、では4000、いえ、5000でどうですか!」
「お金の問題じゃないんです。言うなればあたしの命の問題でして……」
 どうやって断ろうか……このおじさん、あたしが何と言っても聞いてくれそうにない。はてさて……と首をひねっていると、不意に食堂の隅っこで話を聞いていた三人の強面の男たちが声を荒げ出した。
「おう、ちょっと待てよ! そんな女に何で5000も出すんだよ!?」
「そうだ! 俺たちの何倍だってんだよ、そりゃ。だったら俺たちにもっと払ってくれてもいいじゃないか!」
「今まで命がけで船を守ってきたのは俺達なんだぜ。こんなどこの女とも知れないヤツによ!」
 男たちの言ってる事ももっともだ。いきなり現れたあたしに大金が支払われると知れば、不満を大声で述べるのももっともだ。席を立って剣の柄に手を掛け、ずかずかと薄暗い食堂の床を踏み鳴らしてあたしの方へと近づいてくる。
「な…なによ……変な事したら、ただじゃおかないわよ」
「無理すんなよ。声が震えてるぜ。……へへっ、悪いが5000ゴールドはなしだ。代わりに俺たちがたっぷりかわいがってやるからよ」
 そう言うと、男はあたしのシャツを握り締め、一気にたくし上げた。
「き…きゃあぁああああああ!!!」
 呼び出されたのが寝る直前だったのが災いした……下着をはずしてすっかりリラックスモードだったあたしの胸は、シャツ一枚はだけられただけで見事な膨らみをまろび出してしまう。しかも乱暴に服を引っ張られたせいで、たわわな膨らみはプルンと弾み、それを見た男たちは口笛を吹いてイヤらしい表情を浮かべた。
「な、何するのよ、エッチィ!」
「おっと、隠さなくてもいいじゃないか」
 三人のうち一人があたしの背後にまわり、あたしの両腕をひねり上げる。そして別の一人が、たっぷりとしたボリュームのある瑞々しい膨らみへ手を伸ばし、乱暴な手つきで揉みしだき始める。
「ちょ、変な事しないでよ。本当にあたし、怒るからね!」
「いいねェ……怒ってくれよ。そう言う女を犯すのが俺は大っ好きなんだよ」
「あッ………そう。だったら本当に遠慮しないから……!」
 ひねり上げられていても指ぐらいは打ち鳴らせる。手と指の動きに合わせて淫靡に形を変える乳房のいやらしさに目が釘付けになっていた男たちは、あたしが指を鳴らすと何事かと視線を上に向け……その直後に床で強烈な輝きが立ち上る。
「うおっ!? な、なんだぁ!?」
 男に掴まれていた手首が自由になった直後、硬いものが砕ける時に発する澄んだ音が食堂に響く。
 光は強烈ではあったけれど、ほんの一瞬だ。放たれたのと同様に突然光は収まると、あたしを取り囲む状況は一変していた。
 腕をひねり上げてくれた男は、剣を抜こうとした途中で、その剣を折り砕かれて床に尻餅をついている。
 他の二人は、一人が首元に槍の先端を突きつけられ、もう一人がトゲつき鉄球の鎖でふんじばられている。
 そして―――
『ワ〜ハッハッハァ! 見たか聞いたか魂消たかぁ! 我等こそはたくや様の一の子分にして、ソウルメイトなお得な立ち位置。うらやましいだろうらやましいだろうらやまし――』
「何もせずにテーブルの上を占領するな役立たず!」
 あたしは目くらましの一瞬でテーブルによじ登って、あさっての方向へ指を突きつけ喋っていたゴブリンの魂入りの三頭身リビングメイル、そのリーダーであるゴブリーダーを蹴り飛ばした。
 ―――危ない雰囲気は最初から分かっていた。モンスターを封じている魔封玉を一つ床に落としておくぐらいの事は当然やっている。
 剣を殴り折ったのはゴブガーダー……今はシールドをはずしてナックルを付けた両手を見せているからゴブグラップラーだろうか。
 そして槍を持っているのがゴブランサー、鎖つきのトゲトゲ鉄球を右手に取り付けているのが一番大柄なゴブハンマーだ。
 男から女なってしまったなど、いろいろな厄介な事情を抱えているあたしだけれど、その中で身につけた特殊能力が“モンスターの召喚”だ。契約したモンスターを魔封玉と言う小さな宝玉の中に封じ込め、いつでも呼び出すことが出来るのだ。
 今回呼び出したのは、四人で一つの魔封玉に封じられているゴブリンアーマーズ。四人とも子供と同じぐらいの寸詰まりの鎧姿だけれど、中身が空洞で、装備している武器もそれぞれ異なっている。
