stage1「フジエーダ攻防戦」32


―――ゴチン!
「あたぁ!!………っつう〜〜〜!!! な、何でこんなところに出っ張りなんか付いてんのよぉ!!」
 カンテラの明かりで照らすと、あたしの額の高さにまで天井が低くなっていた。足元ばかりに注意していて見事にそこへ頭をぶつけたあたしは、ズキズキと痛む額を手で押さえながら腰をかがめて、
「―――あら?」
 長いスカートに足を絡ませ、その場でつんのめってしまう。
 こんなところでこけるなんて、冗談じゃない。あたしはカンテラを放り出して低い場所に張り出した梁と壁とに手を伸ばし、汚れた床へ顔から倒れこむ事だけは何とか堪えた。
「そ…そうそう服を台無しにして溜まりますかっての……」
 それに今着ている服まで汚して着れなくしてしまったら、もうあたしには全裸でストリーキングするしかなくなってしまう。
 娼館の地下避難所で用意だててもらった冥土服は――もとい、メイド服は、寸法を取って仕立てたかのようにあたしにぴったりだった。………けど、こんな服…着たくなかったのに……
 肩にはあたしが回収して来たショルダーアーマーを取りつけ、腰には煙玉や薬の入ったポーチをつけたメイド姿は、一言で言えば戦う給仕さんといったところか。ブラウンのシャツとワインレッドのスカートとおそろい色の胸元のリボン。その縁はフリルの白に彩られ、それらの服の上からはウエストを引き締めるコルセットと薄いピンクのエプロンと、いかにも良家にお仕えするメイドでありながら、明るい場所でみればあたしの体にフィットしている事もあってそれなりによく似合っている。………けど、コルセットで胸の大きさや形が強調されてるし、腕も肘の上から手首まで露出してしまっている。
 ―――この手首につけたカフスって、なんか意味あるの? あと頭飾りとか……
 まあ、彩りだけを見れば、ワンポイントになってるから無いよりもあった方がいいし、頭飾りはメイドの象徴のようなもの。これさえあれば、下にどんな服着ててもメイドと言い張れる……と言うのは言いすぎだろうか。
 その辺の飾りはさして問題じゃない。それ以上に問題なのが……腰の後ろの大きなリボン飾りと、足首にまで届く長いスカートの方だ。動きづらい。走りにくい。それに股間がスースーするからスカートって苦手なのに……
 とは言え、モンスターに襲われて逃げ込んだ人たちに冒険者用の服一式をねだるわけにもいかないし……ああ…せめて胸がもうちょっと小さかったらなぁ……
「とほほ……こんな動きにくい服で下水道をまた歩かなきゃいけないなんて……」
「あちらこちら滑りやすくなってますから、気をつけてくださいね、先輩」
「綾乃ちゃん……それはこける前に言ってよ……」
 そのつもりはなくても、こう暗くてジメジメして、ちょっぴり臭い地下の下水道をメイド姿で歩き、須加k里めいりかけていたあたしは、ついつい綾乃ちゃんに言葉が非難がましくなってしまう。
「す…すみません……」
「あ……いや、あたしも言い方悪かったし、あんまり気にしないで。それに元はと言えばあたしが言い出したことなんだし」
 倒れても火が消えないのが売りのカンテラを拾い上げて後ろを振り返ると、アイテムの詰まったザックを背負った綾乃ちゃんと目が会う。手には魔法を使い際に使用する木製の杖と、何故か着ているあたしとおそろいのメイド服によく似合っている一本の箒を持っている。
「いえ、先輩が前を歩いてくれるから私も安心して進めるんですから。さ、早く前に進みましょう」
 ううう……ええ子や。あたしの暴力的な幼馴染や極道姉上に聞かせてやりたいよ……
 綾乃ちゃんの優しさに心打たれてほろりと涙が溢れそうになる。
「でもまあ……そんなに急がなくても、もうそろそろだと思うよ。方向はあってるんだし、距離的に」
 今いる地下水道は、フジエーダに戻るときに通ったものと違ってレンガで舗装されている。おかげで微妙な出っ張りがあったり、ミズゴケが張り付いて滑りやすかったりするのだが、それは置いておいて周囲へ視線をめぐらせる。
「………あった。多分あれよ」
 まっすぐに伸びる通路の壁。そこにぽっかりと空いている横道への入り口を見つけると、あたしはそこへ向かって駆け出した。
「んのわぁ!?」
 踏み出した右足がコケを踏んで見事に滑る。絶対にこけてたまるかと、あたしはカンテラを放り出して壁へ手を伸ばした―――


