stage1「フジエーダ攻防戦」49


 …………やられた。
 下半身を超巨大蜘蛛型スライムに捉えられたあたしは、足元から響いてくる阿鼻叫喚やら破砕音やらを無視して、悩ましい吐息を唇から漏らした。
 もし仮に下を見ていれば、とてもそんな声を出せたものじゃない。固い甲殻で防御を固めたキメラゴブリンを大量の水を圧縮した高質量の前脚の一撃で容易く踏み砕く。
 どんな防御も今のジェル……ジェルスパイダーには無意味に等しい。
 圧倒的な水量とそれに伴う重量を有するジェルスパイダーの前では、どんな物理的な攻撃も防御も意味を成さない。例え魔法を使われても、ジェルスパイダーを倒すには小さな湖一つを蒸発させるか凍結させるだけの威力が必要になる。体が大きすぎると言う難点はあるけれど、巨体に見合う以上の破壊力で立ちふさがるキメラゴブリンを次々となぎ倒し……その上、潰れた躯や血液「食べて」しまっている。
 あえてこの巨大なスライムの欠点を挙げるとすれば、それは自重を支え、体を形成するための魔力が不足しているという事だ。清めの泉の水には浄化の魔力が大量に含まれていたけれど、それだけでは足りない。歯向かうモンスターを倒しては取り込み、自分の糧とし、足りない魔力を補いながらジェルスパイダーは戦い続けていた。
 だけど、それだけでは決して巨体を構築し続ける事は出来ない。元々不定形生物のスライムがゼリーのように体をまとめられていたのは、単に魔力が多いからと言う理由ではない。本当に必要なのは「あたしの魔力」なのだ。だからこそ、迎えに来るように命じた時には水とさして変わらない姿で、中庭に出るまでにあたしの股間から床にまで滴り落ちていた愛液、肌に纏わり突いていた濃厚な汗などから吸収した魔力で水の表面を固め、こんな巨大な姿を維持できるまでになったのだ。
 それでも、さすがに地下泉の水全てを固めるには至っていない。どうやらスライムの中に蜜蜘蛛がいて、ジェルと蜜蜘蛛、二人あわさって巨大な蜘蛛の姿になっているようだけれど、実際はかなり不安定なのが伝わってくる。脚を踏み出すたびに内包する水が大きく揺さぶられ、崩壊しかけている。取り込んだ「養分」で次第に水分の多くがスライム状になりつつある。それでも大きすぎる体を思うように動かすには至っていない。甲殻に頼って素早さはそれほどでもないキメラゴブリンたち相手なら戦えているのに、少しでも早く万全な体制になろうとしているのか、ジェルスパイダーはあたしの意思を無視し、直接魔力を吸い上げている。
 ………あたしのヴァギナの中にその柔らかいスライムの体を押し込み、肉ヒダが愛液をにじませる端から吸い上げられる。もう長い時間イくことがまるで普通のように痙攣を繰り返して敏感になりすぎている肉壁に、隙間も無くぴったりと張り付いたスライムに微細な振動を送り込まれながら、愛液をすすり上げられて、まるで赤ん坊がミルクを吸いたがっているかのように肉壁を嘗め回されてしまう。
「くっ、ふぅうううぅぅぅ…!!………は…はぁ……ん、んぅぅ………!!」
 ジェルスパイダーが脚を踏み出し地面を踏みしめる振動が、冷たいスライムに包み込まれたあたしの下腹へ直接伝わってくる。
 ヴァギナは限界にまで押し広げられ、あたしが感じやすいようにゆっくりと膣の内壁を舐めるみたいにスライムが這いずり回る。男性の逞しい肉棒に荒々しくかき回されるのとは違って、優しく、けれど肉棒にも負けない圧迫感を伴ってあたしを感じさせてくれる。その感覚は心のどこかで男性に抱かれる事を拒んでしまうあたしが心蕩かせるほどのゆっくりとした動きではあるけれど、広場へ一歩、また一歩と近づくたびに地面を震わせるほどの振動がヴァギナを突き上げ、あたしは意識をはるか彼方へ飛ばしながら淫裂を収縮させて愛液を放ってしまう。
