第十章「水賊」01


「ちょ……依頼料が出ないってどういうことよ!?」
 えらい目にあいはしたけれど、何とか依頼を終え、心に傷を抱えながら冒険者ギルドで報酬を受け取ろうとしたあたしに放たれた言葉はあまりにもあまりすぎる理不尽な言葉だった。
 温泉街から歩いて五日ほど。フジエーダへも繋がっている大きな川の傍にある流通の街「アマノ」。――それがあたしの今いる街の名前だ。
 この街から北へ向かうには険しい山道を越えるか、山向こうの街まで川を遡る船に乗るか、もしくはこの街へ来た道を戻って大きく山を迂回すると言う三つの道がある。
 あたしと綾乃ちゃん、か弱い(?)女の子(?)二人の足では山越えは危険が大きすぎる。かと言って戻って遠回りするのも、距離が長くなるけど安全で平坦な道と言うわけでもなく、体力的に厳しすぎるし時間も掛かる。
 そこで北の街まで遡る連絡船で移動する事に決めたのだけれど、あたしたち二人分の運賃でもかなり高い。温泉街の娼館で男のプライドと貞操をギリギリまで削り抜いて稼いだお金で十分払える額ではあるのだけれど、今後の事も考え、ようやくめぐり合えた冒険者ギルドで手ごろな仕事を一つ、引き受ける事にしたのだ……が、酒場も兼ねた冒険者ギルドのカウンターの向こう側に座る男は、身を乗り出して食い下がるあたしへ面白くなさそうな――むしろ、不快と言ってもいい――視線で睨みつけてくる。
「あんたねぇ、仕事したって言うけど全然依頼なんて遂行できてないじゃないか。依頼書にも書いてあっただろう、依頼内容は“盗賊団の監視”だ。それを盗賊団を壊滅させるのとじゃ全然違うだろうが」
「それは……盗賊たちに捕まっちゃって……」
「捕まったのかい? だったら下手を売ったのはお嬢ちゃんのほうじゃないか。はい、依頼失敗を自分で認めた……と。ほら、仕事の邪魔だ、さっさと帰った帰った」
 ―――そうなのだ。
 正確にはあたしは依頼を果たしてはいない。なんでも数日後に盗賊退治にやって来る国の軍隊が到着するまで、盗賊団の足取りを常に把握していなければならない。そのために冒険者ギルドで盗賊団を監視する冒険者を募集していたのだ。
 謳い文句は『楽して簡単、待ってるだけで収入ゲット!』……と、胡散臭さ爆発だったのだが、冒険者としての初仕事だった事もあって簡単な仕事ばかりを探していたあたしは、一も二もなく飛びついてしまった。
 ………でもって、ようやく発見したという冒険者のアジトを遠くから監視していたあたしは、見つからないようにとギルドから貸し与えられた結界もきちんと張っていたにもかかわらず、あっさりと捕まってしまったのだ。
 その夜は……女の身体になってしまった事を呪いたくなるほどの目に会わされてしまう。何度も何度も……で、朝になって目が覚めた時には、百人を超す大盗賊団は頭領以下その構成員のほとんどがボロボロに打ちのめされて気絶して倒れ伏していた……と言うのが事の顛末だ。
 確かに依頼を果たしていないと言えばそうなのだろうけれど、盗賊団が壊滅したのなら同じ事のはずだ。幸い、焼け焦げた木から立ち上る煙を発見した軍の先遣隊が気を失っている盗賊たちを全員捕まえ、ついでにあたしを街まで連れ帰ってきてくれたのだが……このまま引き下がったら、あたしは犯され損で終わってしまう。それだけは納得できない。元・道具屋とか身体を張って娼婦をやってる意地に賭けて、ただ働きだけは絶対にイヤだ!
