stage1-エピローグ 04


 ―――あたしが街中で凌辱を受けた、その夜。

「魔王様、お願いがあります」
「ダメ」
 中庭の中央で光り輝く魔法陣。その上に立ち、ジッとこちらを見つめるメイド服の悪魔っ子の嘆願をあたしはあっさり却下した。
「最後のご奉仕をさせてください。僕へ魔王様を傷つけた者たちへの報復の命を」
「ダメ」
「魔王様の肌を傷つけ、あまつさえ乱暴を働いたなんて、とても許されるものではありません。必ずや全員を魔王様の御前へと引っ立て、首から上を粉砕してごらんにいれます」
「ダメ」
「逃げた者は地の果てまでも追いたて、地獄の苦しみを与えた末に焼き殺しましょう。いえ、局部のみを焼き尽くし、爪先から石臼ですりつぶしてミンチにしては野獣どもの餌として荒野にばら撒いてしんぜましょう」
「ダメ」
「………………」
「ダメッたらダメ。そんな潤んだ目で見たってダメなものはダメなんだから」
 あたしが帰ってきてからずっとこれだ。どんなにメイド服を着て女の子と見間違えるぐらい可愛らしいのにやっぱりデーモン。やり返すといっても程度という物が一般常識をはるかに超えていて、一言許可すれば、たちまちに内に街ひとつぐらい焼き払いそうだから始末に終えない。
 ―――まあ……それだけあたしの事を大事に思ってくれているというのは嬉しく思うんだけど……
「……しかたありません。魔王様が寛大なる慈悲の心でお許しになると言うのでしたなら、僕はそれに従わせていただきます」
 ―――出来れば最初からゴネないで従って欲しかったな……おかげで随分時間を食っちゃったし。
 デーモンのフィストの足元に描かれているのは、デーモンや多くのモンスターがすんでいるという魔界とあたしたちの生きているこの世界とを結ぶための魔法陣―――正確には召喚陣と対を成す送還陣だ。これからこの魔法陣を使って、フィストを魔界へと送り返す。
 あたしも明日にはフジエーダの街を出立する事になり、フィストとの契約を早めに済ませておこうと思ったんだけど、当然受け入れてもらえると思った契約の話はフィストに断られてしまった。なんでも……家庭菜園が気になっているそうだ。それはまあ、目の前にいるメイド姿の似合いっぷりを見ていれば家庭菜園やっててもおかしくは無いんだけど、突然、前触れも無く強制的にこの世界へ呼び出された事を考えると、あたしと契約させて無理やりこの世界にい続けさせるのもかわいそうになり、大急ぎで送還の準備をすることにしたのだ。
「もうしわけありません。魔王様より契約のお誘いを受けながらそれを断り、こうして魔界へ帰る事までお許しいただき……」
 フィストはあたしの役に立つ事を何一つする事無く魔界へ帰る事に負い目を感じている。気にする事は無いと言っているのに、自分から言い出した「最後の御奉仕」も断られ、うつむき、悔しさから込み上げる震えをメイド服のスカートを握り締めて必死に押さえ込んでいる。
 魔界へ帰りたいと言い出したのはフィストの方。突然の召喚で見知らぬ世界へと呼び出された……それはあたしと同じ境遇だ。だから帰りたいと思う気持ちはよく分かる。
「………そういえば、魔界で紅茶を作ってるって言ったよね」
「あ、いえ、決してボクの再演と魔王様とを比べているわけではなく……」
「いつか、あたしが魔界へ行った時にはその紅茶、絶対にご馳走してよね」
「え………」
 あたしの言葉を理解するのに、メイド服を着た悪魔は数秒の時間を要した。叱責を受けるとでも思っていたのだろうか、最初は困惑の感情を顔に浮かべ、あたしの笑みを見つめながら次第に表情をほころばせて行くと、
