第十章「水賊」03


「あ〜…雨はやみそうにないか……」
 昨晩、宿屋での騒動の後に降り始めた雨は昼を過ぎてもやむ気配を見せず、空は見渡す限り灰色の雲に覆われていた。
 ――風はないし、船が出せないほどではないけど……この雨の中で甲板で立たされるのもヤダなぁ……
 それでも一度依頼を引き受けた以上、行かないわけにはいかない。あたしと綾乃ちゃんは、野宿する際には毛布代わりにしているフード付きのマントを身にまとい、昼過ぎに出向するという依頼主と合流するために船着場へと向かっていた。
「ハァ……依頼料がちゃんともらえてたら、こんな危険な仕事を引き受けずにも済んだのに……とほほ……」
「いいじゃないですか、先輩。おかげでタダで北の街まで連れて行ってもらえるんですから」
 それはそうなのだが、今まで何も怒らないはずのタイミングで何度も襲撃を受けて散々な目に会ってきた自分の不運っぷりを考えると、どうにも不安でならない。しかも今回は綾乃ちゃんも一緒で、逃げ場のない船の上……となると、夜中に起こされ寝不足の頭の中は嫌な予感でいっぱいになってしまう。
「ともあれ、いざと言うときのために逃げる手段も考えとかないとね。船が襲われてどうしようもなくなったからって河に飛び込んだら、溺れちゃうだろうし」
「あの……今から逃げ出す事を考えるのって……」
「甘いわよ、綾乃ちゃん」
 少し大きめのフードのせいでテルテル坊主みたいになっている綾乃ちゃんの顔の前に、ビシッと指を突きつけた。
「昔っから言うじゃない。“逃げるが勝ち”とか“死んだら負け”とか。出来れば危険なことには首を突っ込まないって言うのが、フジエーダで学んだあたしの教訓なのよ、うんうん」
「………でも、先輩にはそれは難しいんじゃないかと思うんですけど……」
「なんで!? あたしって、そんなに無謀な事ばかりしてるように見えるの!?」
「そうじゃないです。ただ、先輩は――」
 と、綾乃ちゃんが喋っている途中で道は終わり、あたしたちは船着場へと辿り着いた。
「うわっ……」
 山奥の村で生まれ育ったあたしにとって、フジエーダでも何度も目にしていながら、眼前に広がるこの河の巨大さにはいつもいつも驚きを覚えてしまう。
 北から南へと流れる川の幅は、あたしが生まれ育った村の近くにあった大きな泉よりもさらに広い。向こう岸に渡るのにも船を使わなければならないほどであり、正直、皮だからといって水遊びをする意欲を根こそぎ奪い去るような巨大さだった。―――もっとも聞いた話では、泳いで渡れば途中で力尽きそうな幅と水量であるにもかかわらず、世界にはここよりももっと大きな河がいくつも存在し、それらの河は全てまだ見ぬ“海”と言う、とてつもなく大きな水たまりに流れ込んでいるらしい。
 世界地図ぐらいは見たことがあるが、大陸を取り囲む部分全てが水だと言う説明に、子供の頃はいまいちピンと来なかった。……が、今ではその話も素直に信じられてしまう。
 視線をめぐらせれば、船着場に停泊しているいくつもの運搬船が目が止まる。フジエーダでも見かけた水路を使って荷を運ぶためのゴンドラ舟もあれば、馬車ごと乗り込めそうな大型船まである。あたしの依頼主の商人は“一番大きい船”とだけ宿屋の女将さんに伝えていたらしいけれど……
「あ、先輩、あれじゃないですか?」
「………うわ、なにあれ」
 綾乃ちゃんの指差した方向へ視線を向けると、そこには確かに船が見えた。……しかも、先ほど見かけた“馬車も詰め込めそうな”サイズの船のさらに向こう。最初目にした時は、船ではなく建物なのだと勘違いして見過ごしていたものが、マストを備え、船首を備えた船のシルエットをしている事に今更ながらに気付かされた。
