stage1「フジエーダ攻防戦」53


「殺せ殺せ殺せ殺せ殺せぇぇぇ!! 僕は負けない、負けられない、この世の全てを手にするのは、このボクだぁぁぁ!!」
 魔蟲を操っていた魔法の杖を失った以上、広場の空を覆うほどの魔蟲を操りきれるとは思えない。その考えを裏付けるように……いや、まるで佐野の最後の執念が乗り移ったように、魔蟲は増したにいるあたしたちへ襲い掛かってきた。
「グオオオォォオオオオオオッ!!!」
 同時に、ポチが赤い炎を噴き出した。一気に何百何千の魔蟲が焼き払われるけれど、一度に全てを燃やす事は出来ない。体へ取りつき、牙や針を突き立ってようとする魔蟲を全身に炎をまとって防いでいるけれど、あたしや鬼神をかばうだけの余力はない。
 それに……めぐみちゃんはまだ気を失ったままだ。
「めぐみちゃん、起きてぇ!」
 呼びかけても返事はない。―――マズい!
「エロ本、どこ!?」
『ワー、ギャー、ノワーーー!! おいコラかじるな。ワシよりあっちのたくやの方が体はふっくらでゲホォ!!』
「誰がふっくらぽっちゃり系よ。あたしは全然太ってない!」
『も…元男とかって豪語してるくせに……体重になんでそんな敏感に……』
「まだ言うか!」
 幸い、魔王の書はあたしの近くへ落ちていた。魔力を込めた影翼で魔蟲を払い飛ばし、表紙の金のメダルを頼りに爪先で引っ掛け、蹴り上げてキャッチ。そして翼で空気を叩きつけめぐみちゃんの方へと一気に跳ぶ!
「必殺、魔王バリアー!」
『ンギャアアアアアアアッ!! こら待て、人を顔の前にかざすなってニョゥエエエエエエエッ!!!』
 だって翼は後ろで顔は隠せないんだもん……目や鼻に魔蟲を入れたくないので魔王の書を前へかざしたあたしは、視界を黒く覆う魔蟲の群れの中を突っ切っていく。
「どけぇぇぇ!!!」
 目測で距離を詰め、めぐみちゃんのそばまで来た事を確信したあたしは、魔力を込めた腕を勢いよく振るい、突風を巻き起こす。そして地面に倒れたままのめぐみちゃんを見つけると、両手で抱え込み、翼を大きく広げ、―――真上へと飛び上がった。
「――――――ッ」
『風圧フオオオォォォ!!!』
 黙れエロ本!―――今度は顔をかばう腕がなく、地価から地上へ押し上げられた激流に飲み込まれた時のようにめぐみちゃんの頭を抱え込み、口や目をキツく閉じる。
 魔蟲の黒い壁を抜けるのに、一秒もかかりはしない。けれど、頭から肩に書けて小さな魔蟲がぶつかり潰れて通り過ぎていくおぞましさに、発狂してしまいたくなる。
「ふははははっ! やはり現われたな!」
 それでも魔蟲の壁を突き抜けたその直後、あたしの体を極大の衝撃弾が打ち据える。咄嗟にあたしの魔力で相殺したけれど、それでも殺しきれなかった強烈な振動が突き出した腕から全身へ、そして脳へと駆け巡り、空を飛んでいるというのに意識が跳んでしまいそうになる。
「最後の賭けはボクの勝ちのようだね。キミを……キミをボクのこの手で殺し、僕は魔王になるゥゥゥ!!!」
 動きが止まった一瞬―――ブゥンと音を立てて淡く輝く球形の結界があたしとめぐみちゃんの周囲を覆う。
「我が魔導の奥義でもって消滅したまえ! ディメンションズ・ロストォォォ!!!」
 ディメンションズ・ロストと言えば振動系最強と言われる空間を削り取る魔法だ。その魔法の前では防御も魔法の障壁も無意味。問答無用で対象を抉り、そして消し去る凶悪な攻撃魔法だ。
 けれどそれだけに呪文も長い。高速詠唱が使えたとしても、先ほどの振動弾からすかさず発動させるには、あまりに時間が短すぎる。
 ―――佐野のローブの裏側、あんなにいっぱいマジックアイテムを!?