「はい。魔王様のお越しを心からお待ちしています♪」
 ―――問題は魔界に行けるかどうかなんだけどね……ま、いっか。
 涙をこぼすぐらい嬉しそうに微笑むフィストには、とてもそんな事を口には出来ない。頬をかきながら次第に強くなる魔法陣の光に包まれるフィストを見つめていると、不意に手が伸ばされ、
「………いつまでもお待ちしています。またお会いできる日を」
 細い腕からは想像も出来ない力で体を引き寄せられ、顔が近づいてきたかと思うとそのまま唇を奪われてしまう。
 どんなにかわいく見えて、メイド服を着てても男の子……ほんの少しだけ拒んでしまいそうになるけれど、男の子とは思えない柔らかい唇の感触に小さく鼻から呼気を漏らすと、
「んっ………」
 あたしの方からもフィストの首に腕を回し、半開きの唇へ下を差し入れてしまう。
 ―――慣れて…ないんだもんね……あたしが少しだけでも…リードしてあげなきゃ……
 舌を絡ませると、フィストもおずおずと舌を動かし、あたしを迎え入れてくれる。けれどその動きはたどたどしい。あたしと結ばれるまで経験した事がないと言っていたんだから、キスだって初心者……まるでおびえるようなキスにあたしは心の中でクスッと笑みを漏らし、ちょっとだけ大胆に、可愛らしいデーモンの口の中を舌先でくすぐってしまう。
「ふぅ…んっ…んぅぅぅ……」
 あたしの舌がフィストの口を犯しているみたい……ピチャピチャと唾液のはぜる音が口の中いっぱいに広がり、唾液が唇の周りをヌルヌルになるぐらいにあふれ出す。
「ま…魔王様……こんなキス……初めて…んッ………」
「もう……魔王じゃなくて…お別れの時ぐらい名前で呼んで欲しいな……」
「そ、そんな、魔王様の恩名をお呼びするなんて」
「………だめ?」
 唇を離し、ほとんど同じ高さにあるメガネをかけたデーモンの瞳を覗き込み。下からの光に照らされて赤くなっているのがよく分かる。きっとあたしも同じぐらい頬を火照らせているんだと思うと、恥ずかしさで胸が大きく高鳴ってしまう。
「………たくや…様………たくや様ぁ………」
 キスの魔力に耐え切れなくなって、あたしの名前を呼びながら唇を突き出してくる。今度はさっきよりも激しく、メガネのレンズがあたしの顔に当たり、カチャカチャと音を立てるぐらいに大きな動きで顔を捩じらせながら唇を貪りあう。
「本当は…このまま帰りたくない。たくや様と、こんなキスを毎日していたいのに……んうッ、んむうぅぅぅぅぅ!! んんんっ、んんんぅ、んんんんんっ!!!」
 ―――あ……だんだん気持ち…よくなってきちゃう……からだ…火照っちゃうぅ………!!!
 あまりに情熱的な口付けに、リードしていたはずのあたしの方が徐々に興奮が昂ぶって収まりが付かなくなってきてしまう。胸に手が伸ばされ、シャツの上から膨らみに指が食い込んでくると、甘い痺れが全身を駆け巡って下着の奥からジュンッと熱いモノが滲み出してくる。
「ボク、絶対にたくや様に会いに来ます。 はぁ、はぁ……もう…たくや様じゃなきゃ、僕、ダメになっちゃってますぅ……だから、魔界に帰っても、ずっとたくや様の事を忘れません!!!」
 ―――んっ! んぅうううっ! フィストのおチ○チンが、スカートを押し上げて…あたしの股間、グリグリしてる……やだ、腰が浮いちゃう…おっぱいも、そんなに激しく揉まれたら、あたし、もう、こんなところで、立ったまま、
「たくや様、ボクのおチ○チンが、暴れて、我慢が、ああっ、あああぁぁぁ!!! イくッ、イきます、ん…んむぅううううううううううっ!!!」
 ―――あ、あたしも、腰が跳ねる、おマ○コが…あ、イっちゃう、あああぁぁぁ………!!!