「あれ……本当に船?」
「はい。一番大きな船だと言うと、あれで間違いないと思います」
「………ちょっと大きすぎない? ドラゴンよりでっかくない?」
「そうですね……言われてみれば、この辺りではあのくらい大きな船はそんなに見かけませんね。でも、帆船の中では、どちらかと言えば小形の部類に入るんじゃないでしょうか」
「こ、小型? あれで?」
「何度か海辺の港町へ連れていってもらった事があるんですが、海はここよりずっと波もありますし、外洋は危険も多いそうなので、船も大型のものが多いんです。長期間の航海ですと、何か月分もの食料や水を積み込まなければいけないわけですし」
「ほえぇ……」
 綾乃ちゃんが船の事を詳しく説明してくれたのも驚きだけれど、あれだけ大きくてまだ小型と言われる船の世界に思わず感嘆のため息が出る。しばらく遠目に見つめていたものの、約束の時間が迫っている事もあり、もう少し近くで見てみたいという思いもあり、あたしは雨のことも忘れて早足で歩き出していた。
「だから、一体何用だって言ってんだ、聞こえないのか、ああン!?」
 ―――おや? この声は昨日の……
 船を見ているうちに、いつの間にか駆け出していた足が、怒声が聞こえた途端に立ち止まる。怖がったわけではない。ただ……その声に聞き覚えがあったのと、声が聞こえてきたのが間近に迫ったあの船の方からだったからだ。
「わ……わた…し…………あ………あの………」
「何度言えば分かるんだよォ。お前さんの声じゃ聞こえないって言ってんだぜェ。オラ、はっきり喋ってくれなきゃ、困るんだよォ!」
「ッ………!」
 気になって足を急がせると、予想通り、昨晩宿屋に来ていた山賊のような男三人が、フード付きの雨具に身を包んだ小柄な女の子を取り囲んでいた。
「どういう用事でここに来たんだァ、ああ? 言ってくれなきゃ俺たちにはわからねェんだよォ。さっさとしてくれないと日が暮れちまうんだよォ!」
「ま……舞子は………ふ………ふ…ね……うっ……」
「あン? 船に乗りたい? 別にいいぜェ……その代わり、俺たちの上にもたっぷりと乗ってもらうけどなァ」
「そりゃいいや。タダで乗せてもらおうってのはいけねェよなァ。タダがダメなら身体で払ってもらわないとなァ!」
 ――何やってんのよ、あいつ等は。あんな言い方で詰め寄られたら、怯えて話なんて出来るわけないじゃない。てか……女の子にあんな台詞を吐くなんて、頭の中はエロスしか詰まってないのか!
 自分に言われても腹が立つけれど、屈強な男三人に囲まれて今にも消え入ってしまいそうなほど身体を小さくしている女の子にそんな事を言ってるのにも頭にくる。
 けど……と、踏み出そうとしたあたしの足が、一歩目で止まってしまう。
 ――たとえ「あんなの」でも、これから船に一緒に乗るわけだし……いざこざはマズいか……
 出来れば平和的に話し合いで解決したいけれど、なんかもう、見るからに猿以下の知能しかなさそうな男たちを説得できる自信はない。そんな事をしたら、あたしまで襲いかかられてひん剥かれてしまいそうだ。
 なんとか女の子を言葉巧みに助け出し、どちらかと言うとあっちを悪者にする手段は………あった。
「あ〜、こんなところにいたんだ。さがしちゃったよ〜♪」
 名案を閃いたあたしは、ことさら明るく声を上げると、男たちにも顔が分かるようにフードを下ろして手を大きく振った。
 自然と、三人の男と女の子の視線はあたしに向けられる。その視線にニコニコと笑顔で答えながら近づいたあたしは、目深にフードをかぶった女の子の腕を取ると、男たちの囲みから自然〜に引っ張り出した。