 正直な話もないけれど、あたし、静香さん、綾乃ちゃんの三人で街中を徘徊しているモンスターすべてを倒す手段は、ズバリ無い。街全部が崩壊してもいいと言うのなら静香さんにガーディアンを出してもらい、大暴走させれば済むけれど、それをやるのは最後の最後、もう絶体絶命で自棄糞になったときの最終兵器だ。
 じゃあどうすればいいか……答えは簡単だ。戦ってくれる人たちを増やせばいい。娼館の地下に避難している様な人たちではなく、戦うことに長けた人たちを、だ。
 幸いにして、あたしが広場で引き合わされた衛兵さんたちが捉えられているのが衛兵詰め所である事は分かっている。なら、あたしたちがするべきなのは、そこから捕らえられている人を解放することだ。
 けれど正面から勇ましく乗り込んでも、三人がかりですらオーク一匹倒すことも出来ないだろう。何しろあたしたちの手元には、剣や槍のようなまともな武器は一つも無い。頼りは綾乃ちゃんの攻撃魔法だけど、上手く魔法が発動するのは五回に一回も無い有様だ。
 戦わずにモンスターが居座る詰め所に忍び込み、大勢の人を救い出す。――一見して、へっぽこ冒険者のあたしには到底不可能に見える作戦だけれど、フジエーダに戻ってきた経験がその解決策へと繋がった。
 ―――地下。街の下を流れる下水道を通り、衛兵詰め所の真下から進入する。
 入り口が無くても、穴掘りの魔法はそれほど難しくないし、呪文だけならあたしも知っている。元々下調べもしていない無茶な計画なのだから失敗しても当然だし、それなら次の手段を考えるまでだけど、それでもやるだけの価値があった。
 やると決めた以上、あの変態魔道師に一泡吹かせるまで徹底的に足掻いてやる。――そんな復讐心を燃え上がらせながら、こうして下水道を歩いてきたわけだけど……


「―――考えてなかったわけじゃないけど、マジックロックとはね。詰め所だけあって警戒が厳しいのね……」
 脇道に入って数歩。気を抜いて歩けば肩が壁に擦れてしまいそうなほど狭い通路は、数本の鉄棒によって行く手を遮られていた。
 しかもご丁寧に、表面に紋章魔導式の掘り込まれた対魔法防御型の鉄格子だ。ほのかに青白い輝きに包まれた鉄棒は下手な攻撃魔法では傷一つ付かないだろうし、吹き飛ばすだけの威力のある魔法や爆薬を使えば詰め所に立てこもるモンスターたちに気付かれてしまう。
 それに魔法防御以外に他の結界を仕掛けているとも考えられる。迂闊に手を出せば、藪をつついて蛇を出す事になりかねない。
「綾乃ちゃん、探査系の魔法って使える? 魔力の流れを調べるサーチマジックとか結界の種類を調べるアナライズとか」
「そんなのはちょっと……あまり一般的じゃありませんし」
 確かに普通はそんな専門的な魔法を使う魔法使いはいない。使いどころが難しいし、使えるレベルの魔法使いがいればアンロックの魔法で結界ごと解呪した方が早い。それ以前に罠や鍵開けはシーフの専門分野だ。
 けど、こう言う進入防止の結界は下手に解呪すれば第二、第三の魔法が発動するのが一般的だ。だからこそよくよく調べてから手をつけたかったんだけど……あたしにも綾乃ちゃんにも調べる術がないんだから仕方がない。
「それじゃしかたないか。ザックの中にノコギリいれてあるから出してくれない? 金ノコじゃないから切れるかどうかわかんないけど、試してみる」
「あ…はい。わかりました。少し待ってもらえますか」
 逃走経路は分かってるし、上にいるモンスターたちにばれたら逃げればいい。一応逃走経路は頭に入っているし、さすがに半人半豚のオークよりは足が速い。とりあえず、ちょっとぐらい大胆に動いても大丈夫だろうと高をくくり、格子破りに挑戦してみることにする。
「それにしても頑丈そうな格子よねぇ…こう言う時は厄介者でも何でも無いってのに」
 普段は犯罪者の逃亡を防ぐ役目をしていた頑丈な鉄の棒を観察すると、周囲に何か無いかと目を向ける。
 左右の壁はかなり頑丈で、穴掘りの魔法も使えそうに無い。そんな簡単に進入する手段が見つかれば、それこそ大問題だろうに…と心の中でつぶやくと、助けに行こうとしている衛兵の人たちへ文句を言っていいのかどうなのか、ちょっと複雑な気分になってくる。
 綾乃ちゃんは……ザックを地面において荷物をひっくり返している。ノコギリが出てくるのはまだまだ先っぽい。
「あ〜あ……いっそのこと、これ、引っこ抜けないかな?」
 鉄格子に触れると、小さく青白い電光が指先に刺さる。