 見れば、魔力の余波ではためくローブの裏側には魔力を蓄えて置ける魔晶石、詠唱した呪文を録音しておける蓄呪筒、他にも宝石護符やワンドなどがびっしりと突っ込んである。
「ズルい! そんなにマジックアイテム使うなんて反則よ!」
「勝てばいいのだよ、勝てばぁ! もう魔法は発動している。僕は勝つ。君は負けるんだ、アハハハハッ!!!」
 ディメンションズ・ロストはその破壊力の割りに戦闘であまり使われることはない。発動地点を取り囲む結界は対象の動きを妨げるものではなく、内側から外へ移動するのが容易で命中率が非常に悪いためだけれど、外へ向けて伸ばしたあたしの手は移動をさえぎる空気の壁に遮られる。
 ―――まずい……めぐみちゃんを抱えてるのに……!
 蓄呪筒で魔法を重複発動させたのだろう。その際に生じる通常以上に消費する魔力は魔晶石で補い、あたしは佐野の必滅の籠の中に捉えられていた。―――使い捨てとは言え、魔晶石も蓄呪筒も500ゴールドは軽く超えるって言うのに。
 佐野の赤字覚悟の大魔法に、あたしの体を空中に支える影翼の一部は既に抉られ始めている。闇の魔力で形作られた翼だから再生も出来るけれど、徐々に加速して行く魔法の効力には再生も追いつかない。次第にあたしの体も削られ始め、ボロボロにされていくメイド服の内側で腕や脚から血が滲み出してくる。
『いいザマだ、キャハハハハッ! 僕に逆らうからだ。こんな死に方をするのは君がボクに逆らうのがいけないんだ。ボクの言うとおりにしていれば女としての幸せぐらいは手に入れられたものを。至上の快楽の中で永遠にボクの傍にはべらせてやったものを!』
「そんなの、最初から願い下げよ!」
『ならば死にたまえ。君のような売女にもう用はない!』
 ―――プチッ
 頭の中で、どんなに罵倒されようとも切れることのなかった理性の最後の一本が、音を立てて見事なまでに弾けとんだ。
『キミにはボクのメス奴隷がお似合いだったのだがね。その胸の薄いメスが気共々消え去るがいい!』
 ―――ブチッ、ブチブチッ
 一本しかないはずの糸が何故か何度も音を立てて切れていく。
 ……あたしが売女?
 ……メス奴隷?
 ……それに…めぐみちゃんにまで消えろって……
「………キれた」
 今まで空間を抉る魔法の範囲から少しでも逃れようとしていたのとは一転、あたしは右腕を頭上へと振り上げた。
 ―――思い出す。
 ジャスミンさんを助けようと、無我夢中でオーガに向かって剣を振り抜いた時を。その感触を。
「今まで人を殺すのだけは何とか必死に堪えてきたけど……」
 手加減、なし。助ける気もなし。考えるのは邪魔な決壊と、その向こうで笑っている佐野を……斬る!
 まるで無数の獣に食いちぎられるかのように、あたしの体が削られていく。
 空間があたしの肌へ牙を突きたて、肉を抉る。
 宙へ飛ぶ鮮血すら残さぬように空間は血を飲み下し、再び見えない牙を突き立ててくる。
 もしかすると、あたしの体はほとんど残っていないのかもしれない。意識だけが残り、空間に喰われ失われた腕を突き上げているのかもしれないと言う思いが背筋を震わせる。
 ―――かまいやしない。
 魔力を集める。
 腕に。その先に。撃ち放つのではなく、収束し、細く鋭く研ぎ澄ませていく。
 覚悟はとうに決まっている。―――もう何も考える事はなく、ただ、
「ゴメン。できたら死なないで」
 それが最後の情けの言葉。
 あたしはその言葉が佐野に届いたのかすら確認せずに、掲げた右腕を振り下ろした。
 「魔王」と呼ばれるあたしの魔力、その全てを込めて。
『―――――――――!!?』
 魔力の奔流―――いや、疾走と言う方がイメージに合っている。
 空間崩壊の結界を覆う障壁は触れるだけで風船の様に弾けて消える。勢いを殺される事もなく、佐野へ一直線に疾った魔力は、より強固な障壁へと直撃した。
「ば、馬鹿な!?」
 周囲の障壁がなくなったおかげで、佐野の声がはっきりと聞こえる。
 風を巻き、光さえも切り裂いて、あたしの魔力は何もかもを穿ち進んだ。立ちふさがるものすべて……それが命惜しさに佐野が張り巡らせた強固な障壁であろうと佐野本人であろうと、一切のわけ隔てなく破壊した。
「……………」
 ―――少し……やりすぎた?