「も……吸わないで………あふ…んぁ……やめ…………いあぁあああっ!!」
 あたしの全身に広がり、散々悶え狂わせてくれた魔蟲の毒は、次第にその反応を弱めていく。それは解毒されたからではなく、魔力が愛液と共にあたしの体から流れ出し、もうわずかしか残ってない事を意味している。
「やめ……ひあぁ! お、大きすぎるぅ……ジェルぅ…もう…い、いいかげんに……くあっ、あッ、あウゥンンン!!」
 いくら咎めても、ジェルによる秘部責めは途切れる事が無かった。それどころか、液体の体をお尻の谷間へと入り込ませると、快感がつき上げるたびにキュッキュッと収縮しているアナルの窄まりにまでも吸い付き、やわらかくて冷たいスライムの進入に強張っている腸壁を揉み解し、その熱と魔力を奪いながら直腸の奥深くにズルズルと入り込んできてしまう。
「うぁあああぁぁぁあああああああああああ!!!」
 腸壁をなぞり挙げられ、蓋穴を隔てる薄い壁を前後から同時に圧迫された途端、あたしの意識は容易く弾け飛んだ。頭の中は思考が焼ききれるほど熱を帯び、パンパンに張り詰めた乳房の膨らみを体の上で震わせるように全身を反り返らせる。後ろ手をジェルの体の上に置き、首まで仰け反らせて嬌声を搾り出す。
 もう限界なんて、とうに通り過ぎていた。気力も体力も、そして魔力までも底を尽き、意識を失おうとするたびにジェルはあたしの膣内に埋めたスライムを前後に激しく出し入れして膣を容赦なく削るように擦る。そうして溢れる愛液もかなり薄く、その分量で補おうとして、ジェルはますます激しくあたしの膣内でその身をくねらせ、暴れ始めてしまい、意識を失ってしまう事も許されないぐらいにあたしの首の後ろで大きな快感が繰り返しはじけ続ける。
「んぁぁ、んっ、んあ、あああああっ!! ン、ンゥ〜〜〜!!! っくぁあああああっ!!!」
 ―――こんなに「して」いるのに、なんで愛液を出してくれないのか。
 そんなジェルの思考が流れ込んでくる。寂しさを紛らわせ、飢えを紛らわせ、あたしへ全ての愛しさをぶつけるように念入りに秘部の内側を揉みたて、嘗め回す。次第にその動きは明確な動きを見せ始め、蓋穴を抉られるあたしはもう言葉差失うほど快感の中で抗う意思を失ってしまい……子宮口と尿道と言う、とても異物を迎え入れるようには出来ていない小さな穴にまでスライムが侵入してきた時には、我にかえって抗おうとしても抗えないように、カフスリングを巻いた右の手首と、篭手で固めた左の手首を、後ろ出を突いた姿勢でスライムの表皮の中へ飲み込まれてしまっていた。
「ダメ、だめぇ! はうっ、ハッ、んんんゥ〜〜〜!!! じぇ、ジェル、そこは、イっちゃう、そこまでされたら、あああ、あたし、あたしもう、イっちゃう、何回でも、あ…イく、イく、あぅ…あ……あ―――――――――ッッッ!!!」
 身をのけぞらせたまま、連続してオルガズムが全身を駆け巡っていく。髪を振り乱すたびに白い膨らみの先端で張り詰めたピンク色の乳首が円を描くように大きく揺れ動き、スライムに包まれて無理やり開かされた膝の間では三つの穴に同時に侵入したジェルが長く続くアクメの上に次なる絶頂を覆い被せ、精液しか入れないあたしの体の一番奥深い場所であふれ出す愛液を喜びに打ち震えながらすすり上げて行く。
「や、め………あ……ア――――…、―――――――!!!」