 たいした痛みじゃない。金属製の格子の表面に描かれた魔導式に魔力が流れ、その余波で電気が発生していたのだろう。むしろ触れた途端に黒焦げにされなかっただけ、ラッキーなのかもしれない。
「先輩、ノコギリって、これですよね」
 息を切らせた綾乃ちゃんがそう言うので振り返ると、その手には何故か金づちが。
「これでその鉄の棒を叩くんですよね。カンカンッて」
「綾乃ちゃん、そのボケはマジボケなのかどうか、ちょっと分かり辛いんだけど―――」
 ………ああ、そう言えば綾乃ちゃんは日曜大工なんてした事なさそうだ。だけど、ノコギリも見たこと無いなんてどんなお嬢様だと、あたしが歩み寄ろうと足を踏み出したその時、
―――ボコッ
 あたしが握っていた格子の一本が、床と天井から見事に引っこ抜けた。
「え……? な、なんで?」
 手にした格子の一本は輝きを失い、ただの鉄の棒に戻っている。思ったよりも軽く、けれど見れば見るほど確かな重みを感じさせ始める棒と、それが立っていた場所とを交互に見つめる。
「………や、やだなぁ。この格子、もしかして腐ってるんじゃないの、この格子?」
 いやいやいや、そんな簡単に壊せそうに見えなかったんだけどな……誰かにドッキリでも仕掛けられてるんじゃなかろうかと疑心暗鬼に陥りながら、別の格子へ手を伸ばす。
―――ボコッ
 上から天井の破片と土の欠片が落ちてきて、床のレンガごと二本目の鉄格子も引っこ抜ける。………なんつー安普請だ。手抜き工事にも程がある。
 けどこれはラッキーだ。いつ誰が格子をはめたか知らないけれど、あたしの力でボコボコ抜けるならこれほど楽な事はない。畑から十分育った大根を引っこ抜く感覚で格子を引き抜き、次々と通路の脇に放り捨てられていくと、たちまち通り抜けられるだけの幅が出来上がる。
「先輩……スゴい………」
「全然スゴくない。これって絶対に手抜き工事だって。女のやわ腕に引っこ抜かれる鉄格子がどこの世の中に存在するって言うのよ。それよりも先、進もっか」
 荷物をザックへ詰めなおした綾乃ちゃんの手を引いて立ち上がらせる。
 一瞬、その手を握りつぶしてしまうのではないかと言う恐怖が込み上げてきた。――無論、あたしの手にそんな力があるはずも無い。けれど拭いきれない不安が胸にわだかまり、あたしはただ手を握り返すだけの事に細心の注意を払ってしまう。
「ここから先は、いつモンスターが出てきてもおかしくないわけか……」
 あたしは壁へ立てかけてあった箒を手に取る。そして柄の感触を確かめると、今更ながらその頼りなさに涙が出そうになる。
 なんでも、フジエーダの近くの古代遺跡から発掘されたマジックアイテムで、お掃除に必要な七つの機能がすべて内蔵されたスーパー箒らしい。……と言われて、誰が信じるか。一応、魔力を流せば「何でも掃ける」らしいけど、そんな効果でどう戦えと言うのか……
「まさか箒で戦う日が来るなんてね……」
 アイハラン村では、子供の遊び道具といえば箒だ。なにしろ頭の天辺からつま先まで黒尽くしの衣装で固めた正義の魔女オバさんと言うのが普通にいる村だ。箒に乗って空も飛ぶし、箒の一振りでモンスターを黒焦げにする。……掃除道具と言うよりも、箒は武器か魔法の杖だと信じている子供の方が多いのがアイハラン村だったりする。
 当然、成長すれば箒は普段は振り回すものじゃないと知るけれど、それでもちゃんばらで振り回した箒は子供心には何にも勝る武器のように思えた。―――が、現実問題として、この箒一本でどうやって戦おうと思ってこれを持ってきたんだろうか。
「さて、次はっと……」
 嘆いてばかりもいられない。等間隔に穴の開いた通路を通り抜けると、次に待っていたのは今度こそ頑丈そうな鉄の扉。しかも鍵穴に当たる位置には、いかにもマジックとラップを仕掛けていますといわんばかりに宝石が埋め込まれている。
 その宝石に、今度は綾乃ちゃんが手の平を当てる。そしてまぶたを閉じると、意識を集中して魔力を感じ取り始める。
「………魔力は感じます。けど、どういったものかまでは私には……」
「ご丁寧にマジックロックって訳ね。さっきの鉄格子と違って滅茶苦茶頑丈そうだし、当然普通の鍵も掛かってるだろうし……」ドアノブに手を掛けると、押して、引いてみる。―――うん、これは頑丈だ。思ったとおり何かに引っかかる手ごたえを感じ、……ボコッと音を立てて、金属製の扉はドア枠ごと外れてしまった。