 心地よい絶頂の波があたしの体へ広がっていく。荒い呼気をもらしながらお互いの唇からあふれ出る唾液をすすり合い、相手の温もりを決して忘れないように腕に力を込めて体を密着させる。
「………たくや…様……ボク…スカートの中がドロドロです……」
「もう……そんなのあたしだって……」
 胸の激しい動悸を味わいながら、お互いの顔を見てクスッと笑いあう。
「それではもう時間のようです。たくや様、またお会いできる日を心よりお待ちしております」
「フィスト、短い間だったけどあなたに会えてよかった。元気でね」
 最後にもう一度だけ、唇を軽く重ね合わせると、フィストは魔法陣の中央へと下がっていく。
 ………そして光が収まった時には、あのメイド姿はもう見えなくなっていた。
「―――たくや様、これでよろしかったのですか?」
 「たくや様」と言う呼ばれ方に別れの名残が強くなる。目元を拭って振り返ると、魔法陣を起動させてくれたジャスミンさんが歩み寄ってきてくれていた。
 ちなみに、魔法陣作成には忙しい合間を縫って神官長も手伝ってくれたけれど、あたしが眠っている間に疲れがたたってこの場に居合わせることは出来ず、今頃ベッドで熟睡しているはずだ。
「ジャスミンさん、ありがとうございました。急にこんな事お願いしちゃって」
「いえ、このたびの戦ではたくや様には感謝のしようも無いほど助けられました。この程度であればその恩返しにもなりません」
「そんなこと無いですよ。あたしだってジャスミンさんがいなかったらどうなってた事か」
「そう言っていただければ……」
 少し暗い雰囲気のジャスミンさんが顔をほころばせるのを見て、さっきまで男の子とのキスでドキドキしていたのも忘れて心臓が跳ね上がる。やっぱりジャスミンさんって美人……
「では、お預かりしていたこれをお返しさせていただきます」
 動揺を隠し切れず体を固まらせていると、ジャスミンさんは手に握っていたものをあたしへと差し出してきた。
 それは、月の光を浴びて金色の輝きを放つメダルだった。
「蓄積されていた魔力、そして複雑な魔法陣の一部代替……おそらく、解析することができればこのメダルのみででもデーモンの送還は可能であったと思われます」
「へぇ……で、どうしてこれをあたしに?」
 どこかで見た覚えはあるけれど、あたしの持ち物ではない。今聞かされた能力を考えれば、マジックアイテムである事は確かなんだろうではあるが、返される相手があたしでないことも確かだった。
「これは魔王の書の表紙にはめ込まれていたメダルです」
「………エロ本の?」
 聞き返すと、ジャスミンさんは小さく頷いた。
「たくや様がお持ちになるのが最もふさわしいと思いまして」
 そう言って手渡されたメダルは、ほんのりと温もりを帯びている。裏を返してみてみれば紐を通す穴もあり、元々取り外す事を前提にして作られた物である事はすぐに見て取れた。
「………さすがにこれが喋るって事は無いんですね」
「おそらくは魔王の書が行動するために必要な魔力を蓄えておくための物かと。本体の魔道書の部分は佐野と共に転移してしまいましたが、このメダルが無ければ機能の大半は失われている事でしょう。………事実上、魔王の力を有するのはたくや様お一人になった事になります」
「あたしは別に魔王になったなんて実感はないんだけどなぁ……なりたくもないし」
「―――あの山、どう思われますか?」
 突然ジャスミンさんが夜闇に浮かぶ遠くの山を指差した。
「どうって……ただの山?」
「あの山……斬られております」
 ―――斬れてる? 山が?
「山頂付近から中腹まで一直線に。先日、自分の目で確認してまいりました。巨大な斬撃の魔力により、直線状にあった物は木であろうと岩であろうと全て断ち割られていました。それを行ったのは……」
「えっと……あたし?」
 自分で自分の顔を指差すと、ジャスミンさんが頷いて肯定する。
「おそらくは、佐野との最後の戦いの際に放った一撃が原因でしょう。山を一つ断ち切っただけで一直線に疾った残存魔力は空へと消えていったので被害は他にありませんでした。ですが、その魔力が地上へと向けられた場合………」
「え、いや、あ、あたしは、そんなことしないから大丈夫ですって。やだなァ、アハ、アハハハハハ」
