弟いじり〜イズミ君の受難〜 1


「おねがい、二人のどっちでもいいから居候させて!」
 部活の激しい特訓を終え、汗の臭いも気にせずに校門から出てきた男子二人組は、ショートヘアーの親友に突然そんな事を言われて、一瞬目が点になった。
 視線は二人よりも少し下。そのため、目は自然と上から下へと向かっていく。
 柔らかい髪の毛はショートヘアーで整えてある。触れれば手指の間からこぼれそうなほどきめ細かく艶やかで、一度でいいから顔をうずめて匂いを嗅いでみたいと、恋人いない暦が生まれてからずっとの二人に思わせるぐらいに美しい髪をしていた。
 そしてつぶらな瞳に整った顔立ち。この都市にして五歳から十歳は若く見えそうな幼い顔つきではあるけれど、抱きしめれば腕の中にすっぽり納まるほどの体全体の線の細さと危ういまでにバランスが取れている。もしこれでセーラー服でもブレザーでも、例え股間に食い込んで大事な部分が目立ってしまうブルマだろうとスク水だろうと、すこしでも自分の魅力を際立たせる服を着ていれば一日として周りの男子が放っておきはしないだろう。
 だが―――間違いが起こる前に説明しておくと、ここは男子校の校門前。出てきた二人ももちろんそこの学生であり、親友で、目の前で両手を組み合わせて瞳を潤ませ「おねがい…」のポーズを完璧にやってのけているのもまた、この男子校の生徒だった。
 簡単即決に言うと、この美少女も男の子である。
 もちろん着ているのは黒い詰襟。けれどこれもまた危うい。少しだぶついた感のある大き目の学生服が男の子の小ささを強調し、見えない体のラインが逆に想像力を刺激してしまうのであった。
 むろん、頭では目の前にいるのが男だとわかっている。……わかっているのに、あまりの美少女然とした可愛らしさのせいで、どこからどう見ても男装した女の子にしか見えない。胸は無いのについエッチな視線が薄い胸元へ吸い寄せられてしまい、部活後でハイテンションが抜けきっていない健全な男子生徒には理性や理屈や性別を越えて体の方が勝てに反応しそうになる。
 これが校内最強とうたわれている天津イズミ(出海)の恐ろしさだ。
 お年頃の男子の巣窟の中にあり、倒錯した耽美の世界に引きずり込まれそうなイズミの美貌(?)に敵う者は誰もいない。格闘系サークルの衝突の中にイズミ一人を放り込んでお願いさせれば、どんな激しい抗争だろうと瞬く間に収まってしまう。なにしろ「真っ当な恋愛がしたい〜!」と夢見れば夢見るほどにイズミの「破壊力」は威力を増し、抗えば抗うほどに強烈な葛藤の末にまともでいられなくなった神経がブレーカーのように落ちてしまうのだ。
 中には男でもいいからととち狂ったのがいて、下駄箱にラブレターいれたりトイレで襲い掛かってきたりした事もあった。――が、幸いにして出席番号がイズミの前後にあたるこの二人が運良く助けたりしたので最悪の事態だけは回避されている。だが、一年の時よりも二年、二年の時より三年へと、進級すればするほど友達であるはずの二人の心も、友達だからこそ見れるイズミの無防備な姿にぐらつく事もあったりしていた。
 そして、今がその時だったりする。
 「泊めて…」なんて女の子の方から言われるシチュエーションがどれだけあろうか。そしてそこから発展する微妙な関係から一歩踏み出すシチュエーションのバリエーションが一体どれだけあろうか……そんなもの、一つしかありえない。それこそ「同じベッドで朝から晩まで。いや晩から朝まで!」と考えるのが、いたって健全で体力万全思春期真っ盛りの男子生徒諸君の考えである。
 だが考えろ。イズミは男だ。
 血迷うな。男なんだってば。
 体育のときに確認したけど胸だって無い。水泳のときは競泳パンツがちゃんとモッコリしてた。どれだけ現実に夢と妄想が引き裂かれ、血涙を流した事か!………だが、それが分かっていながら引けない時もあったりする!