「……………」
「……………」
 しばし、片手で見た目は重そうな鉄の扉を持ったまま、あたしの思考回路はその働きを放棄した。
「や、やだなぁ。フジエーダの詰め所ってどこもかしこも脆過ぎない? こんなんじゃ脱走し放題だよね〜♪」
「そ、そうですよね。私、先輩がものすごく力持ちさんじゃないかって思っちゃいました」
 さすがにこれにはあたしも綾乃ちゃんも度肝を抜かれた。叩けば固い金属音が返ってくる扉が、扉の枠ごと外れてくるとは誰も思いも寄らないだろう。
 手の込んだ悪戯なんだ……と、こめかみに冷や汗を垂らしながら結論付けると、妙に軽い扉を通路の壁へ立てかけた。
「これ……ものすごく固いですよね」
「言わなくていいって……どっちかって言うと、言わないでください」
 自分でも何か変だと思いながらも、今は衛兵さんたちを助けるために先へ進むしかない。
 壊れた扉を越えると通路はすぐに右へ折れ、そこから先は階段になっていた。絞首台は確か十三階段だっけと縁起でもない事を考えながら登りきると、そこにはまたしても金属製の扉があった。
「………今度は鍵が掛かってない」
 さすがに二度も扉を引っこ抜くのは心臓に悪い。ノブを回して慎重に押すと、幸運にも扉は軋む音をわずかに響かせながら開いていく。
 開いた隙間から様子を伺えば、石造りの通路が先へと延びていた。流れ込んできた空気は下水道の湿った空気と混ざり、それほどキツくはないけれど気分の悪くなる臭いを漂わせる。
「―――ビンゴ。ここが地下牢だ……」
 鼻を鳴らして臭いを嗅げば、何人もの人間の体臭が混じっているのが分かる。あと、変な臭いも混じっているけどはっきりしていなくて、下水の臭いでバカになっている鼻じゃ嗅ぎ分けることができない。………って、あたしは犬か。
「綾乃ちゃん、荷物置いて。もしなにかあったら、迷わずここから外に出るからね
 ここから先、余計な荷物は邪魔になるだけ。カンテラの明かりを消すと、ザックに入れて階段の隅に置き、扉を押し開いて体を滑り込ませる。
「………きゃ! せ、先輩、スカートが引っかかって……!」
「慌てなくていいから。声を立てないで」
 唇に人差し指を立てると、綾乃ちゃんも口をつぐんで声を押し殺す。それから長いスカートを落ち着いて引っかかっていた所からはずすと、壁伝いに奥へと進んで行く。
 扉から見える範囲はそう広くない。通路は数歩先で横の通路と交わっていて、その奥は行き止まりだ。十字路には灯のついた蝋燭が置かれていて、カンテラが無くても十分視界は確保できる。
 右か、左か……下手したらオークと鉢合わせと言う事もありうる。慎重に行動しなければならない。
「………今、この状況で上からモンスターが降ってきたら最悪だと思わない?」
「え、え、え? そ…そんな事言わないでくださいよぉ……」
「でもさぁ、あたしも色々襲われてきてるしさぁ。ばかデッカい蜘蛛のモンスターが天井に張り付いてるの見た時は生きた心地がしなかったし。他にも湿った通路といえばスライムが上からボトッと降って来たり……」
「ヒッ…!」
 背後で小さく悲鳴をあげた綾乃ちゃんが上を見る気配が伝わってくる。
「そう言えば敵の親玉って、魔蟲使いなんだよね。魔蟲って魔法で造った虫の事なんだけど知ってる? 見張りを置く代わりに、毒を持った小さな虫なんかをその辺に放ってるかも……」
「やっ……わ、私、そう言うのって苦手なんですぅ……さっきから先輩、そんなことばっかり言って……」
 こんな不気味な場所では、そう言う冗談も冗談ではなくなる。わずかに涙で潤んだ声に罪悪感を覚えながらも、あたしは言葉を続けた。
「だけど綾乃ちゃんにもそう言うのを知っといてもらわないと。援護は綾乃ちゃんの役目なんだから」
 あたしと綾乃ちゃんのコンビなら、向く向かない関係なく、魔法の使えないあたしが前衛になる。狭い通路を進むなら、後ろからあたしの見えない位置にも注意を払って援護してもらわないとならないって、神官長に貰った冒険者の心得に書いてあったし。
「でも、私は魔法があんまり……」
「苦手でも、やる。綾乃ちゃんがやらなきゃいけないの。それに魔法じゃなくても、死角から迫ってくるモンスターに注意してくれるだけでもいいんだから」
「で、でも、あの……私には自信が……」
 綾乃ちゃんはそれでも躊躇し、手にした杖を強く握り締める。
 ―――ちょっと言い過ぎたかな……?