 ―――確かあの時、前も見えない状態で魔力を放ったっけ……下に向いてなくてよかったぁ………
「ですがたくや様が魔王と呼ばれるにふさわしい魔力を秘めていることは確かです。何がきっかけとなって発動するかは分かりませんが、もう少し自覚なされた方がよろしいですよ」
「ジャスミンさん……」
 これが旅立つと言うあたしへの忠告だと気付いたときには、ジャスミンさんは建物の入り口へ向けて歩き始めていた。
 ―――魔王…か。あたしには男に戻ることの方が大切なんだけど……
 実感がなく、今まで自分の中で軽く考えていた言葉が急に重く感じられる。
 ここでこうして考えていても仕方が無いと頭では分かっているのに、手にしたメダルへ視線を落としたまま少しの間その場から動けないでいた―――



 自室に帰り、ベッドの上に娼館地下室から持ってきた荷物を全部広げて背負い袋やポーチに詰め込んでいると、めぐみちゃんとミッちゃんが部屋にやって来た。
「たくやさん、明日って……どうしてそんな急に!」
 ―――いやまあ、本当に急ではあるんですけれど、めぐみちゃんもそんなに驚かなくても……
 ミッちゃんには今日の街での出来事は黙っているように頼んでおいたのに……と、恨みがましく視線を向けると、「旅立つ事まで黙ってるって言わなかったでしょ?」と何故か妙にわかりやすい手仕草で笑いながら無言の答えを返してくる。
「もう神殿中に話が広がってます。たくやさん……今日目覚めたばかりじゃないですか。それなのに……」
「ええっと……ほら、あたしがいると回りのモンスターがいっぱいいるでしょ? そしたら恐がる人もいるわけで。え〜…ほ、ほら、あたしも男に戻るって目的があるし」
「でも、旅に出たから戻れるって言う事でもないと思います。でしたらこの街で神官長を頼りにされた方が……」
 ―――え〜っと、え〜っと……どうやって説明すればいいのよ! ミッちゃんもどうしてめぐみちゃんにまで話をするかな。今にも泣き出しちゃいそうじゃないかァ!!!
 下手に話せばすぐにでも泣いちゃいそうなめぐみちゃんに言葉を選んで泣かせずに説明したいけれど、理由についてはいまいちあたしの中でもはっきりしていないので困ってる。
 別に街中で襲われたとか、そう言うのが原因じゃない。頭には包帯巻いてるし、全身の打撲には軟膏を塗られていたりするんだけど、もともと半分ミイラのようだったんだし全身痛いし、いまさらという感じだ。
 ただ、いつまでもここにいてもいいかと考えると、それもいけないような気がする。一日遅らせるぐらいどうってこと無いようにも思えるんだけど……
「ごめんね……もう決めちゃったし、神官長やみんなにこれ以上迷惑をかけるのもなんだし。だって一週間も寝こけてたんだから、英気は十ぶ――」
「いいじゃないですか! 私…私は迷惑だなんて……」
 ―――びっくりした。めぐみちゃんがこんなに大きな声を出すなんて……
 そんなめぐみちゃんの声は、あたしの部屋の中に響き渡っただけではなく、ミッちゃんがわざと開けっ放しにした扉から廊下にも聞こえている。
 ―――ともかく、めぐみちゃんを何とかしないと人が集まってきたら変なこと言われそうだなぁ……あたしが出てくって事は神殿中に知られてるそうだし、痴情のもつれとか……
 とは言え、泣き出しそうなのを必死に堪えて顔をグシャグシャにしているめぐみちゃんに何と言って納得させればいいのか……
「先輩、お荷物持って来ました。どこに置きましょうか」
 めぐみちゃんを傷つけないよう言葉を選んで選んでついには何も言えずにオロオロしていると、開いた扉から両手いっぱいに荷物を抱えた綾乃ちゃんが覗き込んできた。
「………お邪魔…でしたか?」
「………………!」
 綾乃ちゃんに気づくと、めぐみちゃんは涙を隠すように顔を伏せた。けれど下を向いた瞳からはこらえていた涙の粒が溢れ出し、メガネの横から頬を伝った数滴が床へと流れ落ちた。
「めぐみちゃん!?」
 声を掛け、ベッドから腰を浮かせて手を伸ばしたときには、めぐみちゃんはあたしに背を向けていた。そのままミッちゃんや綾乃ちゃんの脇を通り抜けて廊下へ出ると、あたしの方を見ることもなく走り去ってしまう。
 ―――ま、めぐみちゃんに嫌われてもしょうがないか。何の前触れも無しだもんね……