「いつまでそんなところに突っ立ってるんだ。こっちはあんたのやらかした事の事後処理で忙しいんだ。ほら、帰れ帰れ」
「帰れと言われて帰れるんなら、冒険者なんてやってないわよ!」
 あたしの方をもう見ようと馳せず、手の平を振って追い返そうとする受付の態度に、あたしは思わず声を荒げ、カウンターに手を叩きつける。
「そもそも、あの仕事のどこが簡単なのよ。貸してもらった結界杭、全然役に立たなかったし、危険は無いとか言っときながら運が悪けりゃあの世行きだったんだから!」
「………ああ、そうか。なくした結界杭を弁償してもらわないとな」
 そう言うと、カウンターのおじさんは依頼料を払わないどころか、手の平を上に向けてあたしへと突き出した。
「ふ……ふざけないで!」
「ふざけてなんざいないさ。失くした時はきちんと弁償してもらうと依頼書にも書いてあるはずだ」
 あたしは贅肉でたるんだ受付おじさんの顔に鞘つきショートソードを叩き付けたい衝動に駆られるが、依頼料をふんだくるまでだとグッと堪え、宿屋の荷物と一緒においておいた依頼書をポケットから取り出し、そんな言葉が書いてあるのか確かめてみる。
「………どこにも書いてないじゃない」
「なんだ、物分りも悪けりゃ目も悪いのか。そら、虫眼鏡を貸してやるからここをよ〜く見てみな」
 おじさんが指差したところには汚れがついているだけで何も書かれていない。それでも顔を近づけ、目を凝らすと、その汚れがなにやら小さい点々のようなものだとわかり、さらに虫眼鏡で拡大する事でようやく文字だと言う事に気付いた。……が、
「んなもん読めるくあぁ――――――!!!」
「はん……乳のでかい女は文字も読めないほど馬鹿なのか。男をたぶらかす事しかしてなきゃ、それでも十分か、はンッ」
 うわッ! こ、このオッチャン……今、全大陸中の巨乳の人の恨みを買ったぞ。自分の卑怯な手段は棚上げにしといて、ひ、人の頭と胸まで馬鹿にして…う…う…うガアァァアアアアアアアアアッ!!!
「いいかい? もう一度だけ割り頭でも分かるように説明してやるからな。お前さんに頼んだのは“盗賊の監視”なんだよ。見つからないようにジッと隠れてたら、全然危険なことなんか無い仕事だったんだよ。命がけの仕事じゃなかったんだよ。高い結界杭まで貸してやって、それでも見つかったのはお前さんがヘマだからだろうが、違うか、あ?」
「こ、この……ッ!」
 明らかに蔑んだ目で見られた上に、顔を捻り出すように「あ?」なんて言われた日には……くっ、泣くもんか。あたしは、依頼料を貰うまでは決して泣かない退かない諦めないィ!!!
「それにさァ、あの盗賊団は国の兵隊さんがやっつけてくれるはずだったんだよ。それがあんた一人で潰しちゃうからさァ、色々面倒になっちゃってるわけよ。うちのギルドがどれだけ文句言われて事後処理で走り回ったと思ってる? 軍隊ここまで引っ張り出すのに金が掛からないとでも思ってんの? こんだけ人に迷惑かけといて、まだ依頼料までふんだくろうって言うのか、ああ? 恥知らずもいいとこだよねぇ、なあ、ハハハハハハッ!」
「そりゃあ…悪う…ござんしたね………!」
 落ち着け。耐えろ。大人の社会は理不尽で溢れ返ってる。この程度で癇癪起こしてたら、これからどこのギルドででも仕事がもらえなくなる……けど……でも……こ、このオヤジはぁあああああああああっ!!!
 表情で、言葉で、視線で、徹底的にあたしを馬鹿にするオッチャンに、限界にまで膨れ上がった堪忍袋、その緒が音を立てて切れようとしていた。
 そんなあたしの状態を知ってか知らずか、「それに」と言葉をつなげた受付のオッチャンはカウンター越しにいやらしい視線をあたしの胸元へ向け、口元をいやらしい形に歪めた。
「こういう仕事は“女”だから安全だったんじゃないか。男だったら見つかりゃすぐに殺されてたぜぇ」
「――――――ッ!!!」
 こいつ……あたしがどんな目にあったか分かってて言ってんの!?