 こう言う事は出発前に打ち合わせするべきだった。いざ乗り込もうという時に話しても、緊張と恐怖を煽る事にしかならない。
 少し励ますべきかな?……そう考えてあたしが後ろへ振り向いた時だ。
「―――しっ、黙って」
 物音を聞いたあたしは、綾乃ちゃんを抱きかかえて十字路に背を向ける。
「せ、先ぱ――――っ!?」
 大声を出しそうな綾乃ちゃんの口を手で覆う。
「静かにして。ここは暗いからジッとしてれば大丈夫」
 あたしたちが着ているメイド服は暗色系だし、明かりも消している。身をかがめれば見つかる事も無いと踏んで、通路の片隅で二人して息を殺し続ける。
 そして―――
「………………これ、寝息?」
「そう…みたいです」
 聞こえてきていたのは小さな寝息だった。けれど安心するのはまだ早い。寝息が聞こえると言う事は、すぐ近くに人かモンスターのどちらかがいるということだ。
 時間にすると、今は深夜を軽く越えている。日が昇るまで、もうそれほどかからないだろう。じゃあ、ここで聞こえてくる寝息は誰のものかと考えれば………?
 何も動くものがいない事を祈りながら十字路まで進んだあたしは、首を伸ばして様子を伺う。
 横道の左右には、一面に鉄格子がはめ込まれた牢屋が並んでいた。あたしのいる位置から左側に見える一室には、それほど広くない牢屋の石床に七・八人の人影が倒れているのが分かる。
「あれは……衛兵長のおじさん……!」
 その内の一人。寝るスペースがないのだろうか、壁に背を預けて眠る老人が見覚えのある相手だと気づいたあたしは、思わず十字路から飛び出して駆け寄っていた。
「おじさん、起きて。助けにきたよ。早く起きて……!」
 見た目では、熟睡しているように見えた。でも、あたしが鉄格子にすがり付いて声を掛けると、衛兵長はパチッとまぶたを開き、手近にいた衛兵の人の背中を蹴りつけていた。
「全員起きろ。ワシらの女神が助けに来たぞ」
 め、女神ってあたしのこと!? なにやら勿体無さ過ぎる呼ばれ方に恥ずかしさを覚えて戸惑っている間に、数人があたしの気配で目を覚まし、波紋が広がるように四十人近い自衛団の全員が目を覚まして、固い石の床から身を起こした。
「なんだよ、もう助けに来てくれたのか? へ、昼間にあれだけがんばっときながら……たいした女だぜ、あんたは」
「鍵は出口の傍にあるテーブルに置かれているはずだ。あいつらに気付かれる前に、早く取ってきてくれ」
「俺、感激ッス。たくやさんが助けに来てくれて、超感激ッス……しかもメイド服だなんて…俺…俺……なんていうかそのっ…!」
「ワシら以外にも捕まってる奴が向こうの牢に捕らえられている。頼む、そいつも助けてやってくれないか」
 とりあえず後にして欲しい事まで聞こえてくるざわめきの中から、鍵のありかの情報はちゃんと聞き取っている。
「綾乃ちゃん、すぐ戻るからみんなと待っててね」
 牢屋の出口は、十字路を右に行ったところ、今いる場所からは通路をまっすぐ言った場所だ。
 幸い、今なら見える範囲にモンスターはいない。上で寝てるか、食事でもしているのだろう。
 自然と、あたしの足は駆け足になっていた。
 履いている靴はショルダーアーマー同様、捨てられていたものを回収してきたあたしのブーツだ。羽根のように軽く、それでも足音を速いリズムで響かせながら、緊張と恐怖で押しつぶされそうな心を奮い立たせて、暗く湿った地下室の出口へと駆け寄る。
 途中、左側と違ってほとんど人が入れられていない牢屋に、ぽつんと、巨大な芋虫のように簀巻きにされた人が一人だけ放置されているのを横目に見ながらテーブルへ走り寄ると、赤いさびの浮いた牢屋の鍵をひったくるように掴み取る。