 あたしはいい加減見慣れているけれど、いきなり小柄な鎧が現われて男たちを叩きのめしたら、普通の人なら驚くのも無理はない。あたしの胸を見ながら止めようかどうか悩んでいた商人の男性は、突然一転した目の前の光景をどこか信じられないような表情で見つめながら、その重そうな体を椅子にもたれかかっていた。
「―――ん? もう一人いたみたいね」
「………………」
 契約したモンスターとあたしの意識は細い魔力の糸で繋がっていて、ある程度の意思疎通も出来る。それで伝えられたほう――今は誰もいない食堂のカウンターへ目を向けると、他の四人とは違い一人で一個の魔封玉に封じられている黒装束のリビングメイル・ゴブアサシンが、別の男の首筋に短剣を突きつけながら姿を現した。
「ありがと、ゴブアサシン。他のみんなもご苦労様。もう戻って眠っていいよ」
『え? 今夜はこれからオールナイトで6Pを楽しむんじゃ―――って、封じるのが超ソッコー!』
 ゴブリーダー……あんたが特にやかましいから、さっさと封じるんでしょうが……
 ともあれ、一応用心の為にゴブアサシンを残し、他の四体を魔封玉へ封じると、あたしはシャツを下ろして胸を隠す。
 特に非礼を責める事もしない。ただ、にこやかに笑顔を浮かべて、隠れていた男を親指で指差して商人に語りかけた。
「あの人もお知り合いですか?」
「え………あ…や、そう、そうです、私の専属の護衛です。たくや様がどのような方なのか分からなかったので、念を入れておりまして……も、申し訳ありませんでしたぁ!」
 そんなに責めるつもりはなかったんだけど……男たちの雇い主である商人は、まるで部下の不始末の責任を取るかのように突然土下座し、床に額を擦りつけた。
「ど、土下座なんてしなくてもいいです! ああああたしは別に怒ったりしてませんから!」
「それはありがとうございます。ですが、ですが今の“アレ”を見せられては、やはりおすがりするのはたくや様しかいないと確信したのです。ですから、是非に、是非にぃ〜〜〜〜〜!!!」
 ―――こ、このおじさん、お金でも暴力ででもあたしが動かないとしるや否や、土下座って……
 プライドはないのかと疑ってしまいたくなるが、商人だったら土下座でも泣き落としでも死んだ振りでも平然とやってのけるだろう……と、一ヶ月以上前に途方に暮れていたあたしを助けた老商人の顔を思い浮かべる。
 ―――これが商人の正しい姿なのかな……う〜ん、なんとも言いがたい。
 階段のほうへ視線を向けると、心配してくれているのだろう、綾乃ちゃんと宿屋の女将さんが上から食堂を見つめている。………このままあたしが依頼を断り続ける限り、あの二人を安心はさせられないか。
「はぁ……しょうがないなぁ……」
「お…おお、引き受けてくださいますか!?」
「引き受けたって言わなきゃあんたたち、帰んないでしょ」
 眠くて回らなくなり始めた頭をポリポリ掻きながら、へたり込んでいる男の人たちをまたいで階段のほうへ歩いていくと、ゴブアサシンが音もなく傍へと寄ってくる。
「そもそも夜分遅くに女性のところに押しかけるってところは道徳的にどうなの? それと、そこで座り込んでる人たちもちゃんと片付けて、騒動を起こした事を女将さんにも謝っておいてよね」
「申し訳ありません、申し訳ありません〜〜〜!」
 謝ってはいるんだけど、声に含まれるうれしさを隠しきれていない。そんなにあたしが依頼を引き受けたのが嬉しいんだろうか……
 後でどれだけ幻滅されるのかと思うと気が滅入る。そんな悩みを忘れようと、背後に手を振って階段を上がると、二階の廊下では綾乃ちゃんと宿屋の女将さんがあたしを待ち受けていた。
「先輩……あの、格好よかったです! 取り囲まれちゃったとき、私なんてもうダメだって思ったのに……」
「そうだねぇ。なかなかクールだったよ。だけどおっぱい出したときの悲鳴で減点だね。精進おし」
 ―――はぁ、頑張ります。
 笑顔で迎えてくれる二人にそう答えようとするけれど、口を開いた途端、大きな欠伸があふれ出てしまう。
「くぁああぁぁぁ〜〜〜……むにゅ……ねむ……」
「―――まったく、あんたって子は小心者か大物かわからないね。―――ほら、後の事はあたしがしといてやるから、二人とも疲れを残さないようにさっさと寝ちまいな!」


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