stage1「フジエーダ攻防戦」21


「ぅ…ん………」
 ここは……どこ…………?
 冷たく湿り気を帯びた空気が、蜜の放つ甘い香りと共にあたしの胸の中へ流れ込んでくる。
 ―――甘い。
 そう言えば、子供の頃は何人かの子供と森の中で果物を取って、勝手に食べたりしたっけ。あと、花の蜜のジュースは舌の上から喉や鼻に至るまで甘い風味が広がるほどの一品だったけど、一つの花から取れる量がものすごく少ないのが難点。しかもあたしの同世代では明日香が独占してたっけ……思い出したら怒るよりも自分の情けなさに悲しくなってきた。ああ…なんてかわいそうな、子供時代のあたし……
 これは夢だ。もう何年も昔の、楽しかった頃の夢。甘く、その中にわずかに含まれる酸味が心地よい風味になって、幸せな夢をあたしに見せてくれている。
 あの時は両親もいた。姉さんもいた。そして何より、明日香もずっと傍にいてくれた。あたしが嫌がっても、倒れても、寝込んでも、明日香はずっと傍に寄り添っていてくれたっけ。
 ………一度だけ、明日香が大泣きした事があったっけ。あれはどの時だっけ。熱を出して三日三晩苦しんだときか。明日香の服をよろめいた拍子に引っ張って破いたときか。それとも……ああもう、夢なのにどうして思い出せないのよ。どうして……そんな悲しそうな明日香の顔を、夢の中でまで見なくちゃいけないのよ。
 これは夢だと、分かっている。どんなに楽しい夢も、どんなに悲しい夢も、いつかはきっと覚めてしまう。―――そんな事をボンヤリと考えながら、あたしは夢の世界と決別し、現実の世界へと意識を戻して行く。
『―――拓也、死なないで』
 わ、別れ際に縁起でもない事を言わないでよ。あたしは大丈夫だから……きっと、きっと大丈夫だから……
 あの頃の明日香に言っても、意味なんてあるわけ無い。ましてや夢の中での言葉に何の意味があるものか。
 だけどあの時も言ったはずだ。大丈夫、だって。そう口にするたびに、小さな頃の、一つの思い出が記憶のそこからおぼろげに浮かび上がってくる。
 思い出はある。なら、明日香とはその時に約束した。あたしは大丈夫なんだ、って。


 ………はて、その時っていつだったのか、やっぱり思い出せないや。―――ま、いっか。


「んっ……ここ…は………どこだっけ?」
 まず最初に見えたのは、石の天井だった。部屋の中央に吊るされたランプに照らされ、冷たく四角い天井があたしの視界に広がっていた。
 どうも眠ってた……と言うよりも気を失っていたらしい。後頭部に感じる石床の固い感触は、寝起きとしてはあまりいいものじゃない。
「はにゃ……何でこんな床で寝てるんだろ?」
 全裸で横たわっているけれど、身体は風邪引いてるとかそんな感じは無い。でも、体の芯には重たい疲労感が残っていて、動けないほどではないけれど自分の身体じゃないような違和感を覚えてしまう。
「牢屋か……あの世なんていう落ちじゃないでしょうね。―――っと」
 いつまでも濡れた石床に横たわっていても気持ちが悪い。気合をいれて体を起こす。……うわ、なんてーか…今のあたし、状況、ものすごい……
「あ〜……なんか思い出してきた」
 そういえば……ここで何人もの男に犯されてたんだっけ。
 水の神殿前の広場で生き残った衛兵さんたちに射精してもらい、合計で……途中で数えるのをやめたから覚えてない。ともかく数え切れないほど顔や胸に射精されて、おなかの奥にもそそがれて……それを終えた後に、ここまで運んでくれた男たちにも犯されたのだ。
 それこそまさに強姦……疲れ果て、身動きできないあたしを中央に置き、代わる代わる男たちがあたしの膣へと挿入し、自分たちの快楽だけのために腰を振って、あたしの胎内へ溜まりきったものを注いでいく……思い出しただけでも身震いが込み上げる、最低なSEXだ。