「これで……!」
 あたしはまず、簀巻きにされた人が閉じ込められた牢屋の鍵穴に取り憑いた。
 牢屋の鍵は十数本。その四本目で格子戸の鍵を開けると、鍵束を綾乃ちゃんへ向かって、
「パス」
「え…? きゃ、わ、わぁ!!」
 綾乃ちゃんはあたしが放り投げた鍵を慌てながらも何とかキャッチ。それを確認してから、開いた格子戸を箒を手に潜り抜け、こちらへ背を向けて眠っている男に近づいて肩を揺り動かした。
「助けにきたわよ。すぐに起きて……!」
 ―――と、そこであたしはある事に気がついた。
「う〜ん……あと五分だけ待ってくださぁい……今はぁ…僕と先輩が……うへ…えへへへへ………♪」
「―――なんか幸せそうな夢を見てるみたいじゃない」
 一旦立ち上がると、ゴスッと、あたしは男のわき腹へ容赦なく膝を落とした。
「ぐにゅぉおおおおおおおおおおおっ!!!」
 なんなんだ、その間に入った「にゅ」は!
 柔らかいわき腹に膝が突き刺さり、その激痛で身を何度もよじって悶絶する男は、体に巻きつけてあるわらとあいまって、まさに巨大な芋虫だ。あたしはそれを容赦なく靴裏で踏みつけると、何処かのお金持ちのご子息でいらっしゃる男―――馬鹿弘二を怒りのこもった眼差しでにらみつけた。
「誰ですか! 僕と先輩のラブラブハネムーン、けどルーミットさんが乱入してきてとても夜まで体が持ちましぇ〜ん編を邪魔するのはぁ!!」
「あんたは……森で姿が見えなくなって、一体どこでどうしてるのかと思ったら……」
「え? あれ?………せ、先輩だぁぁぁ♪」
「………こんなところで、なに寝ぼけた事ぬかしてんのよ、弘二ィ!!」
 箒の石突を床に叩きつけ、寝ぼすけ男を踏みつける。
「しかもあげくに人を勝手にふしだらきわまりなさそうな夢に勝手に登場させてくれちゃってまあ! しかもタイトルつき! こんな状況下で平気でそんな夢を見れるあんたの脳味噌は一体全体どうなってんのか知りたいわ!!」
「すぇ…すぇんぷぁぁぁい!! 僕を、僕を助けに来てくれた……って、あれ? あれ? なんで僕、縛られて寝ころがされてるんですか?―――はっ、まさかこれって、先輩の新たなる愛の形!?」
 ぶち切れた。最初から頭の線が五・六本弾け飛んでいたけれど、最後の一言があたしの中で何かを弾けさせた。
「いっしょうあんたは寝ぼけてろぉぉぉ!!!」
 箒、一閃。ノドが張り裂けんばかりの声を上げながら箒を頭上から弧を描くように振り下ろしたあたしは、簀巻きの弘二を「掃き」飛ばし、石の壁へと叩きつけた。
「ふ…ふみゃあぁぁぁ………」
「そこでちょっと反省してなさい」
 弘二を起こせば何かとうるさくなるのは目に見えている。ちょっと酷いと自分でも思いながら、その場に残して行く事にすると、あたしは心から痛みを発しているこめかみを指で揉みながら牢屋の外へと出た。
「せ…先輩………あの……」
 この「先輩」は綾乃ちゃんの声だ。衛兵サンタ違う構っていた牢屋のあるほうへ顔を向けると、牢屋から出た数人が立ち尽くして、あたしのほうをジッと見つめていた。
「どうかしたの?」
「だから、その、そっち、そっちぃ……!」
 そっちと言うと……こっち?
 綾乃ちゃんの指差す方を目で追って、今度は牢屋の並んだ地下から外へ出る出口の方へ首を向ける。
 そこには壁があった。距離にして数歩も無い。手を伸ばせば触れる位置に、視界を塞ぐように丸い凹凸のある壁があった。
 ―――なんで通路に壁が?
