stage1-エピローグ 05


「―――行ってしまわれましたね」
 たくやと綾乃の姿が丘陵の向こうへ消えると、見送りに来ていた人間たちもたくやたちに負けずとばかりに明るい笑みを浮かべて門の前から去っていく。その笑みからも、たくやがこの街に迷惑をかけただけではない事がうかがえた。
 その中で人々の中でなお、いつものようにぶくぶく太った体を惜しげもなく晒した神官長と隙無くスーツを着こなしたジャスミンの二人は、堅い表情を浮かべて人がいなくなるまで門の外を見つめていた。
「どうして言ってあげなかったんですか? 見当は付いておられたのでしょう?」
 まるでわざと重要な部分を隠すような言葉で神官長に問いかけるジャスミンだが、それは相手が自分の言わんとする事を既に気付いていると確信しているからである。
「そう言うジャスミンさんもたくやちゃんには言わなかったアル」
「………言えるはずもありません。おとぎ話よりも古い、神話の主役が神から人へと移る中に埋もれた事柄を持ち出しても信じられるわけがありませんし、確証も得られていません」
「『エクスチェンジャー』アルか……たしか『性転換者』が変じて『完全者』と言う意味だたアルかな?」
「『欠片を補いしもの』と言う方が適切でしょう。性別と言う神の定めた運命から解き放たれ、それゆえに運命を変える力を持つもの……ここまで抽象的ではそれこそおとぎ話です」
「しかしさまざまな解呪を試したあるが、男に戻るどころか揺らぐ気配すら見せなかったアル。………もしそんな存在が実在すれば、たくやちゃんはとんでもない重要人物になるアルな。それこそ世界の命運すら変えかねないアル。もっともエクスチェンジャーなんて書物に埋もれた神話マニアぐらいにしかわからんと思うアルが」
「フジエーダには静香様が滞在と言う事もあり、各国の密偵が出入りしていました。可能な限り対処はしていましたが、たくや様の存在を知った国や組織は何らかの行動を起こすでしょう。考えられる対処は拉致か抹殺」
「こ、恐い事を平気で言うアルな……」
「脅威となるかわからないものは事前に排除しておくべき……全ての国がそう考えるわけではありませんが、最も安全かつ確実な対処法である事は心得ているでしょう。道徳を無視して動き出す国が一つか二つ出てくるだけで、たくや様のお命はかなり危うくなるでしょう」
「たくやちゃんも大変アルが大丈夫アルか?」
「それはなんとも……ですがたくや様ならばどのような危機も乗り越えられると信じておりますから」
「これはまた、絶大な信頼アルな」
「信頼しているのは、たくや様を見初められた静香様を、です。―――時に神官長、以前よりお願いしている件ですが」
「ああ、王女様のお付きとして女性の僧侶を一人、クラウディアまで同行させたいというお願いアルか?」
 ―――コトッ
 二人以外は誰もいなくなったはずの門の傍で物音がする。そこに女性の僧侶が一人隠れている事を知っていながら、何事もなかったように、神官長はアゴに手を当て、ジャスミンは胸を抱えるように腕組みした。
「そうアルなぁ……クラウド王家の王女様に同行するから太鼓判を押せるほど安全にクラウディアまで行けるアルな」
「静香様への配慮もありますから、女性である事はもちろん、出来れば歳も近い方が好ましいです」
「一応みんなに希望を聞いてみるアルが、クラウディアに付いた後はそこの神殿に勤めるのも可能で……」
「クラウディアにある光の神殿の僧侶や神官は、時には冒険者に同行して修行する事もあります」
「ほうほう、冒険者アルか。それならいつかはたくやちゃんとも会えるアルな」
「クラウディアへ向かうのであれば道中で再会する可能性もありますね。あくまで可能性の話ですが、行く先々でたくや様の同行を耳にする事もできるでしょう」
「はてさて、誰かいないアルかなぁ……」
「そうですね。誰かいないものでしょうか……」
 ―――あ、あの!