 あたしの周囲はひどい有様で、どれだけ激しく、繰り返し陵辱されたのが一目瞭然。そこらじゅうに濃厚そうな、まるで何日も射精せずに溜め込んでいたような精液が飛び散り、その濃さに見合うだけの濃密な臭いが石室中に充満していた。―――とは言え、寝ている間にあたしの鼻は完璧に麻痺していて、精液の臭いはまったく分からなくなっている。幸か不幸か……考えるのはやめておこう。気がめいりそうになる。
 身体の方には床と同様……それ以上に精液がぶっ掛けられている。まだ男たちに荒々しく揉みしだかれた時の腫れた様な余韻がジンジンと残る胸には、谷間の奥からお臍へとドロッとした体液が伝い落ちるぐらいにザーメンをかけられていて、あまり気持ちがいいとは言えない。
 今すぐお風呂……ううん、川でも何でもいいから飛び込みたい気分……
「はぁ……あ〜もう! やめやめ。考えたってどうしようもないんだから!」
 それよりも、今は脱出するチャンスかもしれない。周囲に人やモンスターの気配は無く、ここから出ることが出来れば―――
「それには…ここがどこだかわかんないと」
 自分の体のことばかりに意識が言っていたけれど、壁際には幾つもの木箱が積み上げられている。倉庫なのか……なんとなく見た覚えがあるなと思いながら、震える足で箱へと歩み寄ると、乱暴に天板を開け放たれた箱には、底の方に一つだけ小さなジャガイモが転がっていた。
「そっか。ここ、食料庫なんだ」
 暑い気候のフジエーダでは涼しい場所に食料を保存しておく。水の神殿もその例外ではなく、地下にある清めの泉からの冷気で涼しい地下に、大勢の僧侶・神官の食事を賄う食糧庫が作られたと、神殿に泊めてもらっていた時の手伝い中に聞いた事がある。
 たしかにここなら窓はないし、壁も床も頑丈。その上、盗み食い防止のために扉には鍵がついている。外から鍵を掛ければ牢屋がわりとしても使うこともできるだろう。
「誰も見張りをつけずに置いておくんだから、当然といえば当然か」
「キィ」
 ………さっきの鳴き声はなに? も、もしかして…ネズミ…とか?
 寝ている時に耳を噛まれて以来、どうもネズミは苦手だ。とは言え、もしかしたら別の生き物と言う可能性もあるけれど……襲ってきたりは、しないよね…?
 服を着てないし、かじられたら痛いだろうな…てな事を考えながら、恐る恐る、鳴き声の聞こえてきた方へと目を向ける。―――と、そこにいたのはネズミではなかった。
 ああよかった。ネズミじゃなかった。―――けど、でっかい蜘蛛ぉぉぉ〜〜〜〜〜〜!!!
 ネズミも嫌いだけど、蜘蛛も嫌いだ。少し前にとんでもなく大きな蜘蛛に殺される寸前にまで追い詰められた記憶は、まだはっきりと覚えている。あの蜘蛛とは契約したけれど――
「……って、おや? もしかして……あの蜘蛛?」
 あたしが見つめる視線の先。積まれた木箱の一つの上にちょこんと乗っかっているのは、手の平ほどもある大きな蜘蛛だ。そう……佐野との戦いのときに切り札として呼び出し、そのまま逃げ出したあの蜘蛛だった。
「もう! 今までどこに行ってたのよ。心配したんだからね!」
―――キィキィ
「ほんとにもう……小さくなったんならそう言いなさい。そしたらあんな時に呼び出したりしなかったんだから。―――ごめんね、恐い思いさせちゃって……」
 あたしが手を差し出すと、蜘蛛は嬉しそうに飛び乗ってくる。ちょっとドキドキしながらその背を指先でなでてやると、くすぐったそうに身震いし、小さな鳴き声を何度も響かせた。
「怪我はどこにも無いようね。―――お腹、どうかしたの?」
 蜘蛛をよく観察すると、確か透き通るような黄色だった蜘蛛の腹は、その半分ほどが空っぽになっていた。どうやら中に液体を溜め込んでいるらしく、身体を動かすたびにちゃぽちゃぽと中身が動いていた。
―――キィ