「へへへ、よかったなぁ、ママに美人に産んでもらえて。盗賊たちには可愛がってもらえたんだろ?――ああ、そうか。盗賊の連中全員を骨抜きにしたわけだ。ハハッ、どえらい淫乱女を盗賊たちは捕まえちまったってわけだ、アハハハハハハッ!」
 笑い出すと豚饅頭のような顔が一気に崩れ、脂ぎった手がカウンターの上で震えていたあたしの手を握り締める。
「金が欲しいんだろ? まあ、今晩ベッドの上でその話はゆっくりしようじゃないか。かわいがってやるぞ? ククッ、クククククッ!」
 ―――プッツン
 触られたおぞましさが背筋を震わせる。瞬間、頭の中で何かが弾けて切れる音が鮮明なまでに響き渡ると、あたしは握られた手を反射的に引き抜き、拳を握り締めた。
 我慢ゲージはレッドゾーンすら突き抜けている。振り上げた拳を止めるつもりも無いし、呆けた受付男の顔の真ん中にキッチリ狙いも定めている。
 だが―――
「やめたまえ」
 背後から聞いたことのある男の声がしたかと思うと、あたしは腕をつかまれ、受付の男を殴るのをやめざるを得なくなってしまう。
「た、隊長さん……」
 振り返ると、いつからそこにいたのだろうか、盗賊団のアジトで右往左往していたあたしを助けてくれた軍の先遣隊の隊長さんが立っていた。
 鼻の下にヒゲを貯えた威厳と知性を備えた顔つきで、今は鎧姿ではなく軍服を身にまとっている。街へ連れてきてもらう間に事情説明などで言葉を交わしたけれど、けっして威張り散らす事もなく、感じのいい中年の男性だった。
 その時は恐い雰囲気はなかったんだけれど、今は見るからに怒りを押さえつけているかのように、しかも背後には完全武装の兵士を五人もつれている。ギルド兼業の酒場内には兵士が入ってきたことで数組の客たちの間に緊張が走り、あたしのいる場所を中心にした空間に、身じろぐだけでガラスのように壊れてしまいそうな静寂が広がってしまう。
 ―――けど止めるのなら、一発殴って受付の人を黙らせてからにして欲しかった。さもないと……
 人を殴ろうとしたのだから怒られても仕方ない。だけど……それじゃあたしの気が収まりはしない。
 この手の男にあたしは何度も何度も何度も何度も……それこそ数え切れないぐらい娼館でエッチな事をされてきたのだ。全部が全部こんなスケベ親父ではなかったし、なかには…その…スゴく気持ちのいいエッチをしてくれる人も何人もいたけれど、それでも…それでもこういう男には我慢できないものがあるのだ。
「な…なんやその手は。冒険者ギルドで狼藉はたらこうっちゅうんかい!」
 静寂は、カウンターの向こう側にいる受付の男の怒声で破られる。……腕を掴まれてるから避けようが無いので、できればツバを飛ばさないで。
 しかも、冒険者ギルドの受付をしているからだろうか、妙にプライドも高い。速射砲のように速過ぎてまともに聞き取れない罵詈雑言を浴びせかけ――いくつかの単語であたしを淫売扱いしてるというのはわかるけど…――、最後にはあたしから隊長さんのほうへ視線を移し、顔に気分が悪くなるほどあからさまな愛想笑いを浮かべる。
「これはこれは隊長さん、危ないところを助けていただいてどうもありがとうございます。その女は当ギルドの方でお預かりいたしますんで」
 ―――そ、それはちょっと……
 もしそんな事をされたら、一体どんな目に会わされることか……この受付の性格だと、監禁陵辱どころじゃすまないだろう。それこそ人生も女としても終わらされてしまいそうな……そんな責め苦を受けることだけは容易に想像できてしまう。―――が、
「いや、その必要は無い」
 助平心見え見えの受付男の言葉を隊長さんはきっぱり断った。そして抵抗していないあたしの腕を離すと、軽く手を上げ、振り下ろす。―――それを合図に、後ろに付き従っていた兵士たちがいっせいに動き出す。
「なっ!?」
 あたしの左右から前に出た二人が手にした槍の石突で受付の男の両肩を突く。刃のほうではないとは言え、受付の男は痛みに顔をゆがめながら崩れ落ち、それを追うように別の兵士二人が重そうな鎧を身に着けたままカウンターを乗り越え、床にはいつくばった男を押さえつける。
 もう抵抗どころか動く事もままならない。訓練された兵士たちはざわめく酒場の客たちなどいないかのように冷静に動き、受付の男を引っ張り上げてカウンターに押し付ける。――そこで、最後まで動かず残った一人の兵士が胸元から羊皮紙の巻物を取り出し、広げてこの場にいる誰にでも聞こえるはっきりとした声で読み上げる。
「この者、盗賊へのギルド内および軍内部の機密漏洩、依頼書偽造、依頼料着服、ギルド内予算横領、婦女暴行、ならびに依頼と称して女性冒険者を盗賊団に誘拐させた疑いもあり、その他諸々の罪状も含め、軍にて取調べを行う!」
 ……な、なんか難しい言葉があってわからないところもあったけど……このおじさん、つまりは盗賊団の仲間で、あたしをわざと誘拐させたって事?