 門の影に隠れて出てこなかった少女が声を出して姿を見せる。それを待っていた神官長とジャスミンはわざとらしく驚きの表情を浮かべて、そちらへ振り返った―――


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 ―――昼。
 大通りに面したオープンカフェは被害も少なく、場所が広いことから炊き出しなどが行われていた。
「―――と言うわけで、任務放棄によりあたしはお役ごめん。形式上は水の神殿を一身上の都合でやめて、故郷のクラウディアへ里帰り〜って事になるでしょうね」
 廃材を利用して作られた長椅子に腰掛け、パンやらスープやら三人分を平らげた僧服姿のミッちゃんは、集まってきたハトにパンくずをやりながら独り言を話していた。
「ふ〜ん、たくやちゃんはもう出立しちまったのか。知ってりゃ俺だって見送りに行ったのに」
 その隣にはフジエーダで情報屋を営んでいる大介が反対向きに腰掛け、お椀の中身を口の中へ掻き込んでいた。
 二人は決して目を合わしてはいない。回りからは他人にしか見えないように装っているが、お互いにのみ聞こえる特殊な発声法で情報をやり取りしていた。
「あ〜あ、たくやちゃんが目を覚ましたって聞いたから今日にでも風呂場や着替えを除きに行こうと思ってたのによォ……」
「あんたがそんな事して袋叩きにあっても私は一切関知しないから。むしろ蹴り倒して気絶させて、情報発覚する前に毒物飲まして殺しちゃうかも」
「お、おっそろしいこと平気で言うなよ。―――しっかし、昨日あんなことしといて今日は平然と飯食ってる。いい根性してるぜ、この街の人間って」
 大介が顔を上げれば、この場に集まった人間の中からたくやの凌辱に参加していた者の内の五人をすぐに見つけ出す。たくやを睨みつけていた少女も母親と食事をしながら、ベンチに座って明るい笑みを浮かべていた。
「別にいいんじゃない? たくや君も気にしてないみたいだったし」
「ウソ!? あれ、普通は死んでるぜ? 頭を何発木材で殴られたと思ってんだよ」
「それでも生きてるたくや君がスゴいのか、それとも………よし、できた」
 ミッちゃんは一羽のハトの足首に小さな筒の付いたベルトを巻きつけていた。取り付け終えると、ハトを両手で空へと放り投げる。
「これでこの街での最後の仕事も終わり。後は身の回りを整理して旅立つだけか……で、あんたはどうやって情報伝えるの?」
「心配ご無用。もうこの街には商会の人間がやってきてるよ。そいつ等につなぎを取れば俺もお仕事しゅ〜りょ〜ってわけ。どう? その後は俺とクラウド王国まで二人旅ってのは?」
「お生憎様。あたし、これでも一人前の娼婦ですので。隣の部屋で別の男とアンアンエッチしてるのに聞き耳を立てる気? 言っちゃうわよ。変態」
「ウグッ……ま、俺は戦闘はからっきしだし、適当なヤツを見つけてパーティー組んで追っかけるさ。……噂をすれば、ほれ」
 ―――せんぱ〜い、どこですか〜? たくやせんぱ〜い……
「あ〜、そう言えばいたっけ。たくや君に熱を上げてる子」
「つーわけで姐さんの旅の無事を祈ってるよ。……ちなみに、途中であったら割引は?」
 一晩の値段を聞いてくる大介に五本の指を立てて見せて、
「五割増し」
「うげ……割り増しかよ!」
「知り合いなら当然でしょう?」
「チェッ。ガメついな。そんじゃーまー、俺のが先に出立かな」
 ベンチから腰を上げると、大介は腰を伸ばす。と、ミッちゃんは右手の人差し指を空へ向けて伸ばし、くるくる回して円を描く。