「え……飲めって?」
 スライムのジェル同様、蜘蛛の考えていることはある程度あたしにも伝わってくる。それに従い、あたしが唇を小さく開いて蜘蛛に顔を寄せると……蜘蛛は体の向きを変え、あたしの口に大きく膨らんだ腹部を突き入れてきた。
―――ビュク
「んっ…むむぅ!」
 小さく蜘蛛のお腹が震え、あたしの口の中に冷たい液体を撃ち放つ。お尻の先から出た液体は喉の奥に当たり、口の中に甘酸っぱい風味を広がらせる。
「ふぅ……ん………」
 や……なんか…変な気分になっちゃうかも……
 夢の中で味わった蜜の甘みは、多分これだ。喉の奥へと流れて行く蜜はすぐさまあたしの体へと染み込んでいき、疲れをやわらげてくれると同時に体力を少しだけ取り戻させてくれる。―――それはいいんだけど、あれだけおしゃぶりをさせられた後に口の中へ入れられると、つい舌を使ってしまい、大きさも亀頭ほどの蜘蛛の腹部をねっとりと嘗め回してしまう。
―――キィ
「あっ……ご、ごめん。痛くなかった?」
 蜘蛛の鳴き声で我に帰ったあたしは、奉仕するような舌使いをしてしまった事に恥ずかしさを覚えながら、蜘蛛の腹部から口を離す。すると、お腹の蜜が空っぽになった蜘蛛はあたしの手から飛び降りると、石壁を伝って天井の隅のひび割れへと隠れてしまった。
「ははは……あたし、ちょっと重症かも……」
 熱くなる頬を指先で掻き、蜘蛛が隠れていった天井へ手を合わせて謝る。―――さて、体力も少し回復したことだし、本格的に脱出方法を考えないと。
 使えそうなものと言うと……食料庫の扉は頑丈だし、箱から木を引っぺがして叩きつけても、あたしの力じゃどうにもなら無いだろう。となれば、打ち付けてある釘の方が使えそうだ。
 佐野の仲間が自分たちの食事のために開け放った箱の天板がいい具合に砕けている。そこから釘を取り出すと、あたしは壁伝いに扉の傍へと近づいた。
 気配は無いとは言え、ここは慎重に行動しないと……って、やっぱりいた。それに……あれって、怪我したオーガ……
 格子のはまった扉の覗き窓から外の様子を伺うと、食料庫のすぐ前から上に伸びる階段には、あたしに切り落とされた右腕を傍らに置いたオーガが座り込んでいた。全身が雷に打たれて焼け焦げ、死んでいないのが不思議なくらいだけれど、もう力は残っていないのだろう。襲い掛かってきた時の迫力も無く、もしかしたら息絶えているのではないかと思うほどに身じろぎひとつしなかった。
「―――お〜い。生きてる?」
 あたしが声を掛けると、ピクッと反応した。………いや、オーガが眠ってる間に扉を開ければ…って、もう後の祭りだぁ……なにやってるのよ、あたしは……
―――グ…グルル……
「あ、動いちゃダメ。動いたら死んじゃうから。……いやまあ、あたしにしてみれば、見張りのあんたが倒れてくれた方がいいんだろうけど……とにかく動いちゃダメ!」
 ノドを鳴らして立ち上がろうとするオーガに、思わずキツい口調でそう言ってしまう。佐野に支配されてるんだから聞く訳は無いんだろうけど………あ、腰を下ろしなおした。
「………ねえ、あたしの言ってる事が分かる? 分かるなら、ここの扉を開けて欲しいんだけど……」
 万が一と言うこともある。ダメもとで覗き窓から外に呼びかけてみると、……おお、本当にこっちに来てくれた!
―――グルル……グルルルル……
「そうそう。ここの中には食料も残ってるし、開けてくれたらお腹いっぱい食べてくれていいから。だからバーンといっちゃって、バーンと!」
 なんか恐いぐらいにいい調子だ。オーガにはあたしの言葉が理解できているらしく、扉のすぐ前にやってくると、ドアノブの代わりに取り付けられている鉄の輪に手を掛け、


―――グゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!