「たくやくん、追っかけないの?」
 ミッちゃんが責める様な目であたしを見るけれど、
「追いついたって、言える言葉が無いもん」
 どんな言葉をめぐみちゃんへ言ったって納得してもらえそうにない。何を隠そう、あたしは口下手だ。甘い言葉を囁かれた事はあっても、女の子の涙を止められる気の聞いた言葉は思い浮かべる事は出来ない。……それが今は、歯痒かった。
「はぁ……そうやってすぐに自分の限界を決め付けちゃうんだから」
「?」
「どうしてこんなのに……あ〜あ、あの子も大変よねぇ〜」
 ―――ううう…なんだか責められてるような……ミッちゃんの言葉のトゲがチクチク刺さる……
 それも覚悟の上での旅立ちだ。……が正直言って心が痛かった。
「……お荷物、どこに置きましょう?」
「ああ、ごめん。そこのテーブルに置いといてくれるかな」
 話に入れず、両手に荷物を抱えていた綾乃ちゃんに頭を下げる。……が、手に抱えている荷物を見て、
「―――何で下着が覗き見えてるのよ」
 慌てて荷物を検める。そもそも娼館においていたあたしの荷物は背負い袋にいれて全部持ってきていたはずだ。
「なっ!?……ちょっと待って。扉閉めてくる」
 ここは慌てず騒がず、扉を閉めて鍵を掛ける。それからゆっくりと深呼吸を繰り返し、袋に挿れて綾乃ちゃんが持ってきてくれた荷物を一つ一つ確認していく。
「娼婦用のドレス……紐パン……は、張り型………に、これは……って、ミッちゃん!」
 わざと置いてきた魔法の双頭ディルドーまで入っている。他にも目隠しとか変な薬とか装飾品とか。どこからどう見ても娼婦のお仕事用のグッズ各種。こんなものをわざわざ綾乃ちゃんに届けさせるような意地悪するのはミッちゃんしか考えられない。
「これはなに? あたしにまだエロエロな娘とされてそのたびに苦悩しろっての!?」
 あたしが引っ掻き回した袋から綾乃ちゃんが一本の紐を引っ張る。くじの様にスルスルと引き抜いて、慰み程度に取り付けられた小さな布地の意味をしばらく考える。数秒かけてそれが下着の「一種」であることに気付くと、顔を真っ赤にしたまま両手で持った紐同然のものをマジマジと観察し始める。
「………見なくていいって」
「い、いえ、あの、私も娼婦見習いですし、先輩にお供するなら見慣れていた方がいいかなって」
「綾乃ちゃんはこういうのを見慣れちゃダメなの! まったく、あたしのお供は………お供?」
「だからお洗濯したときに先輩のだってわからなかったら色々と困りますし……いえ、困るのは私で…その……」
「待った待った待ったっ!………え〜……綾乃ちゃん、あたしについてくる気?」
 右手は広げて綾乃ちゃんの言葉をさえぎり、みだり手の人差し指は理解力を超えた事態を処理しようと懸命に働いて痛みと熱を発しているこめかみへ。眉をしかめて「こういうときは落ち着こう」と頭の中で繰り返しながら「付いて来ちゃダメだって」と視線を投げかける。
「はい。だって私……先輩に買われちゃいましたから」
「うあぁ〜〜〜!!! だからそれはもういいって! それに今の、「飼われちゃいましたから」って意味でなんか物凄く危ない感じがするし。あたしはそう言う趣味は無い―――っ!!!」
 ちゃぶ台があったらひっくり返したい。そんな気持ちを言葉に込めて、あたしは仰け反り頭を抱えた。
「で、でもあの、先輩には助けていただきましたし、お金もまだお返しできてませんし、だけど先輩が街を出て行かれたらお返しする事も出来ませんし」
「そうじゃないでしょ! 街から出るのよ? モンスターに襲われるかもしれないのよ!? そんな危険な目にどうして自分から進んで会いに行っちゃおうとするかなぁ!!?」
「先輩だって女性じゃないですか」
「あたしは男!」
「私は家からも勘当同然ですし、先輩についていっても大丈夫ですよ」
「心配するのはあたしの方なの! 綾乃ちゃんを危険な旅には連れて行けません。街へ残りなさい、てか残って!」
「どうしてですか? 私は…あの……先輩の所有物と言う事になってますし……え…えっと……初めての人には責任を取ってもらった方がいいって……」
「はううっ!!!………い、いや、あたしは引き下がらないわよ。綾乃ちゃんを危険な目に合わせるぐらいなら……」