「じゃあ最後に一つだけとっておき情報」
「あン? 今日はえらく気前がいいじゃない。なに、俺に惚れイデデデデッ!!!」
 とんでもない事を口にしようとした大介が突然空から舞い降りた無数のハトに襲われ、角刈りの頭を突付かれる。回りが突然の珍事に笑い声を上げて大介を見つめる中で無視するのも不自然であり、とりあえず食べ終わった食器を手にしてベンチから逃げながら呆れた眼差しを送る。
「馬鹿言ってんじゃないわよ。どうせこの情報はその内全世界に知れ渡るんだから」
 次第にハトの数は笑い事ではすまない数になってきた。地面へ倒れこんでジタバタもがくほどハトが集まり、大介の体が見えなくなるぐらいにハトに覆い尽くされてる。
 自分が呪をかけて襲わせているのだが……情報屋を名乗る以上、こんな状態でもこちらの言葉を聞き逃すはずはないと決め付けて、「とっておき」と言った情報を口にした。
「十字騎士クルセイダー。教会公認の勇者が今日明日中にも決定するのよ……魔王であるたくや君を殺すためにね」
 背後で断末魔の悲鳴が上がるのを聞きながら上を見上げれば、放り投げたハトの姿は青空の彼方に消えている。
「もしかすると……たくや君、自分の知ってる人に殺されるかもしれないのよ……」


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 大陸の西部にある教主国カータ=ギーリ―――
 全世界で崇め奉られている六柱の女神に加え、その上に立つとされる星を司る男神ロディを崇拝する宗教国家であり、国土は小さくとも神の力を授かった神殿騎士団は近隣諸国でも勇名を知られていた。また世界的に有名な魔道師の里アイハランより六柱の女神に対応した六人の宮廷魔道師を抱え、神・剣・魔、全てにおいて強大な力を持ち、西部諸国の盟主的な役割を担っていた。
 だが、カータ=ギーリを揺るがす一つの事件が起こる。………アイハランの地に封印していた魔王パンデモニウムの復活である。
 この事件に関しては当然の事ながら緘口令が敷かれた。だが封印が解けた際に天を突く巨大な光柱が出現し、かりそめの「勇者」による封印強化の儀式は村では祭とされていたので、大勢いた村外部の人間たちがやがては村で起こった出来事を世界中に広め、ある程度事情を知るものにはすぐに魔王復活が知られる事になるのは明白だった。
 だが情報のそれ以上の流出を制限すれば、それだけ時間が出来る。その間にカータ=ギーリが為すべき事……それは教主国の役割として、真の「勇者」を選出する事だった。
 ―――十字騎士クルセイダー。
 神殿騎士、修道騎士よりも上位とされ、魔王を討つことためだけの騎士。
 それは魔王を倒すために世界中が期待し、公認する「勇者」に与えられる称号といってもいい。カータ=ギーリが公認することにより同盟国全ての援助を受け、活動範囲は全世界に及び、平和を脅かす者を倒すのが十字騎士の役割であり、使命であった。
 実際、魔王が復活するのは過去の魔王戦争以来のことであり、カータ=ギーリはそれ以後に作られた宗教国家である。もちろん選出したクルセイダーが魔王と戦ったことなど一度としてなく、これまでは一種の名誉職として家柄も確かな神殿騎士に与えられ、戦争の調停などにその名が使われることが多かった。
 そのため四ヶ月前までは騎士団の将軍が兼任していたのだが、魔王が実際に復活したとなると話は変わってくる。
 求められるのは魔王を越える強さ。全世界を旅する行動力。そして勇者にふさわしいだけの人望である。