「イっ!?」
 オーガが突然咆哮を上げる。あたしが何かまずい事を言って怒らせたのかと思ったけれど、どうも様子がおかしい。
 勢い余って鉄の輪を引きちぎったオーガは、残された左腕で頭部の右側を掻き毟っている。よほどの激痛が走っているのだろうか、目を見開き、悲痛な絶叫を放ちながら石壁を殴りつける。それでもまだ咆哮は収まらず、ついには床に倒れ、狂ったように身をビクビクと震わせてのた打ち回り始めた。
「ごめん、もういい! あたしの言った事は気にしなくていいから、だから、だから―――!」
―――グアウッ! グアッ、グォアアアアアア……ガァ、ガァ……グルゥゥゥ……
 あたしの言葉が効いたのか、オーガの苦しみが徐々に和らぎ、少しずつ呼吸のリズムを取り戻して行く。……いまさらながら、敵のはずのオーガを心配するなんて、あたしもどうかして―――
「そうだ、契約しちゃえば……」
 恐らく、あたしと佐野とでは、モンスターとの契約――支配の仕方が異なっているはずだ。コボルトの時と同じように契約さえ出来れば………
「そのためにも、扉を開けなくちゃいけないわけか……」
 のぞき窓の高さは、あたしの目線よりやや高い。口でして上げるだけでも契約が結べる事はコボルトの時に実証済みだけど、この高さから出してもらうには……逆立ちしてもらえればなんとか。けど、オーガは片腕だし、長時間の逆立ち、しかもあたしにフェラされてってのは……無理よね、やっぱり。
 それに、あたしの言う事を聞けばオーガが苦しまなければならないという問題もある。まあ……敵なんだし、別にあたしは構わないって言うか………あ〜、もう! そうですよ、あたしはできれば死んで欲しくないな〜って思ってますよ! 目の前であんなに苦しまれたら可哀相だし、放っとけるわけないもん!
「せめて、コボルトの時みたいに佐野の支配から脱してくれてれば……」
 どうやって、コボルトは自由になれたんだろう?………一度溺れたから? 関係がありそうだけど、少し違う気がする。
 逃げるのなら急がなくちゃいけないけど、あたしの手には釘一本。これではどうしようもないから、オーガの助けは得ておきたい。そのためにも…と、あたしは手ごろな木箱に裸のままのお尻を乗せると、下水道での出来事を一つ一つ思い返し始める。
 浄化の水晶のところでは、コボルトは佐野に支配された状態じゃなかった。最初に襲い掛かってきた時は目が血走ってたし、とてもあんな風に懐いてくるとは思えない形相だった。―――溺れた事で、もしくは溺れる前に何があって、コボルトは支配から解放されたのか?
 一匹目のコボルトは水路に突き飛ばした。
 二匹目のコボルトは壁へ衝突し、仲間のコボルトに食べられてしまった。
 三匹目のコボルトはあたしに剣を心臓に突き立てられた。
 となると、あたしと契約したのは一匹目と言うことだ。じゃあいつ、どうやって支配から――
「そうだ。あの時、魔蟲がいた。……もしかしたら」
 背後、二匹のコボルトの死骸の方から現れた二匹の魔蟲。そして水路から這い上がったコボルトの耳から這い出てきた一匹の魔蟲。高位の魔法使い。そして―――頭の右側を押さえて苦しんだオーガ。
「―――よし」
 頭の中で歯車が噛みあう。
 佐野のモンスターの支配の仕方は、耳の中に潜ませた魔蟲を介して命令を与える方法だ。それを千匹ものモンスターに同時に行えるのかは甚だ疑問だけれど、手持ちの情報ではそう結論づけるしかない。
「間違ってたら、一生奴隷にされるか死ぬだけか……ここで何もしなくても一緒かな」
 女になってからの波乱万丈振りと幸の薄さには、我ながら頭を抱えたくなる。と言うのに、完全に吹っ切れたせいか、踏み台になる小箱を扉の下にもってきたあたしの口元には笑みが浮かんでいた。
「オーガ、聞こえてる? 聞こえてるなら扉の傍にまで来て。痛かったり苦しかったら無理しなくてもいいからね」
 取れる手段はただ一つ。これでダメなら、あたしもこいつも死ぬだけだ。
 床に倒れ伏して荒い呼吸を繰り返していたオーガに呼びかけると、力の無い動作で立ち上がり、もう足に力が入らないのか、そのままよろよろと扉にもたれ掛かる。
「もちょっと頭を上げて。――そう、その位置。そのまま動かないで」
 魔蟲がいるのはオーガの右の耳。向かって左側。
「いいわね。何をしても動かないで。今はあたしを逃がしてくれなくても、助けてくれなくてもいい。ただ、ジッとして動かないで」
 覗き窓から伸ばした左手には一本の釘。長さは……長すぎてオーガの鼓膜を貫通しませんように……
「うん………大丈夫。あたしは大丈夫」
 ―――こんな事で、まだまだ諦めてなんか、いられない!