「旅へ出るのをやめてくれますか?」
「そ…それは……ここまで準備しちゃったし、いまさら後へは……」
「じゃあ私も連れてってください」
「だからそれは危険で……」
「それなら……えと、責任を取ってもらうのは……」
「あうっ、あうっ、あうううううっ!!!」
 マズい。綾乃ちゃんを説得する言葉も言いくるめる言葉も底を尽いてる。このままじゃ綾乃ちゃんが付いてくるのを拒めなくなる……
「ううう……なんかさいさき不安だよう……」
 はてさて、どうしたものか……フェイントかけて今晩中に出発してもニコニコと付いてきそうな綾乃ちゃんに、あたしはとことん頭を抱える事になった―――



 ―――でもって翌日早朝。
 これまた絶好の旅立ち日和。まだ街に住む人の大勢が眠りこけてる時間に、旅衣装に身を包んだあたしは街の北門前にいた。
 目の前はフジエーダの街。
 背後は新たなる道。
 とは言え風景を十来る眺める余裕は無い。結局は徹夜で説得しても「所有物」と「責任」の二言に言い負かされてしまった。眠い目には最後になるかもしれないフジエーダの街並みを焼き付ける事も出来ず、代わりにあたしの出立を知って集まってくれた人たちの顔を一人一人見つめていた。
「たくやちゃん、困った事があればいつでも戻ってきて構わないアルヨ。みんなして待ってるアル」
「ごめんこうむりたいなぁ……できたら今度は男に戻ってから、ですね」
 神官長の軽い冗談に笑みで答え、大きな手と握手を交わす。
「それは残念アルナ。そうそう、これは他の神殿の神官長あての紹介状アル。みんないいヤツばかりだから行く先々で会って行くといいアル」
「ありがとうございます。神官長には色々調べてもらったりして、感謝の言葉もありません」
「何を言うアルか。こちらこそ何の力にもなれず、挙句には街を救ってもらったアル。感謝するのはこちらの方アルね。これから長い旅になるけれど、二人とも体には気をつけるアルよ」
「はい。神官長も太りすぎには気をつけて♪」
 その前に服を着て欲しいとも思うんだけど……回りが気にしてないようだから、あえて言うまい……
「―――さあ、静香様」
 神官長との挨拶も終わり、衛兵長や戦いの中で顔見知りになった衛兵のみんなと別れの言葉を交わしていると、ジャスミンさんに背中を押されて静香さんが歩み出てくる。
「うわぁ………」
「………………」
 まるでこれから舞踏会にでも出るかのような純白のドレス。美しくはあるものの、決して贅を凝らした装飾に飾り立てられた輝きではない。静香=オードリー=クラウディアと言うクラウド王家の王女の放つ気品が花束や宝石よりも美しい輝きになって静香さんから放たれている。
「………………」
 あたしの記憶にあるのは、街の中で目立たないような旅衣装姿の静香さんがほとんどだ。思わずため息を突いて見惚れそうな姿に、旅立ち前なのにドキドキしていると、恥じらい少し赤くなった顔を俯かせていた静香さんが顔を上げてあたしをまっすぐ見つめてくる。
「たくや君………待ってるから」
「………え?」
「クラウディアで……会いにきてくれるのを………」
「あっ―――」
 返事も聞かず、静香さんはドレスの裾をはためかせながら踵を返すと、集まってくれた人たちをの向こう側へと逃げるように走り去ってしまった。
「………うん。のんびり旅だからあたしの方が遅くなるだろうけど、必ず会いに行くからね」
 そっとまぶたを閉じ、ドレス姿の静香さんを目に焼き付ける。
 色々な出来事に遭遇したフジエーダの街―――その思い出の一つ一つを思い返し、一つ気合をいれる。
「それじゃあ綾乃ちゃん、行こっか!」
 最後に一つ、街の人たちへ頭を下げてから門を潜り抜ける。集まってくれた人の数はそれほど多くないけれど、温かい言葉を背に受けながらあたしは綾乃ちゃんと一緒に当てもない旅へと歩みだす。


「めぐみさん……来てくれませんでしたね」
「うん……でもこの街にはまた戻ってくるから。その時にきちんと謝る。だから絶対に男に戻るんだ!」
 街から離れても、まだ門の前で大勢の人たちが手を振ってくれている。
 あたしもまた両手を大きく振りながら、朝日の照らす道をのんびりと歩いていった―――


stage1-エピローグ 05