「ヤメロヤァ! ハナセヤァ! 俺は無実やッチューとんねん!」
「黙れ! 捕らえた盗賊どもが全てを白状した。神妙に縛につけェ!」
「チクショウがァアアアアアッ! あいつら、もうちょっと黙っとったらぁあああ!!!」
 専門用語と言うのは聞き慣れていないと、すぐには意味が分からない。なにやら事情が飲み込めず、カウンターの前で呆然と立ち尽くしている間に、男は縄でグルグル巻きにされて四人がかりで担ぎ上げられる。そして兵隊たちは、ガッチャガッチャと鎧を鳴らしながら捕らえた男を運び出していった。
 ――悪が一人、潰えた……のかな?
 ともあれボンヤリ見送っていると、殴ってやろうと思っていた怒りも薄らいでいた。しばし呆然と見送っていると、従える兵士も一人だけとなった軍の隊長さんは深々とあたしへ頭を垂れた。
「え……な、なんですかいきなり!?」
「このたびの貴君の働き、真に見事でありました。その身一つにて盗賊団を壊滅せしめてくださったおかげで、我が部下からは一人の犠牲者を出す事はなく、街道に安全がもたらされることとなりました」
「それは……どう…いたしまして。は、ははは……」
 身分の高そうな人に頭を下げられ、少し困惑しながらも答えを返す。失礼な返答の仕方だったのでは……と後から思うけれど、言ってしまったものは仕方がない。
 そんなあたしの心中に気を使ったわけではないだろうけれど、頭を上げた隊長さんは、気に留めた様子もない。後ろの兵士共々、胸に手を当ててあたしへ礼を示していて……どうにもそのたたずまいに威圧されてしまう。相手が威圧する気がなくてもだ。
「本来盗賊たちを討伐するはずであった本隊も数日後には到着いたします。その際、たくや殿の働きを上奏し、感謝状を送らせていただきたいと思います」
「感謝…状?」
「女性の身でありながら勇敢な働きを為された貴女には当然のことでありましょう。では、いずれ日を改めてお迎えに参ります。本日はこれにて失礼させていただきます」
 最後に、隊長さんと兵士さんはもう一度あたしへ頭を下げて酒場を後にする。……その直後、あたしの背後、そして酒場に雪崩れ込んできた人たちから盛大な歓声が沸き起こった。
「スゲェ! 姉ちゃん、あんた一人で盗賊どもをやっつけたのかよ!?」
「見たかよ、軍人さんが頭下げてたぜ。感謝状だぜ。こりゃ大事件だ!」
「ワッハッハッ! あのクソ受付がいなくなってせいせいしたわ!」
「毎回理由をつけて金をピンはねしやがってよォ! さあさあ、今日は姉ちゃんが主役だ、座った座った!」
 盗賊が退治されたこと、受付のあくどいおじさんがいなくなったこと……両方とも、よほど恨みを買っていたのだろう、一気にお祭り宴会ムードへと突入した酒場のど真ん中の席へ座らされたあたしの前に、次々とお酒のジョッキが突き出される。
「飲め飲め飲めェ! 今日は姉ちゃんの分はおごりだ、好きなだけ飲んでくれやァ!」
「それは嬉しいんだけど……誰か一つだけ教えてもらえませんか?」
「おうおう何でも聞いてくれ。ここにいる連中ならほとんど独身だぜ、そっちからお誘いかけてくれるなんて嬉しいじゃねェか! グワッハッハッハァ!」
「そうじゃなくて……あたしの依頼料……どうなるの?」
 ピタッと、騒ぎの声が収まった。
 誰かが残された冒険者ギルドの人に顔を向ける。……顔の前で手を振っている。偽造された仕事のお金は出せないと言う意味だろう。
 それはつまりどう意味かと言いますと―――