 尿道を詰めたいスライムに逆流され、直腸の奥をグリグリとこね回される。―――それでももう、何もかも終わりだった。
「あ………あ…ぅ………ぁ………」
 止まらないかと思っていた快感が、不意に途切れ、逆に何もかも感じられなくなってしまう。
 目は……見えている。星空を見つめ、その輝きの一つ一つまでちゃんととらえる事が出来ているのに、まるで首から下がなくなってしまったかのように全ての感覚が働かなくなってしまう。
 あれだけ媚薬で火照り狂わせられていた体ももう、何も反応しなくなってしまっている。全身の力と言う力が抜け落ちてしまい、まるで目をあけたまま失神でもしているかのような気分だった。
「――――――――――――」
 そんなあたしの状態に気づき、ジェルもようやくあたしを解放する。脚を止め、体を上ではなくそのまま巨大になったジェルの体の中をくぐらされて下へと降ろされる。
 けれど指一本を動かす力もあたしの中に残っていない。体を起こす事もできず、夜空をさえぎるようにあたしの視界を覆うジェルの透明な体を見つめていることしか出来ずにいる。―――それこそ、もうこのまま「死ぬ」と言われても受け入れてしまいそうなぐらいに、あたし自信の存在感を感じられなかった。
 息をするたびに、胸が軋む。狂ったようにイき続けたせいで、全身が悲鳴を上げているはずなのに、それを感じる部分がぽっかりとなくなってしまったみたいだった。そもそも、息をしてるかどうかすら感じられないんだから、もしかすると本当に死んだのかもしれない……やだなぁ、イき過ぎて死亡って、それも腹上死って言うんだろうか。
 視界がゆっくりと塞がって行く。このまま眠ってしまいたい……どうせすることもない。眠ってしまったって誰に迷惑が掛かるわけでもない。
 体の上に覆いかぶさるようにジェルがいるおかげで、空気が心地よい程度に冷やされ、気持ちがいい。ただ、着ているのがメイド服で、全身がずぶ濡れなのがいやだけど、どうせ何も感じないんだし―――
「やはり君が来たのか。なんとなくそんな予感がしていたよ」
 その声を聞いた途端、あたしの全身の感覚が蘇る。
 胸が詰まり、息もろくに吸えない。震え、強張る喉を無理やり動かして一息だけ冷たい空気を肺に流し込むと、次に戻ってきたのは全身の脱力感と節々の痛み、そして首を動かして声の主を睨みつけられるだけの意思の力だった。
「あ…あんた……まだ…倒されてなかったんだ……」
 睨みつけた先にいるのは、黒いローブで身を包んだ男だった。
 輝く円柱型の魔法陣を背に、黒い輪郭しか見えていない。ただ、冷たい空気に混じって鼻の奥にまとわりつく異臭がその男――佐野のほうから流れてくる。
 一息吸い込んだだけで吐きたくなるほど濃厚な血の臭い……今いるのが神殿前の広場である事は確認したけれど、先ほどいた時にはこんな血の臭いは漂っていなかった。
 鼻は覆いたくても覆えない。覆う手が動かせず、地面に投げ出されたままだ。―――けれどそれよりも先に、あたしはある事を考え始めていた。
 ―――何の目的でこれほどの「血」を必要としたのか……
 いまさら、ただ「殺した」わけもない。不安を胸によぎらせながら、広場に充満する血の臭いの理由と、頭の中で鳴り響く警鐘の答えを出そうとするけれど、そこまで思考力が戻っていない。
 けれど今、最も重要なのは佐野が目的を達していない事だ。
 光の魔法陣……「魔王」を召喚するための魔法陣はいまだ稼動し続けている。ジェルスパイダーが暴走してここまで連れてきてくれたおかげで衛兵長たちよりも先に到着したのはラッキーなのかもしれない。