 釘を手にし、覗き窓から伸ばされた左手が右へと疾る。
 狙うはオーガの右耳の穴。その奥に潜んでいる魔蟲へむけて短く突き出した釘を突き立てる。
―――ギヒィ!
 釘の先から手に伝わってくる感触……固い物を貫き、それが最後に上げた短い断末魔の声に、確実にしとめたと言う手ごたえを実感する。
「これで―――」
 オーガは支配から解放された。―――それを実感したのは、食料庫の扉が外から吹き飛ばされた時だった。
「くッ!!」
 吹き飛んだというより、破砕に近い。鉄で補強された分厚い木製の扉は中央部分で割り砕かれ、一緒に飛ばされたあたしの周囲に三つに分かれて転がっている。


―――グアアアアアアァアァアアァァアァアアアアアアアアッッッ!!!


「けほっ……一難去ってまた一難……かな、これって……」
 今のオーガに感じられるのは怒り。今まで支配されていた事に対する怒りだった。
 けれど完全の周りが見えていない。見えているのは………目の前にいるあたしのようで。
「こりゃまいったね。もてるのって辛いなぁ、あはははは…は……は………」
 さすがに……全身から鬼気を放っているオーガを前にして冗談を言うのは寿命が縮まる思いだ。もっとも、下手すれば今すぐこの場で殴り殺されそうなんですけど……
「せ、戦略的撤退!」
 あたしが飛びのいた直後、今いた場所にオーガが手にしたものを叩きつける。―――オーガの右腕だ。切り落とされた腕を棍棒のように振り下ろし、石で出来てる食料庫の床を陥没させてしまう。
「ちょ…なんつー力でってひゃあああっ!」
 横に振られたオーガの腕棍棒が頭上を掠める。触れただけであたしの頭なんてトマトのようにグシャグシャになりそうだ。
「タンマ、お願いだからちょっとタンマぁ! 助けてあげたのあたしじゃないの!?」
―――グゥオオオオオァァアアアアアアアアアアアアッ!!!
 耳に突き立つ釘を、貫かれた魔蟲ごと引き抜いて投げ捨てるオーガ。もう完全にあたしの声は聞こえていない。
 死に掛けているのは事実だ。けれど怒りに支配されたオーガは残された力を振り絞って食料庫の中で暴れまわる。
 木箱は粉砕し、中に入っていた野菜が宙を飛ぶ。右へ左へ、切り落とされた右腕を振り回しながら、あたしを追い立ててくる。―――もしかしたら、あの腕の事を根に持ってるから怒ってるのかも……それじゃどうしようもないじゃない!
 唯一の逃げ道はオーガの背後で、まるで竜巻のような暴れっぷりをすり抜けてあそこまで走れる自信は無い。なんとかそちらへ逃げようとしながらも追い立てられたあたしは、ついに部屋の隅に追い込まれてしまう。
―――グルルルル………ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!