 当然将軍職にいる人間を十字騎士クルセイダーとして世界を旅させるわけにはいかず、有望な神殿騎士、修道騎士から新たに選任しようとしたのだが―――



 競技場の中央で、馬上の騎士は重量のあるランス(馬上槍)を構え、油断無く相手と向かい合う。
 御前試合決勝――神殿騎士の代表と修道騎士の代表とが戦うこの試合の勝者へ、十字騎士クルセイダーの称号が与えられる。
 それは今まで最高の名誉とされてきた称号と意味合いは異なるものの、騎士にとって最高の誉れである事に代わりは無い。それがあと少しで手に入れられるかと思うと、全身に力も入る。しかしそれは戦いの前ではかえって心地よく、騎士の心を昂ぶらせていた。
 全身鎧に身を包み、兜の面を下ろせば全身くまなく鉄板に覆われる。左手の大盾、右手のランス、そして跨るのは世界でも十頭といない実力を持つ名馬である。その名馬もまた、全身を鎧に身を包んでいる。
 一方、騎士と向かい合っているのはうら若き女性だった。
 身にまとうのは女性騎士用の軽装鎧。白を基調にした鎧で、右手には長剣を持ち、左手には何も持っていなかった。
 観客は全てカータ=ギーリに所属する騎士であり、競技場の最上段に設けられた来賓席にいる側近を連れた年老いた国王のみ。ただ、修道騎士で試合を見に来ているものの数は異常に少なく、全体の人数はそれほどおらず、いまいち盛り上がりに欠けていた。
 両者を見た周囲の目からは、勝負は明らかに鎧で身を固めた騎士の勝利で終わると思われた。
 全身鎧に馬に跨り試合に臨むのは卑怯とも捉えられるが、この試合には「己が最強を証明する」ことを第一とされている。装備には一切の制限は無く、馬に跨り出場した者は他にも大勢いた。誰も咎める者はいないだろう。
 また逆に、あれだけの重装備ではかえって動きを阻害されてしまう。馬も力を発揮する事は出来まい。それでも圧倒的な力で決勝まで勝ち進んできたのは、ひとえに騎士の実力であった。
 ―――この勝負、もらった。
 周りの目がそう感じるように、戦いに挑む騎士もまた、自分の勝利を確信していた。
 おそらくは修道騎士であろうが、どうして女の身でありながらここに立っているのかは知らない。運だけでここまで勝ち残れるはずは無いが―――クルセイダーの名誉を受けるのは自分だと、騎士はそう確信していた。
 名門騎士の家系に生まれ、以来このかた武術と馬術を磨き続けてきた。クルセイダーともなれば、一度国を出れば戻るまでに何年、何十年と掛かるだろうが、胸に燃える正義感と、その後に待つ栄誉を考えれば何も恐れるものは無い。
「――――――!!!」
 騎士のわずかな体重を前へ掛ける。それに反応し、重装馬が地面を抉るほどの強烈な蹴りで女性へと突進した。
 女性騎士に勝機があるとすれば、身軽さを最大限に活用してこちらを幻惑し、体力を奪う作戦しかない。だが騎士の跨る馬はその余裕さえ与えないほどの高速……いや神速で突進する。スレイプニルもかくやと言う鬼気迫る迫力は、競技場に詰め掛けている他の騎士や観覧している王や側近に目を見張らせた。
 ―――クルセイダーは私だ!
 相手を跳ね飛ばさん勢いの馬の神速に加え、騎士の槍もまた光速で放たれる。それは人の目で捉えることは不可能に近い、生涯にもう一度打てるか分からない、最高の一撃だった。
「………邪魔なのよ」
 女性騎士が剣を振るう。―――間合いは馬にすら遠い。完全に目測を誤ったかに見えた攻撃であったが、馬上の騎士の突撃攻撃は正面から強大な圧力を受け、その速度を緩めざるを得なくなってしまう。