 箒を肩に担いで、壁を下から上へと見つめている。
 壁にしてはやけに丸い壁だ。全然平らじゃないし、一体床から生まれてきた壁なのやら。あたしの頭の高さから急に細くなり、口と鼻と目のある壁とはまた珍しい。
「………って、壁じゃないじゃん!」
「ブヒィッィイイイイイイイッ!!!」
 後ろへ弾けるように飛ぶと、今までいた位置に両手剣の巨大な刃が振り下ろされる。
 十分速度の乗った質量のある一撃で、石畳が派手に抉れる。切れ味などたいしたことは無いとは言え、斧同様に「叩き切る」両手剣の斬撃を喰らおうものなら、肌に刃に切り裂かれる前に骨が潰されてしまう。
 けど、遅い。どこで手に入れたか知らないけれど、それなりに武器を扱えてはいるが、それでも動きが緩慢にしか感じられない。
「っとに、邪魔!」
 左足で地面を蹴り、右足を出してオークの左手へ。そして肩に担いだ箒を地面すれすれに振り払い、アッパー軌道で足首を掃き払う。
「ブヒッ!?」
 足首が後ろへ払われたオークの巨体が、空中で九十度回転する。
 頭を前に、お腹を下に。うつ伏せになったオークはそのまま石床に落下し轟音を響かせる。
「………おお、この箒、もしかして使える!?」
 どんな重さでも綺麗に「掃く」能力って使い道がなさそうだと思っていたけど、武器にするなら結構使い道がありそうだ。魔法剣の様な一撃必殺の華々しさは無いけれど、弘二のように掃き飛ばしてもいいし、さっきのオークのように足を掃き払ってもいい。
「魔法とアイテムは使い方次第ってとこね。こりゃいいもの借りちゃった♪」
「ブ…ブヒッ……」
 ―――忘れちゃいなかったけど、一撃必殺じゃないのが欠点だ。
 巨体に似合わず、両腕を突いて跳ねる様に起き上がるオーク。あたしはそのまま前に進んでオークと出口をさえいる位置に立ち、モンスターと向き直る。
「こいつ、まだやられたり無いの!?」
 狭い通路では大型剣を振り回す余裕は無い。自然と斬撃は肩口からの振り下ろしになるけれど、単純すぎて体を半身にして一歩横に動けば余裕で躱せる。そして先ほどと同様に両足まとめて後ろから前へ掃き払い、振り下ろし直後で不安定なオークの体に尻餅を突かせると、今度はその尻を掃く。
「ブヒッ!」
 掃き方一つで飛び方も変わる。今度は仰向けにクルッと回転したオークは後頭部から床へ落下。盛大な音を響かせ、見た目に痛そうな落ち方をしたオークに同情しながらも、あたしは続けて頭を掃く。
 今度は横向きに半回転。結果、オークは頭から鉄格子に突っ込んだ。
「ブヒホォ!!」
「さあ、とっとと降参しなさい。降参しなきゃ、エンドレスで掃き続けるからね!」
 立っているならまだしも、床に倒れ、武器まで手放してはオークに勝ち目は無い。―――それなのに、オークはいっこうに降参する気配を見せず、頭から血を流してまで立ち上がろうとする。
「あーもー! こんな戦い方、したく無いって言うのに!」
 はっきり言って、弱いものをいたぶってるようで気分が悪い。いつもはオークに逃げ惑っているけれど、立場が入れ替わって一方的に攻撃し続けるのは、正直に言ってあたしの性格に合わない。しかも相手の怪我は掃き払うたびに増えてるし、このままではいつか攻撃の手を緩めかねてしまいかねない。あたしの命が危険に晒されるとしても…だ。
 それに攻撃を躊躇する理由はもう一つある。オークが操られて戦わされているという事だ。
 コボルト、オーガと同様に、このオークも耳の奥へ魔蟲に入り込まれ、体を操られているに過ぎない。そんな相手と戦って叩きのめすというのがどうにも………
「―――ええい、だったらこれでどうだぁ!!」
 魔法の箒の長柄の中ほど。そこを人差し指と中指の節で挟むと、あたしは横へと引き抜いた。
 柄の途中だけが抜けるはずも無く、あたしの指の力で壊せるはずも無い。その代わり、指の間には四角く分厚い、白い布が挟まれていた。
 しかも、滴るほど大量に水を含んでいる。
「魔法の箒の特殊能力その2! 濡れ雑巾!」
 ―――いや、だからどーしたと言われても困るんだけど、
 この箒の柄には雑巾を三枚までストックして置ける上に、好みの湿らせ具合で取り出すことが出来るのだ。―――この無駄機能はなんなんだ!?