 あたしの一撃はあたしの想像をはるかに越えていた。放った魔力の斬撃は空間崩壊の魔法そのものを切り裂き、全身血まみれになったあたしは静かになった空に浮いたまま、ホウッと息を突いた。
 佐野は生きていた。
 魔力は黒いローブを巻き込みはしたものの、佐野本人にはかすりもしていない。血で目が見えず、狙いも当てずっぽうだったので当然と言えば当然だけれど……佐野はもう、戦える状態ではなかった。
「は……は……はは……」
 辛うじて浮いてはいるけれど、佐野の下半身からは黄色い液体が滴り落ちている。魔力が通り抜けた余波で失禁し、あたしを見つめて力のない笑い顔を浮かべているだけだった。
「なぜだ……僕は勝っていたんだ…それなのに…なんで……なんで……」
「そうやって慢心してたからでしょ。あたしなんかにエッチな事をしようとしなかったら、こっちだってどうしようもなかったのに………あああ、思い出したら頭が痛くなってきた」
 角が生えてるから痛いんじゃないかな〜とか思いながら、指先でこめかみを揉み解す。
「あんたのおかげで散々な目に合わされたんだから。……ああぁ…今回の事、男に戻る前に全部記憶から抹消したいぃぃぃ!!!」
「………男に…戻る?」
 何度言えば覚えるんだか……頭痛がますます激しくなるのを感じながら、嗚呼死は最後にもう一度だけあたしの体の事を説明し始めた。
「あたしはね、魔王にされた時に一緒に女の体にされちゃったの。このバカエロ本のおかげでね」
『にゃにお〜!? バカって言う方がバカなんじゃ! それに冴えない男のままでいるより美少女になってワシにパフパフする方が何百万倍も幸せじゃとなぜ気付かん!? ワシはその名も高き大魔王パンデモニウムムムムゥ!!』
「はいはい。あんたが口を挟むとこじれてくるからちょっと黙ってなさい」
 朝日を浴びて体に出来た陰影を魔力で伸ばし、魔王の書を締め上げる。魔力もしっかり込めてるからそれなりに効果があり、魔王の書はうめき声しかもらさなくなったけれど……今度は佐野の方がショックを受けたようで、
「キミが……男?」
 あたしを指差し、震える声を絞り出した。
「男……………」
「え、ええ、そうだけど……何度も言ってるよね。あたしが男だって」
「男……………」
「フジエーダには呪いを解いて男に戻れたらな〜って理由で来たんだけど……ねえ、聞いてる?」
「男……………」
 そんなにあたしが男だと認めたくないのか、それとも脳が受け付けないのか、呆然とあたしを見つめたまま同じ言葉を繰り返している。
「………では……ボクは男…を………?」
 それを言われるとあたしも困るんだけど……とりあえず頷く。うああああ、男に抱かれた記憶なんて、記憶なんてぇぇぇ……
 なにわともあれ、あたしが肯定したのが効き始めたのだろう、佐野の声はだんだんと小さくなり、ガックリとうなだれていく。その様子には、魔王を自称していたときの覇気は無い。むしr、どこか憐れにい思えるぐらいに喪失感が漂っていた。
 戦意を失った佐野から足元へと視線を向ければ、魔蟲とあたしのモンスター達の戦いも終わりを迎えようとしていた。
 炎の渦と水の渦。一方は魔蟲を焼き尽くすポチの炎。そしてもう一方は魔蟲を食べるジェルだ。二つの渦は次々と魔蟲を飲み込み、広場を覆っていた魔蟲の黒い群れは瞬く間に数を減らしていった。
 あたしの体も辛うじて無事だ。魔力を補い、再生した翼で空中に浮きながら確かめてみても、ちゃんと手は二本に足は二本、間違いなくついている。幸か不幸か、胸やお尻とかいったところは怪我らしい怪我も負っていないし、ずっと抱きしめていためぐみちゃんには―――
「………たくやさん…ですか?」
「ん? 目、覚めた?」
 さすがにあれだけ暴れまわったりしていれば目も覚ます。まだ疲れが残っているのか、レンズの向こうでボンヤリと開いためぐみちゃんの瞳があたしの顔を捉え―――すぐに驚きの表情へと変わった。
「た、たくやさん、血が、血がいっぱい出てます!」
「え……あ、これ?」
 脱ぎって見ると、確かに顔一面が真っ赤な血で染まっている。空間崩壊がたまたま顔の傍で起こったのだろう、少し額が抉れた程度で、どうと言う事はない。
 ―――まあ、痛いことは痛いけど、どうせ全身が痛いんだし。
「何でそんなに平然としてるんですか!? あの、私、すぐに治療の魔法で直しますから!」
 めぐみちゃんは両手を挙げてパタパタ振りながら抱きしめているあたしの腕の中から逃れようとする。そこで、やっとあたしの腕の中にいることに気付き、
「あっ………」
 急に何も言わなくなり、真っ赤になった顔を俯かせてしまった。
「あんまり暴れないでね。あたしから離れたら地面まで一直線に落ちちゃうから」
 あたしの言葉に一度地面を見てから涙目で頷くめぐみちゃん。―――はて、あたし、何かものすごく罪悪感を感じるんですけど……
「ひょとして、どこか怪我してる? 神殿の方に神官長もいるし、痛いならすぐに言ってね。運んであげるから」
「い…いえ……そう言うことではありませんから……」
 それならいいんだけど……とりあえず、あたしの血がめぐみちゃんに掛からない様にしないと。
「きょ、今日はこれで引いてやる!」
 ―――なんなのよ、もう。せっかくめぐみちゃんが目を覚ましたって言うのに!