 吹き飛ばされなかったのは騎士と馬、双方が身につけていた重装備のおかげだった。だが踏みとどまれはしたものの、槍の向かう先からは女性騎士の姿は消えてしまっていた。
 ―――頭上。
 それに気付いたのは偶然でしかない。地面へ映る自分のもの以外の影が兜の隙間から見えたのだ。
「――――――ッ!!!」
 息を止め、全身の筋肉を収縮させて生み出した力で重いランスを頭上へ振り上げる。―――だがそこにいたのは黒い姿をした人の姿でしかなかった。
「幻影か……ッ!」
「そう言うこと」
 姿を消した女性騎士は上ではなく、下にいた。自分の影のみを頭上へ飛ばし、気配を消して堂々と馬の前にたたずんでいた。
 ランスを振り抜いた後では次の行動までに時間が掛かる。咄嗟にランスと大盾を手放し、腰に差した剣を左手で逆手に抜き放つが、既に女性騎士の呪文が完成していた。
「―――ディグボルト!」
 馬の首筋に当てられた右手から無数の電撃の蛇が騎士と重装馬の全身へと絡みつく。
「ッッッ………!!!」
 神の祝福を受け、なおかつ魔法抵抗を上げる工夫のなされたフルプレートであった。だからこそ、騎士もまだ動けた。
 家の名誉のため、クルセイダーと言う称号への渇望に突き動かされた騎士は辛うじて意識をつなぎとめると、剣を両手で握り締める。
「悪いけど……クルセイダーの称号は渡せないの!」
 女性騎士めがけて突き出される剣の一撃。―――それを女性騎士は自分の剣で切り上げ、騎士の手から跳ね飛ばす。
「私はあんたたちの騎士ごっこに付き合うつもりはないの!」
 いらただしくそう吐き捨てると、跳躍の魔法を一瞬で発動させた女性騎士が馬上の騎士よりも高く飛び上がる。そして振り上げた剣に魔法の光を巻きつかせると、騎士の頭部へ横殴りの一撃を叩き付けた。
「――――――!!!」
 重い鎧を身にまとった騎士が吹き飛ばされ、代わりに主を失った馬上に女性騎士が身軽に着地する。
 ―――その瞬間、新たなクルセイダーが誕生した、……のだが、観客である神殿騎士や修道騎士からは歓声ではない。むしろ戸惑いとざわめきの声しか聞こえず、誰も彼女の勝利を祝おうとしなかった。
「しょ、勝負あり! こ、これにて十字騎士選抜の――」
 結果が信じられず、審判を勤める騎士の反応が少し遅れる。地面へ倒れているのは、神殿騎士で最も強く、将来は将軍位に付く事が有望視されていた騎士だ。だが公平な判定をすることが義務である審判はゆっくりと旗を揚げ、勝者の名を宣言しようとしたのだが……その時既に、女性騎士は頭上から観戦している国王を睨みつけていた。
「国王陛下、まだ私を試すおつもりですか!」
 凛とした美しい声ではあるが、それを耳にした者は年老いた国王へ向けた言葉だとは思わなかった。
「あなたは言われました。修道騎士となり、腕を磨けば魔王討伐に力をお貸しいただけると。ですが実際はどうですか。見栄と権力欲にまみれた騎士の中で、幾度辱めを受けそうになったか。誰一人私には勝てず、女性だからと言われ無き差別を受け、ただ一人で剣と魔法の腕を磨き、夜は安堵する時間すら与えてもらえない。この様な日々をいつまで過ごせというのですか!」
 彼女は強く、美しかった。
 長い髪は腰にまで届き、少女から大人へと成長しようとしていく美貌は男性社会の騎士団の中にあって、望む望まないに関わらず自然と注目を浴びた。
 国王とカータ=ギーリを守護する六人の魔法使いの推挙を受けて修道騎士となったが、入団当初は誰もが見惚れた彼女は……数日後には誰からも恐れられるようになっていた。