「た…ただ働き……あれだけひどい目にあったってのに……一銭も……そんな…そんな…そんなぁああああああっ!!!」



 あたしがアマノの街へやってきたのは、何も船に乗るためだけでも、冒険者ギルドがあるからでもない。―――この街には図書館があるのだ。
 そもそもは周辺の地理や農作物の収穫高、河の氾濫による水害、人口など様々な記録を集めた資料室的な意味合いが強い。けれど、集められていく過程で多くの書物もその場所へ集まり、やがて人々へ解放されるようになると「図書館」となることがある。
 本来なら各国の首都ぐらいにしかないだろう図書館のあるアマノの街……フジエーダの神殿の大図書館でも見つからなかった「男へ戻る方法」がここで見つかる可能性はとても小さく思えたけれど、元々が雲をつかむような話なのだ。伝説伝承、そういった曖昧なものでさえ調べていかなければ、いつまで経ってもあたしは男にもどれはしないだろう。
 だからあたしはこの街に来た。―――けれど、なんかそれがとんでもない間違いだったと、骨身に染みて痛感させられたのだった……



「―――先輩、すみません。この街の図書館には先輩が元に戻る方法は……」
「………………」
「先輩? どこか具合が悪いんですか?」
「………うん…大丈夫…大丈夫だから……」
 急遽「あたしの依頼料どうしてくれるんだぁ!」慰め宴会の会場となった酒場で、やけっぱち気味に飲み慣れないお酒を飲みすぎた……意識はそれなりに残っているけど、傷心と盗賊たちにひどい目に合わされた疲れとで、宿屋に戻ってすぐにベッドへ倒れこんでしまった。
 あたしが偽造された依頼を受けていた間、代わりに図書館で調べ物をしてくれていた綾乃ちゃんの言葉も、今は特に何も感じない。元から期待が薄かったせいでもあるけれど、それよりも今は、依頼料ゼロの現実の方が……
「ッ………綾乃ちゃん、ゴメン。すぐベッドから退くから」
 そうだ。綾乃ちゃんにはあたしのわがままにつき合わせて何日も図書館で調べものを頑張ってもらったんだから、ベッドだけでも明け渡さないといけない。
 女二人だと、同室でも別段変な目で見られることはない。……あたしは別々の部屋がいいと言ったのだ。いくらあたしが女になっているとは言え、いくら綾乃ちゃんが「お姉様…♪」と呼び慕ってくれる時があるからとは言え、いくら綾乃ちゃんにおチ○チンが生えてる時に激しく×××してしまう関係だからとは言え、女の子と二人っきりで同室と言うのは精神的に非常にまずい。
 それなのに、節約しないといけない台所事情を知っている綾乃ちゃんが、「節約のためです」と、あたしがチェックインを任せた隙に相部屋にしてしまったのだ。
 しかもベッドが二つある部屋はすべて満室で、あたしたちが止まることになった部屋はでっかいベッドが一つ置かれた部屋……つまり、男の人と女の人が愛し合っちゃうためのお部屋なのだ。別に男×男ででも女×女ででも利用して構わないんだけど……この部屋を選ぶあたり、「もしかして綾乃ちゃんから誘われてる!?」とか思ってしまいわないわけがない。
 まあ、実際のところは宿屋の主人の奥さんが悪い方向へ「気を利かせた」結果だったりする。おかげで普通の一人部屋の値段でそれなりに広い部屋を利用できるのだけれど……綾乃ちゃんとの相部屋に居たたまれなくなったのも冒険者ギルドの胡散臭い依頼に飛びついた理由だったりもする。
