stage1-エピローグ 00


 風が優しく頬を撫でる感触が気持ちよくて、あたしは心地よいまどろみからゆっくりと目を覚ました。
 ―――ああ、これは夢だ。
 柔らかい青草に寝そべったまま回りを見回せば、アイハラン村の湖のほとりだった。
 それは夢だった。
 あの波乱に満ちたフジエーダでの出来事がすべて夢だったのか……もしかしたら、今のあたしはどこにも行かず、ずっと村で道具屋を営んで、平穏に過ごしていたのかもしれない……そんな事を夢見てしまう。
 あたしは、女の姿でフジエーダにいた。
 あたしは、男の姿でアイハランにいた。
 考えればわかる、ちょっとした矛盾だ。
 ―――だからこれは夢。女のあたしがアイハラン村にいる、少しだけ嬉しい夢。
「もう、捜したじゃないの。こんなところで寝てるなんて」
 夢だから……こうして、幼馴染の姿を見ることも出来る。
「どうしたの、ニヤニヤして。……まだ夢を見てるの?」
 うん、見てる。幸せな夢……夢だってわかるぐらい、幸せな夢……
 隣にいる幼馴染が、風になびく長い髪をかき上げる。まるでそこから漂う甘い香りがあたしを包み込んだみたいに、胸が安心感に包まれる。
「そっか……これは夢なんだ。じゃあたくやとこうして話していられるのも、短い間だけだね」
 そうだね……それは残念だけど、話せるだけ幸せだと思う。
 仰向けに寝そべるあたしの横へ幼馴染が少しはためくスカートの裾を気にしながら腰を下ろす。
 ほんのちょっと身動ぎすれば触れられる……けれど、触ってしまえばそこで夢が終わってしまいそうな、そんな恐さを感じてしまう。
 幸せだから……幸せな夢だから、もう少しだけ、このままでいたい。
「―――ねえ、たくや」
 ―――なに?
「今見てる夢が幸せなら……今のあなたは幸せじゃないの?」
 ん〜…どうなんだろう。
「痛くて、辛くて、苦しいなら……村に戻ってくればいいのよ。そうすればきっと、幸せな夢を見続けられる。私と一緒にいる夢を」
 ―――そうだね。あたしも戻りたいな………
「だったら……」
 ―――でもね。戻れない。
 あたしは体を起こすと、波一つたたない静かな湖面を見つめる。
 ここは夢だとわかっている。ほんの少しだけ戻ってこれたあたしの一番安らぐ風景。
 どんなに辛い目にあってもここへは戻って来れない。どんなに悲しい目に会っても
 一時だけの幸せの欠片。
 ―――だからあたしは目を覚まさなきゃいけない。
 ここに戻るんじゃなく、帰り着くために。
 過去を振り返らずに、ただ前を向くために。
「………だからもうちょっとだけ待ってて。あたしはきっと、大丈夫だから」
 ―――ありがとね、励ましてくれて……
 あたしが顔を向けると、そこに幼馴染の姿はなかった。
 もうすぐ夢が覚めるのだろう。
 夢はいずれ終わる。
 夢はいずれ覚める。
 夢はいずれ消える。
 きっと、今見ている夢はかすれて思い出せなくなるだろう。だから最後に一言だけ、姿を消した幼馴染へ届ける言葉を、高い空を見上げながら紡ぎ出した。


 ―――大丈夫。だって、今も結構幸せで楽しい日々なんだから。


stage1-エピローグ 01