 けどまあ……それも人の知恵と勇気と使い様! タップリ濡れた雑巾をあたしは、
「くらえ、雑巾アタック!」
 オークの顔に投げつける。
「ブフッ! ブフゥ〜、ブフゥゥゥ!!!」
「まだまだ。くらいなさい、雑巾カッター、雑巾ミサイル!!」
 名前が変わってもやる事は一緒。濡れ雑巾でオークの鼻や口を覆って息を止めさせる。
 これだけじゃ不十分か…? そう思っていたけれど、変化は思いのほか早い。倒れたまま呼吸が出来ずに悶絶するオークの耳から、サソリとムカデを足したような白い甲殻虫がするりと滑り出てきた。
 恐らくは「溺れる」と言う状況で耳から這い出て助かろうとする習性を、洗脳魔蟲は持っている。それを利用して、濡れ雑巾で魔蟲を追い出そうとした試みは上手く行った。………けど、足を無数に持つ魔蟲の動きは想像以上に速い。スカートを翻してオークの体を飛び越えながら箒で叩き潰そうとすると、魔蟲はまっすぐ床を走り、あたしとオーガの戦いを離れて見ていた綾乃ちゃんや衛兵の人たちへと向かって行く。
「みんな、気をつけて。その虫がモンスターを―――!!」
 注意を呼びかけるべく声を出す。もしかすると人まで洗脳されてしまいかねない。……けど、心配は杞憂に終わった。
 魔蟲とは言え、小さな虫は踏み潰されれば潰れるだけ。慌てずに足を上げて降ろした衛兵長に踏まれた魔蟲は、容易く息絶えてしまう。
「―――で、この虫が何だって?」
「え〜っと……いや、モンスターを洗脳してるんだけどね」
「そうか……つー事は、この虫操ってるヤツが一番の悪人ゆー事じゃな? それがあの魔法使い言う事じゃな。そーかそーか……おい野郎ども、あん時負けた雪辱戦じゃあああっ!!! この魔蟲操っとる奴を捕まえて、やられた奴の仇をとっちゃるぞぉぉぉ!!!」
 衛兵長が腕を振り上げると、捕まっていた三十人を越える衛兵さんたちも同様に時の声を上げる。
「昼間のエッチでやる気は満タン。おらおらおら、豚でも犬でもかかってこんかい!!」
「女神は俺らの味方なんじゃ。負けるはずが無いんじゃ。もはやわし等にゃ勝つしかないんじゃぁあああっ!!」
「○○○の○×△野郎がぁ!! ちくしょうめ、半殺しだぁ!!」
「アイツの(ピ――)を(ピ――)して(ピ――)で(ピ――) (ピ――) (ピ――)してやるぜ、あの糞野郎!!」
「殺せ! 殺せ! 殺せ! ガンホー! ガンホー!! ガンホー!!!」
 あ、あの……ここには綾乃ちゃんと言う女の子がいるんで、出来れば下品なスラングとかは控えていただきたいんですけど……
 地下牢全体を揺るがすほどの声を上げながら拳を突き上げる衛兵たち。よほどの屈辱を受けてきたのだろう、その顔は一様に怒りに満ちていた。
 その迫力に押され、綾乃ちゃんはすっかり隅っこで震えてしまっている。まあ……この場合は仕方ないか。
「あんたも早く降参しないと、あの人にボコボコにされちゃうわよ。どうする?」
 人間の言葉がオークに通じるはずもない。けれど、濡れ雑巾から開放されて、最初に目に下のが復讐に燃える衛兵さんたちでは、かなり心臓によろしくない。怪我もしているし、あたしが苦笑いを向けると、ガクガクと顔を縦に頷かせ、体から黄金の輝きを放ち始めた。
「よっしゃ。てめー等、覚悟はいいな? 突撃だぁぁぁ!!!」
 武器も無いのに通路を突進して来た男たちはあたしの横をすり抜けると出口から上の階へとあがって行く。
 取り残されたあたしは呆然とその後姿を見つめ、
「なんか……モンスターより恐いんだけど……」
 新たにオークと契約したあたしは手の平でポチと同じ黄玉石の魔封玉を転がしながら、涙目でコクコク同意してくれている綾乃ちゃんの所へと駆け寄っていった。


stage1「フジエーダ攻防戦」33