 誰も彼女に敵う者はいなかった。幾多の戦場を潜り抜けた騎士でさえ、彼女の剣の前に地面を舐めさせられた。
 本来ならば尊敬されるべき実力者でありながら、若い女性である事が災いした。平民から厳しい試験の末に何年もかけて修道騎士の称号を手にした男たちには、自分たちと一線を画す彼女の何もかもが気に入らなかった。
 入団して十日も立たないうちに、女性用の宿舎で休んでいた彼女は数人の男たちに襲われると言う事件が起きた。
 女は男の下にいるべきだ……騎士となるために努力を積み重ねてきただけに、男性上位の意識を持つ者は騎士団の中には多い。自分を打ち負かした女をベッドの上で屈服させようと、屈折した劣情を抱いた者は少なくなかったと言う事だ。
 だがその不名誉な事件は、上層部に伝わる事無く解決を迎える。―――襲い掛かった騎士の全てが撃退されると言う結末を迎えて。
 それ以後も、彼女への嫌がらせ、そして機を見ては暴行に及ぼうとする騎士は少なくなかった。表ざたに出来ない事件であるため、そういった者たちには謹慎が命じられたが、それがかえって彼女の周囲に敵を増やす結果になり、誰一人味方になってくれるものもおらず、騎士団の中にありながら孤独な日々を過ごさざるを得なかったのである。
「………わかった」
 仕える主君への暴言を止めようと、騎士たちが女性騎士を取り押さえようと動き出す。その動きを止めたのは誰でもない、言葉を向けられた国王自身だった。
「確かに、ここでの日々は君にとって無為無用な時間であったのかもしれない」
 侍従長と伴い、国王が試合を観覧していた来賓席より出、競技場の階段をゆっくりと下りていく。
「だが私が君の身を案じ、提案した事だけは忘れないで欲しい」
 国王が競技場へ足を踏み入れると全ての騎士がひざまずいた。その中央で老王と向かい合った女性騎士だけは平伏しようとせず、軽く頭を下げただけに留めた。
「その事には感謝しております。しかし私は……」
「言うでない。そなたの気持ち、分からぬ訳ではないからな」
 後ろに控えていた侍従長が国王の横へと周り、膝を付いて手にしていた剣を差し出す。それを手に取った国王は女性騎士に優しさと悲しさの混在する眼差しを向け、十字騎士の証明として貸し与えられる剣を差し出した。
「いまより其方を十字騎士に任命し、この星の剣を授ける。その力を持て人々に安寧をもたらさん事を切に願う」
「それはお約束できません。私が魔王に挑むのは個人的な理由によるものですから」
 王が差し出した剣を礼もわきまえず片手で受け取った女性騎士は、長い髪を翻して背を向けると、神戸を垂れる騎士たちの間を通り抜けて闘技場の出口へと向かい始めた。
「―――明日香よ」
 名前を呼ばれ、幾人もの騎士を倒してクルセイダーとなった女性騎士――明日香は足を止める。
「今の其方は抜き身の剣じゃ。鞘を持たない剣は触れるものを傷つける。他者だけではなく、自分自身もな。其方の心を満たしている悲しみを忘れろなどとは言えぬが、決して早まった真似だけはするでないぞ」
「……ご忠告、ありがたく頂戴いたします」
 明日香の言葉を聞いて国王が頷く。
「して、これよりどこへ向かうつもりじゃ」
「南部域へ。光の柱から感じられた魔法力は南東を向いていました。あの時の魔力量から考えても、近隣ではなく超長距離の転移だと思われますから」
 その答えに満足そうにもう一度頷いた国王は、両手を水平に広げる。
「ならば行くがよい。汝の未来に幸があらん事を。そして神の祝福があらん事を……」
 ―――言われなくても、私は一人でも行くつもりよ!