「………あたしにも……やらなくちゃいけないこと、まだあったんだ……」
 とりあえず立たなくちゃ……せめて体を起こさなくちゃいけない。寝っぱなしじゃ、あの佐野が吹っ飛ばされるところを見逃してしまうかもしれない。
 手を伸ばして宙を掻くと、たぶんずっと傍にいたんだろう、存在感を感じさせなかった黒装束が背中を支えてあたしの体を起こしてくれる。そしてあたしの背後に、まだ気を失ったままのめぐみちゃんとオークがスライムに包まれて大蜘蛛の背から下ろされる。
 あたしはまっすぐ佐野へ視線を向ける。それに呼応し、ジェルスパイダーが不安定な体を一歩前へ進ませる。
「ジェル……やっつけて」
 言葉に力はいらない。魔力もいらない。―――込めるのは意思だけだ。
 あたしの「命」を受けるや否や、あたしの体に残っていた魔力を全て吸い上げたジェルが左右の前脚を一本ずつ、佐野のいる場所へと向ける。
「それがキミの「切り札」ですが……素晴らしい。これほどのモンスターを従える力を有していたとは!」
 ……うるさい。
 もう佐野の声を聞きたくない。――そんな嫌悪を敏感に感じ取ったジェルは、全てを粉砕する前脚を佐野へ向けて撃ち放つ。
 巨大な前脚はミストスパイダーと同様に爆発的な加速で目的地まで伸びる。もし人間程度なら、かするだけでも致命傷になりかねない高質量高加速の一撃だ。
 けれどそんな攻撃に正面から抗う姿があった。気体の体を収束させ、佐野をかばうように攻撃の前へ二匹のミストスパイダーが現われる。そして二匹で八本の前脚がジェルスパイダーの攻撃を迎撃するように放たれる。
 けれど気体のミストスパイダーと圧縮された液体のジェルスパイダーでは攻撃の重さが違う。攻撃する脚の数に四倍の差があっても、まるで何事もなかったかのようにジェルの攻撃がミストスパイダーの前脚を蹴散らす。
 ……けど、わずかに威力を削られた。ジェルの攻撃は佐野に当たる直前で障壁の魔法に阻まれ、飛沫と化して周囲に飛び散った。
「くっ……さすがですね。防御に専念していなければ、例え僕でも――」
「―――食べていいわよ」
 佐野の言葉を聞く気はない。あっさり無視して次の命令を口にすると、前脚が障壁に阻まれた面から傘のように大きく広がり、返す刀で攻撃のライン上にいたミストスパイダー二匹を捕まえる。
 ミストスパイダーは強力なモンスターだけど、特性さえ知っていれば何とかなる相手だ。気体の体に武器が効かないのなら、布か何かで覆って捕まえてしまえばいい。―
 スライムの前脚「傘」に捕らえられた二匹は、包み込まれて逃げ場を失う。そこへ飛び散ったはずの前脚の飛沫が次々と集まってきてミストスパイダーを内包したまま水風船を作り上げる。
「なんと……素晴らしい。僕の作り上げたモンスターを捕食しようと言うのか!?」
 この場合、気体状と言う事で消化の手間も省けた。薄いスライムの膜に包み込まれたミストスパイダーは内側から抗うけれど、脚が引き戻され、膜が収縮していくと抵抗もすぐに弱まり、ジェルスパイダーの丸田のような脚が元通りの形を取り戻した時には、二匹の大蜘蛛がいた痕跡は何も残されていなかった。
「これで壁になるモンスターはいない……ジェル!」
 佐野を攻撃!―――そう言えば、フジエーダの街を混乱に陥れた佐野を倒せて、全ては無事に解決するはずなのに……佐野の背後にそびえる光柱の魔法陣が突然輝きを増し、その表面を描いていた紋章の全てが「意味」を持ち始めて行く。
 ―――魔法陣が起動した!?