 結局依頼料はなし。図書館でも有益な情報を得られなかったのだなら、明日にでもこの街を出なくちゃいけないだろう。軍の隊長さんから感謝状がもらえるとか聞かされるけど、さらには収入無しで船賃は結構痛いとは思うんだけれども、それでもこの街にそう長居するつもりはなかった。
 となると、明日のためにもゆっくり休んでおかなければいけない。あたしは毛布を手にベッドを降りると、きちんと掃除されている部屋の隅っこにゴロンと横になった。
「せ、先輩ッ! そんなところで寝てたら風邪引いちゃいます。ちゃんとベッドで寝てください!」
「ベッドは綾乃ちゃんが使っていいから。図書館での調べ物、大変だったでしょう? あたしも今日はさっさと寝るから……クアァ……」
 急にお酒が回ってきたのだろうか、大きな欠伸を一つすると、自分の荷物袋を引き寄せて枕代わりにして眠りに落ちる。確かに木の板は硬いけれど、野宿に比べれば何倍もマシだ。
「あの、あの、ベッドは広いんだから私と一緒に寝ませんか? 私は…えと……せ、先輩を信頼してますし……」
 ―――そう言う信頼は、嬉しくもあり苦しくもあり……我慢だ、あたし。ベッドに一緒にって……そんな嬉し恥ずかしな事、出来るわけがないしぃいいいいいいっ!!!
 考えただけでも頭の神経が焼ききれて血管が破裂しそうな恥ずかしさなのに、実際にそんな事をしたら自分がどうにかなってしまいそうだ。しかも綾乃ちゃんの少し恥ずかしそうな声は背筋が震えるほど可愛らしくて、ほんのり色気があって………ご、ごめん、やっぱりあたしは期待にこたえられません!
 笑いたければ笑えばいい。あたしは正常な人間としてやっぱり女の子との同衾は色々倫理上にも問題があったり道徳的に神様に顔向けできないような気がしないでもないけれどああやっぱり意地はらずに一緒に寝たら気持ちよさそうな夢が見られそうだとかうわなに混乱してとんでもない事考えてますかあたしの脳味噌!
 未だに鮮明に思い出せる綾乃ちゃんの裸体が目蓋の裏であたしを誘惑し続ける。いくら自戒しようとしても、枕にしている背負い袋の中には擬似男根とかも入ってるわけだし、どんなに強く目を瞑っても、綾乃ちゃんがあたしを呼ぶたびに、強い決意を込めた書誌がいとも容易く崩れそうになってしまう。
「あの……私が床で寝ますから、先輩がベッドで……」
「いい! いいから綾乃ちゃんは動いちゃダメ!」
「は、はぁ……」
 ………恐るべし、綾乃ちゃん。いつの間にあたしの男心(?)を刺激する技を身に付けたんだろう……あたしが一人でベッドを占拠する心苦しさに耐え切れずに綾乃ちゃんを呼んでしまう事まで計算に入れるなんて………それが、単に物凄く純粋な優しさだと思わせてるところがポイントよね、うんうん。
 このままでは、いずれあたしは自分の足でベッドへ入り込んでしまいそうだ。何か対抗策は……と考えをめぐらしていると、室内にコンコンと、控えめなノックの音が響き渡った。
『お客さん、もうお休みですか? 今、下に人が来てるんですけど』
「あ、はい、起きてます! ちょ、ちょっと待ってくださいね!」
 これぞ天の助けとばかりに、あたしは跳ね起きるや否や、ジャケットに袖を通して部屋を出る。「私も行きます」と慌てて準備をする綾乃ちゃんを、悪いとは思いながら部屋において、案内してくれる女将さんについて階下へ降りていった。


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