「………な、なんだよそんぐらい。俺んチならいつでも泊まりにこいよ」
 頭の中には、男の子のイズミといっしょに全裸でベッドにいる自分が浮かんでしまってどうしようもないと言うのに、もし泊めてしまえば抑えきれない自分がいるかもしれないのに、「あくまで親友」のお願いを断りきれずに声が裏返りそうなのを必死に抑えてドンッと胸を叩く。………まさに漢である。
「俺の家でも構わないぜ。遊びに来た事あるだろ? あれから母ちゃんも妹ももう一回イズミを連れて来いって言ってるし」
 片方が先んずればもう片方も後には引けない。様々な苦悩と葛藤を数秒の間に繰り返した親友の心中など知るよしもなく、結局二人両方からとめてもらえることになったイズミは満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう二人とも。恩に着るよ〜」
「そんなたいした事でもないけどな。でもなんで急に止めろなんていいだしたんだ?」
「えうっ……そ…それは……」
 さすがに理由ぐらいは訊く。するとイズミは口をつぐんで、胸の前で指をモジモジさせながら言おうか言うまいか必死に悩み始めた。
「………もしかしてお前の「姉貴」の事か?」
 「姉」と言う単語が出た途端、まるで小動物のようにビクンと体を震わせるイズミ。
「図星かよ……相変わらずだな、お前んとこの姉ちゃん。またいじめられたのか?」
「そういえば一年のときだっけ? 弁当箱あけたらでっかいハートマークが書いてあったの。あれはさすがに引いたなぁ」
「その後イズミ、弁当箱とカバン抱えて何も言わずに早退して、三日も休んだと思ったら次見つかったのは富士の樹海の入り口だもんな。かわいい顔して、そう言うときの行動力だけはすさまじいもんな、お前」
「体つきのわりには運動神経もいいのに部活できないのも「姉貴」のせいなんだったっけ。せっかく三人で全国目指そうとか言ってたのに、部活見学の間中、部屋に監禁させられたって」
 二人は心のドキドキを誤魔化すために、イズミ自身も忘れ去りたい過去の出来事を次々語り合っていく。その全てに登場するのは、過保護か虐待か紙一重の行動で姿を見せず恐れられるイズミに「姉」だった。
 イズミとは三年目の付き合いになるけれど、一度としてイズミの姉を目にした事がない。家に遊びに行くと言ってもイズミが頑として顔を縦に振らなかったし、ちょっと強硬な手段に出れば泣き出すので手に負えない。しかもただ泣くのではなく、込み上げる恐怖とトラウマに耐え切れなくなり、病気かと目を疑うほど全身をガクガクブルブル震わせながら嗚咽しながら泣きじゃくり、呼吸困難になって意識を失ってもまだ全身の痙攣は収まらず、保健室へ担ぎ込まなければ命も危うかったんじゃないかと思うほどの「泣き方」だった。
 「いやもうすでにあれは泣いてるとかそう言うレベルじゃなかったな〜」と言うのが二人の共通見解であり、イズミの心の傷に触れぬよう、それからイズミの家にいくという話をすることはなくなったのだ。
「………実は…今日からちょっとの間、お母さんがお父さんのとこにいくから……」
「お前んチ、父ちゃんが単身赴任だっけ」
「うん……それで、お姉ちゃんと二人っきりだから……だから……だから………」
 マズい……イズミの全身が震え始めた。
 よほど姉と二人っきりで過ごすのが恐いんだろう。いっそ警察に弟虐待で相談しに行った方がいいんじゃないかと二人は顔を見合わせる。
 なにしろ姿がわからないんだから、イズミの周囲ではその姉はゴリラかゴジ○かキングギ○ラのように思われている。一番有力視されているのがキング○ングだ。タワーの天辺でイズミを握り締めてウホウホ踊ってる自己中我がまま女。外見もきっとそれ相応のものだと噂されているのだが……
「イッちゃ〜〜〜ん♪」
「――――――!!!」
 イズミを落ち着かせようとしていると、道の向こうから買い物袋を手にした女性が手を振っていた。―――そしてその声を聞いた途端、イズミの心臓は大きく跳ね上がったまま硬直してしまっていた。
「お、お、お、お、おおおおねがいだから、ぼぼぼボクを匿って、埋めて、沈めて、放り投げてェェェ!!!」
「はぁ? なに言ってんだよイズミ。俺等がそんな事するわけ―――」
「そうよイッちゃん。こわ〜い人が来てもお姉ちゃんがギュッと抱きしめて守ってあげちゃうんだから、な〜んにも心配しなくていいんだよ♪」
 チラッと見た限りでは、まだ結構な距離があったはずだった。――が、遠くにいたはずの女性はあっという間に三人のいる場所までやってきており、「うおっ」と飛びのく二人をさらに押しのけ、逃げようとするイズミの体を両腕で抱きしめていた。
「おおおおおおおお姉ちゃん、なんで? どうして、どうしてここにィ!!?」
「んとね。イッちゃんがさびしがってるんじゃないかと思って買い物ついでに迎えに来たの〜♪ いっしょに帰りましょ♪」
 「お姉ちゃん…?」とイズミと抱擁する女性を見つめたまま二人の動きが止まった。
 正直に言う……美人だった。
 それこそアイドルにも引けを取らない美人だった。
 イズミとよく似た顔立ちながら、こちらは年上のお姉さん。腰まで届くロングヘアーはイズミへ頬擦りするたびに滑らかに揺れ、周囲に甘いシャンプーの香りを漂わせている。
 考えてみれば、姉と弟で顔が似ているのは当然の事だ。