 あたしの目はとっさに佐野から魔法陣へ動く。
 その視線の動きにジェルはすぐに反応した。掲げ上げた右の前脚を立体型魔法陣の根元へ向けて撃ち放つ。
 間違いではない……佐野を倒しても、魔法陣によって本当に「魔王」が召喚されれば何が起こるかわからない。だからこそ、魔方陣の破壊の方が……優先、されるはずだ……
 けれど、角度のゆるい弧をを描いて上方から魔法陣を打ち据えようとしたジェルスパイダーの前脚は、先ほど佐野の魔法にされた様に弾け飛んでしまう。しかも今度は障壁にではない。魔法陣「そのもの」に攻撃を阻まれてしまう。
「なっ……!?」
 魔法陣に防御用の紋章を書き込んでいた!? それでも今のジェルの一撃を跳ね返すなんて……
「ジェル、今度は両脚で!」
「―――無駄ですよ。もう何もかもが遅すぎた……いや、面白いように踊ってくれましたね、君は」
 さらに強力な攻撃で魔法陣を破壊しようとした矢先、佐野の声が周囲に響く。
 無視するべきだ。無視して攻撃を続ければ、ジェルスパイダーのパワーならどこか少しぐらい破壊できるはずだ。―――それなのに、悪寒めいた感覚が込み上げてきたあたしは攻撃の指示を出せず、無視しようと決め込んでいた佐野の言葉に耳を傾けてしまう。
「たくや、君は本当に頑張りました。僕がこれから歩む偉業への第一歩で君に出会えた事だけは、僕の足元にひれ伏す運命の神に感謝しなければなりません」
 あたしからは佐野の姿は影としか見えない。ただ、大仰に振り上げた右腕を自分の胸に当て、感慨深く言葉を紡いでいくけれど……その言葉がどれだけの犠牲の上に成り立っているのかを魔法陣の輝きに照らし出していた。
 ―――屍。
 佐野の足元には人が倒れていた。いや……人「だったもの」と言った方が正確かもしれない。
 一人や二人ではなく、最低でも十人……数は少し見ただけでは正確には分からない。体はちぎれ、頭はちぎれ、手足はちぎれ、何人の人がその場で命を失ったのか、見て取る事はまったく出来ないほど凄惨な光景だった。
 あたしは体を屈ませると、人目もはばかる事無く胃液を吐き出した。鼻の奥に広がるつんとした刺激臭に途切れかけた意識を無理やり引き戻され、込み上げるままに胃液を地面へぶちまけても、それでもまだ気分の悪さは収まらなかった。
「僕は君を待っていた。僕が魔王となるための魔法陣には既に魔力が充填され、発動を待つだけとなっていた。だからこそ僕は君を待っていたんだよ。僕の前に立ちはだかり、僕に屈辱に与え、一度は言え僕を追い詰めた君の前で、僕は魔王となり、この世の全てを支配する存在となるのだよ」
「………狂ってる。そのために自分の仲間を殺して、その血の魔力で……!」
 血液は精液と並び、人間の体液の中で最も多く魔力を含んでいる。広場一面に広がる死体の数々は……あの魔法陣に早急に魔力を注ぎこむためだけに殺されたのだ。あたしが身を差し出していなければ、衛兵長や他のみんなもこの同じ場所で佐野に……
「ああ、キミは何も悲しむ必要が無い。こいつ等は僕の部下だが、何一つ役に立たなかったよ。あれだけのオークを手勢を与えながら、死にぞこないの衛兵たちも処分できない。大切に捕らえていたキミには手を出したばかりか逃げられてしまう。だからキミが悲しむ必要なんて欠片ほどもありはしない。喜びたまえ。無能なるクズどもがその命を持って僕の偉業を支え――」
「うるさいっ!!」
 もう佐野へ口を開かせたくも無い。