「ちょ……待ちやがれ、人の獲物を持ってくなァ!」
 ああ、予想通りの反応……できればこのまま女の子を建物の影かどこかに連れて行きたかったけれど、しょうがない。―――作戦続行だ。
「何が獲物よ。彼女はあたしの仲間なんだから、変なちょっかいはやめてくれない?」
「仲間だぁ〜? んな口からでまかせが通じると思ってんのかァ! こっちが何も知らねェとでも思ってんのか。てめェの仲間のツラだって確認済みなんだよ、こっちはよォ!」
「知らないのはしょうがないわよ。だって、今日の朝に仲間になったばっかりだもん。そうよね、舞子ちゃん?」
 さっきの男たちの会話の中で名前が聞こえていたのが幸いした。背後にかばった舞子ちゃんを振り返りながら名前で呼びかけると、フードの下から驚いた雰囲気が伝わってくる。
「依頼内容を聞いて、あたしと綾乃ちゃんの二人だけじゃいざと言うとき心細かったのよ。それで冒険者ギルドで一人か二人ほど助っ人を捜そうと思ったんだけど、ほら、あたしってば昨日、ギルドで問題起こしたばっかりじゃない。だから敷居が高いな〜と思ってたらあの宿屋にこの子が泊まってたの。すっごい魔法使いなんだって」
「え……あ、あの、舞子は……」
 ――ほらほら、ここが正念場。剣や鎧で身を固めた戦士じゃなくて魔法使いとかだったら、いくらでも誤魔化しようがあるんだから。お願いだから話をあわせて……
 そんなあたしの願いもむなしく、舞子ちゃんはあたしと男三人に注目されてオロオロと慌てている。さすがに急造の作り話なだけに無理もあった。男たちも胡散臭そうな目で見ているし、ここで上手く切り抜けないと、なんかマズい。
 さてどうしたものか……首をひねりたいけど睨み合いの真っ最中では簡単にはひねれないな〜とか集中力のない意思が別の方向へ向かおうとしているところへ、遅れてやってきた綾乃ちゃんの声が聞こえてきた。
「センパ〜イ、一人で先に行かないでくださいよ。舞子さんも見つかってないんですからぁ!」
 ………おお、なんか綾乃ちゃん、ナイスフォロー!
 さも、今あたしたちを見つけたかのように走り寄ってくる綾乃ちゃんは、あたしの背中にしがみついている舞子ちゃんとフード越しに目線が合うと、ぺこりと会釈した。
「舞子さん、昨日は色々教えていただいてありがとうございました。私、まだまだ勉強中だから参考になっちゃいました。でも、宿を出るなら私たちにも声を掛けて言って欲しかったです。捜すの大変だったんですよ。ね、先輩?」
「そうそう、雨降ってるからフードかぶってる人も結構多くって。もうあたしから離れちゃダメよ、分かった?」
 男たちから見えない角度で片目をつむって見せると、さすがにあたしたちの意図を理解してくれたらしい。
「は…はい……よろしくお願いしますぅ……」
 と、小さな声だけど、先ほどの男子達に囲まれた時よりちゃんと聞こえる声で返事してくれた。
「そんなわけだから、今後、この子に下手なちょっかい出さないでくれる? それじゃ綾乃ちゃん、舞子ちゃん、雨も降ってるし、早めに船に乗せてもらおうか」
 顔を見せてあたしが誰かを男たちに気付かせるためにフードを脱いでいたので、あたしの髪はかなり濡れている。すぐに風邪を引くと言うほどではないけれど、早めに拭いておくに越した事はなく、念の為にあたしと綾乃ちゃんで舞子ちゃんを挟んで男たちの横を通り過ぎる。―――が、
「ふざけんなァ!」
 手を伸ばして二人を押し止めるのと同時に、男の一人が腰の剣を抜く。……避けるまでもない。切っ先はあたしの眼前を通り過ぎるけど、あたしも綾乃ちゃんも、もちろん舞子ちゃんにも毛の先ほどの怪我もない。