 神など信じない。―――拓也を奪った神をどうして敬うことができようか。
 必要なのは力だけ。―――魔王を殺すのに星の剣が必要だからここにいた。
 立ち止まる必要はない。明日香をこの地に留める理由の何もかもが無くなった。
 もはや名実共に十時騎士クルセイダーとなった明日香は拓也がいた時には見せた事の無い鋭さを増した瞳で前だけを見つめる。それは抜き身の剣に例えられた明日香の心情と同じく、目に映るもの全てを切り刻みそうな眼差しであった……



『あれがたくやの幼馴染か……美人じゃが胸も平均じゃし恐ろしいし鎧着込んどるし、パフパフは無理じゃのう』
「………あなたは人を胸でしか判断できないのですか?」
『いやいやいや、もちろん胸だけじゃないぞ。尻の形も見ておるし、ウエストのくびれ方だってちゃ〜んと魔王様アイでじっくりタップリ観賞しておる。いやいやいや、あれの幼馴染と言うから期待はしていなかったが、なっかなかの美人じゃ。ああいうのは普段まじめぶっておるから、一度火が着いたらベッドの上では激しく燃えるタイプなんじゃよこれが♪』
 前代未聞の十字騎士誕生に騒然とする競技場。その最上段には黒い白衣――と言うのは言葉がおかしいが――を着た一人の少女が立っていた。
 まだ子供のようにも見える。背は低く、短めの黒髪を頭の左右で束ねていて愛らしく見えるが、眼下で動く人間を見る目はアリの行列を見るのに似た色を帯びていた。しかもただ見るだけではない。水をかける…板を置く…踏み潰す…自分の興味のためならばアリにそうするのと同様の感情で、競技場内にいる人間に同様の事を確実にする目だった。
 だが、今日は十字騎士を決める御前試合であり、神殿騎士、修道騎士の称号を持つもの以外は競技場へ足を踏み入れることは許されていなかった。目立つ黒い服を着ているのに誰の目にも留まらず試合を観戦していた少女は、敵に回したいとは思わない新たな十字騎士の姿が消えると、わずかに緊張していた事に気付き、息を吐きながら肩から力を抜いた。
「しかしあの男も馬鹿ですね」
『ん? あのホモメガネのことか?』
「そうです。街の一つも占拠できず、女に目がくらんで勝機を逃した馬鹿な男のことです」
『……ワシも同じミスならしてみたいなぁ。もっとも、それをやるのは失う物が何も無い時か体勢が揺るがぬ時だけじゃがな』
「賢者に匹敵する魔道師でありながらあなたの存在価値に気付かず、技術供与の礼の代わりにと私へ押し付け、挙句の果てには魔王ギルドからも放逐されたのですから。もうあの男には何も残っていません。今まで築き上げて蓄えてきたもの、それら全てを一度の失敗で失ったのです」
『魔王ギルドか……あの時お主に入れ知恵されておらんかったら、ワシ、速攻でバラバラにされ取ったじゃろうな。けど、お主だってすぐに脱退したくせに』
「目的は達せられましたから。あなたを手に入れたのは、まあ、物のついでですね。運が良かったのでしょう」
『ふぅむ……何が目的じゃ? 魔王ギルドとやらに所属しておったが、「魔王」に固執しておるようにも見えん』
「私の目的は全ての英知を手に入れること。あの男が「英知の魔王」? 片腹痛いとはこの事です。もしその名を名乗るものがいるとすれば、それは私以外にありえません」
 そう言いきった少女は胸を反らせるが、その膨らみは見るからに同年代の少女よりも少々……いや、かなり薄かった。
『はぁ〜……せめておっぱいがもうワンカップ大きかったらなぁ……』
「う、うるさいですね。いずれ、私の体は誰もがうらやむナイスボディーになることは研究結果からも明らかなのです。決して小さいのではありません。成長途中なのです!」
『まぁよいか。おっぱいは他にもある。――んで、次はどこに連れててくれるのじゃ? なにしろワシはまだ世界のほとんどを見ておらん。再び魔王となるためにも今は少しでもこの世界の事を知らなければならん』
「そうですね……敵対するであろうクルセイダーを見にカータ=ギーリまで来ましたが、ここはあなたの封印されていたアイハラン村に近い。一度解けた封印にどれほどの効力があるか分かりませんが、用心するに越した事はありません。ここから西へ向かってもさして目を引くものはありませんし、今度は中央へ飛んでみましょうか」
『中央……今はクラウドとか言う国があるところか』
「飛翔機ならば三日もあれば到着するでしょう。新たな研究所にする土地は、出来るならば多少の利便性を考慮して大都市に近い方がいいのですがね」
『では行こうか、え〜っと……千歳、だっけ?』
「いい加減に名前ぐらい覚えてください。私は千里、大錬金術師の千里です。今度間違えるようなことがあれば、パンデモニウムの書と言えども、私の研究材料にしてしまいますよ」
 おお恐い、と千里の腕の中で黒い革表紙の魔道書が身をすくめる。
 黒い衣をまとった錬金術師が抱くモノ。それは紛れもなく、佐野と共に転移した魔王の書の本体だった―――


第九章「湯煙」01へ