 右にも左にも逃げられない。そちらへ行っても横薙ぎの一撃を避ける術があたしにはない。でも―――
「ここなら逃げる必要が無いもんね」
 牙が並ぶ口を大きく開いて襲い掛かろうとしたオーガの動きが、あたしの寸前でピタリと止まる。
「蜘蛛の糸に囚われた気分はどうかしら? さすがにチョウチョって感じじゃないけどね」
 あたしがオーガに勝つ手段は何一つなかった。けど、動きを止める手段なら一つだけあった。天井に隠れていた蜘蛛の糸だ。ほとんど不可視に近い糸に絡め取られたオーガは、最初の糸を引きちぎっても天井から新たに糸を吐き掛けられて束縛から脱する事が出来ない。ついには顔まで覆われて、あたしの前へとひざまずいた。
「オーガ、最後に選ばせて上げる」
 床に転がる木箱の破片から、殴るのに適したものを拾い上げる。
「本当に殴りたい奴を放って、この場で息絶えるか。それともあたしと契約して生き延びるか。好きな方を選びなさい!」
「グアッ! ガウゥ、グゥアアアアアアアアアアッ!!!」
 怒りからさめないオーガに、あたしの声は届かない。―――だから、あたしは木材を担ぐように振り上げ、
「これで一度……目を覚ませぇぇぇ〜〜〜〜!!」
 全力で振り抜き、オーガの頭をぶん殴った。
―――快音。
 木材は砕け、あたしの手にも強烈な衝撃が返ってくる。その代わりにオーガは叫ぶのをやめ、全身から力を抜いた。
「いッ…ツゥ…………」
 手の中から握り手だけになった木材が滑り落ちる。けれどそれだけの効果は充分にあった。……はずだ。
「え……え〜っと……それじゃ異論は無いようなので……こほん…これから契約したいと思います」
「―――――――」
 う……ここでなんか言ってくれないと……恥ずかしいんですけど……
「あ〜…ま〜…その〜……あたしと契約するにはエッチな事をしなくちゃいけないわけで…その…ゴニョゴニョ…って言うか……あたしも本意じゃなくて…ううう……」
 恥らうな。何事も最初が肝心なんだから、ここで恥ずかしがったりしたら、あたしの負けのような気がしないでもない……
 説明をしながらチラッとだけ、視線を降ろす。粗末な腰布を巻きつけているけれど、オーガのおチ○チンだから……当然、人間なんかよりも大きいのよね……ゴ、ゴツゴツだったりしたらどうしよう……オークみたいにねじれてるって言うのも考えられるし……ひえぇぇぇ…あ、あたし、壊されちゃうかも……
「あ、あの……だから…その………あたしが裸なのは、期待してるわけじゃないから……」
 ダメだ。口を開けば開くほど、オーガとのSEXを意識してしまう。今は一刻も早く逃げ出したいはずなのに、きっとオーガは一時間ぐらい腰を振りっぱなしだとか、一度じゃ満足してくれなくて二度三度…いやいや、きっと絶倫で一週間ぐらいハメっ放しで犯されちゃうんじゃないかとか、羞恥で頬を火照らせながらも、淫らな妄想を次々と思い浮かべて胸を高鳴らせてしまう。
「―――委細承知。契約、我、異論無し」
「………ほえ?」
 オーガが喋った……人間の言葉を喋るゴブリンがいるんだから、オーガが喋っても不思議じゃないんだけど、いきなり現実に引き戻される事になったあたしが大慌てだ。
「そ、それじゃあ……」
 お……犯されちゃうんですよね……オーガに………ああ、神様。どうか無事でいられますように……
 でも、契約してくれるというのなら、あたしは体を捧げないといけない……オーガの傍にひざまずき、大量の蜘蛛の糸に絡め取られて輪郭さえ朧気になったその逞しい体に、あたしは体を近づけていく。
「あの……こういうこと…好きってわけじゃないんだけど……」
「必要とあらば我を呼べ。我が命、主たる其方と共に……」
「う、うん……名前が無いと…こういうのやりづらいかも………」
 ―――と、突然オーガの姿が目の前から消えてしまう。残されたのは繭のように重なり合った蜘蛛の糸と、その中に、
「あ……魔封玉……」
 炎のように赤い、紅玉石の魔封玉。股間へ延ばそうとしていたのに行き先を見失って宙ぶらりんでになっていた右手を差し入れて、コボルトのものより一回り大きなそれを取り出すと、あたしは緊張から解放されて石の床に手を付いて頭をうな垂れてしまう。
「あたしの……覚悟って一体なに?」
 もう、棟の天辺から飛び降りるような気持ちでオーガとエッチしようとしてたのに……してた…のに……
 言い様の無い感情があたしの中で渦巻いている。
 もしかしたらあたし……お婿にいけないぐらいに汚れちゃったのかも……とほほ……


stage1「フジエーダ攻防戦」22