「女だからって下手に出てれば頭に乗りやがって。何か勘違いしてんじゃねェか? 俺様が本気を出せばなァ!」
「女の子に向かっていきなり剣を振り回すのが本気だって言うの? うわ、最悪、それじゃもてないわけよね……かわいそ」
 視線を逸らし、本当に哀れみっぽく言い放つと、剣を抜いた男の顔が見る見る紅潮して行く。何か叫ぼうとしているようだけれど、唇はワナワナと震えるだけで、吐き出す息は言葉にすらなっていない。
「………綾乃ちゃん」
 小さな声で呼びかけると、言いたい事を察してくれた綾乃ちゃんは舞子ちゃんを抱えてあたしから離れていく。これで二人は安全で……あたし一人、危険な男の前に取り残されてしまう。
「いいわ、あたしがあんたのしなきゃいけない事を教えてあげる。まず第一に、舞子ちゃんに謝りなさい。第二に、あたしと綾乃ちゃんに謝りなさい。第三に、これからはもっと女の子に優しくしてあげなさい。分かった?」
 と―――恐いけど、何故か逃げ出さずにキッチリはっきりそう告げる自分を褒めると同時にあきれ返る。そして次の瞬間……押さえ込んでいた仲間二人の手を振り払い、あたしの挑発でキれた男が剣を振り上げ、覆いかぶさらんばかりの勢いであたしへ突っ込んできた。
「そんな大振り!」
 いくら相手があたしより大きくて、あたしより力が強くて、もう見境無しに剣を振り回すほど狂っちゃっていても、表面上では焦る心の内側では、冷静に相手の動きを観察する自分がいる。
 迫力も力もオーガには遥かに及ばない。スピードなんか美由紀さんの足元にも及ばない。あたしを捕らえようと振り回されるだけの剣は、直感で軌道を読むのもバックステップで躱すのも、あまりに容易い。
 だけど油断はしない……いや、できない。あたしは根っからの小心者なのだ。目の前をびゅんびゅん切っ先が通り過ぎていくのに油断なんて、そんな伸している余裕なんて、どこをどう探したって見当たるはずがないのだ。
 冷静に、丁寧に、相手の剣と全体に意識を集中させて、距離を保って避け続ける。―――けれどそれは、相手の興奮と言う火に油を注ぐ事になる。
「この……ちょこまかと逃げるんじゃねェ!」
 男が叫んだ瞬間、あたしはマントを跳ね上げ、腰の後ろのショートソードに手を掛けた。
 大きく踏み込んだ力任せの上からの一撃………それを後ろへ跳んで避け、着地の勢いで身体を沈み込ませると、膝に力を込めて鞘から剣を抜き放った。
 ―――剣が地面を叩く。
 整備された船着場の床は石張りで平らになっている。その硬い地面に勢い余って叩きつけられた剣は衝撃で異音を響かせ、反動で持ち主である男の手からはじけ飛ぶ。
 ―――そして、その剣をあたしの剣が弾き飛ばす。
 “エクスチェンジャー”だかなんだか知らないけれど、こんな偶発的な危険にさえ直感は反応していた。事前に抜いていた剣を横へ振り抜くと、飛んできた剣はあたしの身体に食い込む軌道から逸れ、地面に落ちる。……だが、それで全てが終わったわけではない。
「づがまえだぁああああああっ!!!」
 剣を失った男は、それを意に介した様子もなく、両腕を広げて頭から突っ込んでくる。
 低い……あたしの腰を狙うタックルに捕まれば、腕力と体重で上回る相手が有利なのは目に見えている。
 ただし、捕まれば、の話だけれど。
「捕まるわけないでしょうが!」
 誤って刺してしまわないよう、左手に持った剣を背後へ隠して右手を男の頭に向けて突き出す。
 当然、あたしの腕力で男の突進を止められるはずもない。だから代わりに地面を蹴って自ら後ろへ跳び、男のタックルの勢いを利用して身体を浮かせ、背後に迫る“地面”を踏みしめる。