 頭の中が沸騰し、抑えきれない感情が体を突き動かす。手を付き、俯いていた顔を跳ね上げて佐野を睨みつけると、あたしの意思とリンクしたジェルが前脚四本全てを佐野へ向け、―――その体を貫かれた。
「え―――!?」
 頭上を守っていてくれたジェルスパイダーの巨体を突き破る。そんな予想外の方向からの攻撃に、あたしの反応は遅れてしまう。振り仰いだ時にはもう、相手は降り注ぐ水しぶきを背に受けながらあたしの眼前に迫っていた。
「――――――!」
 あたしの代わりに反応したのは黒装束のリビングメイルだ。武器を失っているけれど、あたしの喉を掴んだ敵にとっさに飛びかかる。
「ッ………!!」
 そんな小柄な黒装束を片腕で軽々と弾き飛ばし、この突如現れた敵はあたしの体を軽々と吊り上げる。
 喉を絞められても腕を挙げる事さえままならない。五本の指が肌へ食い込み、すぐにでも首の骨を折れるだけの力を感じながらも、あたしは相手の姿を見て目を見開いていた。
 人と同じ四肢を供えた姿。背中には蝙蝠に似た大きな翼が生え、幾重にも封印帯を巻かれた頭部からは捻じ曲がった角がわずかに覗き見えている。
「デ…デーモン……まさか、そんな……」
 人間が住むこの世界とは別の、魔界と呼ばれる場所に住む存在。人間の敵として災厄や病魔をばら撒き、不幸を呼ぶ忌むべき存在……それが悪魔、デーモンやデビルと呼ばれるものだ。
 けど、魔族は「この世に存在しない」はずだ。あたしも魔法の教科書で呼んだ程度の知識しか持ち合わせていないが、人間がデーモンやデビルの住む「魔界」へ行く術を持たないように、魔族もまた、魔界からこちら側の世界へ来る術を持っていない。来れるとすれば、二つの世界が接近した際に生じると言われている「狭間」からか、もしくは異世界からの「召喚」……と言う手段しかありえない。
「くっくっく……驚いてくれたかい、僕の「切り札」に」
「そっか……事前に…召喚魔術を……試した……」
「君はなかなかに頭が切れる。説明の手間が省けるのは嬉しいけれど、少し残念でもあるな。―――その通り。僕のフジエーダ占拠に際し、最も重要な懸念事項が召喚の成否だったからね。そもそも召喚魔術は古代魔法技術の中でも秘奥の魔術だ。いかに僕といえど本番で成功させる自信をもてなかった。―――だから試した。そのデーモンを魔界から呼び寄せた。そして試した。魔族すら自分の傀儡とする術をね!」
 それがデーモンの顔を幾重にも覆う封印帯と言うわけか……
「そのデーモンは貴重な情報をいくつももたらしてくれたよ。我等人類が未だ持ち得なかった魔法技術や魔王の存在の何たるかを。そして彼は僕に忠節を尽くす事を約束してくれたよ。新たに魔王になるこの僕の下僕としてね!」
 佐野の言葉にデーモンがわずかに反応を見せる。
 決して、心から忠誠を誓っているわけではなさそうだ。オーガや他のモンスターと同じく、魔蟲による洗脳を受けているのなら、きっと耳のところに―――
「おおっと、ここで油断しては元も子もない。『その女の両手を封じろ』」
 なんどもあたしに煮え湯を飲まされ、佐野の警戒心は強くなりすぎている。
 佐野の命令を聞いたデーモンは、左手であたしの右手首を掴む。そして背中から光沢のある刃のような尻尾を伸ばすと、動かせもしないあたしの左腕をからめ取ってしまう。
 ―――万事休す、か。
 あたしが殺されていないのは、ひとえに佐野がそれを望んでいるからだ。けれど、頭上で未だに風穴を開けたままのジェルスパイダーや、じっと飛びかかるタイミングをうかがっている黒装束が変な動きを見せれば、このデーモンは間違いなくあたしの首の骨をへし折るだろう。体力も魔力も残っていないあたしには自分で逃げ出す手段は何一つ残されていない。