 どうせもう何もしてこないだろうと思っていた佐野が大声を上げたので、そちらへ顔を向けた。すると―――佐野の周囲に球状の力場が張られていた。
『おいコラたくや! あのホモメガネ、空間転移しようとしとるぞ!』
 魔王の書による説明を聞き、大体のところを理解する。見ると、佐野の眼前で複数の宝石を組み合わせたアミュレットが浮かんでいる。今の魔法技術で空間転移を発動させるアイテムはまだ開発されていない。それに加えて大量の魔力が放たれているところを見ると、どうやらあれも発掘されたマジックアイテムなのだろう。
『どうすんじゃい! 空間転移の力場は普通の障壁よりも強固なんじゃぞ。今から魔力を溜めたら恨みを晴らす前に逃げられてしまうぞい!』
「わ、私が降ります。ですからたくやさんはあの人を追いかけてください!」
 ちょっと待って。二人同時に喋るから一瞬頭がこんがらがって……あ、こらエロ本、勝手に動き出すんじゃ……って、めぐみちゃんも落っこちたら大怪我するような高さにいるんだから無理に降りなくていいって!
 魔王の書を右手に持ち替え、もがくめぐみちゃんを強く抱く。―――そうこうしている間にも空間転移の魔法は発動しようとしていた。
「いいか、僕は君に負けたわけではない。運命が、君と言う運命から外れた存在に心を奪われかけた僕へ運命の女神が嫉妬したから僕は敗北した、そうだ、すべては運だ、奇跡だ、偶然だ! 神と言う存在が君をここへ遣わさなければ、僕は全てを手に入れていたのだ!」
 ―――なに訳のわかんない事を。あんな奇人変人ド変態をこのまま野放しにするわけにはいかないし……そうだ!
「エロ本、あんた、確か魔力を蓄えてたはずよね」
『ん〜、ま〜の〜。とは言えずっと封印帯を巻かれとったから貯蓄量はおぬしの尻をかき回す権が一回分ぐらい……』
「そんな魔力、さっさとアイツにぶつけてこ〜い!」
 エロ本の魔力プラスあたしの魔力。あの力場をぶち抜くにはこれしかない!
『え? あの、ちょっと、たくやさん? 何でワシは勢いよく振りかぶられてるんでありましょうか?』
「気にしない気にしない♪―――てな訳でェ! 必殺、魔王ミサイルゥゥゥ!!!」
『やっぱり投げられるために再登場したんかワシィィィイイイイイイッ!!!』
 片腕にめぐみちゃんを抱えてるから本来の威力ではないけれど、魔力を込めた魔王の書の投擲はただ投げるのとは違って十分な破壊力を持っているはずだ。
「ではまた会おう満たされし者、エクスチェンジャー! 運命から外れたがゆえに運命を助ける者よ。次に会うときは――」
『そこドけホモメガネェェェ!!!!』
 ―――直撃。
 黒い革表紙の重たい魔道書は力場を突き破って佐野の顔面へと、吸い込まれるように叩き込まれた。トレードマークのメガネは砕け、見事なまでに鼻血を噴き、首をのけぞらせて気を失う佐野だが、それよりも―――
「………エクスチェンジャー?」
 その一言が、あたしの意識へ引っかかった。
「ちょっと、エクスチェンジャーって何よ。気を失ってないで説明しなさい!」
 翼で空気を打ち、めぐみちゃんを抱えたまま佐野へと近寄ろうとした直後、大気に震えが走る。
「しまった。空間転移!?」
 ―――飛ぶ。術者が気を失っても発動した以上、もう空間転移は止められないだろう。けれど初めて掴んだ手がかりだ。どんなに調べても解呪の方法が分からなかったあたしの体の事に関しての初めての手がかりがすぐそこにあるのに……
『ンガガガガガガガガッ! ちょ、転移の力場に巻き込まれエエゲゲゲゲゲゲゲッ!!!』
 ―――エロ本……ああもう、放っておいたっていいはずなのに!