 ―――倉庫の壁が、すぐそこにまで迫っていた。
「とりゃ!」
 掛け声と共に足の裏に力を込めて倉庫の壁を蹴り、突っ込んできた男の広い背中で前転する。想像以上に身体が綺麗に回り、ちゃんと下方向にある地面に着地した直後、背後で鈍い音とくぐもった声とが同時に聞こえてきた。
「……ご愁傷様」
 胸の奥で火照った空気を吐き出しながら振り返り、衝突したまま動かない男の背中をポンッと叩く。するとタックルの体勢のままで完全に気絶した男の身体がゆっくりと傾ぎ、そのまま地面へ倒れこんだ。
 ……なんか上手く行き過ぎたけど、怪我したのはこの男だし、ま、いっか。
 それでもさすがに完全失神されてピクピク痙攣したまま倒れられてると、悪いことしたなと言う気持ちになってくる。とは言え、これだけ体の大きい人を介抱なんて、ひ弱なあたしの力じゃ出来るはずないし、出来ればしたくない。
 ならば……と介抱を男の仲間二人にさせようと、離れてしまった船の方へと目を向けると、パチパチパチと、拍手の音が一人分だけ聞こえてきた。………そう言えば名前すら聞いていない、依頼主の商人が、綾乃ちゃんたちと残った男二人の間に立ち、しきりに頷きながら手を叩いていた。
「いや、さすがですな。巨漢の男を相手に舞うような戦いぶり、素晴らしいの一言です。やはりあなたに依頼した私の目に狂いはありませんでした!」
「ははっ……いやまあ、偶然ですよ偶然。滅茶苦茶やったらな〜んか上手く行っちゃっただけですってば」
「ご謙遜なさらずとも。しかし自分の功績ばかりを声高々に叫ぶ冒険者が増える昨今、貴女のような控えめで、その上美しい冒険者はまさに人類の宝というものです」
 ……マズいことになった。
 顔に必死に愛想笑いを浮かべてはいるけれど、内心では見られたくないところを見られたことでダラダラと汗が流れている。このままだと「危ない事には近づかない」と言うモットーに反して危険な仕事をさせられかねない。
 もし依頼主が見ているのに気付いていれば、もっとワーキャー言いながら逃げ惑うと言う手もあったのに……いずれにしろ、この依頼から逃げるのはもう不可能だろう。あんな目で見られていては、帰ると言っても帰してはくれまい。
 となれば…だ。
「あの……突然で申し訳ないんですけど、あたしの同行者が一人増えたんです。あ、いえ、決して依頼料を増やせとか言いませんし、魔法の腕もスゴいんです。助っ人です。ですからその……」
 もうあたしが依頼から逃げられないのなら、せめて舞子ちゃんも船に同乗させてあげたい。どういう事情かは知らないけれど、助けるだけ助けて後走らない顔を決め込むのは、さすがに寝覚めが悪くなりそうだし。
「ええ、ええ、別に構いませんとも。むしろ、あなたの眼にかなう魔法使いならば、こちらも頼りにさせていただけますからな」
「そ、そんな事はないですよ。あ、ああああたしがその分頑張っちゃいますから。なは…なはははははは……」
「これは頼もしい。ではすぐにでも出航いたしますので、お三方とも船にお乗りください。いやいや、美しい女性が三人も増えるとは。退屈な川登りが一気に華やいできましたな。ワハハハハハハッ!」
 ……何はともあれ、これで舞子ちゃんの乗船許可が出た……と言うわけだ。
 暗鬱たるものを抱えてしまってはいるけれど、女の子一人を助けられたと思えば、多少は気が楽になる。笑い声を上げて船に乗り込んで行く商人を見送った後、綾乃ちゃんの隣りで目深にフードをかぶったままこっちを見つめていた舞子ちゃんに、もう安心だと笑顔で手を振ってみせる。
「……………」
 ――ありゃ? 顔を背けられちゃった。……もしかして、乱暴者と思われたかな?