 ―――けど、ずっと首絞められっぱなしで、何も考えられなくなってきてるんだけど……
「できれば……フカフカのベッドに横たわらせて欲しいんだけど……」
「……………」
 ああ……こいつも無言キャラなのか。話術で切り抜けるってのも無理なら……本当にどうしようもないね、こりゃ。
「さあ、観客が、いや歴史の証人がここに現われた。では始めるとしよう、僕が魔王となる儀式を!」
 ―――後でなぶり殺す気満々なのに証人も何もありはしない。
 しかし何一つとして逃げ出す手段を持たないあたしが無抵抗に吊り上げられているのを見て、満足げな笑みを浮かべた佐野はこちらに背を向け、輝きを増した円柱型立体魔法陣へ向かい合う。
「一つ言い忘れていた。準備は整っていたのに、なぜ発動を遅らせていたか……それは君を待つためでもあるが、やはりこの瞬間は、美しい輝きの中で行うべきだと、そう思わないかね?」
 そんなの、全然理解できない……美しい輝きって言ったって、それだけ魔法陣が光ってたら他に光なんて―――
「時は満ちた! 魔王よ、新たなる僕の力よ、今ここに召喚に応じて来るがよい、魔王よ!」
 魔法陣での魔法に呪文は必要ない。けれど佐野が両腕を広げて手にした杖を掲げると、眩い輝きがあたしの目に飛び込んできた。
 夜明けだ。―――長い長いフジエーダの夜が終わりを告げ、山の頂から太陽の輝きが打ち崩された街を朝日の輝きで照らしだしていく。
 そして同時に……佐野の哄笑が広場中に響き渡った。
「来た! 感じるぞ、強大な力を、魔王の力を!」
 ―――悪寒が走る。
 魔法陣に蓄えられた魔力は、天にまで届きそうな巨大な魔法陣の表面を駆け巡っている。このフジエーダの血で集めた膨大な魔力を噴水のように噴き上げながら、それまで空気同然に意味を持たなかった魔力が一つの意味を持ち、一つの「もの」をこの地に呼び寄せようとしていた。
 魔力の余波が強い風となり周囲に吹き荒れる。めぐみちゃんをかばうようにジェルスパイダーが脚を動かし、あたしを捕らえたままのデーモンも封印帯の隙間から覗く目を細める。
 そんな風の中で、佐野一人だけが狂ったように笑い叫び続けている。
「ア――ハッハッハァ! 勝った、僕は勝ったんだぁ!!!」
 魔法陣がゆっくりと低くなっていく。
 砕けてゆく光の紋章は朝日の輝きの中へと溶け、役目を終えた光の柱は少しずつ、名残惜しむかのように崩壊していく。
 そして、光の魔法陣の代わりに、その中央へ何かが現われる。
「―――まさか……」
 悪寒が止まらない。……魔法陣が砕ければ砕けるほど嫌な予感は強さを増していく。光柱を形作っていた光の壁の向こうにいる何かが現われようとするだけで、あたしの頭の中でこれまでに無いほど危険を知らせる警鐘が鳴り響いていた。
「さあ、さあさあさあ! 僕の前に姿を見せろ、『魔王』よ!」
 事態を理解していない佐野が、魔法陣が最後まで砕けるのを待ちきれずに壁の向こうへと足を踏み入れる。
「やめ―――!」
 あたしのか細い静止の声は佐野へ届かない。本能的に、あそこにいるものの存在の危険性が分かっていないのだ。
 そして佐野の姿が壁の向こうへと消える。まだ見ぬ「魔王」がなんなのかも理解できないうちに先走り、
「う、うわぁあああああっ!!!」
 そして―――佐野の悲鳴と共に魔法陣の全てが砕け散り、「魔王」が姿を現した。


stage1「フジエーダ攻防戦」50