 なにしろ造詣的には完璧な美少女のイズミの姉なのだ。まったく同じといわないまでも、ゴリラのような顔になるほどかけ離れているはずもない。むしろこの場合、イズミ大人バージョンでれっきとした女性である事が、傍にいながら目も向けてもらえていない二人には心の中で密かにガッツポーズをとるほど嬉しく、血涙流しそうなぐらい感激するほどの衝撃の事実だった。
 しかも突然の出来事……いや、運命の出会いのビビットショックが落ち着くに連れ、その体つきにも目が移る。……その途端、イズミの「お願い」で疼いていた性欲は一気に開放され、ズボンの股間を強く突っ張らせた。部活後と言う事で……いわゆる疲れマラでもあり、その反応は少年でもそこまで反応しないぐらいに敏感な充血ッぷりだった。
 背はヒール無しで二人と同じぐらい。女性としては高めではあるけれど、胸や腰周りのボリュームで均整が取れており、グラビアアイドルやモデルにも負けず劣らずのプロポーションだ。デニムのジャケットから覗く胸元は、一度は手の平に治めてみたい巨乳が突き出しており、イズミを抱きかかえてその胸を押し付けるのを見ていると、柔らかい膨らみに自分の手であれこれいっぱい悪戯しているいけない妄想が頭の中を駆け巡ってしまう。
 そんなうれしはずかしの濃密スキンシップ。男子校の全生徒に「してもらいたいですか!?」とアンケートをとれば、既に道を踏み外した1%以外の全員が「してくれェ!」と泣いて懇願するだろう。……と言うのに、
「なんで? ここにはこないって約束してくれたじゃないかぁ!!!」
 なぜかイズミはヌルヌルの大蛇に締め上げられてでもいるかのように恐怖で顔を引きつらせ、涙をボロボロと流していた。
「でも……今日からお父さんもお母さんもいないでしょ? お姉ちゃん、一人でイッちゃんを待ってるとさみしくてさみしくてさみしくて、ものスッゴくたまらないんだもん……だから一秒でも早くお家に帰りましょうね♪」
 あああああ、寂しそうな表情も、イズミを見つめる笑顔もいい。傍で見ている二人は妄想全開であった。
「うわぁ〜〜ん、ヤダヤダヤダぁ!! 助けて、助けて、助けてェェェ〜〜〜!!!」
 ………なんでイズミは、あんな美人のお姉さんを恐がっているのだろうか……?
 イズミを抱きかかえたまま校門前から去っていくお姉様の後姿を見えなくなるまでぼ〜っと見つめていた。
 結局、イズミの親友でありながら姉の方には一度として振り向いてもらえなかったわけだが、間違いなく今夜のオカズは決定した。いや、これからしばらくはあの人のことしかオカズには出来まい。てか、今度は無理やりにでもイズミの家に遊びに行こう。両親がしばらくいないと言っていたから明日にでも、そうだ今日今から姉から守ってやるとか理由をつけて、お姉さんに会いに行こうじゃないか!
 部活で使い果たした体力は、一目惚れした女神様への思いで回復した。
 互いに同じ思いを抱き、敵対する事よりも共闘する事を選択した二人はガシッと手を握り合い、明日からイズミの事を義理の弟と呼ぶことも硬く誓い合う。―――その横を、
「タ―――――ス――――――ケ―――――テ――――――……………!!!」
 一瞬にしてイズミが通り過ぎていった。
 乗っているのは大型バイク。
 運転しているのは彼らのスィート女神様。
 時速100キロを簡単に越える速度で校門前を通り過ぎ、衝撃波と音で砂と風とを舞い上げる。背中にはヘルメットをかぶせたイズミを逃げないように――いや、落ちないようにくくりつけ、爆音を響かせて一秒の間に速攻で通り過ぎていった。
 まさに一瞬。
 そして恋も一瞬。……スカートのままバイクに跨るお姉様の姿に、しばしあっけにとられてしまう
「………イズミが恐がる理由、わかった気がする」
「奇遇だな。俺もだ。………待てよ?」
 甘い香りも淡い思いも何もかも吹き飛ばし、残っているのは耳の奥に響き続けるバイクの音だけになると、片方が急いでカバンを開け、一冊の格闘雑誌を取り出した。
 記憶を頼りのページをめくり、目的の記事を見つけると、
「……なんだこの写真」
「カメラに矢が突き刺さる直前なんだと」
 丸い何かがアップで映る写真。それが「や?」と言われてもいまいち納得できない。そしてそのまま目を走らせて記事を読んでいくと……二人して顔を青ざめさせていった。
『日本最強の女子大生、またもや大会出場辞退!?』
 柔・剣・弓、全ての武道を極めた美人武道家。
 マスコミ嫌いか、それともスポーツ化した武道への反発か!?
 写真を無断撮影した記者、その場でカメラを断ち切られる!―――などなど、他には熊殺しや鮫殺しなど、とても女性への記事とは思えない単語が連ねられている。まさにスーパー地球人扱いだ。
 掲載されている写真もカメラに突き刺さろうとする矢の先端が見事に写った一枚だけだった。……遠く離れた屋上から望遠で撮影していたところ、狙撃されたらしい。その後の記者とカメラがどうなったか、気にしない方がいいだろう。
 もっともほとんどは眉唾な話ばかりである。もし事実なら女武蔵でも女三四郎でも名前が負ける。
 ただ、唯一事実らしいその武道家女子大生の名前はと言うと、
「あ……天津シズル(静留)……」
「俺たち……見てはいけない人を見たのかもしんねーな……」


 それはイズミと同じ苗字であり、まごうことなきイズミの姉の本名であった。


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