 自分の大立ち回りを思い返し、頑張りが報われなかったのか……と気が落ち込む。そんなあたしを見て、綾乃ちゃんがクスクス笑いながら近づいてくる。
「安心していいですよ。彼女、照れてるだけみたいですから」
「………照れ?」
「はい。さっきの先輩、スゴく格好よかったですよ」
 ……そう言う事を臆面もなく言われると、今度はあたしの方が照れてしまう。格好いいとまで言われては……う〜ん…なんてーか…背中がむず痒くなりそう……
 照れ隠しに濡れた頭をポリポリ掻いていると、綾乃ちゃんは微笑を浮かべて言葉を続けた。
「でも、やっぱり私が思ってたとおりになっちゃいましたね」
「なにが?」
「先輩、困ってる人を見かけたら放っておけないじゃないですか。危ないって分かってても」
 ……褒められているんだろうけれど……う〜む……
 ここに向かっているときに途中で終わった会話を思い出しながら、これがあたしの人生なのかと本気で悩み始めていた―――



「旦那、これから雨はひどくなります。本当に出航なさるんですか?」
「構わん。どうせこの船は用済みだ。雨はむしろ目くらましになる。この機を逃すわけにはいかん」
「あそこで伸びてる馬鹿はどうします? 放っといて、さっさと出航しやすか?」
「ヤツから情報が漏れるのはマズい。かと言って、口を封じても処理する暇はない。急いで引っ張り込め。まだ軍の本体が到着しておらんし、裏付けに走り回っている頃だろうが、それぐらいの時間ならある」
「わかりました。おい、何人か付いてこい」
 一足先に船へ乗り込んだ商人は、たくやの前で見せていたのとは別の表情を浮かべ、部下に指示を出していく。そして矢継ぎ早に出航の指示を出しながら階段を下りると、船室の一つにノックをしてから足を踏み入れる。
 決して上等とは言えない船室には、先客がいた。漆黒のローブに大型の杖。見るからに魔道師である証明のような姿をした男だったが、露出した肌の多くには白さもくすんだボロボロの包帯が巻きつけられていた。
 ――そろそろ切り時か。
 利用価値が少なくなってきた男をどうするか考えながら、それを決して表情に出さないのは商人の特性だからだろうか。こちらの思惑を相手に悟らせない笑みで表情を隠した商人は、半ばミイラ同然の男に恭しく伺いを立てた
「先生。ご要望の女を連れてきました」
「……そうか……来たか……彼女がついに…ボクの元へ………」
 最初は虚ろだった声が、“女”……たくやが来た事を告げられた途端、次第に力を帯びて行く。焦点がぼやけていた瞳が輝きを増し、指にまで包帯が巻かれた手で額からアゴにかけて撫で下ろすと、悪魔も逃げ出しそうな残酷な笑みがそこに現われていた。
「待っていた……待っていたよ、愛しい君よ。クヒャ……クヒャヒャヒャヒャヒャ………」
 低く不気味な笑い声を漏らす魔道師の姿に、商人は考えを改めさせられる……この男は、やはり敵に回すべきではない。むしろ、この男にこうまで執着されるたくやが一体何をしたのかと気になってしまう。
 ―――こちらの目的を果たした後でならば、好きにするがいいさ……
 笑い続ける男の目に、自分が映っていない事を悟ると、商人は静かに船室を後にする。
 一人残された魔道師は窓もない船室でひとしきり笑い続けると、船が動き出す振動を感じながら、ローブの袖からひび割れためがねを取り出し、狂気の光を宿す瞳に掛けた。



「待っていたよ…待っていたよ、愛しいたくや………今度こそボクは君を手に入れる……ボクの…ボクだけの愛しい女神…エクスチェンジャーを……ク…クククククッ……」


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