 佐野を気絶させてそのまま落ちて行ったはずの魔王の書が空間転移の力場の底へ引っかかっている。
 あの魔道書には何度もひどい目に会わされてきた。五月蝿くて、わがままで、スケベでろくでなしで自分中心で……いいところなんて何一つ見つけられない最低な性格の魔道書なのに……あたしは翼を羽ばたかせ、佐野へと向かっていた軌道を下へ向けていた。
 ―――いたっ! 力場の一番下にいる!
「エロ本、底だけくり貫くから後は自力で落ちてきなさいよ!」
『ハハハ早くしてくれレレレレレレ〜〜〜のおじさんンンンンンゥ!!!』
 ………まだ余裕はありそうだけど、早くした方がいい。
 右の手刀に魔力を込める。多少削る程度でも、力場から半分ぐらい出ている状態のエロ本なら十分落ちるはずだ。
「あんたはいっつも迷惑ばっかりぃ〜〜〜!!!」
 初めて得られた手がかりと引き換えに助ける必要性……そんなものを考えるよりも先に体は動き、魔力をまとった右手を転移の力場へ叩きつける。

 ―――はずだった。

「きゃあっ!!」
 力場が眩く輝く。
 至近距離で目を焼かれてまぶたを閉じ、そして再び目を開けた時には、あたしの眼前には何もなかった。
 魔王の書も、そして佐野の姿も。
「あっ……」
 最後の最後でやられた。手がかりも掴めず、そして魔王の書も共に転移されてしまい、あたしの胸に悔しさが沸き起こってくる。
 転移の余波は空気中に色濃く残っていた。おそらく、この魔力をたどれば佐野を空間を超えて追いかけることは出来るだろうけれど、さすがにサキュバスにそこまでの能力はない。つまり―――
「おしまい……って事か」
 佐野が街中へ入れたモンスターの多くは倒されているはず。そして佐野本人が消えたとなると、このフジエーダでの戦いが終わった事を意味している。
「………たくやさん、あの……」
「めぐみちゃん……気にしなくていいから。まさかいきなり手掛かりっぽい事を言われて焦っちゃったけど、まだ……あたしは諦めてないから」
 そう、まだ終わっていない。
 心に今一度あたしの意思を刻み込む。
「………エクスチェンジャーか」
 なんともご大層な名前だけれど、未だはっきり分かっていないあたしの体が女へと変わった呪い――もしかすると呪いじゃないのかもしれない――を解明する、初めての確たる手がかりだ。
 これを頼りに、あたしは前へ進んでいける。
 もし何の意味がなくても、別の道へ進める……といいな。
 一息。―――フジエーダの湿り気を帯びた空気を吸う。そして自分の地で赤く染まった手のひらを開いて見つめていると、まるで収まるべき場所に収まったかのように、金色に輝くメダルが手の平の中へと落ちてきた。
「これって……」
「魔王さんの表紙にはまってたメダル…ですよね」
 ―――これも何かの手掛かりになるのかな?
 魔王の書が残した置き土産にどんな意味があるのか分からない。ただ、きっとどこかであたしとアイツは再会するのだろうなと、手の中の固くて冷たい感触を握り締めると確信めいた思いが込み上げてくる。
「………疲れたね、めぐみちゃん」
 ―――長い、長い一日だった。
「あの……たくやさん………?」
 ―――全身から力が抜けていく。戦いが終わって気が緩んだんだろうか。
「お、落ちてます。私たち、落ちてます!」
 ―――別に落ちたっていい。
「たくやさん、起きて、起きてください! キャア――――――――ッ!!!」
 頭を下に。足を上に。鉄のように重たい体は指一本動かす事も出来ずに地面へと落ちていく。
 でも大丈夫……下にはあたしの頼もしいモンスターたちがいるし、腕の中にはめぐみちゃんもいる。
 だからきっと……きっとあたしは何とかできる。
 体の線に沿って流れる空気の感触の違和感に自分が血だらけである事を思い出して、苦笑。………眠ろうとしている意識には、もうそんな事はどうでもよかった。
 このまま空気に溶けてしまいそうな自分の体の存在を確かめるために腕の中のめぐみちゃんを強く抱きしめる。一瞬ビクッとは寝たけれど、どうせ寝ちゃうんだから関係ない。ぬくもりと柔らかさを感じることで自分の存在を確かめながら、ジェルのクッションが待つ地上へまっすぐ落ちていく。
 閉じようとするまぶたの隙間から緩やかな朝日が差し込む。それはなんとも言えない心地よい輝きだった―――


stage1-エピローグ 00